時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
次男坊の中学野球が終わりました。
中学に入ったときは、同学年に野球部が少ないだろうと心配していましたが、結果的に人学年に9人も集まりました。
野球をやらないといっていたイーグルスOBも翻意して、野球部の門をくぐりました。
どこの中学も、若松の中学でさえも部員不足に悩まされている中、大健闘だと思います。
長男の時もそうでしたが、次男の時もいいメンバー、先生、保護者に恵まれました。
いい環境で野球ができる。いい環境で育つことができる。
植物も同じですね。
がちがちの勝利至上主義でもなく、だるだるのお気楽な部活でもない。
ちょうどいい塩梅の厳しさと楽しさがあったんだと私は思います。
中学校の野球はそれでいいと、むしろそれがいいと、私は思っています。
自分が将来どの方面に進んでいくのか?それをおぼろげながら模索している。
ぼわーっと、「俺は将来、何になる」という輪郭が見えつつある。
異性もいきりなり意識しはじめるでしょう。
小学校、中学校、高校、大学と大人になるまで、いろんな時代を過ごしてきますが、一番「何者」を意識する時代、それが中学校だと思います。
何者にもなることができる可能性が、中学時代にはあります。
だからこそ、面白い。
次男坊を見ていて、「あぁ~、楽しんでるなぁ」と思う時が多々あります。
兄貴の背中を追ってではないと思いますが、小学校時代からのソフトボールを継承すべく野球部に入りました。
ソフトボールの楽しさ、チームプレーの楽しさを理解したからこその、野球部という選択だったと思います。
長男の時は、「野球部以外なら、応援しない」というプレッシャーをかけてきましたが、次男の時はその心配はいらなかったようです。
ひょろっぽそく、筋肉量が少ない。
痩せているから、走力にたけているかと思えばそうでもない。
短距離も中距離も、長距離にも芽が出ない。
パワーもない。
とりたてて、秀でているものがない彼にとっては、野球というスポーツは向いていると思います。
足が速くて、パワーがあったほうがもちろん有利に働きますが、
足が遅くとも、パワーがなくても、ヒットを打てばいいんです。
技術介入の割合も大きい、これも野球の特徴だと思います。
打てばいい。
しかし、それも次男には遠い目標であったようです。
打てばいい、これが難しい。これこそ難しい。
センス、感覚といわれるものです。
長年スポ少という舞台で見てきていますが、やはり、センス、打撃感覚、守備感覚はあると思います。
ある程度は、努力でなんとかなりますが、その先となると越えがたい大きな壁がある。
センスがある者とないものとの差。
これを越えていくのは並大抵の努力ではなしえません。
次男坊、いいものはもっていると思いますが、なかなか実戦の場で結果としてでてくれません。
エラーもミスも、凡打も三振もたくさんしてきました。
本人も何回も落ち込んだと思います。
何回も怒られたところも見てきています。
指導者が厳しく叱ってくれるのは、それだけ彼のことを思ってくれているから、期待の裏返しだと私は思っています。
がしかし、たかだか15年しか生きてきていない彼にとっては、どう受け止めていいかわからなかった時もありました。
それでも、何回でも自分を奮い立たせることが、彼にはできます。
陰にこもらない。ここもいいところです。
何回も腐ったことでしょうが、立ち直りと心の整理が早いほうだと思います。
大きなエラーをしても、ちょっと落ち込んで、悔やんだとしても、またライトから大きな声が聞こえてくる。
これなんですよね。
私は、それで安心します。
そのきりかえの早さ。タフさ。
そこがタケゾウのいいところだと親の私は思っています。
今の時代、これからの時代にもとめられているもののひとつ、「こころのタフさ」というスキルが育っています。これも野球のおかげだと思っています。幾千の失敗が彼をカタナのように鍛えてくれた。
何かの記事で読みました。
ミスっても失敗しても、落ち込んだとしても、鬱にならずに立ち直るメンタルが強いといわれる人の特徴について。
そういう人は、ひとつの分野に固執するのではなく、いろんな分野に自分の居場所をもっていると。
思うに、自己肯定をする場所を複数もってるということでしょう。
ガラスのようにすぐに割れるのではなく、カーボンのようにいくつもの繊維で編み込まれているようなものだと理解しました。
失敗も多く、ミスもたくさんする。
へこたれるし、落ち込む。
しかし、不死鳥のように大きな声をだして、復活する。
次男坊はそういう男に育ってくれているようです。
この先、何回もそういう、やらかす場面にでくわすでしょう。
しかし、そうであっても、彼ならば立ち直ってくれると思います。
そして、失敗をした分だけ、同じ失敗をしてきた人の痛みがわかると思います。
親バカですが、彼は年寄りや小さい子に対する接し方がなっています。
100才にちかいひいばあさんにも優しい。
私が保護してきた捨て猫でさえも、私の次に彼になついています。いつも彼にぴったりくっついて寝ています。猫でさえも。
寄り添う。同じ目線に立とうとします。
ばあさんが出した料理がいつもと違う、茶色と黒ばっかりの料理であっても、とりあえ箸をつけます。
兄や妹がご飯を食べたらとっと自分の部屋にいく中、じいさまばあさまと最後まで話をしています。配慮があるんです。
たしかに野球はそんなに上手くはありませんが、そういう気づかいやコミュニケーションを野球から学んでいると思います。
ランナーが一塁にいるとき、彼はライト前ヒットを想定して、そうなった場合に、「三塁に投げるぞ!」とサードのタイセイに声をかけます。
状況を見て、事前にどうするかをシミュレーションして、それをあらかじめ仲間に伝えておく。
これは、将来、なんの仕事にいっても役に立つはずです。
野球を通して学んできたそういうことが、普段の生活に何気なく生きていると私は思っています。
そして、何より陽気で明るくあろうとする。
ものごとを楽しもうとする。
声もでかい、プラス思考で前向きな証拠です。
もう一回親バカですが、娘が嫁にいくとしたらこういう男のところに行ってほしいとさえ思います。
そんな彼が、おぼろげながら描いている将来の夢は「学校の先生」だそうです。
くしくも、私が中学の時にこころざしていた職業と同じです。
私も中学校の野球部の先生になりたかった・・・
息子も同じことを思っているかどうかはわかりませんが、その志は今後の彼を力強く押す推進力になってくれるはずです。
あんなに小さかったタケゾウですが、今はけっこう頼りにしています。
チャリンコで一時停止を無視して、車にひかれたこともありました。
生きていること、怪我の具合を確認してたいしたことがないことを確認した私が、おもいきりぶんなぐったことを彼は忘れないでしょう。
心配かけやがっての一撃でした。
ひいた人が止めに入ったほどでした。
下手したら死んでいました。
生きていてくれて、良かったとつくづく思います。
今でもときどき「車にひかれた息子をぶん殴る親がいるかね!」と彼はいいます。
次男坊も確実に成長している。
それを中学の野球が証明してくれています。
息子に限らず、高田中野球部もそうですが、野球をやっているすべての中学生が多かれ少なかれ、それを証明してくれています。
敵であったとしても、いいプレーには心を打たれますし、称賛に値します。
会津大会決勝の、酷暑の中、学鳳中学のエースピッチャーの投球とねばりは見事でした。
次男坊をはじめ、3年間の野球をつらぬいた野球少年たち。
野球をやってきた価値が十分あると思います。
この先に野球をやる、やらない、どちらにしろ、野球のDNAがきっちり組み込まれたと思います。
必ず、野球をやっていたことが、自分自身をすくってくれると思います。
彼らがそれを実感するのはまだまだ先の話です。
長男の時もそうでしたが、中学野球がひとつの区切りだと思います。
いい仲間に恵まれ、いい指導者にも恵まれました。
野球をやってくれて、良かったとつくづく思います。
部活を引退しても、彼の部屋にあるグローブは、相も変わらずきちんと磨かれています。
こういうところなんです。
わかってるな、と思わせてくれるところ。
野球という我々の共通言語を通して、わかり合えてるなと思います。
その次男坊も静かにバットを置きました。
3年間、よくがんばった。
その背中に、私はだまってお疲れさまといいます。
中学に入ったときは、同学年に野球部が少ないだろうと心配していましたが、結果的に人学年に9人も集まりました。
野球をやらないといっていたイーグルスOBも翻意して、野球部の門をくぐりました。
どこの中学も、若松の中学でさえも部員不足に悩まされている中、大健闘だと思います。
長男の時もそうでしたが、次男の時もいいメンバー、先生、保護者に恵まれました。
いい環境で野球ができる。いい環境で育つことができる。
植物も同じですね。
がちがちの勝利至上主義でもなく、だるだるのお気楽な部活でもない。
ちょうどいい塩梅の厳しさと楽しさがあったんだと私は思います。
中学校の野球はそれでいいと、むしろそれがいいと、私は思っています。
自分が将来どの方面に進んでいくのか?それをおぼろげながら模索している。
ぼわーっと、「俺は将来、何になる」という輪郭が見えつつある。
異性もいきりなり意識しはじめるでしょう。
小学校、中学校、高校、大学と大人になるまで、いろんな時代を過ごしてきますが、一番「何者」を意識する時代、それが中学校だと思います。
何者にもなることができる可能性が、中学時代にはあります。
だからこそ、面白い。
次男坊を見ていて、「あぁ~、楽しんでるなぁ」と思う時が多々あります。
兄貴の背中を追ってではないと思いますが、小学校時代からのソフトボールを継承すべく野球部に入りました。
ソフトボールの楽しさ、チームプレーの楽しさを理解したからこその、野球部という選択だったと思います。
長男の時は、「野球部以外なら、応援しない」というプレッシャーをかけてきましたが、次男の時はその心配はいらなかったようです。
ひょろっぽそく、筋肉量が少ない。
痩せているから、走力にたけているかと思えばそうでもない。
短距離も中距離も、長距離にも芽が出ない。
パワーもない。
とりたてて、秀でているものがない彼にとっては、野球というスポーツは向いていると思います。
足が速くて、パワーがあったほうがもちろん有利に働きますが、
足が遅くとも、パワーがなくても、ヒットを打てばいいんです。
技術介入の割合も大きい、これも野球の特徴だと思います。
打てばいい。
しかし、それも次男には遠い目標であったようです。
打てばいい、これが難しい。これこそ難しい。
センス、感覚といわれるものです。
長年スポ少という舞台で見てきていますが、やはり、センス、打撃感覚、守備感覚はあると思います。
ある程度は、努力でなんとかなりますが、その先となると越えがたい大きな壁がある。
センスがある者とないものとの差。
これを越えていくのは並大抵の努力ではなしえません。
次男坊、いいものはもっていると思いますが、なかなか実戦の場で結果としてでてくれません。
エラーもミスも、凡打も三振もたくさんしてきました。
本人も何回も落ち込んだと思います。
何回も怒られたところも見てきています。
指導者が厳しく叱ってくれるのは、それだけ彼のことを思ってくれているから、期待の裏返しだと私は思っています。
がしかし、たかだか15年しか生きてきていない彼にとっては、どう受け止めていいかわからなかった時もありました。
それでも、何回でも自分を奮い立たせることが、彼にはできます。
陰にこもらない。ここもいいところです。
何回も腐ったことでしょうが、立ち直りと心の整理が早いほうだと思います。
大きなエラーをしても、ちょっと落ち込んで、悔やんだとしても、またライトから大きな声が聞こえてくる。
これなんですよね。
私は、それで安心します。
そのきりかえの早さ。タフさ。
そこがタケゾウのいいところだと親の私は思っています。
今の時代、これからの時代にもとめられているもののひとつ、「こころのタフさ」というスキルが育っています。これも野球のおかげだと思っています。幾千の失敗が彼をカタナのように鍛えてくれた。
何かの記事で読みました。
ミスっても失敗しても、落ち込んだとしても、鬱にならずに立ち直るメンタルが強いといわれる人の特徴について。
そういう人は、ひとつの分野に固執するのではなく、いろんな分野に自分の居場所をもっていると。
思うに、自己肯定をする場所を複数もってるということでしょう。
ガラスのようにすぐに割れるのではなく、カーボンのようにいくつもの繊維で編み込まれているようなものだと理解しました。
失敗も多く、ミスもたくさんする。
へこたれるし、落ち込む。
しかし、不死鳥のように大きな声をだして、復活する。
次男坊はそういう男に育ってくれているようです。
この先、何回もそういう、やらかす場面にでくわすでしょう。
しかし、そうであっても、彼ならば立ち直ってくれると思います。
そして、失敗をした分だけ、同じ失敗をしてきた人の痛みがわかると思います。
親バカですが、彼は年寄りや小さい子に対する接し方がなっています。
100才にちかいひいばあさんにも優しい。
私が保護してきた捨て猫でさえも、私の次に彼になついています。いつも彼にぴったりくっついて寝ています。猫でさえも。
寄り添う。同じ目線に立とうとします。
ばあさんが出した料理がいつもと違う、茶色と黒ばっかりの料理であっても、とりあえ箸をつけます。
兄や妹がご飯を食べたらとっと自分の部屋にいく中、じいさまばあさまと最後まで話をしています。配慮があるんです。
たしかに野球はそんなに上手くはありませんが、そういう気づかいやコミュニケーションを野球から学んでいると思います。
ランナーが一塁にいるとき、彼はライト前ヒットを想定して、そうなった場合に、「三塁に投げるぞ!」とサードのタイセイに声をかけます。
状況を見て、事前にどうするかをシミュレーションして、それをあらかじめ仲間に伝えておく。
これは、将来、なんの仕事にいっても役に立つはずです。
野球を通して学んできたそういうことが、普段の生活に何気なく生きていると私は思っています。
そして、何より陽気で明るくあろうとする。
ものごとを楽しもうとする。
声もでかい、プラス思考で前向きな証拠です。
もう一回親バカですが、娘が嫁にいくとしたらこういう男のところに行ってほしいとさえ思います。
そんな彼が、おぼろげながら描いている将来の夢は「学校の先生」だそうです。
くしくも、私が中学の時にこころざしていた職業と同じです。
私も中学校の野球部の先生になりたかった・・・
息子も同じことを思っているかどうかはわかりませんが、その志は今後の彼を力強く押す推進力になってくれるはずです。
あんなに小さかったタケゾウですが、今はけっこう頼りにしています。
チャリンコで一時停止を無視して、車にひかれたこともありました。
生きていること、怪我の具合を確認してたいしたことがないことを確認した私が、おもいきりぶんなぐったことを彼は忘れないでしょう。
心配かけやがっての一撃でした。
ひいた人が止めに入ったほどでした。
下手したら死んでいました。
生きていてくれて、良かったとつくづく思います。
今でもときどき「車にひかれた息子をぶん殴る親がいるかね!」と彼はいいます。
次男坊も確実に成長している。
それを中学の野球が証明してくれています。
息子に限らず、高田中野球部もそうですが、野球をやっているすべての中学生が多かれ少なかれ、それを証明してくれています。
敵であったとしても、いいプレーには心を打たれますし、称賛に値します。
会津大会決勝の、酷暑の中、学鳳中学のエースピッチャーの投球とねばりは見事でした。
次男坊をはじめ、3年間の野球をつらぬいた野球少年たち。
野球をやってきた価値が十分あると思います。
この先に野球をやる、やらない、どちらにしろ、野球のDNAがきっちり組み込まれたと思います。
必ず、野球をやっていたことが、自分自身をすくってくれると思います。
彼らがそれを実感するのはまだまだ先の話です。
長男の時もそうでしたが、中学野球がひとつの区切りだと思います。
いい仲間に恵まれ、いい指導者にも恵まれました。
野球をやってくれて、良かったとつくづく思います。
部活を引退しても、彼の部屋にあるグローブは、相も変わらずきちんと磨かれています。
こういうところなんです。
わかってるな、と思わせてくれるところ。
野球という我々の共通言語を通して、わかり合えてるなと思います。
その次男坊も静かにバットを置きました。
3年間、よくがんばった。
その背中に、私はだまってお疲れさまといいます。
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