時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
息子たちの野球を見ていて思いました。
やはり、野球はいいと。
ひいきめなんでしょうが、こどもたちも先生も保護者もみんな楽しんでやってます。
みんなをひとつに繋げている、真ん中にあるのが野球なんです。
これって、相手の田島さんも、荒海舘岩さんにも言えることだと思うんです。
野球というスポーツが、いろんな人の人生に彩りを与えている、元気をもらっているとつくづく思います。
こういう世界が重いと感じる人もいるでしょう。
確かにいろんな負担があって正直めんどくさいと思うときもあります。
しかし、いろんなものの関係が希薄化している今だからこそ、こういう野球を通しての「濃い繫がり」を子ども達には経験して欲しいと思います。
みんながいるから野球ができる、
相手がいるから野球ができる。
この「つながり」を大事にして欲しいし、その「つながり」がわかる人間になって欲しいと私は思います。
別に何かや誰かと比べる必要なんてないんです。
ただ、わかるだけでいい。気づけるだけでいい。
その根本の近くにあるもののひとつに「野球」があってくれたらいい。
その人を形成する芯の中に、息子たちのバックボーンの中に野球が入っていて欲しい。
そう思っていましたが、確かに息子の背骨には野球という文字が刻まれているようです。
次男坊、体が大きいわけでもなく、足も肩も強いわけではない。
かといって、すごい打つわけでもなく、バンバン三振をとる豪腕でもない。
全体的に野球のセンスには恵まれているとは思えません。
一般的な選手のひとりです。
そんな彼も長男と同じく中学では野球を選んだ。野球を選んでくれた。
選んだというよりは、私が選ばせた感がほとんどだと思います。
スポ少をやっていた同級生のほとんどが野球部に入ってくれたのもよかった。
私との共通言語である、野球。
野球の技術的なこと、メンタル、フィジカル、私が教えられることが多くあります。
「あそこでホップフライはないんじゃないか?軸が5cm前にずれているぞ。」
「あの場面でのヒットエンドランは良かった。ゴロを打とうとしようと意識が見えたスウィングだったぞ。」
技術的なことばかりではありません。
「あのピンチの場面でも、お前の声はよく出てたぞ。」
「ランナーが二塁にいるとき、ちゃんとサードにタッチアップの可能性を声を大にして伝えている、あれはいいぞ。」
親の主観がだいぶ入りますが、彼のいいところは、こういうところなんじゃないかなと思います。プレー以外でもチームに献身する姿勢。
おくびもなく大きい声で次のプレーを示唆する。
これって全体を見て、次を予測しながら動いていることになります。
これは野球以外の場面でも役に立つはずです。
本当はプレーでももっと貢献してほしいところですが、こういうチーム全体への気遣い。
こういうところの面白さがわかる野球人に育っていてくれているなぁと勝手に思っています。
たいしてうまくなくても野球の面白さがわかっている。
私もたいしてうまくなかったので、そこがよくわかります。
野球のプレー以外の面白さ。
技術うんぬんではなく、人としてチームのプレーヤーとしての彼の声、仲間への配慮をたたえる。
私としては、ここが大事です。
野球が、彼を人として成長しているなと思わせてくれる、ありがたい場面です。
野球が親子をつなぐパイプになってくれている。
これによって、私の存在もなんとか維持できているといっていいでしょう。
そんな次男坊の中学野球人生も佳境を迎えます。
次の民報杯が最後となります。
スポ少、中学野球とずっと彼らを見てきました。
長男の時もそう思いましたが、今のチームもいいチームです。
それぞれの得意分野がはっきりしている。
役割がきっちり分担されている感じ。
個性が活きています。
ごった煮、おでんのような感じ。だから面白い。
私も中学に戻って一緒のチームとしてやりたいくらいです。
みんなと一緒に野球をやるのが楽しくて仕方がない。彼らのひとつひとつのプレーがそう言っています。
中学最後の大会。
その前の最大の目標だった中体連を、緒戦で敗退。このショックは親子ともども大きかった。
そこからはい上がる機会、それがこの田島遠征でした。
緒戦で敗退した中体連の会津大会優勝チームと練習試合。
失地回復の場面をきっちり活かして、立ち直るきっかけを得ました。
今週は期末テストウイークで練習もできなくなります。
彼らの決戦は、今月末。
息子の部活動の応援に奔走する。
仕事を休んだり、なんとか都合をつけたり、たしかに苦労はあります。
がしかし、親として、こういう時間はものすごく貴重で有意義な時間なんでしょうね。
彼らのがんばりに、私たち自身も勇気をもらう。
彼らの意地を見せてもらいましょう!
やはり、野球はいいと。
ひいきめなんでしょうが、こどもたちも先生も保護者もみんな楽しんでやってます。
みんなをひとつに繋げている、真ん中にあるのが野球なんです。
これって、相手の田島さんも、荒海舘岩さんにも言えることだと思うんです。
野球というスポーツが、いろんな人の人生に彩りを与えている、元気をもらっているとつくづく思います。
こういう世界が重いと感じる人もいるでしょう。
確かにいろんな負担があって正直めんどくさいと思うときもあります。
しかし、いろんなものの関係が希薄化している今だからこそ、こういう野球を通しての「濃い繫がり」を子ども達には経験して欲しいと思います。
みんながいるから野球ができる、
相手がいるから野球ができる。
この「つながり」を大事にして欲しいし、その「つながり」がわかる人間になって欲しいと私は思います。
別に何かや誰かと比べる必要なんてないんです。
ただ、わかるだけでいい。気づけるだけでいい。
その根本の近くにあるもののひとつに「野球」があってくれたらいい。
その人を形成する芯の中に、息子たちのバックボーンの中に野球が入っていて欲しい。
そう思っていましたが、確かに息子の背骨には野球という文字が刻まれているようです。
次男坊、体が大きいわけでもなく、足も肩も強いわけではない。
かといって、すごい打つわけでもなく、バンバン三振をとる豪腕でもない。
全体的に野球のセンスには恵まれているとは思えません。
一般的な選手のひとりです。
そんな彼も長男と同じく中学では野球を選んだ。野球を選んでくれた。
選んだというよりは、私が選ばせた感がほとんどだと思います。
スポ少をやっていた同級生のほとんどが野球部に入ってくれたのもよかった。
私との共通言語である、野球。
野球の技術的なこと、メンタル、フィジカル、私が教えられることが多くあります。
「あそこでホップフライはないんじゃないか?軸が5cm前にずれているぞ。」
「あの場面でのヒットエンドランは良かった。ゴロを打とうとしようと意識が見えたスウィングだったぞ。」
技術的なことばかりではありません。
「あのピンチの場面でも、お前の声はよく出てたぞ。」
「ランナーが二塁にいるとき、ちゃんとサードにタッチアップの可能性を声を大にして伝えている、あれはいいぞ。」
親の主観がだいぶ入りますが、彼のいいところは、こういうところなんじゃないかなと思います。プレー以外でもチームに献身する姿勢。
おくびもなく大きい声で次のプレーを示唆する。
これって全体を見て、次を予測しながら動いていることになります。
これは野球以外の場面でも役に立つはずです。
本当はプレーでももっと貢献してほしいところですが、こういうチーム全体への気遣い。
こういうところの面白さがわかる野球人に育っていてくれているなぁと勝手に思っています。
たいしてうまくなくても野球の面白さがわかっている。
私もたいしてうまくなかったので、そこがよくわかります。
野球のプレー以外の面白さ。
技術うんぬんではなく、人としてチームのプレーヤーとしての彼の声、仲間への配慮をたたえる。
私としては、ここが大事です。
野球が、彼を人として成長しているなと思わせてくれる、ありがたい場面です。
野球が親子をつなぐパイプになってくれている。
これによって、私の存在もなんとか維持できているといっていいでしょう。
そんな次男坊の中学野球人生も佳境を迎えます。
次の民報杯が最後となります。
スポ少、中学野球とずっと彼らを見てきました。
長男の時もそう思いましたが、今のチームもいいチームです。
それぞれの得意分野がはっきりしている。
役割がきっちり分担されている感じ。
個性が活きています。
ごった煮、おでんのような感じ。だから面白い。
私も中学に戻って一緒のチームとしてやりたいくらいです。
みんなと一緒に野球をやるのが楽しくて仕方がない。彼らのひとつひとつのプレーがそう言っています。
中学最後の大会。
その前の最大の目標だった中体連を、緒戦で敗退。このショックは親子ともども大きかった。
そこからはい上がる機会、それがこの田島遠征でした。
緒戦で敗退した中体連の会津大会優勝チームと練習試合。
失地回復の場面をきっちり活かして、立ち直るきっかけを得ました。
今週は期末テストウイークで練習もできなくなります。
彼らの決戦は、今月末。
息子の部活動の応援に奔走する。
仕事を休んだり、なんとか都合をつけたり、たしかに苦労はあります。
がしかし、親として、こういう時間はものすごく貴重で有意義な時間なんでしょうね。
彼らのがんばりに、私たち自身も勇気をもらう。
彼らの意地を見せてもらいましょう!
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