忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日はカナト世代の新人生会津予選でした。
結果は、あの全国大会にいった猪苗代さんを相手にコテンパンに負けました。
0:19
このスコアをTシャツのバックプリントで保存したいくらいです。
ほとんど、何もさせてもらえなかった。
完敗でした。
気持ちいいほどのコテンパン
負けは負けとして、ここからどうしていくか?
猪苗代さんに勝つためにというか、まずは自チームをどうしていくか?
そこから初めていくしかないようです。
負けから始まる。
思いかえせば、私の出発は、いつも負けから、失敗から始まります。

今の私のたどり着いた立ち位置、「ミッションチャレンジ型のスポ少」。
これに至るまでには、いろんな思いがありました。

勝利至上主義。

勝つためなら、なんでもやるという意味だけではありません。
私がこれまで、たくさん見てきた負の連鎖、
勝ちにこだわるあまり、負けたとき、失敗したとき、エラーをしたとき、三振したときに、とんでもなく子供たちを怒る。
ゲッて思う。そこまで言うんかい!
そんな場面を見てきて、私は
「あぁ~、あんなふうに怒られたら、ソフトボール嫌いになるよな。
あんなふうに怒られたら、楽しい訳がない。
あぁはなりたくないな。」
と何度も思いました。

ここ最近、そんな監督さんにはいませんが、私が始めたばかりのころ、20年前にはそんな指導者がそれなりにいました。
そして、そのチームがまた強い。
恐怖政治によって作られたチームではありましたが、練習量の多さと怒られたくないという動機によって成り立っていました。
強いんだけど、楽しくねえだろうなぁとおもってみてました。笑顔がない。
指導者の顔色ばかり、うかがっている。
創意工夫もなく、与えられたサイン通りにしか、動くことのできないロボットたち。
そんな能面のような彼らに本当の笑顔を望むべくもありません。

かくいう私も同じことをしていたんだと気づかされる時がありました。
エラーをした選手にむかって、
「何やってんだぁ、てめぇ!
やる気がねぇなら、とっとと帰れぇ!」
激高して、叱りつけ、懲罰で交代させる。
ベンチに帰ってきてうなだれている選手にむかって、追い打ちで罵声を浴びせる。
さらに試合が終わった後の反省会でもダメ出し。
厳しくすることが、選手のためだと思っていました。
しかし、面白くないんですよね。
気分が悪い。気持ちよくない。
お互いに面白くない。
怒っている私も、マイナスの言葉を吐くと毒がたまるんでしょうね。
周りに見えない壁を知らずに築いていく。
そんなベンチに理解と協力などありません。
建設的なプロセスができるはずがない。
そんな、チームは強くなるはずがありません。
必然、何回も何回も負けることが続きます。
八方ふさがり。何をやってもうまくいかない。
そうなると、やけのやけっぱちの心境に陥ります。
どうせ負けるなら、怒るのも無駄、子供たちの好きなようにやって見ろ!と作戦を変更しました。
そして、この試合は何があっても怒らない。
そう子供たちにも宣言して、戦いに望みました。
途中、何回も失敗、エラーがあります。
ぁんだこのヤロー、ぁんだあのプレーは!と思っても、ぐっと飲み込む。
ぐぅーーーっと飲み込む。
怒りで血管がピクピク浮き出る。
ここは辛抱がいりました。
ある本によれば、怒りがこみ上げても六秒我慢すれば落ち着くとも言っています。
ぐっと飲み込む。
ふぅ~と深呼吸をする。
凪(なぎ)、穏やかな水面を思い浮かべます。
深呼吸をすると、やはり落ち着くんですよね。
そうすると周りが見えてきます。
ミスをすると、チラチラ、私をうかがう選手もいます。
それをみて私も、20年前のあのパワハラの指導者と、五十歩百歩、大なり小なり同じだったんだと気づかされました。
私も同じ穴のムジナだったんです。
あんなふぅにはなりなくない、と思ったムジナとおなじ。
だから、面白くなかった。
だから、勝てなかった。
だから、うまくいかなかった。
選手たちのチカラを引き出してやれなかった。
愕然としましたね。
しかし、気づいてよかったとも思えました。
どうにか、踏みとどまった。
これは、何回も何回も負けて、負けて、負けまくった、子供たちの犠牲のおかげで気づかされたものです。
ここまでくるのに、たくさんの子供たちのやる気を犠牲にしてきました。
一将功なって万骨枯る。
そして、気づいた法則。

怒るよりも、信頼したほうがいい。

チラチラ私をみる、選手に対して、
がっとばすという選択肢を捨てて、
大きくうなずいて見せる。
「大丈夫だ、いいぞ!ミスってもいい!」と声をかける。
エラーをした選手は、エラーをしたことで、みっともないという、いわゆる社会的制裁を受けています。
その時点で、やっちまったと心理的にダメージを受けている。
心のダメージは、次の行動に間違いなく影響します。悪い方向に。
落ち込んでいる選手を試合中にがっとばしても何の意味もないどころか、傷口に塩をぬる行為だと、私は気づきました。
エラーをした選手の立場になって考えてみる。
かつての私もエラーを何回もしました。
そして、怒られていたことを思い出します。
その時、どうして欲しかったか?
何を言ってほしかったか?
自分自身に置き換えてみる。
覆水盆に帰らず。
やっちまったことはもう戻せません。
あわわわと心理的に慌ててている。
その時に何を言って欲しいか?
私は、「大丈夫だ!」の一言だと思います。
チーム的には大丈夫じゃありませんが、カラ元気でも大丈夫だといってみせること、
このひと言でその子は、チームは救われます。
怒りちらして、さらに萎縮させるのは逆効果。
がっとばすなど、愚の骨頂。
指導者として、自分が無能だと言っているのと同じだと気づきました。
それよりも、「大丈夫だ!」のひと言で、その子もまわりの選手たちも救われるはずです。
まだ、試合は終わっていません。
ひとつふたつのミスで、崩れるわけにはいかない。
怒って萎縮させて、自分から崩れるわけにもいかない。
選手と指導者、お互いに足の引っ張り合いはやめです。
立ち直ってもらう!立ち直らせてみせる!
鼓舞、激励。
「下を向くんじゃねえ、バレーは常に上を向くスポーツだ!」
とハイキュー!!の鵜飼コーチも言ってます。
これこそ、指導者の役目でしょう。
エラーをした子も、そのまわりの選手たちも、次の瞬間から私ではなく、プレーそのものに集中するようになります。
それでいい。
こっちを見る必要などない。見なくていい。
今この瞬間、このプレーに集中しろ!
「あとは、お前に任せた!」
この言葉に、すべてが集約されていきます。
大事なのは、信頼して、任せることだったんですね。
私は、この任せたという言葉、かっこいいと思ってよく使います。
大事な場面で、
「タカヤ、後は任せた!」
「ユウキ、任せた!」
「レン!後は任せた!」
数々の任せた、後は頼んだという言葉。
かけた選手は、黙ってうなずく。私もうなずく。
これだけでいいんです。
お互いの信頼をこれほど表現できる場面はないと思います。
かっこいいでしょう!
これが、気持ちいい。
打てばさらに気持ちいい。
任せることで、選手は自分自身で戦います。
私たちは背中を押すのみ。
そうすると、周りをみて、考えるようになります。後ろ向きではなく、前向きな姿勢。
そして何より、お互いに気持ちいい。
選手を、単なるコマとして見ない。見れなくなりました。
これまで何をがんばってきたか?
練習で1番近くで見てきてた我々が1番知っているはずです。
バットを少し短く持ってる。
守備位置をきちんとバッターによって変えている。
練習の時にアドバイスしたことをちゃんと自分に落とし込んでいる。
選手の細かい動き、違いに気づけるのは我々しかいません。
ひとりひとりにドラマがあり、ストーリーがあります。もはや、全員が「推し」となります。
その「推し」に大丈夫と声をかけること、それは私自身にも、チーム全体にも大丈夫だということと同じなんですよね。
そして、お互いに向き合って、目を見て大丈夫、まだやれる、へこたれるなと確認すること。
私は、ようやく気づきました。 
信頼しあうことの気持ち良さを。
選手たちに後顧の憂いなく、前だけ向かせることの大事さを。
そうすることで、彼らの力を100%,120%引き出せるということを知りました。
空をみる余裕ができました。
あの風を感じる余裕ができました。

そうなると、不思議に勝ち始めます。
自分たちよりも強いといわれる相手であっても、いい試合をするようになります。
勝っても負けても気持ちいい。
無論、後ろ向きな負け方、準備なしの無策の負けはとことん怒ります。がっとばします。
しかし、全力を尽くして負けたなら、負けても気持ちいいんです。
負けても、次にどうしたらいいかを考えると前向きな負け方。
勝っても、負けても前に進む。
この考えが「ミッションチャレンジ型のスポ少」につながっていきます。
勝ち負けの結果、ヒット三振の結果、
それよりも、どうやって自分の課題に向き合ったか?を重視する。
これが、子供たちの力を、段階的に伸ばしていく、最善の道だと私は思っています。

少しずつ、少しずつ成長していけばいいんです。
かつて、旭スポ少時代、秋の新人戦から、春の総体、夏の白獅子、秋の美里親善まで、一回も勝ったことがなかったチームがありました。
練習試合でさえも勝てない。
6年生がたったひとり、ナオヒロ世代。
端から見れば、暗黒時代。
しかし、キャプテンとして彼はやり抜いた。
負けて、負けて、負けまくっても彼はグランド立ち続けました。
何回もコールドで負けました。
負けて、1番怒られるのもキャプテンです。
それでも彼は最後まで、やり抜きました。
何が、彼をそこまでやらせたのか? 
今となっては、本人に聞くしかありませんが、おそらく「意地」だったと私は思います。
たとえ何回負けてもやり通す。
何回も心が折れたでしょう。
しかしその都度また立ち上がる。
その意地。
そして、それを支えた保護者の皆さんもたいしたもんです。
そのころの私たちには、明るさがありました。
負けつづけて投げやりになるところですが、また明日があるさと前を向く。悲壮感がなかった。
負けた試合の中に、いいところを見ようとしていました
あの頃は勝っても負けても、焼き肉をやって反省会を親子でしていました。
勝ち負けも大事ですが、ソフトボール自体をみんなで楽しむ、そんな姿勢だったからこそ、一回も勝てなくても最後まで続けることができたんだと思います。
あの頃の保護者の皆さんには、
「監督!まだスポ少やってんかい?今年のチームはどうだい?」といまだに声をかけてもらってます。
ありがたい。
まだ、つながっていてくれます。
負け続けたキャプテン、ナオヒロは自分の好きな道を突き進み、水産系の仕事に就いています。
あの頃、私たちは負け続けていても、決して卑屈にならず、一点とったら、勝ちだ、ヒット一本打ったら焼き肉だとか、
逆境の中にあっても楽しむこと、しぶとさ、したたかさを学んだと思います。
勝てば万々歳のどんちゃん騒ぎ。
スポ少に限らず、勝ち続けることなんて、できないんです。ミスもするし、負けもします。
負けたとき、負けそうになるとき、その時どうするか?
ここにその人の生き方、本質がでてくると思います。
あたりちらすか、落ち込むか?
流れる時間は同じ。
であれば、その負けさえも楽しむ。次に活かす。ここがスポ少でサポートできるところです。
その命脈は間違いなく、あの時のキャプテン、ナオヒロの中に生きていると私は信じています。

そして、このカナト世代。
彼らの進む道も険しいことはわかっています。
何回も何回も地べたに顔を押さえつけられるでしょう。
しかし、あの時のナオヒロのように、折れた心を何回も何回も鍛え直して、立ち上がることを期待しています。
高田イーグルスが、竃門炭治郎と重なるんですよねえ。
そして、いつかみんなが心から笑顔になれる勝利をつかみ取って欲しいと思います。
さぁ、また明日からがんばっていきましょう!




PR
いつのころからか、勝利への執着心のようなものがなくなりました。
まったくなくなっと言えば嘘になりますが、無理をしてまで勝たなくていいんじゃないかと思うようになってきました。

それが表にでたのが、今の中学2年のユウキ世代の県大会の時だと思います。
あの世代、総体、雨の須賀川も、白獅子、灼熱のいわき新舞子も、どっちも我々を県大会へ連れて行ってくれました。

県大会、出会う敵は強敵ばかり。
長沼さん、中山さん、天栄阿武隈さん、桜さん、県大会で戦ったのはこの四チームだと記憶しています。どのチームも強いんですよねえ。
しかし、美里イーグルスもがっぷりよっつのいい試合をするんですよねえ。
お互いに素晴らしいプレーの連発。 
あまりにいい試合になるので、両チームをたたえたくなる。 
こんないい試合をしてくれて、ありがとう。
自分のチームだけではなく、相手チームの選手でさえもほめたたえたくなるんです。
そして、どちらにも勝たせてやりたいと思ってしまう。
こんなに、いい試合ならば、勝っても負けても本望。
俺たちは全力を尽くしている。
その上のミス、エラー、三振ならば、仕方のないこと。
だから、失敗を恐れず、全力でチャレンジしていけ!
お互いのチームの選手、控え選手、保護者、みんながいろんなものを抱えてチャレンジしているんです。
それが表情に、プレーに現れている。
それに気づいたとき、熱闘を繰り広げるグランドにたつ私の頬に、静寂の風が吹きました。
いい風だ。
みんながんばっている。
敵味方関係なく、みんないい顔をしている。
ソフトボールはやはりいいな、とかっこつけてみる。
お互い一生懸命のプレーの積み重ね、その延長線上にあるのが勝敗だとする。
そうであるならば、勝ち負けどっちでもいいや、と本気で思いました。

思わず、
「いいぞおめぇら!やれぇ、やれぇ!勝っても負けてもどっちでもいいぞぉ!」と叫んでいました。
すかさず、隣にいた今のコジマ監督、当時コーチに
「監督!みんな勝ちを目指しているのにそんなこといっちゃだめですよ!」
とたしなめられました。
しかし、あれは私の本心からでた言葉です。
それがずっとひっかかっています。

もちろん、スポーツは勝負ごとなので、原則勝ちを目指します。
しかし、勝つことがすべてではない。
勝つために手段を選ばない、とかという勝利至上主義は捨てます。
負けていいとはいいません。
この場合の負けとは、無策の、準備無しの、建設的ではない、後ろ向きの姿勢、それが負けです。
だけど、一生懸命に準備をして、全力でチャレンジして失敗して負けたなら、それでいいじゃないですかね。

私は負けたことよりも、
ちゃんと準備をして、全力で挑戦したことを褒めたり、その時何を思って何をしたのかを追求していきます。
今のプレー、どんな準備をしたか?
その準備の何が良くて、何がだめだったか?
そして、実際のプレーにも、何が良くて何がだめだったかを検証して、次に活かしていく。

ひとりひとりの課題=ミッションに、当てはめていく。
そして、チーム全体でも検証していく。
勝ったならなお良し!
それで、負けたとしてもそんなに悲観する必要はないんです。
負けても死にやしないし、この世も終わらない。
そんな燃え尽き症候群の予備軍になんてなることはないんです。
いったんは落ち込む。泣いても、悔しがってもいい。
だけど、すぐに次を目指して、どうすればいいかを考えて行動に移す方がいい。

試合の勝ち負けよりも、そこにいたる過程での、小さいミッションの成否、いかにして挑戦したか?ということこそ一喜一憂していきましょう。
プレーに関することはもちろんです。
バントができた。
タッチアップができた。カバーができた。
それだけではありません。
ちゃんと声を出せた。
ちゃんとコーチャーに入れた。
ちゃんと事前の打ち合わせの声がみんなで出せた。
ちゃんと試合の道具を自分で用意できた。
控えの子も含めた、子供たちのそういう名もなき小さなミッションの成功を褒め称えましょう。
できないなら、なぜできなかったかを検証していく。
その積み重ねこそが、高田イーグルスを本当の意味での勝利に導いてくれるはずです。

試合は勝敗を決める場所でもありますが、
いろんなことを全力でチャレンジする場所だと、今の私は思っています。
そう考えるとわくわくする。
失敗してもいい、この一言で救われる人もいるでしょう。
何でかんで勝たなくてはいけない場ではない。
小学生のうちはそれでいいと思ってます。
勝ち負けは後からついてくる。
勝ったならラッキー。
負けても、すぐに次を見据えます。
そういう意味で、私は「ミッションチャレンジ型のスポ少」を目指しています。

ひとりひとりのミッションチャレンジ。
チームとしてのミッションチャレンジ。
刻々と変わる状況を加味して、そのミッションチャレンジは変化します。
そのバリエーションを増やしつつ、思い浮かべた作戦やシフトを遂行できる実力も徐々につけていく。
今の自分に何ができて何ができないのかを知る。
できないことを見つめることって、けっこう大事です。
過去と現在の自分を、チームを分析する。
そして、今後近い将来、遠い将来にどうなりたいかを思い浮かべる。
小さい課題、ミッションを少しずつ積み重ねていく。
自分自身に対する自信という鎧を身につけていく。

勝ちは、その先に結果としてあるもの。
自分がチームのために、何をやるべきか?何をしてきたか?
そして、全力でチャレンジしたか?
それを重視する。
私が今現在、たどり着いているところは、ここです。
その心境になると、あの雨の須賀川、灼熱のいわき新舞子で私の頬を流れた、あの静寂の風がパノラマで包み込みます。

勝ち負けにこだわるな。
失敗を恐れず、全力でチャレンジする、その姿勢をみろ。

そうなると、すーぅっと肩の力が抜けます。
試合にではなく、子供たちに真正面から向き合うことができる。
それは相手チームの選手たちへのリスペクトにも通じます。

一生懸命にやったならば、それでいいじゃないか!
今後もこの姿勢を貫いていきます。

「シュンペイ、レオ、マナト!三振してもいい、全力で振れ、一撃にかけろ!」
「ユナ、ユウキ!打たれてもいい、全力で投げろ!」
「レン、タイチ、コタロー!エラーするのはいい、全力で準備しろ!」

「結果を恐れるな!全力で挑め!」

この先も何回も言い続けていきます。
次男坊の中学野球が終わりました。
中学に入ったときは、同学年に野球部が少ないだろうと心配していましたが、結果的に人学年に9人も集まりました。
野球をやらないといっていたイーグルスOBも翻意して、野球部の門をくぐりました。
どこの中学も、若松の中学でさえも部員不足に悩まされている中、大健闘だと思います。
長男の時もそうでしたが、次男の時もいいメンバー、先生、保護者に恵まれました。
いい環境で野球ができる。いい環境で育つことができる。
植物も同じですね。
がちがちの勝利至上主義でもなく、だるだるのお気楽な部活でもない。
ちょうどいい塩梅の厳しさと楽しさがあったんだと私は思います。
中学校の野球はそれでいいと、むしろそれがいいと、私は思っています。
自分が将来どの方面に進んでいくのか?それをおぼろげながら模索している。
ぼわーっと、「俺は将来、何になる」という輪郭が見えつつある。
異性もいきりなり意識しはじめるでしょう。
小学校、中学校、高校、大学と大人になるまで、いろんな時代を過ごしてきますが、一番「何者」を意識する時代、それが中学校だと思います。
何者にもなることができる可能性が、中学時代にはあります。
だからこそ、面白い。

次男坊を見ていて、「あぁ~、楽しんでるなぁ」と思う時が多々あります。
兄貴の背中を追ってではないと思いますが、小学校時代からのソフトボールを継承すべく野球部に入りました。
ソフトボールの楽しさ、チームプレーの楽しさを理解したからこその、野球部という選択だったと思います。
長男の時は、「野球部以外なら、応援しない」というプレッシャーをかけてきましたが、次男の時はその心配はいらなかったようです。
ひょろっぽそく、筋肉量が少ない。
痩せているから、走力にたけているかと思えばそうでもない。
短距離も中距離も、長距離にも芽が出ない。
パワーもない。
とりたてて、秀でているものがない彼にとっては、野球というスポーツは向いていると思います。
足が速くて、パワーがあったほうがもちろん有利に働きますが、
足が遅くとも、パワーがなくても、ヒットを打てばいいんです。
技術介入の割合も大きい、これも野球の特徴だと思います。
打てばいい。
しかし、それも次男には遠い目標であったようです。
打てばいい、これが難しい。これこそ難しい。
センス、感覚といわれるものです。
長年スポ少という舞台で見てきていますが、やはり、センス、打撃感覚、守備感覚はあると思います。
ある程度は、努力でなんとかなりますが、その先となると越えがたい大きな壁がある。
センスがある者とないものとの差。
これを越えていくのは並大抵の努力ではなしえません。
次男坊、いいものはもっていると思いますが、なかなか実戦の場で結果としてでてくれません。
エラーもミスも、凡打も三振もたくさんしてきました。
本人も何回も落ち込んだと思います。
何回も怒られたところも見てきています。
指導者が厳しく叱ってくれるのは、それだけ彼のことを思ってくれているから、期待の裏返しだと私は思っています。
がしかし、たかだか15年しか生きてきていない彼にとっては、どう受け止めていいかわからなかった時もありました。
それでも、何回でも自分を奮い立たせることが、彼にはできます。
陰にこもらない。ここもいいところです。
何回も腐ったことでしょうが、立ち直りと心の整理が早いほうだと思います。
大きなエラーをしても、ちょっと落ち込んで、悔やんだとしても、またライトから大きな声が聞こえてくる。
これなんですよね。
私は、それで安心します。
そのきりかえの早さ。タフさ。
そこがタケゾウのいいところだと親の私は思っています。
今の時代、これからの時代にもとめられているもののひとつ、「こころのタフさ」というスキルが育っています。これも野球のおかげだと思っています。幾千の失敗が彼をカタナのように鍛えてくれた。

何かの記事で読みました。
ミスっても失敗しても、落ち込んだとしても、鬱にならずに立ち直るメンタルが強いといわれる人の特徴について。
そういう人は、ひとつの分野に固執するのではなく、いろんな分野に自分の居場所をもっていると。
思うに、自己肯定をする場所を複数もってるということでしょう。
ガラスのようにすぐに割れるのではなく、カーボンのようにいくつもの繊維で編み込まれているようなものだと理解しました。
失敗も多く、ミスもたくさんする。
へこたれるし、落ち込む。
しかし、不死鳥のように大きな声をだして、復活する。
次男坊はそういう男に育ってくれているようです。
この先、何回もそういう、やらかす場面にでくわすでしょう。
しかし、そうであっても、彼ならば立ち直ってくれると思います。
そして、失敗をした分だけ、同じ失敗をしてきた人の痛みがわかると思います。
親バカですが、彼は年寄りや小さい子に対する接し方がなっています。
100才にちかいひいばあさんにも優しい。
私が保護してきた捨て猫でさえも、私の次に彼になついています。いつも彼にぴったりくっついて寝ています。猫でさえも。
寄り添う。同じ目線に立とうとします。
ばあさんが出した料理がいつもと違う、茶色と黒ばっかりの料理であっても、とりあえ箸をつけます。
兄や妹がご飯を食べたらとっと自分の部屋にいく中、じいさまばあさまと最後まで話をしています。配慮があるんです。
たしかに野球はそんなに上手くはありませんが、そういう気づかいやコミュニケーションを野球から学んでいると思います。
ランナーが一塁にいるとき、彼はライト前ヒットを想定して、そうなった場合に、「三塁に投げるぞ!」とサードのタイセイに声をかけます。
状況を見て、事前にどうするかをシミュレーションして、それをあらかじめ仲間に伝えておく。
これは、将来、なんの仕事にいっても役に立つはずです。
野球を通して学んできたそういうことが、普段の生活に何気なく生きていると私は思っています。
そして、何より陽気で明るくあろうとする。
ものごとを楽しもうとする。
声もでかい、プラス思考で前向きな証拠です。
もう一回親バカですが、娘が嫁にいくとしたらこういう男のところに行ってほしいとさえ思います。
そんな彼が、おぼろげながら描いている将来の夢は「学校の先生」だそうです。
くしくも、私が中学の時にこころざしていた職業と同じです。
私も中学校の野球部の先生になりたかった・・・
息子も同じことを思っているかどうかはわかりませんが、その志は今後の彼を力強く押す推進力になってくれるはずです。

あんなに小さかったタケゾウですが、今はけっこう頼りにしています。
チャリンコで一時停止を無視して、車にひかれたこともありました。
生きていること、怪我の具合を確認してたいしたことがないことを確認した私が、おもいきりぶんなぐったことを彼は忘れないでしょう。
心配かけやがっての一撃でした。
ひいた人が止めに入ったほどでした。
下手したら死んでいました。
生きていてくれて、良かったとつくづく思います。
今でもときどき「車にひかれた息子をぶん殴る親がいるかね!」と彼はいいます。


次男坊も確実に成長している。
それを中学の野球が証明してくれています。
息子に限らず、高田中野球部もそうですが、野球をやっているすべての中学生が多かれ少なかれ、それを証明してくれています。
敵であったとしても、いいプレーには心を打たれますし、称賛に値します。
会津大会決勝の、酷暑の中、学鳳中学のエースピッチャーの投球とねばりは見事でした。
次男坊をはじめ、3年間の野球をつらぬいた野球少年たち。
野球をやってきた価値が十分あると思います。
この先に野球をやる、やらない、どちらにしろ、野球のDNAがきっちり組み込まれたと思います。
必ず、野球をやっていたことが、自分自身をすくってくれると思います。

彼らがそれを実感するのはまだまだ先の話です。

長男の時もそうでしたが、中学野球がひとつの区切りだと思います。
いい仲間に恵まれ、いい指導者にも恵まれました。
野球をやってくれて、良かったとつくづく思います。
部活を引退しても、彼の部屋にあるグローブは、相も変わらずきちんと磨かれています。
こういうところなんです。
わかってるな、と思わせてくれるところ。
野球という我々の共通言語を通して、わかり合えてるなと思います。
その次男坊も静かにバットを置きました。
3年間、よくがんばった。
その背中に、私はだまってお疲れさまといいます。


次男坊たちの長い夏が終わりました。
三年間の中学野球が終わりました。
福島民報杯県大会、県下16チームを集めて郡山の開成山球場をメインスタジアムとして開幕しました。
高田中野球部は、高瀬中学と一回戦で当たります。
高瀬中学はおそらく高瀬スポ少のOBがたくさんいるはずです。
かつて彼らの小学校時代、美里イーグルス時代に何回か対戦しているはずです。
思い出しました。青いユニホーム、メガネの勢いのいい監督さん。声の大きい熱血タイプです。
管理するのではなく、選手の個性を引き出してのびのび成長させていくタイプの指導者だと記憶しています。
そんな指導者のみなさん、保護者のみなさんに育てられた子供たちが弱いわけがありません。
激戦の県中地区を勝ち上がってきた理由はそういうところにあると思います。
スポ少の時もそうでしたが、がたいのいい選手、スラッガーがそろっています。そして、かつてのあの時と変わらずスポーツメガネ率も高し。
ただ、小学校の時よりも確実にパワーアップしています。
われらが高田中野球部、そこを相手にどう戦うか?

須賀川の牡丹台球場で一回戦は行われました。
大部分は忘れましたが、先にチャンスをつくるも先制できず、逆に先制されて突き放される厳しい展開となったと記憶しています。
それでもいったんは、反撃を加えて山場はつくりました。
しかし、またしても突き放される。
次男坊が、起死回生で仕掛けた三塁からのヒットエンドランを空振り。
虎の子の三塁ランナーのソウジが憤死したことは鮮明に覚えています。
せめて、ファールにしろよ!と心の激白。
しかし、彼は懸命にゴロを打とうとダウンスイングの軌道で振っていました。
そこにきた、高めの快速球。
高瀬のキャッチャー、ピッチャーのバッテリー、野球を知っています。
一死三塁で、7番のひょろ細いバッター。
何をしかてくるかと考える。
スクイズも想定される場面です。
私がキャッチャーならば、
アウトコース低めでバント失敗、もしくは打たれても凡打になりやすいコースを要求します。
しかし、高瀬中のバッテリーはあえて高めの直球で勝負に来ました。
バッテリーのポテンシャルをいかんなく発揮できるコースが、高めであることがお互いにきちんとわかっていました。
そして、相手は非力な7番バッター。
空振りを狙いにいったはずです。
空振りにならなくても、フライにする自信があったからこその高めの快速球。
そして、次男坊は空振りした。
高瀬のバッテリーは得点を許さず、三塁ランナーをアウトにした。
たった1球のやりとりですが、ものすごいドラマが凝縮されています。
しかし、スコアブックに書き込まれる事実はこれのみです。

7番の次男坊もこの場面の重要性は充分にわかっていたはずです。
次の1点がどちらに入るか?
勝負を決める分水嶺となる場面。
負けている高田中野球部としては、なんとしてでも点差を縮めるために1点が欲しい。
そのためにリスクをとるしかありません。
そのリスクの中でも最も成功確率が高いものを選んでいく。
打たせるのか、スクイズか、セーフティスクイズか、エンドランか?
選択肢はたくさんあります。
ここに勝負のあやがあるんです。
サインをだす。
あとは選手たちを信じるのみ。
エンドランだったようです。
スクイズよりも成功確率は若干落ちますが、バッターランナーも生き残る確率はこちらの方が高い。
得点した上で、ランナーもだすという思い切った戦法です。
この点差を考えれば1点ずつ刻むよりもいっきに点差をつめるという「賭け」にでたと、監督心理を察します。
そして、次男坊タケゾウならばそれができると信じた。
サインで意思を疎通する。
こういう息詰まる場面、生死を分かつような場面はスポーツでなくては、野球でなくては経験できません。
攻める方も守る方も、そして応援する方も心臓が飛び出るほど緊張する。
スタジアム全体が固唾をのむ。
どちらもすべてをこの1球にかける。

高瀬中のピッチャーもバッターのタケゾウも持てる限りの全力を尽くしたはずです。
絶対に打つvs絶対に抑える。
全力対全力。
刹那。
タケゾウは空振りし、エンドランでスタートを切った三塁ランナーは挟まれて憤死。
いっきに流れは高瀬中へと傾きました。

命運をわけるのはなんなんでしょうね。
センスなのか、努力の量なのか、試合の流れなのか?運なのか?
おそらくそのすべてなんだと思います。
ほんの少しだけ、ほんの数ミリだけ上回った方がいい結果を手に入れる。

勝負とは残酷なものです。
勝ち負けが必ずある。
勝つ者がいれば、かならず負ける者もいます。
がんばったから勝てる、上手くいくとは限らない。
どうやったっても勝てないと思うような相手と対戦することもあります。
勝てばさらに上を目指せばいいし、負けたとしてもいままでやってきたことは決して無駄にはなりません。改善点を探して、次に向けてまた走り出せばいいんです。 
勝つにしろ、負けるにしろ、どっちであっても人間的には前に進んで成長しているんです。
お笑い芸人、ティモンディーの高岸さんの言葉、
「やれば、できる!」
ライオンのグータッチで言っていました。
この言葉は、挑戦すれば、成功するという意味ではない。
いい結果がくるにしろ、悪い結果がくるにしろ、
挑戦すること(=「やれば」)で、人は必ず成長「できる!」という意味なんだそうです。
しごく、もっともで、これほど背中を押してくれる前向きな言葉はないと思います。
そして、この言葉を高岸さんが誰を相手にしても、どんな場面でも、いっさいぶれずに言うからこそ、さらに前向きな言葉になってると私は思います。
「やれば、できる。」
付け加えさせてもらうとすれば、
相手がどうであろうと全力で準備をして、
最後まで全力を尽くすということだと私は思います。
途中で負けたと諦める、勝負をぶんなげる。
果たしてそれが次につながる姿勢でしょうか?
たとえ、いったんはそう思ったとしても、折れた心のかけらをかき集めて、瞬間接着剤でくっつけでも立ち直る。
下を向いたとしても、何回でも心をリセットして、前を向きましょう。
横にいる仲間を見て、上を向きましょう。
負けているとき、負けたときほどその姿勢が問われると思います。

それこそ、スポーツをやる意味、野球をやる意味だと思っています。

次男坊たちは、それを三年間、野球というフィールドで仲間たちと実践してきました。
何回も負けました。何回もエラーをして、失敗をしました。
それでも、最後の最後まで、あきらめず野球を楽しんだと思います。
小学校の時から見れば、心も体もだいぶたくましく見えます。
私もそうでしたが、彼らは今人生の中でかけがえのない時代を過ごしていると思います。
一生の中で、こんなにもなにかに打ち込める時間を作れたことは彼らにとってこの先「宝」となることでしょう。
その宝とは「仲間」なんだと思います。
この時代を一緒にグランドで過ごした「仲間」。
いくつになっても、そいつらの顔をみるとあの時代を思い出します。
自分たちがあんなにもつらく、楽しく、
熱く打ち込める時間を仲間とともに過ごしていたことに気づく。
そして、あぁ明日も大丈夫だ!と前向きになれる。
息子たちの中学時代の野球部としての経験は、背骨となり、追い風となり自分自身を支えてくれるはずです。

タケゾウ、よくやった。
みんなといい時間を過ごしたな!
その言葉を肩をたたきながらかけます。

長男が中学野球を終えた時、抱きしめてやればよかったと書きました。
しかし、今回次男坊の時もなんか照れくさくてできませんでした。
代わりにそこにいた、かつての美里イーグルスキャプテン2年のユウキを抱きしめる。
このチーム、3年生たちを県大会まで連れてきたのは間違いなく彼らの活躍もありました。
イーグルスOBのレント、タイセイも成長著しい。
思いを次の世代の彼らに託します。
息子は抱きしめずともわかってくれるでしょう。
でも、やはり区切りとなったタイミングでハグしてやればよかったかなぁ。
ここができないが日本人、会津人なんでしょうね。
いや、同じ保護者のイッペイちゃんはアメリカ人並にみんなとハグしてたなぁ……
まぁ、このハグは高校までとっておくことにします。


かくしてタケゾウの中学野球は幕を下ろしました。
ここまでサポートしてくださった保護者の皆様、
指導してくださった先生方、
チームメイトの選手諸君、
このチームにたずさわっていただいたすべての方々に感謝いたします。
楽しかったですね。
ありがとうございました。


次男坊たちは、須賀川の地で静かにバットを置きました。

ラストミーティング、小樽潮陵高校監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
指導者の多くがこう思っていると思います。
勝つも負けるも、ヒットもエラーも、笑顔も涙も、
無駄なことなどひとつもない。
野球は間違いなく今後の彼らを支えてくれると私は信じています。

この先の彼らがどう成長していくか、それもまた楽しみです。


また現在に戻ります。
今日の練習。
コロナで全く練習試合さえも出来なくなりました。
大会もまた延期されました。
去年よりもひどい。
そんな中でも、どうすれば子供たちのモチベーションを維持しながら、プレーも成長させていくかを考える。
幸い人数もそこそこいるので、内部で競わせるしかありません。
人数が多いというのは、やはりいい。
活気があります。
学年にかかわらず、多くのチームメイトとソフトボールの楽しさを共感できること、
まずこれが「社会的動物」である人間の本能なんじゃないでしょうか?

さて、紅白戦です。
身内なのでどうしてもだらける、緊張感がなくなります。
うまく均衡を保てるようなチーム分けがカギとなります。
6年生チーム、5年生以下の新人チームに分けてまず一戦。
単純に分けてしまうと、6年の圧勝になるのでバッテリーを入れ替えます。
そして、相手のものなり無さを補うには、やはり保護者のチカラを借りるしかありません。
フルメンバーの6年生を保護者チームにあてる。
そうすることで6年も全力を出すことができるでしょう。
コロナ禍で対外試合がまったくできない今、できることをやるしかありません。

身内の紅白戦といっても実戦形式です。
実際の試合のかたちなので、経験の浅いこどもたちが試合経験を積むことができます。
ただ、個人のスキルをあげるという意味では効率が悪い。
基礎練習をやったうえで、今日の紅白戦では、「盗塁を決めよう」とか、「バントを決めよう」とか具体的な目標を設定しようと思います。
守りは9人ですが、打つのは全員。
とりあえず、試合というのはこういうものだという「慣れ」を育てていこうと思います。
本当は、他のチームとの練習試合の中で育てていきたいんですが、このご時世ではそれもかないません。
ここは高田イーグルスの強み、人数がたくさんいて、熱心な保護者もたくさんいるという強みを活用させてもらいます。
いやー人がいるって、強みですね。
この人数は、1人では見切れません。
新人チームに対して、基礎基本の動きを率先して指導してくれる保護者。
なので、こちらから言わずとも入ったばかりの新人を引き連れて、投げ方、打ち方なので基本の個別練習をかってでてくれる保護者は本当にありがたいです。

さらに、ここにみなこコーチがスコアと打率、盗塁など3位までの成績を貼り出してくれました。対戦投手、打席数などいろんな違いはありますが、打率、ホームランなどが数字となって貼り出されるとみんながやる気になります。
試合がないならば、どうすればいいか?
みんながみんなで模索して、自分たちができることをやっています。
やはり、「高田イーグルス」はいいチームです。
目に見えて、全体の底上げになっています。
あとは、コロナ明けに実戦を通して、いい結果がでてくれることを祈るのみ。

しばらくは、この紅白戦をとおして、チーム全体のモチベーションの維持に努めます。
なぜ、野球をやるのか?
この問いに答えきれる回答は、
有史以来、誰も、神様さえも
もっていないと、
人間の私は思います。

今まで、人類が、日本人が、
何年も何回も見てきた夏の甲子園。
今年は、103回大会。
何回も何回も繰り返されているのにも関わらず、
なぜ、飽きもせず、毎年、こうも人はひきつけられるのでしょう。 
そう問いかけながらも、
野球をやってきた人、やってこなかった人の両方に、
なんとなく、わかり合えるものがあるなぁ~とお互いに感じているはずです。


負けたら即終わりのトーナメント戦。
各都道府県の代表のただひとつのチームがぶつかり合うという明確なルール。
同じコンテンツなんです。
しかし、毎回、安定のドラマ、人を惹きつける物語が必ずある。
その、感動の安定感こそ、
人々がその時その時、それぞれに求める「何か」なんでしょうね。
一生懸命に、がむしゃらに、
献身的に、刹那的に、
これみよがしに、謙虚に、
いろんなプレー、個性がぶつかり合う。
もっている背景も似たようものながら、みんな違う。
テレビ的にはなんでも美談にしそうですが、
やってる当人たちは、まったくそうは思っていないはずです。
そういう、いさぎよさ、狙ってなさこそ、人を惹きつける要因だと思います。
それが、マンネリ化しないのは、
やはり、蜻蛉(カゲロウ)のように、毎回変わる選手たちの懸命さ、

「はかなさ」

なんでしょうね。 

いくら、名門、強豪チームといえども、毎年メンバーは変わってくる。
永遠などないんです。
伝統なんていうものは、あるのかもしれませんが、虚構の一種だと思っています。
勝つという至上の目的の前には、伝統なんていうものは、そんなに意味をなさないと思います。
指導者であれば、その時のチームにとって最善の練習方法をとるでしょうし、ベストな采配を振るおうとするでしょう。
そこに一定の傾向が生まれる、それが伝統なんでしょうかね。
そのユニフォームにイメージがついてしまう。
あの高校は強い、あの県は強いというイメージ。
そのイメージを打ち破るか、イメージをさらに増強していくか?
そこも面白いところでした。

智弁和歌山の優勝。
今年の夏の高校野球が終わってしまいました。
熱闘甲子園を見るのも今日が最後になってしまいました。

朝方、戸を開けて寝ると寒くなってきました。
もう秋なんですね。

スポ少の練習もナイターに切り替わります。
あと3か月、レンたち世代にも終わりが近づいています。


高田中野球部、最後の挑戦。
福島民報杯、1位通過のみという厳しい条件の下、両沼予選、会津大会を突破し、ついに県大会まで駒を進めました。
この時点で、ほとんどの中学3年生は負ければ即引退となり、
グローブとバットを置き、問題集と鉛筆に持ち替えます。
次は受験勉強という壁に立ち向かう。
生き残っているチームは、県下16チームのみ。
それ以外の3年生はすでにみんな引退しています。
頂点まであと4つ。
勝つチームがあれば、負けるチームもある。
これが勝負の常。
ここまでくるには多くのチームを退けてきました。
コロナ禍で練習試合もままならず、実戦経験を積むことがなかなか出来ない状況でした。

その中でも1番の山は、中体連の後の練習試合でした。
今思うとあれがあったから、ここまでこれた。
私はそう思います。

高い目標を狙っていた中体連では、坂下さんに破れてのまさかの予選落ち。
一発勝負の怖さ、野球の恐ろしさを思い知らされました。
今まで積み重ねてきたもの、足下のすべてが崩れ落ちた感覚。
いったん突き放してみると、そこまでのチームだったというべきでしょう。
事実、負けたことがすべてを物語っています。
一生懸命にやったからといって勝てるような美談にはなるものではないんです。
悔しさ、不甲斐なさ、無力感、いろんな思いがふつふつと湧き上がってくる。
そして、いきつくところは、「このままでは終われない!」という感情と激情。
幸い、最後の大舞台への道、民報杯が残されています。
失地回復の機会、負けを取り戻すことができるチャンスがもう一回あってくれます。
ただ、時間が無い。
民報杯は二週間後です。技術的なことを修正しているひまはありません。
そして何より、大きな目標を逃してボコボコにやられた敗北感から立ち直れない。
「大丈夫だ、俺たちはやれる!」という自信を失いかけています。
大きな不安に首根っこを押さえられている。

どうにかしなければならない。

野球部の先生は「賭け」に出たようです。
一週間後に、練習試合を組んでくれました。
しかも、中体連の会津大会優勝チームの、舘岩荒海連合と南会津代表の田島中学とです。
どちらも実績で勝っています。 
実力も格上です。 
ここで、さらにボコボコにされれば高田中野球部のメンタルは崩壊するでしょう。
モチベーションも地獄の底まで落ちまくる。
そしてやってくる民報杯は散々な結果におわるかもしれない。
しかし反対に、自分たちよりも強い相手とやって、各自が実力を発揮して、善戦もしくは勝つことができたならば、もう一度自信を取り戻すことができるはずです。
荒療治も荒療治。劇薬の部類です。
勝つ確率は低い、と私は見ていました。
何もそんなに強いところとやらなくてもという老婆心さえ働きます。
しかし、先生はその低い確率にかけました。
8.7%
エヴァンゲリオンのヤシマ作戦なみの確率。
そして、見事に彼らはその期待に応えました。
並み居る強敵を倒しまくって中体連会津大会の覇者となったチームを相手に、練習試合とはいえ勝ってしまう。
「カチッ」とスイッチが確かに入る音。
大きな音が南会津山々のふもと、田島中学のグランドに響き渡りました。
間違いなく、選手たちにも、先生たちにも、我々保護者にも聞こえました。 
「笑えばいいと思うよ」と言う前に、みんなが笑っていました。
一週間前になすすべなく負けて、大いに自信を失いました。
この一週間は、なかなか心から笑う余裕さえなかったはずです。
しかし、ここで強い相手にも、自分たちが通用することがあらためて、世界に証明できました。
「俺たちは、ちゃんと強い!やれば、できる!」
何より自分たち自身に証明できた。 
みんなが笑顔。
笑顔は自信です。

高田中野球部のヤシマ作戦は成功しました。
薄氷の上の勝利。
先生たちの思惑どおり、ことが運んだことになります。
ここにもいろんな要素がいくつも絡んでいたと思います。
まず先生に南会津につてがあったこと。
選抜大会で、両沼と南会津が同じチームであったこと。
普通、会津大会の王者が1回戦負けのチームとは練習試合をやってくれないと思います。
コロナで会津以外にいきにくかったこともあるでしょう。
とにもかくにも、高田中野球部は田島中学校のグランドで復活したといっていい。
あそこで、みんなが確かな手応えをつかんだはずです。

それがあったこらこその会津大会優勝。
いろんなピースがきっちりとはまってからこそ、この優勝があるんだとあらためて思います。
だから、うれしい!

次男坊の兄貴たちも県大会まで進みました。
あの時は棚倉で泊まりで試合をやりました。
そして、また次男坊の時も県大会に我々を連れて行ってくれる。
いい仲間、指導者に恵まれていると思います。
チームプレーである野球の面白さをしっかりと味わっている。
勝ち負けではないといいながらも、やはり彼らが勝ち進むのはうれしいんです。


県大会という大舞台。
彼らの最後が確実に近づいています。
話を少し遡ります。

高田中野球部の話。
次男が3年生で最後の大会になります。
ただでさえコロナ禍で試合が少ない中、狙っていた主だった大会で思うように結果を残せませんでした。
そこにきて最後の福島民報杯、両沼予選を優勝して勝ち上がり、会津大会も決勝まできました。
相手は、小学校時代の盟友、コウノスケがいる会津学鳳中学。
予選で河東、若松三中など強豪チームを倒してきています。勢いに乗っている。
最後の大会にピークを持ってくるあたり、さすがだと思います。
選手たちを最後にきて仕上げてくるところ、いい指導陣に恵まれている証拠です。
若い監督さんです。試合前の練習を見ていてものびのびとした動き、どちらかというと生徒の自主性を重んじた練習風景に、その強さを垣間見ました。
事前情報からも中心選手は、エースを起点としたセンターライン。
何人か打たせてはいけない選手たちがいます。
対する高田中野球部。
いつものとおり、平常心でぶつかるしかありません。
ここまできたらどちらも強い。
いかにして自分たちのペースにもちこめるかが鍵となります。
そのために欲しいのは先制点。
まず1点をとることで、心理的に余裕が生まれ、それがプレーにも影響してきます。

詳しいことは忘れましたが、学鳳に先手を取られ追いつく展開になったと記憶しています。
打たれてはいけないバッターに打たれた。
そして、大きくはないながらも、このレベルになるとそのちょっとしたミスが敗北を呼ぶ、まずい守備。特に外野、ライトを襲う打球の多いこと。
そのライトを守るのが息子なので気が気でありません。
高田中のピッチャーは3人とも右の本格派です。球速もそこそこあります。
そして、キャッチャーは頭脳派、強打を回避する配給傾向なので、追い込むとアウトコース中心。
となると、右バッターの好打者であれば球威に逆らわない。自然、センターからライト方向の打球になる確率が高くなります。
予選からも、ライト方向の打球が多い傾向があるなと見ていました。
そのライトを守るのが次男坊です。
予選から試合の流れを変える打球が何度も彼を襲いました。
私もセンター、ライトを守っていたのでわかります。
私から見てても、あぁこれは難しいなぁという角度、正面系でしかもスピンがかかりつつ、後方の伸びていく打球。
前なのか、後ろなのか、判断が難しい打球。
処理を間違えれば、チーム全体の勝利にも影響しかねない打球。
親としては、「頼む~、頼む守ってくれー!」の一手のみ。
もう少しスタートを良くすれば、抜けなかったのかもしれません。
しかし、無慈悲にも一生懸命にプレーする彼の頭上を超えていきます。
あぁ~ぁというため息。
まるで昔の自分を見ているようです。
エラーにはなりませんが、もう少しのところで届かない。ピッチャーならば、頼む捕ってくれと思う打球。
その期待に応えられない、自分の不甲斐なさ、才能の無さを呪ったものですが、果てして次男坊はどうだったのでしょうか?
ミスった後しばらくは大きな声もでてきませんでしたが、ずっと下を向いていないあたり、自分で自分にけりをつけたようです。ふたたび、ライトからの大きな掛け声が聞こえてきました。
私も嫁さんもひとまず、ほっとしました。
なんとか立ち直ったてくれたか!
そして私の親父もおふくろも今の私と同じような心境で見ていたんだろうなぁと思いました。
チームメイト、その保護者に申し訳ないという気持ちと、息子よ、まだまだ大丈夫、負けんな、最後まで諦めんな!という気持ち。
長男も次男も才能、身体能力に恵まれたタイプでもなく、私から見ていていても努力も足りません。そこも昔の私を見ているようです。
それでも次男坊は、こうして数多くの存在する普通の野球少年のひとりとして、中学軟式野球をやってきました。
かつても私もその中のひとりだった。
ライトからスタンドにいる両親を恥ずかしそうにみる。
やらかした後に、チームメイトの励ましを受ける。
チャンスに打って高揚感を覚えたり、打てなくてガッカリする。
中学時代の多くの時間を費やしてきたからこそ、見えてくるもの。
見ている風景は、通じるものがあるでしょう。
それもこの高田中では、高田中野球部としてこのメンバーでやるのはこの大会が最後となります。

劣勢に立たされていますが、この後、チームメイトの活躍により逆転します。
彼らは高田スポ少、美里イーグルスのOBです。
3年生、2年生がそれぞれの持ち味をいかんなく発揮しています。
応援する保護者もみな、小学校時代に苦楽をともにした仲間です。
そして、会津大会の決勝に、美里イーグルス時代のキャプテンのコウノスケが最後の敵として、いる。
彼をキャプテンに指名したのは私です。
彼は実力というより、真面目な人柄と優れた統率力を見込んでキャプテンにしました。
その彼がこの場に敵として相まみえる。
それもまたうれしい。

試合前にコウノスケのお母さんと話す機会がありました。
彼女も小学生時代、キャプテンの親として、保護者会長としてチーム全体のまとめることに苦心した方です。
その話の中で、これまでのコウノスケの野球部の経緯、中学生活を聞きました。
彼もまた、いい指導者に出会い、いい仲間とともに苦しみながらも、野球を楽しんできたんだなと確信しました。お母さんもいい笑顔。
保護者もまとまっています。
こういうチームは強い。
だからこそ、負けられないと強く思いました。

途中、猛暑により相手エースが陥落した場面がありましたが、それでも彼は最後までサードを守り切りました。
彼もまた野球を続けてくれるならば、高校にいって、
もしかしたら、いいチームメイトになるでしょうし、ライバルになるかもしれません。
中学の時の敵が、味方になる。
中学の仲間が敵になる。
この先の高校野球も楽しみですが、最近は野球を選ばない子供たちも増えてきました。
最後は個人の選択に任せますが、私がソフトボールを子供たちに教える理由のひとつが、高校野球までやって欲しいという願いがあります。
年代をおうにつれて、野球もだんだん高度なプレーを求められ、練習量、質ともにレベルが上がってきます。
苦しさ、つらさ、負けてできない惨めさが楽しさを上回ってくる。
それが辞めていく原因だと私は思っています。
だから、小さいときの原点としての野球、ソフトボールの楽しさをとことん植え付けてやりたい。
苦しいからやめる。
そう脳が思わないようにしむけたい。
高校までと言わず、野球は楽しいと思って欲しい。
苦しいけど、野球は楽しい。
そういう高校球児をひとりでも多くの育てたいと私は勝手に思っています。
もちろん、野球以外に進んだ彼らたちも応援する気持ちにも代わりはありません。
究極には、かつての私がそうであったように、ソフトボール、野球の楽しさを教えていく人を継続的に育てていきたい。
この美里町から、ソフトボール、野球の火を消さずに灯し続けていくひと、ひとたち、チーム、システムを構築し続けたいと決意しています。
どこまでできるか、わかりません。
しかし、私が生きている限りはやろうと思っています。
私の後にも、同じ志を持った教え子も育ってきてくれています。
私の独りよがり、押しつけになるんでしょうが、願わくば息子たちもそのかけらのひとつでも持っていて欲しいと思っています。


すごく、脱線しました。

高田中野球部対会津学鳳中。
なんとか、高田中野球部が勝利を収めました。
学鳳中野球部、いいチームでした。
負けて目を真っ赤にして、道具を片付ける最中に、私を見つけて、「ありがとうございました!」と声をかけてきたコウノスケ。
悔しいながらも、その一言を素直に言うことができる、すがすがしく強い魂。
彼らが数々の強豪チームを破ってきたことも納得できます。
そして高田中野球部もまた、いいチームになってきました。
誰かが、ミスってもすぐに取り返す。
ひとりひとりがなすべきことを、ミスりながらも、なんとかチーム全体で成し遂げる遂行するしぶとさ。
我々が倒してきたチームの分も、頑張って野球をたのしんでやりましょう。
最後の最後にきて、こいつら、もしかしたらやるんじゃないかという期待感。
応援する保護者にも間違いなく、勇気と感動を与えてくれています。
こころが動かされる。

彼らの背景を知っているだけに、ゲーム中、一生懸命なプレーのひとつひとつに、思わず涙で前が見えなくなるときがあるほどです。
ここまで、野球をやってきてくれてありがとう。
それは、彼らを支えてきたご家族みんな、
一緒に戦ってきたチームメイト、先生、
そして会長として指導者として厳しさと熱さを植え付けてくれたノリちゃんたち、みんなにいいたいです。
俺ら保護者から見ても、やはりありがとうの言葉しか見つかりません。
スポーツとは、野球とは、ソフトボールとは、
やはり、そういうところなんです!

さて、県大会!
次男坊たちの真夏の大冒険があとひとつ。
楽しみが増えました。
送りバント。
アウトひとつを犠牲にして、ランナーを進める戦術です。
その送りバントが時として、試合の勝敗を決める手段にもなりえる。
その場面が昨日の東京オリンピック、野球。
日本対アメリカ戦にありました。


5:6
1点を追う九回。
鈴木がなんとかファーボールを選んで出塁する。
これも結構危ないコースでした。
ストライクといわれてもおかしくないコース。
鈴木もトップの構えを解除していないくらいきわどい。
おそらく彼もあぶねぇかもと思ったはずです。
しかし判定はボール。
前の打席でホームランを打っている。
そこからくる余裕があのきわどい球を見送らせたのだと私は思います。

一死一塁。
ここで浅村。
ホームランで逆転ですが、浅村選手の中には右方向の意識が見えました。ゲッツーは避けて最低でも進塁打。
そこにアウトコース。
体を開かないで引きつけて打つ。
お手本のような右打ちです。
スタートがよかった鈴木は一気に三塁へ。
これはレフトだったら三塁には進めません。
浅村がライトに打ったからこそ、この一三塁というなんでもできる形になります。

さぁここで柳田。なんでもできる選手です。
足も速いし長打も期待できる。スクイズもできる。三振はしない。打率も高いので、高確率でミートできる。
なんでもできる。
ゲッツーのみをさければ、得点という意味では最高の形ができました。

しかし、ここはアメリカもふんばりどころ。
マウンドのヤクルトのマクガクもキアイガ入ります。
絶対打たせない!vs絶対に打つ!の対決。
アメリカの思いと日本の思いが激突します。
両者全力を尽くしての勝負。

柳田なんとかあてますが、ミートはできなかった。
しかし、高いバウンドになってピッチャーのマクガクの頭上を越えた時点で、1点をもぎとったことは確信しました。
同点!
土壇場で追いつきました。
柳田、俊足を飛ばしますがファーストアウト。
ミートできなきまでも、どうすれば1点がとれるかということを意識して打席に入っている。
マクガクが投げたコース、球威によって打ち方を本能的に変える対応力は流石としかいいようがありません。この打順、柳田選手がいてくれて良かった!誰もがそう思ったはずです。
となると、やはり選手をよく見抜いてこのオーダーを組んだ稲葉監督をはじめ首脳陣のファインプレーも光るということになります。

二死、ただ、二塁に浅村がいます。

さぁ菊地です。
流れがきたところで、一気に逆転してサヨナラ勝ちを収めたいところですが、マクガクも踏んばり、菊地を三振に仕留めます。

9回裏土壇場で追いついた。
そして、この裏っていうのが表のアメリカにとってはかなりのプレッシャーになります。
サヨナラ負けの重圧。
表を抑えるということが条件になりますが両者の力が均衡すればするほど、裏攻めが有利となります。
この終盤の心理的有利はかなりのアドバンテージになります。


そして、10回からはノーアウト、一二塁からのタイブレーク。
ここからは、栗林をリリーフに送り込みます。
火消し役にふさわしく、ストレートにかなりの威力があります。アメリカを相手にぐいぐい押していく。ルーキーながらクローザーとして成功し、日本代表にまで選ばれるだけの資質をもっている。
あぁあいつは打つのが難しいわと出てくるだけで、相手にプレッシャーを与えるピッチャー。
ちょっと前の楽天の松井もそんな感じがありましたが、今は……
ノーアウト一二塁とランナーを背負っていたとしても、そんな栗林がアメリ打線をゼロに抑えます。先頭バッターを三振に切って取ったのがよかった。これで、栗林はさらにノリました。
反対にアメリカの無策っぷり。
たしかに打つという選択肢もいいでしょう。
しかし、この場合、この終盤のノーアウト一二塁という場面。
ここで最低でも1点を必ずとらなければ、先攻のアメリカは窮地に立たされます。
そこにきて、打つのみという選択肢の狭さ。
守る日本にとっても、あぁ何もやってこないんだ、ここは栗林にかけて、バックは全力で守る!と片方の選択肢に集中できてしまいます。
兵力を分散させず、もてる戦力を集中運営するという兵法の基本を日本がとることができた。
お国柄の違いなのかもしれませんが、私はここがアメリカのミステイクだと思います。
相手をこうすれば、抑えられるという思惑通りにゼロに抑えた。
この時点で、有利。
そして、ノーアウト一二塁という裏攻め。
かなりの条件がそろっています。
そして、8番に置いた村上という場面。
日本代表の稲葉監督はどう動くか?
強打の村上にかえて、代打に栗原。
ここはランナーをバントで送って、二三塁の形を作ることを選びました。
アメリカと同じ轍は踏まないという選択。
二三塁にすれば、ヒットでなくても内野ゴロでも1点をとれる。
スクイズもできる。外野フライでもいい。
ゲッツーもなりにくい。
フォースプレーではなくタッチプレイなので、ランナーの生還の確率は高くなります。
たくさんの選択肢が増える。
アメリカ得点されれば即負けというサヨナラの重圧の中、あれにも、これにも対応しなくてはいけない。
この時点で、アメリカ側の集中力を分散させることができます。
この形を作った時点で日本はかなり勝利に近づく。

しかし、この状況。
守るアメリカ以上にプレッシャーを感じるのが、バントを命じられた栗原です。
本来ならば、彼も強打の部類のバッター。
村上よりはバントが上手いだろうという首脳陣の思惑での代打だと思います。
栗原の送りバントがまさに試合を決める、アメリカと日本の命運を握る運命のバントになります。

しかし、栗原は初球であっさり決めてしまいます。当たり前のように、あっさり。
そして、ランナーは日本の思惑通り二三塁の形になる。
私がここで思うのは、またまたアメリカの無策っぷり。
バント来るかもしれないのに、ストライクから入る。ボールで様子をみるとか、もっとやりにくいコースに投げさせるとか対応策が必要だったと思います。
野球の質がこまかくない。
ここは日本がくみしやすいところでしょう。
ただ、この場面で1発で送りバントを決めた栗原。
昔のジァイアンツ川相選手のようにきちっとした構えからのバントではなく、セーフティ気味の、ファーストに動きながらのバントでした。
それが彼のバントのスタイルなんでしょうね。
よくぞ、このとんでもないプレッシャーがかかる場面で、本来期待されたスキルではない、バントのという戦法を1発で決めました。
1発で決めた。
ここがとんでもなく日本に追い風を吹かせました。
そして、ワンアウト二三塁という場面で、ラストバッターのキャッチャーの甲斐。 
ここもなんでもできる。
さすがにこの場面では、アメリカもタイムをかけて、戦術の確認をするようです。
1点取られたら負けなので、満塁策もあるでしょう。スクイズも警戒しなくてはならない。数ある選択肢に対応しなくてはいけない。
外野を2人、内野を5人にして前進守備のバックホーム体制で守りを固めたようです。
本当に固めたのか?と疑問です。
こういう思い切ったシフトはアメリカ人が好むところ、ですが彼らの顔にはまったく余裕がありません。
そして、選んだのは満塁策をとらずに甲斐と真っ向勝負!正面からパワーで押す。
いかにもアメリカらしい戦術です。
スクイズの危険性もあるので、本来ならば1球外して様子をみるところ。
日本であれば必ず、外すと思います。
それば中学生でも高校野球でもそうすると思います。
それが日本の野球。
しかし、アメリカはそれもやりません。

ボールにもしない。
この時点で万全の体制をとっていたはずです。
コースにきたら打つ!
そして、まんまとコースにきた。
それもおあつらえ向きのアウトコース低め。
インサイドアウトのスウイング。
バットが内側からくり出され、加速されるので自然と右方向の打球になります。
そして、アメリカの外野は2人で前進守備。
打った時点で抜けることがわかる打球になる。
日本の勝利は確約されました。

こういうのが日本の野球だというところが随所に見られました。
パワーだけではない、緻密さ。
チームへの献身。
それが1番に象徴されたのが、あの栗原の送りバントだったと私は思います。
あれが、日本なんです。
そして、日本のやり方でパワーのアメリカに逆転で勝つ!
こんなに気持ちいいことはありません。
お酒がうまいことうまいこと。
これをリアルに球場で見たかった……

頂点まであとふたつ。
ライバル韓国がいます。
あの人たちなんで日本戦になるとあんなに強くなるんでしょうね?
タイプの似た国同士の対決です。 
これは絶対に負けられません。

あと二試合、美酒に酔いしれたい!
がんばれサムライジャパン!
今日は同級生の告別式でした。
享年45。
彼と出会ったのは、中学校。
小柄ながら、なかなかパンチのきいたノリのいいやつでした。
奴はテニス。私は野球。
部活動はお互い違えど、一緒になってバカをやるということにかけては同じ志をもっていました。
どんな場面でも、バカになれる。
振りきれる。
世の中、スマートに、きれいに行くことがなんとなくトレンドになってきている中、
泥くさく、不器用に、だけど一生懸命に熱く生きることを選択した男でした。
社会でて、右も左もわからない中、高校の仲間同士で作った野球チーム。
その名も「ルーキーズ」。
そのチームとはライバル同士で何回も戦いました。
この会津で、仲間とともに生きていくことをとことん楽しんでいました。
東京の大学をでて、地元にもどった私は、そんな彼らをみてうらやましく思い、頼もしく思いました。
こんな奴らがいる会津はやっぱり面白い。
敵でもあるが、仲間でもある。
いっぱい一緒に飲んだし、馬鹿も何回もやりました。
愛する人をこの会津美里町に連れてきて結婚し、家族をつくる。
仲間と家族とともに心から、この会津美里町で生きることを楽しんでいました。
そんな彼にしのびよる病魔。
病気がわかってからは、見るからに不健康な表情ですが、彼の明るさは変わりませんでした。
しかし、病魔には勝てなかった。
彼はどんな思いで病魔と闘っていたのでしょう。
自分に置き換えて考える。
死期を悟りつつも、残していく家族のために、生きなくてはとがんばるでしょう。
人はいずれ死に直面します。
しかし、普段から自分が死ぬことなど、考えて生きている人などいないと思います。
明日死ぬなどど私も思いません。
死と向き合うことなど、極力避けたい。
しかし、いやがおうにも彼には死が迫っていました。
その苦労、苦悩を私は知りません。
もう、彼と一緒に酒を飲むこともできません。
その事実に直面して、愕然とする。
いつも当たり前にいる友達が、いきなりいなくなる。
この年になって、そういう方向に私自身も近づいているんだとあらためて知らされました。
人はいずれ死ぬ。
だからこそ、やりたいことをやったほうがいい。
後悔しないよう生きることをとことん楽しんだ方がいい。
そして、言わなくてもわかるべではなく、想いは言葉にして、伝えた方がいい。
今はなき彼にまたもや教わりました。

ろくでなしブルースからもらった「チャベ」というあだ名。
みんなチャベ、チャベと陽気に彼を呼んでいました。
そのチャベはもういません。
はやいぜ、チャベ!
家族を残していくのはさぞかし無念だったと思います。

大好きな広島カープのユニフォームを着た笑顔の彼の遺影を見つめます。

さらばだ、チャベ!











≪  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  ≫
HOME
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
フリーエリア
プロフィール
HN:
高田イーグルスコーチ
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]