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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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早いものでもう9月です。
新人戦がすぐそこまで迫っています。
新人チームも念頭に育成してきましたが、いざ真剣に考えてみると迷うところがたくさんあります。
人数がいてくれることは助かります。
会津全体を見回しても、人数がそろわないチームが多い。
いまや会津全体をみても、15チーム切ってしまいました。
少子化の影響もあるでしょうが、そればかりではないと私は思ってます。
ソフトボール、野球にかぎらず、子供たちのスポーツ離れが進んでいます。
スポーツ離れの原因は、親にあると私はにらんでいます。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。
親がやってみたいと思わないかぎり、スポ少の門をたたくことはありません。
親がそんなにスポーツに意味を感じない。
なので、子供にもスポーツの良さを伝えようと思わない。
お金もかかるし、時間もかかる習い事のひとつとして、やらせる意義を見いだせない。
やるメリットを見いだせない。
昔から思ってましたが、この問題は根深い。
もっとも、向こうから見れば、我々のほうこそ、間違ってんじゃないの?という目で見ているでしょう。
これもまた真実。
強制するものでもありません。

時代の変化や価値観の変化もありますが、そこに対応してこなかったスポ少サイドの怠慢もあります。
この問題を語ると長くなるのでやめます。
しかし、近い将来、高田イーグルスにも人数不足の波は間違いなくやってきます。
このまま座して、待っていてはジリ貧は確実。
で、あればどうするか?
メリットが見いだせないのであれば、メリットを見出してもらいましょう。
メリットがないのなら、メリットを作るしかない。
それを宣伝して、実績を作っていくしかないと思います。
私はこれを考え続けてきました。
そして、今も考え続けています。
答えの出ない問い。
だかるこそ、やりがいがあります。
ライフワークたりえる。
スポ少を子供たちがやる意味。
子供たちがやることで、子供たちはもちろん、家族にもメリットがある。
これを打ち出していかない限り、スポ少という世界に光はあたりません。
そして、それは地域の振興に直結している。
私はそう思っています。
子どもたちが元気であれば、大人も元気になる。
町も元気になる。
その中心にスポ少がある。
いいじゃないですか!
さて、どうやっていくかは、また今度にしましょう。








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下郷ジュニアさんに負けた関柴大仏杯には、後日談があります。
全体ミーティングの後、ほおのきスポ少さんにお誘いを受けて、練習試合をやることになりました。
私は、次男の高校野球があるのでここからコーチ陣に頼んだので、試合を見ていません。
夕方、いつものようにスコアラーからのスコアが届きました。
そして、スコアラーからのメッセージ。

キヒトのホームラン、見せたかった!

トリハダが立ちました。
どんなホームランかは、見てないのでわかりません。
おそらくカチ上げた、高い放物線かなぁ。
スコアをみれば、四辺を一筆で結ぶ四角いダイヤモンド。
それはホームランの証です。
満塁か?と見直しましたが、先頭バッターでした。
うれしかった!
うれしかったです。

「巨人の星」という昔のアニメの明子姉ちゃんのように、
木の陰から、ばつの悪そうに、我々指導者のミーティングを盗み聞きしていたキヒトがホームランを打った!
これを読んだとき、思わず立ち止まってしまいました。
そして、熱いものがこみ上げてきました。
キヒト、あんにゃろめーと、思いつつ、うれしくて仕方がない。
その直前の大仏杯で、大エラーをした後に、すぐに結果をひっぱってくる。

彼の、はにかんだ笑顔が思い浮かびます。
奴は絶対に、おっしゃーとか雄たけびをあげないタイプ。
本当に自分が打ったかどうか、わからないんじゃないでしょうかね。
わけがわからないけど、みんなよろこんでいる。
その原因が自分のホームラン。
いいじゃないですか!
三者連続ホームランもそうですが、
神様はときどき、こういう粋な計らいをプレゼントしてくれます。
しかも、今回は、私がそこにいない場面で・・・
私は、キヒトがダイヤモンドをせかせか走る場面を想像します。
ホームランを打ち慣れていないので、余裕をもってゆっくりと回るなんてことは、彼にはできないとわかっています。
いい場面でしょうね。
この成功は、彼なりの努力と注意を積み重ねてきた結果です。
いっぱい、いっぱい、失敗も重ねてきました。
ついさっきも、大きな失敗をしたばかり。
彼なりに反省して、次はどうしたらいいかということを具現化した結果です。
失敗を失敗のままで終わらせず、前の失敗をきちんと糧としています。
こう言うところが泣かせるんですよね~。
キヒトの背後に、いままでそうやってきた子供たちが重なります。
子どもたちのがんばりが見える。
それをちゃんと神様がご褒美として与えてくれる。
それをみんなで見ることができる。
いい場面。

そして、我々はまた確信します。
播いた種は確実に育ち、やがて花を咲かせる。
私たちがやってきたことは、間違ってない、間違ってないんです。
それをキヒトのホームランは証明してくれています。
練習しても、なかなかいい結果には繋がらない。
もしかしたら、全く繋がらないかもしれない。
それどころか、大きなミスを連発することもあるでしょう。
しかし、ゆっくりと、ゆっくりと育っていてくれるんです。キヒトのように。
それは、チヒロもそうです。カナトもそう。
みんなそうなんです。
その小さな変化を、褒め称えましょう。
スポ少は、そういうところです。
指導者も保護者も、私たちにしか、気づくことができない変化を、彼らと共有していきましょう。
青春はすっごく密。
仙台育英の須江監督が、優勝インタビューで言ってました。
そういう時間を子供たちと共有できる保護者も私たち指導者もしあわせもんだと思います。
私の次男も高校球児です。なので、保護者の気持ちも痛いほどわかります。 
子供たちが少しずつ、少しずつ、上手くなっていく。
それは、少しずつ、自分に自信をつけていくことと同義です。
自分の存在に自信をもつこと。
俺は、やれる!と思えることで、世界の見え方は変わってきます。 
これこそ、生きる力だと思います。
付け加えるとすれば、楽しんで、生きる力。
自信はさらにその子を成長させていくガソリンとなります。
今日の打撃練習でも、キヒトに余裕が見えました。
そして、振りの思い切りが格段に良くなっている。
センター前ヒット。
小さな成功の積み重ね、これこそが練習をやる意味です。
そして、彼らはまた自信をつけていく。
自信が子供たちを育ててくれます。
子供たちも私たちもソフトボールに育ててもらってるんです。
次男の高校の野球部の先生が言ってました。
「高校野球は、プロ野球のようにホームランや華麗な守備や走塁を見るものではない。ダメダメだった選手の成長、チームの成長を応援するもの。」
小学生のソフトボールもその通りだと思います。
しかし、その成長に我々は感動させられます。
我が子もそうですが、他の子や相手チームの選手にさえ感動します。
キヒトもそうですが、キヒトの背後には現役の選手たち、そして今まで一緒にやってきた子供たちのがんばりと活躍が重なります。
私たちは確かに彼らを支えていますが、
反対に、彼らに励まされて、勇気と元気をもらっています。
一喜一憂のgive-and-take。
これからも、彼らの心を動かされるプレーを支えていきます。

夏は高校球児のものだけではありません。
我々スポ少にも、福島民報社主催の「白獅子」という大きな大会があります。

さて、今年の白獅子、またしても新鶴さんとの対戦となります。
ここ近年、よくあたります。
一番一緒に練習試合を戦ってきている相手。
だからこそ、この本番で負けるわけにはいきません。
新チームが始動してこの3か月。いろいろなことがありました。
コロナの影響はまだまだあります。呼ばれる大会数も減っています。
自分たちの実力を試す機会がありません。
なので、自分たちがやっていることが正しいのかを図るすべがない。
一生懸命に練習していることが、いい結果になることを望んでやってきているのに、それができない。
この過程が一番子供たちが育っていく王道なんですよね~。
もちろん、失敗もあります、ぼろ負けもある。
でも、もう一回だめなところを修正して、チャレンジを続けていくことで、子供たちは成長します。
保護者も指導者も成長します。チームとして成長します。
ここが、チームスポーツであるスポ少の面白いところ。
何年やっても、ここが面白いと思います。

ひるがえって、今年のカナト世代のチーム。
昨日、白獅子前の最後の練習を終えました。
まだまだ十分にやったとは言えません。
まぁ、これまでも十分にやったと思えた世代は一度もありませんでしたが・・・
最後にエース、ミソラを絞りすぎたかなぁ・・・と反省しますが、本番ではもっとピンチがくるでしょう。
このぐらいで、崩れるようでは先はありません。
本番では、このクソが!と思うくらいでいい。
憎まれるくらいで、ちょうどいいと、割り切ります。
もっと、打撃練習、守備練習も確認したかった・・・しかし、全部はできません。

その中でも、やれることはやった。
今、持っている武器で戦うしかありません。
まずは、当たり前のことを当たり前にやってのけること。
ここで安心しましょう。
普段の練習がここで、出てきます。

昨日はみなこコーチから、手作りのお守りをいただきました。
がんばって!全力をだして!緊張しないで!いろんな想いが込められてる「お守り」だと思います。
毎年のよなべ、ありがとうございます。

お守りをもらったとしても、試合は緊張します。
緊張していい。緊張していいんです。
緊張するなといっても、緊張はしてしまうものです。
そんな時は、頭が真っ白になる前に、普段の練習を思い出しましょう。
全部でなくていい。
一個でいい。
グローブで蓋をする。
捕る前に、ハイ!と声をかける。
バットを斜めにする。
ワンツーのタイミングでゴロに入る。
普段やっていた、小さい動作。
私たち指導者が君たちへ送る、もうひとつの「お守り」となることでしょう。
大丈夫!俺なら大丈夫!俺たちなら大丈夫!と思えるこころ。
泣きたくなるようなピンチもあるでしょう。
逃げたくなるような劣勢もあるでしょう。
反対に、みんなが飛び上がってガッツポーズをするようなヒット、
スキップしたくなるようなファインプレーもある。
どんな時も、「大丈夫!」と思えるこころを忘れないでください。
私たち指導者は、保護者は全力で君たちを応援します。

さぁ、元気をだしていこう!

明日、白獅子です!




次男坊の高校の夏が終わりました。
3年生は、即位引退。
ここから、また受験勉強という真剣勝負に挑みます。
次男は1年生なので、あと2年あります。
私が仕事から帰って、負けたチームをスタンドから見ていた次男坊と話します。
あれがどうとか、これがどうとか、終わったことを振り返る。

その中で次男坊が、あるお父さんのことを言いました。
そのお父さんは、負けた息子を大きな声で呼び止め、誰にもはばかることなく、全力で息子を褒めて、抱きしめたそうです。
良くやった!
3年間、よく頑張った!
このひと言に、お父さんも息子もお母さんも家族も救われたことでしょう。
想いを抱きしめるという行動で示した、このお父さん、格好いい!

次男坊が言うには、その3年生は最後の試合に出場機会を与えられず、1回も試合に出ないまま、3年間の高校野球を終えたそうです。

それを聞いていた私は、こらえきれなくなりました。
そのお父さんの気持ち、その息子の気持ち、両方が痛いほどわかる。


大人になると、変なプライドや恥ずかしい気持ちが勝って、なかなか行動に移せない。
しかし、息子の気持ちの区切りの大事な瞬間だとみるや、そのプライドをかなぐり捨てて、自分の気持ちを素直に行動に移せる。
狙っていたのではなく、今までの息子のがんばりに対して自然と出た行動だと思います。
かっこいいです。

おそらく、お父さんも息子も泣いていたことでしょう。
お互いによくがんばったと。
お互いの健闘をたたえながら。
これが高校野球。
これも高校野球。
そんな、お父さんが他にもたくさんいる。
毎回たくさんの写真をとって、保護者に回してくれるお父さん。
毎回、息子が守るセンターの近くでスコアブックをつけながら応援するお父さん。
いつも責任あるポジションにすすんで取り組み、保護者もチームとしてまとめるお父さん。
もちろん、お父さんばかりではなく、お母さんの存在も大きい。
今回はお父さんに注目させてもらいました。
子供と真剣にちゃんと向きあえるのがスポーツのいいことろ。
願わくば、自然とかっこいいオヤジ、私もなりたいものです!
福島県、夏の高校野球が昨日始まりました。
そして、今日、次男坊の高校も一回戦を迎えました。
私は所要で応援にいけませんでした。
しかし、いてもたってもいられず速報を見ていると、なんとヴァーチャル高校野球でライブでみれるではありませんか!
野球の神様ありがとうございます。
全国47都道府県の1回戦からライブで見れるとは・・・
いい時代になりました。

3年生には、高田中で長男坊と一緒に白球を追いかけた、タカヤとカオルがいます。
高校まで野球を選んだのは、この二人しかいません。
その彼らの夏、さっき終わりました。
4:13の7回コールド負け。
カゲロウのように短い夏となりました。

タカヤとカオルたち、保護者のみなさん、先生方のがんばりを見てきただけに悔しい結末となりました。
もっと長い夏にできただろうに、
もっと笑顔があふれる試合になっただろうに、
もっと、頑張ってきた自分たちを評価できる結果になっただろうに・・・

しかし、そうはならなかった。
どんなに祈ったり、願ったりしても、思いどおりにならないことがある。
どんなに一生懸命頑張っても報われない結果がある。
それが勝負という世界です。
だって、相手も同じくらい頑張っているんですから。


7回の表相手の猛攻を最後に好守備で止めたのはセンターのカオルでした。
難しい打球でした。後ろに下がりながらの好捕。
いままで、何回も何回も捕れなかった角度、強さの打球です。
それを最後の最後でファインプレー。
見事でした。

そして、タカヤ。
ケガから復帰してまだ本調子ではないでしょう。
最後の打席、相手のエースの前に追い込まれました。
そして決めにきた、アウトコース。
ヴァーチャル高校野球の中継はバックネット裏からのライブなので、審判のジャッジがよく見えます。
その審判の右手が途中まで上がりかけていました。
その手が挙がっていれば、見逃し三振。
タカヤは、今日のその前の打席でインコースを自信をもって見送りましたが、判定がストライクで見逃し三振に倒れた前例がありました。
タカヤは自分を信じて見送った。
審判もよくぞ、見ていてくれました。逡巡しながらも、手をあげなかった。
ボールの判定となり、ピッチャーは、よりゾーンでの勝負を余儀なくされます。
そして、タカヤ、おそらく自分でも高校野球の最後の打席になるであろうことをわかっていたはずです。
悔いの残らない打席にしてほしい。
完全に捕らえた当たりではありませんでしたが、センター前にはじき返してヒット。
やはり勝負強い!最後の打席をヒットで飾りました。
他の選手たちも随所にいいプレーはあった。
しかし、ゲームの流れは終始、相手チーム。
自分たちのペースに持ち込めず、自分たちの良さを発揮できなかった。
ここは悔いがのこるところでしょう。
そうはいっても、覆水盆に返らず。
そんな中でも懸命にプレーする姿に、いままでのがんばりが重なります。
心のダムはいろいろな思いであふれ、そして風景が、にじんできました。
だめだ、こられきれない・・・
私は、他の保護者のみなさんと一緒にスタンドではみることはできませんでしたが、同じ思いだったと思います。
選手たちの気持ちへのシンパシー。それを一番感じているのは保護者でしょう。

そして無情にもゲームセット。
彼らの夏、私たちの夏が終わりました・・・

ヴァーチャル高校野球のライブカメラが引き上げる選手たちをとらえます。
3年生よりも先に泣き崩れる2年生を支えるタカヤ。
これが、タカヤです。
自分も泣きたいのに・・・他者を配慮する。
ここに彼が最後まで高校野球を続けてきた意義、すべてが詰まっています。
やはりスポーツは、人を育てます。
チームスポーツである野球は、チームの中の人を育てる。
タカヤは、小中学生の時よりも、人を包み込むように大きな器になっていました。

先生は、こういいました。
「高校野球は、プロ野球のように足の速さや、打球の飛距離、上手なプレーを見るものではない。上手い下手はあれど、いままで、できなかったことができるようになる、そういう伸びしろを見るものだ。人の、チームとしての成長をみるものだ。」と。
その通りだと思います。スポ少も同じ。
これを聞いて、私はこうも思いました。
だからこそ、チームの悪いときも、見なくてはならない。どうしようもなく、弱くて、みじめで、かっこ悪い。
その現実こそ、見なくてはならない。
そうでなくては、どのように成長したかが見えない、と。
これはスポ少でも同じです。
何ができて、何ができないか?
そのできないを克服するためには、どうしたらいいか?
この繰り返しです。
しかし、高校野球はそうもいきません。
多くの球児の場合、この後がないかもしれない。
進学や就職で、最後の野球になるほうが多いでしょう。
挽回するチャンスがなくなってしまうんです。
克服して、次に試す機会がなくなってしまうんです。
そこが、小学生、中学生とは決定的に違うところ。
だからこそ、いままでのすべてを賭けて挑戦してきているんです。
だからこそ、終わった時のショックが大きい。
それは選手も保護者も、そして先生もでしょう。

私は、保護者としての視点もありながら、指導者としての視点でも見ています。
お互いに懸命にがんばった。
しかし、勝者と敗者はかならず出てくる。
何が良かったんだろうか?
何がいけなかったんだろうか?
どの作戦、どの動作が功を奏したのか?その意図は?
こうなる前にどのような手を打たなくてはいけなかったのか?
正解はありません。
しかし、考察はできます。
そして、わが高田イーグルスにどのようにして活かしていくかを考えます。
タカヤの真剣な表情、どっしり構えた隙のないスタンス、
カオルの韋駄天、笑顔のセンターへの全力疾走、
その他のメンバーのプレーも、もうグランドで見ることはありません。
もどれないからこそ、輝いていたプレー。
もう見ることができない。そう思うことが、たまらなく寂しい。
1年生の次男坊には、どう映ったことでしょう?
まずは、いったんゆっくり休んでほしい。何も考えず、ぼーっと。
そしたら、次が見えてくるはずです。
高田イーグルスの中からも、そういった高校球児がこの先も出てきてくれることでしょう。
私たちは、それを期待します。

高校野球は、いろいろなことを我々に教えてくれます。
お疲れ様、タカヤ、カオル!
田島夢カップで大敗を喫した高田イーグルス。
精神的な弱さを露呈し、自分たちの弱さを見つめ直すきっかけとなりました。

白獅子まで、わずか1週間。
しかし、人はやり直そうと思えば、遅いときなどないんです。
今この瞬間から、変わることができる。
白獅子に間に合わなくてもいいんです。
彼らが今の状況ではいけないと自覚し、変わろうとする覚悟が大事なんです。
星稜高校の山下監督の言葉。


心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

プレー云々よりも、彼らの普段のココロノモチカタ、取り組み方を変えていくことで、彼らの行動、習慣、人格、運命を変えていきます。
なぜなら、それがプレーに表れるからです。
そして、この考え方は生き方に通じる。
たかがこどものスポ少ですが、今後の生き方に大きく関わってくるはずです。
これは、必ず役に立つ。
試合後のミーティングで、私たち指導者の全員がそう思ってくれたはずです。
子供たちに教えるとはいいますが、実はこういうところで、我々自身のことを見つめ直すきっかけをもらっているんです。
指導者も保護者も、私たち大人も子供たちから学んでいるんです。
子供たちに教える以上、私たち大人もそうであらねばならない。
当たり前のことです。
大人が行動で示し、模範となり、背中で語る。
私もなかなかできていません。
むしろ、駄目な見本の方が多いでしょう。
しかし、せめて大事なところ、人としての部分は、そうありたいと思っています。
100%の聖人君子なんていないし、そんなのクソ面白くもない。
七、八割、もっと言えば、六割くらいでいい、私はそんなスタンスです。
ともかく、大人は、特に親は、子供たちにとって、それが1番わかりやすい、身近なモデルなんです。
子供たちに変われと言っておいて、大人も変わらないなら、説得力に欠けて、絵に描いた餅となるでしょう。
大人が変われば、地域が変わります。
地域が変われば、町が変わる。
たかがスポ少ですが、スポ少ってすごいと思います。
この方針でいけば、いつか、会津の地から、公立高校から甲子園、いけるんじゃないかと密かに思っています。
あのセンバツに言った只見町の只見高校のように。
願わくば、夏の大会、強豪私立をぶち倒して、勝ち上がるところを見てみたい。
ソフトボールが、野球が、町と地域を変えていく。
いいじゃないですか!
まぁ、それは私個人の野望なので、置いておきます。
個人ではとうてい敵わない野望です。個人では。

さて、戻ります。
1回戦で早々に負けたので、二本柳に戻って練習することにしました。
その帰りの道すがら。
ココロノモチカタ、取り組み方を変える。
行動を変える。
子供たちに、どういうふうに言えば、あいさつやキビキビ行動することの大切さがわかるかを運転しながら考えました。
子供たちに教えるからには、シンプルで説得力がなければなりません。
なるほど、そういうことか!とひとりひとりの腑に落ちなければいけない。
頭で納得できないものは、結局のところ、入ってこない、身になりません。
「できる」ということは、なぜそうなるのか?そうせるのか?を頭で考えて解って、
そのうち、考えなくても即座に行動に移せて、
最後はそれを他人に説明できること、
究極には他人に解らせること、指導できること、そしてその「できる、わかる」の仲間を増やしていくこと、そういうことだと思っています。

なぜ、ゴロの捕球の際に右手をグラブの脇に添えるのか?
なぜ、ステップをとりながら捕球するのか?
なぜ、正面で捕るのか?
ゴロの捕球1つとっても、いろんな「なぜ」が出てきます。

その「なぜ」の理由、そうするのかという根拠を知らずに、動くのもいいでしょう。
まず、動け!動いている内に理解しろ!
これも時と場合によって、ありだと思います。
むしろ達人の域に達すれば、こちらなんでしょう。
ブルースリーもそう言ってますから。
しかし、凡人の我々、入門仕立ての子供たちにとって、その理由を解って動くのと、解らずに動くのとでは、定着率に違いがでてきます。

体を動かすのは脳。
体の器官は、脳の電気信号によって動きます。
複雑な動きには、複雑な回路の構築が必要となります。
難しい動きは、いろんな道を通らなくてはいけない。
だから、難しいんです。
いろんなパターンがある。
人は生まれた時から、いろんな場面でそのパターンを学んでいきます。
言葉を話すこともそう、歩くこともそう、食べること、排泄することもそうでしょう。
ほぼ全てのことが、脳の電気信号による命令なんです。
それをいろんなパターンで自分なりに覚えていきます。
何回も何回も繰り返すことで、瞬時に取り出せるようになること。
この動きには、このパターンというショートカットを作ること。
これが、「解る」ということなんだと、私は理解しています。
ツーアウト三塁で、セカンドゴロ、ここは考えなくてもボールはファーストでいい。
その間には、サードランナーがいても、ツーアウトだから一塁でアウトを取れば、相手の得点にはならないという、根拠、理由があります。
最初は解らなくても、何回も何回も繰り返すことで、理屈をいちいち確認しなくても即座に行動に移すことができるようになってきます。

その近道が、まず、頭で理解すること。
これだと思います。
まず、動いてみようではなく、いったん頭で整理してみること、理解してみること。
そこには、法則性や特性があることに気づくでしょう。
これが後に応用力に繋がっていきます。
なぜ、そうなるのか?
なにが、そうさせるのか?
仕組みを知ろうとすること。
どうやったら、効率よく、楽にできるかを常に考える。
地頭の良さというものは、こういうところから育つと思います。脱線しました。

まず、頭でシミュレーションしてみる。
そして、理解したことを、実際に考えて、やってみること。
これを繰り返すうちに、頭が反応し、体が反応する。考えなくても対応できるようになります。
ここまできて、やっと「できる!」ということなんです。
我々が指示しなくても、いろんな状況をふまえて、自分たちで何を優先して動くべきかを考え、チームとして、どのように動くのか?
そして、実際にやってのける。
ここまできて、やっと、「できる!」なんです。

これをふまえて、この大敗を機に、我々が選手たちに解って欲しいこと。
それは、プレー以外の部分もちゃんとやること、これだとみんなが同意しました。
むしろ、これしかない、ここしかない。
こんなチームでも、この前の大会のように、上手くいく場合もある。
勝っているとき、上手くいっているときに、声を出したり、行動を律することができるのは当たり前なんです。 
しかし、今回のように試合の前から、暑さに負け、だらだらの行動、他のチームに挨拶もできない。
試合の前にすでに負けていました。いろんなところが。
そして、負けるべくして負けた。
エラーすべくして、エラーをした。
試合にエラーはつきものですが、私たちが許すのは、準備に準備を重ねた上でのエラーです。
一生懸命にやったエラーは、エラーとは言わず、チャレンジでしょう。
しかし、無策や準備無し、対策無し、不用意なエラーは許しません。
ここは、がっとばしていいところ。
このいろんな準備ができていなかったことを、今大会の最大の反省事項とします。 
まず、プレー云々の前に、選手として、人としてやるべきことをやろう!
その原点に戻ります

自分の道具の準備手入れから始まり、
グランドの入り方あいさつ、用具の出し方、
整列の仕方、綺麗さ、規律、
返事の仕方、集合の機敏さ、他のチームへのあいさつ配慮、話を聞く態度などなど
一見プレーには関係ありませんが、そうではありません。
強いチームは、できています。
これができているから、プレーが上手くなって、強いチームになっていくんです。

私も反省しなくてはいけません。
目先の技術にばかり走ってしまった。
この前の大会で、少しばかり上手くいったために調子に乗りました。
選手たちを増長させて、こんなもんでいいんだ~と思わせてしまった。
試合の負けのすべては監督が負うものです。
誰がなんといおうが、選手たちをそうさせた私の責任なんです。
ここはゆるがない。ゆるいではいけません。
いろんな方法、起用法、サインの種類とタイミング、試合もそうですが、その前のアップ、用具の出し方、片し方などすべては、そうさせた監督、それを許した指揮官である私の責任です。
責任は転換できませんし、してはいけない。
遅れてきて、選手たちを緩くさせたのは私の責任。
私がコーチであったなら、そう思うはずです。
若いコーチたちは、ここを言いたかったんでしょう。
あんたのやり方ではだめだよと。
ありがたい。
ここを言われなくなったら、終わりです。
裸の王様。
そういう指導者も見てきました。
ああはなりたくねぇと思ってやってきた。
私もまだまだ。
しかし、聞く耳と変える覚悟があれば、遅いということはありません。
こういうこと、何回も繰り返しています。
その都度、いい先輩や後輩、指導者、保護者に恵まれています。支えられてきました。 
完璧ではない。
完成されていないから、面白い。
80歳をこえてもまだまだ監督業から離れられない指導者の気持ちがよくわかります。
何度やっても、わからないことだらけ。
だから、面白い。
この次は、こうしよう、ああしようと、尽きない改善策がどんどん出てくる。
この子供たち、保護者、指導者と一緒に続きがみたくなってしまいます。

今回も、次から次へと言葉と考えがあふれてきます。
長い……
一旦切ります!

今年の総体の事を書きましょう。
小学生のソフトボーラーにとっては、毎年2つの大きな大会があります。
その最たるもの、Road to 全国大会の総体、そして、夏の甲子園(全国までありませんが)にあたるのが白獅子。
今年の総体はというと……
結果から言えば、磐梯さんを前に1回戦敗退でした。
しかも、最終回までにリードしていながら、サヨナラ負けを喫する。
なんとも後味が悪い結末となりました。

負けた原因はいくつかあります。
不安定要素がいくつも、次から次へと出てくる。
それが、同時多発におきると手の施しようがなくなります。
バッテリーの不安定さ、守備の不安定さ、打撃走塁の不安定さ……
そしてそれら全ての根底にある情緒の不安定さ。
使い古された言葉ですが、気持ちの持ちようです。
気持ちの強さを持ち出すと、昭和のスパルタ教育みたいに聞こえますが、あながち嘘ではありません。
気持ちだけでは、上手くいくはずがない。
でも、気持ちがなければ、もっと上手くいくはずがないんです。
人を動かす、原動力、基礎となるもの。
それは、やはり気持ちなんだと思います。

彼等の声に出さない狼狽ぶりが見て取れる。
あたふたあたふた。
混乱に陥った集団が組織的に戦えるはずがありません。
それは、私だけでなく、コーチも保護者も思ったことでしょう。
ヤバイやばいと思って守るよりは、
これしかできないけど、大丈夫、これならできると少しでも自信をもって準備するほうがいいに決まってます。
それが、気持ちのいうもの。
この気持ちというのは、伝染病みたいなもので、プラスにもマイナスにも働きます。
あーこれはやべぇ、やられるわぁと1人が思うと、あっという間チーム全体に伝染してしまいます。
やっかいなことに、マイナスの方がうつりが早くて強力です。
それに比べて、プラスの方は、なかなか伝染しないというジレンマ。
ここが、野球を難しくさせるし、面白くもさせているところだと思います。
人と人との信頼関係に似ています。
信頼を積み上げていくのは、一朝一夕にはいかない。たけどその反対に信頼を壊すのは一瞬でできてしまう。
ソフトボールはそれを地でいきます。

それが今の高田イーグルスには、できなかった。
負けの原因はひと言でいえば、これです。
チームとしてまだぜんぜん機能していない。
よくもまぁワンヒットで、最終回までリードする展開になったなあと不思議に思います。
相手のミスにも助けられました。
相手の磐梯さんのバッテリーもまだまだ仕上がっていません。
これが仕上がってきたらば、今の高田イーグルスでまともに打てる奴がいるかどうか?
シーズンの後になればなるほど、強敵になるでしょう。その予感がします。
現時点では、相手もつけいる隙があり、そこを突かせてもらいました。

それでも、こちらも穴だらけなので、なんとか少ないリードで逃げ切りを図りましたが、そうはいかなかった。

最終回に詰めの甘さ、隙を見せた上に、あたふたを修正できずに、リードを守れなかった。
大事な場面、先頭バッターにファーボールはだめです。
ランナーを出すことで、野手の選択肢が増えます。捕ってファーストに投げるだけでは済まなくなる。
バントも警戒しなくてはならないし、盗塁もある。
ゴロならば、どうする?ライナーならば?
カバーは?
この思考の分散こそ、エラーの原因です。
状況をみて、瞬時に判断がつかなくなる。
そうすると、人はパニックになりやすい。
そのパニックの先にまっているものは、エラーという名の大惨事。
今年の高田イーグルスは、まさにこれ。
そして、当たり前にアウトを取らなければならないところで、アウトがとれないと、チーム全体がパニックに陥る。
総体で磐梯さんに負けた原因はここです。
最後の回まで勝っているという心理的アドバンテージを維持できなかった。
あの場面、最終回で先頭バッターを討ちとっていれば……
セカンドの後逸が無ければ……
もっと、いい場面で打てていれば……
ほかにも、あの時こうしていれば……というところがたくさんありました。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。
で、あれば次のためにどうするか?


……していれば……(こうなっていなかった)、これを改善していくほかにありません。
コーチがいいました。
伸びしろしかない。
そのとおりです。
改善点がたくさんあるというのは、伸びていく点がたくさんある=まだまだ強くなれる、と言うことです。
そして、こうも言ってました。
試合中に、反省してないか?落ち込んでないか?
反省は試合の後、気持ちの切り替えができていたか?

ここも、そう。試合中に落ち込んでも何もいいことはありません。
そんな暇があったら、次のための準備をした方がなんぼかましです。
マイナス思考は何も生み出さない。
で、あればその時は間違っていたとしても、そのまま突き通した方がいい。
私もそう思います。
だめだったプレーを引きずってしまう。
そして、次のエラーを生むというデフレスパイラル。そして、それが連鎖していくという悪循環。
対処法がわからないというのが、正直なところですが、そんなことは言ってられません。
あれもこれもはできない。
であれば、目の前のワンプレーに集中するしかないんです。
小難しいことはいいから、目の前のボールを思い切り打つ、アウトをファーストで1個ずつ取る。
今の君たちは、シンプルに考えるしかない。
それが、できていたかということですが、できていたとは言えない。
ここが、まだココロノ、モチカタの弱いところです。
でも、今は弱くていいんです。
その弱さを認めて、前に進んでいこうと、我々指導者は言っているんです。
その上での、伸びしろしかない、なんです。
君たちは、まだまだ強くなる余地がある!
プラス思考でいきましょう。

試合後、勝っていたにも関わらず、最後は逆転負けを喫したエース、ミソラ。
名前の通り、晴れ渡ってはいませんでした。
土砂降りで、目が真っ赤っか。
ほんと、よく泣く奴です。
昨年のユナはぐっとこらえるような泣き方でしたが、今年のミソラはどよーんとみんなを巻き込みながら沈んでいく泣き方。ミソラがなくと、チームも沈んでいきます。
これが今年のチームなんですよね。
弱さに歯止めがきかない。
しかし、今は泣きたいときは泣けばいい。
泣け泣け、泣いて泣いて泣きまくればいいんです。
いつか涙も涸れ果てるでしょう。
なんで、泣いてんだろう、その「なんで」に気づいたときが、心のダムを深く掘るときです。
キャパを広く、深くするとき、そうすると容量がでかくなるので、中々泣かなくなります。

総体の直接的な原因は、大事なところを守れなかった、守り切れなかったことです。
ツーアウトからのエラーが多かった。それが、ことごとく失点に絡む。
そして、何よりチームとして、全員が戦う集団になっていないこと。
ワンアウト、一塁など場面場面で、1人1人が、チームとして同じビジョンを共有できない。
これはチームとして致命的です。
組織として、攻撃も守備もベンチワークもまだまだできていません。
それでもそんな中、たった1安打で、確か6点をもぎ取った。
しかし、その得点差を維持できなかった。
それが、今の高田イーグルスです。
ここまでの強さと弱さ。
ここを受け止めて、前に進むしかありません。

我々指導者は、楽しみでしかありません。
一進一退といいながら、我々の一歩はかなり大きい。
北極点まで、いけてしまいそうです。

さぁ、いくとこまでいってみましょう!









次男防が高校で野球を選びました。
長男は野球を選びませんでした。
だからというわけではありませんが、なんとなくうれしい。
いや、かなりうれしい。
小学校、中学校が統廃合になり、校歌も新しくなりました。
新しい校歌はなんかしっくりきませんでした。
高校にきて、やっと同じ校歌を歌うことができます。
しかも、スタジアムで。
まだ、勝っていませんので歌ったことはありませんが……
我々の時代は地区大会では、校歌は歌いませんでした。
それこそ、甲子園でしか歌えない。
気の遠くなるような遥か先の頂でした。
それでも、その頂に至った時のために、練習が終わった後に、全員でダイヤモンドに丸くなって歌いました。
最初はキャプテンのソロで、はじまります。
それは今でも鮮明に覚えています。
近所迷惑だったでしょうが、疲れも忘れて全力で歌いました。
薄暗くなるグランド。
近所から漂ってくる夕ご飯のにおい。
おそらく人生の1番動ける時に、仲間と一緒に白球を追いかけていた。
あれは気持ち良かったなぁ。
1番気持ちのいい校歌は、高校時代の校歌です。

そして、今、次男も同じグランドで、同じ外野手として、白球を追いかけています。
高校の校舎がビックモンスターのように聳え立つライトに、私がかつていたようにいるんです。
次男坊がいうには、部室とどっかに私の名前が壁に刻まれていたそうです。
息子もまた同じ道を通っている。
小学校や中学校ではそんなことを思いませんでしたが、次男坊が高校野球をやり始めてから、特にそう感じます。
だいぶ変わってしまっていますが、30年たっていても、変わらないところがたくさんあります。
部室の風景、ベンチ、バッティングゲージ、後ろが弓道場・・・
一生のうちであれほど、1つのことに一生懸命になったことはありません。
あるとすれば、今のスポ少でしょうかね。
だからこそ、深いところに刻まれている。
その風景に、息子がいるんです。
これは、野球の神様に感謝しなくてはいけません。
そして、そんな子を産んでくれた嫁さんにも。
なにより、次男坊に感謝しなくてはいけません。

次男坊は、私が見ても、決して野球が上手いとは言えません。むしろ、下手くそな部類だといっていい。大きくないし、線も細い。
指導者の目で言えば、大事な時にエラーをしたり、チャンスで打てないタイプです。
次男坊は、自分よりも上手い奴を、ごまんと見てきたはずです。
だいたいは自分の才能に見切りをつけて、この先芽が出ずに、つらい思いをするくらいなら、野球をやめる・・・それを選ぶのが大半。
坊主にしてまで、つらい思いをしてまで、野球はやらない。
それでも、高校野球を選びました。
なぜなんでしょうね。
いろいろ推測はできますが、彼にしか分からない理由があるはずです。
ここで、昨日のカナトの話が浮かんできます。
楽しい野球がしたいというカナト。
野球を続けるという意味をどこに見いだすか?
根幹には、まじりっけなしに、楽しいと思える何かがないと続かないと私は思います。
楽しいから、いろんな事にも耐えられるし、バネにできる。
ただ、楽しいだけでは続かない。
楽しさの奥にある、本当の面白さ、これに気づいてしまうと、もう虜でしょう。
ひるがえって次男坊、彼もまた、野球の本当の面白さを追求する、求道者となりました。
小学校、中学校で、少しはその本質を垣間見たかもしれません。
しかし、高校野球までやらないと、野球の本当の面白さは分からないと思います。
チームスポーツの王道。
私も最後までやって、良かったと今でもつくづくそう思います。
彼はいま、その道を歩んでいる。
そこに昔の自分たちも重ねてしまいます。

職場の先輩に言わせれば、それはとんでもなく、幸せなことだといいます。
スポーツ離れ、子離れ、親離れしていく中、高校になっても、親が応援できるというのは、幸せなことなんです。
私もつくづくそう思います。
一緒に応援する高校野球部の保護者の皆さんともそういう話をします。
「三連休が全て野球になったとしても、こんな幸せなことはない。」その人は嬉々として言います。
泥で真っ黒になったユニフォームをたわしでこすりながら、彼も嬉々として洗ってるんだろうなぁと同じ境遇を楽しみます。

親への義理でできるほど、肉体的にも精神的にも、高校野球は甘くはありません。
次男坊が自分で選んだ道。
彼は、いつか学校の先生になって、野球を教えたい、そんな風な事を言っていました。
ここも私と同じなんですよね~。
好きな科目を教えて、好きな野球を教えることで飯が食えるのは先生しかない。
ヤンウェンリー的発想も同じ。
私は先生にはなれませんでしたが、こうしてスポ少の指導者を続けられています。
今思うと先生にならなくて良かった。
先生だったら、こんなに自由にソフトボールや野球に携われなかったと思います。
ここにも塞翁が馬。

ともあれ、次男坊にとっての高校野球は始まったばかりです。
彼も野球が上手くないことは、自分も分かっているでしょう。
であれば、どうするか? 
自分の弱さと強みに向き合う時です。
小学生や中学校の時のように、温情や配慮では試合に出ることもかなわない、本当の勝負の世界。
自分が、チームにどれだけ貢献できるかという居場所をさがす旅。

後顧の憂いなく、思い切り打ち込めることの素晴らしさを味合うがいい。
かつての私がそうであったように、家族の支えを受けながら、全力でやったらいいんです。
今になって、支えてきた親のありがたさがよく分かります。

今年の夏は3年生に頑張ってもらいましょう。
なんと言っても、激闘また激闘の連続のタカヤ世代の最後の夏。
野球をやっているのはタカヤひとりとなりました。
そのタカヤ主将のもと、最後の夏はすぐそこまでやってきています。
少し前に今年の目標を決めるとき、
選手たちにどんなソフトボールを目指すかという問いをしました。
例年であれば、「県大会にいきたい!」「大会で優勝したい!」、そんなような事がでてきます。
ちなみに、去年のレン世代はと言えば、「ちゃんとキャッチボールをやる」でした。
まぁ、らしいと言えばらしい。
しかし、ぜんぜん子供らしくない。野望のない答えでした。だからと言って悪いわけではありません。
その裏には、基本に忠実でありたいというレンなりの野望があったんだと思います。

そして、今年のカナト世代。
キャプテンである、カナトは、「楽しくやりたい……」と言いました。

カナトがそういう前に前置きがありました。
コーチ陣は、今年の目標を決めるために、選手たちの気持ちを確認したいということで、
勝ち負けにこだわってやるか?
そこにこだわらず楽しくやるか?
どっちだというように選択肢を2つ用意したと記憶しています。
いろいろ、みんなに聞いていって、最後にカナトだったと思います。
「楽しくやりたい!」
その前には、勝ち負けにこだわらず、というカナトの枕詞が入ると私は理解しました。
我々コーチ陣は、ズコッとずっこけます……
……が、しかしそれがいまのところのカナトの本音なのでしょう。

我々、指導者の思惑とは異なりました。
普通であれば、県大会、優勝と来るだろうとふんでいたのに・・・

んーと思案したあげく、そういう意見もあるけど、楽しいだけではだめだ、楽しいとふざけるでは違う、本当の楽しさは苦しい練習を耐えた後にあるみたいなことを言って、その場を納得させたように記憶しています。

しかし、私の中にずっと小骨のように、カナトの言葉が突き刺さっています。
そして、今年の選手の戦いっぷり、甲子園で見てきた高校野球、いろんなところから入ってくる情報から、今の時代、カナトのいう勝ち負けにこだわらない楽しい、和気あいあいとしたソフトボール、それもありなんじゃないだろうか?と思い始めています。

昨今の野球離れのひとつの要因として、競技としての野球を追い求める傾向、そしてそれを奨励しているマスコミや世の中の風潮があると思います。
いろんなものを犠牲にしたり、敗者を美談するなど、我々もそれを求めています。
上手い下手、勝ち負けにこだわるあまり、大事なことを見落としている。
カナトの正直な、大人に忖度しない言葉は、私をはっと、立ち止まらせてくれました。
世の中は、多角的で多面的、表があれば裏がある、そして立場によっては、表も裏もない。
正直な意見、心の中に思うことは誰にも止められません。
和気あいあいと、仲間と楽しくやるソフトボールがあってもいい。
私もそう思います。世の中に一定数、その考えの人はいると思います。

しかし、立ち止まった私は再び動き始めます。考え始めます。
楽しさを求めることはわかる、しかし、本当にそれだけでいいのかと、そこで止まっていていいのかと。
スポ少の本来の目的は、どこにあるのか?
はるか遠くにある、頂をもう一回見ろと考えさせてくれています。

カナトのいう「楽しさ」とは、我々が休み時間や放課後にやっていた、あの野球です。
ちょっとした広場や田んぼがスタジアムと化し、棒っきれをバットに、丸めた紅白帽子をボールにしてやっていた遊びの野球。
審判などいるはずもなく、微妙な判定はじゃんけん。
誰に怒られることもなく、エラーしてもゲラゲラ笑い、勝ち負けにもたいしてこだわらない、プレッシャーのない野球。
誰しもここが出発点であり、スタートラインであったと思います。
ここで、あぁ野球って面白なぁとまず初めに気づく、ファーストタッチ。

よーし、野球は面白いから、4年生になったら、スポ少をやろうと志す。
そこから、競技としても野球、ソフトボールが始まります。
競技なので、勝ち負けがあります。
勝つためには、何をやるかが体系化されてきます。
投げ方にしても、打ち方にしても、上手くやろうとすると努力が必要になってくる。
そして、周りは仲間でもありますが、ライバルでもある。
少し上手くなっても、上には上がいるという現実にぶつかる。
ミスをしたり、チャンスに打てなかったりすると、怒られる。
怒られないまでも、ミスした自分のちっぽけさに、いやおうなく気づかされます。
誰しもぶつかる、厳しい現実という壁。
この壁にどう対応するか?
ぶち破るか、迂回するか、逃げるか、いろんな選択肢があります。
ここに答えなどありません。
我々、大人はアタックしろ、ぶち破れとけしかけます。
自分が逃げてきたことを差し置いて。
逃げたり、避けたりもしたけれどなんとかやってきて、ここに至っています。
なんとかなるんです。後から見れば、そうたいした問題ではないし、問題だとしても、もう戻れない。なんとかするしかないんです。
壁の大小、種類はあれど、すべてを逃げずにぶち当たってきた人などいません。
だから、どの道を通ってもいいと思います。

しかし、私は、野球を、ソフトボールを続けてほしいと思います、願います。
なぜなら、壁の向こうにある「本当の野球の面白さ」を知ってほしいからです。
その本当の面白さを知ること、経験することが、生きていくうえで役に立ち、野球が、自分という存在を支えてくれるものになると信じているからです。
そういいつつ、その手段は「野球」に限ったことではないとも言います。
しかし、ソフトボールの指導者として、我々が存在する大きな意味は、ここにあるのだと私は思っています。
いろんな挫折や失敗を繰り返しながらも、人として成長する、人として楽しくいきる。
その支えのひとつとして野球やソフトボールがあったらいいと思うんです。

カナトは、まだ「楽しい」の意味を分かっていません。
カナトのいう最初の「楽しい」を認めつつも、その先にある、「本当の楽しさ」に気づかせることが我々の役目でしょう。
この「本当の楽しさ」、ここに気づくまでには、いろんな苦労、苦しみも経験しなくては、一概にはたどり着けません。
我々コーチ陣は、大なり小なり、それを経験しています。だからこそ、子供たちにも、本当の楽しさを知ってほしいと思います。そのための伝道師が我々なんです。
それは、小学校時代にできるかはわかりません。
中学、高校、大学といつになるかはわかりません。
その種をまきましょう。そして、水と栄養を与え続けましょう。
来るべき時がきたら、カナトは「本当の野球の楽しさ」に気づくことでしょう。
さて、6年生の今年、それを気づかせてやることができるか?
また、我々の楽しみが増えました。










最近、ピッチャーが良くなっている最大の原因、それはキャッチャーである、トウマの献身があります。
ピッチャーが気持ち良くなげれるように、全ての球を捕りきる技術がメキメキ上がっています。
技術だけではありません。
ピッチャーを受け止めるという姿勢、気持ちが前面にでていると感じます。
だからこそ、ピッチャーは思いきって腕を振ることができるんです。
ワンバンだろうが、頭を抜けていきそうだろうが、体を呈してブロックして前に止めている。
ピッチャーだって、そんなクソ球、なげたくてなげているのではありません。
あーっ!やべぇ、ワイルドピッチだぁと思った時に、最後の砦として、キャッチャーが止めてくれる。
ピッチャー経験者ならわかるはずです。
これだけで、かなり、ほっとします。
そして、次へのモチベーションに繋がります。
ミスをカバーしてくれる。
この背景には、キャッチャー出身の新しいバッテリーコーチのおかげもあると思います。
キャッチングの際に肘が上がる癖、フレーミング、キャッチングの位置が下がる癖、そこを素早く見抜いてアドバイスを送っていました。
んー実に細かいところまで目が届いています。
ここにもコーチを増やした効果が表れています。

こういう相互補助、同盟関係がバッテリーの信頼関係を築き上げます。
これは人間関係にも、チームの状態にも、良くも悪くも影響します。
こういう関係を築いていくこと、毎日の小さなことの積み重ね、これは大人になっても役に立ちます。
生涯付き合う友達、伴侶となる異性、人が人として生きていくために必要な勉強だと私は思います。
そういう関係は、お互いが気持ち良く築き上げていくのがいい。
そうあって欲しいとつくづくそう思います。

翻って、最近のトウマ。
ピッチャーの信頼をことごとく勝ち取っています。
それが打撃にもいい影響を与えていると私は見ています。
体を盾にして、痛い思いをしてブロックしていることは無駄ではないんです。
こういう視点で、トウマの献身的なブロックを見てしまうと、ウルッときてしまいます。
昨年のシュンペイを思い出します。
歴代キャッチャーを思い出します。
キャッチャーというとのは、なんと献身的な職業なんでしょう。
キャッチャー経験者は、頼り甲斐のある人が多いような気がするのは私だけでしょうか?

1番監督に怒られるし、痛いし、暑いし、臭いし、手柄はピッチャーにもっていかれる。
いいことはあまりないかもしれません。
キャッチャー経験者ならば、必ず1回は、やめたいと思ったことがあるはずです。
それほど、心が折れるような場面がたくさんあるのがキャッチャーだと思います。
1回地獄を見ている。

でもそんな中から、キャッチャーという職業に光を見いだす。
誰が見ていなくても、自分のやるべきことをやろうとするとき、本当の意味でキャッチャーという職業の真価を知ることになるでしょう。
それを1回乗り越えてきたキャッチャー経験者は、それを知っていると思います。
去年のシュンペイとユナのバッテリー、一時期崩壊寸前までいきました。
しかし、コロナ明けに、あの水面が鏡となっているウユニ湖のようにふたりは凪いでいました。
乗り越えたんです。
ユナもそうですが、キャッチャーであるシュンペイの精神面での成長が大きかった思います。
何回もどん底に突き落とされて、また這い上がってくる。
その意味で、キャッチャーはドMといっていい。
壁が高いほど、相手が強いほど、味方がヤバいときほど、燃える。
いいじゃありませんか!そのドMはかっこいい。
キャッチャーという職業は因果なのもです。
トウマもだんだんその域に達しようとしています。
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