時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
春のセンバツ出場校が決定しました。
只見高校!
会津から63年ぶりの出場を果たします。
これはまさに会津の球児の夢。
それが叶った。
甲子園に会津の高校がでる。
全国の強豪校としのぎをけずる。
考えただけでワクワクします。
13人という少ない人数、公立高校、豪雪という不利な状況。
それだけではなく、いろんなことが不利に働いたことでしょう。
しかし、彼らはそれを糧としてきた。
無い物ねだりではなく、いまここで咲き誇ることを選んで積み重ねてきた。
それが、今、花を咲かせる。
今の彼らの奥に、いままで彼らを支えてきた方々の笑顔が見えます。
只見高校!
会津から63年ぶりの出場を果たします。
これはまさに会津の球児の夢。
それが叶った。
甲子園に会津の高校がでる。
全国の強豪校としのぎをけずる。
考えただけでワクワクします。
13人という少ない人数、公立高校、豪雪という不利な状況。
それだけではなく、いろんなことが不利に働いたことでしょう。
しかし、彼らはそれを糧としてきた。
無い物ねだりではなく、いまここで咲き誇ることを選んで積み重ねてきた。
それが、今、花を咲かせる。
今の彼らの奥に、いままで彼らを支えてきた方々の笑顔が見えます。
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その波はいきなりやってきました。
我々ではなく、全南選抜チームに。
初回にファーボールとエラーでいきなり3点を献上してしまいます。
おい!気前が良すぎないかい!
3点……
これで相手は余裕をもって選択肢も増えます。
対する会津選抜チームは、序盤こそ、1点ずつでいいんですが、回を追うにつれて確率の低い、思い切った策が必要となります。
となると、相手チームもこちらの作戦を読みやすくなります。
そこにきて、前の練習試合でもわかりましたが、バッテリーが、特にキャッチャーが元気が良くて、クレバーなんですよね。
扇の要として、チーム全体を鼓舞します。
彼の声、指示、これがまた、絶妙なタイミングで効果大。
三年前のユウキを思い出します。
屈強さ、ユーモアさ、状況把握からの対応力、機転、そしてなによりキャプテンシーがある。
キャッチャーとしての資質がそろっている。
いいキャッチャーなんですよ。
そして、実に絶妙なタイミングでチェンジアップを使ってくる。それがバンバン決まる。相手選手をよく観察している証拠です。
会津選抜は最後までこのチェンジアップに狂わされます。
まんまと、バッテリーの術中にハマってしまった。
3点を追いながらも、反撃の糸口さえ見つけられません。
先の田村選抜チーム戦では、バンバン決まっていたバントも決められません。
そこにきて、ランナーもでない。
手の打ちようがありません。
エース、ハルの調子もなかなかあがってきてくれません。
球威も明らかに落ちています。
そこにきて、忘れていた12月の寒さが徐々に忍び寄ってきます。
さらに2点を献上し、コールド負けの歌がだんだん聞こえてきました。
斜陽。
いわき新舞子の太陽が沈もうとしています。
会津選抜の命運もこのまま尽きてしまうのか?
流れは完全に全南選抜にいっています。
こういう時は、積極的にしかけるか、選手たちを信じてじっと待つかの二つにひとつです。
どうやってとったかは、忘れました。
中盤にきて、2点をもぎ取りました。
さぁ、あと3点。
全南選抜の尻尾が見えてきました。
ハルとコタローのバッテリー、なかなか調子があがらないまでも、なんとかその中でやりくりをしようとしています。
しかし、それも限界か。
コントロールも甘くなり、痛打される場面が増えてきました。
終盤にきて、これ以上の得点は許されませんが、追加点で離されます。
やる気を削いでくる。
おそらく、やってあと2回。上位打線にもう一回回せるかがカギとなるでしょう。
そこにきて、時間との戦いも視野に入れなければなりません。
どうやったら、効率よく時間を配分し、逆転にこぎつけるか?
上位に賭けるしかないと思うので、必要とあらば、下位に早打ちを命じることもあるでしょう。
しかし、そんなに上手くいかないんですよね。
下位を早く終わらせようとすると、意に反してファーボールで出たりする。
時間を目いっぱい使った上に、無得点という無残な結果に終わることも過去にありました。
思い通りにはいってくれない。
思惑通りにはいってくれないのがソフトボールというものです。
いわき新舞子にナイターが点灯しました。
人工的な光ではありますが、我々会津選抜にとっては、あきらめるな、もう一度がんばれと言ってているような、光でした。
何とか時間を上手く使い切り、最終回まで来ることができました。
やろうと思えばできる、遅延行為なども全南選抜にはいっさいありませんでした。
コールド負けはなくなりましたが、6点差。
疲れの見えるハルから、ユウマにピッチャーを交換します。公式戦、初登板となります。
別名「まんじゅう」、普段はひょうきんで、面白い奴ですが、今回のユウマはスイッチが入っています。
みんなが満身創痍、そしてこの点差。
俺だってやってやる!という闘志に溢れています。
俺はあきらめないというユウマの意思がみんなに伝染したかどうかはわかりません。
コールド負けになりそうになりながらも、最終回、おそらく最後の攻撃になるところまでなんとかもってきました。
後は、もてる全力を尽くすのみ。
しかし、この状況、全南選抜チームはほぼ勝ちを確信しています。
満塁ホームランでも追いつけない状況、向こうにも疲れは見えますが、少しぐらいミスっても致命傷にはならないという余裕が見えて取れます。
その余裕をいかんなく、チェンジアップに看過して会津選抜チームを手玉にとる相手バッテリー。
ここにきても警戒を緩めることはありません。
タツキが倒れ、代打のタイチも倒れる。
2死。
今度こそ本当に追い詰められました。
ここで、前の回に急にセカンドについたリョーマ。
この打順、1番はいつもならレンですが、やつは前の回守備の時、急に腹が痛くなって、試合を止めて、ベンチにダッシュ、監督に腹が痛いと言ってらトイレに駆け込みました。
いわき新舞子の夕暮れの寒さにやられたに違いありません。俺も寒かった。
ここで、レンがいない。1番の出塁率を誇る男がいない。レンはまだトイレと戦っています。
ここはこのままリョーマにうたせるか?
それとも、リョーマに代打か?
一時の逡巡、監督はリョーマを送り出します。
前の回、いきなり守りにいけと言われたリョーマ。
えーっ!俺ぇ!という表情が見て取れましたが、いったん守りを経験すると少し落ち着いたようです。
それでも、ツーアウト。
最後のバッターには誰もなりたくありません。
会津選抜チームも追い詰められていますが、この場面でバッターボックスに入るリョーマも追い詰められているでしょう。
応援しているお父さんお母さんもきがきでないでしょう。
パァーン、パァーンとテンポ良く投げ込む相手バッテリー。
そして、ツーストライク、いよいよもって後がない。崖っぷちというやつです。
6点差、全南選抜チームは90%セント以上勝ちを確信していると思います。
しかし、こういうところにこそ、ドラマは生まれます。
ほぼほぼ決まった試合、あぁ負けるんだろうなと覚悟を決めていると、途中から入った、この男、リョーマによって、ガラッと試合は変わります。
どんな男か?
それは必死になって、もがく男です。
潔く、きれいにではなく、どろくさく、かっこ良くなくてもいいから、自分の最善を尽くす男です。
私は思います。華やかさばかりに、気をとられガチではありますが、世の中の大半はこういう人たちによって動いていると。
自分の居場所で、最善を尽くそうとする人たちで成り立っていると思います。
間違いなく今回のリョーマもそのひとりです。
リョーマ、いつも追い詰められると、高めのボール球に手を出してしまいますが、今回は止まりました。ツーストライクに追い込まれて空振りしたフォームは、左バッター、前足の右足が完全に90度以上に曲がっていました。
それが意味するところは、前体重、前傾姿勢
だということです。
呼び込んで打っていない。どちらかというと迎えにいっている振りだなと初見から思っていました。
しかし、今、そんなことはどうだっていいんです。
いろいろ不利な条件の中であったとしても、今、ここ、この打席の中で彼は最善の努力をしているということがヒシヒシと伝わってきました。
もはや技術なんぞ、どうだっていい。
不安というよりは、やってやる!という意志が彼の眼光から見て取れます。
ここに至って、リョーマにかける言葉は、「がんばれ!」これしかありません。
いったん負けそうになった心に、ふたたびのブレイブハート!
頼む、頼むぞ、リョーマ!
私はサードコーチャーズボックスから、リョーマに全力応援をします。
こういう時って、ミリ単位で形勢が動きます。
リョーマが覚悟を決めて、持てる力を出し切ろうとする中、相手バッテリーの余裕があった呼吸が少しずつ乱れ始めます。
いったん、緩んだ気は中々もどりません。
こういう時って、なぜか審判のジャッジも厳しくなります。
きわどいところをつかれながらも、ボールを見極めるリョーマ、ものすごい集中力を発揮します。そして、ついにファーボールを選びます。
この大事な場面でよくぞ、ファーボールを選んだ。たいしたもんです。うるっときます。
ここでも、少し相手チームの歯車が狂います。
もしかしたら、ヒットよりも相手に与えるダメージは大きいと思います。
あれ、なんか違うなという違和感を相手に植え付けた。つけ込むスキが見えてきました。
2番のユウキを迎えます。
そしてここで浮かんでくる可能性。
前の試合でホームランを打っている3番のケイシンまで回せば、もしかしたらもしかするかもしれない。
そんな一縷(いちる)の望みを抱いてしまいます。
人が思うことは誰にも止められません。
そして、会津選抜チームの全人類がそれを期待してしまう。
そうなると、普段はおきないようなことが起きてしまうんですね。
念ずれば通ず。
人の思いは終わらない。
こういう場面に何回も遭遇していると、本当に人の思いは、通じる時があるんだなぁと思わされます。
そして、それは最後まで信じて、ひたむきに準備をしてきた者のみにくるということがよくわかります。
チャンスは準備された心に降り立つ。
それを地でいっている。
そこをリョーマが切り開いてくれた。
ユウキも何とかして塁にでます。
そして、この試合、会津選抜チームの最高潮の時はやってきます。
書いてきたことと、つじつまがあいませんが、ケイシンが打席に立ったとき、それは満塁だったと記憶しています。
タツキの前にヒロトが出ていたのか?
ん?なんか合わない……けれど、最終回裏、ツーアウト満塁、そして最強バッターのケイシンを迎えるという場面を作り出しました。これ以上はないという場面をみんなで紡いだ。
これはたいしたもんです。
死に体の会津選抜チーム。
しかし、彼らはただでは負けねえぞという意地を見せてくれています。
こういうのが、勝っても負けても次につながる挑戦だと私は言い続けています。
この場面で満塁までもってくるとは。
2:8この時点で、満塁ホームランを打ったとしても、まだまだ追いつけない状況。
しかし、我々はケイシンが打てば、もしかするかもしれないという希望に賭けています。
流れがこちらに来ると信じています。
このままでは終わらない。
このままでは終われない。
そして、ケイシンならば打つ、会津選抜チームにはそれしか考えはなかったはずです。
そのみんなの思い、悟空の元気玉のような思いを一心に受けるケイシンは、スウイング、一振り一振りに魂を込めています。
終わりの時は近い。
誰もがそう思っています。
ツーストライクと追い込まれました。
しかし、一分でも一秒でも長く、このメンバーで一緒に戦い、このお母さんお父さんとその家族に応援してもらいたい。
このメンバーで戦っていたい、その思いの全てをフルスイングに賭けます。
この大事な場面で、全南バッテリーは最後にチェンジアップを選びました。
たいしたもんだとしか言い様がない配球。見事です。
みんなの思いを込めたケイシンのバットは空を切りました。
三振。
悔しさもありましたが、してやられた感、それとやりきった顔がそこにありました。
ゲームセット。
終わってしまった……
まわりのナイター照明のカクテルライトに両チームのシルエットが浮かび上がります。
ひとつは上を向いて、もうひとつはうなだれる影となる。
肌寒く、すっかり暗くなったいわき新舞子。
ここに、2021会津選抜チームの最後の挨拶がこだましました。
私たちの旅はここで終わりました。
どこがいけなかったのかと振り返ってみる。
初回の3点が痛かった。
立ち上がりの不安定さを克服できませんでした。
それがバッテリー、ひいてはチーム全体の推進力になりえなかった。
しかし、中盤の追い上げ、時間切れにならずに最終回までもつれさせたこと。
そして、ツーアウトランナー無しから、最後の最後にヤマ場を作ったこと。
いくつかのいいプレーが今年の会津選抜チームのカラーを象徴しています。乗れば強く、やられてもただでは起きないしぶとさ。渋みのある濃紺、ネイビーというところでしょうか。
確かに、勝負には負けました。
しかし、完全には負けていない。
もう一回やったら負けない。
そんな前向きな負け方だったと、私は思います。
負けてもまだまだ完全に、完膚なきまでに負けたと思わない限り、私は負けていません。
ゲームセットの挨拶で頭を下げるとき、次はみてろよ!といつも思っています。
その意味では、負けることは次へのスタートでしかない。
多くの負けに彩られた敗者の道。
そこは下がるのではなく、ちょっとそれる迂回路でしかない。
しかし、このメンバーでやるのは今回が最後。
そうこれで最後だったんです。
試合後のラストミーティング。
真っ先に声を詰まらせたのは、佐藤監督でした。
あぁ、この人も人の気持ちがわかる人で、いい年をした大人でも、きちんと感情を出すことをためらいなくできる人なんだと思いました。
そして、そんな計算高いところでやっていない。
普段、あんなに速い鬼ノックを打つ人でも、あふれる涙は止めようがないんだなあと安心しました。
そういや三年前、テンカイのお父さんに言われたことを思い出しました。
「ちゃんと泣くことができる大人に会えてこの子たちは幸せだ。」と。そんなような意味だったと記憶しています。
大人だって泣くんです。鼻水を垂らして、おいおい泣く。高田イーグルスの福田コーチもそうですが、私もそう。
だって、あふれる感情を止めることができなくなるくらい、君たち選手がいろんな思いを見せてくれるから。
そんな時くらい、心を震わせてもいい。
心のダムを決壊させてもいいと思うんです。
佐藤監督もこちら側の人。
理論もそうですが、それを行動で示し、気持ちを前に出す。
だから、子供たちも保護者もついてくる。
そんな佐藤監督はいいました。
「いろいろあったけど、18人全員で最後まで戦えたことが1番良かった!」
ひとりひとりの顔をつぶさに見ながら、言葉を絞り出しています。最後の方は涙声。
18人という言葉に重みがありました。
もしかしたら、集まらなかったかもしれない18人。
くるしい船出ながら、ひとり増え、またひとり増えという水滸伝、梁山泊のような成り立ちのチームでした。
苦労しながらのチーム編成、ポジション、打順を佐藤監督を中心に作り上げてきました。
一試合を勝ち、これから彼らの真価を発揮させるというところで上手くいかなかった。
私もそうでしょうが、佐藤監督も山内コーチも大堀コーチも、もっともっと勝たしてやりたかったというのが本当のところです。
力の至らなさ、それが無力感と、最後に円になって、子供たちの真摯な視線を受けとめることができません。
「監督コーチ、どうでしたか?負けはしましたが僕たちは一生懸命にやりました!」
彼らの目がそう言っています。
一直線に突き刺してくる彼ら18人の視線。
受けきれませんよ。だって実際、彼らは一生懸命にやってきたんですから。そして、お母さんお父さんも一生懸命に彼らを支えてきた。我々はそれを一番近くで見てきました。
秋空の寒さの中、練習している選手たちを見守る保護者。何回も寒かったはずです。
そうやって作り上げたチームが、最後までいけなくて、ここで終わってしまった。
子供たちに対する感情が涙となってあふれ出てしまいます。
子供たちは、選手たちはよくやった。
もっともっと、勝たせてやりたかったし、もっともっと一緒にソフトボールをやりたかった。
それが、我々の本音です。
ただ、こういうような気持ちで相手も戦っています。それは同じなんですよね。
だからこそ、ドラマが生まれると思います。
本気だからこそ、面白いし、悔しい。
何回もいいますが、それもここで終わってしまうんです……
いわき新舞子に、いつもより大きな月がでています。
お母さんお父さんのような大きな月。優しい光。
その月が、負けてグランド隣の宿舎に向かって歩く我々を照らしていました。
さて、今年の2021会津選抜チーム、いわき新舞子劇場、かくのごとく戦い、終幕となりました。
我々ではなく、全南選抜チームに。
初回にファーボールとエラーでいきなり3点を献上してしまいます。
おい!気前が良すぎないかい!
3点……
これで相手は余裕をもって選択肢も増えます。
対する会津選抜チームは、序盤こそ、1点ずつでいいんですが、回を追うにつれて確率の低い、思い切った策が必要となります。
となると、相手チームもこちらの作戦を読みやすくなります。
そこにきて、前の練習試合でもわかりましたが、バッテリーが、特にキャッチャーが元気が良くて、クレバーなんですよね。
扇の要として、チーム全体を鼓舞します。
彼の声、指示、これがまた、絶妙なタイミングで効果大。
三年前のユウキを思い出します。
屈強さ、ユーモアさ、状況把握からの対応力、機転、そしてなによりキャプテンシーがある。
キャッチャーとしての資質がそろっている。
いいキャッチャーなんですよ。
そして、実に絶妙なタイミングでチェンジアップを使ってくる。それがバンバン決まる。相手選手をよく観察している証拠です。
会津選抜は最後までこのチェンジアップに狂わされます。
まんまと、バッテリーの術中にハマってしまった。
3点を追いながらも、反撃の糸口さえ見つけられません。
先の田村選抜チーム戦では、バンバン決まっていたバントも決められません。
そこにきて、ランナーもでない。
手の打ちようがありません。
エース、ハルの調子もなかなかあがってきてくれません。
球威も明らかに落ちています。
そこにきて、忘れていた12月の寒さが徐々に忍び寄ってきます。
さらに2点を献上し、コールド負けの歌がだんだん聞こえてきました。
斜陽。
いわき新舞子の太陽が沈もうとしています。
会津選抜の命運もこのまま尽きてしまうのか?
流れは完全に全南選抜にいっています。
こういう時は、積極的にしかけるか、選手たちを信じてじっと待つかの二つにひとつです。
どうやってとったかは、忘れました。
中盤にきて、2点をもぎ取りました。
さぁ、あと3点。
全南選抜の尻尾が見えてきました。
ハルとコタローのバッテリー、なかなか調子があがらないまでも、なんとかその中でやりくりをしようとしています。
しかし、それも限界か。
コントロールも甘くなり、痛打される場面が増えてきました。
終盤にきて、これ以上の得点は許されませんが、追加点で離されます。
やる気を削いでくる。
おそらく、やってあと2回。上位打線にもう一回回せるかがカギとなるでしょう。
そこにきて、時間との戦いも視野に入れなければなりません。
どうやったら、効率よく時間を配分し、逆転にこぎつけるか?
上位に賭けるしかないと思うので、必要とあらば、下位に早打ちを命じることもあるでしょう。
しかし、そんなに上手くいかないんですよね。
下位を早く終わらせようとすると、意に反してファーボールで出たりする。
時間を目いっぱい使った上に、無得点という無残な結果に終わることも過去にありました。
思い通りにはいってくれない。
思惑通りにはいってくれないのがソフトボールというものです。
いわき新舞子にナイターが点灯しました。
人工的な光ではありますが、我々会津選抜にとっては、あきらめるな、もう一度がんばれと言ってているような、光でした。
何とか時間を上手く使い切り、最終回まで来ることができました。
やろうと思えばできる、遅延行為なども全南選抜にはいっさいありませんでした。
コールド負けはなくなりましたが、6点差。
疲れの見えるハルから、ユウマにピッチャーを交換します。公式戦、初登板となります。
別名「まんじゅう」、普段はひょうきんで、面白い奴ですが、今回のユウマはスイッチが入っています。
みんなが満身創痍、そしてこの点差。
俺だってやってやる!という闘志に溢れています。
俺はあきらめないというユウマの意思がみんなに伝染したかどうかはわかりません。
コールド負けになりそうになりながらも、最終回、おそらく最後の攻撃になるところまでなんとかもってきました。
後は、もてる全力を尽くすのみ。
しかし、この状況、全南選抜チームはほぼ勝ちを確信しています。
満塁ホームランでも追いつけない状況、向こうにも疲れは見えますが、少しぐらいミスっても致命傷にはならないという余裕が見えて取れます。
その余裕をいかんなく、チェンジアップに看過して会津選抜チームを手玉にとる相手バッテリー。
ここにきても警戒を緩めることはありません。
タツキが倒れ、代打のタイチも倒れる。
2死。
今度こそ本当に追い詰められました。
ここで、前の回に急にセカンドについたリョーマ。
この打順、1番はいつもならレンですが、やつは前の回守備の時、急に腹が痛くなって、試合を止めて、ベンチにダッシュ、監督に腹が痛いと言ってらトイレに駆け込みました。
いわき新舞子の夕暮れの寒さにやられたに違いありません。俺も寒かった。
ここで、レンがいない。1番の出塁率を誇る男がいない。レンはまだトイレと戦っています。
ここはこのままリョーマにうたせるか?
それとも、リョーマに代打か?
一時の逡巡、監督はリョーマを送り出します。
前の回、いきなり守りにいけと言われたリョーマ。
えーっ!俺ぇ!という表情が見て取れましたが、いったん守りを経験すると少し落ち着いたようです。
それでも、ツーアウト。
最後のバッターには誰もなりたくありません。
会津選抜チームも追い詰められていますが、この場面でバッターボックスに入るリョーマも追い詰められているでしょう。
応援しているお父さんお母さんもきがきでないでしょう。
パァーン、パァーンとテンポ良く投げ込む相手バッテリー。
そして、ツーストライク、いよいよもって後がない。崖っぷちというやつです。
6点差、全南選抜チームは90%セント以上勝ちを確信していると思います。
しかし、こういうところにこそ、ドラマは生まれます。
ほぼほぼ決まった試合、あぁ負けるんだろうなと覚悟を決めていると、途中から入った、この男、リョーマによって、ガラッと試合は変わります。
どんな男か?
それは必死になって、もがく男です。
潔く、きれいにではなく、どろくさく、かっこ良くなくてもいいから、自分の最善を尽くす男です。
私は思います。華やかさばかりに、気をとられガチではありますが、世の中の大半はこういう人たちによって動いていると。
自分の居場所で、最善を尽くそうとする人たちで成り立っていると思います。
間違いなく今回のリョーマもそのひとりです。
リョーマ、いつも追い詰められると、高めのボール球に手を出してしまいますが、今回は止まりました。ツーストライクに追い込まれて空振りしたフォームは、左バッター、前足の右足が完全に90度以上に曲がっていました。
それが意味するところは、前体重、前傾姿勢
だということです。
呼び込んで打っていない。どちらかというと迎えにいっている振りだなと初見から思っていました。
しかし、今、そんなことはどうだっていいんです。
いろいろ不利な条件の中であったとしても、今、ここ、この打席の中で彼は最善の努力をしているということがヒシヒシと伝わってきました。
もはや技術なんぞ、どうだっていい。
不安というよりは、やってやる!という意志が彼の眼光から見て取れます。
ここに至って、リョーマにかける言葉は、「がんばれ!」これしかありません。
いったん負けそうになった心に、ふたたびのブレイブハート!
頼む、頼むぞ、リョーマ!
私はサードコーチャーズボックスから、リョーマに全力応援をします。
こういう時って、ミリ単位で形勢が動きます。
リョーマが覚悟を決めて、持てる力を出し切ろうとする中、相手バッテリーの余裕があった呼吸が少しずつ乱れ始めます。
いったん、緩んだ気は中々もどりません。
こういう時って、なぜか審判のジャッジも厳しくなります。
きわどいところをつかれながらも、ボールを見極めるリョーマ、ものすごい集中力を発揮します。そして、ついにファーボールを選びます。
この大事な場面でよくぞ、ファーボールを選んだ。たいしたもんです。うるっときます。
ここでも、少し相手チームの歯車が狂います。
もしかしたら、ヒットよりも相手に与えるダメージは大きいと思います。
あれ、なんか違うなという違和感を相手に植え付けた。つけ込むスキが見えてきました。
2番のユウキを迎えます。
そしてここで浮かんでくる可能性。
前の試合でホームランを打っている3番のケイシンまで回せば、もしかしたらもしかするかもしれない。
そんな一縷(いちる)の望みを抱いてしまいます。
人が思うことは誰にも止められません。
そして、会津選抜チームの全人類がそれを期待してしまう。
そうなると、普段はおきないようなことが起きてしまうんですね。
念ずれば通ず。
人の思いは終わらない。
こういう場面に何回も遭遇していると、本当に人の思いは、通じる時があるんだなぁと思わされます。
そして、それは最後まで信じて、ひたむきに準備をしてきた者のみにくるということがよくわかります。
チャンスは準備された心に降り立つ。
それを地でいっている。
そこをリョーマが切り開いてくれた。
ユウキも何とかして塁にでます。
そして、この試合、会津選抜チームの最高潮の時はやってきます。
書いてきたことと、つじつまがあいませんが、ケイシンが打席に立ったとき、それは満塁だったと記憶しています。
タツキの前にヒロトが出ていたのか?
ん?なんか合わない……けれど、最終回裏、ツーアウト満塁、そして最強バッターのケイシンを迎えるという場面を作り出しました。これ以上はないという場面をみんなで紡いだ。
これはたいしたもんです。
死に体の会津選抜チーム。
しかし、彼らはただでは負けねえぞという意地を見せてくれています。
こういうのが、勝っても負けても次につながる挑戦だと私は言い続けています。
この場面で満塁までもってくるとは。
2:8この時点で、満塁ホームランを打ったとしても、まだまだ追いつけない状況。
しかし、我々はケイシンが打てば、もしかするかもしれないという希望に賭けています。
流れがこちらに来ると信じています。
このままでは終わらない。
このままでは終われない。
そして、ケイシンならば打つ、会津選抜チームにはそれしか考えはなかったはずです。
そのみんなの思い、悟空の元気玉のような思いを一心に受けるケイシンは、スウイング、一振り一振りに魂を込めています。
終わりの時は近い。
誰もがそう思っています。
ツーストライクと追い込まれました。
しかし、一分でも一秒でも長く、このメンバーで一緒に戦い、このお母さんお父さんとその家族に応援してもらいたい。
このメンバーで戦っていたい、その思いの全てをフルスイングに賭けます。
この大事な場面で、全南バッテリーは最後にチェンジアップを選びました。
たいしたもんだとしか言い様がない配球。見事です。
みんなの思いを込めたケイシンのバットは空を切りました。
三振。
悔しさもありましたが、してやられた感、それとやりきった顔がそこにありました。
ゲームセット。
終わってしまった……
まわりのナイター照明のカクテルライトに両チームのシルエットが浮かび上がります。
ひとつは上を向いて、もうひとつはうなだれる影となる。
肌寒く、すっかり暗くなったいわき新舞子。
ここに、2021会津選抜チームの最後の挨拶がこだましました。
私たちの旅はここで終わりました。
どこがいけなかったのかと振り返ってみる。
初回の3点が痛かった。
立ち上がりの不安定さを克服できませんでした。
それがバッテリー、ひいてはチーム全体の推進力になりえなかった。
しかし、中盤の追い上げ、時間切れにならずに最終回までもつれさせたこと。
そして、ツーアウトランナー無しから、最後の最後にヤマ場を作ったこと。
いくつかのいいプレーが今年の会津選抜チームのカラーを象徴しています。乗れば強く、やられてもただでは起きないしぶとさ。渋みのある濃紺、ネイビーというところでしょうか。
確かに、勝負には負けました。
しかし、完全には負けていない。
もう一回やったら負けない。
そんな前向きな負け方だったと、私は思います。
負けてもまだまだ完全に、完膚なきまでに負けたと思わない限り、私は負けていません。
ゲームセットの挨拶で頭を下げるとき、次はみてろよ!といつも思っています。
その意味では、負けることは次へのスタートでしかない。
多くの負けに彩られた敗者の道。
そこは下がるのではなく、ちょっとそれる迂回路でしかない。
しかし、このメンバーでやるのは今回が最後。
そうこれで最後だったんです。
試合後のラストミーティング。
真っ先に声を詰まらせたのは、佐藤監督でした。
あぁ、この人も人の気持ちがわかる人で、いい年をした大人でも、きちんと感情を出すことをためらいなくできる人なんだと思いました。
そして、そんな計算高いところでやっていない。
普段、あんなに速い鬼ノックを打つ人でも、あふれる涙は止めようがないんだなあと安心しました。
そういや三年前、テンカイのお父さんに言われたことを思い出しました。
「ちゃんと泣くことができる大人に会えてこの子たちは幸せだ。」と。そんなような意味だったと記憶しています。
大人だって泣くんです。鼻水を垂らして、おいおい泣く。高田イーグルスの福田コーチもそうですが、私もそう。
だって、あふれる感情を止めることができなくなるくらい、君たち選手がいろんな思いを見せてくれるから。
そんな時くらい、心を震わせてもいい。
心のダムを決壊させてもいいと思うんです。
佐藤監督もこちら側の人。
理論もそうですが、それを行動で示し、気持ちを前に出す。
だから、子供たちも保護者もついてくる。
そんな佐藤監督はいいました。
「いろいろあったけど、18人全員で最後まで戦えたことが1番良かった!」
ひとりひとりの顔をつぶさに見ながら、言葉を絞り出しています。最後の方は涙声。
18人という言葉に重みがありました。
もしかしたら、集まらなかったかもしれない18人。
くるしい船出ながら、ひとり増え、またひとり増えという水滸伝、梁山泊のような成り立ちのチームでした。
苦労しながらのチーム編成、ポジション、打順を佐藤監督を中心に作り上げてきました。
一試合を勝ち、これから彼らの真価を発揮させるというところで上手くいかなかった。
私もそうでしょうが、佐藤監督も山内コーチも大堀コーチも、もっともっと勝たしてやりたかったというのが本当のところです。
力の至らなさ、それが無力感と、最後に円になって、子供たちの真摯な視線を受けとめることができません。
「監督コーチ、どうでしたか?負けはしましたが僕たちは一生懸命にやりました!」
彼らの目がそう言っています。
一直線に突き刺してくる彼ら18人の視線。
受けきれませんよ。だって実際、彼らは一生懸命にやってきたんですから。そして、お母さんお父さんも一生懸命に彼らを支えてきた。我々はそれを一番近くで見てきました。
秋空の寒さの中、練習している選手たちを見守る保護者。何回も寒かったはずです。
そうやって作り上げたチームが、最後までいけなくて、ここで終わってしまった。
子供たちに対する感情が涙となってあふれ出てしまいます。
子供たちは、選手たちはよくやった。
もっともっと、勝たせてやりたかったし、もっともっと一緒にソフトボールをやりたかった。
それが、我々の本音です。
ただ、こういうような気持ちで相手も戦っています。それは同じなんですよね。
だからこそ、ドラマが生まれると思います。
本気だからこそ、面白いし、悔しい。
何回もいいますが、それもここで終わってしまうんです……
いわき新舞子に、いつもより大きな月がでています。
お母さんお父さんのような大きな月。優しい光。
その月が、負けてグランド隣の宿舎に向かって歩く我々を照らしていました。
さて、今年の2021会津選抜チーム、いわき新舞子劇場、かくのごとく戦い、終幕となりました。
今年の会津選抜が、ワンチームだと思えた理由。
そのもうひとつ。
それは、ヒロトの居場所です。
コロナの影響もあって、高田イーグルスが参加を見送り、今年の会津選抜チームは当初10人という、ギリギリの人数となりました。
まさに前途多難の船出。
チーム事情により湯川さんが会津東部選抜チームに加入することになりました。
その時点で、9人。
それでは少なすぎて、編成に支障がでるだろうからということで、会津東部選抜から磐梯スポ少さんが移動することになりました。
ということで、磐梯スポ少さんから、唯一の6年生でエースであるヒロトの参加が決まりました。
これは、うれしかった。
10人になった。
これが良かった。
9人だったなら、ひとりでも欠けたらアウトという崖っぷちで強敵を相手にしなければなりません。
そこに、ヒロトというメンバーが加入してくれました。
なぜ良かったかというと、偶然ではありますが、今年のを春先に、ヒロトが高田イーグルスの6年生と一緒のチームとなり、試合をしたことがありました。
やっておいて良かった。
そうなんです、ヒロトは、すでに仮の会津選抜チームの一員として参加していたんです。
それがわかっていただけに、私はそれが良かったと、言ったんです。
なんとか最初のメンバーの10人がそろいました。
しかし、ヒロトは他のスポ少が複数人で参加する中、たったひとりでの参加となりました。
ヒロトもそうですが、ご家族も心細かったと思います。
ここで、私の心配が生まれます。
ヒロトの行動に遠慮が見られたからです。
ベンチに入るときは、いつも1番端っこに場所をとります。
座るところがないときは、立っている。
この遠慮がいらねえなと思っていました。
坂下ヒーローズのユウマのように、はじめから、もう何十年も同じ釜の飯を食っているかのようにな態度、これこそバチコイ!なんです。
ヒロトに気を使わせている。
このヒロトの遠慮がある限りは、本当の意味でヒロトを会津選抜チームの一員として、迎え入れていないなと私は思いました。
受け入れ側として、ヒロトの遠慮を取っぱらわなければならないと思いました。
それが会津選抜チームのためでもある。
磐梯スポ少から、ひとりで参加していると思わせてはならない。
会津選抜チームの一員として、心からみんなと溶け合うようにしていこうと思いました。
ベンチの端っこにいれば、真ん中にいけ、みんなと一緒に座れと言います。
なるべく、ひとりにならないようにと、ヒロトを見ていましたが、すぐさまそんな配慮は無用だと分かりました。
大人の気づかいなんて、ソフトボールというチームスポーツの前では、無用の長物だったんですね。
この子たちは、ただ単に一緒にソフトボールをプレーするだけで、どんどん溶け合っていきます。
ヒロトが少しだけ不安を感じたのは、ほんの最初のころだけだったと思います。
同じ年代に生まれた仲間たちと一緒にプレーするだけで、すぐに打ち解けていきます。
そんなヒロトをみていて、彼のこれまでの歴史を思い浮かべました。
磐梯スポ少さんの中で唯一の6年生。
思いかえしてみれば、高田イーグルス、美里イーグルスは、ヒロトと何回も対戦してきています。
二年前の秋の民友杯、雨の磐梯二小のグランド、ソウゴ世代の美里イーグルス(このころは高田さんと合併前)が、本郷さんに負けてガッカリしていた時に練習試合をやりました。
その時、4年生以下のチームだと聞いていました。
そして、昨年、高田イーグルスとなった美里親善大会の決勝で5年生以下のチームとなっていた磐梯さんと戦いました。
ヒロトはずっと磐梯スポ少さんの最上級生として、最前線に立ってきていました。
今思えば、その最上級生がヒロト、ひとりだったんですね。
昨年の親善大会決勝で、メンバー全員が6年生の高田イーグルスは容赦なく磐梯さんに襲いかかりました。
大量得点を相手チームに許す中、ヒロトは若い磐梯スポ少の1番先頭に立って率いていました。
そういう試合がいままで何回もあったはずです。
ヒロトは磐梯スポ少の最前線にいたんです。
今年、喜多方ボーイズ杯で高田スポ少単独チームと磐梯スポ少が3位決定戦で対戦した時、ヒロトは先発しませんでした。
なぜなんだろうと思っていましたが、ヒロトは前の試合の湯川戦で打ち込まれて、心が折れていたそうです。
磐梯スポ少の加藤監督から、試合後に決して手を抜いた訳ではありませんと言われましたが、チーム事情はどのチームにもあること、そんな心配は無用ですと伝えたことを思い出しました。
心が折れていた。
それを、聞いて「ヒロト~、大丈夫か?」
と聞くと「だめで~す!」と彼の返事。
だめですと言えるうちは大丈夫だなと、思ったことを思い出しました。
磐梯スポ少では、ただひとりの6年生。
しかし、この会津選抜ではチームメイトは同じ年代の同級生のみ。
同学年と一緒に遠慮のないプレーをしたことがない。
ヒロトが遠慮するのは、こういう戸惑いもあったのかもしれないと勝手に想像しています。
しかし、練習を重ねていく中で、ヒロトの中の何かが変わってくれたようです。
ベンチの端っこに座ることもなくなりました。
私が気を使わなくても、みんなの中に溶け込んでいる。
ヒロトという1本の「糸」が、メンバーと交わっているなと安心した瞬間でした。
ヒロトの居場所はここにもある。
これで、ヒロトも心から会津選抜チームのメンバーになったなと、思えた瞬間でもあります。
会津選抜チームとして初の対外練習試合、
西白選抜、全南選抜と対戦した時、レンがケガで出れない穴をヒロトはリードオフマンとして見事に埋めて見せました。
西白選抜、あの長身の豪腕ピッチャーから打ったホームランが会津選抜チームの唯一の得点、同点となり負けを免れました。
ヒロトが伸び伸びとプレーする姿。
あの瞬間は磐梯のヒロトではなく、我らが会津選抜のヒロトです!
それは何も、ヒロトだけの話ではありません。
各チームの選手たちが、レギュラーもそうでない選手も会津選抜チームとして、自分の役割を果たしていきます。
その意味で、ヒロトもユナも、みんなが今年の会津選抜チームとなっていきました。
一丸になっていく。ひとつになっていく。
そのさまを我々は見てきました。
そして、今年もなんとかなると思えた。
さぁあとはやるだけです。
やるなら、今しかねえ!
会津選抜チーム出陣です!
そのもうひとつ。
それは、ヒロトの居場所です。
コロナの影響もあって、高田イーグルスが参加を見送り、今年の会津選抜チームは当初10人という、ギリギリの人数となりました。
まさに前途多難の船出。
チーム事情により湯川さんが会津東部選抜チームに加入することになりました。
その時点で、9人。
それでは少なすぎて、編成に支障がでるだろうからということで、会津東部選抜から磐梯スポ少さんが移動することになりました。
ということで、磐梯スポ少さんから、唯一の6年生でエースであるヒロトの参加が決まりました。
これは、うれしかった。
10人になった。
これが良かった。
9人だったなら、ひとりでも欠けたらアウトという崖っぷちで強敵を相手にしなければなりません。
そこに、ヒロトというメンバーが加入してくれました。
なぜ良かったかというと、偶然ではありますが、今年のを春先に、ヒロトが高田イーグルスの6年生と一緒のチームとなり、試合をしたことがありました。
やっておいて良かった。
そうなんです、ヒロトは、すでに仮の会津選抜チームの一員として参加していたんです。
それがわかっていただけに、私はそれが良かったと、言ったんです。
なんとか最初のメンバーの10人がそろいました。
しかし、ヒロトは他のスポ少が複数人で参加する中、たったひとりでの参加となりました。
ヒロトもそうですが、ご家族も心細かったと思います。
ここで、私の心配が生まれます。
ヒロトの行動に遠慮が見られたからです。
ベンチに入るときは、いつも1番端っこに場所をとります。
座るところがないときは、立っている。
この遠慮がいらねえなと思っていました。
坂下ヒーローズのユウマのように、はじめから、もう何十年も同じ釜の飯を食っているかのようにな態度、これこそバチコイ!なんです。
ヒロトに気を使わせている。
このヒロトの遠慮がある限りは、本当の意味でヒロトを会津選抜チームの一員として、迎え入れていないなと私は思いました。
受け入れ側として、ヒロトの遠慮を取っぱらわなければならないと思いました。
それが会津選抜チームのためでもある。
磐梯スポ少から、ひとりで参加していると思わせてはならない。
会津選抜チームの一員として、心からみんなと溶け合うようにしていこうと思いました。
ベンチの端っこにいれば、真ん中にいけ、みんなと一緒に座れと言います。
なるべく、ひとりにならないようにと、ヒロトを見ていましたが、すぐさまそんな配慮は無用だと分かりました。
大人の気づかいなんて、ソフトボールというチームスポーツの前では、無用の長物だったんですね。
この子たちは、ただ単に一緒にソフトボールをプレーするだけで、どんどん溶け合っていきます。
ヒロトが少しだけ不安を感じたのは、ほんの最初のころだけだったと思います。
同じ年代に生まれた仲間たちと一緒にプレーするだけで、すぐに打ち解けていきます。
そんなヒロトをみていて、彼のこれまでの歴史を思い浮かべました。
磐梯スポ少さんの中で唯一の6年生。
思いかえしてみれば、高田イーグルス、美里イーグルスは、ヒロトと何回も対戦してきています。
二年前の秋の民友杯、雨の磐梯二小のグランド、ソウゴ世代の美里イーグルス(このころは高田さんと合併前)が、本郷さんに負けてガッカリしていた時に練習試合をやりました。
その時、4年生以下のチームだと聞いていました。
そして、昨年、高田イーグルスとなった美里親善大会の決勝で5年生以下のチームとなっていた磐梯さんと戦いました。
ヒロトはずっと磐梯スポ少さんの最上級生として、最前線に立ってきていました。
今思えば、その最上級生がヒロト、ひとりだったんですね。
昨年の親善大会決勝で、メンバー全員が6年生の高田イーグルスは容赦なく磐梯さんに襲いかかりました。
大量得点を相手チームに許す中、ヒロトは若い磐梯スポ少の1番先頭に立って率いていました。
そういう試合がいままで何回もあったはずです。
ヒロトは磐梯スポ少の最前線にいたんです。
今年、喜多方ボーイズ杯で高田スポ少単独チームと磐梯スポ少が3位決定戦で対戦した時、ヒロトは先発しませんでした。
なぜなんだろうと思っていましたが、ヒロトは前の試合の湯川戦で打ち込まれて、心が折れていたそうです。
磐梯スポ少の加藤監督から、試合後に決して手を抜いた訳ではありませんと言われましたが、チーム事情はどのチームにもあること、そんな心配は無用ですと伝えたことを思い出しました。
心が折れていた。
それを、聞いて「ヒロト~、大丈夫か?」
と聞くと「だめで~す!」と彼の返事。
だめですと言えるうちは大丈夫だなと、思ったことを思い出しました。
磐梯スポ少では、ただひとりの6年生。
しかし、この会津選抜ではチームメイトは同じ年代の同級生のみ。
同学年と一緒に遠慮のないプレーをしたことがない。
ヒロトが遠慮するのは、こういう戸惑いもあったのかもしれないと勝手に想像しています。
しかし、練習を重ねていく中で、ヒロトの中の何かが変わってくれたようです。
ベンチの端っこに座ることもなくなりました。
私が気を使わなくても、みんなの中に溶け込んでいる。
ヒロトという1本の「糸」が、メンバーと交わっているなと安心した瞬間でした。
ヒロトの居場所はここにもある。
これで、ヒロトも心から会津選抜チームのメンバーになったなと、思えた瞬間でもあります。
会津選抜チームとして初の対外練習試合、
西白選抜、全南選抜と対戦した時、レンがケガで出れない穴をヒロトはリードオフマンとして見事に埋めて見せました。
西白選抜、あの長身の豪腕ピッチャーから打ったホームランが会津選抜チームの唯一の得点、同点となり負けを免れました。
ヒロトが伸び伸びとプレーする姿。
あの瞬間は磐梯のヒロトではなく、我らが会津選抜のヒロトです!
それは何も、ヒロトだけの話ではありません。
各チームの選手たちが、レギュラーもそうでない選手も会津選抜チームとして、自分の役割を果たしていきます。
その意味で、ヒロトもユナも、みんなが今年の会津選抜チームとなっていきました。
一丸になっていく。ひとつになっていく。
そのさまを我々は見てきました。
そして、今年もなんとかなると思えた。
さぁあとはやるだけです。
やるなら、今しかねえ!
会津選抜チーム出陣です!
18と言えば……
野球をかじってきた人であれば、特別な番号であるのはわかると思います。
18番は、エースナンバー。
昔読んでた漫画の影響で、息子ができたら、一八と書いて、カズヤと読ませようなんて思っていたときもありました。
背番号18。
かっこいいですよね。
しかし、今回は違います。
18
今回は、今年の会津選抜メンバーの人数です。
選手登録は、17人。
しかし、佐藤監督と私、他の指導陣が「18」にこだわるのにはちゃんとした理由があるんです。
今回は男子選抜大会。当然、女子は参加資格がありません。
それをわかっていながら、高田イーグルスのエース、ユナは会津選抜の練習に参加していました。
本人の意志はもちろんですが、ご家族の意向もありました。
本来ならば、練習に参加する義務はないんです。
晩秋のナイターは、いろいろ寒いです。
そして、なによりモチベーションの維持が難しいと思います。
自分に参加資格がない、男子の大会に出るための練習なんですから、なおさら難しいと思います。
本来ならば、こたつでぬくぬくしながら、せんべいとみかんを食っていていい立場です。
しかし、ユナとそのご家族はそうしなかった。
一つ上のあにき、ユウゴの影響も強くあるでしょう。
自分が大会に参加しようがしまいが、それは後。
ともかく、この時代に時を同じくして生まれた、このメンバーと一緒に練習をしたい。
その思い、ひとつなんだろうと、私はかってに思っています。
親であれば、本当は止めていい、ところです。
ですが、ユナのご両親はそうしなかった。
おそらく、そうしなかったどころか、どんどん会津選抜に参加しなさいと進めたと私は思います。
いまだかつてない。
それが、佐藤監督も大堀コーチ、山内コーチも、そして私もうれしかった。
しかし、どうしても登録上、ユナを選手登録はできません。
となると、ユニフォームも必要ではなくなる。
ここまで一緒に、会津選抜として練習に参加してしたユナに報いるためには、どうしたらいいかと、ふと考えました。
ここは、私の独断になってもいいから、ユナのユニフォームもみんなと一緒に作ろうと思いました。
もちろん、ユナのご両親にはご負担をいただかないで。
そうして、作成の手続きを進めていると……
佐藤監督が、
「コーチ、折り入ってご相談が……
私が負担するんで、ユナのユニフォームも作ってくれないかい?」といってきます。
そして、それは大堀コーチも、山内コーチもおなじ気持ちでした。
みんなが、みんな同じことを考えていた。
それほど、会津選抜に対する、ユナの貢献度は高いということでしょう。
それを、みんなで話し合ったわけでもなく、指導者ひとりひとりが思っていて、ユナのためにこっそりとひと肌脱ごうとしていた。
私は、それにこころを動かされました。
この指導者たちってすげえ!(もちろん、私もはいっていますよ)
そういう気づかい、他者へのおもいやり、そして感謝をちゃんと形として示す行動力。
この人たちは、女の子にもてるはずだと思いました(もう一回いいますけど、私も入っていますよ)
こういう指導陣のもとにならば、ソフトボールとチームプレーの大切さを学べるはずだと私は断言します。
かくして、ユナの背番号1のユニフォームはいろんな人の思いをこめて作成されました。
エース、ハルと、もうひとりのエース、ユナ。
会津選抜チームには、背番号1がふたり存在します。
両雄並び立つ!かっこいい。
そしてこのエピソードには後日談があります。
この大会は、男子選抜大会、なので女子のユナはベンチに入れません。
しかし、なんとかして、いままで一緒に戦ってきたユナをベンチに入れたい、そう思った佐藤監督は、大会事務局に直談判をしにいきます。
私はそこまではしなくてもいい思っていたのですが、佐藤監督はそうではなかったようです。
そして、トレーナーとして、チームスタッフのひとりとして、ベンチに入ることが許されました。
選手としての出場はかないませんが、背番号1を防寒着の下に背負いつつ、みんなと一緒にベンチから同じ景色をユナは見ることができました。
それがうれしかった。
ユナは幸せものです。
そう、ご両親は言っていました。
いえいえ、試合に出れなくても一緒に練習をしてチームを支えようと行動で示したユナがすごいんです。
そして、そのユナを送迎したり、サポートをするご家族がすごいんです。
そんなユナと一緒に会津選抜チームとしてプレーができる、選手を含め、我々も幸せものなんです。
ひとりひとりの「糸」があたたかい毛布となって、包み込む。それがここにあります。
世の中って、こういうありがとうと、「自分たちはみんなのおかげで、しあわせだ。」という気づきにもっともっと溢れたらいいと私は思います。
そういう心遣い。行動で示す。
佐藤監督、あなたはすごい。
それともうひとつ私は気づきました。
佐藤監督は、会津選抜チームを言うとき、必ず選手18名といいます。
こういうところなんですよね。
そこには、必ずユナが入っています。
常に一緒に戦っているという意識があるからこそ、「18」という数字が至極自然にでてくる。
選手登録は17名ということは分かっているはずです。
それを聞くたびに、じーんと感動するとともに、この人は、選手とご家族の気持ちがわかっているなと感謝をします。
ありがとうございます佐藤監督!
一緒に戦えて私も光栄ですと思い直します。
会津選抜チームがひとつになる要因がこういうところにもあると思います。
大会後のラストミーティングで、佐藤監督は涙で声をつまらせながら言いました。
「この18人で戦ってこれて良かった!」
その言葉に今年の会津選抜の全てが含まれていると私は思います。
今年もいいチームだった。
それと、そう思えた理由がもうひとつあります。
それは次回!
野球をかじってきた人であれば、特別な番号であるのはわかると思います。
18番は、エースナンバー。
昔読んでた漫画の影響で、息子ができたら、一八と書いて、カズヤと読ませようなんて思っていたときもありました。
背番号18。
かっこいいですよね。
しかし、今回は違います。
18
今回は、今年の会津選抜メンバーの人数です。
選手登録は、17人。
しかし、佐藤監督と私、他の指導陣が「18」にこだわるのにはちゃんとした理由があるんです。
今回は男子選抜大会。当然、女子は参加資格がありません。
それをわかっていながら、高田イーグルスのエース、ユナは会津選抜の練習に参加していました。
本人の意志はもちろんですが、ご家族の意向もありました。
本来ならば、練習に参加する義務はないんです。
晩秋のナイターは、いろいろ寒いです。
そして、なによりモチベーションの維持が難しいと思います。
自分に参加資格がない、男子の大会に出るための練習なんですから、なおさら難しいと思います。
本来ならば、こたつでぬくぬくしながら、せんべいとみかんを食っていていい立場です。
しかし、ユナとそのご家族はそうしなかった。
一つ上のあにき、ユウゴの影響も強くあるでしょう。
自分が大会に参加しようがしまいが、それは後。
ともかく、この時代に時を同じくして生まれた、このメンバーと一緒に練習をしたい。
その思い、ひとつなんだろうと、私はかってに思っています。
親であれば、本当は止めていい、ところです。
ですが、ユナのご両親はそうしなかった。
おそらく、そうしなかったどころか、どんどん会津選抜に参加しなさいと進めたと私は思います。
いまだかつてない。
それが、佐藤監督も大堀コーチ、山内コーチも、そして私もうれしかった。
しかし、どうしても登録上、ユナを選手登録はできません。
となると、ユニフォームも必要ではなくなる。
ここまで一緒に、会津選抜として練習に参加してしたユナに報いるためには、どうしたらいいかと、ふと考えました。
ここは、私の独断になってもいいから、ユナのユニフォームもみんなと一緒に作ろうと思いました。
もちろん、ユナのご両親にはご負担をいただかないで。
そうして、作成の手続きを進めていると……
佐藤監督が、
「コーチ、折り入ってご相談が……
私が負担するんで、ユナのユニフォームも作ってくれないかい?」といってきます。
そして、それは大堀コーチも、山内コーチもおなじ気持ちでした。
みんなが、みんな同じことを考えていた。
それほど、会津選抜に対する、ユナの貢献度は高いということでしょう。
それを、みんなで話し合ったわけでもなく、指導者ひとりひとりが思っていて、ユナのためにこっそりとひと肌脱ごうとしていた。
私は、それにこころを動かされました。
この指導者たちってすげえ!(もちろん、私もはいっていますよ)
そういう気づかい、他者へのおもいやり、そして感謝をちゃんと形として示す行動力。
この人たちは、女の子にもてるはずだと思いました(もう一回いいますけど、私も入っていますよ)
こういう指導陣のもとにならば、ソフトボールとチームプレーの大切さを学べるはずだと私は断言します。
かくして、ユナの背番号1のユニフォームはいろんな人の思いをこめて作成されました。
エース、ハルと、もうひとりのエース、ユナ。
会津選抜チームには、背番号1がふたり存在します。
両雄並び立つ!かっこいい。
そしてこのエピソードには後日談があります。
この大会は、男子選抜大会、なので女子のユナはベンチに入れません。
しかし、なんとかして、いままで一緒に戦ってきたユナをベンチに入れたい、そう思った佐藤監督は、大会事務局に直談判をしにいきます。
私はそこまではしなくてもいい思っていたのですが、佐藤監督はそうではなかったようです。
そして、トレーナーとして、チームスタッフのひとりとして、ベンチに入ることが許されました。
選手としての出場はかないませんが、背番号1を防寒着の下に背負いつつ、みんなと一緒にベンチから同じ景色をユナは見ることができました。
それがうれしかった。
ユナは幸せものです。
そう、ご両親は言っていました。
いえいえ、試合に出れなくても一緒に練習をしてチームを支えようと行動で示したユナがすごいんです。
そして、そのユナを送迎したり、サポートをするご家族がすごいんです。
そんなユナと一緒に会津選抜チームとしてプレーができる、選手を含め、我々も幸せものなんです。
ひとりひとりの「糸」があたたかい毛布となって、包み込む。それがここにあります。
世の中って、こういうありがとうと、「自分たちはみんなのおかげで、しあわせだ。」という気づきにもっともっと溢れたらいいと私は思います。
そういう心遣い。行動で示す。
佐藤監督、あなたはすごい。
それともうひとつ私は気づきました。
佐藤監督は、会津選抜チームを言うとき、必ず選手18名といいます。
こういうところなんですよね。
そこには、必ずユナが入っています。
常に一緒に戦っているという意識があるからこそ、「18」という数字が至極自然にでてくる。
選手登録は17名ということは分かっているはずです。
それを聞くたびに、じーんと感動するとともに、この人は、選手とご家族の気持ちがわかっているなと感謝をします。
ありがとうございます佐藤監督!
一緒に戦えて私も光栄ですと思い直します。
会津選抜チームがひとつになる要因がこういうところにもあると思います。
大会後のラストミーティングで、佐藤監督は涙で声をつまらせながら言いました。
「この18人で戦ってこれて良かった!」
その言葉に今年の会津選抜の全てが含まれていると私は思います。
今年もいいチームだった。
それと、そう思えた理由がもうひとつあります。
それは次回!
6年生最後の大会の関柴大仏杯、準優勝。
これまでいくつかの大会の3位を祝って、久々に祝勝会をやることになりました。
このコロナ禍においても、やっとそういうことが許されるようになってきました。
他のスポ少さんもすでにやっているということも確認した上で、このタイミングを狙いました。
とはいえ、まだ保護者の職場では規制が解除されないところもあるので、自由参加としました。
そして、あまり密にならないように、各家庭保護者はひとりのみ。コロナ対策はおこたりません。
段取っていただいた会長、副会長に感謝ですね。
場所はいつもお世話になっている、きらくやさん。旧高田スポ少のOBのお店です。
ホルモンが看板メニューですが、中華にパスタにスリランカカレーと多彩なラインナップ、ソフトクリームもあり、子供たちにも保護者にも受けがいいお店です。
何年ぶりがわからないくらい、みんなで祝勝会をやっていませんでした。長いトンネルでしたね。
待望。
私たちは、この時を待っていました。
その長いトンネルを抜けた後の祝勝会のお酒がまずいわけがない。
百薬の長が、五臓六腑に染み渡ります。
あぁ~ぁ、美味い!
ハイボールが、ハイハイハイハイハイハイボールになります。
いろんなことを、保護者のみなさんと話しました。
今年のスポ少のいろんなプレー、その裏にあったいろんな苦労、子供たちの思い、保護者の思い。
選手ひとりひとりに、保護者ひとりひとりの思いをお酒を介して話し合います。
背負っていたものをひとつずつ確認しながら下ろしていきます。
あんなことがあった、こんなことがあった。
そのたびに、その時の感情がよみがえります。
福田コーチなんて、三星臨時コーチとお互いに泣き合って何言ってるのかわかりませんでした。
みんなの思いがあふれ出る。
やはりこういう時間は大事なんですね。
私はといえば、今日の大仏杯のタイチのエピソードを声高に話していたと思います。
あのタイチが、あのタイチがですよ。
あんなにマイナス思考の後ろ向きな奴が、
負けそうになって泣いている私に向かって、
「泣くのはまだ早い!」という。
あのタイチが……。
スラムダンクの流川みたいにかっこよく見えました。かっこよすぎるじゃないですか!
そう言って、酔っ払いの馬鹿笑い、ガハガハぁ。
子供たちや保護者のプレーや気づかい、行動が1番の酒の肴なんですよね。
そしてもうひとつ。
今日の大仏杯の山場となった、三回裏トウマのタッチアップについて。
あのプレーを私は引きずっていました。
みなこコーチが私にハイハイハイハイハイハイボールを、注ぎにきてくれた時にその話をしました。
あのプレーが今日の試合の勝敗を分けた分水嶺だったと。
トウマが生還していれば、2:3、一点差に詰め寄り、ツーアウト、二三塁で2番のユウキ。なにかあったかもしれない。同点、もしくは逆転していたかもしれない……
あそこで、的確な指示を出せなかったサードコーチャーだった私の責任、小島監督、福田コーチ、みなこコーチ、ごめんと吐露しました。
私がそう言うと、みなこコーチが
「トウマがタッチアップの感覚になれていないのはわっていました。6年生たちとのAチームに入っていると、ランナーを想定しての守備練習の機会は多くなりますが、反対にランナーの練習はできなくなります。同様にアユキもトウマと同じ傾向があります。
なので、今回のトウマのタッチアップホーム突入憤死は、トウマにタッチアップの感覚がないということをあらかじめサードコーチャーに伝えなかった私の責任です。」
みなこコーチはキッパリと私の目を見て言いました。意志の強い眼差しでした。
いえいえ、あれは事前にタッチアップの可能性を伝えなかった俺のミスですってというと、いえいえあれは私のミスですってとみなこコーチ。
すいません、ごめん、すいませんのダチョウ倶楽部のような応酬。
それをやりながら、私は、ひとりやってるのではないなぁ、と思えました。
こうやって問題意識を言わなくても共有していただける。
そのやりとりをしかながら、いい指導者たちだなぁと思いました。
こんないい指導者がいる、高田イーグルスはいいチームだなぁと思えました。
ミスはミスとして、試合が終わった後にきっちり検証する(今回は酒の席ですが)。
原因を明らかにして、次にそういうミスが起きないように責任の所在を明らかにする。
選手にあれば、選手に、
指導者にあれば指導者に。
そこをはっきりさせておく、これって大事です。
これをやらないと次につながりません。
今回は私に否があったので、後でトウマに謝りました。
タッチアップ憤死について、ご家族からも怒られていたと聞いたので、なおさら悪かったな、ごめんなと謝って起きました。
大人もちゃんと謝るというところを示しておきます。
自分に否があるのに、変なプライドが邪魔して謝れない。
そういう時もありますが(家では特に)、今回はトウマに対しても、チームに対しても申し訳なかった。
このまま、うやむやにはできません。
そんな、気持ちで飲んでる酒はまずくなるでしょう。
みなこコーチと話すうちに、ちゃんとトウマに謝ろうと思いました。
自分の否を認める。
そうすることで、気持ちが晴れやかになりました。
そして、ハイハイハイハイハイハイボールが、また美味くなりました。
自浄。
まだこれができるうちは、私は指導者としてまだやれると思います。
まだまだ私も指導者として、成長できるはずです。
指導者としてだけではなく、人間としても。
間違えない人なんていないんですから。
問題は間違えた時、その時なんです。
その後にどうするか?
それをみなこコーチは気づかせてくれました。
そういうお気づかいがありがたい。
たまにぐさぐさっときますが、
そう言うと、うるさいと思われるかもしれませんが、これからも私は、言うべきことは言っていきますと、みなこコーチははっきり言いました。
さっきよりも、強い眼差しで。
私は、どうぞどうぞ、どんどん言って下さい、
その意見を採用するかしないかは別として、みなこコーチもそれ以外の人の意見も聞かなくなったらば、そのチームも私も終わりだと思います、
そう伝えました。
だいぶたじろぎながら。
言うべきことは言う、
どうぞどうぞ、バンバンいらっしゃい!
お互いの立場を再確認したといっていいでしょう。
まったくもっていいチーム。
大橋監督、あなたがいなくなっても高田イーグルスはいいチームになっていきますよ。
私はかつての盟友に向けて、杯を傾けます。
その辺までは覚えています。
えっ、なぜって?
ご承知のとおり、あの時はすごく快調にお酒が進みました。とても美味しいお酒。
そのお酒が私の記憶を奪っていきました。
いろんなことを話したと思いますが、覚えているのはこの辺までです。
後は、まったく記憶がございません。
いい話も覚えていません。いい話だったら、あっもぅ、もったいないなぁ。
でも、いい祝勝会だった。
お父さんお母さんたちの笑顔の奥に、子供たちの笑顔を見る。
これまで何年も何年も、何十回も私が見てきた風景です。
そのひとつひとつがすべて違うページです。
最初のダイスケ世代から昨年のソウゴ世代、そして今のレン世代。
みんなうれしそうだった。
それだけで十分です。
それだけで、やってきた意味があります。
昔を思い出しながら、今に至ります。
そして、小島監督と福田コーチ、みなこコーチ、保護者のみなさんと祝杯をあげる。
杯を開けまくる。
明日、地獄の二日酔いになることも知らずに。
2021高田イーグルス、記憶のない大祝勝会&慰労会でした。
これまでいくつかの大会の3位を祝って、久々に祝勝会をやることになりました。
このコロナ禍においても、やっとそういうことが許されるようになってきました。
他のスポ少さんもすでにやっているということも確認した上で、このタイミングを狙いました。
とはいえ、まだ保護者の職場では規制が解除されないところもあるので、自由参加としました。
そして、あまり密にならないように、各家庭保護者はひとりのみ。コロナ対策はおこたりません。
段取っていただいた会長、副会長に感謝ですね。
場所はいつもお世話になっている、きらくやさん。旧高田スポ少のOBのお店です。
ホルモンが看板メニューですが、中華にパスタにスリランカカレーと多彩なラインナップ、ソフトクリームもあり、子供たちにも保護者にも受けがいいお店です。
何年ぶりがわからないくらい、みんなで祝勝会をやっていませんでした。長いトンネルでしたね。
待望。
私たちは、この時を待っていました。
その長いトンネルを抜けた後の祝勝会のお酒がまずいわけがない。
百薬の長が、五臓六腑に染み渡ります。
あぁ~ぁ、美味い!
ハイボールが、ハイハイハイハイハイハイボールになります。
いろんなことを、保護者のみなさんと話しました。
今年のスポ少のいろんなプレー、その裏にあったいろんな苦労、子供たちの思い、保護者の思い。
選手ひとりひとりに、保護者ひとりひとりの思いをお酒を介して話し合います。
背負っていたものをひとつずつ確認しながら下ろしていきます。
あんなことがあった、こんなことがあった。
そのたびに、その時の感情がよみがえります。
福田コーチなんて、三星臨時コーチとお互いに泣き合って何言ってるのかわかりませんでした。
みんなの思いがあふれ出る。
やはりこういう時間は大事なんですね。
私はといえば、今日の大仏杯のタイチのエピソードを声高に話していたと思います。
あのタイチが、あのタイチがですよ。
あんなにマイナス思考の後ろ向きな奴が、
負けそうになって泣いている私に向かって、
「泣くのはまだ早い!」という。
あのタイチが……。
スラムダンクの流川みたいにかっこよく見えました。かっこよすぎるじゃないですか!
そう言って、酔っ払いの馬鹿笑い、ガハガハぁ。
子供たちや保護者のプレーや気づかい、行動が1番の酒の肴なんですよね。
そしてもうひとつ。
今日の大仏杯の山場となった、三回裏トウマのタッチアップについて。
あのプレーを私は引きずっていました。
みなこコーチが私にハイハイハイハイハイハイボールを、注ぎにきてくれた時にその話をしました。
あのプレーが今日の試合の勝敗を分けた分水嶺だったと。
トウマが生還していれば、2:3、一点差に詰め寄り、ツーアウト、二三塁で2番のユウキ。なにかあったかもしれない。同点、もしくは逆転していたかもしれない……
あそこで、的確な指示を出せなかったサードコーチャーだった私の責任、小島監督、福田コーチ、みなこコーチ、ごめんと吐露しました。
私がそう言うと、みなこコーチが
「トウマがタッチアップの感覚になれていないのはわっていました。6年生たちとのAチームに入っていると、ランナーを想定しての守備練習の機会は多くなりますが、反対にランナーの練習はできなくなります。同様にアユキもトウマと同じ傾向があります。
なので、今回のトウマのタッチアップホーム突入憤死は、トウマにタッチアップの感覚がないということをあらかじめサードコーチャーに伝えなかった私の責任です。」
みなこコーチはキッパリと私の目を見て言いました。意志の強い眼差しでした。
いえいえ、あれは事前にタッチアップの可能性を伝えなかった俺のミスですってというと、いえいえあれは私のミスですってとみなこコーチ。
すいません、ごめん、すいませんのダチョウ倶楽部のような応酬。
それをやりながら、私は、ひとりやってるのではないなぁ、と思えました。
こうやって問題意識を言わなくても共有していただける。
そのやりとりをしかながら、いい指導者たちだなぁと思いました。
こんないい指導者がいる、高田イーグルスはいいチームだなぁと思えました。
ミスはミスとして、試合が終わった後にきっちり検証する(今回は酒の席ですが)。
原因を明らかにして、次にそういうミスが起きないように責任の所在を明らかにする。
選手にあれば、選手に、
指導者にあれば指導者に。
そこをはっきりさせておく、これって大事です。
これをやらないと次につながりません。
今回は私に否があったので、後でトウマに謝りました。
タッチアップ憤死について、ご家族からも怒られていたと聞いたので、なおさら悪かったな、ごめんなと謝って起きました。
大人もちゃんと謝るというところを示しておきます。
自分に否があるのに、変なプライドが邪魔して謝れない。
そういう時もありますが(家では特に)、今回はトウマに対しても、チームに対しても申し訳なかった。
このまま、うやむやにはできません。
そんな、気持ちで飲んでる酒はまずくなるでしょう。
みなこコーチと話すうちに、ちゃんとトウマに謝ろうと思いました。
自分の否を認める。
そうすることで、気持ちが晴れやかになりました。
そして、ハイハイハイハイハイハイボールが、また美味くなりました。
自浄。
まだこれができるうちは、私は指導者としてまだやれると思います。
まだまだ私も指導者として、成長できるはずです。
指導者としてだけではなく、人間としても。
間違えない人なんていないんですから。
問題は間違えた時、その時なんです。
その後にどうするか?
それをみなこコーチは気づかせてくれました。
そういうお気づかいがありがたい。
たまにぐさぐさっときますが、
そう言うと、うるさいと思われるかもしれませんが、これからも私は、言うべきことは言っていきますと、みなこコーチははっきり言いました。
さっきよりも、強い眼差しで。
私は、どうぞどうぞ、どんどん言って下さい、
その意見を採用するかしないかは別として、みなこコーチもそれ以外の人の意見も聞かなくなったらば、そのチームも私も終わりだと思います、
そう伝えました。
だいぶたじろぎながら。
言うべきことは言う、
どうぞどうぞ、バンバンいらっしゃい!
お互いの立場を再確認したといっていいでしょう。
まったくもっていいチーム。
大橋監督、あなたがいなくなっても高田イーグルスはいいチームになっていきますよ。
私はかつての盟友に向けて、杯を傾けます。
その辺までは覚えています。
えっ、なぜって?
ご承知のとおり、あの時はすごく快調にお酒が進みました。とても美味しいお酒。
そのお酒が私の記憶を奪っていきました。
いろんなことを話したと思いますが、覚えているのはこの辺までです。
後は、まったく記憶がございません。
いい話も覚えていません。いい話だったら、あっもぅ、もったいないなぁ。
でも、いい祝勝会だった。
お父さんお母さんたちの笑顔の奥に、子供たちの笑顔を見る。
これまで何年も何年も、何十回も私が見てきた風景です。
そのひとつひとつがすべて違うページです。
最初のダイスケ世代から昨年のソウゴ世代、そして今のレン世代。
みんなうれしそうだった。
それだけで十分です。
それだけで、やってきた意味があります。
昔を思い出しながら、今に至ります。
そして、小島監督と福田コーチ、みなこコーチ、保護者のみなさんと祝杯をあげる。
杯を開けまくる。
明日、地獄の二日酔いになることも知らずに。
2021高田イーグルス、記憶のない大祝勝会&慰労会でした。
始まりました2021会津選抜。
今年もコロナにたたられる年でした。
会津選抜のチーム編成さえもどうなるかわからなかった。
コロナ禍にあって、いろんな制約があって、人数が集まるかさえもわかりませんでした。
そんな中、なんとか、なんとかチームが組めることになりました。
我々の指導者一同も胸をなで下ろすとともに、はるか遠くに見える頂をこのメンバーで目指すことのできる、喜びをかみしめています。
いやーほんと良かった。
当初は高田イーグルスの参加者はゼロ。
ん?と思いましたが、このコロナ禍においては誰の責任でもありません。
その選択をしたことを尊重しようと思っていました。
なので、ゼロならゼロでいい。
そこは今後いっさい言うまいと誓いました。
出ないと決断した方も苦渋の選択をしたとわかっているからです。
そこは尊重します。
自チームの選手は参加しないとしても、指導者として参加しようとは決めていました。
しかし、状況がまた変わってきました。
宣言もあけて、ゆるやかな人流はなんとか許される状況になってきています。
修学旅行や学校行事が少しずつ解禁されてきました。
ワクチン接種が六割を越えて、次の打開策が見えつつあります。
コロナ対策として、いかないことを決めていた高田イーグルスの6年生に心境の変化が訪れました。
そして、10/10の会津選抜合同練習。
これが決定的に彼らの背中を押したと思います。
柳津、磐梯、坂下、新鶴、そして高田イーグルス。
いままで敵として戦ってきた相手が、今度は味方になる。
その結果が、毎年この時期の選抜大会なんです。
人と人とが出会う、いいきっかけ。
縁とはこういう時に生まれるものだと思います。
確かにチームとしての目的は、選抜大会の優勝です。
しかし、この選抜大会は勝ち負け以外にも大きな財産をもたらしてくれると私は思っています。
ここで出会った仲間が、この先生涯の仲間になる可能性もある。
それだけで、この選抜に参加する意味があると私は思います。
そういうのを大切にする大人になって欲しいという思いもあります。
合同練習を見て思いました。
楽しそうにやってんなぁ。
いつもより上手く見えるなぁ。
いつもと違った緊張感がそのこの力を引き出している。
説得の言葉なんていらなかったんです。
一緒にプレーするだけでよかった。
それだけでよかったんです。
コロナの制約を確かに受けるでしょう。
選抜に参加しないという選択肢もある。
その選択も尊重します。
それを選んでも誰も避難できないし、誰の責任でもありません。
しかし、その中でもなんとかして参加しようする、その決断も尊重しましょう。
やると決めたら、細心の注意を払って、最大の準備をしてのぞむ。
高田イーグルスは今年の会津選抜に参加する。
高田イーグルスは、その道を選び直しました。
戦力もかなり増強された。
困難な船出となりました。
その方が今年の会津選抜には合っているかもしれません。
天気晴朗なれども波高し。
2021会津選抜、出航です!
今年もコロナにたたられる年でした。
会津選抜のチーム編成さえもどうなるかわからなかった。
コロナ禍にあって、いろんな制約があって、人数が集まるかさえもわかりませんでした。
そんな中、なんとか、なんとかチームが組めることになりました。
我々の指導者一同も胸をなで下ろすとともに、はるか遠くに見える頂をこのメンバーで目指すことのできる、喜びをかみしめています。
いやーほんと良かった。
当初は高田イーグルスの参加者はゼロ。
ん?と思いましたが、このコロナ禍においては誰の責任でもありません。
その選択をしたことを尊重しようと思っていました。
なので、ゼロならゼロでいい。
そこは今後いっさい言うまいと誓いました。
出ないと決断した方も苦渋の選択をしたとわかっているからです。
そこは尊重します。
自チームの選手は参加しないとしても、指導者として参加しようとは決めていました。
しかし、状況がまた変わってきました。
宣言もあけて、ゆるやかな人流はなんとか許される状況になってきています。
修学旅行や学校行事が少しずつ解禁されてきました。
ワクチン接種が六割を越えて、次の打開策が見えつつあります。
コロナ対策として、いかないことを決めていた高田イーグルスの6年生に心境の変化が訪れました。
そして、10/10の会津選抜合同練習。
これが決定的に彼らの背中を押したと思います。
柳津、磐梯、坂下、新鶴、そして高田イーグルス。
いままで敵として戦ってきた相手が、今度は味方になる。
その結果が、毎年この時期の選抜大会なんです。
人と人とが出会う、いいきっかけ。
縁とはこういう時に生まれるものだと思います。
確かにチームとしての目的は、選抜大会の優勝です。
しかし、この選抜大会は勝ち負け以外にも大きな財産をもたらしてくれると私は思っています。
ここで出会った仲間が、この先生涯の仲間になる可能性もある。
それだけで、この選抜に参加する意味があると私は思います。
そういうのを大切にする大人になって欲しいという思いもあります。
合同練習を見て思いました。
楽しそうにやってんなぁ。
いつもより上手く見えるなぁ。
いつもと違った緊張感がそのこの力を引き出している。
説得の言葉なんていらなかったんです。
一緒にプレーするだけでよかった。
それだけでよかったんです。
コロナの制約を確かに受けるでしょう。
選抜に参加しないという選択肢もある。
その選択も尊重します。
それを選んでも誰も避難できないし、誰の責任でもありません。
しかし、その中でもなんとかして参加しようする、その決断も尊重しましょう。
やると決めたら、細心の注意を払って、最大の準備をしてのぞむ。
高田イーグルスは今年の会津選抜に参加する。
高田イーグルスは、その道を選び直しました。
戦力もかなり増強された。
困難な船出となりました。
その方が今年の会津選抜には合っているかもしれません。
天気晴朗なれども波高し。
2021会津選抜、出航です!
少しほっこりする話を。
新人戦の前の最後の練習にさかのぼります。
カナト世代の初陣。
初戦は、総体で全国大会にいっている猪苗代さん。
新人のメンバーも全国大会を経験した5年生が数人入っています。
前評判は、猪苗代さんが断然有利。
高田イーグルスが勝てる確率は100回やって、一回くらいか?
しかし、勝負はやってみないとわかりません。
どんなに強敵を前にしても、全力で挑む気持ちを忘れてはいけません。
そんな大一番に望む前に、メンバー全員を集めてミーティングを行いました。
その中で、私は彼らにこう言いました。
猪苗代さんは確かに強い。
お前らが勝てる望みは薄いだろう。
しかし、試合はやってみないとわからない。
誰も高田イーグルスが猪苗代に勝つとは思っていない。
俺は、弱いと言われていたチームが強いチームを倒してきたのを何回も見てきた。
小さい者が、大きな者を倒すところを何回も見てきた。
美里イーグルスが県で優勝してチームを倒すところを見てきた。
やってみないとわからないんだ。
だから、お前らもミスを恐れず全力でぶつかれ。
巨人を倒せ!
聞いたことがあるかもしれないが、そうやって巨人を倒すことをなんて言うか知ってるか?
ジャイアント……?
「のび太!」
まったく想定していない答えが返ってきました。
ジャイアンとのび太!
私は、ジャイアントキリング、巨人倒しの意味で聞いたつもりでしたが、
ジャイアンとのび太……
子どもたちも、指導者も保護者もゲラゲラ笑うしかありませんでした。(^^)
そういう発想もあるんだなと勉強にもなりました。
こういうものいい。
全員がほっこりする場面となりました。
試合はというと猪苗代さんを前に、0:19でフルボッコにされました。
ジャイアントキリングどころではありません。
アリのように踏みつぶされたと言っていいでしょう。
しかし、そのアリはふたたび立ち上がります。
何回踏まれても、何回でも立ち上がります。
のび太くんだって、ジャイアンに勝つときがある。
彼らのジャイアントキリングは、始まったばかりです。
新人戦の前の最後の練習にさかのぼります。
カナト世代の初陣。
初戦は、総体で全国大会にいっている猪苗代さん。
新人のメンバーも全国大会を経験した5年生が数人入っています。
前評判は、猪苗代さんが断然有利。
高田イーグルスが勝てる確率は100回やって、一回くらいか?
しかし、勝負はやってみないとわかりません。
どんなに強敵を前にしても、全力で挑む気持ちを忘れてはいけません。
そんな大一番に望む前に、メンバー全員を集めてミーティングを行いました。
その中で、私は彼らにこう言いました。
猪苗代さんは確かに強い。
お前らが勝てる望みは薄いだろう。
しかし、試合はやってみないとわからない。
誰も高田イーグルスが猪苗代に勝つとは思っていない。
俺は、弱いと言われていたチームが強いチームを倒してきたのを何回も見てきた。
小さい者が、大きな者を倒すところを何回も見てきた。
美里イーグルスが県で優勝してチームを倒すところを見てきた。
やってみないとわからないんだ。
だから、お前らもミスを恐れず全力でぶつかれ。
巨人を倒せ!
聞いたことがあるかもしれないが、そうやって巨人を倒すことをなんて言うか知ってるか?
ジャイアント……?
「のび太!」
まったく想定していない答えが返ってきました。
ジャイアンとのび太!
私は、ジャイアントキリング、巨人倒しの意味で聞いたつもりでしたが、
ジャイアンとのび太……
子どもたちも、指導者も保護者もゲラゲラ笑うしかありませんでした。(^^)
そういう発想もあるんだなと勉強にもなりました。
こういうものいい。
全員がほっこりする場面となりました。
試合はというと猪苗代さんを前に、0:19でフルボッコにされました。
ジャイアントキリングどころではありません。
アリのように踏みつぶされたと言っていいでしょう。
しかし、そのアリはふたたび立ち上がります。
何回踏まれても、何回でも立ち上がります。
のび太くんだって、ジャイアンに勝つときがある。
彼らのジャイアントキリングは、始まったばかりです。
もりだくさんの昨日。
私は次男坊の中学野球最後の引退試合に行ってきました。
2年と半年にわたって仲間とともに続いてきた野球。次男はいったん、ここで野球を離れ、受験という荒波に挑戦することになります。
そのための、最後の区切り。
親としては、いかないわけにはいかないでしょう。
といいながらも、美里親善大会の様子も気になり、気が気ではありませんでした。
とはいえ、こっちに来ると決めたので、その責務を全うします!
いつも、いろんな関係で11月の後半、12月のはじめごろにやっていた引退試合。
今年はコロナの影響もあっていろんな大会、練習試合ができないことが、逆にこの引退試合に限ってはプラスに働きました。
暖かいこの時期に開催できた。
これは良かったです。
まずは、在校生とオール3年との試合。
そして、3年と保護者の試合をやりました。
野球を通して、子供たちの成長を感じます。
このチームは2年生の力が大きかったと言わざるを得ません。
特にユウキを中心とした、強力なバッテリー。
ピッチャーとして成長した二枚看板、それをキャプテンとして、キャッチャーとしてユウキがリードしています。
バッテリーが安定していることで、試合は作れます。
バックの守備がやや不安定ではありますが、そこ練習でカバーできるところ。
バッテリーを中心として、少ないチャンスを活かし、守り切るのが来年の高田中野球部のスタイルになると思います。
思えば、この2年生と今の3年生。
パズルのピースのように、お互いのウィークポイントにはまっていたんですね。
だから、チームとしてそれなりにまとまっていた。
それが、ちゃんと発揮されたときは会津で1番のチームであろうと粉砕する力を持っていました。
このチームには悲愴感がありません。
チーム全体で野球を楽しんでいます。
野球に取り組む姿勢も基礎はできたと思います。
中学時代に、こんなメンバーと一緒にやれたら楽しいでしょう、そう思わせてくれます。
指導にあたった先生方にも恵まれたと思います。
働き方改革などて、中学部活のあり方も変わっていく中、やれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生、指導者に恵まれるって、人生の中でもけっこう重要な要件だと私は思っています。
そこにきて、強力な保護者会長を筆頭に保護者のバックアップ体制も良かった。
いい雰囲気で部活が楽しめました。
特に全ての子供たちを写真に収めていただいたことには感謝しかありません。
応援しているとつい夢中になってしまって、大事な場面を撮り忘れます。
冷静に写真をとるということは、応援で盛り上がらないということを自分に強制しているようで申し訳ないと思いつつ、当てにしていました。
この写真は、結婚式のスライドショーの時に必ず使わせていただきます。
記憶にも記録にも残していただいた。
コロナで応援規制がある中、子供たちのためにやれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生との出会い。
いい指導者、保護者との出合い。
いいメンバーとの出合い。
次男坊たちも私たちも人に恵まれたと思います。
出合いは化学反応です。
どう変化していくかは、自分次第です。
親子対決をしましたが、まだまだ負けないとおもっていましたが、とっくに負けていましたね。
この子たちもちゃんと成長していました。
高校にいくということは、今のメンバーと道を分かつということ。
これからは、自分で自分の道、居場所を切り開くことになります。
勉強することで開ける道もあるでしょう。
野球が道を開いてくれることもあるでしょう。
野球以外に居場所を求めることもいいでしょう。
ただ、選ぶのは自分自身です。
人を頼っていい。むしろ、頼るべきです。
利用というと言い方が悪いかもしれませんが、我々や先生、先輩などの先人たちを大いに利用していいんです。
そして、また後ろから来る後輩を助けてやって下さい。
まずは、何者でもない自分をみつける旅がはじまりますね。その最初が受験。
私は、根も葉もない根拠ながら、野球をやってきたやつらなら大丈夫!と勝手に思っています。
娘にも野球をやってきた奴と結婚しろ!と言っています。
なんとなく、わかるんですよね。
ライトを守ってて、強いあたりに襲われてチャレンジするとき、すでにセンターのマサシ君(高校時代の2年からレギュラーの好打者、守備範囲も広い!)が後ろにいてくれることを。
だからこそ、思い切って飛び込むことができる。
この角度、この強さの打球ならば俺のボール。
そういう、呼吸というか、言わなくても動いてくれているというお互いの安心感。
チームプレーをやってきた人ならばわかると思います。
支えるとか、支えてもらうとかじゃない、そんなの当たり前だよなの感覚。
そういうのを表現することを、私は野球以外に知りません。
だから、なんでも野球に当てはめて考えます。
ユーチューブの動画。
高校野球ラストミーティング、小樽潮陵監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
この通りだと思います。
多くの人がプロになれる訳ではない。
大部分は野球で飯が食えない。
しかし、野球をやってきたことでが生きていく糧になることがある。
その通りだと思います。
3年生が在校生一言をかける引退式。
みんなが思い思いの言葉を絞り出します。
そんな中、次男坊がつむいだ言葉、
「自分は下手くそです。」
大事な場面でミスをしてチームに迷惑をかけた。
そうならないように、在校生はもっともっと練習してほしい。
プレーが下手でも、声でチームにできる。
もっと声でチームを盛り上げていって欲しい。
そんなことを言ったと記憶しています。
わかってますね。
自分を下手くそだと言える。
その上で、だからこそ声でチームに貢献する。
これぞ、自分の力で自分の居場所を切り開いていくということだと私は思います。
この先そういう場面に何度も出くわすでしょう。
ミスを連発したり、できないことばかり。
そこで、腐って世の中を呪ってみても、何も始まりません。で、あれば、動いた方がいい。
できないならできないなりに、自分のできることを探す。
それが自分を活かす道。
これも野球が息子に教えてくれたことです。
彼らなら大丈夫!
何年か後、酒が飲めるようになったらみんなで飲みたいものです。
私は次男坊の中学野球最後の引退試合に行ってきました。
2年と半年にわたって仲間とともに続いてきた野球。次男はいったん、ここで野球を離れ、受験という荒波に挑戦することになります。
そのための、最後の区切り。
親としては、いかないわけにはいかないでしょう。
といいながらも、美里親善大会の様子も気になり、気が気ではありませんでした。
とはいえ、こっちに来ると決めたので、その責務を全うします!
いつも、いろんな関係で11月の後半、12月のはじめごろにやっていた引退試合。
今年はコロナの影響もあっていろんな大会、練習試合ができないことが、逆にこの引退試合に限ってはプラスに働きました。
暖かいこの時期に開催できた。
これは良かったです。
まずは、在校生とオール3年との試合。
そして、3年と保護者の試合をやりました。
野球を通して、子供たちの成長を感じます。
このチームは2年生の力が大きかったと言わざるを得ません。
特にユウキを中心とした、強力なバッテリー。
ピッチャーとして成長した二枚看板、それをキャプテンとして、キャッチャーとしてユウキがリードしています。
バッテリーが安定していることで、試合は作れます。
バックの守備がやや不安定ではありますが、そこ練習でカバーできるところ。
バッテリーを中心として、少ないチャンスを活かし、守り切るのが来年の高田中野球部のスタイルになると思います。
思えば、この2年生と今の3年生。
パズルのピースのように、お互いのウィークポイントにはまっていたんですね。
だから、チームとしてそれなりにまとまっていた。
それが、ちゃんと発揮されたときは会津で1番のチームであろうと粉砕する力を持っていました。
このチームには悲愴感がありません。
チーム全体で野球を楽しんでいます。
野球に取り組む姿勢も基礎はできたと思います。
中学時代に、こんなメンバーと一緒にやれたら楽しいでしょう、そう思わせてくれます。
指導にあたった先生方にも恵まれたと思います。
働き方改革などて、中学部活のあり方も変わっていく中、やれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生、指導者に恵まれるって、人生の中でもけっこう重要な要件だと私は思っています。
そこにきて、強力な保護者会長を筆頭に保護者のバックアップ体制も良かった。
いい雰囲気で部活が楽しめました。
特に全ての子供たちを写真に収めていただいたことには感謝しかありません。
応援しているとつい夢中になってしまって、大事な場面を撮り忘れます。
冷静に写真をとるということは、応援で盛り上がらないということを自分に強制しているようで申し訳ないと思いつつ、当てにしていました。
この写真は、結婚式のスライドショーの時に必ず使わせていただきます。
記憶にも記録にも残していただいた。
コロナで応援規制がある中、子供たちのためにやれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生との出会い。
いい指導者、保護者との出合い。
いいメンバーとの出合い。
次男坊たちも私たちも人に恵まれたと思います。
出合いは化学反応です。
どう変化していくかは、自分次第です。
親子対決をしましたが、まだまだ負けないとおもっていましたが、とっくに負けていましたね。
この子たちもちゃんと成長していました。
高校にいくということは、今のメンバーと道を分かつということ。
これからは、自分で自分の道、居場所を切り開くことになります。
勉強することで開ける道もあるでしょう。
野球が道を開いてくれることもあるでしょう。
野球以外に居場所を求めることもいいでしょう。
ただ、選ぶのは自分自身です。
人を頼っていい。むしろ、頼るべきです。
利用というと言い方が悪いかもしれませんが、我々や先生、先輩などの先人たちを大いに利用していいんです。
そして、また後ろから来る後輩を助けてやって下さい。
まずは、何者でもない自分をみつける旅がはじまりますね。その最初が受験。
私は、根も葉もない根拠ながら、野球をやってきたやつらなら大丈夫!と勝手に思っています。
娘にも野球をやってきた奴と結婚しろ!と言っています。
なんとなく、わかるんですよね。
ライトを守ってて、強いあたりに襲われてチャレンジするとき、すでにセンターのマサシ君(高校時代の2年からレギュラーの好打者、守備範囲も広い!)が後ろにいてくれることを。
だからこそ、思い切って飛び込むことができる。
この角度、この強さの打球ならば俺のボール。
そういう、呼吸というか、言わなくても動いてくれているというお互いの安心感。
チームプレーをやってきた人ならばわかると思います。
支えるとか、支えてもらうとかじゃない、そんなの当たり前だよなの感覚。
そういうのを表現することを、私は野球以外に知りません。
だから、なんでも野球に当てはめて考えます。
ユーチューブの動画。
高校野球ラストミーティング、小樽潮陵監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
この通りだと思います。
多くの人がプロになれる訳ではない。
大部分は野球で飯が食えない。
しかし、野球をやってきたことでが生きていく糧になることがある。
その通りだと思います。
3年生が在校生一言をかける引退式。
みんなが思い思いの言葉を絞り出します。
そんな中、次男坊がつむいだ言葉、
「自分は下手くそです。」
大事な場面でミスをしてチームに迷惑をかけた。
そうならないように、在校生はもっともっと練習してほしい。
プレーが下手でも、声でチームにできる。
もっと声でチームを盛り上げていって欲しい。
そんなことを言ったと記憶しています。
わかってますね。
自分を下手くそだと言える。
その上で、だからこそ声でチームに貢献する。
これぞ、自分の力で自分の居場所を切り開いていくということだと私は思います。
この先そういう場面に何度も出くわすでしょう。
ミスを連発したり、できないことばかり。
そこで、腐って世の中を呪ってみても、何も始まりません。で、あれば、動いた方がいい。
できないならできないなりに、自分のできることを探す。
それが自分を活かす道。
これも野球が息子に教えてくれたことです。
彼らなら大丈夫!
何年か後、酒が飲めるようになったらみんなで飲みたいものです。
この前の新人戦、カナト世代の船出。
全国大会出場の5年生を複数擁する県内トップクラスのチームに対して、我が高田イーグルスはコテンパンやられました。
その試合の中で、「あぁ~またやっちまったなぁ~」と思う場面がありました。
それは、なにか?
「ため息」です。
あ~ぁ、はぁ~、ふぅ~。
失望の吐息(といき)。
私は、ため息で人が殺せると思います。
殺すという表現は悪いので、やる気をつぶす、モチベーションをだださげると言い換えましょう。
頑張ろうとする人が失敗したとき、バカヤローとかアホとかいうことを選ばずに、ぐっとこらえたときに、ため息はやってきます。
罵声を浴びせるよりも、ため息のほうが相手に与えるダメージが低いだろうという配慮が働きます。
しかし、実はため息の方が、心の中から毒を盛るようにダメージが残ります。
期待している人たちを失望させてしまった。
私のせいだ。
自分で自分を否定してしまうという猛毒にかかってしまいます。
選手の心を折る。
この前の新人戦、そのため息、気づいたらしてました。
よかれと思って、罵声を我慢しても、ため息が漏れるようではまだまだ指導者として、失格です。
チームとして選手と一緒に戦っていないことを証明しているのと同じことです。
ただ、人が思う事には戸は立てられない。
思ってしまうことは止められないんです。
しかし、それを外にだすこと、表現してしまうことは訓練次第で止めることはできる。
ため息を出したくなっても、出さない工夫。
罵声を飲み込み、ため息さえも飲み込む。
ここまでしなければ選手たちからの信頼は得られないと私は思います。
私が選手の立場になったならば、ため息をつかれたら、やる気をなくしますね。
近い人ならばなおさらのことです。
なので、指導者、保護者は子供たちの前でため息をつかないことをお勧めします。
大丈夫、どんな状況になっても、お前たちの味方だ!という気持ちを持ち続けること。
そう思うことで、ため息は出なくなると思います。
ストライクが入らず、下を向きがちなミソラ。
彼女のいいところは、その笑顔です。
笑顔こそ、チカラ、自信です。
最近のユナが良くなってきたのは、よく笑うからです。
どんな逆境においても、あたふたしなくなった。
送りバント処理の時もサードの投げようと思ったり、ファーストに投げようと思ったり、くるくる右往左往することがなくなりました。
そこをミソラには見習ってほしいと思います。
選手のやる気をそぐため息、
心を折るため息ではなく、
追い風となる、全力応援の声を我々は届けていきましょう。
全国大会出場の5年生を複数擁する県内トップクラスのチームに対して、我が高田イーグルスはコテンパンやられました。
その試合の中で、「あぁ~またやっちまったなぁ~」と思う場面がありました。
それは、なにか?
「ため息」です。
あ~ぁ、はぁ~、ふぅ~。
失望の吐息(といき)。
私は、ため息で人が殺せると思います。
殺すという表現は悪いので、やる気をつぶす、モチベーションをだださげると言い換えましょう。
頑張ろうとする人が失敗したとき、バカヤローとかアホとかいうことを選ばずに、ぐっとこらえたときに、ため息はやってきます。
罵声を浴びせるよりも、ため息のほうが相手に与えるダメージが低いだろうという配慮が働きます。
しかし、実はため息の方が、心の中から毒を盛るようにダメージが残ります。
期待している人たちを失望させてしまった。
私のせいだ。
自分で自分を否定してしまうという猛毒にかかってしまいます。
選手の心を折る。
この前の新人戦、そのため息、気づいたらしてました。
よかれと思って、罵声を我慢しても、ため息が漏れるようではまだまだ指導者として、失格です。
チームとして選手と一緒に戦っていないことを証明しているのと同じことです。
ただ、人が思う事には戸は立てられない。
思ってしまうことは止められないんです。
しかし、それを外にだすこと、表現してしまうことは訓練次第で止めることはできる。
ため息を出したくなっても、出さない工夫。
罵声を飲み込み、ため息さえも飲み込む。
ここまでしなければ選手たちからの信頼は得られないと私は思います。
私が選手の立場になったならば、ため息をつかれたら、やる気をなくしますね。
近い人ならばなおさらのことです。
なので、指導者、保護者は子供たちの前でため息をつかないことをお勧めします。
大丈夫、どんな状況になっても、お前たちの味方だ!という気持ちを持ち続けること。
そう思うことで、ため息は出なくなると思います。
ストライクが入らず、下を向きがちなミソラ。
彼女のいいところは、その笑顔です。
笑顔こそ、チカラ、自信です。
最近のユナが良くなってきたのは、よく笑うからです。
どんな逆境においても、あたふたしなくなった。
送りバント処理の時もサードの投げようと思ったり、ファーストに投げようと思ったり、くるくる右往左往することがなくなりました。
そこをミソラには見習ってほしいと思います。
選手のやる気をそぐため息、
心を折るため息ではなく、
追い風となる、全力応援の声を我々は届けていきましょう。
勝ち負けではない。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。
最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。
しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。
ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。
そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。
最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。
しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。
ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。
そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。
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