時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
今年の最後の練習が終わりました。
振り返ってみると、こんなにももどかしい1年は初めての経験でした。
全国大会を目指して、高田さんと合併し、望んだ会津大会。
猪苗代さんに惨敗しました。
そこから、本当の高田イーグルスとしての戦いが始まったと私は思っています。
そして、いろんな経験を積んできたことはみなさんご承知のとおりです。
人間行きていれば、必ずしもいいところばかりとは限りません。
望まない結果の目しかでないときもある。
心が折れそうになります。現に折れました。
困難にくじけそうになります。現にくじけました。
自分たちがやってきたことを信じられなくなります。現に疑いました。
大事なのはそういう時です。
上手くいっているときには、追い風が吹いています。多少のミスなど振り払えるほどの勢いがある。
しかし、その反対はいつもうまくいっていることでさえもつまずき、ミスは連鎖し、運もこちらに来ない。
その人の、そのチームの真価が問われるのはこういう時です。
過ぎてしまったことは、取り返しがつきません。
いくら悔やんでも、元には戻らない。
だからこそ、それまでの準備が大事なんです。
おきたことは帳消しにはできない。
だからこそ、次はどうしたらそうならないかを考え、そのためにはどう行動していくかを探るしかてはありません。
落ち込む暇などないといいたいところですが、私はとことん落ち込んでいいと思います。
流行りの鬼滅の刃の善逸さんのように、弱さを前面にだしていい。
気の済むまで泣いて、くよくよしていいと思います。
自分にきっちり向き合うこと。
自分の弱さを受け入れる。
そして、立ちあがれ!
高田イーグルスの1年はこの連続だったと思います。
何度彼らを突き放したことか……
それでも、彼らはまたグランドに真剣に向き合うことを選びました。
望むような結果は手に入りませんでした。
それもまた今年のチームの本質なんでしょう。
大事なところで弱い。
思い出してみれば、それを象徴するようなプレーが何個も思い出されます。
それは当事者である彼らのココロの中に刺さっていて欲しい。
あの時こうしていれば、
あの時俺がこのミスをしなければ、
あの時あのコースに投げなければ、
あの時、あの時、あの時……
彼らそれぞれの中に、一生、ずっとずっと残っていていい傷だと思います。
なぜそうなったかを一生をもって問い続ける。
打開策が必ずあるはず。
次はやらないという布石となる。
無傷なんて、むしろかっこ悪い。
傷だらけでいい。
その傷は、「俺を忘れるな、この悔しい思いをわすれるな。」と言ってくれています。
不屈のココロを育ててくれます。
その傷が、やがて未来の彼らを奮い立たせてくれる、私はそう信じています。
このクリスマスイブさえも来たるべき春に向けて、走り続ける彼ら。
クリスマスイブにもかかわらず、今シーズン最後の練習に送り出してくれるご家族。
この時くらいは練習しなくていいかなと、私も思いましたがやってしまいました。
この子たちが、一生懸命に走る姿は胸を打ちます。
俺はやるぞ、私はやるよ!と彼らが言っています。
来たるべき来シーズンはどんなシーズンになることでしょうか?
しんしんと降る雪のように、彼らの自信を少しずつ積み上げていく。
暗闇から無数に表れる雪に美里イーグルスの彼らを重ね合わせて、今年最後の練習を終える事とします。
振り返ってみると、こんなにももどかしい1年は初めての経験でした。
全国大会を目指して、高田さんと合併し、望んだ会津大会。
猪苗代さんに惨敗しました。
そこから、本当の高田イーグルスとしての戦いが始まったと私は思っています。
そして、いろんな経験を積んできたことはみなさんご承知のとおりです。
人間行きていれば、必ずしもいいところばかりとは限りません。
望まない結果の目しかでないときもある。
心が折れそうになります。現に折れました。
困難にくじけそうになります。現にくじけました。
自分たちがやってきたことを信じられなくなります。現に疑いました。
大事なのはそういう時です。
上手くいっているときには、追い風が吹いています。多少のミスなど振り払えるほどの勢いがある。
しかし、その反対はいつもうまくいっていることでさえもつまずき、ミスは連鎖し、運もこちらに来ない。
その人の、そのチームの真価が問われるのはこういう時です。
過ぎてしまったことは、取り返しがつきません。
いくら悔やんでも、元には戻らない。
だからこそ、それまでの準備が大事なんです。
おきたことは帳消しにはできない。
だからこそ、次はどうしたらそうならないかを考え、そのためにはどう行動していくかを探るしかてはありません。
落ち込む暇などないといいたいところですが、私はとことん落ち込んでいいと思います。
流行りの鬼滅の刃の善逸さんのように、弱さを前面にだしていい。
気の済むまで泣いて、くよくよしていいと思います。
自分にきっちり向き合うこと。
自分の弱さを受け入れる。
そして、立ちあがれ!
高田イーグルスの1年はこの連続だったと思います。
何度彼らを突き放したことか……
それでも、彼らはまたグランドに真剣に向き合うことを選びました。
望むような結果は手に入りませんでした。
それもまた今年のチームの本質なんでしょう。
大事なところで弱い。
思い出してみれば、それを象徴するようなプレーが何個も思い出されます。
それは当事者である彼らのココロの中に刺さっていて欲しい。
あの時こうしていれば、
あの時俺がこのミスをしなければ、
あの時あのコースに投げなければ、
あの時、あの時、あの時……
彼らそれぞれの中に、一生、ずっとずっと残っていていい傷だと思います。
なぜそうなったかを一生をもって問い続ける。
打開策が必ずあるはず。
次はやらないという布石となる。
無傷なんて、むしろかっこ悪い。
傷だらけでいい。
その傷は、「俺を忘れるな、この悔しい思いをわすれるな。」と言ってくれています。
不屈のココロを育ててくれます。
その傷が、やがて未来の彼らを奮い立たせてくれる、私はそう信じています。
このクリスマスイブさえも来たるべき春に向けて、走り続ける彼ら。
クリスマスイブにもかかわらず、今シーズン最後の練習に送り出してくれるご家族。
この時くらいは練習しなくていいかなと、私も思いましたがやってしまいました。
この子たちが、一生懸命に走る姿は胸を打ちます。
俺はやるぞ、私はやるよ!と彼らが言っています。
来たるべき来シーズンはどんなシーズンになることでしょうか?
しんしんと降る雪のように、彼らの自信を少しずつ積み上げていく。
暗闇から無数に表れる雪に美里イーグルスの彼らを重ね合わせて、今年最後の練習を終える事とします。
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もうひとつティーボールの話題です。
室内ティーボールは、外でやるソフトボールよりも選手との距離が近くなります。
その分、いろんなことを、より分析しやすくなります。
今回、私は各チームの残存兵力を集めての連合チームを監督として率いました。
高田イーグルスからも数名送り出せるはずですが、諸事情でゼロ。
何とかしてチームを組めるかなぁと思っていましたが、本郷さんから二名と柳津さんから三名で、総勢五名。
はぁて、あと5人足りないぞ。
んー、そや、大人をいれて守備だけにして、5人に2回打たせれば回せると判断。
お父さんたちも快く協力してくれました。
これで、5人の選手をフル活用できる。
我ながらいい判断でした。
控えに回ることなく、打ちも打ったり、守りも守ったり!
全員がフル出場できる環境が整いました。
その中で、将来の各チームのエース、スラッガー候補をつぶさにみる。
どのチームもまだまだあらけずりですが、個性豊かな面々がラインナップされています。
私がその中でも特に感心したのは、柳津さんの1年生3人。
華麗にゴロを裁き、アウトの山を築きます。
小さいながらうまい。
あー3年生くらいかなと思って、学年を聞くと、「1年生です!」との回答。
えー、まじでー、ほんとー。
ビビりました。
上手い。こいつら上手い。
ゴロに入るタイミング、固くない捕球体勢、からのスムーズな送球姿勢。
いろんなしぐさにセンスを感じます。
これで本当に1年生かい?
世の中にはまだまだ驚かせてくれることがたくさんあります。
あーこの子たちはまだまだ上手くなるなあと近い将来を想像してみる。
私はファンになってしまい、勝手に「柳津スリースターズ」と命名してしまいました。
ボールを打つこと、ゴロをさばくこと、
ソフトボールをやること、
試合にでることが楽しくて仕方がない。
嬉々としている。
彼らのプレーがそう言っています。
こういう子たちのプレーは面白くて仕方がない。
相手チームながら、この子たちの成長が見たくなってしまいます。
そんな子たちが他にもいました。
エイタ、ユメカ、シンジ、カズキ、リク……
自分のチームそっちのけで、「カズキ!ナイスプレー!」と声をかけてしまいます。
次世代の各スポ少を担うであろうヒナたちの躍動。
そういう子たちにたくさん出会えるチャンスがこのティーボール大会にありました。
こういう気持ちはおそらく、美里連盟の多くの指導者の中にあると思います。
敵は敵としておきながらも、相手へのリスペクト。選手たちへのリスペクトがある。
この子たちが大きく成長してくれることを願ってやみません。
そこには、敵味方など関係なく、みんなでソフトボールをやる子どもたちを見守る。
こういう姿勢が美里連盟のスポ少にはあります。
いい雰囲気と環境がある。
そこは胸を張って言えるところです。
今は確かにコロナ禍。
いろんな制限があります。
その制限が有りながらも、やれることをやっていきましょう。
この大会でホームラン競争をやりました。
各チーム、1名のスラッガーが3本勝負でホームランの数を競い合う。
大方の予想は六年のユキノブあたりかと思っていましたが、力みすぎて、狙いすぎて記録は1本。
優勝したのは、ホームラン2本、弱冠3年生の高田イーグルスのトウマでした。
彼もまだまだ荒削り。
ただトウマの中にはホームランを狙うというよりは、より遠くにボールをかっ飛ばす!
記録や勝ち負けにこだわらない姿勢が、彼をして優勝に導いたと私は思います。
まさに「純粋スラッガー」。
ケンタとは毛色が少し違います。
彼も楽しみな逸材。
トウマが高田イーグルスで良かったと思ったのは私だけではないでしょう。
近い将来、新鶴のエイタとスラッガー争いをすることになります。
トウマ以外にも、高田イーグルスの4年生以下の成長が目まぐるしいと思いました。
人にああしろ、こうしろと言われるよりも、自分で楽しさを追求する姿勢。
これからもその芽を伸ばすティーボールも続けていきたいと思います。
室内ティーボールは、外でやるソフトボールよりも選手との距離が近くなります。
その分、いろんなことを、より分析しやすくなります。
今回、私は各チームの残存兵力を集めての連合チームを監督として率いました。
高田イーグルスからも数名送り出せるはずですが、諸事情でゼロ。
何とかしてチームを組めるかなぁと思っていましたが、本郷さんから二名と柳津さんから三名で、総勢五名。
はぁて、あと5人足りないぞ。
んー、そや、大人をいれて守備だけにして、5人に2回打たせれば回せると判断。
お父さんたちも快く協力してくれました。
これで、5人の選手をフル活用できる。
我ながらいい判断でした。
控えに回ることなく、打ちも打ったり、守りも守ったり!
全員がフル出場できる環境が整いました。
その中で、将来の各チームのエース、スラッガー候補をつぶさにみる。
どのチームもまだまだあらけずりですが、個性豊かな面々がラインナップされています。
私がその中でも特に感心したのは、柳津さんの1年生3人。
華麗にゴロを裁き、アウトの山を築きます。
小さいながらうまい。
あー3年生くらいかなと思って、学年を聞くと、「1年生です!」との回答。
えー、まじでー、ほんとー。
ビビりました。
上手い。こいつら上手い。
ゴロに入るタイミング、固くない捕球体勢、からのスムーズな送球姿勢。
いろんなしぐさにセンスを感じます。
これで本当に1年生かい?
世の中にはまだまだ驚かせてくれることがたくさんあります。
あーこの子たちはまだまだ上手くなるなあと近い将来を想像してみる。
私はファンになってしまい、勝手に「柳津スリースターズ」と命名してしまいました。
ボールを打つこと、ゴロをさばくこと、
ソフトボールをやること、
試合にでることが楽しくて仕方がない。
嬉々としている。
彼らのプレーがそう言っています。
こういう子たちのプレーは面白くて仕方がない。
相手チームながら、この子たちの成長が見たくなってしまいます。
そんな子たちが他にもいました。
エイタ、ユメカ、シンジ、カズキ、リク……
自分のチームそっちのけで、「カズキ!ナイスプレー!」と声をかけてしまいます。
次世代の各スポ少を担うであろうヒナたちの躍動。
そういう子たちにたくさん出会えるチャンスがこのティーボール大会にありました。
こういう気持ちはおそらく、美里連盟の多くの指導者の中にあると思います。
敵は敵としておきながらも、相手へのリスペクト。選手たちへのリスペクトがある。
この子たちが大きく成長してくれることを願ってやみません。
そこには、敵味方など関係なく、みんなでソフトボールをやる子どもたちを見守る。
こういう姿勢が美里連盟のスポ少にはあります。
いい雰囲気と環境がある。
そこは胸を張って言えるところです。
今は確かにコロナ禍。
いろんな制限があります。
その制限が有りながらも、やれることをやっていきましょう。
この大会でホームラン競争をやりました。
各チーム、1名のスラッガーが3本勝負でホームランの数を競い合う。
大方の予想は六年のユキノブあたりかと思っていましたが、力みすぎて、狙いすぎて記録は1本。
優勝したのは、ホームラン2本、弱冠3年生の高田イーグルスのトウマでした。
彼もまだまだ荒削り。
ただトウマの中にはホームランを狙うというよりは、より遠くにボールをかっ飛ばす!
記録や勝ち負けにこだわらない姿勢が、彼をして優勝に導いたと私は思います。
まさに「純粋スラッガー」。
ケンタとは毛色が少し違います。
彼も楽しみな逸材。
トウマが高田イーグルスで良かったと思ったのは私だけではないでしょう。
近い将来、新鶴のエイタとスラッガー争いをすることになります。
トウマ以外にも、高田イーグルスの4年生以下の成長が目まぐるしいと思いました。
人にああしろ、こうしろと言われるよりも、自分で楽しさを追求する姿勢。
これからもその芽を伸ばすティーボールも続けていきたいと思います。
さて本格的な冬となりました。
室内練習しかできない、会津のデメリットを何とかしてメリットにできないかと考えたうえ、ひとつの案としてティーボールに行きつきました。
室内でもチームとして野球系のスポーツができる。
走ったり、筋トレ、体幹トレーニングなどの練習も大事なのはわかっていますが、やはりバットを思い切り振って、ボールをかっ飛ばすことにはかないません。
ティーボールは少し物足りないながらも、打撃に特化したチームスポーツ。
突き詰めていけば、これも春先グランドに立ったときに役に立ってくれるはずです。
さて、コロナ対策をとりながらの室内大会。
私の考えとして、選手全員を選手として打たせて守らせるたいという野望がありました。
よって、各スポ少、余りの選手……
言い方が悪いのですが、残存兵力を集めて連合チームを作りました。
そしてひとりふたりくらい少なくても、誰かがに2回打つなど代替策を講じる。
ベンチを温めることなく、全員をレギュラーとして登録する。
ここに狙いがありました。
ベンチの役割、下積みも大事ですが、やはり試合に出て、できなくても、ミスっても、失敗してもいいから思い切りやる。
わけなどわかんなくていいんです。
バット1本とボール1個。
みんなと一緒にフィールドに立つ。
「あっ!俺、なんか野球やってんな。」という感覚。
俺らが昔やった原っぱ野球。
六年もいれば、一年もいる、人数もひとりふたりあわない。
平等な条件などは、話し合いやじゃんけん、ガキ大将の力尽くで解決する。
あのカタチでいいんです。
本当はこういう、スポーツ競技ではなく、遊びでいいんじゃないなと思うときがあります。
上手い下手という技術とか勝ち負けとか、うんぬんではなく、ただ純粋にみんなで楽しむということ。
それも野球の側面のひとつではないのかと。
ただ今の時代、そういう環境がない。
プラスチックのカラーバットを自転車のサドルの後ろに突っ込み、タイヤのスポークの間にはお気に入りの色のカラーボール。
そして、いつもの場所にいけば待ち合わせの約束などなくても誰かがいて、野球ができる。
ドラえもんの空き地の野球。
しかし、今はああいう環境がないし、もはや子供たちだけであのコミュニティは作れないでしょう。
ないなら、大人が作ればいいんです。
そしてそこから派生して、子供たちが自分たちでやろうというきっかけを作ってやる。
スポ少はスポ少としてそれでいい。
しかし競技ではなく、楽しみ、趣味としての野球が今の子供たちの中にあってもいいんじゃないかと最近強く思います。
ティーボールはその方法になり得る。
この前の子供たち嬉々としてフルスイングをして、フィールドを駆け抜ける笑顔をみて実感しました。
ひとつ、ひらめきました。
今度は、全員をシャッフルして、チーム関係なく、新たなチームを作って戦うのも新鮮味があっておもしろいんじゃないでしょうか?
あっ、これは面白そうです。
主旨に賛同していただけるチームを呼んでやりたいと思います。
ただ、どのチームも均衡していなくては面白くない。チーム分けがカギを握りますね。
競技としてのソフトボール。
純粋な楽しみとしてのティーボール。
私は欲張りなので、どちらも追求していこうと思います。
室内練習しかできない、会津のデメリットを何とかしてメリットにできないかと考えたうえ、ひとつの案としてティーボールに行きつきました。
室内でもチームとして野球系のスポーツができる。
走ったり、筋トレ、体幹トレーニングなどの練習も大事なのはわかっていますが、やはりバットを思い切り振って、ボールをかっ飛ばすことにはかないません。
ティーボールは少し物足りないながらも、打撃に特化したチームスポーツ。
突き詰めていけば、これも春先グランドに立ったときに役に立ってくれるはずです。
さて、コロナ対策をとりながらの室内大会。
私の考えとして、選手全員を選手として打たせて守らせるたいという野望がありました。
よって、各スポ少、余りの選手……
言い方が悪いのですが、残存兵力を集めて連合チームを作りました。
そしてひとりふたりくらい少なくても、誰かがに2回打つなど代替策を講じる。
ベンチを温めることなく、全員をレギュラーとして登録する。
ここに狙いがありました。
ベンチの役割、下積みも大事ですが、やはり試合に出て、できなくても、ミスっても、失敗してもいいから思い切りやる。
わけなどわかんなくていいんです。
バット1本とボール1個。
みんなと一緒にフィールドに立つ。
「あっ!俺、なんか野球やってんな。」という感覚。
俺らが昔やった原っぱ野球。
六年もいれば、一年もいる、人数もひとりふたりあわない。
平等な条件などは、話し合いやじゃんけん、ガキ大将の力尽くで解決する。
あのカタチでいいんです。
本当はこういう、スポーツ競技ではなく、遊びでいいんじゃないなと思うときがあります。
上手い下手という技術とか勝ち負けとか、うんぬんではなく、ただ純粋にみんなで楽しむということ。
それも野球の側面のひとつではないのかと。
ただ今の時代、そういう環境がない。
プラスチックのカラーバットを自転車のサドルの後ろに突っ込み、タイヤのスポークの間にはお気に入りの色のカラーボール。
そして、いつもの場所にいけば待ち合わせの約束などなくても誰かがいて、野球ができる。
ドラえもんの空き地の野球。
しかし、今はああいう環境がないし、もはや子供たちだけであのコミュニティは作れないでしょう。
ないなら、大人が作ればいいんです。
そしてそこから派生して、子供たちが自分たちでやろうというきっかけを作ってやる。
スポ少はスポ少としてそれでいい。
しかし競技ではなく、楽しみ、趣味としての野球が今の子供たちの中にあってもいいんじゃないかと最近強く思います。
ティーボールはその方法になり得る。
この前の子供たち嬉々としてフルスイングをして、フィールドを駆け抜ける笑顔をみて実感しました。
ひとつ、ひらめきました。
今度は、全員をシャッフルして、チーム関係なく、新たなチームを作って戦うのも新鮮味があっておもしろいんじゃないでしょうか?
あっ、これは面白そうです。
主旨に賛同していただけるチームを呼んでやりたいと思います。
ただ、どのチームも均衡していなくては面白くない。チーム分けがカギを握りますね。
競技としてのソフトボール。
純粋な楽しみとしてのティーボール。
私は欲張りなので、どちらも追求していこうと思います。
会津選抜チームの分散会が行われました。
今年も練習を視察していただいた国分前監督を来賓にお迎えし、佐藤監督のあいさつから始まり、選手ひとりひとりからスピーチをもらい、我々コーチ陣も思いを語らせていただきました。
ひと言で言えば、さみしい。
このチームでもうできないことが、たまらなくさみしいです。
この分散会を迎えると言うことは、本当にもうできないんだということを実感します。
今年もいいチームでした。
選手もそうですが、保護者のみなさんの惜しみない協力があってこその、この連帯感でした。
ほんとにいいチーム。
そんな皆さんの想いが、この分散会の雰囲気に現れていたと思います。
そのみんなの思いを汲んで、佐藤監督が編集したスライドショーをみる。
泣かない保護者、指導者はいないでしょう。
保護者の方々が撮影した写真16000枚の中から厳選した一コマが熱い音楽とともに流れる。
佐藤監督は来る日も来る日も編集のために、選手たちの顔を見続けて、彼らの父親になった気分だと言っていました。
その編集作業の大変さ、佐藤監督には感謝しかありません。毎年、ありがとうございます。
選抜の期間、2カ月を切り取った写真。
それをスライドショーで振り返る。
プレーや表情、1枚1枚の写真が選手たちの、そのお父さんお母さんの思いに溢れています。
これを「愛」とよぶのでしょうね。「チーム愛」。
必ず佐藤監督が入れるスーパーフライの曲がまた合うんです。
カイのお父さんが言ってました。
最初はそれぞれのスポ少が集まった寄せ集めのチーム。上手くいくか不安だったけれど、終わってみれば、子ども達だけではなく自分も号泣していると。
保護者のみなさんのココロを代弁していたと思います。
今年はコロナのために始動も遅く、いつもより対外的な試合もできませんでした。
その中で、数少ない練習機会の中で少しずつ「チーム」として、熟成されてきました。
レギュラーとなり主戦として試合にでる選手もそうですが、控えに回った選手たちも自分の役割を探して、チームに貢献する姿勢を見せてくれました。
最後の試合が終わったとき、1番号泣していたのはテッセイだと思います。
試合に出たい、打ちたいとずっと懇願していました。それは他の控えメンバーも同じだと思います。
俺も試合に出たい!その思いに整理をつけて、応援に周り、サポートすることに全力を尽くした。
たいしたもんです。
これができるんですから。
たがらこそ、最後の試合が終わったときに、実際に試合に出ていた選手以上に悔しさがこみ上げてきたんだと思います。
俺のソフトが終わった。
俺たちのソフトボールが終わった。
嗚咽に近い涙。
彼らの純な涙を真っ向から受けとめてしまいました。
よける術はありません。
私ももらってしまいました。
テッセイの、テッセイたちの悔しさが痛いほどわかる。
でも、今は泣いていい。
気の済むまで泣いていい。
泣きたいだけ泣いたらいい。
そして、また前を向け!上を向け!
そう心の中で彼らにはエールを送りました。
控えのメンバーも、グランドにいる選手以上に戦う気持ちがあった。
私はそれがうれしいし、誇らしい。
そんなメンバーともお別れの時間が来てしまいます。
出会いこそ財産。
この素晴らしいメンバーとの出会いを大切にして欲しいと思います。
出会いは次の出会いにつながります。
保護者のみなさんにいただいた、メンバー全員の名前が入ったカップで毎夜晩酌をしながら、大きく成長した彼らにまた会う日を楽しみに待ちましょう!
ご協力いただきました保護者のみなさま、ありがとうございました!
今年も練習を視察していただいた国分前監督を来賓にお迎えし、佐藤監督のあいさつから始まり、選手ひとりひとりからスピーチをもらい、我々コーチ陣も思いを語らせていただきました。
ひと言で言えば、さみしい。
このチームでもうできないことが、たまらなくさみしいです。
この分散会を迎えると言うことは、本当にもうできないんだということを実感します。
今年もいいチームでした。
選手もそうですが、保護者のみなさんの惜しみない協力があってこその、この連帯感でした。
ほんとにいいチーム。
そんな皆さんの想いが、この分散会の雰囲気に現れていたと思います。
そのみんなの思いを汲んで、佐藤監督が編集したスライドショーをみる。
泣かない保護者、指導者はいないでしょう。
保護者の方々が撮影した写真16000枚の中から厳選した一コマが熱い音楽とともに流れる。
佐藤監督は来る日も来る日も編集のために、選手たちの顔を見続けて、彼らの父親になった気分だと言っていました。
その編集作業の大変さ、佐藤監督には感謝しかありません。毎年、ありがとうございます。
選抜の期間、2カ月を切り取った写真。
それをスライドショーで振り返る。
プレーや表情、1枚1枚の写真が選手たちの、そのお父さんお母さんの思いに溢れています。
これを「愛」とよぶのでしょうね。「チーム愛」。
必ず佐藤監督が入れるスーパーフライの曲がまた合うんです。
カイのお父さんが言ってました。
最初はそれぞれのスポ少が集まった寄せ集めのチーム。上手くいくか不安だったけれど、終わってみれば、子ども達だけではなく自分も号泣していると。
保護者のみなさんのココロを代弁していたと思います。
今年はコロナのために始動も遅く、いつもより対外的な試合もできませんでした。
その中で、数少ない練習機会の中で少しずつ「チーム」として、熟成されてきました。
レギュラーとなり主戦として試合にでる選手もそうですが、控えに回った選手たちも自分の役割を探して、チームに貢献する姿勢を見せてくれました。
最後の試合が終わったとき、1番号泣していたのはテッセイだと思います。
試合に出たい、打ちたいとずっと懇願していました。それは他の控えメンバーも同じだと思います。
俺も試合に出たい!その思いに整理をつけて、応援に周り、サポートすることに全力を尽くした。
たいしたもんです。
これができるんですから。
たがらこそ、最後の試合が終わったときに、実際に試合に出ていた選手以上に悔しさがこみ上げてきたんだと思います。
俺のソフトが終わった。
俺たちのソフトボールが終わった。
嗚咽に近い涙。
彼らの純な涙を真っ向から受けとめてしまいました。
よける術はありません。
私ももらってしまいました。
テッセイの、テッセイたちの悔しさが痛いほどわかる。
でも、今は泣いていい。
気の済むまで泣いていい。
泣きたいだけ泣いたらいい。
そして、また前を向け!上を向け!
そう心の中で彼らにはエールを送りました。
控えのメンバーも、グランドにいる選手以上に戦う気持ちがあった。
私はそれがうれしいし、誇らしい。
そんなメンバーともお別れの時間が来てしまいます。
出会いこそ財産。
この素晴らしいメンバーとの出会いを大切にして欲しいと思います。
出会いは次の出会いにつながります。
保護者のみなさんにいただいた、メンバー全員の名前が入ったカップで毎夜晩酌をしながら、大きく成長した彼らにまた会う日を楽しみに待ちましょう!
ご協力いただきました保護者のみなさま、ありがとうございました!
今日のNHK、逆転人生を見ていました。
現実は小説よりも奇なり。
こういうノンフィクション、大好きです。
今日は、2015.9.19ラグビーワールドカップ。
南アフリカを倒した、イギリス、ブライトンの奇跡。
その舞台裏にスポットを当てます。
当時のラグビー日本代表は、20年以上も勝利から見放され、世界の中でも弱小として認識されていました。
その日本代表をメンタル面から支えるべく、当時若干30代の女性をスポーツメンタルコーチとして迎えます。
アメリカで最先端のスポーツメンタルを学びながらも日本で活かせない不遇。
2019に日本でラグビーワールドカップの開催国となりながらも、世界で勝てない日本代表とタッグを組んで逆転を目指す筋書きでした。
当時の日本代表をどこがマイナスで、どこがプラスかをメンタル面から分析します。
当時も今もそうですが、日本のスポーツにあるあるの問題を別な角度から切り取ります。
ミスをあげつらい、ミスばかりを指摘する。
誉めても誉められたことを流す。
言いたいことを呑み込んでしまう日本人特有の集団的性格などなどを列挙します。
こういう日本スポーツの常識、細かいマイナスの連鎖により、日本代表選手たちに「自信」が蓄積されていかないことに彼女は気づきました。
それを改善すべく、エディジョーンズヘッドコーチにズケズケものを言う。
小さいことなんです。
何気ないことでボールを落としてしまった選手を責める。
その時間をなくして、次はどうすればいいかを考えて行動する。
そして、どんな小さく些細なことでもいいことはチームの中で誉め合う。
お互いに小さないいことを、大きな声で誉めて認め合う。
そうすることで、ひとりひとり少しずつ自信がついてきます。
そうなるとここはこうした方がいい、あそこはこういくべきだったなど選手間のコミュニケーションが密に取れるようになってきました。
そうなることで、ラグビーは、特にチームプレーにとってはプラスにしか働かないでしょう。
闊達な意見が飛び交い、常に前を向く集団になってきます。
私がぐっときたのはここです。
自信こそが自分を強くする糧。
その自信は人に誉められることで培われる。
これこそがスポーツをやる意味、スポ少をやる意義なんだと思いました。
自信をもった心は強い。
体を動かすのは心。
強い心は強いフィジカルを育てます。
小さな事をちまちま責めるよりは、いいところを誉めて誉めて誉めまくった方がいい。
その方がお互いの魂にとってプラスとなるんでしょうね。
誉めるということは、相手を認めること。
相手を認めることはコミュニケーション=意思疎通そのものと言えます。
チームメイトの考えること、首脳陣の考えること、すなわち戦術を手に取るように理解し、即座に行動に移す。
そこに世界でも後発でフィジカルに劣る日本人がとるべきヒントがあります。
「個」を「衆」で圧倒する。
ここでいう衆とは、瞬時に意思疎通し、来たるべく戦術を理解し、即座に行動する集団を指します。
まさに、2015のブライトンの日本代表はそういう集団だったと思います。
だから、ラスト5分で29:32で負けているとき、3点のペナルティキックで同点にすることを選択せず、あくまでトライの5点を取りに行ったんだと思います。
結果はご承知の通り。
誰がどう見ても少ない可能性。
たいていの場合は引き分けでいいと思うはずです。
この選択にコーチ席にいたエディジョーンズもリーチマイケルらグランドにいた選手たちの選択にいったんは激怒したそうです。
そりゃそうです。
キックならばかなりの確率で同点にできた。
しかしその選択しなかった。
歴史を作るのは誰だ?
彼らは常に、自分たちに問い続けてきました。
弱小弱小と言われ続けてきた弱い自分たちを打破する機会を狙っていた。
いつも壁をぶち破る準備をしてきました。
そして、そのチャンスが目の前にある。
今日のこの番組の主人公の荒木コーチが言っていました。
あれは奇跡なんかではない、必然だったと。
そう思えるメンタルの強さ。たいしたもんです。
逆境の中でこそ、ひとつのミスも許されないギリギリの状況にあってこそ、その人の、そのチームの真価が問われる。
そして彼らにはその覚悟があった。
だからこそ全員が勝利を必然として疑わなかった。強い気持ち。まさにブレイブハート。
それは間違いなく荒木コーチから出たものだと思いました。
ブライトンの奇跡といわれる、日本ラグビー史に燦然と輝く金字塔。
荒木コーチは言いました。
あれ以上の景色はもう見ることはないと。
しかし私はそうは思いません。
人は欲張りです。
いったん経験したもの以上の刺激を欲して止まないでしょう。
過去は過去として彼女は、あの時みた景色を糧としながら、後輩の選手たちと再びそういう景色を見ることに今も全力を尽くしていると私は思います。
お互いに小さなこともチームで誉め合う。
認め合うことに繫がり、小さな自信が積み重なっていく。自信はこころを強くします。
人を動かすのはこころ。
こころも強くあれ!高田イーグルス!
現実は小説よりも奇なり。
こういうノンフィクション、大好きです。
今日は、2015.9.19ラグビーワールドカップ。
南アフリカを倒した、イギリス、ブライトンの奇跡。
その舞台裏にスポットを当てます。
当時のラグビー日本代表は、20年以上も勝利から見放され、世界の中でも弱小として認識されていました。
その日本代表をメンタル面から支えるべく、当時若干30代の女性をスポーツメンタルコーチとして迎えます。
アメリカで最先端のスポーツメンタルを学びながらも日本で活かせない不遇。
2019に日本でラグビーワールドカップの開催国となりながらも、世界で勝てない日本代表とタッグを組んで逆転を目指す筋書きでした。
当時の日本代表をどこがマイナスで、どこがプラスかをメンタル面から分析します。
当時も今もそうですが、日本のスポーツにあるあるの問題を別な角度から切り取ります。
ミスをあげつらい、ミスばかりを指摘する。
誉めても誉められたことを流す。
言いたいことを呑み込んでしまう日本人特有の集団的性格などなどを列挙します。
こういう日本スポーツの常識、細かいマイナスの連鎖により、日本代表選手たちに「自信」が蓄積されていかないことに彼女は気づきました。
それを改善すべく、エディジョーンズヘッドコーチにズケズケものを言う。
小さいことなんです。
何気ないことでボールを落としてしまった選手を責める。
その時間をなくして、次はどうすればいいかを考えて行動する。
そして、どんな小さく些細なことでもいいことはチームの中で誉め合う。
お互いに小さないいことを、大きな声で誉めて認め合う。
そうすることで、ひとりひとり少しずつ自信がついてきます。
そうなるとここはこうした方がいい、あそこはこういくべきだったなど選手間のコミュニケーションが密に取れるようになってきました。
そうなることで、ラグビーは、特にチームプレーにとってはプラスにしか働かないでしょう。
闊達な意見が飛び交い、常に前を向く集団になってきます。
私がぐっときたのはここです。
自信こそが自分を強くする糧。
その自信は人に誉められることで培われる。
これこそがスポーツをやる意味、スポ少をやる意義なんだと思いました。
自信をもった心は強い。
体を動かすのは心。
強い心は強いフィジカルを育てます。
小さな事をちまちま責めるよりは、いいところを誉めて誉めて誉めまくった方がいい。
その方がお互いの魂にとってプラスとなるんでしょうね。
誉めるということは、相手を認めること。
相手を認めることはコミュニケーション=意思疎通そのものと言えます。
チームメイトの考えること、首脳陣の考えること、すなわち戦術を手に取るように理解し、即座に行動に移す。
そこに世界でも後発でフィジカルに劣る日本人がとるべきヒントがあります。
「個」を「衆」で圧倒する。
ここでいう衆とは、瞬時に意思疎通し、来たるべく戦術を理解し、即座に行動する集団を指します。
まさに、2015のブライトンの日本代表はそういう集団だったと思います。
だから、ラスト5分で29:32で負けているとき、3点のペナルティキックで同点にすることを選択せず、あくまでトライの5点を取りに行ったんだと思います。
結果はご承知の通り。
誰がどう見ても少ない可能性。
たいていの場合は引き分けでいいと思うはずです。
この選択にコーチ席にいたエディジョーンズもリーチマイケルらグランドにいた選手たちの選択にいったんは激怒したそうです。
そりゃそうです。
キックならばかなりの確率で同点にできた。
しかしその選択しなかった。
歴史を作るのは誰だ?
彼らは常に、自分たちに問い続けてきました。
弱小弱小と言われ続けてきた弱い自分たちを打破する機会を狙っていた。
いつも壁をぶち破る準備をしてきました。
そして、そのチャンスが目の前にある。
今日のこの番組の主人公の荒木コーチが言っていました。
あれは奇跡なんかではない、必然だったと。
そう思えるメンタルの強さ。たいしたもんです。
逆境の中でこそ、ひとつのミスも許されないギリギリの状況にあってこそ、その人の、そのチームの真価が問われる。
そして彼らにはその覚悟があった。
だからこそ全員が勝利を必然として疑わなかった。強い気持ち。まさにブレイブハート。
それは間違いなく荒木コーチから出たものだと思いました。
ブライトンの奇跡といわれる、日本ラグビー史に燦然と輝く金字塔。
荒木コーチは言いました。
あれ以上の景色はもう見ることはないと。
しかし私はそうは思いません。
人は欲張りです。
いったん経験したもの以上の刺激を欲して止まないでしょう。
過去は過去として彼女は、あの時みた景色を糧としながら、後輩の選手たちと再びそういう景色を見ることに今も全力を尽くしていると私は思います。
お互いに小さなこともチームで誉め合う。
認め合うことに繫がり、小さな自信が積み重なっていく。自信はこころを強くします。
人を動かすのはこころ。
こころも強くあれ!高田イーグルス!
長年ソフトボールのピッチャーとして第一線で活躍されたピッチャーの方と話す機会がありました。
その中での一言。
「一番嫌なバッターは、スラッガーでも、好打者でもなく、「見る」バッターです。」
ここでいう見るとは、選球眼のことです。
ボールを見極める目をもったバッター。
それを聞いて私は、ピンときてケンタを思い出しました。
確固たる自分のストライクゾーンをもったバッター。
わずかボール一個、いや半個のずれを彼は見極めます。
どんなにスピードが速い剛速球ピッチャーであっても、自分がボールだと思った球には決して手を出さない。
私は、一種彼なりの「間」があるのだと思っています。
それは私が主審を務めている時によくわかります。
ギリギリのところを攻めてくるピッチャー。
アウトコースのぎりぎりのボールから入って、だんだんと少しずつ内側に勝負してくる。
ストライクゾーンに入るとみるや、ケンタは反応します。
ヒットとしてとらえられないボールはカット気味に、とらえられるボールはミートしにいく。
一瞬の判断は、すでに小学生離れしているといっていい。
みんなはパワーに目が行きがちですが、ケンタの打力の安定性は、この見極め、選球眼にあるといっていい。
これはよく働く場面もありますが、悪く働く場合もあります。
審判も人間なので完全とはいえません。
ゾーンがあやふやで、前回ボールといったコースがストラクトなる場面も多々ある。
ケンタは自分のストライクゾーンを確立してはいますが、審判によってそれをずらすところまではいっていません。
よって、審判の癖、傾向にアジャストするところまではいっていない。
外角を広くとる審判に対しても、自信をもって見送ったボールが、ストライクになる、そんな場面を幾度となく見てきました。
いったん自分がその判定をやられるまでは対応できない。
そこが自分のストライクゾーンを確立しているケンタの弱さでもある。
ただ、高いレベルの審判と当たった場合、外角数ミリの違いを見極める審判に会った場合には無類の強さを発揮します。
その数ミリのコースに出し入れして勝負してくる相手エースにとってはやっかいな存在になるでしょう。
ケンタにはそれが見えているのですから。
だから奴は、どんな時でも自信をもって見逃します。
これは俺の求めている球ではない。
さぁ次はどんな球でくるんだい?俺には見えている!
彼の選球眼はそう言っています。
ピッチャーとバッターの無言の会話。
聖闘士星矢、乙女座バルゴのシャカのような目。
見てくるバッターは嫌だ。
冒頭の凄腕のピッチャーから見れば、すべてを見透かされたような目で見られることが一番嫌だということでしょう。
今日の会津選抜の練習でも、ファーストストライク、甘く入ったストライクをあえて見逃しました。
なんで甘いファーストストライクを打たないんだと私が問います。
あえて見逃したというケンタ。
その打席は、チェンジアップに手を出してアウト。
しかし、次の打席で甘く入ったコースを見逃さず長打を打つ。
すぐに修正する、できる。この辺りは、やはりケンタの「間」があるということを感じました。
ただ奴はまだまだ本気にはなっていません。
打席に立ったその瞬間だけ本気を出しているにすぎません。
どこかでいつも本気になっていない。特に走り系。
がむしゃら、根性、気合には一定の距離を置く。
練習の虫ではない。それはそれでいいのかもしれません。
しかし、最後はハイキュー!!の月島のようになって欲しい。
彼が本気で練習し、本気でなにかをやろうとしたとき、開ける未来があるでしょう。
未来を見据える目。
去年のテンカイにもいいましたが、情熱の炎は赤いだけではない、青い炎のほうが温度は高い。
ケンタの目には、どんな色の炎が宿るのか?
それも楽しみです。
その中での一言。
「一番嫌なバッターは、スラッガーでも、好打者でもなく、「見る」バッターです。」
ここでいう見るとは、選球眼のことです。
ボールを見極める目をもったバッター。
それを聞いて私は、ピンときてケンタを思い出しました。
確固たる自分のストライクゾーンをもったバッター。
わずかボール一個、いや半個のずれを彼は見極めます。
どんなにスピードが速い剛速球ピッチャーであっても、自分がボールだと思った球には決して手を出さない。
私は、一種彼なりの「間」があるのだと思っています。
それは私が主審を務めている時によくわかります。
ギリギリのところを攻めてくるピッチャー。
アウトコースのぎりぎりのボールから入って、だんだんと少しずつ内側に勝負してくる。
ストライクゾーンに入るとみるや、ケンタは反応します。
ヒットとしてとらえられないボールはカット気味に、とらえられるボールはミートしにいく。
一瞬の判断は、すでに小学生離れしているといっていい。
みんなはパワーに目が行きがちですが、ケンタの打力の安定性は、この見極め、選球眼にあるといっていい。
これはよく働く場面もありますが、悪く働く場合もあります。
審判も人間なので完全とはいえません。
ゾーンがあやふやで、前回ボールといったコースがストラクトなる場面も多々ある。
ケンタは自分のストライクゾーンを確立してはいますが、審判によってそれをずらすところまではいっていません。
よって、審判の癖、傾向にアジャストするところまではいっていない。
外角を広くとる審判に対しても、自信をもって見送ったボールが、ストライクになる、そんな場面を幾度となく見てきました。
いったん自分がその判定をやられるまでは対応できない。
そこが自分のストライクゾーンを確立しているケンタの弱さでもある。
ただ、高いレベルの審判と当たった場合、外角数ミリの違いを見極める審判に会った場合には無類の強さを発揮します。
その数ミリのコースに出し入れして勝負してくる相手エースにとってはやっかいな存在になるでしょう。
ケンタにはそれが見えているのですから。
だから奴は、どんな時でも自信をもって見逃します。
これは俺の求めている球ではない。
さぁ次はどんな球でくるんだい?俺には見えている!
彼の選球眼はそう言っています。
ピッチャーとバッターの無言の会話。
聖闘士星矢、乙女座バルゴのシャカのような目。
見てくるバッターは嫌だ。
冒頭の凄腕のピッチャーから見れば、すべてを見透かされたような目で見られることが一番嫌だということでしょう。
今日の会津選抜の練習でも、ファーストストライク、甘く入ったストライクをあえて見逃しました。
なんで甘いファーストストライクを打たないんだと私が問います。
あえて見逃したというケンタ。
その打席は、チェンジアップに手を出してアウト。
しかし、次の打席で甘く入ったコースを見逃さず長打を打つ。
すぐに修正する、できる。この辺りは、やはりケンタの「間」があるということを感じました。
ただ奴はまだまだ本気にはなっていません。
打席に立ったその瞬間だけ本気を出しているにすぎません。
どこかでいつも本気になっていない。特に走り系。
がむしゃら、根性、気合には一定の距離を置く。
練習の虫ではない。それはそれでいいのかもしれません。
しかし、最後はハイキュー!!の月島のようになって欲しい。
彼が本気で練習し、本気でなにかをやろうとしたとき、開ける未来があるでしょう。
未来を見据える目。
去年のテンカイにもいいましたが、情熱の炎は赤いだけではない、青い炎のほうが温度は高い。
ケンタの目には、どんな色の炎が宿るのか?
それも楽しみです。
諸刃の剣。
敵に対して攻撃力の高いつるぎは両刃=両側に切れる刃が入っている。
新チームのキャプテン、一時はコタローが立候補してその座に収まりました。しかし、座り心地が悪かったのか離脱。
代わりに収まったのがレンです。
彼は1年からスポ少を志願してはじめた骨のあるやつです。
1年のころから上級生の世代を見てきました。
タカヤ世代、ユウト世代、コウノスケ世代、ユウキ世代、そしてソウゴ世代。
彼の中には、自分なりにこういうチームでありたいという理想があると思います。
来年、自らの世代が六年生になるいま、自分が理想とするチームにしようとがんばっている姿を目にします。
その姿を見て、頼もしいと思う半面、大丈夫かという危惧も生まれました。わたしよりも先に同じ危惧に気付いた指導者、保護者もいたようです。そのご心配もごもっとも。
去年のユウキたちの世代。
良くも悪くもユウキを扇の要とした、上意下達のチームでした。メンバーもそれをよしとして、自分の役割を粛々とこなして、その時代のイーグルスを形づくっていました。チームとして機能していた。それが発揮されたときは、格上だと思われていたチームを撃破し、成績もそれなりについてきたと思っています。
ユウキに意見する者はいなかったと思うし、ユウキはプレーもプレー以外の部分でもキャプテンらしく行動し、その言動の裏に確かにキャプテンシーがありました。真っ白い半ケツを出すなどユーモアもあり、ソフトボールに対する姿勢、メンバーを想う優しさ、指導者保護者へのリスペクト、それは、多くの保護者や相手チームでさえも知るところでしょう。
しかし、チームのメンバーは毎年変わるもの。
同じやり方がそのまま通用するはずもありません。
ユウキ世代の前のコウノスケ世代。
この世代は、自信のないキャプテンをみんなで支える構図でした。だからこそ、ひとりひとりが個性をもってプレーし、キャプテンを盛り立てる。少しずつ成長していくキャプテン、コウノスケと一緒にチームも確かに強くなっていきました。
今のソウゴ世代もこのコウノスケ世代に近いと思います。
ひとつとして、同じチームはない。
その世代、その世代の良いところ、悪いところがある。
それをひっくるめてのチームなんです。
今のところ、誰がどう見ても、レンに頼らなければ成り立たないチームです。
レンはユウキではない。
レンにはレンのやり方があるはずです。
ただ、周りの同学年が幼すぎる。
レンと志を同じくして、同じくらいの思考ができる奴がいるとは今のところ思えません。
その筆頭であるシュンペイでさえ、メンタルにかなりの振り幅があり、落ち込んだときは手の施しようがありません。
欲を言えば、レンまでいかずとも、それに近いと奴がもう一人いてくれたなら……。せんないことをいっても仕方ない。いないなら、彼らに成長してもらうほかありません。
レンもかなり厳しい言葉で、それを促しています。
もっとこうしよう!
ここをもっとちゃんとやろう!
もっと、もっと……
レンに言われるなら仕方がないという雰囲気で今は聞いています。
レンから言われることも、もっともな指摘が多いのも事実。
我々が指導する前に、「自浄能力」で、自らの行いを改善しようとしています。
これが出来るチームは、強くなります。
自分たちで考えて動く、下地が育っていきます。
そこで、でてくるのが、先ほどの危惧。
レンが強くいえば強くいうほど、その回数が増えれば増えるほど、メンバーに反感の心が生まれるのではないかとの心配があります。
彼らもレンの手下ではないし、部下でもない。
そして、メンバーの不備を強く指摘するレンにもストレスがたまっていくのではないかと心配もしています。
やってるのは自分だけ、まわりは分かってくれない、そういう空回り感が人を憂鬱の淵に落とします。諸刃の剣がチームだけでなく、レンもまた壊すかもしれない
レンは、2年前のユウキのようにくだけた部分が少ない。自分に厳しく、周りにも厳しい。オブラートに包んでソフトに伝えることができないと思います。
その分、幼すぎる周りのメンバーがついてこれるのか?
私たちの危惧。
逆に言えば、この部分に新人チームが浮上するきっかけがあると思います。
ここを克服すれば武器になる。
レンも突き進むだけでなく、歩み寄る。
他のメンバーもレンに付き従うだけでなく、自分から考えてチームのために行動する。
お互いが、歩み寄った時、このチームの本当の強さが発揮されると思います。
我々指導者、保護者ができること。
それは、レンががっとばす前に子どもたちのケツを叩いてやることです。レンにばかりムチを任せないこと。そして、家に帰ってなんであの時そう言ったかを確認する。
意味がわからなければ、何回も同じ事をやるのが人間です。
ただ、こうやれではなく、なんでそう行動するかを分かるまで説明する。
これしかない。
日替わり交代キャプテン制度も試していきます。
レンの苦労をわかちあってもらいます。
チームをあげて、受け身からの脱却。
これが浮上のきっかけになる。まだまだ遠い先ですが、それができた時、小気味よく、気持ちのいいチームになると思います。
強いキャプテンシーを発揮するレン。
レンが指示を出す前に動き出すコタロー、外野のポジショニングを伝えるマナト、一三塁でおとりになる走塁をするレオ、下級生に指示をだすシュンペイ、作戦の意図をみんなに伝えるユウキ、バントシフトの指示をだすユナ。
彼らがレンの意図を汲んで、さらに自分で考えてきた行動できたとき、彼ら自身も成長するでしょうし、レンもまた人にサポートされることの「強さ」に気付くと思います。
ソフトボールは一人ではできない。
人は一人では生きられない。
ひとりでできる範囲なんて限られています。
どんなに優れた武将であっても、一人ではかなわない。一騎当千をあえて潰す作戦。
組織された凡人のチームにはかなわないと私は思っています。
衆をもって個を圧倒する。
チームとして、ひとりひとりを活かす環境を整えること、これが組織戦。
日本人の得意とするところだと思います。
これが難しい。
めまぐるしく変化する状況をひとりひとりが判断し、仲間を信じて1つの生命体のごとく動く。
ハイキュー!!の烏野高校のやり方。
ただ、難しいからこそ挑戦する意義があります。
100%は無理かとしれない。
部分的にでもできたときに、無類の強さを発揮できると思います。
ラクビーワールドカップ、並み居る強敵を次々と撃破した日本代表のように。
彼らは年間約300日に及ぶ合宿をやっていたと聞きます。練習でも普段の生活でも、チームメイトが何を考えているか、言葉を交わすことなく、もしかしたら目も合わせることもなく、分かり合えたのかもしれません。それだけチームとしてのコミュニケーションを大切にしていました。
今はそこにいないけど、必ずくると信じてパスをだす。
自分だけでは弾き飛ばされるだろうが、後に必ず次の仲間がタックルしてくれると信じて死に物狂いで強敵にタックルをかます。
無理だと思われる薄い可能性のバトンがつながると信じて動く。
作戦を講じている暇、考えている暇などないでしょう。
一瞬で仲間の意図を感じ取り動く。
身体的な反射と同じレベルで、仲間を信じて自分の全てを次の仲間につなげる。そうすることでコンボと同じ理屈でひとりのチカラが、2倍、3倍と大きくなって強大な敵と渡り合える。
そこまでとは言いませんが、レンたちにもそれが必要です。
一方通行ではなく、双方向の。
そうなれば、結果はおのずとついてくるでしょう。
泥まみれになりながらもいい笑顔で快進撃を続ける高田イーグルス。
ブレイブイーグルス!
私たちは、彼らのそんな姿がみたい。
その先頭には、諸刃の剣を確かに使いこなすレン。
そんな彼の雄姿をみたいと願っています。
敵に対して攻撃力の高いつるぎは両刃=両側に切れる刃が入っている。
新チームのキャプテン、一時はコタローが立候補してその座に収まりました。しかし、座り心地が悪かったのか離脱。
代わりに収まったのがレンです。
彼は1年からスポ少を志願してはじめた骨のあるやつです。
1年のころから上級生の世代を見てきました。
タカヤ世代、ユウト世代、コウノスケ世代、ユウキ世代、そしてソウゴ世代。
彼の中には、自分なりにこういうチームでありたいという理想があると思います。
来年、自らの世代が六年生になるいま、自分が理想とするチームにしようとがんばっている姿を目にします。
その姿を見て、頼もしいと思う半面、大丈夫かという危惧も生まれました。わたしよりも先に同じ危惧に気付いた指導者、保護者もいたようです。そのご心配もごもっとも。
去年のユウキたちの世代。
良くも悪くもユウキを扇の要とした、上意下達のチームでした。メンバーもそれをよしとして、自分の役割を粛々とこなして、その時代のイーグルスを形づくっていました。チームとして機能していた。それが発揮されたときは、格上だと思われていたチームを撃破し、成績もそれなりについてきたと思っています。
ユウキに意見する者はいなかったと思うし、ユウキはプレーもプレー以外の部分でもキャプテンらしく行動し、その言動の裏に確かにキャプテンシーがありました。真っ白い半ケツを出すなどユーモアもあり、ソフトボールに対する姿勢、メンバーを想う優しさ、指導者保護者へのリスペクト、それは、多くの保護者や相手チームでさえも知るところでしょう。
しかし、チームのメンバーは毎年変わるもの。
同じやり方がそのまま通用するはずもありません。
ユウキ世代の前のコウノスケ世代。
この世代は、自信のないキャプテンをみんなで支える構図でした。だからこそ、ひとりひとりが個性をもってプレーし、キャプテンを盛り立てる。少しずつ成長していくキャプテン、コウノスケと一緒にチームも確かに強くなっていきました。
今のソウゴ世代もこのコウノスケ世代に近いと思います。
ひとつとして、同じチームはない。
その世代、その世代の良いところ、悪いところがある。
それをひっくるめてのチームなんです。
今のところ、誰がどう見ても、レンに頼らなければ成り立たないチームです。
レンはユウキではない。
レンにはレンのやり方があるはずです。
ただ、周りの同学年が幼すぎる。
レンと志を同じくして、同じくらいの思考ができる奴がいるとは今のところ思えません。
その筆頭であるシュンペイでさえ、メンタルにかなりの振り幅があり、落ち込んだときは手の施しようがありません。
欲を言えば、レンまでいかずとも、それに近いと奴がもう一人いてくれたなら……。せんないことをいっても仕方ない。いないなら、彼らに成長してもらうほかありません。
レンもかなり厳しい言葉で、それを促しています。
もっとこうしよう!
ここをもっとちゃんとやろう!
もっと、もっと……
レンに言われるなら仕方がないという雰囲気で今は聞いています。
レンから言われることも、もっともな指摘が多いのも事実。
我々が指導する前に、「自浄能力」で、自らの行いを改善しようとしています。
これが出来るチームは、強くなります。
自分たちで考えて動く、下地が育っていきます。
そこで、でてくるのが、先ほどの危惧。
レンが強くいえば強くいうほど、その回数が増えれば増えるほど、メンバーに反感の心が生まれるのではないかとの心配があります。
彼らもレンの手下ではないし、部下でもない。
そして、メンバーの不備を強く指摘するレンにもストレスがたまっていくのではないかと心配もしています。
やってるのは自分だけ、まわりは分かってくれない、そういう空回り感が人を憂鬱の淵に落とします。諸刃の剣がチームだけでなく、レンもまた壊すかもしれない
レンは、2年前のユウキのようにくだけた部分が少ない。自分に厳しく、周りにも厳しい。オブラートに包んでソフトに伝えることができないと思います。
その分、幼すぎる周りのメンバーがついてこれるのか?
私たちの危惧。
逆に言えば、この部分に新人チームが浮上するきっかけがあると思います。
ここを克服すれば武器になる。
レンも突き進むだけでなく、歩み寄る。
他のメンバーもレンに付き従うだけでなく、自分から考えてチームのために行動する。
お互いが、歩み寄った時、このチームの本当の強さが発揮されると思います。
我々指導者、保護者ができること。
それは、レンががっとばす前に子どもたちのケツを叩いてやることです。レンにばかりムチを任せないこと。そして、家に帰ってなんであの時そう言ったかを確認する。
意味がわからなければ、何回も同じ事をやるのが人間です。
ただ、こうやれではなく、なんでそう行動するかを分かるまで説明する。
これしかない。
日替わり交代キャプテン制度も試していきます。
レンの苦労をわかちあってもらいます。
チームをあげて、受け身からの脱却。
これが浮上のきっかけになる。まだまだ遠い先ですが、それができた時、小気味よく、気持ちのいいチームになると思います。
強いキャプテンシーを発揮するレン。
レンが指示を出す前に動き出すコタロー、外野のポジショニングを伝えるマナト、一三塁でおとりになる走塁をするレオ、下級生に指示をだすシュンペイ、作戦の意図をみんなに伝えるユウキ、バントシフトの指示をだすユナ。
彼らがレンの意図を汲んで、さらに自分で考えてきた行動できたとき、彼ら自身も成長するでしょうし、レンもまた人にサポートされることの「強さ」に気付くと思います。
ソフトボールは一人ではできない。
人は一人では生きられない。
ひとりでできる範囲なんて限られています。
どんなに優れた武将であっても、一人ではかなわない。一騎当千をあえて潰す作戦。
組織された凡人のチームにはかなわないと私は思っています。
衆をもって個を圧倒する。
チームとして、ひとりひとりを活かす環境を整えること、これが組織戦。
日本人の得意とするところだと思います。
これが難しい。
めまぐるしく変化する状況をひとりひとりが判断し、仲間を信じて1つの生命体のごとく動く。
ハイキュー!!の烏野高校のやり方。
ただ、難しいからこそ挑戦する意義があります。
100%は無理かとしれない。
部分的にでもできたときに、無類の強さを発揮できると思います。
ラクビーワールドカップ、並み居る強敵を次々と撃破した日本代表のように。
彼らは年間約300日に及ぶ合宿をやっていたと聞きます。練習でも普段の生活でも、チームメイトが何を考えているか、言葉を交わすことなく、もしかしたら目も合わせることもなく、分かり合えたのかもしれません。それだけチームとしてのコミュニケーションを大切にしていました。
今はそこにいないけど、必ずくると信じてパスをだす。
自分だけでは弾き飛ばされるだろうが、後に必ず次の仲間がタックルしてくれると信じて死に物狂いで強敵にタックルをかます。
無理だと思われる薄い可能性のバトンがつながると信じて動く。
作戦を講じている暇、考えている暇などないでしょう。
一瞬で仲間の意図を感じ取り動く。
身体的な反射と同じレベルで、仲間を信じて自分の全てを次の仲間につなげる。そうすることでコンボと同じ理屈でひとりのチカラが、2倍、3倍と大きくなって強大な敵と渡り合える。
そこまでとは言いませんが、レンたちにもそれが必要です。
一方通行ではなく、双方向の。
そうなれば、結果はおのずとついてくるでしょう。
泥まみれになりながらもいい笑顔で快進撃を続ける高田イーグルス。
ブレイブイーグルス!
私たちは、彼らのそんな姿がみたい。
その先頭には、諸刃の剣を確かに使いこなすレン。
そんな彼の雄姿をみたいと願っています。
この時期、最近毎年行われる、市町村対抗野球、ソフトボール。
福島民報社さんの策略に乗りつつも、いつもやってくれてありがとうございます、と思っています。
高校野球が終わった、まだまだ野球、まだまだソフトボールがやりたい、やりたくてしかたがない大人が集まる場所。
それが市町村対抗になっています。
自分が子どもだったときに、
「すげえな、この人は!」と思った人と一緒にグランドに立てる、その栄誉。
それが、イーグルスにゆかりのある人達。
応援しない選択肢はありません。
イーグルスの選手、OBのお父さんももちろん在籍しています。
何年もその戦いを、実際に見てはいませんが(スポ少の大会、練習試合とかぶるんです。だからいけない。)、彼らの戦いぶりを福島民報の紙面上で確認すること、それがこの時期の日課になっています。
ライバルのスポ少の指導者、保護者の方々も選手として登録しています。
子どもにもその道を示した人達が、自分たちもまた、勝負の世界に身を投じる。
それこそ、親父の背中を示しているんじゃないでしょうか!
息子と同じ視点で野球、ソフトボールを真剣にやる。
それだけで、その子と親父は繋がれるんじゃないでしょうか?
打席たてば、みんな野球少年。
打ちたくて打ちたくて仕方がない。
ピッチャーになれば、打たせるものかと最高の球を投げ込む。
そこに嘘偽りは全くない。
親父と子どもが同じ野球少年になる時。
すごく、いい瞬間だと思います。
親父は親父で、まだまだできるうちに野球の良さを息子と分かち合う。
子どもは子どもで、まだまだ偉大な親父に相見(あいまみ)える。
こういうことを子どもの頃から夢見ていました。
私が親父とやったようにキャッチボールをやり、野球に目覚めて、甲子園を目指し、夢破れる。
そして、好きな人と結婚して、息子が生まれれば、また甲子園を目指す。
どの県、どの地域でもマンガのように行われてきたこと。
それをまた、ここで繰り返す。
ここにもまたドラマがあります。
市町村対抗の全国大会があったら、また面白いと思うんです。
それこそ、町を挙げてになるでしょう。
小学校の時に果たせなかったあの思いを大人になってから、町の看板を背負って戦う。
そんな時代がこないかなあ。
福島民報社さんの策略に乗りつつも、いつもやってくれてありがとうございます、と思っています。
高校野球が終わった、まだまだ野球、まだまだソフトボールがやりたい、やりたくてしかたがない大人が集まる場所。
それが市町村対抗になっています。
自分が子どもだったときに、
「すげえな、この人は!」と思った人と一緒にグランドに立てる、その栄誉。
それが、イーグルスにゆかりのある人達。
応援しない選択肢はありません。
イーグルスの選手、OBのお父さんももちろん在籍しています。
何年もその戦いを、実際に見てはいませんが(スポ少の大会、練習試合とかぶるんです。だからいけない。)、彼らの戦いぶりを福島民報の紙面上で確認すること、それがこの時期の日課になっています。
ライバルのスポ少の指導者、保護者の方々も選手として登録しています。
子どもにもその道を示した人達が、自分たちもまた、勝負の世界に身を投じる。
それこそ、親父の背中を示しているんじゃないでしょうか!
息子と同じ視点で野球、ソフトボールを真剣にやる。
それだけで、その子と親父は繋がれるんじゃないでしょうか?
打席たてば、みんな野球少年。
打ちたくて打ちたくて仕方がない。
ピッチャーになれば、打たせるものかと最高の球を投げ込む。
そこに嘘偽りは全くない。
親父と子どもが同じ野球少年になる時。
すごく、いい瞬間だと思います。
親父は親父で、まだまだできるうちに野球の良さを息子と分かち合う。
子どもは子どもで、まだまだ偉大な親父に相見(あいまみ)える。
こういうことを子どもの頃から夢見ていました。
私が親父とやったようにキャッチボールをやり、野球に目覚めて、甲子園を目指し、夢破れる。
そして、好きな人と結婚して、息子が生まれれば、また甲子園を目指す。
どの県、どの地域でもマンガのように行われてきたこと。
それをまた、ここで繰り返す。
ここにもまたドラマがあります。
市町村対抗の全国大会があったら、また面白いと思うんです。
それこそ、町を挙げてになるでしょう。
小学校の時に果たせなかったあの思いを大人になってから、町の看板を背負って戦う。
そんな時代がこないかなあ。
いろんな試合のいろんな場面の高田イーグルスの面面を写真で見ています。
今年もプロ顔負けな写真家の保護者のみなさんのおかげて、いろんな写真がたくさんあります。
その時、BGMとして流しているのが、「This is me」
映画グレーティストショーマンの主題歌です。
ユーチューブでのPV動画がまたいい。
偏見や逆境に打ち負かされ、世間から変な目で見られても、手を差し伸べてくれる人々に支えられ、ひとりひとりが自分を見つめ直し、立ちあがる。
徐々に、徐々に盛り上がっていく、その様がいい。
最初から強い人なんていなんです。
最初からうまくできる人なんていない。
あがいて、あがいて、見苦しいほどあがきまくる。
そこまでしても、必ず勝てる保証なんてない。
それでも立ち向かう、その姿が美しい。
その姿が、今の高田イーグルスに見事に重なります。
This is me
これが、私!
誰に恥じることなく、自分自身を、自分たち自身の可能性を信じましょう!
This is me!
今年もプロ顔負けな写真家の保護者のみなさんのおかげて、いろんな写真がたくさんあります。
その時、BGMとして流しているのが、「This is me」
映画グレーティストショーマンの主題歌です。
ユーチューブでのPV動画がまたいい。
偏見や逆境に打ち負かされ、世間から変な目で見られても、手を差し伸べてくれる人々に支えられ、ひとりひとりが自分を見つめ直し、立ちあがる。
徐々に、徐々に盛り上がっていく、その様がいい。
最初から強い人なんていなんです。
最初からうまくできる人なんていない。
あがいて、あがいて、見苦しいほどあがきまくる。
そこまでしても、必ず勝てる保証なんてない。
それでも立ち向かう、その姿が美しい。
その姿が、今の高田イーグルスに見事に重なります。
This is me
これが、私!
誰に恥じることなく、自分自身を、自分たち自身の可能性を信じましょう!
This is me!
高田中駅伝部、会津大会見事優勝しました。
女子も6入賞でアベックで県大会出場、おめでとうございます。
選手たちの毎日の積み重ね、指導者のみなさんの情熱とそれを全面的に支える保護者のみなさんの思いが通じた結果です。
まずは最高の形をつかみ取りました。
そして、いよいよ、全国大会への道、県大会。
ここを突破しなければなりません。
めざすものが大きい。
それだけにまた練習にもいっそう身が入るでしょう。
それにしても、40以上の全会津の中学生が一同に会して走る。
懸命に走る姿は、高田中だけでなくても、見ているだけで、こちらも熱くなります。
走るというシンプルな躍動感。
それを鏡として、
「俺たちを見ろ!俺を見ろ!あんた、あんたは毎日一生懸命にいきているかい?」
と問われているようです。
自分に問いかける。
まだまだ、やってねえな、そしてまだまだやれるなと奮い立たせてもらいました。
石畳を唯一無二の高田中の矢じりが一本の残像の線を残していく。
まっすぐ突き進んでいく様は、かっこいいんです。
絵になります。
以上が、たまたまウォーキングをしていたら、たまたま駅伝大会に遭遇するというラッキーな展開になった、有意義な休暇の過ごし方でした。
女子も6入賞でアベックで県大会出場、おめでとうございます。
選手たちの毎日の積み重ね、指導者のみなさんの情熱とそれを全面的に支える保護者のみなさんの思いが通じた結果です。
まずは最高の形をつかみ取りました。
そして、いよいよ、全国大会への道、県大会。
ここを突破しなければなりません。
めざすものが大きい。
それだけにまた練習にもいっそう身が入るでしょう。
それにしても、40以上の全会津の中学生が一同に会して走る。
懸命に走る姿は、高田中だけでなくても、見ているだけで、こちらも熱くなります。
走るというシンプルな躍動感。
それを鏡として、
「俺たちを見ろ!俺を見ろ!あんた、あんたは毎日一生懸命にいきているかい?」
と問われているようです。
自分に問いかける。
まだまだ、やってねえな、そしてまだまだやれるなと奮い立たせてもらいました。
石畳を唯一無二の高田中の矢じりが一本の残像の線を残していく。
まっすぐ突き進んでいく様は、かっこいいんです。
絵になります。
以上が、たまたまウォーキングをしていたら、たまたま駅伝大会に遭遇するというラッキーな展開になった、有意義な休暇の過ごし方でした。
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