時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
さて、新チームの体制についてです。
指導体制は、監督にコジマ監督、31コーチにスズキ、32コーチにフクダ、公式スコアラーにサイトウとなります。
去年まで高田イーグルスを率いていたオオハシ監督は、すべてを後任に託されました。
代表職も固辞。スポ少のいっさいから身を引かれました。
これは、そのほうが新しいコジマ監督体制がやりやすいだろうというオオハシ監督の配慮だと私は思っています。
私はといえば、自分の子供たちがスポ少を去りながらも、いまだ続けています。
なぜか?
それは私がそうしたいから、その一心からです。
ソフトボールを通して、子供たちとその保護者、ひいては地域、そのコミュニティー全体の成長を見届けたい、見続けたい。
そこに貢献したいし、自分たちが求められている、第一人者のひとりなんだという思い込み。
その一心。
へたな趣味、ギャンブルにのめりこむよりも全然いいじゃないかと勝手に納得しています。
自己満足なんだと自分でも思います。
でもそれが自分を支えていてくれるなら、それで充分。私のライフワークたりえます。
家族の反対もありますが、家族優先ということにして、なんとかスポ少に携わることを許されています。
指導者をやるということは、まず家族の理解がないとできません。
これは指導者あるあるでしょうが、そこが大前提。
そしておうおうにして、家族の理解は得られないことのほうが多い。
「スポ少!?いいよいいよ、全力でやってきて、こっちも全力でサポートするよ。」という家族なんてみたことありません。
言い方は悪いですが、少なからず家族を犠牲にしてしまう。
自分がいない分、必ずどこかで家族に負担を強いてしまうのは事実です。
なんかの指導者研修で聞いたことがあります。
スポ少指導者の離婚率の高さ・・・それをきいて納得してしまう自分もいます。
自分の我を通しているだけなのかもしれませんが、
そこになんとか折り合いをつけて、
本当は自分を正当化して、
だましだましやっている。やってきたといっていい。
理解をしてくれというのが、おこがましいのかもしれません。
舞台の大小はあれど、高校野球の監督さんも似たようなもんだと思います。
あんだけ高校球児にかかわっていれば、自分の家庭を顧みる余裕がどこにあるんだろうかと。
どっちも大事なのに、一生懸命になればなるほど、片一方がおろそかになるジレンマ。
そこに少なからずすれ違いが生まれると思います。
そこをわかる人は、菩薩様か観音様でしょう。
そしてその観音様さえも、鬼となり、阿修羅となっていってしまう。
このたとえ、わかる人にはわかるはずです。
それをどうやってつなぎとめるか?
そこ、みんなどうやってるんでしょうね?
地域のため、こどもたちのため、ソフトボール、野球のため・・・
といいながらも最後は結局、自分のためなんですけどね。
いろんなことをこじつけて自己を正当化しているとわかっているんですが・・・
そんな葛藤をずっと抱えています。
おそらく、今の高田イーグルスの指導者も、そして他チームの多くの指導者のみなさんも同じようなものを抱えてる・・・
答えのでない、おそらく答えなんてない、解けない問題。
だからといって、「大変ですよね?いろんなものを犠牲にしてスポ少に貢献してくださってありがとうございます。」という言葉や気持ちを欲しているわけでもない。
全くないというわけではないけれど、そればっかりではないんですという言い訳めいた気持ち。
言葉ではいらないといいつつも、いろんなところでおそらくそういうものは態度になってでているというのが正直なところでしょう。
察していただきたというのが正直なところ。
なんていったらいいんでしょうね。
みんなのためでもあり、自分のためでもある。
葛藤、かっとう、ふじのつたと書いて葛藤。
どこに伸びていくかはわからない。這うように、絡みつくように、不規則に伸びていく。
最後は「・・・」しかでない・・・
私の場合、あきらめられながらもなんとかまだ離れないでいてくれていることに感謝して(それを表面にもだしもしません・・・それもだめなんでしょうけど・・・)またグランドに向かっています。
指導体制は、監督にコジマ監督、31コーチにスズキ、32コーチにフクダ、公式スコアラーにサイトウとなります。
去年まで高田イーグルスを率いていたオオハシ監督は、すべてを後任に託されました。
代表職も固辞。スポ少のいっさいから身を引かれました。
これは、そのほうが新しいコジマ監督体制がやりやすいだろうというオオハシ監督の配慮だと私は思っています。
私はといえば、自分の子供たちがスポ少を去りながらも、いまだ続けています。
なぜか?
それは私がそうしたいから、その一心からです。
ソフトボールを通して、子供たちとその保護者、ひいては地域、そのコミュニティー全体の成長を見届けたい、見続けたい。
そこに貢献したいし、自分たちが求められている、第一人者のひとりなんだという思い込み。
その一心。
へたな趣味、ギャンブルにのめりこむよりも全然いいじゃないかと勝手に納得しています。
自己満足なんだと自分でも思います。
でもそれが自分を支えていてくれるなら、それで充分。私のライフワークたりえます。
家族の反対もありますが、家族優先ということにして、なんとかスポ少に携わることを許されています。
指導者をやるということは、まず家族の理解がないとできません。
これは指導者あるあるでしょうが、そこが大前提。
そしておうおうにして、家族の理解は得られないことのほうが多い。
「スポ少!?いいよいいよ、全力でやってきて、こっちも全力でサポートするよ。」という家族なんてみたことありません。
言い方は悪いですが、少なからず家族を犠牲にしてしまう。
自分がいない分、必ずどこかで家族に負担を強いてしまうのは事実です。
なんかの指導者研修で聞いたことがあります。
スポ少指導者の離婚率の高さ・・・それをきいて納得してしまう自分もいます。
自分の我を通しているだけなのかもしれませんが、
そこになんとか折り合いをつけて、
本当は自分を正当化して、
だましだましやっている。やってきたといっていい。
理解をしてくれというのが、おこがましいのかもしれません。
舞台の大小はあれど、高校野球の監督さんも似たようなもんだと思います。
あんだけ高校球児にかかわっていれば、自分の家庭を顧みる余裕がどこにあるんだろうかと。
どっちも大事なのに、一生懸命になればなるほど、片一方がおろそかになるジレンマ。
そこに少なからずすれ違いが生まれると思います。
そこをわかる人は、菩薩様か観音様でしょう。
そしてその観音様さえも、鬼となり、阿修羅となっていってしまう。
このたとえ、わかる人にはわかるはずです。
それをどうやってつなぎとめるか?
そこ、みんなどうやってるんでしょうね?
地域のため、こどもたちのため、ソフトボール、野球のため・・・
といいながらも最後は結局、自分のためなんですけどね。
いろんなことをこじつけて自己を正当化しているとわかっているんですが・・・
そんな葛藤をずっと抱えています。
おそらく、今の高田イーグルスの指導者も、そして他チームの多くの指導者のみなさんも同じようなものを抱えてる・・・
答えのでない、おそらく答えなんてない、解けない問題。
だからといって、「大変ですよね?いろんなものを犠牲にしてスポ少に貢献してくださってありがとうございます。」という言葉や気持ちを欲しているわけでもない。
全くないというわけではないけれど、そればっかりではないんですという言い訳めいた気持ち。
言葉ではいらないといいつつも、いろんなところでおそらくそういうものは態度になってでているというのが正直なところでしょう。
察していただきたというのが正直なところ。
なんていったらいいんでしょうね。
みんなのためでもあり、自分のためでもある。
葛藤、かっとう、ふじのつたと書いて葛藤。
どこに伸びていくかはわからない。這うように、絡みつくように、不規則に伸びていく。
最後は「・・・」しかでない・・・
私の場合、あきらめられながらもなんとかまだ離れないでいてくれていることに感謝して(それを表面にもだしもしません・・・それもだめなんでしょうけど・・・)またグランドに向かっています。
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