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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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ダイ・ハードという映画があります。
ブルースウィルス主演のアクション映画で、「なかなか死なないやつ」という意味です。
世の中が浮かれているクリスマスの夜にテロリストに襲われるタフな警官のジョンマクレーン。
ベレッタM92Fをかりながら、ばったばったと敵を倒していく姿、みんな真似をしていました。
ビバリーヒルズコップのエディマーフィーと同じく、笑い方に癖がある。
アメリカ人特有の大げさな笑い方。
アーハッハハ、ハッハハッハーと全身で表現する。けんちゃんあたりがいう、まったくつまらないギャグに対してよく使ってました。
「まったく、今日はついてねぇぜ!」と訳もなく、誰にいうでもなく悪態をつく。
そうはいいつつも、この悪い状況の中でも何とかしてやろうと考えを張り巡らす。
それが、ダイハードの真の意味だと思ってきました。

この中学3年生七人の新潟長行もダイハード。
午前中にパーティー崩壊の危機を運良く乗り越えました。なんとかまた七人が集まった。
昼も近くなり、だんだん疲れてきました。そしてこの頃から、長い時間チャリに乗ってるので異様にケツが痛い。
安田のどっかにある郵便局を目指して49号線を西進します。
程なく見つけた郵便局。
ちょうどよく林の中で日陰があります。
よし、ここで飯だ。
失礼しまーすと郵便局に入ります。あーここもクーラー効いてると、見回して…
あった!ありました冷水機。
順番にたらふく飲んで次は水筒に補給します。七人もいきなり、断りもなく水を補給したので、なんだ君たちはと少し怒られましたが、最後まで補給はされてくれました。
ここはオアシス安田郵便局。

会津を出て、行程の1/3というところでしょうか?
全員がそろって、チャリから下馬しての休憩。
みんなケツがいてぇだの、わめき始めます。
そんなかでも置いていかれた3人の呪詛。
しんじらんねぇー、まってぇーといってんのに置いていくし!
たまたまコウジのちゃんりんこ見つけたからいいものの、見過ごしたらどうなっていたことか。
俺らがどんだけ苦労したがわかっての?
いや、わからねえと先行の4人。
まぁいいじゃねえか、またこうして会えたんだしと彼らの苦労をねぎらいます。
腹減ったから飯にするべと話をすり替えてこの場を治めます。
かあちゃんが作ったのか、自分で作ったのかわかりませんが、めいめいが銀紙に包まれたおにぎりを出します。
昼メシのおにぎりを頬張りながら、ここまでの行程をああでもない、こうでもないと語り合います。
しかし、ここで食ったこのおにぎりが後でみんなに地獄を呼んできます。
それはあとで。

さぁ腹も膨れました。
木陰でライフ回復。
再び七人がそろった。
私の感覚では新潟市はもう少しです。
陽があるうちに海に着きたいと、みんなおもっているはず、さあ出発です。
あーケツがいたい。ずーっとサドルに乗りっぱなし。坂でもない平地で立ち乗りが多くなってきました。
それでもみんな一路、日本海をめざします。

あっセブンイレブンみっけ!
その当時は、今ほどコンビニが乱立していませんでした。
ロードサイド、左車線にちょうどよくコンビニがあるのはラッキーということになります。
そして、みんな昼飯をくってデザートが食いたい年頃。
誰からともなく、おそらくくいしんぼうのけんちゃんが、アイスを食いてぇーと絶叫し、みんなが同意。
七騎は、セブンに吸い込まれる。
今でもそこを通ると、思い出します。今はもうセブンではなく学習塾になっていますが、レンガ風の壁がそのなごりを残しています。
その49号線、安田、ちょうど90Rのカーブの手前にあるセブン。
そこで、小休憩。
当時中学生の私たちは、安いお金でいかに満足することができるかを競っていました。
100円で500ml缶に入っている容量のでかいジュース。
名前はなんていったか?ポストミックス?ゲータレード?んーわすれた。
ともかく、でかくて安いものを奨励していました。
ただ、炭酸は飲まないという、独自ルールがありました。
炭酸は体力を落とす。野球や駅伝のクオリティーを上げるために実践していました。
特にコウジあたりは、それをかたくなに守っていて、炭酸を飲んでいると裏切者扱い。
変な迷信だったと思います。
その横で、けんちゃんやマサヨシがごくごくコーラをうまそうに飲んでいる。
炭酸の誘惑。
コウジの顔をたてて、我々はポカリスエット。
そしてみんなアイスをほおばります。
あー、夏だなぁ~。海遠いなぁ~とガリガリ君やらジャイアントコーンやらを食っていると、一台の車がセブンに入ってきます。

いやー、やっと追いついた、と親父が下りてきます。
買ったばかりのぴかぴかの三菱デリカ。
なんか、見たことのある中学のジャージの集団がアイスをくってるなぁとよく見てみると、おめぇらだったと親父はいいます。
何回もいいますが、この時代に携帯電話はありません。
親父が俺らを見つけたのも、偶然のたまもの。
俺らがたまたまここでアイスをくっていたからです。
コウジの自転車を見つけたしのぶもそうですが、この度はなにかに見守られていました。
俺たちを、海に導いている。
ここからは親父が俺らのしんがりを務めてくれるそうです。
といっても、国道でたらたらちゃりの後をついてくるわけでもなく、つかず離れずでついてくるそうです。
中3になって親に見守られながら、ちゃりをこぐのはなんか嫌でしたが、だんだん新潟の市街地。
道もわからなくなってくるかもしれない。
不案内な道が続いた時に、親父がこっちだ、あっちだと我々をサポートしてくれました。
混んでいる市街地を通らず、外側をぐるっと回るルートを選択してくれました。
陽も傾いてきた。みんな口数が少なくなってきました。
目の前に日本一の長さの川、信濃川を見ても、あぁなんだ大した事無い川だなと余り感動なし。
阿賀野川の方がよっぽど大河感がありました。
しかし、信濃川まで来たと言うことは海は近い。
海はちけえぞ!とみんないきなりげんきになります。
実際はまだまだなんですけどね。
若いということは素晴らしい。
多少間違いも勢いで制してしまいます。
ここからはみんな黙々と海を目指しました。
誰からともなく、あの坂を上れば海が見える!とこのころから連呼するようになりました。
そして、俺が誰よりも先に海を先に見る!とまたしょうもないことで競争が始まりました。
あーけつがいてぇといいながら、まだ見ぬ日本海。
真夏の風にかすかに潮の匂いを感じました。
確かに俺たちは近づいているという実感が私たち七人の背中を力強く押してくれています。
さぁ海はもう少しだ!














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何回もいいますが、その当時の我々は携帯電話を持っていません。
なので、お互いに連絡をとる手段がない。
49号線に長く伸びた我々の戦線はいったいどうなることやら。

ここで、時間を遡ります。
柳津西会津間でいきなり始まった、下り坂のレース。
後方にいたのは、ワンボ、ミッチャン、しのぶの3人でした。
前方の我々が奇声を発してドンドン先に進んであっという間に見えなくなる。
彼らもそれを追って加速を続けます。

がしかし、三人の内の誰か?確かワンボかミッチャンが減速していきます。
ここはミッチャンにしておきましょう。
その遅れに気づいたしのぶとワンボ、止まってミッチャンの様子をうかがいます。
後輪がペッシャンコ。
パンクです。
チャリンコやのコウジがいますが、遙か先にいってしまいました。
おーいと叫ぼうにも後の祭り。
3人は次の町まで歩くことにしました。
彼らに土地勘はあったのかは、わかりませんがどっかの自転車屋を見つけるしかないとしのぶは思ったそうです。

ここで、運が良かったのは次の町が西会津だったこと。
これが西会津を過ぎていたら、次の町まではとんでもなく遠かったことでしょう。
3人は、先にいった4人を呪いながらてくてく歩きます。
特に自転車屋がいながら役に立たなかったコウジを呪ったことでしょう。
そうして早朝、7時ごろだったと聞いています。なんとかチャリンコ屋をみつけ、訳を話して、親切なおっちゃんにパンクを直してもらいました。
いいおっちゃんでよかった。
ここから3人で先行の4人を追いますが、だいぶ離されているということに気づきます。
私以外に地図を持っていません。
なので、49号線という道路標識を確認して進む以外に道はありません。
いけどもいけども見えない4人。
先行4人がどこまで行ったかもわからない。確認のしようがない。この不安な状況ですが、3人は進むしかありません。

この時点でおそらく20-30キロの差が付いていたと思います。

ひたすら、チャリをこいでいく。
そして、しのぶが見覚えのある自転車を見つけました。
白い自転車に、蛍光黄色、赤字で「佐藤商会」のシール。
見間違えるはずはありません。
自転車屋のコウジのチャリンコです。
そのまわりには我々のチャリも。
しのぶはこの時確信したそうです。
あんにゃろめらは、このTSUTAYAの中にいると。

汗だくだくと、疲労の中、クーラーの聞いた本屋の中で先行の4人を補足しました。
今生の別れかという危機を乗り越えた安堵感から、あぁ~良かったと心底思ったはずです。
そして、漫画を立ち読みして「うっす!」と軽いノリの私たち。
てめぇーら、俺たちを置いていきやがってーと怒りのしのぶ。
まぁまぁ見つかったんだから、よかったじゃねえかと話をまとめる。俺たちも漫画読めたし。
TSUTAYAの前にまたもやそろった7人。
しのぶがコウジのチャリンコを見つけなかったらどうなっていただろうかと考えると、ゾッとします。
みんな落ち合えなくて、家に電話して、おそらくは途中で強制終了になっていたかもしれません。
コウジは今でも飲みながらいいます。
あん時のみんなを救ったのは、俺んちの店のロゴだと。そこに反論するのは、俺が見つけたからだという、しのぶ。
いずれにせよ、チーム「七人のぼんくら」の瓦解は防がれました。
パンクの話やコウジのロゴをしのぶが見つけた話で馬鹿笑いをしました。
いったん、ここで休んでこの先を見すえます。
ここまで、スタートから半分ちかく来たはずです。
時間は11:00ごろ。気温は間違いなく30度をこえている真夏日。水もなくなってきました。
腹が減っている。
どこかで、飯を食う必要があると判断。
いままでの経験から、どの町村にも郵便局はあって、その中には冷たい水の給水器があるということがわかっていました。あの足で踏んで、チョローッとでるあのタイプです。あの冷たい水を水筒に補給して、昼メシにしようと作戦会議をしました。

ここは来たことがない町。
49号線ならば、大きい道路なので郵便局は必ずあると踏んで、目標を次の郵便局と定めます。
ここは安田、遊園地があるくらいなので、けっこう大きいだろう、進む方向は中心地っぽい。
ならば郵便局は近いはず、そうふんで七人はまたいっしょに先を急ぎました。



中三の夏休み、軽いノリと度胸で新潟まで、チャリンコで海を目指した7人。
出発当日の集合時間は早朝というか、深夜3:00。
なんとか、じいちゃんに起こされて出発した私。
自転車をこぎながら、あれ待てよ、これみんな起きれんのか?と心配になりました。
携帯電話もないので、家から出てしまえば連絡の手段はありません。
なので現場にいってみるしかない。
深夜3時にうすらかすらしている人はまずいません。
なんか心配になって、先を急ぎました。

みっちゃんちに到着すると、すでに数名の仲間が待ってました。
あーよかった。
しかし、肝心のみっちゃんが出てこない。
玄関で大声を上げるわけにもいきません。
部屋はわかっています。
ロミオとジュリエットよろしく、小石を窓に投げます。ガラスをわらないように。
ようやくみっちゃんも起きだしました。
まず一同、ここで爆笑。深夜なので、押し殺しますが、笑いをこらえられません。
げすらげすら、みんなで笑いながらのスタート。
7人は一路1号線を北上し、49号線をめざします。

坂下に抜けて、49号線にのる。
今の新しい七折峠トンネルではなく、古い峠のラブホテルを横目にどんどん西に向かいます。
まだまだこの辺りは、みんな元気、ぐんぐんペダルをこいでいきます。
七人のシルエットがはっきり道路に映るように朝もやが晴れていきます。
前日にいきなりいくことになったマサヨシをいじりながら、柳津のでっかい橋を越えて、上り坂をえっちらおっちらこいでいく。
七折峠を越えてまた峠の上り坂、今回の柳津西会津の峠はかなり長そうです。
登り切って、長い下り坂が西会津の町へ伸びているのが見えた時、みんなこの先は下りが続くことがわかりました。
「おっしゃ競争だ!」と誰かがいうと同時にレースはいきなり始まりました。

勢いよく飛び出したのはぽっちゃりけんちゃん。
自分の体重をいかんなく発揮して加速度運動に繋げています。
彼は自転車に名前を付けていました。その名も「松風」。これは当時ジャンプで連載されていた「花の慶次」からとったものです。主人公、前田慶次の愛馬の名前が「松風」。
さぁて、いくぞ松風とけんちゃんが先陣をきります。
続いて、チャリンコやのコウジ、俺、マサヨシと続きます。
道は49号線1本。迷いようがない。
どんだけ先にいっても、待ってれば後から追いつくだろうという計算のもと、全員がぶっ飛ばします。
こんな長い峠を下る機会はなかなかありません。
早朝なので車も皆無。
まさに俺たちだけのフィールドでした。
まてぇーコノヤロー!
つかまえられるもんなら捕まえてみぃ!
ちゃりんこですが人馬一体と化した中坊軍団。
支流を集めて肥え太った阿賀野川ぞいを進みます。
ゆったりと緑色に流れる大河に切り立った崖、そこに大小の松。中国大陸の四川省みたいです。
このあたり、いったことはありませんが、なんか杜甫とか李白が読んだ国語の教科書にあった漢詩の場面にでてきそうだと勝手に思いました。

西会津をこえて、新潟県に入ります。
さて少し疲れてきました。
そんで、気づく。
あれ、後ろが来てねえぞ。
先頭をいく、コウジとけんちゃんを制して止まります。そこにマサヨシも合流。
ちょっと待つことにしました。
さてここはどの辺だろうかとあたりを見渡してみる。
なんか山の中腹に見える観覧車、あぁここは、小さいとき親父とかあちゃんに連れてきてもらった安田アイランドの近くでした。
ということは、阿賀町。
自販機で飲み物を補給し、しばらく待ちましたが、待てど暮らせどこない。
ここにいないのは、ミッチャン、しのぶ、ワンボの3人。
待つのも飽きてきました。そこにちょうどオープンするTSUTAYAがありました。ということは、10時か。
買いたかった漫画本があることを思いだし、中に入ります。
私がはまっていたのは、わたるがぴゅんという野球漫画。ハブボールや3トンボールなどあり得ない魔球を投げる主人公が活躍する漫画です。
ギャグも抜群に面白い。
私はマサヨシに貸していましたが、あいつはこともあろうに授業中にそれを教科書に隠して読んでいたら、爆笑してしまい、漫画本が先生見つかり没収されるというエピソードがあったくらいです。
それ以降、わたるがぴゅんは授業中には読んではいけないという暗黙のルールができました。
また当時はジャンプ全盛期。ドラゴンボールがちょうどサイヤ人と対決したあたりでした。
続きが見たくて仕方がない。
それはみんなも同じでした。
10時とはいえ、真夏のクソ暑さ。
TSUTAYAはクーラーがガンガンに効いています。
その誘惑には誰も勝てません。
全員がTSUTAYAに吸い込まれました。
涼しいユートピアでの読者、後からくる3人のために、見張りを立てることもしないでみんな漫画の立ち読みにふけります。

その頃、とりのこされた3人、ミッチャン、しのぶ、ワンボは何をしていたのか?

次回。
スタンドバイミーにあこがれる。
俺たちもあんな風に自然の中を突き進みたい。
今の俺たちにしか感じ取れないものを探しに行くぞ、と中学の野球部練習が終わるとテントと寝袋を持ってキャンプをはりました。
一人500円と米、あとはスキなものを持ち寄ってその時にやりたいことをやる。
だいたいは、肉のみのバーベキュー。
牛肉は高くてたくさん買えないので、一番安い豚バラ肉を買えるだけ買う、1キロ1000円くらいでした。
それを買って、バーベキューをやるんですが、何ぶんランプの明かりのみで暗くて焼き加減がわからない。
みんな中学生の食い盛りなので、焼けてるそばから肉がなくなります。
早く食わなければ肉がなくなると言う恐怖。
その恐怖が私たちを戦士に変えます。
とったもん勝ち、食ったもん勝ち。
ここに弱肉強食の生存競争が始まります。
てめぇ、コノヤロー、それは俺のだ!
うっせぇぼけかす、食えば俺のだ!
飛び交う怒号、罵詈雑言。
そうなると、焼ける前、半生でも食おうとする輩がいます。
明らかに焼けていないピンクの豚肉、「たたき」ぐらいでしょうか。
ランプで見えないので、みんなよくわかりません。
口に入れて、ぁあなんか生だなと思っても、次の肉をハンティングするので無理矢理食います。
食ってくって食いまくる。
暗闇の焼肉バトル、それはみんなの満腹中枢を満たすまで続きます。
あんなにバトルしてたのに、後半になるとだいたいは肉があまります。
残さないのが主義なので、今度はおめぇが食えとのおっつけあいになります。
腹いっぱいになると食うスピードが落ちて、いろいろ中学での出来事を話すようになります。
たき火に照らされるみんなの顔。
やれあの子はかわいいだの、あの先生はきらいだの、あの漫画はここが面白いだの、あの頃にしか話せない話題でもりあがる。
すぐそこに受験という怪物が迫っていて、おのおのが大人になるために戦わなくてならない。
抱えている不安を仲間同士で忘れるかのような宴。
そんな中で、少しずつ目の前の目標に立ち向かう勇気をもらっていたのかもしれません。

酒も飲まずに、夜更けまで馬鹿騒ぎをして笑い合う。
ようやく眠くなって寝ようとしても、ゲラゲラ笑ってみんな寝れない。
あれなんでなんでしょうね?
電気を消して寝ようとしても、変な擬音や奇声、幼稚園児がよくやるオナラの真似をしても笑ってしまう。
「ふとんがふっとんだ!」など普段であれば、絶対笑わないようなたいして面白くもないギャグで大爆笑してしまう。
寝るのは笑い疲れてからです。
そしていつのまにか皆が寝て気づけば夜明けでした。
そして、翌日が地獄。
生で食った豚肉が我々の腹を直撃します。
特に、後述しますが、けんちゃんがいつもゲリピーになってました。
当時英語の授業で習ったビートルズのレットイットビーを文字って、ゲリピーゲリピーと皆で歌ったものです。
幸い私は消化器官が強かったので、腹は壊しませんでしたが。

親も気にせず、テントで過ごす時間。
今思えば、いい時間でしたね。
まさに映画のスタンドバイミーが私たちの前にありました。
中学3年生なので、どの高校にいって将来何になるとかみんなが漠然と持っていながらも、そうなるとは限らないという、見えそうで見えない霧の中にいるような状態。
ただ、同じ時代にこうしていっしょにこの場所で生きている、近くの仲間の存在をありがたく思い、心強く思いました。
こいつらといるのが楽しい。
そんな仲間は、年をとった今でもいい仲間です。

いつもホワイトガソリンのバーナーをもってくるんだけど中々点けられない自転車屋のコウジ、こいつはサードで1番バッターでした。

ぽっちゃり大食漢なんだけど、おなかが弱い柔道部主将のけんちゃん。こいつには何回か袈裟固めで落とされました。

物静かで、エロや下ネタ攻撃にメッポウ弱いシノブ、外野。高校も一緒で、大学も東京方面、就職も会津でいまだに麻雀仲間です。

神出鬼没で奇襲カンチョーを得意とするワンボ。ウヒョーとオヒョーとかいつも奇声をあげていました。

いじられキャラながら、いつもいさぎよい告白をして振られてたミッチャン、ショートで守備の名手、二中のオジースミスと呼んでましたが、肩がものすごく弱かった。室内練習で両手首を骨折し、女子に給食をあーんで食わせてもらってました。

足が速いんだけど、でこがせまいマサヨシ。ドッジボールで顔面に当てると、激怒してどこまでも追ってくる復讐の鬼でした。体育館を飛び出し、プールサイドを駆け抜け、私はテニスコートでつかまりました。

ほかにも個性が強い友達がいましたが、ここに私を含めた七人で、チャリで新潟の海を目指したことがあの時代、最大の冒険でした。

3年生の中体連が終わった夏休み、本当ならば高校受験に向けて勉強にいそしまなければならない時期。
野球が終わって、駅伝の練習が始まりましたが、なんとなく暇で宙ぶらりんな感じが漂っていました。かといってすぐに勉強する気にもなれない。
週末キャンプをやってきたので、この夏はなんかデカいことをやろうと仲間同士の話はいろいろでていました。
柳津の七折峠までエロ本を買いにいこうとか、
博士峠をこえて、柳津経由で一周してこようとか、いろんな計画を実行してきました。
一日5,60キロなら自転車で余裕。
なので、さらに大きなチャレンジを熱望していました。
俺たちにいけないところはない、そんな錯覚さえ覚える。
そして、行きついたのは海。
国語の教科書に「あの坂を上れば海が見える。」という一文があったのをみんな覚えていました。
それを地でいってみるか?
んじゃ海でも行ってみるか!
そんな軽いノリでした。

行程やスケジュールを考えるのは私です。
駅伝の練習が二日間休みのところねらって実行に移すことにしました。
柳津くんだりだと親には言わないんですが、今回はさすがに言いました。
危ないからやめろ、と言わないのがうちの親。
それどころか心配だから、朝仕事が終わったらいってみると、いいだしました。
ナーイス!渡りに舟とはこのこと。
テントなどの荷物を車につんで、チャリで持っていく必要がなくなりました。事前に車につめるので機動力アップ!
サンキュー親父!

携帯電話もない時代です。
到着地点と大まかなルートを伝えました。
「49号線をずっと左にいって、海までぶつかったら下、角田浜つぅところを目差すから」
そう親父にいいました。

我々七人の出発時刻は早朝3:00。
49号線に近い上戸原のミッチャンちに集合としました。
何を持ってくるとかは各自に任せます。
お金と水とおにぎり、カップ麺やおやつくらいの感覚です。
チャリンコ屋のコウジにはもしもの時にパンクを直せるようになんかもってこいとはいいました。
ちなみにマサヨシは直前の前日になんか面白そうだから俺もいくといきなりの参戦です。デコも狭いがノリも軽い。

目覚まし時計では心配なので、当時生きてたじいちゃんに起こしてくれと頼みました。

そして、三時前。
案の定、目覚まし時計は無視。
保険のじいちゃんに起こされて、用意した荷物をチャリに積んで出発しました。

あたりはまだ真っ暗闇。
これから挑むチャレンジに皆が高揚していたと思います。

さぁ、目指すは130キロ先の新潟日本海。
暗闇の中をスタンドバイミーを歌いながら、私はミッチャンちを目差しました。
今日の金曜ロードショー「スタンドバイミー」
小学校の時に、おそらく金曜ロードショーか、日曜劇場で見ました。
この映画、間違いなく私の人生を変えた映画です。
この映画を少年の時に見ておいて良かった!
大人になる前に見ておいてよかった!
大人になるにつれ、いろんな経験や情報が入ってきて、物わかりが良くなったり、こずるくなってきてしまう。
そうなる前のピュアさがまだある時期、自分の年輪の奥の深いところに刻まれてくれたと思います。
あの時代でなければ、あそこまで心を震わせることもなかった。
心の底からそう思える映画です。
野球、ソフトボールも大事ですが、ちょっと違った視点からものを見ることができれば、いろんな打開策が見つかると私は思っています。
映画もゲームも料理もなんであれ、無駄なことなんてないんです。
だから、子供たちにはいろんな心を震わせることに出会ってほしい。
もちろんスポ少もそのひとつだと胸を張って言えます。

中学入学前の小学校六年の最後の夏休み。
アメリカは9月入学なので、夏休みが終わると進学になります。
子供から少し大人になりかけるその多感な時期、いろんな問題を抱えた少年四人の冒険物語。
その冒険の目的は、自分たちと同じ年ごろの少年、列車にひかれて行方不明となっている少年の死体をさがして、ヒーローになることです。
たった二日間の時間の流れ。
小さな冒険を通して、いろんな問題を少しずつ向き合い、お互いの強さ弱さを認めながら成長していく彼らを描きます。
さすがのスティーブンキングの原作です。
きっちりホラー要素が入っている。
とは言っても、イットやペットセメタリーほどのホラーではありません。
誰しもが経験したことのある、子供時代の友情物語。
兄を交通事故で亡くし、失望する両親の間に居場所のない主人公。
なんでもないことで馬鹿笑いして、たわいの無いことでケンカする。
損得無しの付き合い。
ああいう心地よい距離感、人と人との距離間は大人になった今ではもう体験できない。
あの時代だからこそ、の風景。
エンディングで流れるベンEキングのかすれたような、しゃがれたような、日本人には発音できない声のスタンドバイミーが流れる。
心が洗われてしまう。
それを見て、いつか俺も気の合う仲間とああいう冒険をしてみたいと決意しました。
その仲間というのはもちもん同じグランドに立つ野球部の仲間たち。
思えば、そこがスタート地点。
そこから、大人のチカラを借りずに、自分たちだけでどこまでいけるかというチャレンジが始まりました。

俺たちのスタンドバイミー、次回。
冷静と情熱のあいだ。
といっても、竹野内豊さんとケリーチャンのラブストーリーの映画ではありません。
あの映画、私も好きでよく見てました。
10年後、ミラノのドーモォで会うという約束・・・
これはおいといて、本題。

今年もコロナの影響で各種大会の中止、規模縮小が相次いでいます。
中畑清杯は中止、大多鬼丸杯は周辺地域のみで開催、総体県大会は未定・・・
昨年と同じような空気。
オリンピックもやるかやらないか、まだわからない。
本当、どうなるのかは誰もわからない。
しかし、主催者側の心境を慮(おもんぱか)るに、責任という大義を考えると、中止にせざるをえないというところでしょうか。
やっても、怒られる。やらなくても怒られる。
前門の虎後門の狼。
切ない・・・

いろんなものが中止になる。
そうなると、参加しようといろんな準備をしてきた人にとっては、心の整理がなかなかつかなくなります。
準備の長さやその大会の規模などにもよるでしょう。
しかし、大小にかかわらず、その準備期間を費やしてきたことは同じです。
そこを「棒に振った」と考えるか、「次への臥薪嘗胆」と考えるか?
ここの差だと思います。
心の整理の仕方。
これができる人と、できない人は必ずでてくると思います。
そういう人が世界中にいる。
おそらくたくさんいる。
私のまわりにもいます。
県大会に行けなかった球児、直前で大会がなくなった中学生・・・
高田イーグルスもしかり。
最高学年、6年であれば最後のチャンス。
それが費える・・・
彼らの心内を考える。
仕方ない。
私も含めた大人は「仕方ない。」という。
仕方ないで片づけられてしまう。
わかっているんです。仕方ないということは・・・
物事の判断や是非、道徳倫理を学びながら成長している彼ら。
その多感な時期に、ものすごく大事なものを奪われたこの心内はどうやって整理していくのか、それが心配です。
人生のいい時期をコロナ禍で過ごしたこと、通常であれば悪い方向にしか作用しません。
しかし、これをマイナスしないでプラスに転化してほしい、そう思います。
一生懸命にやっても無駄になる。
だったら最初から本気でやる必要なんてない。
あきらめ、達観、冷めた見方。
そんな斜に構えた生き方はつまならいと私は思います。
どうかそうならないでほしい。
だからといって、見るからにガツガツした暑苦しい人になれということではありません。
表面はクールでも本質のところで、そうならないでほしいと切に思います。
本質のところでは、人の可能性や物事の未来を信じる熱い人であってほしいと思います。
熱というものは伝染します。
それは、冷たさ、熱さ、どちらも伝染する。
どちらも必要だと思います。ちょうどよい温度を保つためには。
そうはいっては、世の中冷たい人、冷静な人が多くなっているような気がします。
心のサーモグラフィーがあったら、青ばっかりだと思います。
いろんなものをあきらめている人の多いこと。
そこにきてこのコロナ。青い人の量産体制ができている。
冷静な奴ばかりと飲んでてもつまんないし、面白くないんですよね。盛り上がらない。

これではあかん。

青ばかりではないということ、熱く燃える赤もいる、煉獄さんではありませんが、心を燃やすような情熱を持つこと、一生懸命に取り組むことの意義を少しでもこのスポ少から、高田イーグルスから感じ取ってほしいと思います。




5月末までコロナ対策として練習自粛となりました。
練習をやらないことに体が慣れていくのがわかります。
総体が終わって、ここを重点的に練習しようと思っていたことができないジレンマ。
まぁそれはどこのチームも同じだと思います。

ひまさえあればスマホでネットサーフィン。
いろんな記事を読んでいます。
その中でも私の目に留まるのは、野球関連、スポ少関連。
最近読んで実感するのは、「野球離れ」という現象です。
野球をやらない人から見れば、何の関心もないでしょう。
私の周りにも、むしろ嫌悪感さえ感じる人もいることも確か。
いろんな人がいていいと思うので、他人の考えは否定してません、
むしろそういう人が、どうやったら野球やソフトに関心をもつかというヒントをもっていると思います。
それはさておき、会津の高校、中学、小学校でも球児が年々減少しています。
私の聞いている範囲で、特に高校、中学の野球部員の減少が著しい。
会津農林、若松商業、大沼高校など今年入った部員は9人に満たない。
大沼高はここ数年部として単独でチームが組めていません。

それは中学でも同じ。
若松市内の中学校、一中でさえも単独でチームが組めないという状況。
高校に人材を供給する中学の段階で部員不足が起きています。
少子化の影響をはるかに上回る野球離れ。
おそらくこれは全国的なもので、会津に限ったことだとは思いません。
そしてこれは、ほかのスポーツにも言えることだと思います。
人々が、特に子供たちがスポーツに、野球に関心をもたなくなっている。
関心を持てなくなっているといっていいでしょう。

原因はいろいろあります。
少子化、核家族化による親の負担増、金銭的な負担増、余暇の過ごし方の多角化、価値観の変化などさまざま。
ひとつでないと思います。

それに対策を打つべく、動いている人たちもいます。
どっかで読んだ記事ですが、何年も前からそうなることはわかっていたはずです。
野球教室を開いたり、少しでも関心を持ってもらえるような工夫な努力をしている人たちもいる。
ただみんなが単独でやっている、そう記事にありました。
サッカーのようにみんながつながり、全国的な組織展開をして、すそ野をひろげようとしていないと。
ふむふむ、それは私も思っていました。
野球、ソフトは小さいころから一貫した育成のシステムがないと。
これを個人や各チームの立場から改善していくことはできないと思います。
現段階では、それを憂いている人たちがそれぞれの現場でがんばっている。
ここをなんとかしないと、ますます野球離れが進んでいく。
そう思っている人はたくさんいると思います。
憂うばかりでなにも進まない・・・
そのジレンマも年々大きくなっていきます・・・



4月に入って、コロナ対策をとりながら通常どおりの練習をなんとかこなしてきました。
そして練習試合で今の実力を試してみる。
このレン世代、そうとう厳しい戦いになるなぁと我々も実感しています。
スポ少には、いくつかの側面があると思います。
ソフトボールを通して、精神的、身体的、そして社会的にも自己鍛錬の場であること。
そして、スポ少は紛れもなく勝負の世界であるということ。
時として、無慈悲なほど勝ち負けがはっきりしています。
敵も真剣。味方も真剣。
だからこそ、いろんなことを少なからず犠牲にして(この言い方は少しあれですけど)スポ少の活動に重きを置く。
それでも、その子のためになるならという思いが、家族をも巻き込みます。

世の中いろんな見方があっていいと思います。
なにもそんなに本気にならなくてもいいよね、という見方もあることも確か。
もっと家族の時間や子供の時にしかできないことをやろうという選択肢もある。
それも真実。それも正解でしょう。
たくさんある選択肢の中から、スポ少という選択肢を選んだこと。
その選択を失敗とは思ってほしくない。
むしろ、選んでよかった。
スポ少をやってよかったと感じてもらえるようにという思いで我々は指導を続けでいます。
スポ少をやった子供たちが成長して大人になる。
そうやって大人になった彼らと再び会う。
最近では、大人になった彼らと一緒の職場になり、一緒に働くこともあるようになりました。
いい大人になったなと思えること。
その子の昔をしっているだけに、格別にそう思います。
そして、この子を形成している成分のなかに、「スポ少」という因子が何パーセントか入っている。
そのことがたまらなくうれしいんです。
この子(いくつになっても私から見れば「この子」になります)がスポ少を終わって、中学高校大学、社会人となって、ソフトボール野球と離れても、少なからずスポ少で学んだことが生かされたり、役にたったり、その子自身をを支えてくれたことでしょう。
集団の中での自分のポジションの位置をつかみ取る。
状況をみて、自分のできることを探して実行する。
先輩や後輩とうまくやる。
上司やクライアントが何をしてほしいのかを察する。
自分のスキルを活かす、などなど。
その子の中にスポ少で学んだことが生きている。
それを感じる時、ああ我々のやってきたことは間違いでなかったと実感できる瞬間です。
だいぶ長くやっているので、そういう瞬間も多くなってきました。
その最たる例が、いまの監督のコジマ監督です。
かつての・・・敵にデッドボールを当てたのに、ピッチャーが泣いている・・・あの泣き虫エース。
そいつとまたいっしょにソフトボールを、スポ少をやっている。しかも目標を同じくする指導者として。

振り返ったときに、通ってきた道に満開の笑顔が咲いている。
槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」を地でいってるなと感じます。
自己満足で十分です。

私だけでなく、みなさんひとりひとりにそういう振り返る道があるはずです。
いろんな人の道が交差する町。
そこが笑顔でいっぱいになれば、そこに住んでよかったと言いえる町なり、ふるさとになり得るでしょう。

確かにスポ少はたいへん。しかし得るものがある。
その良さを今後もライフワークとして広めていきます。



どうやって今年のチームを鍛え上げていくか?
そう考えた時、彼らの意見も聞いてみたいと思いました。
人に言われるよりも、自分たちでこうしたい!と思えること。
そのほうが強いと思っていますんで。

4月の最初のグランド練習で、彼らに問いました。
「今年のチームの目標を決めてくれ。」と。

6年生中心のレギュラーチーム。
5年生以下のマイナーチームの両方に問いました。

さて、結果は、

6年チームが、「キャッチボールをきちんとやる」
5年以下チームが、「いつも元気よく声を出す」

んー、そう来たか!
こちらが想定していなかった目標を設定してきました。
普通ならば、「県大会にいきたい」とか、「どこどこのチームを倒したい」とか、具体的な到達目標でくるだろと予想していました。
ところがどっこい、普段の練習の「こころがまえ」的な目標。
私から言わせれば、やって当たり前なこと。
しかし、彼らはあえてそこを目標としてきました。
予想外とも思いましたが、考え直して、なるほど彼ららしいとも思いました。
遠くを見るよりも、足元をまず見よう!
自分たちのできること、当たり前にやるべきことをできるように普段からこころがけよう!
そういう境地なんだと思います。
ここは過分にレンの意見が入っていると思います。
彼は普段から、他のメンバーにそれを言っています。
「キャッチボール、声出し、ちゃんとやっていこう」と。
そのうえで、さらに目標設定をそこにした。
この目標をみんなであらためて共有して、徹底していこうと彼らは決めました。

さて、それを受けて我々のやるべきことも決まりました。
ソフトボール、野球の基礎中の基礎。キャッチボール。
簡単なんですが、ものすごく奥は広い、深い。
ここをおろそかにしては、ソフトボールは語れません。
いかに意識してキャッチボールに取り組ませるか?

そこで、思いついたのが「キャッチボールクラシック」です。
7m間を9人で2分間の早投げ。それを何回できるか?という競技です。
全国大会まであります。

いろいろやった挙句、高田イーグルス独自のルールに変えてやっていますが、これはなかなかいい練習です。

簡単なんだけど、なかなか続かない。
二人のキャッチボールではなく、9人、5-4のチームでやることに意義があります。
この練習がどう彼らに作用するか?
それを見ていきます。













コロナ禍で何もできませんので、私なりの今年のチーム分析を。
R3レン世代、今年のチーム、ひとことで言えば、「バッテリーを中心とした守りのチーム」と言えるでしょう。
今やエースとなったユナ、その女房役のシュンペイ。
このバッテリーが機能するかしないか、ここにかかっています。
そして、このチームの精神的な支柱であり、頭脳であり、背骨であるレン。
実質的なレンの右腕となり、リリーフでありほぼどこでも守れるユーティリティープレーヤーのユウキ。
そこに血肉となる、コタロー、ユダ、タイチ、レオ。
この6年生たちが中枢を担います。
そこに、次世代の5年生、カナト、キヒト、チヒロの三人衆と4年生ながら守備を買われて、アユキとユウシン、打撃を買ってトウマ。
サポート役として、リツ、ミソラ、マナト。応援の声の大きさを買ってラストにゼンジ。
18人、このチーム編成。

完成度の高かった昨年、ダイソウゴ世代と比べると……。
比べるのはやめましょう。
レンの世代はレンの世代。
彼らのいいところを伸ばす、それが我々の役目です。
ただ、目の前にはやるべき事が山のようにあります。

まずは、バッテリーが試合を作れるか?
ファーボールをいかに少なくして、威力のあるボールを活かして相手打線を打ち取る。
ここが第一の課題。

その打たせたボールを当たり前のように処理できる守備力、そこが第二の課題。

そして、守りで作ったリズムを打撃に転化、
数少ないチャンスを活かして、相手よりも1点だけ多くとって勝ちまで持ち込むが、第三の課題。

この3つが試合で発揮されれば、けっこういいところまでいくはずです。
まぁそれはどんなチームにでも言えることだと思いますが。

着地点は見えています。
そこに到達するのためには、どうするか?
ここが我々の腕の見せどころでしょう。
しかし、時間は限られています。
全てに割り振っていたらいくら時間があってもたりません。
どこに注力するか?投手力、打撃、守備、走力・・・
1点集中という手もありますが、私は最後に大事なのは「バランス」だと思っています。
1点特化だと、とんがってしまって自立できません。
なので、あれもこれにも手を出さず、厳選したのびしろの多い分野の2点、3点くらいにチカラをいれる。
その形が円になるか、三角になるか、四角になるか?
今のチームにとっての1番いいカタチを模索する。
これがいいんじゃないかと思ってます。
そして、そのカタチは絶えず変化している。
大きくなることが望ましいですが、しぼむときもあるでしょう。
その都度、その時期の1番いいカタチ。
それをいつも考えています。

例えば今のチームにとって、ヒットエンドランなどの戦術は高度すぎます。
数ある戦術があっても、なぜそうするかを理解していなければ作戦をやる意味もなく、成功率も低くなります。
できることを少しずつ増やしていく。
それは守備でも同じです。
そして、ピッチャーの力量によって変化するバッティングよりも、我々は守備を重視します。
守備こそ自分たちを守る最後の砦。
どんな攻撃にさらされても、守備が守り切れば点を与えることはありません。
そして、えてしてきっちり守り切った後にチャンスはやってきます。
守備からリズムをつくる。
我々はこの神話を信じています。
ここを大事にしたい、そういうチームが私たちの理想です。

今年のチームにも自力でそういうリズムを呼び込む力量を授けたい。
そのために何ができるか?

それは、次回。






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