時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
今日はカナト世代の新人生会津予選でした。
結果は、あの全国大会にいった猪苗代さんを相手にコテンパンに負けました。
0:19
このスコアをTシャツのバックプリントで保存したいくらいです。
ほとんど、何もさせてもらえなかった。
完敗でした。
気持ちいいほどのコテンパン
負けは負けとして、ここからどうしていくか?
猪苗代さんに勝つためにというか、まずは自チームをどうしていくか?
そこから初めていくしかないようです。
負けから始まる。
思いかえせば、私の出発は、いつも負けから、失敗から始まります。
今の私のたどり着いた立ち位置、「ミッションチャレンジ型のスポ少」。
これに至るまでには、いろんな思いがありました。
勝利至上主義。
勝つためなら、なんでもやるという意味だけではありません。
私がこれまで、たくさん見てきた負の連鎖、
勝ちにこだわるあまり、負けたとき、失敗したとき、エラーをしたとき、三振したときに、とんでもなく子供たちを怒る。
ゲッて思う。そこまで言うんかい!
そんな場面を見てきて、私は
「あぁ~、あんなふうに怒られたら、ソフトボール嫌いになるよな。
あんなふうに怒られたら、楽しい訳がない。
あぁはなりたくないな。」
と何度も思いました。
ここ最近、そんな監督さんにはいませんが、私が始めたばかりのころ、20年前にはそんな指導者がそれなりにいました。
そして、そのチームがまた強い。
恐怖政治によって作られたチームではありましたが、練習量の多さと怒られたくないという動機によって成り立っていました。
強いんだけど、楽しくねえだろうなぁとおもってみてました。笑顔がない。
指導者の顔色ばかり、うかがっている。
創意工夫もなく、与えられたサイン通りにしか、動くことのできないロボットたち。
そんな能面のような彼らに本当の笑顔を望むべくもありません。
かくいう私も同じことをしていたんだと気づかされる時がありました。
エラーをした選手にむかって、
「何やってんだぁ、てめぇ!
やる気がねぇなら、とっとと帰れぇ!」
激高して、叱りつけ、懲罰で交代させる。
ベンチに帰ってきてうなだれている選手にむかって、追い打ちで罵声を浴びせる。
さらに試合が終わった後の反省会でもダメ出し。
厳しくすることが、選手のためだと思っていました。
しかし、面白くないんですよね。
気分が悪い。気持ちよくない。
お互いに面白くない。
怒っている私も、マイナスの言葉を吐くと毒がたまるんでしょうね。
周りに見えない壁を知らずに築いていく。
そんなベンチに理解と協力などありません。
建設的なプロセスができるはずがない。
そんな、チームは強くなるはずがありません。
必然、何回も何回も負けることが続きます。
八方ふさがり。何をやってもうまくいかない。
そうなると、やけのやけっぱちの心境に陥ります。
どうせ負けるなら、怒るのも無駄、子供たちの好きなようにやって見ろ!と作戦を変更しました。
そして、この試合は何があっても怒らない。
そう子供たちにも宣言して、戦いに望みました。
途中、何回も失敗、エラーがあります。
ぁんだこのヤロー、ぁんだあのプレーは!と思っても、ぐっと飲み込む。
ぐぅーーーっと飲み込む。
怒りで血管がピクピク浮き出る。
ここは辛抱がいりました。
ある本によれば、怒りがこみ上げても六秒我慢すれば落ち着くとも言っています。
ぐっと飲み込む。
ふぅ~と深呼吸をする。
凪(なぎ)、穏やかな水面を思い浮かべます。
深呼吸をすると、やはり落ち着くんですよね。
そうすると周りが見えてきます。
ミスをすると、チラチラ、私をうかがう選手もいます。
それをみて私も、20年前のあのパワハラの指導者と、五十歩百歩、大なり小なり同じだったんだと気づかされました。
私も同じ穴のムジナだったんです。
あんなふぅにはなりなくない、と思ったムジナとおなじ。
だから、面白くなかった。
だから、勝てなかった。
だから、うまくいかなかった。
選手たちのチカラを引き出してやれなかった。
愕然としましたね。
しかし、気づいてよかったとも思えました。
どうにか、踏みとどまった。
これは、何回も何回も負けて、負けて、負けまくった、子供たちの犠牲のおかげで気づかされたものです。
ここまでくるのに、たくさんの子供たちのやる気を犠牲にしてきました。
一将功なって万骨枯る。
そして、気づいた法則。
怒るよりも、信頼したほうがいい。
チラチラ私をみる、選手に対して、
がっとばすという選択肢を捨てて、
大きくうなずいて見せる。
「大丈夫だ、いいぞ!ミスってもいい!」と声をかける。
エラーをした選手は、エラーをしたことで、みっともないという、いわゆる社会的制裁を受けています。
その時点で、やっちまったと心理的にダメージを受けている。
心のダメージは、次の行動に間違いなく影響します。悪い方向に。
落ち込んでいる選手を試合中にがっとばしても何の意味もないどころか、傷口に塩をぬる行為だと、私は気づきました。
エラーをした選手の立場になって考えてみる。
かつての私もエラーを何回もしました。
そして、怒られていたことを思い出します。
その時、どうして欲しかったか?
何を言ってほしかったか?
自分自身に置き換えてみる。
覆水盆に帰らず。
やっちまったことはもう戻せません。
あわわわと心理的に慌ててている。
その時に何を言って欲しいか?
私は、「大丈夫だ!」の一言だと思います。
チーム的には大丈夫じゃありませんが、カラ元気でも大丈夫だといってみせること、
このひと言でその子は、チームは救われます。
怒りちらして、さらに萎縮させるのは逆効果。
がっとばすなど、愚の骨頂。
指導者として、自分が無能だと言っているのと同じだと気づきました。
それよりも、「大丈夫だ!」のひと言で、その子もまわりの選手たちも救われるはずです。
まだ、試合は終わっていません。
ひとつふたつのミスで、崩れるわけにはいかない。
怒って萎縮させて、自分から崩れるわけにもいかない。
選手と指導者、お互いに足の引っ張り合いはやめです。
立ち直ってもらう!立ち直らせてみせる!
鼓舞、激励。
「下を向くんじゃねえ、バレーは常に上を向くスポーツだ!」
とハイキュー!!の鵜飼コーチも言ってます。
これこそ、指導者の役目でしょう。
エラーをした子も、そのまわりの選手たちも、次の瞬間から私ではなく、プレーそのものに集中するようになります。
それでいい。
こっちを見る必要などない。見なくていい。
今この瞬間、このプレーに集中しろ!
「あとは、お前に任せた!」
この言葉に、すべてが集約されていきます。
大事なのは、信頼して、任せることだったんですね。
私は、この任せたという言葉、かっこいいと思ってよく使います。
大事な場面で、
「タカヤ、後は任せた!」
「ユウキ、任せた!」
「レン!後は任せた!」
数々の任せた、後は頼んだという言葉。
かけた選手は、黙ってうなずく。私もうなずく。
これだけでいいんです。
お互いの信頼をこれほど表現できる場面はないと思います。
かっこいいでしょう!
これが、気持ちいい。
打てばさらに気持ちいい。
任せることで、選手は自分自身で戦います。
私たちは背中を押すのみ。
そうすると、周りをみて、考えるようになります。後ろ向きではなく、前向きな姿勢。
そして何より、お互いに気持ちいい。
選手を、単なるコマとして見ない。見れなくなりました。
これまで何をがんばってきたか?
練習で1番近くで見てきてた我々が1番知っているはずです。
バットを少し短く持ってる。
守備位置をきちんとバッターによって変えている。
練習の時にアドバイスしたことをちゃんと自分に落とし込んでいる。
選手の細かい動き、違いに気づけるのは我々しかいません。
ひとりひとりにドラマがあり、ストーリーがあります。もはや、全員が「推し」となります。
その「推し」に大丈夫と声をかけること、それは私自身にも、チーム全体にも大丈夫だということと同じなんですよね。
そして、お互いに向き合って、目を見て大丈夫、まだやれる、へこたれるなと確認すること。
私は、ようやく気づきました。
信頼しあうことの気持ち良さを。
選手たちに後顧の憂いなく、前だけ向かせることの大事さを。
そうすることで、彼らの力を100%,120%引き出せるということを知りました。
空をみる余裕ができました。
あの風を感じる余裕ができました。
そうなると、不思議に勝ち始めます。
自分たちよりも強いといわれる相手であっても、いい試合をするようになります。
勝っても負けても気持ちいい。
無論、後ろ向きな負け方、準備なしの無策の負けはとことん怒ります。がっとばします。
しかし、全力を尽くして負けたなら、負けても気持ちいいんです。
負けても、次にどうしたらいいかを考えると前向きな負け方。
勝っても、負けても前に進む。
この考えが「ミッションチャレンジ型のスポ少」につながっていきます。
勝ち負けの結果、ヒット三振の結果、
それよりも、どうやって自分の課題に向き合ったか?を重視する。
これが、子供たちの力を、段階的に伸ばしていく、最善の道だと私は思っています。
少しずつ、少しずつ成長していけばいいんです。
かつて、旭スポ少時代、秋の新人戦から、春の総体、夏の白獅子、秋の美里親善まで、一回も勝ったことがなかったチームがありました。
練習試合でさえも勝てない。
6年生がたったひとり、ナオヒロ世代。
端から見れば、暗黒時代。
しかし、キャプテンとして彼はやり抜いた。
負けて、負けて、負けまくっても彼はグランド立ち続けました。
何回もコールドで負けました。
負けて、1番怒られるのもキャプテンです。
それでも彼は最後まで、やり抜きました。
何が、彼をそこまでやらせたのか?
今となっては、本人に聞くしかありませんが、おそらく「意地」だったと私は思います。
たとえ何回負けてもやり通す。
何回も心が折れたでしょう。
しかしその都度また立ち上がる。
その意地。
そして、それを支えた保護者の皆さんもたいしたもんです。
そのころの私たちには、明るさがありました。
負けつづけて投げやりになるところですが、また明日があるさと前を向く。悲壮感がなかった。
負けた試合の中に、いいところを見ようとしていました
あの頃は勝っても負けても、焼き肉をやって反省会を親子でしていました。
勝ち負けも大事ですが、ソフトボール自体をみんなで楽しむ、そんな姿勢だったからこそ、一回も勝てなくても最後まで続けることができたんだと思います。
あの頃の保護者の皆さんには、
「監督!まだスポ少やってんかい?今年のチームはどうだい?」といまだに声をかけてもらってます。
ありがたい。
まだ、つながっていてくれます。
負け続けたキャプテン、ナオヒロは自分の好きな道を突き進み、水産系の仕事に就いています。
あの頃、私たちは負け続けていても、決して卑屈にならず、一点とったら、勝ちだ、ヒット一本打ったら焼き肉だとか、
逆境の中にあっても楽しむこと、しぶとさ、したたかさを学んだと思います。
勝てば万々歳のどんちゃん騒ぎ。
スポ少に限らず、勝ち続けることなんて、できないんです。ミスもするし、負けもします。
負けたとき、負けそうになるとき、その時どうするか?
ここにその人の生き方、本質がでてくると思います。
あたりちらすか、落ち込むか?
流れる時間は同じ。
であれば、その負けさえも楽しむ。次に活かす。ここがスポ少でサポートできるところです。
その命脈は間違いなく、あの時のキャプテン、ナオヒロの中に生きていると私は信じています。
そして、このカナト世代。
彼らの進む道も険しいことはわかっています。
何回も何回も地べたに顔を押さえつけられるでしょう。
しかし、あの時のナオヒロのように、折れた心を何回も何回も鍛え直して、立ち上がることを期待しています。
高田イーグルスが、竃門炭治郎と重なるんですよねえ。
そして、いつかみんなが心から笑顔になれる勝利をつかみ取って欲しいと思います。
さぁ、また明日からがんばっていきましょう!
結果は、あの全国大会にいった猪苗代さんを相手にコテンパンに負けました。
0:19
このスコアをTシャツのバックプリントで保存したいくらいです。
ほとんど、何もさせてもらえなかった。
完敗でした。
気持ちいいほどのコテンパン
負けは負けとして、ここからどうしていくか?
猪苗代さんに勝つためにというか、まずは自チームをどうしていくか?
そこから初めていくしかないようです。
負けから始まる。
思いかえせば、私の出発は、いつも負けから、失敗から始まります。
今の私のたどり着いた立ち位置、「ミッションチャレンジ型のスポ少」。
これに至るまでには、いろんな思いがありました。
勝利至上主義。
勝つためなら、なんでもやるという意味だけではありません。
私がこれまで、たくさん見てきた負の連鎖、
勝ちにこだわるあまり、負けたとき、失敗したとき、エラーをしたとき、三振したときに、とんでもなく子供たちを怒る。
ゲッて思う。そこまで言うんかい!
そんな場面を見てきて、私は
「あぁ~、あんなふうに怒られたら、ソフトボール嫌いになるよな。
あんなふうに怒られたら、楽しい訳がない。
あぁはなりたくないな。」
と何度も思いました。
ここ最近、そんな監督さんにはいませんが、私が始めたばかりのころ、20年前にはそんな指導者がそれなりにいました。
そして、そのチームがまた強い。
恐怖政治によって作られたチームではありましたが、練習量の多さと怒られたくないという動機によって成り立っていました。
強いんだけど、楽しくねえだろうなぁとおもってみてました。笑顔がない。
指導者の顔色ばかり、うかがっている。
創意工夫もなく、与えられたサイン通りにしか、動くことのできないロボットたち。
そんな能面のような彼らに本当の笑顔を望むべくもありません。
かくいう私も同じことをしていたんだと気づかされる時がありました。
エラーをした選手にむかって、
「何やってんだぁ、てめぇ!
やる気がねぇなら、とっとと帰れぇ!」
激高して、叱りつけ、懲罰で交代させる。
ベンチに帰ってきてうなだれている選手にむかって、追い打ちで罵声を浴びせる。
さらに試合が終わった後の反省会でもダメ出し。
厳しくすることが、選手のためだと思っていました。
しかし、面白くないんですよね。
気分が悪い。気持ちよくない。
お互いに面白くない。
怒っている私も、マイナスの言葉を吐くと毒がたまるんでしょうね。
周りに見えない壁を知らずに築いていく。
そんなベンチに理解と協力などありません。
建設的なプロセスができるはずがない。
そんな、チームは強くなるはずがありません。
必然、何回も何回も負けることが続きます。
八方ふさがり。何をやってもうまくいかない。
そうなると、やけのやけっぱちの心境に陥ります。
どうせ負けるなら、怒るのも無駄、子供たちの好きなようにやって見ろ!と作戦を変更しました。
そして、この試合は何があっても怒らない。
そう子供たちにも宣言して、戦いに望みました。
途中、何回も失敗、エラーがあります。
ぁんだこのヤロー、ぁんだあのプレーは!と思っても、ぐっと飲み込む。
ぐぅーーーっと飲み込む。
怒りで血管がピクピク浮き出る。
ここは辛抱がいりました。
ある本によれば、怒りがこみ上げても六秒我慢すれば落ち着くとも言っています。
ぐっと飲み込む。
ふぅ~と深呼吸をする。
凪(なぎ)、穏やかな水面を思い浮かべます。
深呼吸をすると、やはり落ち着くんですよね。
そうすると周りが見えてきます。
ミスをすると、チラチラ、私をうかがう選手もいます。
それをみて私も、20年前のあのパワハラの指導者と、五十歩百歩、大なり小なり同じだったんだと気づかされました。
私も同じ穴のムジナだったんです。
あんなふぅにはなりなくない、と思ったムジナとおなじ。
だから、面白くなかった。
だから、勝てなかった。
だから、うまくいかなかった。
選手たちのチカラを引き出してやれなかった。
愕然としましたね。
しかし、気づいてよかったとも思えました。
どうにか、踏みとどまった。
これは、何回も何回も負けて、負けて、負けまくった、子供たちの犠牲のおかげで気づかされたものです。
ここまでくるのに、たくさんの子供たちのやる気を犠牲にしてきました。
一将功なって万骨枯る。
そして、気づいた法則。
怒るよりも、信頼したほうがいい。
チラチラ私をみる、選手に対して、
がっとばすという選択肢を捨てて、
大きくうなずいて見せる。
「大丈夫だ、いいぞ!ミスってもいい!」と声をかける。
エラーをした選手は、エラーをしたことで、みっともないという、いわゆる社会的制裁を受けています。
その時点で、やっちまったと心理的にダメージを受けている。
心のダメージは、次の行動に間違いなく影響します。悪い方向に。
落ち込んでいる選手を試合中にがっとばしても何の意味もないどころか、傷口に塩をぬる行為だと、私は気づきました。
エラーをした選手の立場になって考えてみる。
かつての私もエラーを何回もしました。
そして、怒られていたことを思い出します。
その時、どうして欲しかったか?
何を言ってほしかったか?
自分自身に置き換えてみる。
覆水盆に帰らず。
やっちまったことはもう戻せません。
あわわわと心理的に慌ててている。
その時に何を言って欲しいか?
私は、「大丈夫だ!」の一言だと思います。
チーム的には大丈夫じゃありませんが、カラ元気でも大丈夫だといってみせること、
このひと言でその子は、チームは救われます。
怒りちらして、さらに萎縮させるのは逆効果。
がっとばすなど、愚の骨頂。
指導者として、自分が無能だと言っているのと同じだと気づきました。
それよりも、「大丈夫だ!」のひと言で、その子もまわりの選手たちも救われるはずです。
まだ、試合は終わっていません。
ひとつふたつのミスで、崩れるわけにはいかない。
怒って萎縮させて、自分から崩れるわけにもいかない。
選手と指導者、お互いに足の引っ張り合いはやめです。
立ち直ってもらう!立ち直らせてみせる!
鼓舞、激励。
「下を向くんじゃねえ、バレーは常に上を向くスポーツだ!」
とハイキュー!!の鵜飼コーチも言ってます。
これこそ、指導者の役目でしょう。
エラーをした子も、そのまわりの選手たちも、次の瞬間から私ではなく、プレーそのものに集中するようになります。
それでいい。
こっちを見る必要などない。見なくていい。
今この瞬間、このプレーに集中しろ!
「あとは、お前に任せた!」
この言葉に、すべてが集約されていきます。
大事なのは、信頼して、任せることだったんですね。
私は、この任せたという言葉、かっこいいと思ってよく使います。
大事な場面で、
「タカヤ、後は任せた!」
「ユウキ、任せた!」
「レン!後は任せた!」
数々の任せた、後は頼んだという言葉。
かけた選手は、黙ってうなずく。私もうなずく。
これだけでいいんです。
お互いの信頼をこれほど表現できる場面はないと思います。
かっこいいでしょう!
これが、気持ちいい。
打てばさらに気持ちいい。
任せることで、選手は自分自身で戦います。
私たちは背中を押すのみ。
そうすると、周りをみて、考えるようになります。後ろ向きではなく、前向きな姿勢。
そして何より、お互いに気持ちいい。
選手を、単なるコマとして見ない。見れなくなりました。
これまで何をがんばってきたか?
練習で1番近くで見てきてた我々が1番知っているはずです。
バットを少し短く持ってる。
守備位置をきちんとバッターによって変えている。
練習の時にアドバイスしたことをちゃんと自分に落とし込んでいる。
選手の細かい動き、違いに気づけるのは我々しかいません。
ひとりひとりにドラマがあり、ストーリーがあります。もはや、全員が「推し」となります。
その「推し」に大丈夫と声をかけること、それは私自身にも、チーム全体にも大丈夫だということと同じなんですよね。
そして、お互いに向き合って、目を見て大丈夫、まだやれる、へこたれるなと確認すること。
私は、ようやく気づきました。
信頼しあうことの気持ち良さを。
選手たちに後顧の憂いなく、前だけ向かせることの大事さを。
そうすることで、彼らの力を100%,120%引き出せるということを知りました。
空をみる余裕ができました。
あの風を感じる余裕ができました。
そうなると、不思議に勝ち始めます。
自分たちよりも強いといわれる相手であっても、いい試合をするようになります。
勝っても負けても気持ちいい。
無論、後ろ向きな負け方、準備なしの無策の負けはとことん怒ります。がっとばします。
しかし、全力を尽くして負けたなら、負けても気持ちいいんです。
負けても、次にどうしたらいいかを考えると前向きな負け方。
勝っても、負けても前に進む。
この考えが「ミッションチャレンジ型のスポ少」につながっていきます。
勝ち負けの結果、ヒット三振の結果、
それよりも、どうやって自分の課題に向き合ったか?を重視する。
これが、子供たちの力を、段階的に伸ばしていく、最善の道だと私は思っています。
少しずつ、少しずつ成長していけばいいんです。
かつて、旭スポ少時代、秋の新人戦から、春の総体、夏の白獅子、秋の美里親善まで、一回も勝ったことがなかったチームがありました。
練習試合でさえも勝てない。
6年生がたったひとり、ナオヒロ世代。
端から見れば、暗黒時代。
しかし、キャプテンとして彼はやり抜いた。
負けて、負けて、負けまくっても彼はグランド立ち続けました。
何回もコールドで負けました。
負けて、1番怒られるのもキャプテンです。
それでも彼は最後まで、やり抜きました。
何が、彼をそこまでやらせたのか?
今となっては、本人に聞くしかありませんが、おそらく「意地」だったと私は思います。
たとえ何回負けてもやり通す。
何回も心が折れたでしょう。
しかしその都度また立ち上がる。
その意地。
そして、それを支えた保護者の皆さんもたいしたもんです。
そのころの私たちには、明るさがありました。
負けつづけて投げやりになるところですが、また明日があるさと前を向く。悲壮感がなかった。
負けた試合の中に、いいところを見ようとしていました
あの頃は勝っても負けても、焼き肉をやって反省会を親子でしていました。
勝ち負けも大事ですが、ソフトボール自体をみんなで楽しむ、そんな姿勢だったからこそ、一回も勝てなくても最後まで続けることができたんだと思います。
あの頃の保護者の皆さんには、
「監督!まだスポ少やってんかい?今年のチームはどうだい?」といまだに声をかけてもらってます。
ありがたい。
まだ、つながっていてくれます。
負け続けたキャプテン、ナオヒロは自分の好きな道を突き進み、水産系の仕事に就いています。
あの頃、私たちは負け続けていても、決して卑屈にならず、一点とったら、勝ちだ、ヒット一本打ったら焼き肉だとか、
逆境の中にあっても楽しむこと、しぶとさ、したたかさを学んだと思います。
勝てば万々歳のどんちゃん騒ぎ。
スポ少に限らず、勝ち続けることなんて、できないんです。ミスもするし、負けもします。
負けたとき、負けそうになるとき、その時どうするか?
ここにその人の生き方、本質がでてくると思います。
あたりちらすか、落ち込むか?
流れる時間は同じ。
であれば、その負けさえも楽しむ。次に活かす。ここがスポ少でサポートできるところです。
その命脈は間違いなく、あの時のキャプテン、ナオヒロの中に生きていると私は信じています。
そして、このカナト世代。
彼らの進む道も険しいことはわかっています。
何回も何回も地べたに顔を押さえつけられるでしょう。
しかし、あの時のナオヒロのように、折れた心を何回も何回も鍛え直して、立ち上がることを期待しています。
高田イーグルスが、竃門炭治郎と重なるんですよねえ。
そして、いつかみんなが心から笑顔になれる勝利をつかみ取って欲しいと思います。
さぁ、また明日からがんばっていきましょう!
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