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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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6年生最後の大会の関柴大仏杯、準優勝。
これまでいくつかの大会の3位を祝って、久々に祝勝会をやることになりました。
このコロナ禍においても、やっとそういうことが許されるようになってきました。
他のスポ少さんもすでにやっているということも確認した上で、このタイミングを狙いました。
とはいえ、まだ保護者の職場では規制が解除されないところもあるので、自由参加としました。
そして、あまり密にならないように、各家庭保護者はひとりのみ。コロナ対策はおこたりません。
段取っていただいた会長、副会長に感謝ですね。

場所はいつもお世話になっている、きらくやさん。旧高田スポ少のOBのお店です。
ホルモンが看板メニューですが、中華にパスタにスリランカカレーと多彩なラインナップ、ソフトクリームもあり、子供たちにも保護者にも受けがいいお店です。

何年ぶりがわからないくらい、みんなで祝勝会をやっていませんでした。長いトンネルでしたね。
待望。
私たちは、この時を待っていました。
その長いトンネルを抜けた後の祝勝会のお酒がまずいわけがない。
百薬の長が、五臓六腑に染み渡ります。
あぁ~ぁ、美味い!
ハイボールが、ハイハイハイハイハイハイボールになります。
いろんなことを、保護者のみなさんと話しました。
今年のスポ少のいろんなプレー、その裏にあったいろんな苦労、子供たちの思い、保護者の思い。
選手ひとりひとりに、保護者ひとりひとりの思いをお酒を介して話し合います。
背負っていたものをひとつずつ確認しながら下ろしていきます。
あんなことがあった、こんなことがあった。
そのたびに、その時の感情がよみがえります。
福田コーチなんて、三星臨時コーチとお互いに泣き合って何言ってるのかわかりませんでした。
みんなの思いがあふれ出る。
やはりこういう時間は大事なんですね。

私はといえば、今日の大仏杯のタイチのエピソードを声高に話していたと思います。
あのタイチが、あのタイチがですよ。
あんなにマイナス思考の後ろ向きな奴が、
負けそうになって泣いている私に向かって、
「泣くのはまだ早い!」という。
あのタイチが……。
スラムダンクの流川みたいにかっこよく見えました。かっこよすぎるじゃないですか!
そう言って、酔っ払いの馬鹿笑い、ガハガハぁ。
子供たちや保護者のプレーや気づかい、行動が1番の酒の肴なんですよね。

そしてもうひとつ。
今日の大仏杯の山場となった、三回裏トウマのタッチアップについて。
あのプレーを私は引きずっていました。
みなこコーチが私にハイハイハイハイハイハイボールを、注ぎにきてくれた時にその話をしました。
あのプレーが今日の試合の勝敗を分けた分水嶺だったと。
トウマが生還していれば、2:3、一点差に詰め寄り、ツーアウト、二三塁で2番のユウキ。なにかあったかもしれない。同点、もしくは逆転していたかもしれない……
あそこで、的確な指示を出せなかったサードコーチャーだった私の責任、小島監督、福田コーチ、みなこコーチ、ごめんと吐露しました。
私がそう言うと、みなこコーチが
「トウマがタッチアップの感覚になれていないのはわっていました。6年生たちとのAチームに入っていると、ランナーを想定しての守備練習の機会は多くなりますが、反対にランナーの練習はできなくなります。同様にアユキもトウマと同じ傾向があります。
なので、今回のトウマのタッチアップホーム突入憤死は、トウマにタッチアップの感覚がないということをあらかじめサードコーチャーに伝えなかった私の責任です。」
みなこコーチはキッパリと私の目を見て言いました。意志の強い眼差しでした。
いえいえ、あれは事前にタッチアップの可能性を伝えなかった俺のミスですってというと、いえいえあれは私のミスですってとみなこコーチ。
すいません、ごめん、すいませんのダチョウ倶楽部のような応酬。
それをやりながら、私は、ひとりやってるのではないなぁ、と思えました。
こうやって問題意識を言わなくても共有していただける。
そのやりとりをしかながら、いい指導者たちだなぁと思いました。
こんないい指導者がいる、高田イーグルスはいいチームだなぁと思えました。
ミスはミスとして、試合が終わった後にきっちり検証する(今回は酒の席ですが)。
原因を明らかにして、次にそういうミスが起きないように責任の所在を明らかにする。
選手にあれば、選手に、
指導者にあれば指導者に。
そこをはっきりさせておく、これって大事です。
これをやらないと次につながりません。
今回は私に否があったので、後でトウマに謝りました。
タッチアップ憤死について、ご家族からも怒られていたと聞いたので、なおさら悪かったな、ごめんなと謝って起きました。
大人もちゃんと謝るというところを示しておきます。
自分に否があるのに、変なプライドが邪魔して謝れない。
そういう時もありますが(家では特に)、今回はトウマに対しても、チームに対しても申し訳なかった。
このまま、うやむやにはできません。
そんな、気持ちで飲んでる酒はまずくなるでしょう。
みなこコーチと話すうちに、ちゃんとトウマに謝ろうと思いました。
自分の否を認める。
そうすることで、気持ちが晴れやかになりました。
そして、ハイハイハイハイハイハイボールが、また美味くなりました。
自浄。
まだこれができるうちは、私は指導者としてまだやれると思います。
まだまだ私も指導者として、成長できるはずです。
指導者としてだけではなく、人間としても。
間違えない人なんていないんですから。
問題は間違えた時、その時なんです。
その後にどうするか?
それをみなこコーチは気づかせてくれました。
そういうお気づかいがありがたい。
たまにぐさぐさっときますが、
そう言うと、うるさいと思われるかもしれませんが、これからも私は、言うべきことは言っていきますと、みなこコーチははっきり言いました。
さっきよりも、強い眼差しで。
私は、どうぞどうぞ、どんどん言って下さい、
その意見を採用するかしないかは別として、みなこコーチもそれ以外の人の意見も聞かなくなったらば、そのチームも私も終わりだと思います、
そう伝えました。
だいぶたじろぎながら。
言うべきことは言う、
どうぞどうぞ、バンバンいらっしゃい!
お互いの立場を再確認したといっていいでしょう。
まったくもっていいチーム。
大橋監督、あなたがいなくなっても高田イーグルスはいいチームになっていきますよ。
私はかつての盟友に向けて、杯を傾けます。

その辺までは覚えています。
えっ、なぜって?
ご承知のとおり、あの時はすごく快調にお酒が進みました。とても美味しいお酒。
そのお酒が私の記憶を奪っていきました。
いろんなことを話したと思いますが、覚えているのはこの辺までです。
後は、まったく記憶がございません。
いい話も覚えていません。いい話だったら、あっもぅ、もったいないなぁ。
でも、いい祝勝会だった。
お父さんお母さんたちの笑顔の奥に、子供たちの笑顔を見る。
これまで何年も何年も、何十回も私が見てきた風景です。
そのひとつひとつがすべて違うページです。
最初のダイスケ世代から昨年のソウゴ世代、そして今のレン世代。
みんなうれしそうだった。
それだけで十分です。
それだけで、やってきた意味があります。
昔を思い出しながら、今に至ります。
そして、小島監督と福田コーチ、みなこコーチ、保護者のみなさんと祝杯をあげる。
杯を開けまくる。
明日、地獄の二日酔いになることも知らずに。

2021高田イーグルス、記憶のない大祝勝会&慰労会でした。
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始まりました2021会津選抜。
今年もコロナにたたられる年でした。
会津選抜のチーム編成さえもどうなるかわからなかった。
コロナ禍にあって、いろんな制約があって、人数が集まるかさえもわかりませんでした。 
そんな中、なんとか、なんとかチームが組めることになりました。
我々の指導者一同も胸をなで下ろすとともに、はるか遠くに見える頂をこのメンバーで目指すことのできる、喜びをかみしめています。

いやーほんと良かった。
当初は高田イーグルスの参加者はゼロ。
ん?と思いましたが、このコロナ禍においては誰の責任でもありません。
その選択をしたことを尊重しようと思っていました。
なので、ゼロならゼロでいい。
そこは今後いっさい言うまいと誓いました。
出ないと決断した方も苦渋の選択をしたとわかっているからです。 
そこは尊重します。

自チームの選手は参加しないとしても、指導者として参加しようとは決めていました。

しかし、状況がまた変わってきました。
宣言もあけて、ゆるやかな人流はなんとか許される状況になってきています。
修学旅行や学校行事が少しずつ解禁されてきました。
ワクチン接種が六割を越えて、次の打開策が見えつつあります。

コロナ対策として、いかないことを決めていた高田イーグルスの6年生に心境の変化が訪れました。

そして、10/10の会津選抜合同練習。
これが決定的に彼らの背中を押したと思います。
柳津、磐梯、坂下、新鶴、そして高田イーグルス。
いままで敵として戦ってきた相手が、今度は味方になる。
その結果が、毎年この時期の選抜大会なんです。
人と人とが出会う、いいきっかけ。
縁とはこういう時に生まれるものだと思います。
確かにチームとしての目的は、選抜大会の優勝です。
しかし、この選抜大会は勝ち負け以外にも大きな財産をもたらしてくれると私は思っています。

ここで出会った仲間が、この先生涯の仲間になる可能性もある。
それだけで、この選抜に参加する意味があると私は思います。
そういうのを大切にする大人になって欲しいという思いもあります。

合同練習を見て思いました。
楽しそうにやってんなぁ。
いつもより上手く見えるなぁ。
いつもと違った緊張感がそのこの力を引き出している。

説得の言葉なんていらなかったんです。
一緒にプレーするだけでよかった。
それだけでよかったんです。

コロナの制約を確かに受けるでしょう。
選抜に参加しないという選択肢もある。
その選択も尊重します。
それを選んでも誰も避難できないし、誰の責任でもありません。
しかし、その中でもなんとかして参加しようする、その決断も尊重しましょう。
やると決めたら、細心の注意を払って、最大の準備をしてのぞむ。

高田イーグルスは今年の会津選抜に参加する。
高田イーグルスは、その道を選び直しました。
戦力もかなり増強された。

困難な船出となりました。
その方が今年の会津選抜には合っているかもしれません。

天気晴朗なれども波高し。

2021会津選抜、出航です!
少しほっこりする話を。

新人戦の前の最後の練習にさかのぼります。
カナト世代の初陣。
初戦は、総体で全国大会にいっている猪苗代さん。
新人のメンバーも全国大会を経験した5年生が数人入っています。
前評判は、猪苗代さんが断然有利。
高田イーグルスが勝てる確率は100回やって、一回くらいか?
しかし、勝負はやってみないとわかりません。
どんなに強敵を前にしても、全力で挑む気持ちを忘れてはいけません。
そんな大一番に望む前に、メンバー全員を集めてミーティングを行いました。
その中で、私は彼らにこう言いました。

猪苗代さんは確かに強い。
お前らが勝てる望みは薄いだろう。
しかし、試合はやってみないとわからない。
誰も高田イーグルスが猪苗代に勝つとは思っていない。
俺は、弱いと言われていたチームが強いチームを倒してきたのを何回も見てきた。
小さい者が、大きな者を倒すところを何回も見てきた。
美里イーグルスが県で優勝してチームを倒すところを見てきた。
やってみないとわからないんだ。
だから、お前らもミスを恐れず全力でぶつかれ。

巨人を倒せ!

聞いたことがあるかもしれないが、そうやって巨人を倒すことをなんて言うか知ってるか?

ジャイアント……?

「のび太!」


まったく想定していない答えが返ってきました。

ジャイアンとのび太!

私は、ジャイアントキリング、巨人倒しの意味で聞いたつもりでしたが、

ジャイアンとのび太……

子どもたちも、指導者も保護者もゲラゲラ笑うしかありませんでした。(^^)
そういう発想もあるんだなと勉強にもなりました。
こういうものいい。
全員がほっこりする場面となりました。

試合はというと猪苗代さんを前に、0:19でフルボッコにされました。
ジャイアントキリングどころではありません。
アリのように踏みつぶされたと言っていいでしょう。

しかし、そのアリはふたたび立ち上がります。
何回踏まれても、何回でも立ち上がります。

のび太くんだって、ジャイアンに勝つときがある。

彼らのジャイアントキリングは、始まったばかりです。











もりだくさんの昨日。
私は次男坊の中学野球最後の引退試合に行ってきました。
2年と半年にわたって仲間とともに続いてきた野球。次男はいったん、ここで野球を離れ、受験という荒波に挑戦することになります。
そのための、最後の区切り。
親としては、いかないわけにはいかないでしょう。
といいながらも、美里親善大会の様子も気になり、気が気ではありませんでした。

とはいえ、こっちに来ると決めたので、その責務を全うします!
いつも、いろんな関係で11月の後半、12月のはじめごろにやっていた引退試合。
今年はコロナの影響もあっていろんな大会、練習試合ができないことが、逆にこの引退試合に限ってはプラスに働きました。
暖かいこの時期に開催できた。
これは良かったです。

まずは、在校生とオール3年との試合。
そして、3年と保護者の試合をやりました。
野球を通して、子供たちの成長を感じます。
このチームは2年生の力が大きかったと言わざるを得ません。
特にユウキを中心とした、強力なバッテリー。
ピッチャーとして成長した二枚看板、それをキャプテンとして、キャッチャーとしてユウキがリードしています。
バッテリーが安定していることで、試合は作れます。
バックの守備がやや不安定ではありますが、そこ練習でカバーできるところ。
バッテリーを中心として、少ないチャンスを活かし、守り切るのが来年の高田中野球部のスタイルになると思います。
思えば、この2年生と今の3年生。
パズルのピースのように、お互いのウィークポイントにはまっていたんですね。
だから、チームとしてそれなりにまとまっていた。
それが、ちゃんと発揮されたときは会津で1番のチームであろうと粉砕する力を持っていました。

このチームには悲愴感がありません。
チーム全体で野球を楽しんでいます。
野球に取り組む姿勢も基礎はできたと思います。
中学時代に、こんなメンバーと一緒にやれたら楽しいでしょう、そう思わせてくれます。

指導にあたった先生方にも恵まれたと思います。
働き方改革などて、中学部活のあり方も変わっていく中、やれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生、指導者に恵まれるって、人生の中でもけっこう重要な要件だと私は思っています。

そこにきて、強力な保護者会長を筆頭に保護者のバックアップ体制も良かった。
いい雰囲気で部活が楽しめました。
特に全ての子供たちを写真に収めていただいたことには感謝しかありません。
応援しているとつい夢中になってしまって、大事な場面を撮り忘れます。
冷静に写真をとるということは、応援で盛り上がらないということを自分に強制しているようで申し訳ないと思いつつ、当てにしていました。
この写真は、結婚式のスライドショーの時に必ず使わせていただきます。
記憶にも記録にも残していただいた。
コロナで応援規制がある中、子供たちのためにやれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生との出会い。
いい指導者、保護者との出合い。
いいメンバーとの出合い。
次男坊たちも私たちも人に恵まれたと思います。
出合いは化学反応です。
どう変化していくかは、自分次第です。

親子対決をしましたが、まだまだ負けないとおもっていましたが、とっくに負けていましたね。
この子たちもちゃんと成長していました。
高校にいくということは、今のメンバーと道を分かつということ。
これからは、自分で自分の道、居場所を切り開くことになります。
勉強することで開ける道もあるでしょう。
野球が道を開いてくれることもあるでしょう。
野球以外に居場所を求めることもいいでしょう。
ただ、選ぶのは自分自身です。
人を頼っていい。むしろ、頼るべきです。
利用というと言い方が悪いかもしれませんが、我々や先生、先輩などの先人たちを大いに利用していいんです。
そして、また後ろから来る後輩を助けてやって下さい。
まずは、何者でもない自分をみつける旅がはじまりますね。その最初が受験。

私は、根も葉もない根拠ながら、野球をやってきたやつらなら大丈夫!と勝手に思っています。
娘にも野球をやってきた奴と結婚しろ!と言っています。
なんとなく、わかるんですよね。
ライトを守ってて、強いあたりに襲われてチャレンジするとき、すでにセンターのマサシ君(高校時代の2年からレギュラーの好打者、守備範囲も広い!)が後ろにいてくれることを。
だからこそ、思い切って飛び込むことができる。
この角度、この強さの打球ならば俺のボール。
そういう、呼吸というか、言わなくても動いてくれているというお互いの安心感。
チームプレーをやってきた人ならばわかると思います。
支えるとか、支えてもらうとかじゃない、そんなの当たり前だよなの感覚。
そういうのを表現することを、私は野球以外に知りません。
だから、なんでも野球に当てはめて考えます。

ユーチューブの動画。
高校野球ラストミーティング、小樽潮陵監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」

この通りだと思います。
多くの人がプロになれる訳ではない。
大部分は野球で飯が食えない。
しかし、野球をやってきたことでが生きていく糧になることがある。
その通りだと思います。

3年生が在校生一言をかける引退式。
みんなが思い思いの言葉を絞り出します。
そんな中、次男坊がつむいだ言葉、
「自分は下手くそです。」
大事な場面でミスをしてチームに迷惑をかけた。
そうならないように、在校生はもっともっと練習してほしい。
プレーが下手でも、声でチームにできる。
もっと声でチームを盛り上げていって欲しい。
そんなことを言ったと記憶しています。

わかってますね。
自分を下手くそだと言える。
その上で、だからこそ声でチームに貢献する。
これぞ、自分の力で自分の居場所を切り開いていくということだと私は思います。
この先そういう場面に何度も出くわすでしょう。
ミスを連発したり、できないことばかり。
そこで、腐って世の中を呪ってみても、何も始まりません。で、あれば、動いた方がいい。
できないならできないなりに、自分のできることを探す。

それが自分を活かす道。

これも野球が息子に教えてくれたことです。

彼らなら大丈夫!

何年か後、酒が飲めるようになったらみんなで飲みたいものです。
この前の新人戦、カナト世代の船出。
全国大会出場の5年生を複数擁する県内トップクラスのチームに対して、我が高田イーグルスはコテンパンやられました。

その試合の中で、「あぁ~またやっちまったなぁ~」と思う場面がありました。
それは、なにか?

「ため息」です。

あ~ぁ、はぁ~、ふぅ~。
失望の吐息(といき)。
私は、ため息で人が殺せると思います。
殺すという表現は悪いので、やる気をつぶす、モチベーションをだださげると言い換えましょう。
頑張ろうとする人が失敗したとき、バカヤローとかアホとかいうことを選ばずに、ぐっとこらえたときに、ため息はやってきます。
罵声を浴びせるよりも、ため息のほうが相手に与えるダメージが低いだろうという配慮が働きます。
しかし、実はため息の方が、心の中から毒を盛るようにダメージが残ります。
期待している人たちを失望させてしまった。
私のせいだ。
自分で自分を否定してしまうという猛毒にかかってしまいます。
選手の心を折る。
この前の新人戦、そのため息、気づいたらしてました。

よかれと思って、罵声を我慢しても、ため息が漏れるようではまだまだ指導者として、失格です。
チームとして選手と一緒に戦っていないことを証明しているのと同じことです。
ただ、人が思う事には戸は立てられない。
思ってしまうことは止められないんです。
しかし、それを外にだすこと、表現してしまうことは訓練次第で止めることはできる。
ため息を出したくなっても、出さない工夫。
罵声を飲み込み、ため息さえも飲み込む。
ここまでしなければ選手たちからの信頼は得られないと私は思います。
私が選手の立場になったならば、ため息をつかれたら、やる気をなくしますね。
近い人ならばなおさらのことです。
なので、指導者、保護者は子供たちの前でため息をつかないことをお勧めします。
大丈夫、どんな状況になっても、お前たちの味方だ!という気持ちを持ち続けること。
そう思うことで、ため息は出なくなると思います。

ストライクが入らず、下を向きがちなミソラ。
彼女のいいところは、その笑顔です。
笑顔こそ、チカラ、自信です。

最近のユナが良くなってきたのは、よく笑うからです。
どんな逆境においても、あたふたしなくなった。
送りバント処理の時もサードの投げようと思ったり、ファーストに投げようと思ったり、くるくる右往左往することがなくなりました。
そこをミソラには見習ってほしいと思います。

選手のやる気をそぐため息、
心を折るため息ではなく、

追い風となる、全力応援の声を我々は届けていきましょう。





勝ち負けではない。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。 


最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。

しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。

ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。

そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。

今日はカナト世代の新人生会津予選でした。
結果は、あの全国大会にいった猪苗代さんを相手にコテンパンに負けました。
0:19
このスコアをTシャツのバックプリントで保存したいくらいです。
ほとんど、何もさせてもらえなかった。
完敗でした。
気持ちいいほどのコテンパン
負けは負けとして、ここからどうしていくか?
猪苗代さんに勝つためにというか、まずは自チームをどうしていくか?
そこから初めていくしかないようです。
負けから始まる。
思いかえせば、私の出発は、いつも負けから、失敗から始まります。

今の私のたどり着いた立ち位置、「ミッションチャレンジ型のスポ少」。
これに至るまでには、いろんな思いがありました。

勝利至上主義。

勝つためなら、なんでもやるという意味だけではありません。
私がこれまで、たくさん見てきた負の連鎖、
勝ちにこだわるあまり、負けたとき、失敗したとき、エラーをしたとき、三振したときに、とんでもなく子供たちを怒る。
ゲッて思う。そこまで言うんかい!
そんな場面を見てきて、私は
「あぁ~、あんなふうに怒られたら、ソフトボール嫌いになるよな。
あんなふうに怒られたら、楽しい訳がない。
あぁはなりたくないな。」
と何度も思いました。

ここ最近、そんな監督さんにはいませんが、私が始めたばかりのころ、20年前にはそんな指導者がそれなりにいました。
そして、そのチームがまた強い。
恐怖政治によって作られたチームではありましたが、練習量の多さと怒られたくないという動機によって成り立っていました。
強いんだけど、楽しくねえだろうなぁとおもってみてました。笑顔がない。
指導者の顔色ばかり、うかがっている。
創意工夫もなく、与えられたサイン通りにしか、動くことのできないロボットたち。
そんな能面のような彼らに本当の笑顔を望むべくもありません。

かくいう私も同じことをしていたんだと気づかされる時がありました。
エラーをした選手にむかって、
「何やってんだぁ、てめぇ!
やる気がねぇなら、とっとと帰れぇ!」
激高して、叱りつけ、懲罰で交代させる。
ベンチに帰ってきてうなだれている選手にむかって、追い打ちで罵声を浴びせる。
さらに試合が終わった後の反省会でもダメ出し。
厳しくすることが、選手のためだと思っていました。
しかし、面白くないんですよね。
気分が悪い。気持ちよくない。
お互いに面白くない。
怒っている私も、マイナスの言葉を吐くと毒がたまるんでしょうね。
周りに見えない壁を知らずに築いていく。
そんなベンチに理解と協力などありません。
建設的なプロセスができるはずがない。
そんな、チームは強くなるはずがありません。
必然、何回も何回も負けることが続きます。
八方ふさがり。何をやってもうまくいかない。
そうなると、やけのやけっぱちの心境に陥ります。
どうせ負けるなら、怒るのも無駄、子供たちの好きなようにやって見ろ!と作戦を変更しました。
そして、この試合は何があっても怒らない。
そう子供たちにも宣言して、戦いに望みました。
途中、何回も失敗、エラーがあります。
ぁんだこのヤロー、ぁんだあのプレーは!と思っても、ぐっと飲み込む。
ぐぅーーーっと飲み込む。
怒りで血管がピクピク浮き出る。
ここは辛抱がいりました。
ある本によれば、怒りがこみ上げても六秒我慢すれば落ち着くとも言っています。
ぐっと飲み込む。
ふぅ~と深呼吸をする。
凪(なぎ)、穏やかな水面を思い浮かべます。
深呼吸をすると、やはり落ち着くんですよね。
そうすると周りが見えてきます。
ミスをすると、チラチラ、私をうかがう選手もいます。
それをみて私も、20年前のあのパワハラの指導者と、五十歩百歩、大なり小なり同じだったんだと気づかされました。
私も同じ穴のムジナだったんです。
あんなふぅにはなりなくない、と思ったムジナとおなじ。
だから、面白くなかった。
だから、勝てなかった。
だから、うまくいかなかった。
選手たちのチカラを引き出してやれなかった。
愕然としましたね。
しかし、気づいてよかったとも思えました。
どうにか、踏みとどまった。
これは、何回も何回も負けて、負けて、負けまくった、子供たちの犠牲のおかげで気づかされたものです。
ここまでくるのに、たくさんの子供たちのやる気を犠牲にしてきました。
一将功なって万骨枯る。
そして、気づいた法則。

怒るよりも、信頼したほうがいい。

チラチラ私をみる、選手に対して、
がっとばすという選択肢を捨てて、
大きくうなずいて見せる。
「大丈夫だ、いいぞ!ミスってもいい!」と声をかける。
エラーをした選手は、エラーをしたことで、みっともないという、いわゆる社会的制裁を受けています。
その時点で、やっちまったと心理的にダメージを受けている。
心のダメージは、次の行動に間違いなく影響します。悪い方向に。
落ち込んでいる選手を試合中にがっとばしても何の意味もないどころか、傷口に塩をぬる行為だと、私は気づきました。
エラーをした選手の立場になって考えてみる。
かつての私もエラーを何回もしました。
そして、怒られていたことを思い出します。
その時、どうして欲しかったか?
何を言ってほしかったか?
自分自身に置き換えてみる。
覆水盆に帰らず。
やっちまったことはもう戻せません。
あわわわと心理的に慌ててている。
その時に何を言って欲しいか?
私は、「大丈夫だ!」の一言だと思います。
チーム的には大丈夫じゃありませんが、カラ元気でも大丈夫だといってみせること、
このひと言でその子は、チームは救われます。
怒りちらして、さらに萎縮させるのは逆効果。
がっとばすなど、愚の骨頂。
指導者として、自分が無能だと言っているのと同じだと気づきました。
それよりも、「大丈夫だ!」のひと言で、その子もまわりの選手たちも救われるはずです。
まだ、試合は終わっていません。
ひとつふたつのミスで、崩れるわけにはいかない。
怒って萎縮させて、自分から崩れるわけにもいかない。
選手と指導者、お互いに足の引っ張り合いはやめです。
立ち直ってもらう!立ち直らせてみせる!
鼓舞、激励。
「下を向くんじゃねえ、バレーは常に上を向くスポーツだ!」
とハイキュー!!の鵜飼コーチも言ってます。
これこそ、指導者の役目でしょう。
エラーをした子も、そのまわりの選手たちも、次の瞬間から私ではなく、プレーそのものに集中するようになります。
それでいい。
こっちを見る必要などない。見なくていい。
今この瞬間、このプレーに集中しろ!
「あとは、お前に任せた!」
この言葉に、すべてが集約されていきます。
大事なのは、信頼して、任せることだったんですね。
私は、この任せたという言葉、かっこいいと思ってよく使います。
大事な場面で、
「タカヤ、後は任せた!」
「ユウキ、任せた!」
「レン!後は任せた!」
数々の任せた、後は頼んだという言葉。
かけた選手は、黙ってうなずく。私もうなずく。
これだけでいいんです。
お互いの信頼をこれほど表現できる場面はないと思います。
かっこいいでしょう!
これが、気持ちいい。
打てばさらに気持ちいい。
任せることで、選手は自分自身で戦います。
私たちは背中を押すのみ。
そうすると、周りをみて、考えるようになります。後ろ向きではなく、前向きな姿勢。
そして何より、お互いに気持ちいい。
選手を、単なるコマとして見ない。見れなくなりました。
これまで何をがんばってきたか?
練習で1番近くで見てきてた我々が1番知っているはずです。
バットを少し短く持ってる。
守備位置をきちんとバッターによって変えている。
練習の時にアドバイスしたことをちゃんと自分に落とし込んでいる。
選手の細かい動き、違いに気づけるのは我々しかいません。
ひとりひとりにドラマがあり、ストーリーがあります。もはや、全員が「推し」となります。
その「推し」に大丈夫と声をかけること、それは私自身にも、チーム全体にも大丈夫だということと同じなんですよね。
そして、お互いに向き合って、目を見て大丈夫、まだやれる、へこたれるなと確認すること。
私は、ようやく気づきました。 
信頼しあうことの気持ち良さを。
選手たちに後顧の憂いなく、前だけ向かせることの大事さを。
そうすることで、彼らの力を100%,120%引き出せるということを知りました。
空をみる余裕ができました。
あの風を感じる余裕ができました。

そうなると、不思議に勝ち始めます。
自分たちよりも強いといわれる相手であっても、いい試合をするようになります。
勝っても負けても気持ちいい。
無論、後ろ向きな負け方、準備なしの無策の負けはとことん怒ります。がっとばします。
しかし、全力を尽くして負けたなら、負けても気持ちいいんです。
負けても、次にどうしたらいいかを考えると前向きな負け方。
勝っても、負けても前に進む。
この考えが「ミッションチャレンジ型のスポ少」につながっていきます。
勝ち負けの結果、ヒット三振の結果、
それよりも、どうやって自分の課題に向き合ったか?を重視する。
これが、子供たちの力を、段階的に伸ばしていく、最善の道だと私は思っています。

少しずつ、少しずつ成長していけばいいんです。
かつて、旭スポ少時代、秋の新人戦から、春の総体、夏の白獅子、秋の美里親善まで、一回も勝ったことがなかったチームがありました。
練習試合でさえも勝てない。
6年生がたったひとり、ナオヒロ世代。
端から見れば、暗黒時代。
しかし、キャプテンとして彼はやり抜いた。
負けて、負けて、負けまくっても彼はグランド立ち続けました。
何回もコールドで負けました。
負けて、1番怒られるのもキャプテンです。
それでも彼は最後まで、やり抜きました。
何が、彼をそこまでやらせたのか? 
今となっては、本人に聞くしかありませんが、おそらく「意地」だったと私は思います。
たとえ何回負けてもやり通す。
何回も心が折れたでしょう。
しかしその都度また立ち上がる。
その意地。
そして、それを支えた保護者の皆さんもたいしたもんです。
そのころの私たちには、明るさがありました。
負けつづけて投げやりになるところですが、また明日があるさと前を向く。悲壮感がなかった。
負けた試合の中に、いいところを見ようとしていました
あの頃は勝っても負けても、焼き肉をやって反省会を親子でしていました。
勝ち負けも大事ですが、ソフトボール自体をみんなで楽しむ、そんな姿勢だったからこそ、一回も勝てなくても最後まで続けることができたんだと思います。
あの頃の保護者の皆さんには、
「監督!まだスポ少やってんかい?今年のチームはどうだい?」といまだに声をかけてもらってます。
ありがたい。
まだ、つながっていてくれます。
負け続けたキャプテン、ナオヒロは自分の好きな道を突き進み、水産系の仕事に就いています。
あの頃、私たちは負け続けていても、決して卑屈にならず、一点とったら、勝ちだ、ヒット一本打ったら焼き肉だとか、
逆境の中にあっても楽しむこと、しぶとさ、したたかさを学んだと思います。
勝てば万々歳のどんちゃん騒ぎ。
スポ少に限らず、勝ち続けることなんて、できないんです。ミスもするし、負けもします。
負けたとき、負けそうになるとき、その時どうするか?
ここにその人の生き方、本質がでてくると思います。
あたりちらすか、落ち込むか?
流れる時間は同じ。
であれば、その負けさえも楽しむ。次に活かす。ここがスポ少でサポートできるところです。
その命脈は間違いなく、あの時のキャプテン、ナオヒロの中に生きていると私は信じています。

そして、このカナト世代。
彼らの進む道も険しいことはわかっています。
何回も何回も地べたに顔を押さえつけられるでしょう。
しかし、あの時のナオヒロのように、折れた心を何回も何回も鍛え直して、立ち上がることを期待しています。
高田イーグルスが、竃門炭治郎と重なるんですよねえ。
そして、いつかみんなが心から笑顔になれる勝利をつかみ取って欲しいと思います。
さぁ、また明日からがんばっていきましょう!




いつのころからか、勝利への執着心のようなものがなくなりました。
まったくなくなっと言えば嘘になりますが、無理をしてまで勝たなくていいんじゃないかと思うようになってきました。

それが表にでたのが、今の中学2年のユウキ世代の県大会の時だと思います。
あの世代、総体、雨の須賀川も、白獅子、灼熱のいわき新舞子も、どっちも我々を県大会へ連れて行ってくれました。

県大会、出会う敵は強敵ばかり。
長沼さん、中山さん、天栄阿武隈さん、桜さん、県大会で戦ったのはこの四チームだと記憶しています。どのチームも強いんですよねえ。
しかし、美里イーグルスもがっぷりよっつのいい試合をするんですよねえ。
お互いに素晴らしいプレーの連発。 
あまりにいい試合になるので、両チームをたたえたくなる。 
こんないい試合をしてくれて、ありがとう。
自分のチームだけではなく、相手チームの選手でさえもほめたたえたくなるんです。
そして、どちらにも勝たせてやりたいと思ってしまう。
こんなに、いい試合ならば、勝っても負けても本望。
俺たちは全力を尽くしている。
その上のミス、エラー、三振ならば、仕方のないこと。
だから、失敗を恐れず、全力でチャレンジしていけ!
お互いのチームの選手、控え選手、保護者、みんながいろんなものを抱えてチャレンジしているんです。
それが表情に、プレーに現れている。
それに気づいたとき、熱闘を繰り広げるグランドにたつ私の頬に、静寂の風が吹きました。
いい風だ。
みんながんばっている。
敵味方関係なく、みんないい顔をしている。
ソフトボールはやはりいいな、とかっこつけてみる。
お互い一生懸命のプレーの積み重ね、その延長線上にあるのが勝敗だとする。
そうであるならば、勝ち負けどっちでもいいや、と本気で思いました。

思わず、
「いいぞおめぇら!やれぇ、やれぇ!勝っても負けてもどっちでもいいぞぉ!」と叫んでいました。
すかさず、隣にいた今のコジマ監督、当時コーチに
「監督!みんな勝ちを目指しているのにそんなこといっちゃだめですよ!」
とたしなめられました。
しかし、あれは私の本心からでた言葉です。
それがずっとひっかかっています。

もちろん、スポーツは勝負ごとなので、原則勝ちを目指します。
しかし、勝つことがすべてではない。
勝つために手段を選ばない、とかという勝利至上主義は捨てます。
負けていいとはいいません。
この場合の負けとは、無策の、準備無しの、建設的ではない、後ろ向きの姿勢、それが負けです。
だけど、一生懸命に準備をして、全力でチャレンジして失敗して負けたなら、それでいいじゃないですかね。

私は負けたことよりも、
ちゃんと準備をして、全力で挑戦したことを褒めたり、その時何を思って何をしたのかを追求していきます。
今のプレー、どんな準備をしたか?
その準備の何が良くて、何がだめだったか?
そして、実際のプレーにも、何が良くて何がだめだったかを検証して、次に活かしていく。

ひとりひとりの課題=ミッションに、当てはめていく。
そして、チーム全体でも検証していく。
勝ったならなお良し!
それで、負けたとしてもそんなに悲観する必要はないんです。
負けても死にやしないし、この世も終わらない。
そんな燃え尽き症候群の予備軍になんてなることはないんです。
いったんは落ち込む。泣いても、悔しがってもいい。
だけど、すぐに次を目指して、どうすればいいかを考えて行動に移す方がいい。

試合の勝ち負けよりも、そこにいたる過程での、小さいミッションの成否、いかにして挑戦したか?ということこそ一喜一憂していきましょう。
プレーに関することはもちろんです。
バントができた。
タッチアップができた。カバーができた。
それだけではありません。
ちゃんと声を出せた。
ちゃんとコーチャーに入れた。
ちゃんと事前の打ち合わせの声がみんなで出せた。
ちゃんと試合の道具を自分で用意できた。
控えの子も含めた、子供たちのそういう名もなき小さなミッションの成功を褒め称えましょう。
できないなら、なぜできなかったかを検証していく。
その積み重ねこそが、高田イーグルスを本当の意味での勝利に導いてくれるはずです。

試合は勝敗を決める場所でもありますが、
いろんなことを全力でチャレンジする場所だと、今の私は思っています。
そう考えるとわくわくする。
失敗してもいい、この一言で救われる人もいるでしょう。
何でかんで勝たなくてはいけない場ではない。
小学生のうちはそれでいいと思ってます。
勝ち負けは後からついてくる。
勝ったならラッキー。
負けても、すぐに次を見据えます。
そういう意味で、私は「ミッションチャレンジ型のスポ少」を目指しています。

ひとりひとりのミッションチャレンジ。
チームとしてのミッションチャレンジ。
刻々と変わる状況を加味して、そのミッションチャレンジは変化します。
そのバリエーションを増やしつつ、思い浮かべた作戦やシフトを遂行できる実力も徐々につけていく。
今の自分に何ができて何ができないのかを知る。
できないことを見つめることって、けっこう大事です。
過去と現在の自分を、チームを分析する。
そして、今後近い将来、遠い将来にどうなりたいかを思い浮かべる。
小さい課題、ミッションを少しずつ積み重ねていく。
自分自身に対する自信という鎧を身につけていく。

勝ちは、その先に結果としてあるもの。
自分がチームのために、何をやるべきか?何をしてきたか?
そして、全力でチャレンジしたか?
それを重視する。
私が今現在、たどり着いているところは、ここです。
その心境になると、あの雨の須賀川、灼熱のいわき新舞子で私の頬を流れた、あの静寂の風がパノラマで包み込みます。

勝ち負けにこだわるな。
失敗を恐れず、全力でチャレンジする、その姿勢をみろ。

そうなると、すーぅっと肩の力が抜けます。
試合にではなく、子供たちに真正面から向き合うことができる。
それは相手チームの選手たちへのリスペクトにも通じます。

一生懸命にやったならば、それでいいじゃないか!
今後もこの姿勢を貫いていきます。

「シュンペイ、レオ、マナト!三振してもいい、全力で振れ、一撃にかけろ!」
「ユナ、ユウキ!打たれてもいい、全力で投げろ!」
「レン、タイチ、コタロー!エラーするのはいい、全力で準備しろ!」

「結果を恐れるな!全力で挑め!」

この先も何回も言い続けていきます。
次男坊の中学野球が終わりました。
中学に入ったときは、同学年に野球部が少ないだろうと心配していましたが、結果的に人学年に9人も集まりました。
野球をやらないといっていたイーグルスOBも翻意して、野球部の門をくぐりました。
どこの中学も、若松の中学でさえも部員不足に悩まされている中、大健闘だと思います。
長男の時もそうでしたが、次男の時もいいメンバー、先生、保護者に恵まれました。
いい環境で野球ができる。いい環境で育つことができる。
植物も同じですね。
がちがちの勝利至上主義でもなく、だるだるのお気楽な部活でもない。
ちょうどいい塩梅の厳しさと楽しさがあったんだと私は思います。
中学校の野球はそれでいいと、むしろそれがいいと、私は思っています。
自分が将来どの方面に進んでいくのか?それをおぼろげながら模索している。
ぼわーっと、「俺は将来、何になる」という輪郭が見えつつある。
異性もいきりなり意識しはじめるでしょう。
小学校、中学校、高校、大学と大人になるまで、いろんな時代を過ごしてきますが、一番「何者」を意識する時代、それが中学校だと思います。
何者にもなることができる可能性が、中学時代にはあります。
だからこそ、面白い。

次男坊を見ていて、「あぁ~、楽しんでるなぁ」と思う時が多々あります。
兄貴の背中を追ってではないと思いますが、小学校時代からのソフトボールを継承すべく野球部に入りました。
ソフトボールの楽しさ、チームプレーの楽しさを理解したからこその、野球部という選択だったと思います。
長男の時は、「野球部以外なら、応援しない」というプレッシャーをかけてきましたが、次男の時はその心配はいらなかったようです。
ひょろっぽそく、筋肉量が少ない。
痩せているから、走力にたけているかと思えばそうでもない。
短距離も中距離も、長距離にも芽が出ない。
パワーもない。
とりたてて、秀でているものがない彼にとっては、野球というスポーツは向いていると思います。
足が速くて、パワーがあったほうがもちろん有利に働きますが、
足が遅くとも、パワーがなくても、ヒットを打てばいいんです。
技術介入の割合も大きい、これも野球の特徴だと思います。
打てばいい。
しかし、それも次男には遠い目標であったようです。
打てばいい、これが難しい。これこそ難しい。
センス、感覚といわれるものです。
長年スポ少という舞台で見てきていますが、やはり、センス、打撃感覚、守備感覚はあると思います。
ある程度は、努力でなんとかなりますが、その先となると越えがたい大きな壁がある。
センスがある者とないものとの差。
これを越えていくのは並大抵の努力ではなしえません。
次男坊、いいものはもっていると思いますが、なかなか実戦の場で結果としてでてくれません。
エラーもミスも、凡打も三振もたくさんしてきました。
本人も何回も落ち込んだと思います。
何回も怒られたところも見てきています。
指導者が厳しく叱ってくれるのは、それだけ彼のことを思ってくれているから、期待の裏返しだと私は思っています。
がしかし、たかだか15年しか生きてきていない彼にとっては、どう受け止めていいかわからなかった時もありました。
それでも、何回でも自分を奮い立たせることが、彼にはできます。
陰にこもらない。ここもいいところです。
何回も腐ったことでしょうが、立ち直りと心の整理が早いほうだと思います。
大きなエラーをしても、ちょっと落ち込んで、悔やんだとしても、またライトから大きな声が聞こえてくる。
これなんですよね。
私は、それで安心します。
そのきりかえの早さ。タフさ。
そこがタケゾウのいいところだと親の私は思っています。
今の時代、これからの時代にもとめられているもののひとつ、「こころのタフさ」というスキルが育っています。これも野球のおかげだと思っています。幾千の失敗が彼をカタナのように鍛えてくれた。

何かの記事で読みました。
ミスっても失敗しても、落ち込んだとしても、鬱にならずに立ち直るメンタルが強いといわれる人の特徴について。
そういう人は、ひとつの分野に固執するのではなく、いろんな分野に自分の居場所をもっていると。
思うに、自己肯定をする場所を複数もってるということでしょう。
ガラスのようにすぐに割れるのではなく、カーボンのようにいくつもの繊維で編み込まれているようなものだと理解しました。
失敗も多く、ミスもたくさんする。
へこたれるし、落ち込む。
しかし、不死鳥のように大きな声をだして、復活する。
次男坊はそういう男に育ってくれているようです。
この先、何回もそういう、やらかす場面にでくわすでしょう。
しかし、そうであっても、彼ならば立ち直ってくれると思います。
そして、失敗をした分だけ、同じ失敗をしてきた人の痛みがわかると思います。
親バカですが、彼は年寄りや小さい子に対する接し方がなっています。
100才にちかいひいばあさんにも優しい。
私が保護してきた捨て猫でさえも、私の次に彼になついています。いつも彼にぴったりくっついて寝ています。猫でさえも。
寄り添う。同じ目線に立とうとします。
ばあさんが出した料理がいつもと違う、茶色と黒ばっかりの料理であっても、とりあえ箸をつけます。
兄や妹がご飯を食べたらとっと自分の部屋にいく中、じいさまばあさまと最後まで話をしています。配慮があるんです。
たしかに野球はそんなに上手くはありませんが、そういう気づかいやコミュニケーションを野球から学んでいると思います。
ランナーが一塁にいるとき、彼はライト前ヒットを想定して、そうなった場合に、「三塁に投げるぞ!」とサードのタイセイに声をかけます。
状況を見て、事前にどうするかをシミュレーションして、それをあらかじめ仲間に伝えておく。
これは、将来、なんの仕事にいっても役に立つはずです。
野球を通して学んできたそういうことが、普段の生活に何気なく生きていると私は思っています。
そして、何より陽気で明るくあろうとする。
ものごとを楽しもうとする。
声もでかい、プラス思考で前向きな証拠です。
もう一回親バカですが、娘が嫁にいくとしたらこういう男のところに行ってほしいとさえ思います。
そんな彼が、おぼろげながら描いている将来の夢は「学校の先生」だそうです。
くしくも、私が中学の時にこころざしていた職業と同じです。
私も中学校の野球部の先生になりたかった・・・
息子も同じことを思っているかどうかはわかりませんが、その志は今後の彼を力強く押す推進力になってくれるはずです。

あんなに小さかったタケゾウですが、今はけっこう頼りにしています。
チャリンコで一時停止を無視して、車にひかれたこともありました。
生きていること、怪我の具合を確認してたいしたことがないことを確認した私が、おもいきりぶんなぐったことを彼は忘れないでしょう。
心配かけやがっての一撃でした。
ひいた人が止めに入ったほどでした。
下手したら死んでいました。
生きていてくれて、良かったとつくづく思います。
今でもときどき「車にひかれた息子をぶん殴る親がいるかね!」と彼はいいます。


次男坊も確実に成長している。
それを中学の野球が証明してくれています。
息子に限らず、高田中野球部もそうですが、野球をやっているすべての中学生が多かれ少なかれ、それを証明してくれています。
敵であったとしても、いいプレーには心を打たれますし、称賛に値します。
会津大会決勝の、酷暑の中、学鳳中学のエースピッチャーの投球とねばりは見事でした。
次男坊をはじめ、3年間の野球をつらぬいた野球少年たち。
野球をやってきた価値が十分あると思います。
この先に野球をやる、やらない、どちらにしろ、野球のDNAがきっちり組み込まれたと思います。
必ず、野球をやっていたことが、自分自身をすくってくれると思います。

彼らがそれを実感するのはまだまだ先の話です。

長男の時もそうでしたが、中学野球がひとつの区切りだと思います。
いい仲間に恵まれ、いい指導者にも恵まれました。
野球をやってくれて、良かったとつくづく思います。
部活を引退しても、彼の部屋にあるグローブは、相も変わらずきちんと磨かれています。
こういうところなんです。
わかってるな、と思わせてくれるところ。
野球という我々の共通言語を通して、わかり合えてるなと思います。
その次男坊も静かにバットを置きました。
3年間、よくがんばった。
その背中に、私はだまってお疲れさまといいます。


次男坊たちの長い夏が終わりました。
三年間の中学野球が終わりました。
福島民報杯県大会、県下16チームを集めて郡山の開成山球場をメインスタジアムとして開幕しました。
高田中野球部は、高瀬中学と一回戦で当たります。
高瀬中学はおそらく高瀬スポ少のOBがたくさんいるはずです。
かつて彼らの小学校時代、美里イーグルス時代に何回か対戦しているはずです。
思い出しました。青いユニホーム、メガネの勢いのいい監督さん。声の大きい熱血タイプです。
管理するのではなく、選手の個性を引き出してのびのび成長させていくタイプの指導者だと記憶しています。
そんな指導者のみなさん、保護者のみなさんに育てられた子供たちが弱いわけがありません。
激戦の県中地区を勝ち上がってきた理由はそういうところにあると思います。
スポ少の時もそうでしたが、がたいのいい選手、スラッガーがそろっています。そして、かつてのあの時と変わらずスポーツメガネ率も高し。
ただ、小学校の時よりも確実にパワーアップしています。
われらが高田中野球部、そこを相手にどう戦うか?

須賀川の牡丹台球場で一回戦は行われました。
大部分は忘れましたが、先にチャンスをつくるも先制できず、逆に先制されて突き放される厳しい展開となったと記憶しています。
それでもいったんは、反撃を加えて山場はつくりました。
しかし、またしても突き放される。
次男坊が、起死回生で仕掛けた三塁からのヒットエンドランを空振り。
虎の子の三塁ランナーのソウジが憤死したことは鮮明に覚えています。
せめて、ファールにしろよ!と心の激白。
しかし、彼は懸命にゴロを打とうとダウンスイングの軌道で振っていました。
そこにきた、高めの快速球。
高瀬のキャッチャー、ピッチャーのバッテリー、野球を知っています。
一死三塁で、7番のひょろ細いバッター。
何をしかてくるかと考える。
スクイズも想定される場面です。
私がキャッチャーならば、
アウトコース低めでバント失敗、もしくは打たれても凡打になりやすいコースを要求します。
しかし、高瀬中のバッテリーはあえて高めの直球で勝負に来ました。
バッテリーのポテンシャルをいかんなく発揮できるコースが、高めであることがお互いにきちんとわかっていました。
そして、相手は非力な7番バッター。
空振りを狙いにいったはずです。
空振りにならなくても、フライにする自信があったからこその高めの快速球。
そして、次男坊は空振りした。
高瀬のバッテリーは得点を許さず、三塁ランナーをアウトにした。
たった1球のやりとりですが、ものすごいドラマが凝縮されています。
しかし、スコアブックに書き込まれる事実はこれのみです。

7番の次男坊もこの場面の重要性は充分にわかっていたはずです。
次の1点がどちらに入るか?
勝負を決める分水嶺となる場面。
負けている高田中野球部としては、なんとしてでも点差を縮めるために1点が欲しい。
そのためにリスクをとるしかありません。
そのリスクの中でも最も成功確率が高いものを選んでいく。
打たせるのか、スクイズか、セーフティスクイズか、エンドランか?
選択肢はたくさんあります。
ここに勝負のあやがあるんです。
サインをだす。
あとは選手たちを信じるのみ。
エンドランだったようです。
スクイズよりも成功確率は若干落ちますが、バッターランナーも生き残る確率はこちらの方が高い。
得点した上で、ランナーもだすという思い切った戦法です。
この点差を考えれば1点ずつ刻むよりもいっきに点差をつめるという「賭け」にでたと、監督心理を察します。
そして、次男坊タケゾウならばそれができると信じた。
サインで意思を疎通する。
こういう息詰まる場面、生死を分かつような場面はスポーツでなくては、野球でなくては経験できません。
攻める方も守る方も、そして応援する方も心臓が飛び出るほど緊張する。
スタジアム全体が固唾をのむ。
どちらもすべてをこの1球にかける。

高瀬中のピッチャーもバッターのタケゾウも持てる限りの全力を尽くしたはずです。
絶対に打つvs絶対に抑える。
全力対全力。
刹那。
タケゾウは空振りし、エンドランでスタートを切った三塁ランナーは挟まれて憤死。
いっきに流れは高瀬中へと傾きました。

命運をわけるのはなんなんでしょうね。
センスなのか、努力の量なのか、試合の流れなのか?運なのか?
おそらくそのすべてなんだと思います。
ほんの少しだけ、ほんの数ミリだけ上回った方がいい結果を手に入れる。

勝負とは残酷なものです。
勝ち負けが必ずある。
勝つ者がいれば、かならず負ける者もいます。
がんばったから勝てる、上手くいくとは限らない。
どうやったっても勝てないと思うような相手と対戦することもあります。
勝てばさらに上を目指せばいいし、負けたとしてもいままでやってきたことは決して無駄にはなりません。改善点を探して、次に向けてまた走り出せばいいんです。 
勝つにしろ、負けるにしろ、どっちであっても人間的には前に進んで成長しているんです。
お笑い芸人、ティモンディーの高岸さんの言葉、
「やれば、できる!」
ライオンのグータッチで言っていました。
この言葉は、挑戦すれば、成功するという意味ではない。
いい結果がくるにしろ、悪い結果がくるにしろ、
挑戦すること(=「やれば」)で、人は必ず成長「できる!」という意味なんだそうです。
しごく、もっともで、これほど背中を押してくれる前向きな言葉はないと思います。
そして、この言葉を高岸さんが誰を相手にしても、どんな場面でも、いっさいぶれずに言うからこそ、さらに前向きな言葉になってると私は思います。
「やれば、できる。」
付け加えさせてもらうとすれば、
相手がどうであろうと全力で準備をして、
最後まで全力を尽くすということだと私は思います。
途中で負けたと諦める、勝負をぶんなげる。
果たしてそれが次につながる姿勢でしょうか?
たとえ、いったんはそう思ったとしても、折れた心のかけらをかき集めて、瞬間接着剤でくっつけでも立ち直る。
下を向いたとしても、何回でも心をリセットして、前を向きましょう。
横にいる仲間を見て、上を向きましょう。
負けているとき、負けたときほどその姿勢が問われると思います。

それこそ、スポーツをやる意味、野球をやる意味だと思っています。

次男坊たちは、それを三年間、野球というフィールドで仲間たちと実践してきました。
何回も負けました。何回もエラーをして、失敗をしました。
それでも、最後の最後まで、あきらめず野球を楽しんだと思います。
小学校の時から見れば、心も体もだいぶたくましく見えます。
私もそうでしたが、彼らは今人生の中でかけがえのない時代を過ごしていると思います。
一生の中で、こんなにもなにかに打ち込める時間を作れたことは彼らにとってこの先「宝」となることでしょう。
その宝とは「仲間」なんだと思います。
この時代を一緒にグランドで過ごした「仲間」。
いくつになっても、そいつらの顔をみるとあの時代を思い出します。
自分たちがあんなにもつらく、楽しく、
熱く打ち込める時間を仲間とともに過ごしていたことに気づく。
そして、あぁ明日も大丈夫だ!と前向きになれる。
息子たちの中学時代の野球部としての経験は、背骨となり、追い風となり自分自身を支えてくれるはずです。

タケゾウ、よくやった。
みんなといい時間を過ごしたな!
その言葉を肩をたたきながらかけます。

長男が中学野球を終えた時、抱きしめてやればよかったと書きました。
しかし、今回次男坊の時もなんか照れくさくてできませんでした。
代わりにそこにいた、かつての美里イーグルスキャプテン2年のユウキを抱きしめる。
このチーム、3年生たちを県大会まで連れてきたのは間違いなく彼らの活躍もありました。
イーグルスOBのレント、タイセイも成長著しい。
思いを次の世代の彼らに託します。
息子は抱きしめずともわかってくれるでしょう。
でも、やはり区切りとなったタイミングでハグしてやればよかったかなぁ。
ここができないが日本人、会津人なんでしょうね。
いや、同じ保護者のイッペイちゃんはアメリカ人並にみんなとハグしてたなぁ……
まぁ、このハグは高校までとっておくことにします。


かくしてタケゾウの中学野球は幕を下ろしました。
ここまでサポートしてくださった保護者の皆様、
指導してくださった先生方、
チームメイトの選手諸君、
このチームにたずさわっていただいたすべての方々に感謝いたします。
楽しかったですね。
ありがとうございました。


次男坊たちは、須賀川の地で静かにバットを置きました。

ラストミーティング、小樽潮陵高校監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
指導者の多くがこう思っていると思います。
勝つも負けるも、ヒットもエラーも、笑顔も涙も、
無駄なことなどひとつもない。
野球は間違いなく今後の彼らを支えてくれると私は信じています。

この先の彼らがどう成長していくか、それもまた楽しみです。


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