時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
野球をやる意味っていうのを考えさせられました。人によって見方はちがうもの。そういう見方もあるんだなあと思う一方で、そんな風には俺は思わない、野球は上手くやるだけではない。
下手クソでもやる意味はあると強く思いました。
高田中野球部、新人戦両沼予選がありました。
代表決定戦に息子は出ていました。
それを見に、祖母が応援に来ていた。
そして、息子は大事なところでエラーをしたようです。そして、全く打てない。
私は、例によってスポ少で白河に遠征して、息子たちの試合を見れませんでした。
家に帰ってきて、
「あんなみじめな想いをさせるなら、野球などやめさせてしまえ!」
と、ばあさんなりに息巻いてがっかりしているようでした。
ん!待てよ!応援にきてくれんのはありがたいけど、この人は、孫のこと、野球のこと、スポーツのことわかってないな、と思いました。
人にどう思われるかという表面のことしか見ていない。
他人の評価を気にするというのも必要でしょうが、息子たちが野球をやる理由はそれだけではありません。
息子は、ただ単純に野球が面白いから野球をやっているんです。
エラーして、打てなくて、負けそうになる原因になったとしてもそこもひっくるめての野球なんです。
最大限の努力をして、そのうえのエラーならば次は、どうすればミスをしないかを考える。
毎日の苦しい練習、それを仲間と一緒に乗り越えていく連帯感。
何点差が開こうが、決してあきらめない粘り強さ。
そして、いろんな苦難困難を乗り越えて、数パーセントの可能性を仲間と一緒に連鎖させていく。
キセキを繋いでいく達成感。
それが野球の楽しさです。
挫折と失敗と成功が交ざっている。
たいていの人は失敗の方が多いモノです。
その中で、人は成長していくもんだと私は、思っています。
それが分からないのか、分かっていながらそういっているのか?
レギュラーになれないなら、野球なんかやらせるな、高校行ったら野球はやらせるな、なんても言っていました。
そうじゃない。
この人は、昔の俺のようになるなといってんのかな、とも思いました。
私も高校時代はレギュラーではありませんでした。
そうであっても違うだろう、かあちゃん。
その言葉はないぜ。
レギュラーになれなくても、野球をやり続けた私を支えてきた人だとは思えない言葉でした。
そうであっても、それもまた母心、ばあさん心なんでしょうかね。惨めな思いをさせたくないという。
でもそれはまちがっている。
惨めな失敗を何回も繰り返して、しなやかに強くなっていくんです。
成功をし続けるというのは不可能でしょう。
生きていくことはそういう、失敗や惨めなことにもたくさん出会うということです。
事前に危機を回避するということもあってもいいでしょう。
ミスるかもしれない、惨めな思いをするかもしれないからといって、その都度、逃げるようになっていいのか?
私は、あえて立ち向かっていく人間が好きです。
ひさびさに親子で熱い言い合いになりました。
どちらが正しいということはないでしょう。
私の願望ながら、息子にはいろんな失敗、逆境を経験しながら、周りから惨めだと思われても、自分のやるべきことを前向きにやり続ける人間になって欲しいと思います。
人の子供ばかり教えないで、我が子をしっかり見ろという嫁さんからのきついけど核心をついた言葉もいただきました。
険悪な空気が流れましたが、息子が立ち直って、今度の試合に向けて、またバットを振り始めたことが家族全員の救いとなりました。
この先、高校にいけばますます実力主義になってきます。
年齢に関係なく上手い奴がレギュラーになる。
それが勝負事です。
たとえレギュラーになれなくても、その中でいかにして自分の役割を見つけてチームに貢献していくか?
息子はまさに今それを野球を通して学んでいます。
野球をやらなければ、こういうぶつかり合いもないでしょう。野球が家族の絆を強めてくれていると思います。
我が家の雨降って地固まるでした。
下手クソでもやる意味はあると強く思いました。
高田中野球部、新人戦両沼予選がありました。
代表決定戦に息子は出ていました。
それを見に、祖母が応援に来ていた。
そして、息子は大事なところでエラーをしたようです。そして、全く打てない。
私は、例によってスポ少で白河に遠征して、息子たちの試合を見れませんでした。
家に帰ってきて、
「あんなみじめな想いをさせるなら、野球などやめさせてしまえ!」
と、ばあさんなりに息巻いてがっかりしているようでした。
ん!待てよ!応援にきてくれんのはありがたいけど、この人は、孫のこと、野球のこと、スポーツのことわかってないな、と思いました。
人にどう思われるかという表面のことしか見ていない。
他人の評価を気にするというのも必要でしょうが、息子たちが野球をやる理由はそれだけではありません。
息子は、ただ単純に野球が面白いから野球をやっているんです。
エラーして、打てなくて、負けそうになる原因になったとしてもそこもひっくるめての野球なんです。
最大限の努力をして、そのうえのエラーならば次は、どうすればミスをしないかを考える。
毎日の苦しい練習、それを仲間と一緒に乗り越えていく連帯感。
何点差が開こうが、決してあきらめない粘り強さ。
そして、いろんな苦難困難を乗り越えて、数パーセントの可能性を仲間と一緒に連鎖させていく。
キセキを繋いでいく達成感。
それが野球の楽しさです。
挫折と失敗と成功が交ざっている。
たいていの人は失敗の方が多いモノです。
その中で、人は成長していくもんだと私は、思っています。
それが分からないのか、分かっていながらそういっているのか?
レギュラーになれないなら、野球なんかやらせるな、高校行ったら野球はやらせるな、なんても言っていました。
そうじゃない。
この人は、昔の俺のようになるなといってんのかな、とも思いました。
私も高校時代はレギュラーではありませんでした。
そうであっても違うだろう、かあちゃん。
その言葉はないぜ。
レギュラーになれなくても、野球をやり続けた私を支えてきた人だとは思えない言葉でした。
そうであっても、それもまた母心、ばあさん心なんでしょうかね。惨めな思いをさせたくないという。
でもそれはまちがっている。
惨めな失敗を何回も繰り返して、しなやかに強くなっていくんです。
成功をし続けるというのは不可能でしょう。
生きていくことはそういう、失敗や惨めなことにもたくさん出会うということです。
事前に危機を回避するということもあってもいいでしょう。
ミスるかもしれない、惨めな思いをするかもしれないからといって、その都度、逃げるようになっていいのか?
私は、あえて立ち向かっていく人間が好きです。
ひさびさに親子で熱い言い合いになりました。
どちらが正しいということはないでしょう。
私の願望ながら、息子にはいろんな失敗、逆境を経験しながら、周りから惨めだと思われても、自分のやるべきことを前向きにやり続ける人間になって欲しいと思います。
人の子供ばかり教えないで、我が子をしっかり見ろという嫁さんからのきついけど核心をついた言葉もいただきました。
険悪な空気が流れましたが、息子が立ち直って、今度の試合に向けて、またバットを振り始めたことが家族全員の救いとなりました。
この先、高校にいけばますます実力主義になってきます。
年齢に関係なく上手い奴がレギュラーになる。
それが勝負事です。
たとえレギュラーになれなくても、その中でいかにして自分の役割を見つけてチームに貢献していくか?
息子はまさに今それを野球を通して学んでいます。
野球をやらなければ、こういうぶつかり合いもないでしょう。野球が家族の絆を強めてくれていると思います。
我が家の雨降って地固まるでした。
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高田さんとの合併もだんだん落ち着いてきました。
そして、あらためて私は思います。
「合併して良かった!」と。
選手層も厚くなりました。
段階的な育成ができるようになりました。
そして、なにより、保護者間、指導者間での連携がすごい。
もともと、同じような信念、やり方でやってきたんでしょうが、お互い溶け合うのか早いような気がします。
指導者においても、選手に対する考え方、ソフトボールへの取り組み方、チームとしての在り方が、そもそも近かったことを実感しています。
ニューガンダムは伊達じゃない。
やはり大橋監督はタダ者ではない。
この人ならば、任せて間違いはない。私は、そう思います。
そして、保護者も大部分がそう思ってくれていると信じています。
子ども達が楽しくやっていれば、保護者も楽しい。
それは、外部から見てもそう見えるはずです。
合併してから指導者の層も厚くなりました。
レギュラークラス、
この秋からの新人チーム、
そして入ったばかりの子ども達を含むビギナークラス、この3つに分けて実力に応じた練習ができています。
私が親であれば、この育成方法をみれば安心できます。
このスポ少に入っても大丈夫そうだなと思える。
猫も杓子も一緒に練習していれば、低いレベルに合わざるをえません。もし、そうではなく高いレベルでやってるとすれば、実力のある子とそうでない子が一緒にやるには危険が伴います。
だからこそ、実力応じたクラス分けをしている方が私だったら信頼できます。
野球でもゲームでも同じくらいのレベルの相手とやるほうが面白いのは明白です。
だからなのか、ここ最近の新入団員の入部が多いこと。
将来の高田イーグルスを背負うであろう選手たちがゾクゾクその門を叩いています。
ビギナークラスは、まず基礎体力をつけること、チームとして基本的動き、流れを覚えることに重きを置いています。
野球やソフトボールの動き、技術は二の次です。
まずは、仲間と動くことの楽しさを味わうこと、これにつきます。
この導入こそ大事!
メニューは、鬼ごっこやリレー。チームによる競争がメインになります。
チーム分けするというのがミソです。
並ぶこと、水休憩すること、声の出し方大きさ、後片付けなどなど、なんでもチーム対抗戦してしまう。
その中で一番覚えて欲しいのは、ひとりではなにもできない、だからこそ、仲間と連携して立ち向かうこと。
そのためには、自分に何ができるかを考えて、どう行動すれば良いかを実行する。
ここをスムーズにできるかどうかを、私は見極めています。
それが、自然とできる子、教えればできる子、なかなかできない子、何回いってもできない子、いろいろありますが、相田みつをさんに言わせれば、
みんな違ってみんないい。
それぞれが、相手を自分をどう活かすかを考えように仕向けます。
そうしていくうちに、なんということでしょう!
それぞれが曲がりなりにも協力して、それぞれの個性を認め合い、活かすようになっていきます。
まぁ、これが難しいんですがね。
鬼ごっこやリレーという競争性を持たせた遊び感覚の中で、なんとなく、自然と連携するようアドバイスをしていきます。
リーダーシップを発揮できる子は、それを存分に発揮してもらいます。
個性がぶつかり合う時は、どうすればこのチームためになり、相手に勝つためには誰の何をいかすか?を考えさせる。
こどもであっても、勝つためにはどうすればいいかということには真剣に向き合います。
そうしていくうちに、仲間同士、その子のいいところ、悪いところ、合う奴、合わない奴っていうのが分かってきます。
これが、自分の立ち位置、居場所、役割を理解し、組織の中でどう動くことが、組織のためになるかと言うことを学んでいくということです。
間違いなく「コミュニケーション能力」の発掘に役に立っている。私は、そう確信しています。
だから、最近のビギナークラスの動きが効率良くなっています。
遊びをとりいれつつ、全体の動きをよくしていく。そつなると、いざソフトボールの技術を教えるとき、決められたメニューを消化していくときに効率がよくなります。
これがまた、あいつら楽しそうにやるんです。
嬉々として鬼ごっこをし、ティーボールをやる。
いつの間にか、レギュラークラスよりも保護者のギャラリーが多くなっています。
これはいいこと!
これを見て、保護者も安心するでしょう。
あぁわが子が楽しそうにやってるな!と。
大丈夫だな!と。
そう思っていただければ、本望です。
そして、ようこそ、ソフトボールの世界へ。
損はさせませんよ。
ソフトボールの厳しさと楽しさを親子ともどもで経験していただけることを約束しますし、最後には感動の涙で、やって良かったと思っていただけるように、われわれはがんばります、と心に誓います。
こんなにも親子で、家族で心を震わせる世界がある。
それを知ってもらいたい。
その最初の門は、低ければ低いほどいい、私はそう思っています。
そして、あらためて私は思います。
「合併して良かった!」と。
選手層も厚くなりました。
段階的な育成ができるようになりました。
そして、なにより、保護者間、指導者間での連携がすごい。
もともと、同じような信念、やり方でやってきたんでしょうが、お互い溶け合うのか早いような気がします。
指導者においても、選手に対する考え方、ソフトボールへの取り組み方、チームとしての在り方が、そもそも近かったことを実感しています。
ニューガンダムは伊達じゃない。
やはり大橋監督はタダ者ではない。
この人ならば、任せて間違いはない。私は、そう思います。
そして、保護者も大部分がそう思ってくれていると信じています。
子ども達が楽しくやっていれば、保護者も楽しい。
それは、外部から見てもそう見えるはずです。
合併してから指導者の層も厚くなりました。
レギュラークラス、
この秋からの新人チーム、
そして入ったばかりの子ども達を含むビギナークラス、この3つに分けて実力に応じた練習ができています。
私が親であれば、この育成方法をみれば安心できます。
このスポ少に入っても大丈夫そうだなと思える。
猫も杓子も一緒に練習していれば、低いレベルに合わざるをえません。もし、そうではなく高いレベルでやってるとすれば、実力のある子とそうでない子が一緒にやるには危険が伴います。
だからこそ、実力応じたクラス分けをしている方が私だったら信頼できます。
野球でもゲームでも同じくらいのレベルの相手とやるほうが面白いのは明白です。
だからなのか、ここ最近の新入団員の入部が多いこと。
将来の高田イーグルスを背負うであろう選手たちがゾクゾクその門を叩いています。
ビギナークラスは、まず基礎体力をつけること、チームとして基本的動き、流れを覚えることに重きを置いています。
野球やソフトボールの動き、技術は二の次です。
まずは、仲間と動くことの楽しさを味わうこと、これにつきます。
この導入こそ大事!
メニューは、鬼ごっこやリレー。チームによる競争がメインになります。
チーム分けするというのがミソです。
並ぶこと、水休憩すること、声の出し方大きさ、後片付けなどなど、なんでもチーム対抗戦してしまう。
その中で一番覚えて欲しいのは、ひとりではなにもできない、だからこそ、仲間と連携して立ち向かうこと。
そのためには、自分に何ができるかを考えて、どう行動すれば良いかを実行する。
ここをスムーズにできるかどうかを、私は見極めています。
それが、自然とできる子、教えればできる子、なかなかできない子、何回いってもできない子、いろいろありますが、相田みつをさんに言わせれば、
みんな違ってみんないい。
それぞれが、相手を自分をどう活かすかを考えように仕向けます。
そうしていくうちに、なんということでしょう!
それぞれが曲がりなりにも協力して、それぞれの個性を認め合い、活かすようになっていきます。
まぁ、これが難しいんですがね。
鬼ごっこやリレーという競争性を持たせた遊び感覚の中で、なんとなく、自然と連携するようアドバイスをしていきます。
リーダーシップを発揮できる子は、それを存分に発揮してもらいます。
個性がぶつかり合う時は、どうすればこのチームためになり、相手に勝つためには誰の何をいかすか?を考えさせる。
こどもであっても、勝つためにはどうすればいいかということには真剣に向き合います。
そうしていくうちに、仲間同士、その子のいいところ、悪いところ、合う奴、合わない奴っていうのが分かってきます。
これが、自分の立ち位置、居場所、役割を理解し、組織の中でどう動くことが、組織のためになるかと言うことを学んでいくということです。
間違いなく「コミュニケーション能力」の発掘に役に立っている。私は、そう確信しています。
だから、最近のビギナークラスの動きが効率良くなっています。
遊びをとりいれつつ、全体の動きをよくしていく。そつなると、いざソフトボールの技術を教えるとき、決められたメニューを消化していくときに効率がよくなります。
これがまた、あいつら楽しそうにやるんです。
嬉々として鬼ごっこをし、ティーボールをやる。
いつの間にか、レギュラークラスよりも保護者のギャラリーが多くなっています。
これはいいこと!
これを見て、保護者も安心するでしょう。
あぁわが子が楽しそうにやってるな!と。
大丈夫だな!と。
そう思っていただければ、本望です。
そして、ようこそ、ソフトボールの世界へ。
損はさせませんよ。
ソフトボールの厳しさと楽しさを親子ともどもで経験していただけることを約束しますし、最後には感動の涙で、やって良かったと思っていただけるように、われわれはがんばります、と心に誓います。
こんなにも親子で、家族で心を震わせる世界がある。
それを知ってもらいたい。
その最初の門は、低ければ低いほどいい、私はそう思っています。
ひさびさにソウゴのキャプテンシーを見ました。
誰に言われるでもなく、はじめてスポ少に入ったばかりのトウマとキャッチボールをしていました。
普通ならば、はじめて入った素人には教えることも多く、自分も思いきりやれないし、面白くないと思うでしょう。
しかし、ソウゴは違ってました。
われわれ指導者が言うまでもなく、入ったばかりのトウマにキャッチボールを教えている。
それを見て、
「あぁ、本当のキャプテンになってきたなぁ。」
と思いました。
役割が人を育てるといいますが、間違いなくソウゴはその役割を人質越えつつあります。
キャプテンという役割をやろうというより、自然とキャプテンに成ってきている。
人として間違いなく成長しています。
私は、あのキャッチボールを見て思いました。
思い返せば、そういう場面が多々あった。
コロナで練習ができないときも、仲間を連れだって自主的にランニングをする。
小さい子ども達にも配慮しながら、練習すすめる。
声を荒げるでもなく、自分が率先して行動することでチームを鼓舞する。
そして、自分の行動にも責任をもつ。
ソウゴをキャプテンに推す。
そうはじめに表明したのはユウキでした。
やはり、ユウキはそのあたりをきちんと見ていたということを今になってつくづく思います。
ソウゴは、見るからに俺が俺がという前面にでるタイプではありません。
ですが、コツコツと自分の信念を着実に積み重ねていく辛抱強いタイプ。
私が驚いたのは、昨年真夏のインターバルトレーニングの時に、誰も追いつけなかったユウキに肉迫して最後は追い抜こうかというまでになる。
あれこんなに速かったっけ?
しかも、ソウゴはあえてスタートを遅らせて最後尾から、追いまくる。
あえて辛い練習を自分に課している。
そのうえで、いっさい手を抜かない。
私が思うに、そのあたりがひとつ上のユウキたちからも、そして同級生以下をして、全員からキャプテンに推された要因だと思います。
イーグルスはじまって以来の、選挙によるキャプテン決めで、全員からキャプテンに推される選手になった。
そして、あのトウマとのキャッチボール。
つくづく背中で語る奴。
かっこいい。
今では、誰もがソウゴがキャプテンで良かったと思っているはずです。
そこで心配ごとがひとつ。
誰よりも責任感が強いが上に、背負い込んでしまうものも多くなってしまうんじゃないかという懸念があります。
完璧な人間などいない。
ひとつふたつと言わず、だいぶ抜けていていい。
やるときゃ、やる漢(おとこ)、そんでいい。
そのあたりは、たまに白いケツを出す昨年の主将ユウキを見習ってもいい。
遊びのないブレーキは危ない。
でもまぁ、人に左右されないソウゴなりのキャプテンシーがあるでしょう。
ソウゴの人となり、ひたむきさ、謙虚さ、態度、礼儀、優しさ、心遣いは多くの人の共感を呼びます。
そこは間違いない。私は、そこを応援します。
病み上がりの高田イーグルスのキャプテン、ダイの代行として、約30人をまとめる副キャプテン、ソウゴ。
たのもしくなった横顔、丸刈りも板についてきました。
もうひとつ気づいたこと。
これは城戸コーチの気づかいだと思いますが、学校の先生に対して、チーム全体でさようならの礼をみんなでまとまって言うこと。
そこも徹底してやる、謙虚さ。
アピールといわれても、形から入るということは大事です。
そうしているうちに、中身が詰まってくる。
私は、今でもグランドに入るときに自然と一礼をしてしまいます。
マストではなく、それが当たり前になってくる。
いいじゃないですか!
その先頭にソウゴがいます。
チームを引っ張るソウゴを見るたびに今年のイーグルスもいける!と思います。
他の6年生も間違いなくソウゴのひたむきさに引っ張られている。
それを誰もが嫌がっておらず、むしろ楽しんでいる。
それが相乗効果を生んでいます。
チームとしてまとまっている。
だからこそ、いける!
自分たちよりも強いチームと互角に渡り合えると思わせてくれます。
彼らはやってくれます。
それが見える。
イーグルスの最大の夏は8月ときまりました。
めざすは、県制覇!
口に出して、自分たちの心に染みこませましょう。
血湧き肉躍る、激闘の世界に、イーグルスの双璧、矢じりとなったダイとソウゴを先頭に切りこむ。
やってやりましょう!
待ってろ、最高の夏。
誰に言われるでもなく、はじめてスポ少に入ったばかりのトウマとキャッチボールをしていました。
普通ならば、はじめて入った素人には教えることも多く、自分も思いきりやれないし、面白くないと思うでしょう。
しかし、ソウゴは違ってました。
われわれ指導者が言うまでもなく、入ったばかりのトウマにキャッチボールを教えている。
それを見て、
「あぁ、本当のキャプテンになってきたなぁ。」
と思いました。
役割が人を育てるといいますが、間違いなくソウゴはその役割を人質越えつつあります。
キャプテンという役割をやろうというより、自然とキャプテンに成ってきている。
人として間違いなく成長しています。
私は、あのキャッチボールを見て思いました。
思い返せば、そういう場面が多々あった。
コロナで練習ができないときも、仲間を連れだって自主的にランニングをする。
小さい子ども達にも配慮しながら、練習すすめる。
声を荒げるでもなく、自分が率先して行動することでチームを鼓舞する。
そして、自分の行動にも責任をもつ。
ソウゴをキャプテンに推す。
そうはじめに表明したのはユウキでした。
やはり、ユウキはそのあたりをきちんと見ていたということを今になってつくづく思います。
ソウゴは、見るからに俺が俺がという前面にでるタイプではありません。
ですが、コツコツと自分の信念を着実に積み重ねていく辛抱強いタイプ。
私が驚いたのは、昨年真夏のインターバルトレーニングの時に、誰も追いつけなかったユウキに肉迫して最後は追い抜こうかというまでになる。
あれこんなに速かったっけ?
しかも、ソウゴはあえてスタートを遅らせて最後尾から、追いまくる。
あえて辛い練習を自分に課している。
そのうえで、いっさい手を抜かない。
私が思うに、そのあたりがひとつ上のユウキたちからも、そして同級生以下をして、全員からキャプテンに推された要因だと思います。
イーグルスはじまって以来の、選挙によるキャプテン決めで、全員からキャプテンに推される選手になった。
そして、あのトウマとのキャッチボール。
つくづく背中で語る奴。
かっこいい。
今では、誰もがソウゴがキャプテンで良かったと思っているはずです。
そこで心配ごとがひとつ。
誰よりも責任感が強いが上に、背負い込んでしまうものも多くなってしまうんじゃないかという懸念があります。
完璧な人間などいない。
ひとつふたつと言わず、だいぶ抜けていていい。
やるときゃ、やる漢(おとこ)、そんでいい。
そのあたりは、たまに白いケツを出す昨年の主将ユウキを見習ってもいい。
遊びのないブレーキは危ない。
でもまぁ、人に左右されないソウゴなりのキャプテンシーがあるでしょう。
ソウゴの人となり、ひたむきさ、謙虚さ、態度、礼儀、優しさ、心遣いは多くの人の共感を呼びます。
そこは間違いない。私は、そこを応援します。
病み上がりの高田イーグルスのキャプテン、ダイの代行として、約30人をまとめる副キャプテン、ソウゴ。
たのもしくなった横顔、丸刈りも板についてきました。
もうひとつ気づいたこと。
これは城戸コーチの気づかいだと思いますが、学校の先生に対して、チーム全体でさようならの礼をみんなでまとまって言うこと。
そこも徹底してやる、謙虚さ。
アピールといわれても、形から入るということは大事です。
そうしているうちに、中身が詰まってくる。
私は、今でもグランドに入るときに自然と一礼をしてしまいます。
マストではなく、それが当たり前になってくる。
いいじゃないですか!
その先頭にソウゴがいます。
チームを引っ張るソウゴを見るたびに今年のイーグルスもいける!と思います。
他の6年生も間違いなくソウゴのひたむきさに引っ張られている。
それを誰もが嫌がっておらず、むしろ楽しんでいる。
それが相乗効果を生んでいます。
チームとしてまとまっている。
だからこそ、いける!
自分たちよりも強いチームと互角に渡り合えると思わせてくれます。
彼らはやってくれます。
それが見える。
イーグルスの最大の夏は8月ときまりました。
めざすは、県制覇!
口に出して、自分たちの心に染みこませましょう。
血湧き肉躍る、激闘の世界に、イーグルスの双璧、矢じりとなったダイとソウゴを先頭に切りこむ。
やってやりましょう!
待ってろ、最高の夏。
夏が終わっていきます。
イーグルスOBの最後の夏が。
高校三年、この年代はイーグルスを初の全国の舞台と導いた年代です。
9人いた仲間の中で野球を選んだのはタイキひとりでした。
もちろん、それぞれの道を進んでいいし、それを応援します。
ただ、高校野球を選んだことに対して、私は単純にうれしい、そう思います。
独断でひとりよがりだとはわかっていますが、高校野球をやってこそ、野球の深さ、野球をやることで仲間の大切さがわかる、私は、そう思っています。
タイキはその道を選んだ。
だから、うれしい。
彼の夏も終わりを告げました。
直前にケガをして、最後の夏なのに試合にでることはかなわない。
劣勢のチームをなんとかして、立ち直らせようと鼓舞する。
伝令に向かった彼の横顔をとらえた写真。
私は、この写真をみて思いました。
高校でもいい仲間に出会えたんだな、と。
新聞の記事によると、こんなにも一生懸命になれることがこの先をあるのかなぁといいつつ、将来を見すえる。
しかし、彼ならば、この先も大丈夫だなと思わせてくれます。
そして、また野球の道を探究するとのこと。
私の勝手ながら、たのもしくて仕方がありません。
独断と偏見ながら、私が育てたかったのは、こういう人間。
そこまで、野球に魅入られた人間は、必ず野球の楽しさを誰かに教えたくて仕方がなくなります。
イーグルスの練習に来てくれるOBたちもまたしかり。
高校野球までやったとか、そんなのはまぁいいとして、ソフトボールの厳しさ、楽しさ、仲間の大切さを身をもって経験してきたからこそ、またグランドに戻ってきてくれる。
自分が生まれ育った川にもどってくる鮭のように。
かくいう私もそうでした。
小学校のスポ少の監督から、中学校の野球部の先生から、高校の野球部の監督から、野球の厳しさと楽しさを教わってきました。
それができたのも、やはり一緒に野球をしてきた仲間たちのおかげです。
そうして、野球にどっぷり浸かっていく。
そういう人間をひとりでも多く育てていきたい。
野球の伝道師。
それが、間違いなく、私のライフワークになっています。
その片鱗を示してくれたタイキ。
思い出します。
あの年代の最後の試合。
11月の寒さの中、信夫第一さんとのきつねうち温泉杯決勝、もつれにもつれてナイターとなり、最後はタイキのタイムリーで試合を決めたあの一打。
おやっさんと涙の抱擁。
決めるときは決める漢(おとこ)です。
まだバットを置くのは早い。
彼の進む道に、ふたたび良き野球仲間との出会いがありますようにと願ってやみません。
お前ならば、大丈夫!
私は、自信をもって「行け!」といいます!
ひとまず、タイキ、高校野球おつかれさまでした!
イーグルスOBの最後の夏が。
高校三年、この年代はイーグルスを初の全国の舞台と導いた年代です。
9人いた仲間の中で野球を選んだのはタイキひとりでした。
もちろん、それぞれの道を進んでいいし、それを応援します。
ただ、高校野球を選んだことに対して、私は単純にうれしい、そう思います。
独断でひとりよがりだとはわかっていますが、高校野球をやってこそ、野球の深さ、野球をやることで仲間の大切さがわかる、私は、そう思っています。
タイキはその道を選んだ。
だから、うれしい。
彼の夏も終わりを告げました。
直前にケガをして、最後の夏なのに試合にでることはかなわない。
劣勢のチームをなんとかして、立ち直らせようと鼓舞する。
伝令に向かった彼の横顔をとらえた写真。
私は、この写真をみて思いました。
高校でもいい仲間に出会えたんだな、と。
新聞の記事によると、こんなにも一生懸命になれることがこの先をあるのかなぁといいつつ、将来を見すえる。
しかし、彼ならば、この先も大丈夫だなと思わせてくれます。
そして、また野球の道を探究するとのこと。
私の勝手ながら、たのもしくて仕方がありません。
独断と偏見ながら、私が育てたかったのは、こういう人間。
そこまで、野球に魅入られた人間は、必ず野球の楽しさを誰かに教えたくて仕方がなくなります。
イーグルスの練習に来てくれるOBたちもまたしかり。
高校野球までやったとか、そんなのはまぁいいとして、ソフトボールの厳しさ、楽しさ、仲間の大切さを身をもって経験してきたからこそ、またグランドに戻ってきてくれる。
自分が生まれ育った川にもどってくる鮭のように。
かくいう私もそうでした。
小学校のスポ少の監督から、中学校の野球部の先生から、高校の野球部の監督から、野球の厳しさと楽しさを教わってきました。
それができたのも、やはり一緒に野球をしてきた仲間たちのおかげです。
そうして、野球にどっぷり浸かっていく。
そういう人間をひとりでも多く育てていきたい。
野球の伝道師。
それが、間違いなく、私のライフワークになっています。
その片鱗を示してくれたタイキ。
思い出します。
あの年代の最後の試合。
11月の寒さの中、信夫第一さんとのきつねうち温泉杯決勝、もつれにもつれてナイターとなり、最後はタイキのタイムリーで試合を決めたあの一打。
おやっさんと涙の抱擁。
決めるときは決める漢(おとこ)です。
まだバットを置くのは早い。
彼の進む道に、ふたたび良き野球仲間との出会いがありますようにと願ってやみません。
お前ならば、大丈夫!
私は、自信をもって「行け!」といいます!
ひとまず、タイキ、高校野球おつかれさまでした!
悩むのはいいことだと思います。
いろんな事象をならべて、ああでもない、こうでもないと考える。
それを一人で、または仲間同士で考えることは人が成長して行く上で、とても有用なものだと思います。
それを挫折や苦労というのかもしれませんが、それを知らないことは果たして本当の成長と呼べるでしょうか?
大きな壁に打ちあたって当たり前。
跳ね返されて当たり前。
そして、その壁をどうやって乗り越えていくかを考えて、実行する。
よけていくら、ぶち破るか、よじ登るか?
方法はたくさんあり、ひとつではない。
大小あれど、生きていくことはまさにその連続です。
スポ少の中では、それが経験できます。
このチーム中で自分はどういう役割なのか?
自分はどうしたいか?
そのためにはどうすればいいか?
大なり小なり、考えて行動するようになります。
「俺が何をいいたいか?」という問いかけ。
ああやれ、こうやれという前に、私たちも考えて行動するように仕向けています。
彼ら彼女らが大きくなったときに、自分で自分が行く道を決められる人間になって欲しいという思いをこめて。
どっかの停止線で立ち止まった時に、
「俺が何をいいたいか?」
という声がどっかから聞こえてくれればいいなと思います。
いろんな事象をならべて、ああでもない、こうでもないと考える。
それを一人で、または仲間同士で考えることは人が成長して行く上で、とても有用なものだと思います。
それを挫折や苦労というのかもしれませんが、それを知らないことは果たして本当の成長と呼べるでしょうか?
大きな壁に打ちあたって当たり前。
跳ね返されて当たり前。
そして、その壁をどうやって乗り越えていくかを考えて、実行する。
よけていくら、ぶち破るか、よじ登るか?
方法はたくさんあり、ひとつではない。
大小あれど、生きていくことはまさにその連続です。
スポ少の中では、それが経験できます。
このチーム中で自分はどういう役割なのか?
自分はどうしたいか?
そのためにはどうすればいいか?
大なり小なり、考えて行動するようになります。
「俺が何をいいたいか?」という問いかけ。
ああやれ、こうやれという前に、私たちも考えて行動するように仕向けています。
彼ら彼女らが大きくなったときに、自分で自分が行く道を決められる人間になって欲しいという思いをこめて。
どっかの停止線で立ち止まった時に、
「俺が何をいいたいか?」
という声がどっかから聞こえてくれればいいなと思います。
打撃理論ってなんでしょう?
つまるところ、どうやったら効率よく打てるか?
それが答えだと思います。
この「どうやったら」ってのが、我々人類にとっての永遠の課題。
それが、ヒットの錬金術=打撃理論。
あまたの打撃理論がこの世には存在します。
振り子打法、一本足打法、フライボール理論、そしてインサイドアウト…。
いろんな理論、セオリーを実際に試してきました。
打撃理論なんて、あってないようなもんだと思っています。
ただ、確信をついているところは確かにある。
それを見極める。
使えるところを使う。これだと思います。
そして、私なりに今のところ掴んでいるポイント。それは、
打ち負けない始動ができる「われ」→トップの作り方。
効率よくミートポイントにバットのヘッドを導くスイング軌道(最短が望ましい)。
そしてもっとも大事なのは、バットとボールが出会うタイミングがとれること。
この3点。
体が大きく筋肉量が多いにこしたことはありませんが、でかくてもボールに上手く当たらなくては話になりません。
小さくても、全身の筋肉を効率よく使い、タイミングを上手くとりながら長打を連発する選手もいます。
突き詰めていけば、人それぞれ筋肉の付き方、ボールをとらえる動体視力、経験値が違います。
よって、一概にこうすれば良いという共通のセオリー、決まり事は存在しないと思ってます。
その人が、そのスイングをするには訳がある。
私はそれを大事にしたい。
何も教わってない状態でやるスイングこそ、その人の「素(す)」であり、それまで生きてきた経験値からの最良のスイングであり、タイミングのとり方だと私は思います。
だから、「ん!?」と思ったスイングでも、その人にとっては有効な場合があるかもしれないと思って使えるところを探します。
その固有のスイングを全否定することなく、むしろ強みとして昇華する。
ここが、指導者の腕の見せどころ。
今はいろんなバッティング理論が謳歌しています。
私もそれを研究しつつ、「この子にとっては、どれが使えて、どれとどれを組み合わせればちいいか?」を考えています。
型にはめない。
だからこそ、イーグルスにはいろんな打撃フォームをする奴らがいます。
去年の山形、鶴岡東もそうでした。
いろんな打撃フォームの打線。
決して、お行儀がいいとは言えないフォームがたくさん並んでいました。
不思議とそれがつながる。
全員が同じようなフォームに収束しない面白さ、そして強い。
理想だと思います。
ポイントだけ抑えてりぁ、ボールを強く叩くという行為には、幾通りの方法があります。
とんでもないアッパースイングのレイラ。
普通に考えれば、体格に合わない大きすぎるスイング。よしんば、あたったとしてもフライになる確率が高いアッパー。普通は直すでしょう。
しかし、信念に基づき、私はレイラのフォームもあまりいじりません。よく、あんなフォームで打てるなぁ、なんて思っているのは、大人だけかもしれません。彼女にとっては、あれがスタンダード。そのいいところを活かしましょう。
あのフォームが打ちまくって、相手チームを席巻する、そんな予感がしています。
最近のティーボールの練習では、自分のインパクトのポイントが分かってきています。
レイラなりのボールの飛ばし方を少しずつものにしています。
ボールをバットの芯でとらえると、心地よい手応えとなんとも言えない気持ち良さが経験できます。
これは、人類が太古の昔から気持ちいい感覚のひとつだと私は思っています。
ボールをかっ飛ばすと気持ちいい。
これが単純に、野球の、ソフトボールのもっとも面白いところだと思います。
その気持ちよさ、楽しさをより多くの子ども達に経験させてやりたい。しかも、大きな舞台で。
そのやり方は、人によって千差万別。
その子にあった最善のひとふりを一緒に作り上げていきたい。
「なんで、あんな打ち方で打てるんだ!」
と驚嘆する人のよこで、ほくそ笑む。
セオリーにとらわれることなく、その子にあったスイング。
それを突き詰めていきたいと思います。
つまるところ、どうやったら効率よく打てるか?
それが答えだと思います。
この「どうやったら」ってのが、我々人類にとっての永遠の課題。
それが、ヒットの錬金術=打撃理論。
あまたの打撃理論がこの世には存在します。
振り子打法、一本足打法、フライボール理論、そしてインサイドアウト…。
いろんな理論、セオリーを実際に試してきました。
打撃理論なんて、あってないようなもんだと思っています。
ただ、確信をついているところは確かにある。
それを見極める。
使えるところを使う。これだと思います。
そして、私なりに今のところ掴んでいるポイント。それは、
打ち負けない始動ができる「われ」→トップの作り方。
効率よくミートポイントにバットのヘッドを導くスイング軌道(最短が望ましい)。
そしてもっとも大事なのは、バットとボールが出会うタイミングがとれること。
この3点。
体が大きく筋肉量が多いにこしたことはありませんが、でかくてもボールに上手く当たらなくては話になりません。
小さくても、全身の筋肉を効率よく使い、タイミングを上手くとりながら長打を連発する選手もいます。
突き詰めていけば、人それぞれ筋肉の付き方、ボールをとらえる動体視力、経験値が違います。
よって、一概にこうすれば良いという共通のセオリー、決まり事は存在しないと思ってます。
その人が、そのスイングをするには訳がある。
私はそれを大事にしたい。
何も教わってない状態でやるスイングこそ、その人の「素(す)」であり、それまで生きてきた経験値からの最良のスイングであり、タイミングのとり方だと私は思います。
だから、「ん!?」と思ったスイングでも、その人にとっては有効な場合があるかもしれないと思って使えるところを探します。
その固有のスイングを全否定することなく、むしろ強みとして昇華する。
ここが、指導者の腕の見せどころ。
今はいろんなバッティング理論が謳歌しています。
私もそれを研究しつつ、「この子にとっては、どれが使えて、どれとどれを組み合わせればちいいか?」を考えています。
型にはめない。
だからこそ、イーグルスにはいろんな打撃フォームをする奴らがいます。
去年の山形、鶴岡東もそうでした。
いろんな打撃フォームの打線。
決して、お行儀がいいとは言えないフォームがたくさん並んでいました。
不思議とそれがつながる。
全員が同じようなフォームに収束しない面白さ、そして強い。
理想だと思います。
ポイントだけ抑えてりぁ、ボールを強く叩くという行為には、幾通りの方法があります。
とんでもないアッパースイングのレイラ。
普通に考えれば、体格に合わない大きすぎるスイング。よしんば、あたったとしてもフライになる確率が高いアッパー。普通は直すでしょう。
しかし、信念に基づき、私はレイラのフォームもあまりいじりません。よく、あんなフォームで打てるなぁ、なんて思っているのは、大人だけかもしれません。彼女にとっては、あれがスタンダード。そのいいところを活かしましょう。
あのフォームが打ちまくって、相手チームを席巻する、そんな予感がしています。
最近のティーボールの練習では、自分のインパクトのポイントが分かってきています。
レイラなりのボールの飛ばし方を少しずつものにしています。
ボールをバットの芯でとらえると、心地よい手応えとなんとも言えない気持ち良さが経験できます。
これは、人類が太古の昔から気持ちいい感覚のひとつだと私は思っています。
ボールをかっ飛ばすと気持ちいい。
これが単純に、野球の、ソフトボールのもっとも面白いところだと思います。
その気持ちよさ、楽しさをより多くの子ども達に経験させてやりたい。しかも、大きな舞台で。
そのやり方は、人によって千差万別。
その子にあった最善のひとふりを一緒に作り上げていきたい。
「なんで、あんな打ち方で打てるんだ!」
と驚嘆する人のよこで、ほくそ笑む。
セオリーにとらわれることなく、その子にあったスイング。
それを突き詰めていきたいと思います。
練習が再開して一月がたちました。
コロナ対策をとりながら練習試合もちらほらなんとかやれています。
選手の個性をみたポジション、打順もなんとなくかたまりつつあり、高田イーグルスとしての体裁が整いつつあります。
形になってきている。
見ていてそう思います。
しかし、それは、5年、6年の話です。
私が主に担当するのは、四年生以下選手たち。
はい、そうです、素人集団です。
人間的にもまだまだややっこ。
理論や技術を教える前の段階の人たちです。
ただ、私は思うんです。
ここが、この導入が1番大事だと。
これは、昔から思っていました。
6年から1年生まで、アップはいいとして、同じ練習メニューなんてできる訳がない。
私一人で指導していた時期は、どうしてもこの下級生の導入に時間を割くことができなかった。
それが、高田さんと合併して、指導者も保護者も多くなった今、未来の高田イーグルスを引っ張っていくであろう人材育成を任されている。
ここは合併したメリットです。
ただ、こいつら、めんどくさい。
人の話を聞かない、ややっこなので思い通りに動かない、喧嘩がはじまる。
保育所です。
ソフトボールを教える以前の問題。
個人でやるゲームが遊びの主流となり、普段から、友達同士、年齢をこえた集団で遊ぶことも少なくなったんでしょうね。
それぞれが、我を通す。
それを制するガキ大将がいません。
学年が上とかも関係ない。
あぁ、こりゃ大変だ。
ここからやんなんねえのかぁと思いつつも、これもソフトボールを通しての、人格形成の一環と考えます。
むしろその方が大きい。
とんでもなくめんどくせぇやつもいます。
もし学校にこんなのが、何人もいたら学級崩壊でしょうね。
学校の先生の苦悩をお察しします。
しかし、ここは学校ではありません。
学習指導要領では、解決できないでしょう。
まがりなりにも、彼らにはソフトボールをしてチームとして、勝ちにいくという明確な目標があります。
そこが、チームスポーツとしてのスポ少のいいところ。
スポ少だからこそ、できることがあります。
世の中どうあっても、合わない奴っていうのがいます。
みんな聖人君主ではありませんから、みんなと仲良くしようなんてことはないと思います。
その距離感を正しくもてばいい。
それが、「コミュニケーション能力」だと私は思ってます。
スポ少は、それを実践的に、経験的にソフトボールを通して学んでいく場です。
嫌いな奴とでも、チームの勝利のためには協力しなくてはならない。
これって将来、社会に出たときも役に立つと思うんです。
合わない奴であっても、そいつの特性を活かすような配慮、動きしようとする。
そして、自分もそうやってチームの一員なんだと気づくはずです。自分もみんなに活かされていると。
これが、なんとなくでもいいから学ぶ事ができるスポ少とはやはり有用な教育法だと私は確信しています。
そして、それをまた今年も実践しようとしています。
何人か、キーマンは抑えています。
あとは、そいつらがどう変わっていくかをけしかける。
これは、これで面白い側面です。
北風と太陽。アメとムチ。仏と鬼を使い分けて少しずつ、彼らの顔が変わっていく様子を見守ることにします。
コロナ対策をとりながら練習試合もちらほらなんとかやれています。
選手の個性をみたポジション、打順もなんとなくかたまりつつあり、高田イーグルスとしての体裁が整いつつあります。
形になってきている。
見ていてそう思います。
しかし、それは、5年、6年の話です。
私が主に担当するのは、四年生以下選手たち。
はい、そうです、素人集団です。
人間的にもまだまだややっこ。
理論や技術を教える前の段階の人たちです。
ただ、私は思うんです。
ここが、この導入が1番大事だと。
これは、昔から思っていました。
6年から1年生まで、アップはいいとして、同じ練習メニューなんてできる訳がない。
私一人で指導していた時期は、どうしてもこの下級生の導入に時間を割くことができなかった。
それが、高田さんと合併して、指導者も保護者も多くなった今、未来の高田イーグルスを引っ張っていくであろう人材育成を任されている。
ここは合併したメリットです。
ただ、こいつら、めんどくさい。
人の話を聞かない、ややっこなので思い通りに動かない、喧嘩がはじまる。
保育所です。
ソフトボールを教える以前の問題。
個人でやるゲームが遊びの主流となり、普段から、友達同士、年齢をこえた集団で遊ぶことも少なくなったんでしょうね。
それぞれが、我を通す。
それを制するガキ大将がいません。
学年が上とかも関係ない。
あぁ、こりゃ大変だ。
ここからやんなんねえのかぁと思いつつも、これもソフトボールを通しての、人格形成の一環と考えます。
むしろその方が大きい。
とんでもなくめんどくせぇやつもいます。
もし学校にこんなのが、何人もいたら学級崩壊でしょうね。
学校の先生の苦悩をお察しします。
しかし、ここは学校ではありません。
学習指導要領では、解決できないでしょう。
まがりなりにも、彼らにはソフトボールをしてチームとして、勝ちにいくという明確な目標があります。
そこが、チームスポーツとしてのスポ少のいいところ。
スポ少だからこそ、できることがあります。
世の中どうあっても、合わない奴っていうのがいます。
みんな聖人君主ではありませんから、みんなと仲良くしようなんてことはないと思います。
その距離感を正しくもてばいい。
それが、「コミュニケーション能力」だと私は思ってます。
スポ少は、それを実践的に、経験的にソフトボールを通して学んでいく場です。
嫌いな奴とでも、チームの勝利のためには協力しなくてはならない。
これって将来、社会に出たときも役に立つと思うんです。
合わない奴であっても、そいつの特性を活かすような配慮、動きしようとする。
そして、自分もそうやってチームの一員なんだと気づくはずです。自分もみんなに活かされていると。
これが、なんとなくでもいいから学ぶ事ができるスポ少とはやはり有用な教育法だと私は確信しています。
そして、それをまた今年も実践しようとしています。
何人か、キーマンは抑えています。
あとは、そいつらがどう変わっていくかをけしかける。
これは、これで面白い側面です。
北風と太陽。アメとムチ。仏と鬼を使い分けて少しずつ、彼らの顔が変わっていく様子を見守ることにします。
コロナ災禍の中、新生高田イーグルスがなんとか船出しました。
新しい空、青空なのか、暗雲なのかはまだ分かりません。
ですが、新しい大陸を求めてこぎ出したという事実が大事なんです。
これで、前に進める!と誰もが決意を胸に刻んだことでしょう。
ぐるぐる回ってるだけなのか、はたまた後ろにこいでいるのか、それはわかりません。
ただ、私は思いました。
このチームならば、行ける!やれる!と。
こどもたちもそうですが、保護者も良いメンバーです。
このメンバーとならば、どんな海でも天候でも乗り越えることができる、そう思いました。
一緒のメンバーで早く試合がしたい。
大会がやりたい。
さて、真新しい本に、子ども達の、保護者のみなさんの成長物語を綴っていこうとしますか!
新しい空、青空なのか、暗雲なのかはまだ分かりません。
ですが、新しい大陸を求めてこぎ出したという事実が大事なんです。
これで、前に進める!と誰もが決意を胸に刻んだことでしょう。
ぐるぐる回ってるだけなのか、はたまた後ろにこいでいるのか、それはわかりません。
ただ、私は思いました。
このチームならば、行ける!やれる!と。
こどもたちもそうですが、保護者も良いメンバーです。
このメンバーとならば、どんな海でも天候でも乗り越えることができる、そう思いました。
一緒のメンバーで早く試合がしたい。
大会がやりたい。
さて、真新しい本に、子ども達の、保護者のみなさんの成長物語を綴っていこうとしますか!
正式に夏の高校野球が中止になりました。
こころに空いた虚無感。
どうやって、自分の中に落とし込んでいくんだろう?
周りがどう言おうが、最後は自分で自分に片をつけるしかないと思います。
この世代は、かつてイーグルス初の県制覇を成し遂げ、滋賀県での全国大会にいった年代です。
あの年代、ひとりひとりの顔が思い浮かびます。
絶対エース、コウダイ
頼れるキャッチャー、タイキ
巨砲スラッガー、フミヤ
好球好打のルキ
どこでも守れるユーティリティ、マナト
飄々メガネのフウタ
女傑ショートストップ、ノゾミ
俊足センター、タクマ
ムードメーカー、ショウタロウ(私はあえてカツタロウと呼んでました。)
6年生が9人もいました。
そこに、5年のダイト、ヒカル
4年のタカヤが入る。
思えば、タカヤ、
いろんな場面で上級生の中に入ってくる。
この子は大丈夫!と思わせてしまう。
タカヤは、駅伝でもなんでもこのパターンが多いような気がします。
豪華なメンバーでしょう。
打力、守備力もさることながら、なんと言っても投手力、バッテリーのチカラが絶対的に強力でした。
県大会でとられた点数はわずか1失点。
それもパスボールの1点のみです。
サウスポー、強靱な下半身からの恐ろしく低いリリースポイント。
うなりをあげる剛速球。
コウダイの防御率は、0.0なにがしかだと思います。
あれは打てない。
見ていて、安心できるバッテリーでした。
そんな彼らのが高校三年生の時に、まさかこんな事態になろうとは…
スポーツは、スポーツ以外の状況においても、とんでもない困難や理不尽に対抗するひとつの有効な方法だと思います。
私はそう信じています。
野球からは離れても、コウダイは今も陸上という世界で、それを積み上げてきている。
コウダイとはよく会うんですが、清清しいくらいに
「もう引退です。」
と、言い残して颯爽とクロスバイクを駆る。
彼の心底は見えません。
おそらくいろんな葛藤があるはずです。
ですが、彼を見ていると、うん大丈夫だなと思えてきます。
彼らなら乗り切れる。
そう信じて、クロスバイクを見送ります。
こころに空いた虚無感。
どうやって、自分の中に落とし込んでいくんだろう?
周りがどう言おうが、最後は自分で自分に片をつけるしかないと思います。
この世代は、かつてイーグルス初の県制覇を成し遂げ、滋賀県での全国大会にいった年代です。
あの年代、ひとりひとりの顔が思い浮かびます。
絶対エース、コウダイ
頼れるキャッチャー、タイキ
巨砲スラッガー、フミヤ
好球好打のルキ
どこでも守れるユーティリティ、マナト
飄々メガネのフウタ
女傑ショートストップ、ノゾミ
俊足センター、タクマ
ムードメーカー、ショウタロウ(私はあえてカツタロウと呼んでました。)
6年生が9人もいました。
そこに、5年のダイト、ヒカル
4年のタカヤが入る。
思えば、タカヤ、
いろんな場面で上級生の中に入ってくる。
この子は大丈夫!と思わせてしまう。
タカヤは、駅伝でもなんでもこのパターンが多いような気がします。
豪華なメンバーでしょう。
打力、守備力もさることながら、なんと言っても投手力、バッテリーのチカラが絶対的に強力でした。
県大会でとられた点数はわずか1失点。
それもパスボールの1点のみです。
サウスポー、強靱な下半身からの恐ろしく低いリリースポイント。
うなりをあげる剛速球。
コウダイの防御率は、0.0なにがしかだと思います。
あれは打てない。
見ていて、安心できるバッテリーでした。
そんな彼らのが高校三年生の時に、まさかこんな事態になろうとは…
スポーツは、スポーツ以外の状況においても、とんでもない困難や理不尽に対抗するひとつの有効な方法だと思います。
私はそう信じています。
野球からは離れても、コウダイは今も陸上という世界で、それを積み上げてきている。
コウダイとはよく会うんですが、清清しいくらいに
「もう引退です。」
と、言い残して颯爽とクロスバイクを駆る。
彼の心底は見えません。
おそらくいろんな葛藤があるはずです。
ですが、彼を見ていると、うん大丈夫だなと思えてきます。
彼らなら乗り切れる。
そう信じて、クロスバイクを見送ります。
我が町でも、コロナ対策から体育施設の開放が始まりました。
でも、学校施設の解放は当面しないとのこと。
小学校のグランドをホームにしているイーグルスにとっては、いまだ解放は遠いということです。
しかし、合併した高田スポ少さんは社会体育施設をホームにしていますので、6月から練習ができます。
いろんな制限を受けながらでも、なんとかみんなでソフトボールができる。
いまのところはそれで良しとしましょう。
全国大会もなくなり、中畑清杯、オオタキマル杯もなくなる。
県内の大きな大会は、白獅子しかありません。
どうか、白獅子だけはなくならないでほしい。
切にそう思います。
ただ、夏の甲子園も中止になりそうなこのご時世。
多くの人が我慢していることを考えると、自分たちの希望ばかりを言える立場ではないことに気づきます。
今年の三年の球児は何を目標にすればいいのでしょうね。
自分がその立場であったらと考えると、察するに思いあまります。
燃えたぎる燃料がありあまりながらも、それを燃焼させる場がない。
チャンスの場さえも与えられない。
頭でわかっていても、気持ちはなかなか整理できないと思います。
それは、いまの小学6年生とて同じ。
ただ、後ろ向きにとらえるか、前向きにとらえるか、問題はここでしょうね。
私たち大人ができること。
その準備をすることにしましょう。
大会がなくなったなら、自前で作るしかない。
そうです、やりましょう。
やれることをやりましょう。
彼らの前向きな笑顔が、私たちの笑顔にもつながるのですから。
でも、学校施設の解放は当面しないとのこと。
小学校のグランドをホームにしているイーグルスにとっては、いまだ解放は遠いということです。
しかし、合併した高田スポ少さんは社会体育施設をホームにしていますので、6月から練習ができます。
いろんな制限を受けながらでも、なんとかみんなでソフトボールができる。
いまのところはそれで良しとしましょう。
全国大会もなくなり、中畑清杯、オオタキマル杯もなくなる。
県内の大きな大会は、白獅子しかありません。
どうか、白獅子だけはなくならないでほしい。
切にそう思います。
ただ、夏の甲子園も中止になりそうなこのご時世。
多くの人が我慢していることを考えると、自分たちの希望ばかりを言える立場ではないことに気づきます。
今年の三年の球児は何を目標にすればいいのでしょうね。
自分がその立場であったらと考えると、察するに思いあまります。
燃えたぎる燃料がありあまりながらも、それを燃焼させる場がない。
チャンスの場さえも与えられない。
頭でわかっていても、気持ちはなかなか整理できないと思います。
それは、いまの小学6年生とて同じ。
ただ、後ろ向きにとらえるか、前向きにとらえるか、問題はここでしょうね。
私たち大人ができること。
その準備をすることにしましょう。
大会がなくなったなら、自前で作るしかない。
そうです、やりましょう。
やれることをやりましょう。
彼らの前向きな笑顔が、私たちの笑顔にもつながるのですから。
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