時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
さて、新チームの体制についてです。
指導体制は、監督にコジマ監督、31コーチにスズキ、32コーチにフクダ、公式スコアラーにサイトウとなります。
去年まで高田イーグルスを率いていたオオハシ監督は、すべてを後任に託されました。
代表職も固辞。スポ少のいっさいから身を引かれました。
これは、そのほうが新しいコジマ監督体制がやりやすいだろうというオオハシ監督の配慮だと私は思っています。
私はといえば、自分の子供たちがスポ少を去りながらも、いまだ続けています。
なぜか?
それは私がそうしたいから、その一心からです。
ソフトボールを通して、子供たちとその保護者、ひいては地域、そのコミュニティー全体の成長を見届けたい、見続けたい。
そこに貢献したいし、自分たちが求められている、第一人者のひとりなんだという思い込み。
その一心。
へたな趣味、ギャンブルにのめりこむよりも全然いいじゃないかと勝手に納得しています。
自己満足なんだと自分でも思います。
でもそれが自分を支えていてくれるなら、それで充分。私のライフワークたりえます。
家族の反対もありますが、家族優先ということにして、なんとかスポ少に携わることを許されています。
指導者をやるということは、まず家族の理解がないとできません。
これは指導者あるあるでしょうが、そこが大前提。
そしておうおうにして、家族の理解は得られないことのほうが多い。
「スポ少!?いいよいいよ、全力でやってきて、こっちも全力でサポートするよ。」という家族なんてみたことありません。
言い方は悪いですが、少なからず家族を犠牲にしてしまう。
自分がいない分、必ずどこかで家族に負担を強いてしまうのは事実です。
なんかの指導者研修で聞いたことがあります。
スポ少指導者の離婚率の高さ・・・それをきいて納得してしまう自分もいます。
自分の我を通しているだけなのかもしれませんが、
そこになんとか折り合いをつけて、
本当は自分を正当化して、
だましだましやっている。やってきたといっていい。
理解をしてくれというのが、おこがましいのかもしれません。
舞台の大小はあれど、高校野球の監督さんも似たようなもんだと思います。
あんだけ高校球児にかかわっていれば、自分の家庭を顧みる余裕がどこにあるんだろうかと。
どっちも大事なのに、一生懸命になればなるほど、片一方がおろそかになるジレンマ。
そこに少なからずすれ違いが生まれると思います。
そこをわかる人は、菩薩様か観音様でしょう。
そしてその観音様さえも、鬼となり、阿修羅となっていってしまう。
このたとえ、わかる人にはわかるはずです。
それをどうやってつなぎとめるか?
そこ、みんなどうやってるんでしょうね?
地域のため、こどもたちのため、ソフトボール、野球のため・・・
といいながらも最後は結局、自分のためなんですけどね。
いろんなことをこじつけて自己を正当化しているとわかっているんですが・・・
そんな葛藤をずっと抱えています。
おそらく、今の高田イーグルスの指導者も、そして他チームの多くの指導者のみなさんも同じようなものを抱えてる・・・
答えのでない、おそらく答えなんてない、解けない問題。
だからといって、「大変ですよね?いろんなものを犠牲にしてスポ少に貢献してくださってありがとうございます。」という言葉や気持ちを欲しているわけでもない。
全くないというわけではないけれど、そればっかりではないんですという言い訳めいた気持ち。
言葉ではいらないといいつつも、いろんなところでおそらくそういうものは態度になってでているというのが正直なところでしょう。
察していただきたというのが正直なところ。
なんていったらいいんでしょうね。
みんなのためでもあり、自分のためでもある。
葛藤、かっとう、ふじのつたと書いて葛藤。
どこに伸びていくかはわからない。這うように、絡みつくように、不規則に伸びていく。
最後は「・・・」しかでない・・・
私の場合、あきらめられながらもなんとかまだ離れないでいてくれていることに感謝して(それを表面にもだしもしません・・・それもだめなんでしょうけど・・・)またグランドに向かっています。
指導体制は、監督にコジマ監督、31コーチにスズキ、32コーチにフクダ、公式スコアラーにサイトウとなります。
去年まで高田イーグルスを率いていたオオハシ監督は、すべてを後任に託されました。
代表職も固辞。スポ少のいっさいから身を引かれました。
これは、そのほうが新しいコジマ監督体制がやりやすいだろうというオオハシ監督の配慮だと私は思っています。
私はといえば、自分の子供たちがスポ少を去りながらも、いまだ続けています。
なぜか?
それは私がそうしたいから、その一心からです。
ソフトボールを通して、子供たちとその保護者、ひいては地域、そのコミュニティー全体の成長を見届けたい、見続けたい。
そこに貢献したいし、自分たちが求められている、第一人者のひとりなんだという思い込み。
その一心。
へたな趣味、ギャンブルにのめりこむよりも全然いいじゃないかと勝手に納得しています。
自己満足なんだと自分でも思います。
でもそれが自分を支えていてくれるなら、それで充分。私のライフワークたりえます。
家族の反対もありますが、家族優先ということにして、なんとかスポ少に携わることを許されています。
指導者をやるということは、まず家族の理解がないとできません。
これは指導者あるあるでしょうが、そこが大前提。
そしておうおうにして、家族の理解は得られないことのほうが多い。
「スポ少!?いいよいいよ、全力でやってきて、こっちも全力でサポートするよ。」という家族なんてみたことありません。
言い方は悪いですが、少なからず家族を犠牲にしてしまう。
自分がいない分、必ずどこかで家族に負担を強いてしまうのは事実です。
なんかの指導者研修で聞いたことがあります。
スポ少指導者の離婚率の高さ・・・それをきいて納得してしまう自分もいます。
自分の我を通しているだけなのかもしれませんが、
そこになんとか折り合いをつけて、
本当は自分を正当化して、
だましだましやっている。やってきたといっていい。
理解をしてくれというのが、おこがましいのかもしれません。
舞台の大小はあれど、高校野球の監督さんも似たようなもんだと思います。
あんだけ高校球児にかかわっていれば、自分の家庭を顧みる余裕がどこにあるんだろうかと。
どっちも大事なのに、一生懸命になればなるほど、片一方がおろそかになるジレンマ。
そこに少なからずすれ違いが生まれると思います。
そこをわかる人は、菩薩様か観音様でしょう。
そしてその観音様さえも、鬼となり、阿修羅となっていってしまう。
このたとえ、わかる人にはわかるはずです。
それをどうやってつなぎとめるか?
そこ、みんなどうやってるんでしょうね?
地域のため、こどもたちのため、ソフトボール、野球のため・・・
といいながらも最後は結局、自分のためなんですけどね。
いろんなことをこじつけて自己を正当化しているとわかっているんですが・・・
そんな葛藤をずっと抱えています。
おそらく、今の高田イーグルスの指導者も、そして他チームの多くの指導者のみなさんも同じようなものを抱えてる・・・
答えのでない、おそらく答えなんてない、解けない問題。
だからといって、「大変ですよね?いろんなものを犠牲にしてスポ少に貢献してくださってありがとうございます。」という言葉や気持ちを欲しているわけでもない。
全くないというわけではないけれど、そればっかりではないんですという言い訳めいた気持ち。
言葉ではいらないといいつつも、いろんなところでおそらくそういうものは態度になってでているというのが正直なところでしょう。
察していただきたというのが正直なところ。
なんていったらいいんでしょうね。
みんなのためでもあり、自分のためでもある。
葛藤、かっとう、ふじのつたと書いて葛藤。
どこに伸びていくかはわからない。這うように、絡みつくように、不規則に伸びていく。
最後は「・・・」しかでない・・・
私の場合、あきらめられながらもなんとかまだ離れないでいてくれていることに感謝して(それを表面にもだしもしません・・・それもだめなんでしょうけど・・・)またグランドに向かっています。
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今年から正式に高田スポ少さんと美里イーグルスが合併したことは先にいいました。
そして最近の美里町のスポ少をとりまく状況は……
少子化の影響もあるでしょうが、美里町のソフトボールスポ少の状況は厳しいといわざるを得ません。
高田とイーグルスが合併して1つに。
なので1チーム減。
そして、長年の盟友、本郷スポ少さんがチームを組めなくなり休部?解散?となり1チーム減。
全盛期は、高田だけで7チームありました。
それも、今で美里町全体で2チーム。
会津全体でみれば、河東さんもチームが組めなくなり、会津若松市にソフトボールスポ少はなくなりました。若松がゼロ!
会津最大の人口をかかえているにも関わらずですよ。
喜多方市も昨年からチーム数を減らさずになんとか持ちこたえている様子。
そこに柳津と猪苗代。
猪苗代さんも町で2つにチームを絞るカタチ。
私が子どものころの環境、指導者になってからの環境。
そのどちらからも想像だにしない今の現状があります。
いろんな環境、条件も変わったこともあるでしょう。
にしても、減りすぎた。
以前は町で予選をやって、両沼予選、会津大会、そして県大会といろんな予選を勝ち抜かなくてはならなかった。
しかし現状はいきなり会津大会。
それも今では、1日で消化できるほどのチーム数になってしまった。
なぜか?
少子化もありますが、それだけではないと思います。
ソフトボールに限らず、スポーツをやろうと思う子供=保護者が減ってきています。
ゴールデンエイジの小学校時代になにもやらないという選択肢。
それをもったいないと思う保護者が少なくなってきている。
私はそう思います。
これをいうと、なんでやんなきゃなんないの?という返答。
この時点で、スポーツの有効性を説いてもその人には入っていきません。
わからない人、嫌いな人からみれば、私たちのいる世界は狂気の沙汰でしかないのかもしれません。それも真実。
私たちの側からみれば、寂しい世の中です。
中学校にいって、部活動に所属する義務があるので、そこからのスタートになる。
もちろん適応できる子供もいるでしょうが、3年は損している。
ゴールデンエイジのとても貴重な3年間を損していると思うのは私だけでしょうか?
スポ少側もこの現状を嘆いていても仕方がありません。
そのやろうと思わない人たち=無党派層をを巻き込む必要があります。
あっ、やってもいいかなぁくらいまでもっていきたいところ。
グランドという現場も大事ですが、グランドの周りの環境の整備も必要だと痛切しています。
そして、この状況をなんとかしたいと思っていますが、やることが多すぎて手が回らない・・・
どこのスポーツもそうじゃないんでしょうか?
選手、指導者、保護者、慢性的な人で不足。
やはり最後はマンパワーなんですよね。
人が多く集まるところ、そこに人々も面白さや価値を見出す。
人も数だけ考えも集まるし、変化や多様性に富む。
そしてそこに多くのドラマが生まれるんです。
人はそこにひきつけられるんです。
そんな中に船出した新生高田イーグルス。
今風な状況に対応したやり方、そして潜在的にやろう思える人たちを発掘できるような新しい魅力を考えながら今後も活動を続けていこうと思っています。
そして最近の美里町のスポ少をとりまく状況は……
少子化の影響もあるでしょうが、美里町のソフトボールスポ少の状況は厳しいといわざるを得ません。
高田とイーグルスが合併して1つに。
なので1チーム減。
そして、長年の盟友、本郷スポ少さんがチームを組めなくなり休部?解散?となり1チーム減。
全盛期は、高田だけで7チームありました。
それも、今で美里町全体で2チーム。
会津全体でみれば、河東さんもチームが組めなくなり、会津若松市にソフトボールスポ少はなくなりました。若松がゼロ!
会津最大の人口をかかえているにも関わらずですよ。
喜多方市も昨年からチーム数を減らさずになんとか持ちこたえている様子。
そこに柳津と猪苗代。
猪苗代さんも町で2つにチームを絞るカタチ。
私が子どものころの環境、指導者になってからの環境。
そのどちらからも想像だにしない今の現状があります。
いろんな環境、条件も変わったこともあるでしょう。
にしても、減りすぎた。
以前は町で予選をやって、両沼予選、会津大会、そして県大会といろんな予選を勝ち抜かなくてはならなかった。
しかし現状はいきなり会津大会。
それも今では、1日で消化できるほどのチーム数になってしまった。
なぜか?
少子化もありますが、それだけではないと思います。
ソフトボールに限らず、スポーツをやろうと思う子供=保護者が減ってきています。
ゴールデンエイジの小学校時代になにもやらないという選択肢。
それをもったいないと思う保護者が少なくなってきている。
私はそう思います。
これをいうと、なんでやんなきゃなんないの?という返答。
この時点で、スポーツの有効性を説いてもその人には入っていきません。
わからない人、嫌いな人からみれば、私たちのいる世界は狂気の沙汰でしかないのかもしれません。それも真実。
私たちの側からみれば、寂しい世の中です。
中学校にいって、部活動に所属する義務があるので、そこからのスタートになる。
もちろん適応できる子供もいるでしょうが、3年は損している。
ゴールデンエイジのとても貴重な3年間を損していると思うのは私だけでしょうか?
スポ少側もこの現状を嘆いていても仕方がありません。
そのやろうと思わない人たち=無党派層をを巻き込む必要があります。
あっ、やってもいいかなぁくらいまでもっていきたいところ。
グランドという現場も大事ですが、グランドの周りの環境の整備も必要だと痛切しています。
そして、この状況をなんとかしたいと思っていますが、やることが多すぎて手が回らない・・・
どこのスポーツもそうじゃないんでしょうか?
選手、指導者、保護者、慢性的な人で不足。
やはり最後はマンパワーなんですよね。
人が多く集まるところ、そこに人々も面白さや価値を見出す。
人も数だけ考えも集まるし、変化や多様性に富む。
そしてそこに多くのドラマが生まれるんです。
人はそこにひきつけられるんです。
そんな中に船出した新生高田イーグルス。
今風な状況に対応したやり方、そして潜在的にやろう思える人たちを発掘できるような新しい魅力を考えながら今後も活動を続けていこうと思っています。
またしてもコロナですね。
五月いっぱい、施設の貸し出しが禁止になり、対外試合も練習もできなくなりました。
またしても自粛、自粛の嵐。
日本中が、世界中(一分快方に向かいつつあり)が同じ気持ち。
またしても、いろんな行事、大会、試合が延期もしくは中止になっています。
去年もそうでしたが、今年も最終学年の子供たち、保護者にとってはいままでやってきたことを否定されるようで、なんともいたたまれない気持ちに支配されます。
こんな状況の中で、どうやってモチベーションを保てばいいんでしょうね。
全体で練習もできない。
個人でできることには限界があります。
自然と下ばかりを見つめてしまいます。
時間の経過を忘れ、ぼーっと一点を見ている・・・
あぁ~と深いため息をつく・・・
そんな弱い自分を出す時間があってもいいと思います。
絶望していい。
不安になっていい。
そういう中で、少しだけ顔をあげて周りを見てみる。
修学旅行や大会がなくなり、やけになっている兄弟、家族。
仕事がなくなり、経済的にどうしていいかわからなくなっている会社。
すぐ近くまでやってきていることを実感するほどのコロナの感染力におののく人たち。
同じような人たちがたくさんいるでしょう。
その中でも、少しでも上をみようとしている人たちもいます。
今の状況で自分たちができることを探して、やろうとしている人たち。
落ち込むことも当たり前です。
しかし、いつまでも落ち込んでばかりでいられない。
高田イーグルス、私たちにできることはなにか?
少しでも体力が落ちないように体力トレーニングを行う。
今こそ投球フォーム、バッティングフォームをよりいいものに改善する。
コロナが明けた時に、少しでも前よりいい状態になるように準備をすること。
ここにチャンスを見出すこと。
それを信じて、ひとつひとつを積み上げていくこと。
これが今の我々にできることなんじゃないでしょうか?
気張らず、気負わず、少しずつでいい。
大人数で集まることはなかなかできませんが、少人数でときどきみんなの顔を確認しながら、上を向いて、前を向いて進んでいきましょう。
五月いっぱい、施設の貸し出しが禁止になり、対外試合も練習もできなくなりました。
またしても自粛、自粛の嵐。
日本中が、世界中(一分快方に向かいつつあり)が同じ気持ち。
またしても、いろんな行事、大会、試合が延期もしくは中止になっています。
去年もそうでしたが、今年も最終学年の子供たち、保護者にとってはいままでやってきたことを否定されるようで、なんともいたたまれない気持ちに支配されます。
こんな状況の中で、どうやってモチベーションを保てばいいんでしょうね。
全体で練習もできない。
個人でできることには限界があります。
自然と下ばかりを見つめてしまいます。
時間の経過を忘れ、ぼーっと一点を見ている・・・
あぁ~と深いため息をつく・・・
そんな弱い自分を出す時間があってもいいと思います。
絶望していい。
不安になっていい。
そういう中で、少しだけ顔をあげて周りを見てみる。
修学旅行や大会がなくなり、やけになっている兄弟、家族。
仕事がなくなり、経済的にどうしていいかわからなくなっている会社。
すぐ近くまでやってきていることを実感するほどのコロナの感染力におののく人たち。
同じような人たちがたくさんいるでしょう。
その中でも、少しでも上をみようとしている人たちもいます。
今の状況で自分たちができることを探して、やろうとしている人たち。
落ち込むことも当たり前です。
しかし、いつまでも落ち込んでばかりでいられない。
高田イーグルス、私たちにできることはなにか?
少しでも体力が落ちないように体力トレーニングを行う。
今こそ投球フォーム、バッティングフォームをよりいいものに改善する。
コロナが明けた時に、少しでも前よりいい状態になるように準備をすること。
ここにチャンスを見出すこと。
それを信じて、ひとつひとつを積み上げていくこと。
これが今の我々にできることなんじゃないでしょうか?
気張らず、気負わず、少しずつでいい。
大人数で集まることはなかなかできませんが、少人数でときどきみんなの顔を確認しながら、上を向いて、前を向いて進んでいきましょう。
今年から高田スポ少と美里イーグルスが正式に合併して、新生「高田イーグルススポーツ少年団」となりました。
今までお見知りおきの方々、今後ともよろしくお願いいたします。
お互いに長い歴史をもつそれぞれのスポーツ少年団のふたつがひとつになる。
なにもおこらないわけがありません。
しかし、ここ数年我々美里イーグルスは高田さんといろんなことを一緒にやってきました。
こうなることを予想していたわけではありませんが、結果として一緒になるべく動いてきたといっても過言でない軌跡を残してきています。
初めは毎週水曜のナイターから。
すべてはここからはじまったと私は思っています。
そしてこれは大橋監督とそれに賛同していただいた他の指導者、高田スポ少と美里イーグルスの保護者のみなさんがいなければこうはならなかった。
お互いに違うところもあるけど、それを認めながら、みんなにとって一番い形になるようにみんなが歩み寄る。
障害があれば、それをどうすればとりのぞけばいいかを考え、行動する。
最終的には子どもたちが気持ちよくできるように動く。
これがみんなの原動力になっています。
我々は人に恵まれている。
そこははっきり言えます。
そんなこんなで、今一緒になっている。
修正点や納得がいかないところもまだまだあることも事実。
そうであったとしても、歩みを止めず、歩きながらどうすればいいかを今この時も考えて進んでいます。
それが今の高田イーグルスです。
今年もいいチームです。
私の所属するチームも旭スポ少、永井野旭スポ少、美里イーグルスときて、ついに高田イーグルスと四チーム目になりました。
ここまて20数年くらい。
長いようであっという間でした。
よくもここまで、できたもんだと自分でも思います。
そして、かつての敵のグランドで、今度は味方同士となって目標を同じくして練習をしている。
あの時はこうなるということを微塵もおもっていませんでした。
私が高田の指導者になるとは……
あの小島が高田の監督になるとは……
あの当時の他のチームの監督さんたちもこうなるとは誰も思っていなかったでしょう。
なんか不思議な縁を感じますが、我々はどこに行っても、相手が誰であってもやることは同じです。
こどもたちと一緒にソフトボールをやり、人間としての成長を見守る。
その根底にあるのは、ソフトボール、野球を、選手も保護者も指導者も楽しくやること、これです。
いろんなしがらみもあります。
それでもあのグランドで真剣になってソフトボールをやるのが楽しい。
やっぱりこれですよね。
これで20年以上やってきています。
この根底がぶれない限り大丈夫。
さて今年の高田イーグルス、レン世代。
今年もくせ者ぞろい。
これはこれで面白い。
彼らのこころに火をつけて、同じ方向を向いて突進する日。
木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いように。
猛牛となりバッサバッサと敵をなぎ倒す。
それを夢見てやっていくこととしましょう。
今までお見知りおきの方々、今後ともよろしくお願いいたします。
お互いに長い歴史をもつそれぞれのスポーツ少年団のふたつがひとつになる。
なにもおこらないわけがありません。
しかし、ここ数年我々美里イーグルスは高田さんといろんなことを一緒にやってきました。
こうなることを予想していたわけではありませんが、結果として一緒になるべく動いてきたといっても過言でない軌跡を残してきています。
初めは毎週水曜のナイターから。
すべてはここからはじまったと私は思っています。
そしてこれは大橋監督とそれに賛同していただいた他の指導者、高田スポ少と美里イーグルスの保護者のみなさんがいなければこうはならなかった。
お互いに違うところもあるけど、それを認めながら、みんなにとって一番い形になるようにみんなが歩み寄る。
障害があれば、それをどうすればとりのぞけばいいかを考え、行動する。
最終的には子どもたちが気持ちよくできるように動く。
これがみんなの原動力になっています。
我々は人に恵まれている。
そこははっきり言えます。
そんなこんなで、今一緒になっている。
修正点や納得がいかないところもまだまだあることも事実。
そうであったとしても、歩みを止めず、歩きながらどうすればいいかを今この時も考えて進んでいます。
それが今の高田イーグルスです。
今年もいいチームです。
私の所属するチームも旭スポ少、永井野旭スポ少、美里イーグルスときて、ついに高田イーグルスと四チーム目になりました。
ここまて20数年くらい。
長いようであっという間でした。
よくもここまで、できたもんだと自分でも思います。
そして、かつての敵のグランドで、今度は味方同士となって目標を同じくして練習をしている。
あの時はこうなるということを微塵もおもっていませんでした。
私が高田の指導者になるとは……
あの小島が高田の監督になるとは……
あの当時の他のチームの監督さんたちもこうなるとは誰も思っていなかったでしょう。
なんか不思議な縁を感じますが、我々はどこに行っても、相手が誰であってもやることは同じです。
こどもたちと一緒にソフトボールをやり、人間としての成長を見守る。
その根底にあるのは、ソフトボール、野球を、選手も保護者も指導者も楽しくやること、これです。
いろんなしがらみもあります。
それでもあのグランドで真剣になってソフトボールをやるのが楽しい。
やっぱりこれですよね。
これで20年以上やってきています。
この根底がぶれない限り大丈夫。
さて今年の高田イーグルス、レン世代。
今年もくせ者ぞろい。
これはこれで面白い。
彼らのこころに火をつけて、同じ方向を向いて突進する日。
木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いように。
猛牛となりバッサバッサと敵をなぎ倒す。
それを夢見てやっていくこととしましょう。
年度も切り替わり一ヶ月が過ぎました。
また新しい世代になる。
私は、その年のキャプテンの名を冠して呼んでいます。
となると、今年は「レン世代」。
敬意を持ってそう呼ばせてもらいましょう。
ソウゴ世代から引き続きの世界中コロナ禍まっただ中、あとで歴史を振り返ったときに今の時代はどのように映るのでしょうかね。
まぁそんなことは後世の人たちに任せて我々はやれることをやる、それしかありません。
スポ少をとりまく情勢もずいぶん変わってきています。年々スポーツ少年団の数が減少しています。
ソフトボールだけではなく、それは他のスポーツにもいえることだと思います。
少子化の影響はありますが、それだけではない要因もあると私はにらんでいます。
小学校のうちにスポーツをやろうという選択肢を選ばない人たちが増えてきた。
スポーツの他にもいろんな選択肢が増えたことも要因でしょう。
しかし、他に何かやってるの?と聞くと何もやっていない子ども達の多いこと。
人間の運動神経が一番伸びる時期、ゴールデンエイジに何もやらない、私はそれがもったいないと思いますが、他人に強要するものでもありません。
そちらから見れば、学校が終わってからも夜まで練習をやって、週末も練習やら試合やらで忙しい。家族同士の時間がつくれないではないか?
あんたらのほうが狂ってるよという意見もあるでしょう。
それにお金もかかるし、親の負担も大いにある。
それもわかっています。
スポーツが嫌いな人から見れば、スポーツ少年団の活動は狂気の沙汰としか映らないでしょうね。
私も反対の立場であったらそう思うでしょう。
しかし、いろんな障害や精神的なハードルの高さを越えてまでやろうとする魅力がスポーツになくなってきてるんだとも思います。
これも事実。
将来スポーツ選手になろうと思う子供たちが減ってきている。
家でゲームをやっていた方がまし。
私も子どもの頃はそういう時もありました。
しかし、ゲームよりも同世代の仲間とソフトボールや野球をやってるほうが何倍も面白かった。
そんなに強いチームではありませんでしたが、ゲームよりも私たちの中での価値は高かった。
そういう時代ではないといえばそれまでですが、衰退していく流れに迎合する気はありません。
座して待つことは性(しょう)に合わない。
動きまくって環境を変えましょう。
そんで上手くいかなかったら、そん時は仕方ない。
その方が後悔しないと思います。
やるだけのことはやった。
そう思いたい。
幸いなことに、高田イーグルスは昨年度の合併を機に人数的には恵まれています。
6年生中心のチームと5年生以下のマイナーチーム、二チーム編成ができます。
そしてそれを指導する指導者の体制もなんとかできている。
さらに保護者の協力体制やスポーツ少年団に対する意識、理解がとてもあると思います。
だからこそ我々は指導者もとてもやりやすい。
新年度になって新たに高田イーグルスの門をたたくこどもたちも複数いてくれます。
しばらくは大丈夫かと思いますが、今後も高田イーグルスがこの地域の子ども達の小学校時代の身体的精神的な成長の場となるためには、工夫が必要だと思います。
このブログは個人的な備忘録の役割もあるので、書きとめておきます。
私がいつも考えていること。
どうやったらスポーツ少年団が子ども達の成長の場、ひいては保護者も含めた成長の場として、効果的な組織であることができるか?
そのモデル的なケースにどうやったらなり得るか?
そして最終的には、スポーツ少年団が地域にどうやったら貢献できるか?
ここを考えています。
それが大好きなソフトボール人口、野球人口を減らさないための手段となると私は思っています。
みんながソフトボールをやりたいと思えるにはどうするか?
できるかできないかは別として、まずはアイディアをだすことです。
それをいつも考えています。
最近思いついたいいと思うことは、
スポーツだけではなく、勉強も教えること。
誰が教えるか?
これはスポ少OBがいい。
教員志望のOBに実践的な練習の場になり得る。
夏休みとか、大人が働いていてできない時間帯に中高生となったOBが現役に勉強も教える。
びびたるもんですが、実費相当のバイト代も払えればなお良し。ウィンウィン。
いずれ私が仕事をリタイヤしたら、スポ少をやるやらないに限らず、放課後に子ども達を預かり、勉強を教えながら、ソフトボールも教えられるような環境を作りたい。
そこにカフェ食堂をつくり居酒屋をつくり、温泉をほってサウナをつくって、人が集まるような場所を作りたい。そう思っています。
そのためには、高齢化してきている農業を法人化して、農地を集積、機械化をすすめる。
収穫物の販路を確保するとともに、加工も手掛ける。
人が必要になるので、卒業したOBOGを採用し、その子供たちがまたスポ少をやろうと思える環境を作りたい。
役場やいろんな場所にスポ少のOBOGがいるという環境、町とそこに住む人たち、ひいてはスポ少をやってきた私たち自体も住んでよかったという地域にしたいと思っています。
その中心に、スポ少があったらいい。
スポーツがいろんな人たちをつなぐハブとなる。
スポーツってそういうものなんじゃないかなと思います。
勝手にそう思っています。
だいぶ大きな話になりましたね。
しかし、私の野望もまだまだ道半ば。
ほかにもバイクで世界一周とか、ナイルやアマゾンで釣りなどやりたいことはたくさんあります。
千里の道も一歩から、今は眼前のやれることからやっていこうと思います。
また新しい世代になる。
私は、その年のキャプテンの名を冠して呼んでいます。
となると、今年は「レン世代」。
敬意を持ってそう呼ばせてもらいましょう。
ソウゴ世代から引き続きの世界中コロナ禍まっただ中、あとで歴史を振り返ったときに今の時代はどのように映るのでしょうかね。
まぁそんなことは後世の人たちに任せて我々はやれることをやる、それしかありません。
スポ少をとりまく情勢もずいぶん変わってきています。年々スポーツ少年団の数が減少しています。
ソフトボールだけではなく、それは他のスポーツにもいえることだと思います。
少子化の影響はありますが、それだけではない要因もあると私はにらんでいます。
小学校のうちにスポーツをやろうという選択肢を選ばない人たちが増えてきた。
スポーツの他にもいろんな選択肢が増えたことも要因でしょう。
しかし、他に何かやってるの?と聞くと何もやっていない子ども達の多いこと。
人間の運動神経が一番伸びる時期、ゴールデンエイジに何もやらない、私はそれがもったいないと思いますが、他人に強要するものでもありません。
そちらから見れば、学校が終わってからも夜まで練習をやって、週末も練習やら試合やらで忙しい。家族同士の時間がつくれないではないか?
あんたらのほうが狂ってるよという意見もあるでしょう。
それにお金もかかるし、親の負担も大いにある。
それもわかっています。
スポーツが嫌いな人から見れば、スポーツ少年団の活動は狂気の沙汰としか映らないでしょうね。
私も反対の立場であったらそう思うでしょう。
しかし、いろんな障害や精神的なハードルの高さを越えてまでやろうとする魅力がスポーツになくなってきてるんだとも思います。
これも事実。
将来スポーツ選手になろうと思う子供たちが減ってきている。
家でゲームをやっていた方がまし。
私も子どもの頃はそういう時もありました。
しかし、ゲームよりも同世代の仲間とソフトボールや野球をやってるほうが何倍も面白かった。
そんなに強いチームではありませんでしたが、ゲームよりも私たちの中での価値は高かった。
そういう時代ではないといえばそれまでですが、衰退していく流れに迎合する気はありません。
座して待つことは性(しょう)に合わない。
動きまくって環境を変えましょう。
そんで上手くいかなかったら、そん時は仕方ない。
その方が後悔しないと思います。
やるだけのことはやった。
そう思いたい。
幸いなことに、高田イーグルスは昨年度の合併を機に人数的には恵まれています。
6年生中心のチームと5年生以下のマイナーチーム、二チーム編成ができます。
そしてそれを指導する指導者の体制もなんとかできている。
さらに保護者の協力体制やスポーツ少年団に対する意識、理解がとてもあると思います。
だからこそ我々は指導者もとてもやりやすい。
新年度になって新たに高田イーグルスの門をたたくこどもたちも複数いてくれます。
しばらくは大丈夫かと思いますが、今後も高田イーグルスがこの地域の子ども達の小学校時代の身体的精神的な成長の場となるためには、工夫が必要だと思います。
このブログは個人的な備忘録の役割もあるので、書きとめておきます。
私がいつも考えていること。
どうやったらスポーツ少年団が子ども達の成長の場、ひいては保護者も含めた成長の場として、効果的な組織であることができるか?
そのモデル的なケースにどうやったらなり得るか?
そして最終的には、スポーツ少年団が地域にどうやったら貢献できるか?
ここを考えています。
それが大好きなソフトボール人口、野球人口を減らさないための手段となると私は思っています。
みんながソフトボールをやりたいと思えるにはどうするか?
できるかできないかは別として、まずはアイディアをだすことです。
それをいつも考えています。
最近思いついたいいと思うことは、
スポーツだけではなく、勉強も教えること。
誰が教えるか?
これはスポ少OBがいい。
教員志望のOBに実践的な練習の場になり得る。
夏休みとか、大人が働いていてできない時間帯に中高生となったOBが現役に勉強も教える。
びびたるもんですが、実費相当のバイト代も払えればなお良し。ウィンウィン。
いずれ私が仕事をリタイヤしたら、スポ少をやるやらないに限らず、放課後に子ども達を預かり、勉強を教えながら、ソフトボールも教えられるような環境を作りたい。
そこにカフェ食堂をつくり居酒屋をつくり、温泉をほってサウナをつくって、人が集まるような場所を作りたい。そう思っています。
そのためには、高齢化してきている農業を法人化して、農地を集積、機械化をすすめる。
収穫物の販路を確保するとともに、加工も手掛ける。
人が必要になるので、卒業したOBOGを採用し、その子供たちがまたスポ少をやろうと思える環境を作りたい。
役場やいろんな場所にスポ少のOBOGがいるという環境、町とそこに住む人たち、ひいてはスポ少をやってきた私たち自体も住んでよかったという地域にしたいと思っています。
その中心に、スポ少があったらいい。
スポーツがいろんな人たちをつなぐハブとなる。
スポーツってそういうものなんじゃないかなと思います。
勝手にそう思っています。
だいぶ大きな話になりましたね。
しかし、私の野望もまだまだ道半ば。
ほかにもバイクで世界一周とか、ナイルやアマゾンで釣りなどやりたいことはたくさんあります。
千里の道も一歩から、今は眼前のやれることからやっていこうと思います。
私が思うスポ少の存在理由の大きなひとつ。
それは「自分の居場所の開拓」だと思っています。
スポ少に限らず、人が生きていくということは、この居場所を探し続ける旅なのかもしれませんね。
俺が、私が、自分がいていいんだと思える場所。
小さい頃は、両親や家族がその場所を作ってくれます。
しかし、保育園にいって、学校へいくと、たくさんの人がいて、社会という大きな場所にいやがおうでも放り込まれる。
右も左もわからず、どうしていいかもわからない。
そんな中で先生や友達から少しずつ、自分の居場所を探したり、築いていくことをいろんな場所で繰り返していく。
スポ少もそういう場所です。
しかも、自分の中で初めてぶち当たるであろう壁、勝負もからむ厳しめの世界。
始める前から、身体能力で差がある。
チャンスも平等にはもらえない。
一生懸命にやっても報われない時もある。楽しいばかりではない。
子供のころの経験からいっても、スポーツの世界は厳しいと思います。
スポ少でソフトボールをやるということはそういう世界に身を置くこと。
自分に何ができて、何ができないのかを知る。
チームとしてその時に、何を求めているかを考え、その状況で自分が何をしなければならないかを考え、周りの選手も見ながら、絶好のタイミングで行動に移す。
結果、うまくいけば周りにも認められる。
いいぞ、すこいぞ、よくやったと褒められる。
それによって自分の存在意義も見出していく。
俺はやれる!ここでやれる!というその子の自信につながります。
残念なことに、そこに100%の答えというものはありません。
なぜなら、求める答えは人それぞれ違うから。
多くの人が思うような、ある程度のところはあるでしょうが、全員が全員そうとは限らない。
多様性と個性が認められる現代であればなおのことです。
それをソフトボールスポーツ少年団という世界にあてはめてみる。
たくさんヒットが打てるバッター、ファインプレー連発の野手。
バンバン三振を取りまくるエースピッチャー、強肩でランナーを刺しまくるキャッチャー。
二盗三盗を決めまくる俊足。
大事なところで確実にバントを決める犠打のスペシャリスト。
いろんな個性があっていいと思います。
そして自分を見つめなおしてみる。
チームのために自分に何ができるかを探す。自分に何が求められているかを考える。
そこに自分のやりたいこと、自分の得意なことを重ねてみる。
自分の進むべき道がかすかに見えるてくると思います。
みんながみんなエースで4番になる必要はありません。
常に打ちまくってコールドゲームにすることはないんです。
大事なのは試合が終わった時に相手よりも1点だけ多くとっていればいい。
それができる確率が高いのはバランスの取れたチーム、状況によって変化できるチームだと私は思っています。
よくを言えば、どこか一点で特化している。そこが欲しい。
そのためには、全員がスラッガーではだめです。バント職人でもだめ。
いろんな個性が集まる多様性のあるメンバーがいい。
その意味で、今年の高田イーグスルは、バランスのとれたメンバーで、かつそれぞれ特化した特徴をもっている選手の集団でした。
出塁率と安定感抜群の1,2番、ユキノブ、ダイ。
それらを返すクリーンナップのケンタ、ユウゴ、ユウト。
残存を掃討し、打線が切れれば修復する役目を担う、ソウゴ、ヒカリ、ハレル。
上位につなげたり、ランナーを進めたりなんでもできるサポート役のユズキ、ユリア。
ひとりひとりの点を打線にしていくメンバー個性と、流れ。
それを大橋監督もよくわかっていました。
彼らの個性を生かした打順、チームに必要な打順に組み込んだ。
それが機能した時は無類の強さを発揮すると我々も思っていました。
それができた試合と、できなかった試合があります。
抑えこまれた試合はがまんしてがまんして、大幅に崩れないようにこころがけました。
あの下郷江川杯決勝のような試合。
本当はそういう神経を削り取るような試合をもっも経験させてやりたかった。
死線をくぐり抜けるようなゾクゾクする試合。
そういう試合をたくさん見たかった。
そして、強い彼らをさらに鍛え上げていく。
名刀をつくりあげる鍛冶職人のような心境に我々はなっていたと思います。
もっともっと納得のいくまで鍛え続けたかった。
それも、もはやかなわず。
彼らにとっての居場所がみつかったかどうか……
彼らは彼らの新しい道を歩み始めました。
そして我々もまた新しい道が見えてきた。
ここらが、彼らと我々の潮時でしょう。
一緒の船団であった彼らが我々と離れていく。
いままで何回も何回も見てきた景色。
彼らの船出を祝うこととしましよう。
それは「自分の居場所の開拓」だと思っています。
スポ少に限らず、人が生きていくということは、この居場所を探し続ける旅なのかもしれませんね。
俺が、私が、自分がいていいんだと思える場所。
小さい頃は、両親や家族がその場所を作ってくれます。
しかし、保育園にいって、学校へいくと、たくさんの人がいて、社会という大きな場所にいやがおうでも放り込まれる。
右も左もわからず、どうしていいかもわからない。
そんな中で先生や友達から少しずつ、自分の居場所を探したり、築いていくことをいろんな場所で繰り返していく。
スポ少もそういう場所です。
しかも、自分の中で初めてぶち当たるであろう壁、勝負もからむ厳しめの世界。
始める前から、身体能力で差がある。
チャンスも平等にはもらえない。
一生懸命にやっても報われない時もある。楽しいばかりではない。
子供のころの経験からいっても、スポーツの世界は厳しいと思います。
スポ少でソフトボールをやるということはそういう世界に身を置くこと。
自分に何ができて、何ができないのかを知る。
チームとしてその時に、何を求めているかを考え、その状況で自分が何をしなければならないかを考え、周りの選手も見ながら、絶好のタイミングで行動に移す。
結果、うまくいけば周りにも認められる。
いいぞ、すこいぞ、よくやったと褒められる。
それによって自分の存在意義も見出していく。
俺はやれる!ここでやれる!というその子の自信につながります。
残念なことに、そこに100%の答えというものはありません。
なぜなら、求める答えは人それぞれ違うから。
多くの人が思うような、ある程度のところはあるでしょうが、全員が全員そうとは限らない。
多様性と個性が認められる現代であればなおのことです。
それをソフトボールスポーツ少年団という世界にあてはめてみる。
たくさんヒットが打てるバッター、ファインプレー連発の野手。
バンバン三振を取りまくるエースピッチャー、強肩でランナーを刺しまくるキャッチャー。
二盗三盗を決めまくる俊足。
大事なところで確実にバントを決める犠打のスペシャリスト。
いろんな個性があっていいと思います。
そして自分を見つめなおしてみる。
チームのために自分に何ができるかを探す。自分に何が求められているかを考える。
そこに自分のやりたいこと、自分の得意なことを重ねてみる。
自分の進むべき道がかすかに見えるてくると思います。
みんながみんなエースで4番になる必要はありません。
常に打ちまくってコールドゲームにすることはないんです。
大事なのは試合が終わった時に相手よりも1点だけ多くとっていればいい。
それができる確率が高いのはバランスの取れたチーム、状況によって変化できるチームだと私は思っています。
よくを言えば、どこか一点で特化している。そこが欲しい。
そのためには、全員がスラッガーではだめです。バント職人でもだめ。
いろんな個性が集まる多様性のあるメンバーがいい。
その意味で、今年の高田イーグスルは、バランスのとれたメンバーで、かつそれぞれ特化した特徴をもっている選手の集団でした。
出塁率と安定感抜群の1,2番、ユキノブ、ダイ。
それらを返すクリーンナップのケンタ、ユウゴ、ユウト。
残存を掃討し、打線が切れれば修復する役目を担う、ソウゴ、ヒカリ、ハレル。
上位につなげたり、ランナーを進めたりなんでもできるサポート役のユズキ、ユリア。
ひとりひとりの点を打線にしていくメンバー個性と、流れ。
それを大橋監督もよくわかっていました。
彼らの個性を生かした打順、チームに必要な打順に組み込んだ。
それが機能した時は無類の強さを発揮すると我々も思っていました。
それができた試合と、できなかった試合があります。
抑えこまれた試合はがまんしてがまんして、大幅に崩れないようにこころがけました。
あの下郷江川杯決勝のような試合。
本当はそういう神経を削り取るような試合をもっも経験させてやりたかった。
死線をくぐり抜けるようなゾクゾクする試合。
そういう試合をたくさん見たかった。
そして、強い彼らをさらに鍛え上げていく。
名刀をつくりあげる鍛冶職人のような心境に我々はなっていたと思います。
もっともっと納得のいくまで鍛え続けたかった。
それも、もはやかなわず。
彼らにとっての居場所がみつかったかどうか……
彼らは彼らの新しい道を歩み始めました。
そして我々もまた新しい道が見えてきた。
ここらが、彼らと我々の潮時でしょう。
一緒の船団であった彼らが我々と離れていく。
いままで何回も何回も見てきた景色。
彼らの船出を祝うこととしましよう。
数年前から高田スポ少と美里イーグルスが毎週水曜にナイター練習試合をやるようなったこと。
これが両者の合併のきっかけになったことは間違いありません。
お互いの距離が少しずつ縮まってきた。
そうなると指導者目線で見た時に、「あの選手がうちのチームにいてくれたら・・・」と思わせてくれたのが、ショートに君臨するユキノブでした。
それを機に周りを見渡してみると、外野にはユズキ、キャッチャーにユウト、内野にヒカリ、エース級のピッチャー、ダイとハレルもいる。
対してイーグルス、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴの6年生四人を中心にしていますが、5年生、3年生を入れての守備体系。
県大会でその守備のほころびを露呈して敗北を喫しました。
ほころびというか、チーム事情によって下級生をださなくてはいけない状況だったんです。
それはその選手にとっても大きな傷をつくるなと思い知らされました。
本当ならばもっと育つ時間をつくってあげから、満を持して守備に就かせてあげたい。
しかし、人数がいないから守備に就かさざるを得ない。
それもソフトボールであり、その中でがんばるのがスポ少だという人もいるでしょう。
しかし私は、はっきりいって酷だと思いました。
あんなに早い打球の処理をするにはもう少し時間が必要だと私たちも思いました。
それからナイターで高田スポ少をみる。じっくり見てみる。
ひらめきましたよ。
イーグルスのウィークポイントに高田スポ少の6年生全員がキーマンとなってはまる。
まさに凸(デコ)と凹(ボコ)がはまる感じ。
我天啓を得たり。
逆にいえば、高田スポ少さんにとっても同じことが言えます。
多少のコンバートは必要ですが、お互いのウィークポイントを補ってあまりあまる伸びしろができる。
6年生だけでチームが組める。
エース級が3人。しかも左右がそろう。リリーフも万全。
選手の個性をいかす守備位置におくことができて、守備力が向上する。
チカラ負けせず、どこからでも得点できる打線。
スキを突く走塁、堅実なバント、多彩な攻撃のバリエーション。
5年生をいれても守備のバリエーションも増える。
人数不足で試合ができなくなることがなくなる。
ケンタのひざを考えてキャッチャーをやらせなく済むなどメリットがどんどんでてきました。
そして、あの県大会でみたベスト4のチームに対抗できる戦力が整い、全国大会が目指せる戦力が整うと確信しました。
私には、確かな夢が、行くべき道が、登るべき山がはっきりと見えました。
これは合併しなくてはならない。
彼らが全国の舞台で勇躍する姿を少しでも想像してしまった。
この思いを少しずつみんなに共有してもらいたい。
そう思って動いてきました。
結果、全国には届かず、初戦で猪苗代さんには敗れました。
しかし、舞台は整えて、土俵にはあがりました。
念ずれば通ず。
ちゃんとしたビジョンがあってそこに向かって共感する人たちと進むことで、困難ことにも立ち向かえるし、思いは通じるとうことをまたここでも実感しました。
その夢のはじまりがユキノブでした。
4年生のころから「ん?うまいな。こいつはいいショートになるな。」と思っていました。
捕り方=捕球体制、ゴロに入るタイミング、手首の柔らかさ、スローイングの強さ、リストの強さ、ポジショニングの良さがいい。ひとつ上の学年のタイセイにはまだ少しかなわないが、6年になったならば超えてくるかもしれないとその可能性を感じさせてくれました。
打撃もいい。
ユキノブがいいところは選球眼のよさ。
かっ飛ばすだけなら、ケンタ、ユウゴ、ユウトもいますが確実性でいえばユキノブが上。
それを大橋監督もわかっていたからリードオフマンの1番に置いたのだと思います。
それは、ミナココーチの打撃成績表からもうかがえます。
打率もチームナンバーワン。
堅守好打を備えたショートストップ。
プロ野球でいえば、坂本選手のようなタイプ。
ただこの数年見てきて、その性格もわかってきました。
自分が上手いことをわかってるがゆえに、がむしゃらさ、一生懸命さ、努力することがおろそかになる。そこはケンタと同じです。
自分の実力にあぐらをかくことがある。
周りに気が利かない。
チームとしてどうするべきかを、本当は見渡すことができるのに、本当はそういうポジションにいて全体を見渡さなければならないのに、あえてやらない。人任せなところがある。
私はそう思った時がありました。
ユキノブのズルさが垣間見えた。
私も何年も指導者をしてるので、そういう選手も何人も見てきました。
うまい選手はそういう狡猾さを持った選手が多いことも事実。
そこはいい意味でのズルさ。
そういうズルさの必要性も認めています。
常に全力ではやらない。大事なところをわかっていて、そのタイミングで実力を出す。
大人の目、指導者がどうしてほしいかをわかっていて動く。
効率よく立ち回る。
容量がいいんです。
そこはいいんですが、それが緩み切ってしまう場面がありました。
悪い意味でのズルさがでた場面。
それがちょうど白獅子で猪苗代さんに負けた後で、私の腹の虫のいどころも悪かったんでしょうが、練習が終わったあとのグランド整備、用具かたづけの場面で、「ズルさ」がはっきりと見えてしまった。
いままでも目についていましたが、いつか分かってくれるだろうという期待をこめてみていましたが、我慢ならなかった。
適当にやって、終わるタイミングでさっさとトンボを片付けて、他に手伝いにもいかないでくっちゃべる。とりあえずやっとくかという姿勢。
負けたチームがとってはいけない態度。
ちょうどユキノブとケンタのふたりの「ズルさ」。
あれは、ふたりに通じたかどうかはわかりませんが、ズルさの見せどころを間違えるなという私なりの叱咤激励でした。
私は見てきました。
高校時代に、一年の春に30人以上野球部に入りました。
一中にエース、五中のエースなどすごい選手がわんさかいました。
一緒に練習していても身体能力は高く、センスの良さが私にもわかりました。
しかし、時間がたつにつれ、こういう上手いやつから上級生の激しい叱咤激励に耐え切れず、やめていきました。
グランド整備、用具かたづけなど当たり前にことに一生懸命になれない。
あの時代にあった、前時代的な先輩たちのきつめの叱咤激励の前に野球をやることがバカらしくなったのでしょうね。
本当に才能のある選手がやめていく。
もったいないなと思いながらも、私はそういう選手の中に、一定の「ズルさ」を見ていました。
ズルさはもろさと言ってもいいでしょう。
そのズルさを見透かされた。
それは、けっこう核心の部分なのかもしれません。
野球に対する姿勢。それは「生き方」にも通じるかもしれません。
大事なところでズルをしてるんじゃねぇ!
そういう部分で、ふるいにかけられる。自分から降りていく。
結局残ったのは、半分の部員でした。
ズルさに負けなかった者たち、もろさに打ち勝った者たち。
それは、いろんなめんどくさいこともひっくるめて野球が好きだということが少しだけ上回った者たちだと思います。
だからこそ、そこから始まる中学生のころとは比べようもないほど野球に打ち込むことができた。私はそう思っています。それでも甲子園は遠い。
私がいいたいのは、そこなんです。
大事なところでズルをするな、逃げるな、向き合え。そこで全力をだせ。
野球の神様はそこを見ている。
野球の神様ではなくても、自分がみている。
そこをごまかすな。
私自身もできているとは言えないし、やってきたとも言えません。
ただユキノブ、ケンタにはその部分を大事にしてほしいなという思いで厳しく接しました。
素晴らしい才能をもっている。
願わくば良い指導者に出会ってほしい。
しかし、最後はいかすもころすも君たち次第。
やっても無駄とだと思わない。
やるだけ無駄だと思わない。
もう少し頑張っていれば、もう少し本気になっていれば、もう少し努力すれば、未来を変えられる!
そのもう少しをプレーにも、プレー以外のところでも心掛けてほしいなと思います。
熱血バレーアニメ ハイキューの及川さんもこう言ってます。
才能は開花させるもの。
センスは磨くもの。
その底にあるのは、謙虚で素直という土壌。
そこに自分で気づけるかどうか?そこに真摯にとりくむこと。
そこが本当の野球の面白さ、楽しさ、仲間の大切さに気付く第一歩。
願わくは気づいてほしい。
そこに気づいたとき、ユキノブはサイヤ人のように本当の才能は開花すると私は信じています。
これが両者の合併のきっかけになったことは間違いありません。
お互いの距離が少しずつ縮まってきた。
そうなると指導者目線で見た時に、「あの選手がうちのチームにいてくれたら・・・」と思わせてくれたのが、ショートに君臨するユキノブでした。
それを機に周りを見渡してみると、外野にはユズキ、キャッチャーにユウト、内野にヒカリ、エース級のピッチャー、ダイとハレルもいる。
対してイーグルス、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴの6年生四人を中心にしていますが、5年生、3年生を入れての守備体系。
県大会でその守備のほころびを露呈して敗北を喫しました。
ほころびというか、チーム事情によって下級生をださなくてはいけない状況だったんです。
それはその選手にとっても大きな傷をつくるなと思い知らされました。
本当ならばもっと育つ時間をつくってあげから、満を持して守備に就かせてあげたい。
しかし、人数がいないから守備に就かさざるを得ない。
それもソフトボールであり、その中でがんばるのがスポ少だという人もいるでしょう。
しかし私は、はっきりいって酷だと思いました。
あんなに早い打球の処理をするにはもう少し時間が必要だと私たちも思いました。
それからナイターで高田スポ少をみる。じっくり見てみる。
ひらめきましたよ。
イーグルスのウィークポイントに高田スポ少の6年生全員がキーマンとなってはまる。
まさに凸(デコ)と凹(ボコ)がはまる感じ。
我天啓を得たり。
逆にいえば、高田スポ少さんにとっても同じことが言えます。
多少のコンバートは必要ですが、お互いのウィークポイントを補ってあまりあまる伸びしろができる。
6年生だけでチームが組める。
エース級が3人。しかも左右がそろう。リリーフも万全。
選手の個性をいかす守備位置におくことができて、守備力が向上する。
チカラ負けせず、どこからでも得点できる打線。
スキを突く走塁、堅実なバント、多彩な攻撃のバリエーション。
5年生をいれても守備のバリエーションも増える。
人数不足で試合ができなくなることがなくなる。
ケンタのひざを考えてキャッチャーをやらせなく済むなどメリットがどんどんでてきました。
そして、あの県大会でみたベスト4のチームに対抗できる戦力が整い、全国大会が目指せる戦力が整うと確信しました。
私には、確かな夢が、行くべき道が、登るべき山がはっきりと見えました。
これは合併しなくてはならない。
彼らが全国の舞台で勇躍する姿を少しでも想像してしまった。
この思いを少しずつみんなに共有してもらいたい。
そう思って動いてきました。
結果、全国には届かず、初戦で猪苗代さんには敗れました。
しかし、舞台は整えて、土俵にはあがりました。
念ずれば通ず。
ちゃんとしたビジョンがあってそこに向かって共感する人たちと進むことで、困難ことにも立ち向かえるし、思いは通じるとうことをまたここでも実感しました。
その夢のはじまりがユキノブでした。
4年生のころから「ん?うまいな。こいつはいいショートになるな。」と思っていました。
捕り方=捕球体制、ゴロに入るタイミング、手首の柔らかさ、スローイングの強さ、リストの強さ、ポジショニングの良さがいい。ひとつ上の学年のタイセイにはまだ少しかなわないが、6年になったならば超えてくるかもしれないとその可能性を感じさせてくれました。
打撃もいい。
ユキノブがいいところは選球眼のよさ。
かっ飛ばすだけなら、ケンタ、ユウゴ、ユウトもいますが確実性でいえばユキノブが上。
それを大橋監督もわかっていたからリードオフマンの1番に置いたのだと思います。
それは、ミナココーチの打撃成績表からもうかがえます。
打率もチームナンバーワン。
堅守好打を備えたショートストップ。
プロ野球でいえば、坂本選手のようなタイプ。
ただこの数年見てきて、その性格もわかってきました。
自分が上手いことをわかってるがゆえに、がむしゃらさ、一生懸命さ、努力することがおろそかになる。そこはケンタと同じです。
自分の実力にあぐらをかくことがある。
周りに気が利かない。
チームとしてどうするべきかを、本当は見渡すことができるのに、本当はそういうポジションにいて全体を見渡さなければならないのに、あえてやらない。人任せなところがある。
私はそう思った時がありました。
ユキノブのズルさが垣間見えた。
私も何年も指導者をしてるので、そういう選手も何人も見てきました。
うまい選手はそういう狡猾さを持った選手が多いことも事実。
そこはいい意味でのズルさ。
そういうズルさの必要性も認めています。
常に全力ではやらない。大事なところをわかっていて、そのタイミングで実力を出す。
大人の目、指導者がどうしてほしいかをわかっていて動く。
効率よく立ち回る。
容量がいいんです。
そこはいいんですが、それが緩み切ってしまう場面がありました。
悪い意味でのズルさがでた場面。
それがちょうど白獅子で猪苗代さんに負けた後で、私の腹の虫のいどころも悪かったんでしょうが、練習が終わったあとのグランド整備、用具かたづけの場面で、「ズルさ」がはっきりと見えてしまった。
いままでも目についていましたが、いつか分かってくれるだろうという期待をこめてみていましたが、我慢ならなかった。
適当にやって、終わるタイミングでさっさとトンボを片付けて、他に手伝いにもいかないでくっちゃべる。とりあえずやっとくかという姿勢。
負けたチームがとってはいけない態度。
ちょうどユキノブとケンタのふたりの「ズルさ」。
あれは、ふたりに通じたかどうかはわかりませんが、ズルさの見せどころを間違えるなという私なりの叱咤激励でした。
私は見てきました。
高校時代に、一年の春に30人以上野球部に入りました。
一中にエース、五中のエースなどすごい選手がわんさかいました。
一緒に練習していても身体能力は高く、センスの良さが私にもわかりました。
しかし、時間がたつにつれ、こういう上手いやつから上級生の激しい叱咤激励に耐え切れず、やめていきました。
グランド整備、用具かたづけなど当たり前にことに一生懸命になれない。
あの時代にあった、前時代的な先輩たちのきつめの叱咤激励の前に野球をやることがバカらしくなったのでしょうね。
本当に才能のある選手がやめていく。
もったいないなと思いながらも、私はそういう選手の中に、一定の「ズルさ」を見ていました。
ズルさはもろさと言ってもいいでしょう。
そのズルさを見透かされた。
それは、けっこう核心の部分なのかもしれません。
野球に対する姿勢。それは「生き方」にも通じるかもしれません。
大事なところでズルをしてるんじゃねぇ!
そういう部分で、ふるいにかけられる。自分から降りていく。
結局残ったのは、半分の部員でした。
ズルさに負けなかった者たち、もろさに打ち勝った者たち。
それは、いろんなめんどくさいこともひっくるめて野球が好きだということが少しだけ上回った者たちだと思います。
だからこそ、そこから始まる中学生のころとは比べようもないほど野球に打ち込むことができた。私はそう思っています。それでも甲子園は遠い。
私がいいたいのは、そこなんです。
大事なところでズルをするな、逃げるな、向き合え。そこで全力をだせ。
野球の神様はそこを見ている。
野球の神様ではなくても、自分がみている。
そこをごまかすな。
私自身もできているとは言えないし、やってきたとも言えません。
ただユキノブ、ケンタにはその部分を大事にしてほしいなという思いで厳しく接しました。
素晴らしい才能をもっている。
願わくば良い指導者に出会ってほしい。
しかし、最後はいかすもころすも君たち次第。
やっても無駄とだと思わない。
やるだけ無駄だと思わない。
もう少し頑張っていれば、もう少し本気になっていれば、もう少し努力すれば、未来を変えられる!
そのもう少しをプレーにも、プレー以外のところでも心掛けてほしいなと思います。
熱血バレーアニメ ハイキューの及川さんもこう言ってます。
才能は開花させるもの。
センスは磨くもの。
その底にあるのは、謙虚で素直という土壌。
そこに自分で気づけるかどうか?そこに真摯にとりくむこと。
そこが本当の野球の面白さ、楽しさ、仲間の大切さに気付く第一歩。
願わくは気づいてほしい。
そこに気づいたとき、ユキノブはサイヤ人のように本当の才能は開花すると私は信じています。
美里イーグルスの卒団式も終わりました。
しかし、ここで少し心残りのことが・・・
合併したのに、六年生全員が会してのけじめがない。
そこで保護者の許可をとって、指導者主導の合同卒団式を執り行わせていただきました。
コロナに見舞われたこの世代の6年生。
始動は2月と早かったものの、その後長い謹慎期間。
私が生きてきた中でも、こんな自粛自粛の連続は初めてでした。
夜が明けない夜はない。
やまない雨はないとはいいますが、世の中は油膜のようなベールにつつまれ、晴天であっても幾日も雨が降り続いているようでした。
それは、毎日の生活においてもそうであり、知らず知らずに私たちの心の中も雨を降らせているようでした。
晴れない日々。
気持ちが晴れない日々。
何事もこころから喜べない日々。
なんなでしょう。
誰もがそう思いつつも、自己防衛、家族防衛に努める。
そんな中でまともにスポ少なんてできるわけがない。
しかし、そうであっても私たちは、子供たちは、お母さんお父さんたちは、自分たちにできることをしようと継続してきました。
数多くの大会が中止に追い込まれ、数少ない大会を実行するために奔走する。
暗闇の中の一筋の光。
いろんな努力を惜しまずに、こどもたちの笑顔のために大人のみなさんも一所懸命にできることをする。
親は鏡といいますが、子供も同じように鏡なんです。お互いを映している。
子どもたちが笑顔になる。
大きく笑った瞳に大人たちの笑顔も映ります。
子どもたちが笑えば、自然と大人たちも笑顔になる。
そんな日常に笑顔の大切さ、それを気づかされました。
グランドでボールを追いかける。
ソフトボールができることの大切さ。
仲間といっしょにソフトができることの大切さ。
それをこの世代はいつもより深く刻んだことでしょう。
そんな中で2020初代高田イーグルスの戦いをみんなで振り返る日。
この10人ひとりひとりの足跡をたどっていきます。
毎回毎年思います。
いつまでも、彼らと一緒にグランドでチームとしてソフトボールをずっとやっていたかったと。
でもそれはかなわない。
自分たちに区切りをつけるうえで、彼らに対して、その彼らを支えてきたお母さんお父さんその家族に対して、気持ちを正直に伝えようと。
さびしい。
とてもさびしい。
そのさびしさにお別れして、お互いに新たなスタートを切るための儀式。
この時期はそういうもんだと私は思っています。
そうやっていままでも、送り出してきました。
でもやっぱり、さびしい。
「おい、ユリア!」
もう、名前を呼ぶこともできない。
「なぁ、ケンタ?」
もう、尋ねることもできない。
「いいぞ、ユウゴ!」
もう、褒めることもできない。
「任せたぞ、ソウゴ!」
もう、頼ることもできない。
練習にいってもその姿がない。
彼らがもういないと思うこと、思わされることがたまらなくさびしいんです。
そうはいっても時は戻らず。
せめて彼らを記憶に刻もうと思います。
次回から。
しかし、ここで少し心残りのことが・・・
合併したのに、六年生全員が会してのけじめがない。
そこで保護者の許可をとって、指導者主導の合同卒団式を執り行わせていただきました。
コロナに見舞われたこの世代の6年生。
始動は2月と早かったものの、その後長い謹慎期間。
私が生きてきた中でも、こんな自粛自粛の連続は初めてでした。
夜が明けない夜はない。
やまない雨はないとはいいますが、世の中は油膜のようなベールにつつまれ、晴天であっても幾日も雨が降り続いているようでした。
それは、毎日の生活においてもそうであり、知らず知らずに私たちの心の中も雨を降らせているようでした。
晴れない日々。
気持ちが晴れない日々。
何事もこころから喜べない日々。
なんなでしょう。
誰もがそう思いつつも、自己防衛、家族防衛に努める。
そんな中でまともにスポ少なんてできるわけがない。
しかし、そうであっても私たちは、子供たちは、お母さんお父さんたちは、自分たちにできることをしようと継続してきました。
数多くの大会が中止に追い込まれ、数少ない大会を実行するために奔走する。
暗闇の中の一筋の光。
いろんな努力を惜しまずに、こどもたちの笑顔のために大人のみなさんも一所懸命にできることをする。
親は鏡といいますが、子供も同じように鏡なんです。お互いを映している。
子どもたちが笑顔になる。
大きく笑った瞳に大人たちの笑顔も映ります。
子どもたちが笑えば、自然と大人たちも笑顔になる。
そんな日常に笑顔の大切さ、それを気づかされました。
グランドでボールを追いかける。
ソフトボールができることの大切さ。
仲間といっしょにソフトができることの大切さ。
それをこの世代はいつもより深く刻んだことでしょう。
そんな中で2020初代高田イーグルスの戦いをみんなで振り返る日。
この10人ひとりひとりの足跡をたどっていきます。
毎回毎年思います。
いつまでも、彼らと一緒にグランドでチームとしてソフトボールをずっとやっていたかったと。
でもそれはかなわない。
自分たちに区切りをつけるうえで、彼らに対して、その彼らを支えてきたお母さんお父さんその家族に対して、気持ちを正直に伝えようと。
さびしい。
とてもさびしい。
そのさびしさにお別れして、お互いに新たなスタートを切るための儀式。
この時期はそういうもんだと私は思っています。
そうやっていままでも、送り出してきました。
でもやっぱり、さびしい。
「おい、ユリア!」
もう、名前を呼ぶこともできない。
「なぁ、ケンタ?」
もう、尋ねることもできない。
「いいぞ、ユウゴ!」
もう、褒めることもできない。
「任せたぞ、ソウゴ!」
もう、頼ることもできない。
練習にいってもその姿がない。
彼らがもういないと思うこと、思わされることがたまらなくさびしいんです。
そうはいっても時は戻らず。
せめて彼らを記憶に刻もうと思います。
次回から。
今日はソウゴたち世代の卒団式でした。
コロナの影響もあり、美里イーグルス、高田スポ少、それぞれ分かれて執り行いました。
準備に奔走された役員のみなさんのご尽力に感謝いたします。
人が出会えば必ず別れもやってきます。
生きていくことはその繰り返し。
多くの出会いの中で、このスポ少での出会い。願わくば、その子にとって、そのご家族にとって有用な出会いであって欲しい。
人はひとりでは生きていけません。
人のつながりの中でこそ、人は人らしくいられると思います。
人と人を介するその真ん中にあるのが、「ソフトボール」。
それが彼らの小学校時代のスポ少だった。
その指導者が我々だった。それが出会いです。
数ある人生の中の出会いのひとつに過ぎない。
たったひとつの出会いが、何をもたらしたか?
数学の答えのようにはっきりしたものではありません。
たしかに、試合に勝ったり負けたり、大会で優勝したり、初戦で負けたりということもありました。
目に見える結果、ただそれだけではない。
彼らの通ってきた道を振り返ってみてください。
その通ってきた道、行程、成長してきたプロセスにこそ答えがあると思っています。
万人を理解させなくてもいいんです。
お父さんやお母さんしかわからなくっていい。
もっといえば、自分にしかわからなくていい。
いろんな経験。体験。
それこそがこれから君たちを支えてくれる「背骨=バックボーン」になる。
根拠なんてなくていいんです。
俺はあの時、あのピッチャーから打った!
抜ければホームランのあたりをファインプレーした。
俺はこうだった。
小さな自信でいい。
そういう自信こそが、次に踏み出す勇気を与えてくれます。
この先も失敗したり、負けたりする時もあるでしょう。
スポ少でも何回も失敗して、エラーをして三振をして負けてきました。
それでもまた立ち上がって、練習して、またあのグランドに立ってきました。
スポ少は失敗する練習をしているんです。
そこから立ち直る練習をしているんです。
これから先も、ものすごく理不尽な出来事にも何回もぶつかります。
自分ではどうすることもできないような大きな壁。敵。
逃げてもいいんです。
本当に危ないときは逃げてもいい。それも作戦です。
それでもグランドに立つ以上は自分たちのベストを尽くす努力をしてきた。
ひとりでは立ち向かえないような強敵を前にしても、横をみれば仲間がいて、後ろをみれば家族が支えてくれる。その心強さを知っている。
勇気は勝手に湧いてくるものではなく、自分たちで湧き起こすもの。
それをこの子たちは知っています。
私たちはそれをあのグランドで見てきました。
我々にできることは終わりました。
本当はもっともっとユニフォームを着てあのグランドに一緒に立ちたいところ。
しかしそうもいきません。
彼らならば大丈夫、そう思って送り出す以外にありません。
か細く、弱く、軟弱だった彼らが大きく羽ばたいていく姿を目に焼き付けようじゃありませんか。
今日大空に飛び立った4人の若い鷲を静かに見送ります。
さらば、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴ。
コロナの影響もあり、美里イーグルス、高田スポ少、それぞれ分かれて執り行いました。
準備に奔走された役員のみなさんのご尽力に感謝いたします。
人が出会えば必ず別れもやってきます。
生きていくことはその繰り返し。
多くの出会いの中で、このスポ少での出会い。願わくば、その子にとって、そのご家族にとって有用な出会いであって欲しい。
人はひとりでは生きていけません。
人のつながりの中でこそ、人は人らしくいられると思います。
人と人を介するその真ん中にあるのが、「ソフトボール」。
それが彼らの小学校時代のスポ少だった。
その指導者が我々だった。それが出会いです。
数ある人生の中の出会いのひとつに過ぎない。
たったひとつの出会いが、何をもたらしたか?
数学の答えのようにはっきりしたものではありません。
たしかに、試合に勝ったり負けたり、大会で優勝したり、初戦で負けたりということもありました。
目に見える結果、ただそれだけではない。
彼らの通ってきた道を振り返ってみてください。
その通ってきた道、行程、成長してきたプロセスにこそ答えがあると思っています。
万人を理解させなくてもいいんです。
お父さんやお母さんしかわからなくっていい。
もっといえば、自分にしかわからなくていい。
いろんな経験。体験。
それこそがこれから君たちを支えてくれる「背骨=バックボーン」になる。
根拠なんてなくていいんです。
俺はあの時、あのピッチャーから打った!
抜ければホームランのあたりをファインプレーした。
俺はこうだった。
小さな自信でいい。
そういう自信こそが、次に踏み出す勇気を与えてくれます。
この先も失敗したり、負けたりする時もあるでしょう。
スポ少でも何回も失敗して、エラーをして三振をして負けてきました。
それでもまた立ち上がって、練習して、またあのグランドに立ってきました。
スポ少は失敗する練習をしているんです。
そこから立ち直る練習をしているんです。
これから先も、ものすごく理不尽な出来事にも何回もぶつかります。
自分ではどうすることもできないような大きな壁。敵。
逃げてもいいんです。
本当に危ないときは逃げてもいい。それも作戦です。
それでもグランドに立つ以上は自分たちのベストを尽くす努力をしてきた。
ひとりでは立ち向かえないような強敵を前にしても、横をみれば仲間がいて、後ろをみれば家族が支えてくれる。その心強さを知っている。
勇気は勝手に湧いてくるものではなく、自分たちで湧き起こすもの。
それをこの子たちは知っています。
私たちはそれをあのグランドで見てきました。
我々にできることは終わりました。
本当はもっともっとユニフォームを着てあのグランドに一緒に立ちたいところ。
しかしそうもいきません。
彼らならば大丈夫、そう思って送り出す以外にありません。
か細く、弱く、軟弱だった彼らが大きく羽ばたいていく姿を目に焼き付けようじゃありませんか。
今日大空に飛び立った4人の若い鷲を静かに見送ります。
さらば、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴ。
2021が始まりました。あけましておめでとうございます。
スポーツ少年団にかかわるすべての方々、今年もよろしくお願いいたします。
さて、イーグルスにとって激動の2020は終わりました。
なにが激動かというと、高田さんとの合同チームを作り上げたことが大きな動きでした。
私の中でそれが正解かそうでないかという問いはありません。
全員の賛同を最初から得ることは難しいことはわかっていました。
そのうえで、この合併は失敗だったとならないよう、合併して正解だった、よかったと時間がかかっても、ひとりでも多くの選手が、そしてその保護者がそう思えるようにみんなで協力してそこに進むのみだという覚悟と決意をもっていたからです。
不正解だなんて思わせない。
初めから正解することしか考えていませんでした。
私もよく上司とぶつかります。
その中でよく言われること、
「お前は最初に自分に都合のいい結論を持ってくる。思い込みが激しい。その結論が間違っているというリスクは考えないのか?」と。
私はいいます。
「はたから見れば間違っているといわれることも、もしかしたら間違っていないかもしれません。最初からできない、間違っていると決めつけるよりも、どうやったら成功するか、そしてそこにたどり着く方法を考えたほうが面白くありませんか?」
その先輩はそこでため息をつきます。
めんどくせぇやつだと思われるほうが多い。
もっと細かいところに気を使って、いろいろ詰めてから実行に移せ。
それはわかっています。
ルールがあるから、段取りが決まっているから、それが今までのやり方だから、そうやって、新しいルートを探ろうとしない。
旧態依然。
今までルール、段取り、やり方を疑ってみたほうがいい。
まず動く。まず思い込む。
細かいところは後から直していけばいい。
それはだめだ、無理だという前に、俺は、俺たちはここまで到達するんだと決める。
そこにいくまでのルート、方法を考えて実行に移す。
間違っているのならば、効率が悪いならば、それを変える第一歩を踏み出しましょう。
こういう人種を真っ向から否定する人種もいることもわかっています。
アクセルとブレーキ。自動車には両方必要です。
がけっぷちではブレーキが必要です。いろんな考えがあっていい。
多様性こそ、生物の進化の歴史。
めんどくせぇと思われても、最終的にはブレーキさえも納得させてしまえばいい。
その方がチームとして機能する。私はそう思っています。
私としても、アクセルだけの車には乗りたくないですからね。
ブレーキも大事。
世の中は、ブレーキだけではなくいろんな部品、役割で成り立っています。
先輩とのぶつかりも必要なこと。ぶつかることも長い目で見れば、悪いことではないんです。
それを踏まえたうえで、私はアクセルという役割を果たしていこうと思っています。
そういや昔、小学校のころ国語の授業で、フグを調理する一族の話がありました。
猛毒のフグをたべるために、子々孫々、命をもってふぐのだべられる部位、調理法を探していく。
変わったことをやる人間は最初はあほだと思われます。
最初はマイノリティなんです。少数派。
それでも少しずつ、わかってくれる人が増えていく。思えば人の歴史なんてその繰り返し。
勇気と信念をもって最初の一歩を踏み出すものがいままでを作ってきたといっていい。
ふぐを食おうと思った一族の壮大な思い込み。
それがあったからこそ、今日のふぐのおいしさのありがたみがわかります。
その意味で、今年の高田さんとイーグルスの合併も勇気ある一歩だったと私は思います。
昨年の今の時期、こうなることを予測していた人は何人いたでしょうか?
私自身も、こうなればいいなぁというおぼろげなイメージしかありませんでした。
そしておそらく多くの保護者の賛同は得られないだろうとも思っていました。
だが、動かないわけにはいきませんでした。
状況が目まぐるしく変わる中で、変化を恐れて立ち止まることは私にはできませんでした。
今後の美里イーグルスの先が見えていたからです。
両チームの内部事情、今後5年10年先の入団者数の減少傾向、指導者の確保の難しさ、会津のチーム数の減少、県内の強豪チームの一本化への対抗策などいろんな事情を考慮して、合併するのが妥当だというのが私の結論でした。
もちろん、スポーツ少年団の運営としてひとつの小学校単独で運営していくという選択肢もありました。
どちらも正解でしょう。
ただこっちの道に進んだ以上、こっちの道に来てよかったとみんなが思うようにするべく、いろんな方法を講じていかなくてはならない。
その積み重ねをしていく外はないと思っています。
いまだ合併による弊害もあることは確か、しかし、総じてこの合併は成功だと私は思っています。いろんな意味で。
数年前から見越していたわけではありませんが、毎週水曜のナイター。
これをやってきたことが大きいと思っています。
そこで一緒になる土壌が育ってきたといっていい。
その効果を狙っていたわけではありませんが、いつかは一緒になるだろうなぁくらいにしか思っていませんでしたが、それがここにきて活きました。
お互いに一生懸命、子供たちのためにスポ少をやってきている。
そこが最後に分かり合えた最大の要因だと思っています。
さて、2021、今年はその合併をより確かなものにしていくべく、保護者の皆さんに話し合いをお願いしたいと思います。
指導者である私たちがいくらこうしたいと思っても、最後に決定権をもつのは、選手、そして保護者のみなさんだと私は思っています。
長くスポ少に携わってきて、保護者とぶつかったことも何回かあります。
しかし、本流はお互いに外してきませんでした。
細かいところに相違はあれど、最後にめざすところは同じ。
そこはわかってきていただいています。
思い込み、大いに結構。
思い込みもできないようじゃ、面白くない。
選手、保護者、指導者、みんなを巻き込んでの壮大な思い込み。
高田イーグルスとして、その正当性を証明していこうじゃありませんか!
2021、始動です!
スポーツ少年団にかかわるすべての方々、今年もよろしくお願いいたします。
さて、イーグルスにとって激動の2020は終わりました。
なにが激動かというと、高田さんとの合同チームを作り上げたことが大きな動きでした。
私の中でそれが正解かそうでないかという問いはありません。
全員の賛同を最初から得ることは難しいことはわかっていました。
そのうえで、この合併は失敗だったとならないよう、合併して正解だった、よかったと時間がかかっても、ひとりでも多くの選手が、そしてその保護者がそう思えるようにみんなで協力してそこに進むのみだという覚悟と決意をもっていたからです。
不正解だなんて思わせない。
初めから正解することしか考えていませんでした。
私もよく上司とぶつかります。
その中でよく言われること、
「お前は最初に自分に都合のいい結論を持ってくる。思い込みが激しい。その結論が間違っているというリスクは考えないのか?」と。
私はいいます。
「はたから見れば間違っているといわれることも、もしかしたら間違っていないかもしれません。最初からできない、間違っていると決めつけるよりも、どうやったら成功するか、そしてそこにたどり着く方法を考えたほうが面白くありませんか?」
その先輩はそこでため息をつきます。
めんどくせぇやつだと思われるほうが多い。
もっと細かいところに気を使って、いろいろ詰めてから実行に移せ。
それはわかっています。
ルールがあるから、段取りが決まっているから、それが今までのやり方だから、そうやって、新しいルートを探ろうとしない。
旧態依然。
今までルール、段取り、やり方を疑ってみたほうがいい。
まず動く。まず思い込む。
細かいところは後から直していけばいい。
それはだめだ、無理だという前に、俺は、俺たちはここまで到達するんだと決める。
そこにいくまでのルート、方法を考えて実行に移す。
間違っているのならば、効率が悪いならば、それを変える第一歩を踏み出しましょう。
こういう人種を真っ向から否定する人種もいることもわかっています。
アクセルとブレーキ。自動車には両方必要です。
がけっぷちではブレーキが必要です。いろんな考えがあっていい。
多様性こそ、生物の進化の歴史。
めんどくせぇと思われても、最終的にはブレーキさえも納得させてしまえばいい。
その方がチームとして機能する。私はそう思っています。
私としても、アクセルだけの車には乗りたくないですからね。
ブレーキも大事。
世の中は、ブレーキだけではなくいろんな部品、役割で成り立っています。
先輩とのぶつかりも必要なこと。ぶつかることも長い目で見れば、悪いことではないんです。
それを踏まえたうえで、私はアクセルという役割を果たしていこうと思っています。
そういや昔、小学校のころ国語の授業で、フグを調理する一族の話がありました。
猛毒のフグをたべるために、子々孫々、命をもってふぐのだべられる部位、調理法を探していく。
変わったことをやる人間は最初はあほだと思われます。
最初はマイノリティなんです。少数派。
それでも少しずつ、わかってくれる人が増えていく。思えば人の歴史なんてその繰り返し。
勇気と信念をもって最初の一歩を踏み出すものがいままでを作ってきたといっていい。
ふぐを食おうと思った一族の壮大な思い込み。
それがあったからこそ、今日のふぐのおいしさのありがたみがわかります。
その意味で、今年の高田さんとイーグルスの合併も勇気ある一歩だったと私は思います。
昨年の今の時期、こうなることを予測していた人は何人いたでしょうか?
私自身も、こうなればいいなぁというおぼろげなイメージしかありませんでした。
そしておそらく多くの保護者の賛同は得られないだろうとも思っていました。
だが、動かないわけにはいきませんでした。
状況が目まぐるしく変わる中で、変化を恐れて立ち止まることは私にはできませんでした。
今後の美里イーグルスの先が見えていたからです。
両チームの内部事情、今後5年10年先の入団者数の減少傾向、指導者の確保の難しさ、会津のチーム数の減少、県内の強豪チームの一本化への対抗策などいろんな事情を考慮して、合併するのが妥当だというのが私の結論でした。
もちろん、スポーツ少年団の運営としてひとつの小学校単独で運営していくという選択肢もありました。
どちらも正解でしょう。
ただこっちの道に進んだ以上、こっちの道に来てよかったとみんなが思うようにするべく、いろんな方法を講じていかなくてはならない。
その積み重ねをしていく外はないと思っています。
いまだ合併による弊害もあることは確か、しかし、総じてこの合併は成功だと私は思っています。いろんな意味で。
数年前から見越していたわけではありませんが、毎週水曜のナイター。
これをやってきたことが大きいと思っています。
そこで一緒になる土壌が育ってきたといっていい。
その効果を狙っていたわけではありませんが、いつかは一緒になるだろうなぁくらいにしか思っていませんでしたが、それがここにきて活きました。
お互いに一生懸命、子供たちのためにスポ少をやってきている。
そこが最後に分かり合えた最大の要因だと思っています。
さて、2021、今年はその合併をより確かなものにしていくべく、保護者の皆さんに話し合いをお願いしたいと思います。
指導者である私たちがいくらこうしたいと思っても、最後に決定権をもつのは、選手、そして保護者のみなさんだと私は思っています。
長くスポ少に携わってきて、保護者とぶつかったことも何回かあります。
しかし、本流はお互いに外してきませんでした。
細かいところに相違はあれど、最後にめざすところは同じ。
そこはわかってきていただいています。
思い込み、大いに結構。
思い込みもできないようじゃ、面白くない。
選手、保護者、指導者、みんなを巻き込んでの壮大な思い込み。
高田イーグルスとして、その正当性を証明していこうじゃありませんか!
2021、始動です!
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