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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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スタンドバイミーにあこがれる。
俺たちもあんな風に自然の中を突き進みたい。
今の俺たちにしか感じ取れないものを探しに行くぞ、と中学の野球部練習が終わるとテントと寝袋を持ってキャンプをはりました。
一人500円と米、あとはスキなものを持ち寄ってその時にやりたいことをやる。
だいたいは、肉のみのバーベキュー。
牛肉は高くてたくさん買えないので、一番安い豚バラ肉を買えるだけ買う、1キロ1000円くらいでした。
それを買って、バーベキューをやるんですが、何ぶんランプの明かりのみで暗くて焼き加減がわからない。
みんな中学生の食い盛りなので、焼けてるそばから肉がなくなります。
早く食わなければ肉がなくなると言う恐怖。
その恐怖が私たちを戦士に変えます。
とったもん勝ち、食ったもん勝ち。
ここに弱肉強食の生存競争が始まります。
てめぇ、コノヤロー、それは俺のだ!
うっせぇぼけかす、食えば俺のだ!
飛び交う怒号、罵詈雑言。
そうなると、焼ける前、半生でも食おうとする輩がいます。
明らかに焼けていないピンクの豚肉、「たたき」ぐらいでしょうか。
ランプで見えないので、みんなよくわかりません。
口に入れて、ぁあなんか生だなと思っても、次の肉をハンティングするので無理矢理食います。
食ってくって食いまくる。
暗闇の焼肉バトル、それはみんなの満腹中枢を満たすまで続きます。
あんなにバトルしてたのに、後半になるとだいたいは肉があまります。
残さないのが主義なので、今度はおめぇが食えとのおっつけあいになります。
腹いっぱいになると食うスピードが落ちて、いろいろ中学での出来事を話すようになります。
たき火に照らされるみんなの顔。
やれあの子はかわいいだの、あの先生はきらいだの、あの漫画はここが面白いだの、あの頃にしか話せない話題でもりあがる。
すぐそこに受験という怪物が迫っていて、おのおのが大人になるために戦わなくてならない。
抱えている不安を仲間同士で忘れるかのような宴。
そんな中で、少しずつ目の前の目標に立ち向かう勇気をもらっていたのかもしれません。

酒も飲まずに、夜更けまで馬鹿騒ぎをして笑い合う。
ようやく眠くなって寝ようとしても、ゲラゲラ笑ってみんな寝れない。
あれなんでなんでしょうね?
電気を消して寝ようとしても、変な擬音や奇声、幼稚園児がよくやるオナラの真似をしても笑ってしまう。
「ふとんがふっとんだ!」など普段であれば、絶対笑わないようなたいして面白くもないギャグで大爆笑してしまう。
寝るのは笑い疲れてからです。
そしていつのまにか皆が寝て気づけば夜明けでした。
そして、翌日が地獄。
生で食った豚肉が我々の腹を直撃します。
特に、後述しますが、けんちゃんがいつもゲリピーになってました。
当時英語の授業で習ったビートルズのレットイットビーを文字って、ゲリピーゲリピーと皆で歌ったものです。
幸い私は消化器官が強かったので、腹は壊しませんでしたが。

親も気にせず、テントで過ごす時間。
今思えば、いい時間でしたね。
まさに映画のスタンドバイミーが私たちの前にありました。
中学3年生なので、どの高校にいって将来何になるとかみんなが漠然と持っていながらも、そうなるとは限らないという、見えそうで見えない霧の中にいるような状態。
ただ、同じ時代にこうしていっしょにこの場所で生きている、近くの仲間の存在をありがたく思い、心強く思いました。
こいつらといるのが楽しい。
そんな仲間は、年をとった今でもいい仲間です。

いつもホワイトガソリンのバーナーをもってくるんだけど中々点けられない自転車屋のコウジ、こいつはサードで1番バッターでした。

ぽっちゃり大食漢なんだけど、おなかが弱い柔道部主将のけんちゃん。こいつには何回か袈裟固めで落とされました。

物静かで、エロや下ネタ攻撃にメッポウ弱いシノブ、外野。高校も一緒で、大学も東京方面、就職も会津でいまだに麻雀仲間です。

神出鬼没で奇襲カンチョーを得意とするワンボ。ウヒョーとオヒョーとかいつも奇声をあげていました。

いじられキャラながら、いつもいさぎよい告白をして振られてたミッチャン、ショートで守備の名手、二中のオジースミスと呼んでましたが、肩がものすごく弱かった。室内練習で両手首を骨折し、女子に給食をあーんで食わせてもらってました。

足が速いんだけど、でこがせまいマサヨシ。ドッジボールで顔面に当てると、激怒してどこまでも追ってくる復讐の鬼でした。体育館を飛び出し、プールサイドを駆け抜け、私はテニスコートでつかまりました。

ほかにも個性が強い友達がいましたが、ここに私を含めた七人で、チャリで新潟の海を目指したことがあの時代、最大の冒険でした。

3年生の中体連が終わった夏休み、本当ならば高校受験に向けて勉強にいそしまなければならない時期。
野球が終わって、駅伝の練習が始まりましたが、なんとなく暇で宙ぶらりんな感じが漂っていました。かといってすぐに勉強する気にもなれない。
週末キャンプをやってきたので、この夏はなんかデカいことをやろうと仲間同士の話はいろいろでていました。
柳津の七折峠までエロ本を買いにいこうとか、
博士峠をこえて、柳津経由で一周してこようとか、いろんな計画を実行してきました。
一日5,60キロなら自転車で余裕。
なので、さらに大きなチャレンジを熱望していました。
俺たちにいけないところはない、そんな錯覚さえ覚える。
そして、行きついたのは海。
国語の教科書に「あの坂を上れば海が見える。」という一文があったのをみんな覚えていました。
それを地でいってみるか?
んじゃ海でも行ってみるか!
そんな軽いノリでした。

行程やスケジュールを考えるのは私です。
駅伝の練習が二日間休みのところねらって実行に移すことにしました。
柳津くんだりだと親には言わないんですが、今回はさすがに言いました。
危ないからやめろ、と言わないのがうちの親。
それどころか心配だから、朝仕事が終わったらいってみると、いいだしました。
ナーイス!渡りに舟とはこのこと。
テントなどの荷物を車につんで、チャリで持っていく必要がなくなりました。事前に車につめるので機動力アップ!
サンキュー親父!

携帯電話もない時代です。
到着地点と大まかなルートを伝えました。
「49号線をずっと左にいって、海までぶつかったら下、角田浜つぅところを目差すから」
そう親父にいいました。

我々七人の出発時刻は早朝3:00。
49号線に近い上戸原のミッチャンちに集合としました。
何を持ってくるとかは各自に任せます。
お金と水とおにぎり、カップ麺やおやつくらいの感覚です。
チャリンコ屋のコウジにはもしもの時にパンクを直せるようになんかもってこいとはいいました。
ちなみにマサヨシは直前の前日になんか面白そうだから俺もいくといきなりの参戦です。デコも狭いがノリも軽い。

目覚まし時計では心配なので、当時生きてたじいちゃんに起こしてくれと頼みました。

そして、三時前。
案の定、目覚まし時計は無視。
保険のじいちゃんに起こされて、用意した荷物をチャリに積んで出発しました。

あたりはまだ真っ暗闇。
これから挑むチャレンジに皆が高揚していたと思います。

さぁ、目指すは130キロ先の新潟日本海。
暗闇の中をスタンドバイミーを歌いながら、私はミッチャンちを目差しました。
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