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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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白獅子杯の文も書いていますが、なかなかまとまりません。

今日、聖光学院が県立の雄、光南高校に敗れるという波乱。連続出場記録にストップがかかりました。
そして、東日本国際大学昌平高校に行った美里イーグルスOBのダイトも日大東北に破れました。
聞くところによると、最後のバッターだった模様。
残念としかいいようがありません。
OBの中では1番甲子園に肉薄したダイト。
甲子園にいったダイトを応援したかったですが、その夢はかないません。
負けた。
その事実はどうやっても覆りません。
問題はそこからどうするか?
ここに野球をやってきたことを活かさないといけません。

ダイト、タカヤ、カオル、今年の夏も終わりました。
あんなにも野球にうちこめた。
そして、そうさせてくれた家族がいた。
彼らを支えたご両親、ご家族のご苦労には頭が下がります。お疲れさまでした。

少しは野球から離れて休んでほしいと思います。

スポーツって、負けること上手くいかないことの練習だと思います。
そして、そこからどうやって気持ちを整理して、前を向いて立ち直るかが、本当の練習。
隣をみれば、苦楽をともにしたチームメイトたち。
そこに野球は大いに役に立つはずです。

振り返って、「いい夏だった!」
そう思えるだけで、十分だと思います。
この先を何年も自分を支えてくれるでしょう。

夏はまだまだ続きます。
お疲れさまでした!
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これぞ野球!と言う試合を見てきました。
高田中野球部、最後の大会、民報杯会津大会1回戦。これは、紅獅子といわれ、我々ソフトボールの白獅子にあたる大会です。
強敵、只見さんを相手に回しての試合。
只見中は、選抜で同じチームであり盟友です。
そして、強い。
がたいの良さ、パワーでは高田中の上をいきます。
しかし、高田中も伊達じゃない!
パワーを上回る総合力、集中力、そして信念と運をもって相手に当たります。

初回から只見中ペースで試合が進んでいきます。
高田中は、三人ずつで打ち取られ嫌なペース。
それでも、大きく崩れず持ちこたえています。
相手に与える得点を最小限の出血にとどめる。
ここをちゃんと我慢できた事が、次に繫がります。

三回までは、つけいる隙もないくらいに只見中のエースにおさえこまれますが、少しずつ相手にほころびが出て来ます。
野球の面白いところ。
強くても当たり前に得点するチャンスを活かせないと相手に流れがいってしまう。
逆に押されていても当たり前にきっちり守ることができていれば、必ずチャンスがやってきます。
勝利の女神のいたずらや気まぐれといういい訳にしないことです。
ここに毎日毎日の練習が出てくるんです。
ピンチであっても、当たり前に守れること。

その数少ないチャンス。
それが高田中にもやってきます。
好調だった只見中エース、ラストバッターのハルヤを二死からファーボールで出してしまいます。
今思えば、ここが反撃の分岐点でした。
そこにきて、運もあった。
サインミスなのに、相手もミスして傷口を広げてくれる。
そして、打つべき時にきっちり打つルイ!
ここで追いつきます。
序盤で追いついておくこと、二死からミスに乗じて得点できること。
それができるのが、強いチームなんだと思います。
そこにことごとくハマっていく高田中。
ハマっていくというか、狙って実行して、まんまとやり抜く。
そうすることで、圧倒していた只見中を逆に圧倒しはじめます。
風が吹いてくる。
波がでてくる。
ここが野球の「流れ」といわれるところなんです。
なんとなく、押している。
その流れを高田中はきっちりつかんだと言っていい。
多少のミスもありましたが、要所要所をきっちり締めて、大事なところできっちり、打つ。
この試合のMVPは、タイセイだと私は思います。
試合を決めた一打。
アウトレットを引っ張らずに、ライト線上に落とす。虎の子のランナーをおいての長打。
小学校時はひっぱりに定評がありましたが、こういう打球も打てるようになったんだなぁとタイセイの成長を感じます。
普通はファールになって切れる打球の飛び方ですが、あれはインパクトの瞬間に右手首をライト方向にきっちり返しています。
強引にレフトに返さず、相手のチカラを利用する打ち方。
そして体も開かない。
たしたもんです。
だからこそ、ライト線切れそうで切れなかった。
スラッガーの要素が開花しつつあります。
ツーストライク追い込まれながら、只見さんの速球に上手く対応した結果だと思います。
 
そこにきて、エースのルイから受け継いだ2回以降のロングリリーフ。
カウントがスリーボールと悪くなっても簡単には塁に出さない集中力。
スリーボールから打ちとる。
相手に流れを与えるスキを作らない。
そういう当たり前の事積み重ねていく。
最近は、ピッチャーとして風格さえ感じます。
投打において重きをなした。
タイセイはまだ2年生。
ここに同じくらいの力量をもつレントがいて、他にも野球向きな2年生が控えています。
3年が終わるとすぐにはじまる新人大会も楽しみです。

そして、バックの守備もミスが少ない。
ここもタイセイがリズムよく投げることができて、崩れない要因だと思います。
特にファースト、ソウジ大活躍でした。
スライディング逆シングルのかっこいいこと!
右方向に打たせる戦法は、キャッチャーのユウキの配球でしょうか!アウトコースを右に打たせる配球。変化球を効果的に使っていました。
このあたりがスポ少からのあうんの呼吸。
言葉を交わすことなく、空気でお互いに投げる球、コースを理解する。
守備機会も一番多かったはずです。
そこに答えるソウジ。
今回は、頼もしささえ感じました。

抑えるべき人が抑えて、守るべき人が守って、打つべき人が打つ。
これが当たり前にできるチームが弱いわけがない。
タケゾウのマズイ守備などいくつか不安要素もありますが、そこをみんなで補っての勝利!
中体連の両沼予選で坂下さんに負けて以来、一念発起。一戦一戦強くなっています。

さぁ次は、かつての盟友コウノスケがいる会津学鳳中学。
河東さんを予選でくだして、この大会では西会津さんを倒して波に乗っています。
シーズン終盤でのこの快進撃。
どのチームでも強敵であることにはかわりはありません。

次戦が雨で流れて、7/22。オリンピックもはじまります。
保護者の応援も絶好調!
勝ち上がって、是非とも我々を県大会の地に誘って欲しいと思います。

選手も保護者もいいメンバー。
少しでも長くこのメンバーで戦えることを祈る毎日です。



昨日のNHKクローズアップ現代。
大谷翔平君の特集でした。
その中でも、彼の人間性をよく表している言葉。

「ゴミを拾う」

そういや、彼の試合を見ていると時折グランドから何かを拾っています。そして、それをポケットへ入れていた。
ファーボールで一塁に向かう際も、何かを拾うしぐさ。
あれってゴミを拾うしぐさだったんですね~。
納得!
そう考えると、がてんがいきます。
いろんな場面で、大谷選手はこのゴミを拾うしぐさをしています。

彼が花巻東に入った1年の時に、81の曼荼羅(マンダラ)チャートに書いた言葉の中にそれはありました。そのチャートとは、なんこか大きな目的をたてて、そのまわりにその目標を達成するためにはどうするかという小さい目標を複数書いていくものです。
それが81個ちりばめられて、まるで仏教の曼荼羅(マンダラ)のようであることから、そう言われています。 
他にも大選手になりたいという理想を追い求めた目標がたくさんありましたが、私は彼が書いた「ゴミを拾う」という言葉に引きつけられました。
当時高校生の時分に、165kmを投げる二刀流の選手になるということを掲げていました。
そんな大それた野球選手になるために選んだ言葉の中に、「ゴミを拾う」という目標がある。
そこに大谷選手らしさが表れています。
やもすれば、プレーや技術、そのための練習方法などが重視されがちになるところを、人として当たり前な内面的な部分をきちんと見つめている。
ここって、日本の野球教育だからこそ書ける言葉だと思います。
そしてその日本の野球教育であっても、優れたプレーヤーになるための目標のひとつとして、中々「ゴミを拾う」という言葉を書き込む人はいないと思います。
だからこそ、そこが大谷選手であるゆえんだと私は思います。

誰に言われるでもなく、自分の意志として、目の前にゴミがあるから拾う。
これが彼の当たり前、スタンダード。
こういう人間性はどうやったら育つのでしょうね?
私は、こういう人間性だからこそ、今まさに大成いている現在進行形の中に、彼はいると思うんです。
ここが、スポーツの、野球の目指す、人間形成の目的のひとつだと思うんです。

一方で、指導者の私がいる前で、平気でゴミを捨てる子供もかつていました。
こいつは、こいつで信じられない。
しかし、そいつはそれを戒められなかった環境や
それをだめだということを教えられなかった状況にあった。
だから彼には罪はない、そう思うようにしています。
そして、ここから教えていけばいいんです。

簡単にゴミを拾うといいますが、世の中の大部分の人がそうではないと思います。
道の端っこにゴミがあるとわかった時点で、目をそらす。
かくいう、私もそういうタイプです。
誰かが片付けるだろう!と高をくくっている。
たがら、人任せにする癖があるから大事なところでミスをする。

大谷選手は、こういう小さなところまで、鍛錬ではなく当たり前の事の領域としています。
もはや、呼吸と同じレベル。
人間が真摯。
そして、そういう努力を小さい頃から積み重ねてきた彼という人間が、世界最強のメジャーリーガーを相手に回して、コテンパンにやっつける!
これは、気持ちいい!

これが世界がショーヘイ大谷に注目する理由だと思います。

こういう人をヒーローといっていい。
子ども達がきちんとあこがれでいいヒーロー。
英雄と書いてヒーロー。
かつての野茂英雄選手もそういう選手でした。

彼の背後には、たくさんの人の思いと、支えがあると思います。
その思いがちゃんと人間性と彼のプレー、そしてプレー以外にも表れている。
そして、彼自身もそれをまごうことなく信じ、誇りに思っている。
小さなゴミを拾う。
あったことはありませんが、彼はそういう人間だと思います。

我々は彼のような大それた人物を育てようなどとは思っていません。
しかし、そこに少しでも近づけるような、その思いが分かる人になって欲しいという思いをこめて日々の練習を積み重ねています。
大谷翔平選手、彼ほどではなくても大なり小なり、スポ少を卒団した子ども達が、日本中に世界中に同じその思いをくんだ大人になってくれることを我々は願っています。
誰彼に言われるまでもなく、グランドに落ちているゴミを拾う、ボールを拾う、
小さいことを大事にできること。(かくいう私もまだまだできていませんが……)
それが生きていく中で、当たり前のように実践できる。
かっこいいじゃないですか!

その意味で、我々の子ども達の全てが大谷翔平!
まさに、大空に翔る。
まだまだ彼らから目が離せません。
悩める少年がいました。
そして、そのご両親も悩む。
「どうしたらいいですかね?」
その問いこそ、成長の種だと私は思います。
なぜ、どうして、どうすればいいの?
人はできないからこそ、いろんな工夫や努力をしてきました。
そして、何年かかっても、たとえできなくてもチャレンジし続ける。
この悩みこそ、人を成長させるブースターなんじゃないでしょうか?
それでいて、親と子が一緒になって、同じ問題、課題に取り組む事って、どれだけあるでしょう。
そういう意味でも、スポ少というのは「親子の運命共同体」の集まりといっていいと思います。

練習試合3試合目の新人同士の試合を外野席から見ていました。
保護者席に交じって、応援していました。
そこから聞こえてくるいろんな声。
みなさん、自分の子供だけでなく、他の子もよく見ているなぁと思いました。
自分の子供が試合に出て活躍している保護者。
エラーや三振をしている選手の保護者。
そして、実力がたりなくて試合には出ていない選手の保護者。
それは対戦する両チームに言えます。
選手たちの思い、保護者の思いがたくさん交差し、交錯している。
人間交差点なんです。

家に帰ってから、
「今日のヒットは良かったぞ!」
「もう少しで、捕れたなあ!次頑張ろうな!」
「次こそ試合にでれるように、ここを直していこう!」
いろんな反省と前向きな意見が交換されるはずです。
これもスポ少のいいところ。
こういう会話を交わせる親子は幸せだと私は思います。

願わくば、その努力を成功に繋げて欲しい。
私たちはそういう笑顔を少しでも多く見たい。

アユキの自他共に納得のいくヒットが見たい。
いろんな努力をしたうえで、その時を辛抱強く待つことにしましょう。
息子たちの野球を見ていて思いました。
やはり、野球はいいと。
ひいきめなんでしょうが、こどもたちも先生も保護者もみんな楽しんでやってます。
みんなをひとつに繋げている、真ん中にあるのが野球なんです。
これって、相手の田島さんも、荒海舘岩さんにも言えることだと思うんです。
野球というスポーツが、いろんな人の人生に彩りを与えている、元気をもらっているとつくづく思います。
こういう世界が重いと感じる人もいるでしょう。
確かにいろんな負担があって正直めんどくさいと思うときもあります。
しかし、いろんなものの関係が希薄化している今だからこそ、こういう野球を通しての「濃い繫がり」を子ども達には経験して欲しいと思います。
みんながいるから野球ができる、
相手がいるから野球ができる。
この「つながり」を大事にして欲しいし、その「つながり」がわかる人間になって欲しいと私は思います。

別に何かや誰かと比べる必要なんてないんです。
ただ、わかるだけでいい。気づけるだけでいい。
その根本の近くにあるもののひとつに「野球」があってくれたらいい。
その人を形成する芯の中に、息子たちのバックボーンの中に野球が入っていて欲しい。
そう思っていましたが、確かに息子の背骨には野球という文字が刻まれているようです。

次男坊、体が大きいわけでもなく、足も肩も強いわけではない。
かといって、すごい打つわけでもなく、バンバン三振をとる豪腕でもない。
全体的に野球のセンスには恵まれているとは思えません。
一般的な選手のひとりです。
そんな彼も長男と同じく中学では野球を選んだ。野球を選んでくれた。
選んだというよりは、私が選ばせた感がほとんどだと思います。
スポ少をやっていた同級生のほとんどが野球部に入ってくれたのもよかった。
私との共通言語である、野球。
野球の技術的なこと、メンタル、フィジカル、私が教えられることが多くあります。
「あそこでホップフライはないんじゃないか?軸が5cm前にずれているぞ。」
「あの場面でのヒットエンドランは良かった。ゴロを打とうとしようと意識が見えたスウィングだったぞ。」
技術的なことばかりではありません。
「あのピンチの場面でも、お前の声はよく出てたぞ。」
「ランナーが二塁にいるとき、ちゃんとサードにタッチアップの可能性を声を大にして伝えている、あれはいいぞ。」
親の主観がだいぶ入りますが、彼のいいところは、こういうところなんじゃないかなと思います。プレー以外でもチームに献身する姿勢。
おくびもなく大きい声で次のプレーを示唆する。
これって全体を見て、次を予測しながら動いていることになります。
これは野球以外の場面でも役に立つはずです。
本当はプレーでももっと貢献してほしいところですが、こういうチーム全体への気遣い。
こういうところの面白さがわかる野球人に育っていてくれているなぁと勝手に思っています。
たいしてうまくなくても野球の面白さがわかっている。
私もたいしてうまくなかったので、そこがよくわかります。
野球のプレー以外の面白さ。
技術うんぬんではなく、人としてチームのプレーヤーとしての彼の声、仲間への配慮をたたえる。
私としては、ここが大事です。
野球が、彼を人として成長しているなと思わせてくれる、ありがたい場面です。
野球が親子をつなぐパイプになってくれている。
これによって、私の存在もなんとか維持できているといっていいでしょう。

そんな次男坊の中学野球人生も佳境を迎えます。
次の民報杯が最後となります。
スポ少、中学野球とずっと彼らを見てきました。
長男の時もそう思いましたが、今のチームもいいチームです。
それぞれの得意分野がはっきりしている。
役割がきっちり分担されている感じ。
個性が活きています。
ごった煮、おでんのような感じ。だから面白い。
私も中学に戻って一緒のチームとしてやりたいくらいです。
みんなと一緒に野球をやるのが楽しくて仕方がない。彼らのひとつひとつのプレーがそう言っています。

中学最後の大会。
その前の最大の目標だった中体連を、緒戦で敗退。このショックは親子ともども大きかった。
そこからはい上がる機会、それがこの田島遠征でした。
緒戦で敗退した中体連の会津大会優勝チームと練習試合。
失地回復の場面をきっちり活かして、立ち直るきっかけを得ました。
今週は期末テストウイークで練習もできなくなります。
彼らの決戦は、今月末。
息子の部活動の応援に奔走する。
仕事を休んだり、なんとか都合をつけたり、たしかに苦労はあります。
がしかし、親として、こういう時間はものすごく貴重で有意義な時間なんでしょうね。
彼らのがんばりに、私たち自身も勇気をもらう。
彼らの意地を見せてもらいましょう!




次男坊の野球を見てきました。
大体がイーグルスと高田スポ少のOBなんで、かってしったるメンバーです。それは保護者も同じ。
いつもの顔がそこにはある安心感。
部活も大切な地域のコミュニティのひとつだと感じます。
このコミュニティの中で確かに子ども達は育っていると今回もつくづく思いました。
野球人口激減の中、どんどんチーム数がへっていく中、なんとかふんばって野球に情熱を燃やしている彼らをみる。
相手チームにも保護者にも審判にも敬意を表します。
こんなに面白いスポーツなのに、野球を選択しない子、保護者が増えている。
面白いだけではだめな、理由があるんですね。
それも考えつつも、まずは息子どもの全力プレーを応援します。

長らく野球というスポーツに関わってきて、毎回思わされるのは、野球は奥が深いということです。
いいピッチャー、いいバッターをそろえるのはもちろん勝利の近道ですが、そうではない強さもある。
普通の中学生が、いろいろ考えて監督の思惑やチームへの貢献、いろんな要素がとんでもなくチームを後押しする場面があります。
今回もそれはありました。
その時のベンチ、保護者を巻き込んだ一体感。
日本において、野球が衰退しつつあるといってもまだまだそうでもない。
プロ野球を頂点に、高校野球など野球コンテンツがそれなりの賑わいをみせる。
会場全体を巻き込む「野球のチカラ」。
野球が存在感を見せるのはこのあたりにあるんじゃないでしょうか?
そのダイナミズムが多くの人を巻き込む。
ひいきのプロ野球選手もそうですが、それが我が息子たちならば、なおさらです。

中学3年になった息子たちにもだんだん引退の季節は迫ってきます。このメンバーでの終わりも近い。
1番の目標だった、中体連はまさかの緒戦負け。
昨年の新人戦では会津大会にいってそれなりの成績を残してきただけに、両沼予選、しかも緒戦で負けることは選手も指導者も保護者も想定していませんでした。
勝負は、やってみないとわからないということを再確認しました。
どんなにチカラがあっても、出し切れなければ(相手から見れば、出させなければ)、負けるときは負ける。
負ければ何の言い訳もできません。
そうやって負けていった強者は腐るほどいます。
チカラをださせなかった相手が強かったということです。
それをこの最後の中体連大会、大舞台で喰らわさせるとは思いませんでした。

そうはいっても試合をやるのは彼ら。彼らが立ち直って、本当に最後の大会に向けて立ち直さなければいけない。
そのための田島遠征でした。
六月末にある最後の大会の前に失地回復の機会、しかも中体連会津大会優勝チームとの対戦の機会を作っていただいた先生、関係者に感謝します。
とは言いながらも、優勝チームは強かった。
初回先頭バッターにいきなりホームラン。
打撃のシャープさをまじまじと見せつけられます。
あー、こりゃ強ぇな。
そこにきてミス、ファーボールがからみ出血が続きます。
瀕死の状態、あれよあれよと中盤までに0:5の展開。失地回復どころか、さらに自信喪失になりかねない状況。
あ~ぁ⤵️
見ている保護者もため息しかでません。
すぐ後ろに崖っぷち。転落の危機。
しかし、そうは終わらなかった。
野球の神様が、一寸の光を差し込んでくれました。
神様と言うよりは彼らの執念、このまま終わってたまるか!というガッツが好機を呼び込んだんだと思います。親としてはそう思いたい。

裏攻めの終盤に一挙に六点をあげて逆転します。
5点差なんで犠牲バント等のアウトを献上する戦術はとれません。となると基本打つしかない。
打撃のみで5点とることの困難さ。
その低い可能性のバトンを彼らは薄氷の上をゆくがごとく繋いできました。
打つべき者が打ち、送るべき者が送り、見るべき者がきちんと見る。
各自の良さを遺憾なく発揮した。
確率的にはかなり低いところが連鎖する。
これって運もありますが運だけではないんですよね。
いままで練習してきた、右方向の打球、エンドランなど細かいサインプレーがうまく機能しました。
練習の場面場面で見てきた光景が経験値として血肉になっている。
ソウジ、ルイの右方向の打球。
あれは追い込まれたことを想定して、何回も何回もやってきた練習です。残像のように脳裏にこびりついている。
本番で追い込まれても「ぁあこの場面か?」と冷静な洞察力が働いたことでしょう。
「この場面ならば、外のカーブ。よし、それを狙おう!」
そう思ったかは、さておき、
お手本のように引きつけて、体を開かないで右中間を破った。
これはだいぶ難しい打撃技術ですが、この打撃ができるならば、この先も好打者となれる道が開けます。
それはソウジ、ルイだけでなくチーム全員に言えることです。
刃を研ぎ澄ませてきて、ここぞという場面でつかいこなす。これですよ。

結果としてもぎ取った、六得点。
選手もベンチも一体。

ここで、やるしかねぇ。
やるなら今しかねぇ!
彼らのスイッチが入った音を、私たちは確かに聞きました。
崖っぷちからの生還を果たしました。

試合後、なんでこのチームが予選を突破できないんだ?という疑問の嵐。
どちらもこのチームの本質なんでしょう。
歯車の噛み合わせ次第。
野球の難しくも面白いところ。
彼らと我々はふたたび自信を取り戻しました。
大きな収穫を得ました。
牽制や守備位置のとりかたなど、まだまだ細かい修正点はあります。 
まだまだ伸びるということです。
遠く田島まで来た甲斐がありました。
最後の試合前に修正できてよかった。
保護者はそればかりを話していました。
さぁ、来週だ!といいたいところですが、来週は期末テストウィーク、練習試合はできません。
この調子がいいというところで、大会にのぞみたいところでしたが、そうもいかないようです。
セミのように短い高田中野球部3年生、ラストの中学野球人生をどこまでのばせるか?
このメンバーでできる試合もあとわずか、彼らの勇姿を焼き付けておきましょう!





さて、明日から練習会場などの使用休止期間が明けます。
ということは、練習再開。
まずは何から手をつけるか?

落ちている体力の底上げ、
基礎練習から基本的な連携の確認、
バッテリー、特にピッチャーの仕上がり度の確認、
秋から始まるであろう新人チームの育成、
などがあげられます。

打撃、守備、走塁など、感覚的なもの、試合勘的なものをいかにしてはやく戻すか?
精神的な部分が大きい。

ずっと雌伏していて、総体でも逆転負け。
気分的にもまったく乗っていない今の状態。
世界を変えるには、試合での成功体験が一番てっとりばやいけど、コロナで試合も大会もない。

そして、もう一つの目標、白獅子。
これもなんとか開催していただけるようです。
ありがたい。

今のイーグルス、状態はよくない、と思います。
総体で関柴さんに逆転負けをして、みんながもう一度上を向いてがんばる機会がコロナ自粛でなくなってしまいました。
もやもやとした感情をもったままくすぶっている。
お互いに気持ちを整理する時間がもてなかった。
あまりいい状態とは言えません。
一回リセットして、自分たちの今を見つめなおす、そこから何が必要かを導き出す。
みんな悪いところもあるし、いいところもある。
それをチームとしてどう活かしていくか?
これってソフトボールだけでなく、ほかのスポーツにもいえます。
難題に面したこの状況。
スポーツどころか、スポーツ以外の場面、職場、学校、家庭、いろんな場面状況で子どもも大人関係なく出会う。
生きていくことは、これの繰り返しだと思うんです。
ただ、ひとりでは困難なことでも、チームであれば勇気百倍、立ち向かえます。
ひとりひとりの切れかかった糸。
それを一本一本紡いで、つないでいきましょう。
より太く、より大きく、より強く。
結果に結びつけばいいですが、相手も自分たちの同じように一生懸命です。
なので、いつもいい結果ばかりではありません。
しかし、それでもまた、自分たちを見つめなおして、上を向いていこうとすること。
こういう過程が大事です。

そういう時は決まって、ドリカムの「何度でも」が流れてきます。

何度でも、何度でも、何度でも、立ち上がれ!
イーグルス!




覆水盆に返らず。
お椀からこぼれた水は二度とお椀には戻せない。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
起きたことを後悔しても仕方がないという意味で使われる事が多いです。
どちらかといえば、やっちまったぁと思うとき、マイナスの時に使うことが多いと思います。
しかし本当にそうでしょうか? 
失敗してしまったこと、それ自体はもう覆ることはありせん。
悔やむのも大いに結構だと思うんです。
それでも、いつかは区切り点けて次のステップに行くんだという、覚悟をはらんでいるように最近は聞こえます。
覆水盆に返らず。
次はやらねぇから!
右肩上がりの感じを勝手に付け加えています。

中学3年生の私たち七人の旅は終わりました。
新潟の日本海まで自転車で行くというアホにしかできない旅。
この旅を通してたくさんのことを学びました。
腐りかけて糸をひいているようなおにぎりは食べてはいけないこと。
遠出するときのパーティーの列、なんかあったときのために自転車屋は1番最後にすること。
カレーヌードルのゲロは落ちにくいからなるべくやらないこと。
他にもありますが、前向きな気づきとして陸続きであればいけないところはない、要はやる気と準備の問題だと実感しました。
まだまだ俺たちにはいけるところがある。
やってやれないことはないという確かな自信をつけました。
それは私だけではありません。
この後コウジは大晦日に自転車でいわきの海をマサカズという友達と一緒に目指しました。
まぁ、彼らの挑戦は途中あまりの寒さに開成山球場で野宿をして結局は帰ってきましたが……

私はといえば、大学の時、帰省するのにただでは面白くないと思い、東京から会津、チャリの旅をやりました。これは三日かかりました。巣鴨、板橋、川口、大宮、宇都宮、下今市、五十里湖、山王峠、田島、下郷、大内塾、高田。これもナビなんてないんで、地図をコピーしてテープではりました。泊まりは蚊に刺されながらの野宿。
夏でもアスファルトの上で寝ると寒いと言うことがわかりました。せめてなんか敷かないといかん。
チャリでできたんだから、歩きでもいけるだろうと徒歩にも挑戦しましたが、途中で豆ができて諦めました。そこからまたチャリンコに変更しました。新幹線代を節約したはずが、自転車の輸送代が同じくらいかかって、たいしたうまみもないこともわかりました。
それでも、自分の体を駆使して東京から会津をめざすという試みは、さらに私を進化させたと思います。
そしてその挑戦はどんどん大きくなる。
タイに1カ月。
最後はインドに2か月。
タイではメコン川の支流で魚釣り。
インドでも南北縦断をし、歴史の教科書にでているアジャンター石窟寺院、エローラ石窟寺院を実際に見てきました。
世界史の教科書にあった、壁画を自分の目で見る。あぁこれがかの有名な壁画なのか~。
将来、先生になったときこれは実際に見たと自慢できるなあと勝手に思ったものです。
ガンジス川でも泳ぎました。
バイバイガンジス、大いなる川よ~♪
長渕剛のガンジスという曲を口ずさみます。
あの川真っ黒なんですよね。ものすごくきったない。泳いだ後、三日間熱がでて寝込みました。
もうろうとする中、現地の医者のかかり方もしらないので自力で直すしかありません。とにかく水分をとって寝る。
その時、バファリンがこんなにも効くんだと実感しました。日本の薬はすごい!
ハンピという砂漠地帯ではまたしてもチャリンコを借りて、遺跡群を旅する。
インドの最南端、カニャークマリというところでは、インド洋、アラビア海、ベンガル湾の3つの海が交わる不思議な色の海をぼぉーと見てました。毎日毎日3食カレーで過ごした日々でした。

そして今でもどこかに行きたいと熱望している自分がいます。
人生の半分は来ている。
あとどのくらい元気でいれるんだと考えたとき、このままでいいのかと自問する。
人の寿命が見えれば、人はもっと真剣に生きるんじゃないでしょうかね。

80か90で死ぬとして、元気なのは70くらいまでか?
バイクで世界一周をするだけの体力はせいぜい60くらいまで、となると余り時間がない。
やれるかやれないかは別として、いろんな可能性を考えています。
もちろん、スポ少も私のライフワークなので其方もやりつつですが。 
たまには、自分の時間があってもいいじゃないですか?
というと、んじゃ家族の時間はどうするの?と怒られてしまいますね。
まぁ、夢は夢として、考えるだけなら自由。
いろんな可能性を考えています。
こういう考えに至るのも、土台にあの中学3年生の新潟の旅があったからだと思ってます。
いけないところなどない。
やれないことなどない。
あの旅が間違いなく血肉になっている。
新しい場所、挑戦を渇望させ続けています。
人の生き方は千差万別。
物事のいろんな事象に対して比較的柔軟なものの見方ができているのは、こういういろんな旅や挑戦をしてきたからなんじゃないかと勝ってに思っています。

だから、子供たちがいろんな経験をすることに反対はしません。
むしろ、面白そうだと奨励します。
なにが、将来の自分を支えてくれるかわかりません。
いろんなものに手を出していい。
間違いだと思ったならば引き返せばいいんです。
今はひとりでもいけたり、やれたりすることも多くなってきました。
それを奨励する傾向さえある。
しかし、本当に困ったときに助けてくれたり、素晴らしい経験や景色を共有できる仲間や伴侶がいてくれたら、もっといいと思いませんかね。

このコロナ禍で大会や練習ができない日々が続いています。
そして、私は昔を思い出して、活字にする時間を得た。いつか忘れないうちに書きとめておきたいと思ってたんです。
ちょうどその機会があってよかった。
スポ少も我々にとっての挑戦です。
日々挑戦。
改良と失敗を繰り返して、少しでも上手く回るようにチャレンジしている。
その意味では、これも「旅」と言えるのかもしれません。

さて、来週からは練習もできるでしょう。
また挑戦をつづけることにしましょう!

深夜三時に会津を自転車で出発し、長駆130km。
中学3年生の七騎は、18:00に目的地、新潟の海、角田浜に到着します。

精も根も尽き果てたうえ、ケツも限界を迎える。
これからキャンプ場でのメインイベント、アウトドアでのディナーとなりますが…
疲れ切った七人は、何もしたくない。
しかし、腹は減っている、ものすごく減っている。
そんな私たちの状態を察して、親父が寺泊に飯を食いにいこうといいました。
またまた渡りに舟。 
買ったばかりのデリカは、ちょうど八人乗り。
腹が減って、海に入ってべたべた、疲れきっていている、まさに餓鬼の集団。
車に入るなり全員が爆睡こきます。
しかし、新潟の海岸線の上下起伏のあるクネクネ道路が私たちを寝せません。
そんでなんだかよく知りませんが、サスが固い?
車高も高い上に、よく揺れます。
いつしかみんな起きて、遠くに見える佐渡島をぼーっとみている。
寺泊までは30分くらいだと聞いていました。
あーだんだんつくなあ、と思っていたら、コウジが
おい、やべえぞ、車止めてくれとのお願い。
ミッチャンが気持ち悪そうだぞ、止めろって、まじだって。
私はもう少しでつくから大丈夫だ、我慢しろ!と言ったそばから、
ミッチャン、レロレロレローと嘔吐。
車内にゲロと胃液の匂いがたちこめます。
ミッチャンが空腹に耐えきれずさっき食ったカップヌカレーの匂い、それと胃液のにおい。
その隣にいた、わんぼ。
彼の顔も蒼白になっている。
ワナワナワナワナ~、嗚咽にも似た震え。
彼も彼方にいってしまった、こらえきれずもらいゲロ。
うぁー、きったねぇー、うぁー!
ミッチャンが~、ミッチャンが~
わんぼぅが~、わんぼぅが~…
車内は阿鼻叫喚の地獄と化しました。
たまらず、車を止める親父。
みんな我先にと急いで車内にでます。
申し訳なさそうにしてるミッチャン、ワンボ。
だから、やべーっていったべやーとコウジ。
うぷ、うぷ、うぷ……
私もしのぶもけんちゃん、マサヨシも寸でのところでもらいゲロを止めています。
なんか違ういいことを考えて、もちこたえていますが、眼前にあの物体。
あの匂いとレロレロの風景は人を連鎖させます。
悪寒が首根っこをつかんで地獄に引き込もうとします。現にわんぼはもってかれました。
我が娘が燃えさかるさまをみて、嘆くどころか、絵師として筆をとったという芥川の「地獄変」を連想させる地獄絵図。
私はあーやっちまったなぁと思いつつ、あー本当にもらいゲロっていう現象、ドリフのコントでしか見たことがないあの現象がこの世にあるんだなあと感心しました。
そういやこの場面、スタンドバイミーの映画にもあった。あの復讐チェリーパイ大食い大会。
ここでもスタンドバイミーとの共通点。
その意味でも、この旅は俺たちのスタンドバイミーでした。

ここで距離感の異なるひとりが……
親父は新車のデリカがわずか数周間でカレーヌードルまみれのゲロを喰らうとは思わなかったでしょう。
平静を装いつつもかなり怒っている。
そんで、帰ったらきっちり洗っとけ!と俺にひと言。

そこから、そのまま寺泊までいったのか、行かなかったのかの記憶はありません。
ゲロの原因を考察します。
コウジも言ってました。
そういやあの安田の郵便局で昼メシをくったとき
、ミッチャンが「あっ、このおにぎり、なんか糸ひいてる~、まぁでもいいか!」と言って全部食った、とコウジが言ってました。
おいおいおいおい、おにぎりが糸をひくのはやべぇべや、と突っ込みを入れます。
わんぼも、あれはヤバいと思ったんだよなぁと後付けの意見。
なら、食うの止めろってとみんなで突っ込む。
三列目に隣り合ったこのふたりが犠牲になったこともなんとなく、みんな納得します。
こんな布石があったんですね~。
体力が弱り切っているところに、軽い食中毒?
そして、海岸線の上下と左右のゆれ。
ここに起きている惨事は起こるべくして起こったのかもしれません。

このあたりからあんまり記憶がないんですよね。
疲れて寝てたんでしょうかね。
あるのは角田浜にもどり、テントの中に横たわる七人。白黒の映像。
余りの暑さに耐えきれず、涼しいところを求めてみんな砂浜の上で寝てました。
テントで寝てたのはけんちゃんくらいか。
遠くに見える佐渡の明かり。
砂の上に死んだように眠る。
私の隣は、この悪夢に参加すること直前の昨日に決めたマサヨシでした。
ぁあ布団で寝てぇなあとみんな思ったことでしょう。
この一日、いろんなことがありましたが、思い出す気力も、それを話し合う元気もなく、ただ闇に眠ります。
呼応した新潟の海もそれを良しとして静寂を保ってくれます。


真夏の朝の強烈な日差し。
なんか暑いなぁと、思って目が覚めました。
ああ今日も海が青い!

さぁて朝メシなににすっかなぁ、
今日は何をやるかなあと考えていると、
弟のヒトシがいました。
けんちゃんたちと話している。

えっ?なんで?
なんでここにいるの?
ヒトシもコウジやけんちゃん、しのぶたちいつものメンバーを見つけて安心した様子。
そして、親父の姿を見つけます。
そして、母ちゃんをつれてくる。
あぁ、これは何かあったなとみんなも察します。

親父と母ちゃんが話しているのを聞くと近所の人が亡くなって葬式の準備をやらなくてはいけない。連絡もつかないので角田浜という地名をたよりに軽トラで迎えに来たということです。
しばしのシンキングタイム。
ということは、親父は今すぐにかえらなければなりません。
我々はもう一泊する予定でした。
が、親父は俺らは疲れきっていて帰りの自転車130キロは危ないと判断。
母ちゃんが乗ってきた軽トラにチャリンコ7台を積んで全員でした引き上げることを決断します。

我々は遊び足りなかった気分半分、帰りにチャリをこぐことがなくなった安堵感半分で複雑な気持ちです。
どちらかというと、あぁもうチャリに乗ることがない、良かった~のほうがみんな勝っていたと思います。

帰りは、またあのカレーヌードルゲロくさいデリカに揺られます。
においも慣れてきたのか、帰路は爆睡の嵐。
その辺から余り記憶がありません。
ただ、帰ってきて、きっちり車を洗いました。
そして、カレーヌードルのゲロ、黄色は中々落ちないということを発見します。
ママレモンで何回洗っても落ちない。
おかげで、私の家族はしばらくその黄色いカーペットと歴史を一緒にします。その度に親父に怒られる。
そのデリカが他の人の手に渡る10数年間、後部座席に乗るとそれを思い出します。
あの忌まわしいカレーヌードル(ゲロ)事件と我我のアイダには刻まれて、よく酒の肴にのぼります。
近所の亡くなったおっちゃんは、私たちを助けてくれたんだと今でも感謝しています。
そんな話を今でも集まるとたまにします。

そして、この話には後日談も。
帰りは車で帰ってきましたが、思った以上に体は疲れていました。
なので、当時義務の駅伝練習をみんなでサボろうと画策しました。
いいべ、いかなくても。
みんないくなよ。
あぁわかったといいながら、分かれましたが…
駅伝練習当日、駅伝の先生から電話がかかってきました。
おい、なんでこねえんだ?コウジはきてるぞ。
あぁこの先生は新潟の事情をわかって電話してる、腹痛ぇとか逃げれねぇぞ。いくしかねぇな。
あんにゃろー、あのええかっこしぃが!くそ!

気持ち良く寝てたのは布団を飛び出し、まだ痛いケツを友とし、遅れながらも駅伝練習にいきます。
130キロは走破した。やればできるもんだという変な自信を身につけました。
そしてまた日常がやってくる。
おそらく、コウジ以外のみんなもあのクソ野郎と呪いながらも、またみんなに会えるという期待を持って愛機のチャリンコをこいだはずです。
あーコウジのクソ野郎ー、あーケツ痛ぇといいながら。


あきらかに地勢が変わってきました。
砂地が多くなってきた。スイカ畑も。
この時流行っていたPCエンジンの桃太郎電鉄、新潟駅にスイカ畑が多い理由がここでわかりました。
私としのぶは納得していましたが、他は余り興味がない様子。
風が海風となり、しっとりまとわりつくようになります。
時刻は夕方ごろ五時を回っています。
みんなの体力もケツも限界でしょう。
ケツが限界といえば、愛読書「わたるがぴゅん」という漫画でも、そういう場面がありました。
わたるたちのチームが全国大会で北海道にいくんですが、応援団もいくことになります。
しかし、金がない。
よって、自転車でいくんですが、吉田という奴が一輪車ならば、みんな「いかなくていい。」というだろうと思って彼は一輪車で集合場所にいきます。
ここがギャグ漫画なんですが、よしそれでいい、と先輩はあっさり承諾。
彼は一輪車で北海道を目差すことになります。
ここからが彼の地獄。
そのエピソードを七人は思い出しては笑っていました。
当時、面白い漫画はみんなで貸し借りして共有するもの。
たいていの漫画は読んでいたものです。
そしてゲラゲラ笑いながらも、待望の海は近づいています。
虎視眈々、誰もが一番先に海を見てやろうと一番槍を狙います。
確実に海は近い。
ただ、一番先にスパートをかけては追いつかれてしまいます。
最後の最後に競走馬になったような心境。
誰が一番最初に海を見るかダービー1着を狙います。
地形が、まさに国語の教科書あった「あの坂を上れば」に記述されているような坂になりました。
最終第4コーナーを曲がり最後の直線。
おそらくはこれが最後の坂。誰もがそう思う。
ここで、いつも我慢できないけんちゃんが先行します。
追随する6人。
その位置取りに性格が出ます。
鼻にけんちゃん、続いてマサヨシ、
私とワンボ、ミッチャンは中盤待機、しのぶ、コウジは後方から。
レースは佳境に入ります。みんな1回は先頭に立ちますが、体力がもたない、トップを維持できません。
こうなると後は根性の勝負。
全員があの坂を上れば、と絶叫しながらチャリンコをこぐ。
あの坂を上れば…
(海が)見えた!と一番に叫んだのは、コウジでした。
このチャリンコやめ!
そしてみんな、海が見えた。
眼下に広がる日本海。
七人で見た、あのオレンジの日本海を私たちは一生わすれないでしょう。
誰もしゃべらず、しばらく海風に吹かれながら海岸を駆ける。
ついた、ついたぞ!(ケツの痛みから解放されるぞ)
日本海の夕日に映える、その七つのシルエットは完全にスタンドバイミーです。
ポスターにしたいくらい。

深夜三時に出て、到着は六時。
実に13時間チャリの旅。
角田浜キャンプ場についたころは、全員がヘロヘロ。やっとやっと親父のデリカから用具を下ろして、テントを立てます。
目は半開きで寝ながらの作業。それでもなんとか、やり終えて、シャワー代わりに海へ向かいます。
おらーぁーと勢いよく海に飛び込むも、全員がギャーギャーといってすぐに砂浜にあがります。
全員のケツがむけて、塩に耐えられないというオチです。
サドルにスレてケツが炎症しまくった状態で、海水浴どころではありません。
ウギャー、とかオッオッオッオッとかみんな変な声を上げています。
それでもせっかく来たので痛みに耐えながら日本海に浮かびます。
体を浮かせて波に漂う。。
みんなに浮かぶ瀬がある。
長かったなぁ~、でも…
顔の半分だけを海面にのぞかせて、脱力してぷかぷか浮かぶ。
つらかったなぁ~、でも…
みんなただ浮いています。きれっぱしのように、ぼぉーっと。
波の音と自分の呼吸の音しか聞こえません。
疲れ切った体に適度に冷たい海水が心地良い。
ドラゴンボール、ナメック星でベジータがギニューたちにやられた後に入った回復カプセルの中入っているようでした。
気持ち、回復していくような感覚。
ちょうどいい塩分、塩梅(アンバイ)。
海の水は、人間の血液の濃度と同じだとどっかで聞きました。
でどころは同じ、根っこはおんなじなんじゃねぇかという感覚。
海と同化している
あぁ~気持ちいい~けど、ケツがいてぇ~。
確かに、俺らは生きている。
みんな黙って、海に浮いて、ただオレンジの空を見上げる。
流れる時間。

俺たちは生きているなあと感じました。
こいつらと生きている、と力強く感じました。
新潟空港に向かう飛行機が着陸態勢に入るために低空を飛んでいました。

……黙って波とともに流れる時間は、長く続きませんでした。

腹が減った。

けんちゃんがいったと思います。
I’mハングリー!

世の中、これのみでいけるんじゃないかと思うくらいの強いフレーズ。
ハングリー=hungryという単語は、カップヌードルのCMで覚えました。あのターミネーター2の少年が出てたやつです。
腹が減っては戦はできぬ!
たそがれる時間は終わりました。
うぉー腹減ったーと日本海、遠くに見える佐渡島に叫びます。
とはいっても、食材の買い出しにいかないといけない。
しかし、みんな疲れ切っていました。
晩飯は、親父が寺泊にいって食うかと提案してきたのでそれに乗ります。ナイス、親父!
真新しいデリカに汗と砂にまみれた中坊7人が乗り込みます。
なんか、うめぇもん食えそうだなと期待しつつ、七人と運転手ひとりは寺泊をめざします。
これから悪夢が始まるということも知らずに。
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