時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
昨日のNHKクローズアップ現代。
大谷翔平君の特集でした。
その中でも、彼の人間性をよく表している言葉。
「ゴミを拾う」
そういや、彼の試合を見ていると時折グランドから何かを拾っています。そして、それをポケットへ入れていた。
ファーボールで一塁に向かう際も、何かを拾うしぐさ。
あれってゴミを拾うしぐさだったんですね~。
納得!
そう考えると、がてんがいきます。
いろんな場面で、大谷選手はこのゴミを拾うしぐさをしています。
彼が花巻東に入った1年の時に、81の曼荼羅(マンダラ)チャートに書いた言葉の中にそれはありました。そのチャートとは、なんこか大きな目的をたてて、そのまわりにその目標を達成するためにはどうするかという小さい目標を複数書いていくものです。
それが81個ちりばめられて、まるで仏教の曼荼羅(マンダラ)のようであることから、そう言われています。
他にも大選手になりたいという理想を追い求めた目標がたくさんありましたが、私は彼が書いた「ゴミを拾う」という言葉に引きつけられました。
当時高校生の時分に、165kmを投げる二刀流の選手になるということを掲げていました。
そんな大それた野球選手になるために選んだ言葉の中に、「ゴミを拾う」という目標がある。
そこに大谷選手らしさが表れています。
やもすれば、プレーや技術、そのための練習方法などが重視されがちになるところを、人として当たり前な内面的な部分をきちんと見つめている。
ここって、日本の野球教育だからこそ書ける言葉だと思います。
そしてその日本の野球教育であっても、優れたプレーヤーになるための目標のひとつとして、中々「ゴミを拾う」という言葉を書き込む人はいないと思います。
だからこそ、そこが大谷選手であるゆえんだと私は思います。
誰に言われるでもなく、自分の意志として、目の前にゴミがあるから拾う。
これが彼の当たり前、スタンダード。
こういう人間性はどうやったら育つのでしょうね?
私は、こういう人間性だからこそ、今まさに大成いている現在進行形の中に、彼はいると思うんです。
ここが、スポーツの、野球の目指す、人間形成の目的のひとつだと思うんです。
一方で、指導者の私がいる前で、平気でゴミを捨てる子供もかつていました。
こいつは、こいつで信じられない。
しかし、そいつはそれを戒められなかった環境や
それをだめだということを教えられなかった状況にあった。
だから彼には罪はない、そう思うようにしています。
そして、ここから教えていけばいいんです。
簡単にゴミを拾うといいますが、世の中の大部分の人がそうではないと思います。
道の端っこにゴミがあるとわかった時点で、目をそらす。
かくいう、私もそういうタイプです。
誰かが片付けるだろう!と高をくくっている。
たがら、人任せにする癖があるから大事なところでミスをする。
大谷選手は、こういう小さなところまで、鍛錬ではなく当たり前の事の領域としています。
もはや、呼吸と同じレベル。
人間が真摯。
そして、そういう努力を小さい頃から積み重ねてきた彼という人間が、世界最強のメジャーリーガーを相手に回して、コテンパンにやっつける!
これは、気持ちいい!
これが世界がショーヘイ大谷に注目する理由だと思います。
こういう人をヒーローといっていい。
子ども達がきちんとあこがれでいいヒーロー。
英雄と書いてヒーロー。
かつての野茂英雄選手もそういう選手でした。
彼の背後には、たくさんの人の思いと、支えがあると思います。
その思いがちゃんと人間性と彼のプレー、そしてプレー以外にも表れている。
そして、彼自身もそれをまごうことなく信じ、誇りに思っている。
小さなゴミを拾う。
あったことはありませんが、彼はそういう人間だと思います。
我々は彼のような大それた人物を育てようなどとは思っていません。
しかし、そこに少しでも近づけるような、その思いが分かる人になって欲しいという思いをこめて日々の練習を積み重ねています。
大谷翔平選手、彼ほどではなくても大なり小なり、スポ少を卒団した子ども達が、日本中に世界中に同じその思いをくんだ大人になってくれることを我々は願っています。
誰彼に言われるまでもなく、グランドに落ちているゴミを拾う、ボールを拾う、
小さいことを大事にできること。(かくいう私もまだまだできていませんが……)
それが生きていく中で、当たり前のように実践できる。
かっこいいじゃないですか!
その意味で、我々の子ども達の全てが大谷翔平!
まさに、大空に翔る。
まだまだ彼らから目が離せません。
大谷翔平君の特集でした。
その中でも、彼の人間性をよく表している言葉。
「ゴミを拾う」
そういや、彼の試合を見ていると時折グランドから何かを拾っています。そして、それをポケットへ入れていた。
ファーボールで一塁に向かう際も、何かを拾うしぐさ。
あれってゴミを拾うしぐさだったんですね~。
納得!
そう考えると、がてんがいきます。
いろんな場面で、大谷選手はこのゴミを拾うしぐさをしています。
彼が花巻東に入った1年の時に、81の曼荼羅(マンダラ)チャートに書いた言葉の中にそれはありました。そのチャートとは、なんこか大きな目的をたてて、そのまわりにその目標を達成するためにはどうするかという小さい目標を複数書いていくものです。
それが81個ちりばめられて、まるで仏教の曼荼羅(マンダラ)のようであることから、そう言われています。
他にも大選手になりたいという理想を追い求めた目標がたくさんありましたが、私は彼が書いた「ゴミを拾う」という言葉に引きつけられました。
当時高校生の時分に、165kmを投げる二刀流の選手になるということを掲げていました。
そんな大それた野球選手になるために選んだ言葉の中に、「ゴミを拾う」という目標がある。
そこに大谷選手らしさが表れています。
やもすれば、プレーや技術、そのための練習方法などが重視されがちになるところを、人として当たり前な内面的な部分をきちんと見つめている。
ここって、日本の野球教育だからこそ書ける言葉だと思います。
そしてその日本の野球教育であっても、優れたプレーヤーになるための目標のひとつとして、中々「ゴミを拾う」という言葉を書き込む人はいないと思います。
だからこそ、そこが大谷選手であるゆえんだと私は思います。
誰に言われるでもなく、自分の意志として、目の前にゴミがあるから拾う。
これが彼の当たり前、スタンダード。
こういう人間性はどうやったら育つのでしょうね?
私は、こういう人間性だからこそ、今まさに大成いている現在進行形の中に、彼はいると思うんです。
ここが、スポーツの、野球の目指す、人間形成の目的のひとつだと思うんです。
一方で、指導者の私がいる前で、平気でゴミを捨てる子供もかつていました。
こいつは、こいつで信じられない。
しかし、そいつはそれを戒められなかった環境や
それをだめだということを教えられなかった状況にあった。
だから彼には罪はない、そう思うようにしています。
そして、ここから教えていけばいいんです。
簡単にゴミを拾うといいますが、世の中の大部分の人がそうではないと思います。
道の端っこにゴミがあるとわかった時点で、目をそらす。
かくいう、私もそういうタイプです。
誰かが片付けるだろう!と高をくくっている。
たがら、人任せにする癖があるから大事なところでミスをする。
大谷選手は、こういう小さなところまで、鍛錬ではなく当たり前の事の領域としています。
もはや、呼吸と同じレベル。
人間が真摯。
そして、そういう努力を小さい頃から積み重ねてきた彼という人間が、世界最強のメジャーリーガーを相手に回して、コテンパンにやっつける!
これは、気持ちいい!
これが世界がショーヘイ大谷に注目する理由だと思います。
こういう人をヒーローといっていい。
子ども達がきちんとあこがれでいいヒーロー。
英雄と書いてヒーロー。
かつての野茂英雄選手もそういう選手でした。
彼の背後には、たくさんの人の思いと、支えがあると思います。
その思いがちゃんと人間性と彼のプレー、そしてプレー以外にも表れている。
そして、彼自身もそれをまごうことなく信じ、誇りに思っている。
小さなゴミを拾う。
あったことはありませんが、彼はそういう人間だと思います。
我々は彼のような大それた人物を育てようなどとは思っていません。
しかし、そこに少しでも近づけるような、その思いが分かる人になって欲しいという思いをこめて日々の練習を積み重ねています。
大谷翔平選手、彼ほどではなくても大なり小なり、スポ少を卒団した子ども達が、日本中に世界中に同じその思いをくんだ大人になってくれることを我々は願っています。
誰彼に言われるまでもなく、グランドに落ちているゴミを拾う、ボールを拾う、
小さいことを大事にできること。(かくいう私もまだまだできていませんが……)
それが生きていく中で、当たり前のように実践できる。
かっこいいじゃないですか!
その意味で、我々の子ども達の全てが大谷翔平!
まさに、大空に翔る。
まだまだ彼らから目が離せません。
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