時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
野球をやる意味っていうのを考えさせられました。人によって見方はちがうもの。そういう見方もあるんだなあと思う一方で、そんな風には俺は思わない、野球は上手くやるだけではない。
下手クソでもやる意味はあると強く思いました。
高田中野球部、新人戦両沼予選がありました。
代表決定戦に息子は出ていました。
それを見に、祖母が応援に来ていた。
そして、息子は大事なところでエラーをしたようです。そして、全く打てない。
私は、例によってスポ少で白河に遠征して、息子たちの試合を見れませんでした。
家に帰ってきて、
「あんなみじめな想いをさせるなら、野球などやめさせてしまえ!」
と、ばあさんなりに息巻いてがっかりしているようでした。
ん!待てよ!応援にきてくれんのはありがたいけど、この人は、孫のこと、野球のこと、スポーツのことわかってないな、と思いました。
人にどう思われるかという表面のことしか見ていない。
他人の評価を気にするというのも必要でしょうが、息子たちが野球をやる理由はそれだけではありません。
息子は、ただ単純に野球が面白いから野球をやっているんです。
エラーして、打てなくて、負けそうになる原因になったとしてもそこもひっくるめての野球なんです。
最大限の努力をして、そのうえのエラーならば次は、どうすればミスをしないかを考える。
毎日の苦しい練習、それを仲間と一緒に乗り越えていく連帯感。
何点差が開こうが、決してあきらめない粘り強さ。
そして、いろんな苦難困難を乗り越えて、数パーセントの可能性を仲間と一緒に連鎖させていく。
キセキを繋いでいく達成感。
それが野球の楽しさです。
挫折と失敗と成功が交ざっている。
たいていの人は失敗の方が多いモノです。
その中で、人は成長していくもんだと私は、思っています。
それが分からないのか、分かっていながらそういっているのか?
レギュラーになれないなら、野球なんかやらせるな、高校行ったら野球はやらせるな、なんても言っていました。
そうじゃない。
この人は、昔の俺のようになるなといってんのかな、とも思いました。
私も高校時代はレギュラーではありませんでした。
そうであっても違うだろう、かあちゃん。
その言葉はないぜ。
レギュラーになれなくても、野球をやり続けた私を支えてきた人だとは思えない言葉でした。
そうであっても、それもまた母心、ばあさん心なんでしょうかね。惨めな思いをさせたくないという。
でもそれはまちがっている。
惨めな失敗を何回も繰り返して、しなやかに強くなっていくんです。
成功をし続けるというのは不可能でしょう。
生きていくことはそういう、失敗や惨めなことにもたくさん出会うということです。
事前に危機を回避するということもあってもいいでしょう。
ミスるかもしれない、惨めな思いをするかもしれないからといって、その都度、逃げるようになっていいのか?
私は、あえて立ち向かっていく人間が好きです。
ひさびさに親子で熱い言い合いになりました。
どちらが正しいということはないでしょう。
私の願望ながら、息子にはいろんな失敗、逆境を経験しながら、周りから惨めだと思われても、自分のやるべきことを前向きにやり続ける人間になって欲しいと思います。
人の子供ばかり教えないで、我が子をしっかり見ろという嫁さんからのきついけど核心をついた言葉もいただきました。
険悪な空気が流れましたが、息子が立ち直って、今度の試合に向けて、またバットを振り始めたことが家族全員の救いとなりました。
この先、高校にいけばますます実力主義になってきます。
年齢に関係なく上手い奴がレギュラーになる。
それが勝負事です。
たとえレギュラーになれなくても、その中でいかにして自分の役割を見つけてチームに貢献していくか?
息子はまさに今それを野球を通して学んでいます。
野球をやらなければ、こういうぶつかり合いもないでしょう。野球が家族の絆を強めてくれていると思います。
我が家の雨降って地固まるでした。
下手クソでもやる意味はあると強く思いました。
高田中野球部、新人戦両沼予選がありました。
代表決定戦に息子は出ていました。
それを見に、祖母が応援に来ていた。
そして、息子は大事なところでエラーをしたようです。そして、全く打てない。
私は、例によってスポ少で白河に遠征して、息子たちの試合を見れませんでした。
家に帰ってきて、
「あんなみじめな想いをさせるなら、野球などやめさせてしまえ!」
と、ばあさんなりに息巻いてがっかりしているようでした。
ん!待てよ!応援にきてくれんのはありがたいけど、この人は、孫のこと、野球のこと、スポーツのことわかってないな、と思いました。
人にどう思われるかという表面のことしか見ていない。
他人の評価を気にするというのも必要でしょうが、息子たちが野球をやる理由はそれだけではありません。
息子は、ただ単純に野球が面白いから野球をやっているんです。
エラーして、打てなくて、負けそうになる原因になったとしてもそこもひっくるめての野球なんです。
最大限の努力をして、そのうえのエラーならば次は、どうすればミスをしないかを考える。
毎日の苦しい練習、それを仲間と一緒に乗り越えていく連帯感。
何点差が開こうが、決してあきらめない粘り強さ。
そして、いろんな苦難困難を乗り越えて、数パーセントの可能性を仲間と一緒に連鎖させていく。
キセキを繋いでいく達成感。
それが野球の楽しさです。
挫折と失敗と成功が交ざっている。
たいていの人は失敗の方が多いモノです。
その中で、人は成長していくもんだと私は、思っています。
それが分からないのか、分かっていながらそういっているのか?
レギュラーになれないなら、野球なんかやらせるな、高校行ったら野球はやらせるな、なんても言っていました。
そうじゃない。
この人は、昔の俺のようになるなといってんのかな、とも思いました。
私も高校時代はレギュラーではありませんでした。
そうであっても違うだろう、かあちゃん。
その言葉はないぜ。
レギュラーになれなくても、野球をやり続けた私を支えてきた人だとは思えない言葉でした。
そうであっても、それもまた母心、ばあさん心なんでしょうかね。惨めな思いをさせたくないという。
でもそれはまちがっている。
惨めな失敗を何回も繰り返して、しなやかに強くなっていくんです。
成功をし続けるというのは不可能でしょう。
生きていくことはそういう、失敗や惨めなことにもたくさん出会うということです。
事前に危機を回避するということもあってもいいでしょう。
ミスるかもしれない、惨めな思いをするかもしれないからといって、その都度、逃げるようになっていいのか?
私は、あえて立ち向かっていく人間が好きです。
ひさびさに親子で熱い言い合いになりました。
どちらが正しいということはないでしょう。
私の願望ながら、息子にはいろんな失敗、逆境を経験しながら、周りから惨めだと思われても、自分のやるべきことを前向きにやり続ける人間になって欲しいと思います。
人の子供ばかり教えないで、我が子をしっかり見ろという嫁さんからのきついけど核心をついた言葉もいただきました。
険悪な空気が流れましたが、息子が立ち直って、今度の試合に向けて、またバットを振り始めたことが家族全員の救いとなりました。
この先、高校にいけばますます実力主義になってきます。
年齢に関係なく上手い奴がレギュラーになる。
それが勝負事です。
たとえレギュラーになれなくても、その中でいかにして自分の役割を見つけてチームに貢献していくか?
息子はまさに今それを野球を通して学んでいます。
野球をやらなければ、こういうぶつかり合いもないでしょう。野球が家族の絆を強めてくれていると思います。
我が家の雨降って地固まるでした。
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