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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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伊佐須美神社あやめ祭り大会、本大会3連勝での優勝、その最大の要因は、エース、ミソラの安定したストライク率です。
そして、それを支えるキャッチャー、トウマのキャッチング、フレーミング。
この2人のバッテリーが安定してきたことが、チームにも安定をもたらしました。
守備でリズムを作ることができる。
こういうチーム、大好きです。
ファミスタでも、豪快なチームは選びません。
だって、ほとんど三振に討ちとり、内外野に守備機会がありませんでした。
私が1番いいなと思ったのは、四球の少なさです。
安定してきたと言っても、まだ狙ったところに標準があっているわけではありません。
上に行くためには、もっとコントロールの精度が必要でしょうが、今は良い具合に散らばってくれています。
またまだ精度はいまいち、なのでボールが先行してスリーボールまでいくことが何度もありました。
それでもミソラなりに奮起するんでしょうね。
スリーボール、ノーストライクから、何とか2つ入れて、フルカウントまで持ち込む。
ここが、いままではできなかったことです。
そして、最後は三振か、凡打に討ちとる。
これができるようになったんですよね~

マウンドにミソラの白い歯があふれます。
それでいいんです。
人は笑顔の方が断然強い!
それは、科学的にも証明されています。
そしてなにより、見ていて気持ちいい!
みんなを巻き込んでドヨーンとめそめそ泣くよりも、ピンチになってもキリッとした笑顔で立ち向かう。
人はそちらの方に引きつけられると思います。
これをいうと、金足農業を思い出します。
前評判はいつも相手の方が上、試合でも押され気味な展開が多かった。
しかし、彼らは、気持ちいいまでの笑顔、チームワーク。
最後の大阪桐蔭を相手に一方的な展開になっても、彼らの笑顔は止みませんでした。
我々の目指すところは、ここなんじゃないでしょうか?
どんなに強い敵であっても、どんなに攻め込まれて劣勢になったとしても、最後まで諦めず、自分を信じて、仲間を信じて、笑顔になれるかどうか?
絶望的な展開になっても、自分たちのやるべき事に対して、投げやりにならずに、真剣に、真摯に、謙虚に取り組めるか?
多くの人は、ここでこらえきれず、泣いてしまうでしょう。
それでもいい。
しかし、その状況で、そんなボロボロの状況であっても、「笑顔」になれるという、心の強さ。
この笑顔は、一旦、絶望を乗り越えています。
1回は、下を見ている。1回じゃきかないくらい、下を見ている。
その上で、もう一回頑張ろうと覚悟した強さ、その「笑顔」です。
甲子園は、そういう笑顔を幾度も見せてくれます。
その笑顔に何回も励まされて、感動をもらいます。
スポ少でも、何回も見ていますし、実際に経験もしています。
それを乗り越えての、笑顔。
これは、強い!
この笑顔、去年のユナとシュンペイのバッテリーも終盤に度々見せていました。
今年のミソラとトウマのバッテリーにも、少しずつ、出てきています。
たくさんのピンチを乗り越えてきたことでしょう。そして、この先、それ以上のたくさんのピンチが待ち受けています。
しかし、それこそ楽しみ。
1個ずつ、少しずつ、乗り越えていく様をまじまじと見ることができます。

「さぁ、ここにこい!全部俺が止める!」
「全力で行くよ!」
ピンチであっても、実際、話していないのに、聞こえてくる会話。
ユナとシュンペイのバッテリーがそうであったように、今年のミソラとトウマにも少しずつ、聞こえない会話が聞こえてきます。

「もう!頭にくる!入ってるのに、ストライクとってくれないんだもん!」
「まぁ、がんばれ!とりあえず、止めるわ!」
今のミソラとトウマは、こんなところでしょうか?

二人の成長は、もちろん家族やコーチ陣との練習に支えられいると思います。
毎週金曜のバッテリー特化の練習。
これに快く賛同してくれたコーチと、選手を送り出してくれるご家族。
こういうのを栄養に、彼らは育っていくんです。
毎日毎日の少しずつの積み重ね。
それが開花していくところを見るのは、やはりいい。
涙腺を槍でつついてくれます。

ただ、まだまだ彼らは伸びることでしょう。
まだまだ道半ば。
選手と保護者、指導者全員がうれし涙にあふれる日まで、これからも積み重ねを続けていきます。
ミソラの白い歯、かっこいい!




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直近のこの話をしましょう。
高田イーグルス、見事優勝しました!
なんの大会かというと、今年初めての主催大会として、あらたな取り組み、伊佐須美神社あやめ祭り大会、3連勝で優勝を納めました。

この大会の趣旨は、参加チームが全て3試合を消化できること、それと教育リーグを作り、ソフトボール初心者を含めて全員が試合にでることができること、この2つを大きく挙げました。
これは、勝つことだけではなく、本来のソフトボールの楽しさを追求しつつも、同じレベルの相手と決勝戦を行うことで、ギリギリ勝負の面白さも追いもとめる、どっちもいいとこ取りしようという目論見です。
ですから、トーナメント戦のように多くのチームを呼ぶことはできませんが、会津選抜の5チーム、高田イーグルスのBチームを入れて、合計6チームがちょうど良いという判断です。
こういう大会があってもいいなぁと、私は常々思っていたんです。
それが、会津選抜の5チームの監督さんたちのご理解を得て、今回、実現することができました。ありがとうございました。
参加チームのみなさま、高田イーグルスをはじめ、他のチームの保護者のみなさまのご協力、大変ありがとうございました。

そして、この大会に高田イーグルスなりのアレンジを加えます。
ひとつは、伊佐須美神社へ、白獅子大会へ向けての必勝祈願。
もうひとつは、各チームのスラッガーを集めたホームラン競争。
小さい大会ながらも、高田イーグルスでしかできない、他とは違った面白さを加えましょう。
狐うち温泉大会のホームラン饅頭なんかもあっても良かったかもしれません。
単にソフトボールだけではない、何かがあってもいい。
私は、観光振興、地域振興の観点からももっとスポ少の大会を活用していけばいいと思っています。
またその話はいずれ。

さて、伊佐須美神社、選手全員の必勝祈願。
朝早い神社はすいていていいです。選手保護者総勢100名ぐらい入っても大丈夫。
神社の境内に、色とりどりのユニフォームの選手が整列する様は、かっこいい!
そして、大勢の選手を前にして、各チームのキャプテンが、白獅子杯に向けた決意表明をめいめいに語る。「精いっぱい頑張る!」「県大会をめざす!」。
おのおのの決意を胸に、伊佐須美神社に二礼二拍手一礼の参拝。
朝方の境内に、100人の拍手が響き渡ります。
これがやりたかった。やりたかったんです。
神さまに手を合わせる機会、そうそうないでしょう。
私は特に熱心な信者というわけではありませんが、グランドの礼をするなど、いたるところに神様はいると思っています。
グランドの神様、野球の神様、ソフトボールの神様。
信じる、信じないは別として、そういった概念を否定せず、身近なものとして信じたほうが面白いと思っています。
今日の試合も、何回か、神様にお願いしました。
ユウシンがリリーフで登場し、3ボール2ストライクとなったあの場面です。
拝まずにはいられなかった。
神様頼みます。どうか、ストライクを!と。
ユウシンに自信をつけさせてください!と。
都合のいい時ばかり、拝みますが、それは許してください。
何かにすがる、カイジはそうなったら終わりだといいます。
結果は変わらないかもしれませんが、人なんてそんなもんでしょう。
祈らずにはいられない。
もし、思い通りになっても、ならなくても、神様を恨むことはないでしょう。
そんな私が1番拝んできたのは、野球の神様だと思います。
神様繫がりという意味では、伊佐須美神社も親戚ですよ、もう。
必勝祈願なんて、意味はないかもしれない。
しかし、この会津選抜の5チームで、小学校の頃に、みんなでお参りに行ったという思い出は残るかもしれない。
これが、やりたかったんです。

もうひとつは、ホームラン競争。
メジャーリーグの大谷さんがやってたやつ。
その昔、高田スポ少時代にやってた大会で、やってました。
主催大会があれば、これもぜひともやってみたかった。
その大会の結果はあまり覚えていませんが、いろんなチームのスラッガーが一堂に会して、ただただホームランを打ちまくる。
シンプルでいいじゃないですか!
あのきれいな放物線を何発も打ち込むスラッガーは、やはりすごい。
見事な弧を青空に描くのをみているだけで、敵味方関係なく、応援してしまいます。
あの時間は、敵であっても褒め称えたいと思える、貴重な時間となったことでしょう。
やばいスラッガーの名前も覚えることができました。
これも面白かった。

小さい大会ながらも、戦うだけではなく、アイデア次第で一層、子供たちのこころに残る大会になる。私はそう確信しています。

大会や試合をするのは、相手チームがあってからこそ。ただ、倒すだけの相手ではないんです。
試合は一緒に作るもの。いい試合をするのには、いい対戦相手に恵まれなければなりません。
これは、近年つくづく思います。
そういう意味で、この会津選抜の5チームは、素晴らしい対戦相手です。
実力が伯仲しているというのが、でかい。
強すぎす、弱すぎず。ちょうど良い相手、しかも、総体で負けたチームにリベンジできる、チャンス!

伊佐須美神社あやめ祭り大会。開幕です!



今年の総体の事を書きましょう。
小学生のソフトボーラーにとっては、毎年2つの大きな大会があります。
その最たるもの、Road to 全国大会の総体、そして、夏の甲子園(全国までありませんが)にあたるのが白獅子。
今年の総体はというと……
結果から言えば、磐梯さんを前に1回戦敗退でした。
しかも、最終回までにリードしていながら、サヨナラ負けを喫する。
なんとも後味が悪い結末となりました。

負けた原因はいくつかあります。
不安定要素がいくつも、次から次へと出てくる。
それが、同時多発におきると手の施しようがなくなります。
バッテリーの不安定さ、守備の不安定さ、打撃走塁の不安定さ……
そしてそれら全ての根底にある情緒の不安定さ。
使い古された言葉ですが、気持ちの持ちようです。
気持ちの強さを持ち出すと、昭和のスパルタ教育みたいに聞こえますが、あながち嘘ではありません。
気持ちだけでは、上手くいくはずがない。
でも、気持ちがなければ、もっと上手くいくはずがないんです。
人を動かす、原動力、基礎となるもの。
それは、やはり気持ちなんだと思います。

彼等の声に出さない狼狽ぶりが見て取れる。
あたふたあたふた。
混乱に陥った集団が組織的に戦えるはずがありません。
それは、私だけでなく、コーチも保護者も思ったことでしょう。
ヤバイやばいと思って守るよりは、
これしかできないけど、大丈夫、これならできると少しでも自信をもって準備するほうがいいに決まってます。
それが、気持ちのいうもの。
この気持ちというのは、伝染病みたいなもので、プラスにもマイナスにも働きます。
あーこれはやべぇ、やられるわぁと1人が思うと、あっという間チーム全体に伝染してしまいます。
やっかいなことに、マイナスの方がうつりが早くて強力です。
それに比べて、プラスの方は、なかなか伝染しないというジレンマ。
ここが、野球を難しくさせるし、面白くもさせているところだと思います。
人と人との信頼関係に似ています。
信頼を積み上げていくのは、一朝一夕にはいかない。たけどその反対に信頼を壊すのは一瞬でできてしまう。
ソフトボールはそれを地でいきます。

それが今の高田イーグルスには、できなかった。
負けの原因はひと言でいえば、これです。
チームとしてまだぜんぜん機能していない。
よくもまぁワンヒットで、最終回までリードする展開になったなあと不思議に思います。
相手のミスにも助けられました。
相手の磐梯さんのバッテリーもまだまだ仕上がっていません。
これが仕上がってきたらば、今の高田イーグルスでまともに打てる奴がいるかどうか?
シーズンの後になればなるほど、強敵になるでしょう。その予感がします。
現時点では、相手もつけいる隙があり、そこを突かせてもらいました。

それでも、こちらも穴だらけなので、なんとか少ないリードで逃げ切りを図りましたが、そうはいかなかった。

最終回に詰めの甘さ、隙を見せた上に、あたふたを修正できずに、リードを守れなかった。
大事な場面、先頭バッターにファーボールはだめです。
ランナーを出すことで、野手の選択肢が増えます。捕ってファーストに投げるだけでは済まなくなる。
バントも警戒しなくてはならないし、盗塁もある。
ゴロならば、どうする?ライナーならば?
カバーは?
この思考の分散こそ、エラーの原因です。
状況をみて、瞬時に判断がつかなくなる。
そうすると、人はパニックになりやすい。
そのパニックの先にまっているものは、エラーという名の大惨事。
今年の高田イーグルスは、まさにこれ。
そして、当たり前にアウトを取らなければならないところで、アウトがとれないと、チーム全体がパニックに陥る。
総体で磐梯さんに負けた原因はここです。
最後の回まで勝っているという心理的アドバンテージを維持できなかった。
あの場面、最終回で先頭バッターを討ちとっていれば……
セカンドの後逸が無ければ……
もっと、いい場面で打てていれば……
ほかにも、あの時こうしていれば……というところがたくさんありました。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。
で、あれば次のためにどうするか?


……していれば……(こうなっていなかった)、これを改善していくほかにありません。
コーチがいいました。
伸びしろしかない。
そのとおりです。
改善点がたくさんあるというのは、伸びていく点がたくさんある=まだまだ強くなれる、と言うことです。
そして、こうも言ってました。
試合中に、反省してないか?落ち込んでないか?
反省は試合の後、気持ちの切り替えができていたか?

ここも、そう。試合中に落ち込んでも何もいいことはありません。
そんな暇があったら、次のための準備をした方がなんぼかましです。
マイナス思考は何も生み出さない。
で、あればその時は間違っていたとしても、そのまま突き通した方がいい。
私もそう思います。
だめだったプレーを引きずってしまう。
そして、次のエラーを生むというデフレスパイラル。そして、それが連鎖していくという悪循環。
対処法がわからないというのが、正直なところですが、そんなことは言ってられません。
あれもこれもはできない。
であれば、目の前のワンプレーに集中するしかないんです。
小難しいことはいいから、目の前のボールを思い切り打つ、アウトをファーストで1個ずつ取る。
今の君たちは、シンプルに考えるしかない。
それが、できていたかということですが、できていたとは言えない。
ここが、まだココロノ、モチカタの弱いところです。
でも、今は弱くていいんです。
その弱さを認めて、前に進んでいこうと、我々指導者は言っているんです。
その上での、伸びしろしかない、なんです。
君たちは、まだまだ強くなる余地がある!
プラス思考でいきましょう。

試合後、勝っていたにも関わらず、最後は逆転負けを喫したエース、ミソラ。
名前の通り、晴れ渡ってはいませんでした。
土砂降りで、目が真っ赤っか。
ほんと、よく泣く奴です。
昨年のユナはぐっとこらえるような泣き方でしたが、今年のミソラはどよーんとみんなを巻き込みながら沈んでいく泣き方。ミソラがなくと、チームも沈んでいきます。
これが今年のチームなんですよね。
弱さに歯止めがきかない。
しかし、今は泣きたいときは泣けばいい。
泣け泣け、泣いて泣いて泣きまくればいいんです。
いつか涙も涸れ果てるでしょう。
なんで、泣いてんだろう、その「なんで」に気づいたときが、心のダムを深く掘るときです。
キャパを広く、深くするとき、そうすると容量がでかくなるので、中々泣かなくなります。

総体の直接的な原因は、大事なところを守れなかった、守り切れなかったことです。
ツーアウトからのエラーが多かった。それが、ことごとく失点に絡む。
そして、何よりチームとして、全員が戦う集団になっていないこと。
ワンアウト、一塁など場面場面で、1人1人が、チームとして同じビジョンを共有できない。
これはチームとして致命的です。
組織として、攻撃も守備もベンチワークもまだまだできていません。
それでもそんな中、たった1安打で、確か6点をもぎ取った。
しかし、その得点差を維持できなかった。
それが、今の高田イーグルスです。
ここまでの強さと弱さ。
ここを受け止めて、前に進むしかありません。

我々指導者は、楽しみでしかありません。
一進一退といいながら、我々の一歩はかなり大きい。
北極点まで、いけてしまいそうです。

さぁ、いくとこまでいってみましょう!









次男防が高校で野球を選びました。
長男は野球を選びませんでした。
だからというわけではありませんが、なんとなくうれしい。
いや、かなりうれしい。
小学校、中学校が統廃合になり、校歌も新しくなりました。
新しい校歌はなんかしっくりきませんでした。
高校にきて、やっと同じ校歌を歌うことができます。
しかも、スタジアムで。
まだ、勝っていませんので歌ったことはありませんが……
我々の時代は地区大会では、校歌は歌いませんでした。
それこそ、甲子園でしか歌えない。
気の遠くなるような遥か先の頂でした。
それでも、その頂に至った時のために、練習が終わった後に、全員でダイヤモンドに丸くなって歌いました。
最初はキャプテンのソロで、はじまります。
それは今でも鮮明に覚えています。
近所迷惑だったでしょうが、疲れも忘れて全力で歌いました。
薄暗くなるグランド。
近所から漂ってくる夕ご飯のにおい。
おそらく人生の1番動ける時に、仲間と一緒に白球を追いかけていた。
あれは気持ち良かったなぁ。
1番気持ちのいい校歌は、高校時代の校歌です。

そして、今、次男も同じグランドで、同じ外野手として、白球を追いかけています。
高校の校舎がビックモンスターのように聳え立つライトに、私がかつていたようにいるんです。
次男坊がいうには、部室とどっかに私の名前が壁に刻まれていたそうです。
息子もまた同じ道を通っている。
小学校や中学校ではそんなことを思いませんでしたが、次男坊が高校野球をやり始めてから、特にそう感じます。
だいぶ変わってしまっていますが、30年たっていても、変わらないところがたくさんあります。
部室の風景、ベンチ、バッティングゲージ、後ろが弓道場・・・
一生のうちであれほど、1つのことに一生懸命になったことはありません。
あるとすれば、今のスポ少でしょうかね。
だからこそ、深いところに刻まれている。
その風景に、息子がいるんです。
これは、野球の神様に感謝しなくてはいけません。
そして、そんな子を産んでくれた嫁さんにも。
なにより、次男坊に感謝しなくてはいけません。

次男坊は、私が見ても、決して野球が上手いとは言えません。むしろ、下手くそな部類だといっていい。大きくないし、線も細い。
指導者の目で言えば、大事な時にエラーをしたり、チャンスで打てないタイプです。
次男坊は、自分よりも上手い奴を、ごまんと見てきたはずです。
だいたいは自分の才能に見切りをつけて、この先芽が出ずに、つらい思いをするくらいなら、野球をやめる・・・それを選ぶのが大半。
坊主にしてまで、つらい思いをしてまで、野球はやらない。
それでも、高校野球を選びました。
なぜなんでしょうね。
いろいろ推測はできますが、彼にしか分からない理由があるはずです。
ここで、昨日のカナトの話が浮かんできます。
楽しい野球がしたいというカナト。
野球を続けるという意味をどこに見いだすか?
根幹には、まじりっけなしに、楽しいと思える何かがないと続かないと私は思います。
楽しいから、いろんな事にも耐えられるし、バネにできる。
ただ、楽しいだけでは続かない。
楽しさの奥にある、本当の面白さ、これに気づいてしまうと、もう虜でしょう。
ひるがえって次男坊、彼もまた、野球の本当の面白さを追求する、求道者となりました。
小学校、中学校で、少しはその本質を垣間見たかもしれません。
しかし、高校野球までやらないと、野球の本当の面白さは分からないと思います。
チームスポーツの王道。
私も最後までやって、良かったと今でもつくづくそう思います。
彼はいま、その道を歩んでいる。
そこに昔の自分たちも重ねてしまいます。

職場の先輩に言わせれば、それはとんでもなく、幸せなことだといいます。
スポーツ離れ、子離れ、親離れしていく中、高校になっても、親が応援できるというのは、幸せなことなんです。
私もつくづくそう思います。
一緒に応援する高校野球部の保護者の皆さんともそういう話をします。
「三連休が全て野球になったとしても、こんな幸せなことはない。」その人は嬉々として言います。
泥で真っ黒になったユニフォームをたわしでこすりながら、彼も嬉々として洗ってるんだろうなぁと同じ境遇を楽しみます。

親への義理でできるほど、肉体的にも精神的にも、高校野球は甘くはありません。
次男坊が自分で選んだ道。
彼は、いつか学校の先生になって、野球を教えたい、そんな風な事を言っていました。
ここも私と同じなんですよね~。
好きな科目を教えて、好きな野球を教えることで飯が食えるのは先生しかない。
ヤンウェンリー的発想も同じ。
私は先生にはなれませんでしたが、こうしてスポ少の指導者を続けられています。
今思うと先生にならなくて良かった。
先生だったら、こんなに自由にソフトボールや野球に携われなかったと思います。
ここにも塞翁が馬。

ともあれ、次男坊にとっての高校野球は始まったばかりです。
彼も野球が上手くないことは、自分も分かっているでしょう。
であれば、どうするか? 
自分の弱さと強みに向き合う時です。
小学生や中学校の時のように、温情や配慮では試合に出ることもかなわない、本当の勝負の世界。
自分が、チームにどれだけ貢献できるかという居場所をさがす旅。

後顧の憂いなく、思い切り打ち込めることの素晴らしさを味合うがいい。
かつての私がそうであったように、家族の支えを受けながら、全力でやったらいいんです。
今になって、支えてきた親のありがたさがよく分かります。

今年の夏は3年生に頑張ってもらいましょう。
なんと言っても、激闘また激闘の連続のタカヤ世代の最後の夏。
野球をやっているのはタカヤひとりとなりました。
そのタカヤ主将のもと、最後の夏はすぐそこまでやってきています。
少し前に今年の目標を決めるとき、
選手たちにどんなソフトボールを目指すかという問いをしました。
例年であれば、「県大会にいきたい!」「大会で優勝したい!」、そんなような事がでてきます。
ちなみに、去年のレン世代はと言えば、「ちゃんとキャッチボールをやる」でした。
まぁ、らしいと言えばらしい。
しかし、ぜんぜん子供らしくない。野望のない答えでした。だからと言って悪いわけではありません。
その裏には、基本に忠実でありたいというレンなりの野望があったんだと思います。

そして、今年のカナト世代。
キャプテンである、カナトは、「楽しくやりたい……」と言いました。

カナトがそういう前に前置きがありました。
コーチ陣は、今年の目標を決めるために、選手たちの気持ちを確認したいということで、
勝ち負けにこだわってやるか?
そこにこだわらず楽しくやるか?
どっちだというように選択肢を2つ用意したと記憶しています。
いろいろ、みんなに聞いていって、最後にカナトだったと思います。
「楽しくやりたい!」
その前には、勝ち負けにこだわらず、というカナトの枕詞が入ると私は理解しました。
我々コーチ陣は、ズコッとずっこけます……
……が、しかしそれがいまのところのカナトの本音なのでしょう。

我々、指導者の思惑とは異なりました。
普通であれば、県大会、優勝と来るだろうとふんでいたのに・・・

んーと思案したあげく、そういう意見もあるけど、楽しいだけではだめだ、楽しいとふざけるでは違う、本当の楽しさは苦しい練習を耐えた後にあるみたいなことを言って、その場を納得させたように記憶しています。

しかし、私の中にずっと小骨のように、カナトの言葉が突き刺さっています。
そして、今年の選手の戦いっぷり、甲子園で見てきた高校野球、いろんなところから入ってくる情報から、今の時代、カナトのいう勝ち負けにこだわらない楽しい、和気あいあいとしたソフトボール、それもありなんじゃないだろうか?と思い始めています。

昨今の野球離れのひとつの要因として、競技としての野球を追い求める傾向、そしてそれを奨励しているマスコミや世の中の風潮があると思います。
いろんなものを犠牲にしたり、敗者を美談するなど、我々もそれを求めています。
上手い下手、勝ち負けにこだわるあまり、大事なことを見落としている。
カナトの正直な、大人に忖度しない言葉は、私をはっと、立ち止まらせてくれました。
世の中は、多角的で多面的、表があれば裏がある、そして立場によっては、表も裏もない。
正直な意見、心の中に思うことは誰にも止められません。
和気あいあいと、仲間と楽しくやるソフトボールがあってもいい。
私もそう思います。世の中に一定数、その考えの人はいると思います。

しかし、立ち止まった私は再び動き始めます。考え始めます。
楽しさを求めることはわかる、しかし、本当にそれだけでいいのかと、そこで止まっていていいのかと。
スポ少の本来の目的は、どこにあるのか?
はるか遠くにある、頂をもう一回見ろと考えさせてくれています。

カナトのいう「楽しさ」とは、我々が休み時間や放課後にやっていた、あの野球です。
ちょっとした広場や田んぼがスタジアムと化し、棒っきれをバットに、丸めた紅白帽子をボールにしてやっていた遊びの野球。
審判などいるはずもなく、微妙な判定はじゃんけん。
誰に怒られることもなく、エラーしてもゲラゲラ笑い、勝ち負けにもたいしてこだわらない、プレッシャーのない野球。
誰しもここが出発点であり、スタートラインであったと思います。
ここで、あぁ野球って面白なぁとまず初めに気づく、ファーストタッチ。

よーし、野球は面白いから、4年生になったら、スポ少をやろうと志す。
そこから、競技としても野球、ソフトボールが始まります。
競技なので、勝ち負けがあります。
勝つためには、何をやるかが体系化されてきます。
投げ方にしても、打ち方にしても、上手くやろうとすると努力が必要になってくる。
そして、周りは仲間でもありますが、ライバルでもある。
少し上手くなっても、上には上がいるという現実にぶつかる。
ミスをしたり、チャンスに打てなかったりすると、怒られる。
怒られないまでも、ミスした自分のちっぽけさに、いやおうなく気づかされます。
誰しもぶつかる、厳しい現実という壁。
この壁にどう対応するか?
ぶち破るか、迂回するか、逃げるか、いろんな選択肢があります。
ここに答えなどありません。
我々、大人はアタックしろ、ぶち破れとけしかけます。
自分が逃げてきたことを差し置いて。
逃げたり、避けたりもしたけれどなんとかやってきて、ここに至っています。
なんとかなるんです。後から見れば、そうたいした問題ではないし、問題だとしても、もう戻れない。なんとかするしかないんです。
壁の大小、種類はあれど、すべてを逃げずにぶち当たってきた人などいません。
だから、どの道を通ってもいいと思います。

しかし、私は、野球を、ソフトボールを続けてほしいと思います、願います。
なぜなら、壁の向こうにある「本当の野球の面白さ」を知ってほしいからです。
その本当の面白さを知ること、経験することが、生きていくうえで役に立ち、野球が、自分という存在を支えてくれるものになると信じているからです。
そういいつつ、その手段は「野球」に限ったことではないとも言います。
しかし、ソフトボールの指導者として、我々が存在する大きな意味は、ここにあるのだと私は思っています。
いろんな挫折や失敗を繰り返しながらも、人として成長する、人として楽しくいきる。
その支えのひとつとして野球やソフトボールがあったらいいと思うんです。

カナトは、まだ「楽しい」の意味を分かっていません。
カナトのいう最初の「楽しい」を認めつつも、その先にある、「本当の楽しさ」に気づかせることが我々の役目でしょう。
この「本当の楽しさ」、ここに気づくまでには、いろんな苦労、苦しみも経験しなくては、一概にはたどり着けません。
我々コーチ陣は、大なり小なり、それを経験しています。だからこそ、子供たちにも、本当の楽しさを知ってほしいと思います。そのための伝道師が我々なんです。
それは、小学校時代にできるかはわかりません。
中学、高校、大学といつになるかはわかりません。
その種をまきましょう。そして、水と栄養を与え続けましょう。
来るべき時がきたら、カナトは「本当の野球の楽しさ」に気づくことでしょう。
さて、6年生の今年、それを気づかせてやることができるか?
また、我々の楽しみが増えました。










最近、ピッチャーが良くなっている最大の原因、それはキャッチャーである、トウマの献身があります。
ピッチャーが気持ち良くなげれるように、全ての球を捕りきる技術がメキメキ上がっています。
技術だけではありません。
ピッチャーを受け止めるという姿勢、気持ちが前面にでていると感じます。
だからこそ、ピッチャーは思いきって腕を振ることができるんです。
ワンバンだろうが、頭を抜けていきそうだろうが、体を呈してブロックして前に止めている。
ピッチャーだって、そんなクソ球、なげたくてなげているのではありません。
あーっ!やべぇ、ワイルドピッチだぁと思った時に、最後の砦として、キャッチャーが止めてくれる。
ピッチャー経験者ならわかるはずです。
これだけで、かなり、ほっとします。
そして、次へのモチベーションに繋がります。
ミスをカバーしてくれる。
この背景には、キャッチャー出身の新しいバッテリーコーチのおかげもあると思います。
キャッチングの際に肘が上がる癖、フレーミング、キャッチングの位置が下がる癖、そこを素早く見抜いてアドバイスを送っていました。
んー実に細かいところまで目が届いています。
ここにもコーチを増やした効果が表れています。

こういう相互補助、同盟関係がバッテリーの信頼関係を築き上げます。
これは人間関係にも、チームの状態にも、良くも悪くも影響します。
こういう関係を築いていくこと、毎日の小さなことの積み重ね、これは大人になっても役に立ちます。
生涯付き合う友達、伴侶となる異性、人が人として生きていくために必要な勉強だと私は思います。
そういう関係は、お互いが気持ち良く築き上げていくのがいい。
そうあって欲しいとつくづくそう思います。

翻って、最近のトウマ。
ピッチャーの信頼をことごとく勝ち取っています。
それが打撃にもいい影響を与えていると私は見ています。
体を盾にして、痛い思いをしてブロックしていることは無駄ではないんです。
こういう視点で、トウマの献身的なブロックを見てしまうと、ウルッときてしまいます。
昨年のシュンペイを思い出します。
歴代キャッチャーを思い出します。
キャッチャーというとのは、なんと献身的な職業なんでしょう。
キャッチャー経験者は、頼り甲斐のある人が多いような気がするのは私だけでしょうか?

1番監督に怒られるし、痛いし、暑いし、臭いし、手柄はピッチャーにもっていかれる。
いいことはあまりないかもしれません。
キャッチャー経験者ならば、必ず1回は、やめたいと思ったことがあるはずです。
それほど、心が折れるような場面がたくさんあるのがキャッチャーだと思います。
1回地獄を見ている。

でもそんな中から、キャッチャーという職業に光を見いだす。
誰が見ていなくても、自分のやるべきことをやろうとするとき、本当の意味でキャッチャーという職業の真価を知ることになるでしょう。
それを1回乗り越えてきたキャッチャー経験者は、それを知っていると思います。
去年のシュンペイとユナのバッテリー、一時期崩壊寸前までいきました。
しかし、コロナ明けに、あの水面が鏡となっているウユニ湖のようにふたりは凪いでいました。
乗り越えたんです。
ユナもそうですが、キャッチャーであるシュンペイの精神面での成長が大きかった思います。
何回もどん底に突き落とされて、また這い上がってくる。
その意味で、キャッチャーはドMといっていい。
壁が高いほど、相手が強いほど、味方がヤバいときほど、燃える。
いいじゃありませんか!そのドMはかっこいい。
キャッチャーという職業は因果なのもです。
トウマもだんだんその域に達しようとしています。
今年のカナト世代、この世代の第1の課題は投手力です。
バッテリーが試合を作れるかどうか、ここにかかっています。
試合をつくるというのは、ピッチャーがストライクをとれるかどうか?
ここです。
ストライクが入らなければ、永遠に終わりません。
こうなると守備陣の集中力は切れ、たまに打ち取ったあたりが飛んでも、エラーエラーの連発、そして、さらにピッチャーはストライクが入らなくなるというデフレスパイラル。
やってる選手も相手チームも見てる保護者も疲れ果ててしまいます。

今年の投手陣、エースをはるミソラ、どこでも守れるユウシン、そして次世代のヒカル。
この三人がいまのところの台所事情です。
昨年の秋、春にかけては、誰がエースになってもおかしくはなかった。
しかし、このエースの座をかけたレースの中で、一歩踏み出したのは、ミソラでした。
昨年のユナに続き、二年連続の女傑エースは初めて何じゃないでしょうか?
それだけ、男のお株を奪う活躍をしてきたということです。
まぁ、いまの世の中、ソフトボールをするのに男も女もありませんから、上手い方が試合にでる、重要なポジションを任されるのは当たり前のことです。
しかし、この三人、そろいもそろって曲者(くせもの)です。
ピッチャーはメンタルの強さがほかのポジションよりも求められると思っています。
それは、絶体絶命のピンチであったとしても、たった1人で強敵のスラッガーに立ち向かわなければならない場面が多々あるからです。
たとえ回りに仲間がいたとしても、ピッチャーが投げなければ試合は始まりません。
最初のトリガーを引く勇気、運命を握るポジションといってもいい。
重要なポジションだけに、感じるプレッシャーも半端ではありません。
この三人は、気分が乗っているときは意気揚々とその引き金をバンバン引きます。
しかし、そうでない時は……
私は、ピンチやミスが続いたときの、ヤバいなぁと思ったときこそ、その人の真価が問われるし、本音がでると思っています。
この三人のいまのところの本性は、お世辞にもたいしたもんだとは言えません。
メンタルの浮き沈みが激しいミソラ、悪いときはチーム全体を底なし沼に引きずり込むかのような落ち込みよう、彼女が常に「大丈夫!大丈夫!心配ご無用!」と笑顔でバックに微笑みかければ、Go to heaven間違いなしです。

そして、ユウシン。
彼も悪いときは、ハリネズミのようにとがりまくります、ジョジョのマンガ、ゴォゴォゴォゴォゴォゴォォォォォとダークサイドに落ちていき、誰も声をかけれなくなってしまいます。
そして、彼の悪いところは、腐って回りにそれを態度で出してしまうところ、昨年は何回かグローブをぶん投げたところを見ました。 
その幼さが彼のネック。

最後にヒカル。
彼は、集中過ぎるあまり、回りがまったく見えなくなります。
自分の世界、ワールドに入って帰ってこなくなってしまう。 
どんどん投球間が早くなって、自分で立て直すことも、回りの励ましに耳を貸すこともなくなる。
地獄の一丁目に自ら進んで突撃していきます。

彼等に共通して言えることは、回りの言葉に耳を傾けないこと、傾けないというか、そんな余裕がないと言った方が無難なのかもしれません。
自分のことだけで精一杯、これが正直なところだと思います。
三者三様にアカン。


これを直すには、打破するには……
投げるしかありません。
投げて投げて、自分に自信をつけるしかない。
根本的に、私はそれしかないと思っています。
その過程で、いろんなアドバイスを試していき、自分に合う、しっくりした感覚を何回も何回も繰り返していくのが王道であると思っています。
去年のエース、ユナも家族と一緒に夕暮れの宮川小で影が長くなるまで投げ込んでいました。
気の遠くなるような練習の繰り返し、決して近道などないんだと思います。 
それは、バッターの素振りでも同じですよね。
そんな気持ちの入ったピッチャーの球を打ち返してヒットにするためには、バッターもそれ相応の努力をしなくてはいけない、私はそう思います。

この春に来て、バッテリーの強化を第1の課題挙げた我々は金曜日をバッテリー専用の練習日として当てました。
投球に特化してバッテリーを強化してきた。
その成果が少しずつ現れはじめています。
三人のコントロールが少しずつ向上してきました。
みんなを地獄の沼に引きずり込むことが少なくなってきました。
もちろん、金曜のバッテリー練習だけではこんなに良くなるはずもありませんから、彼らもまた去年のユナのように、家族の協力のもとに影を長くするまで練習しているに違いありません。
意識が少しずつ、改善しています。
そうなると、守備からリズムを作っていくことができます。
それに連携して攻撃もよくなっていく。
それが野球というものです。
ソフトボールというものです。
当たり前のことを当たり前にできるというのは、強さです。

チームの成長は、ピッチャーとそれを支えるキャッチャーの成長が大きい。
そこに、バックの守備陣が絡むんです。
この相乗効果。
まるで、料理のようだと思いませんか?
だから三者三様でいい。みつをさんじゃありませんが、みんな違ってみんないい。
ひとつとして同じ味にならない。
ここにも多様性。
面白い。
生きていくことは、この面白さの追求だと思ってます。
1番を狙うよりも面白いと思います。
結果として、1番はついてくる時もある。

今年はどんな、料理ができあがることでしょうか?
それを我々は涙を流して食べることができるか?
その涙を、みんなでうれし涙に変えて見せましょう!

今年の高田イーグルス、いままでとどこが違うかというと、
まず、コーチ陣が増えました。
私がいままで経験してきた中では、最大級です。
それだけ、関わる人の熱量が上がってきたということです。
保護者コーチというあいまいなところではなく、きっちり総会で規約を直して、正式にコーチを増やしました。
そうすると、コーチも選任されたということで責任もでてくる、俄然、指導についても声を出しやすくなります。
野球、ソフトボールを知っている経験者なので心強い。
何より、たくさんいることで目が増えますよね。
子供たちを見る目が増えて、角度も違ってくる。
これはその子のいいところも悪いところを、いろんな角度から分析して、処方できることを示しています。
そして、指導者がなにかあって来れないときも、誰かがカバーできる体制が整ったと言えるでしょう。

最初はぎこちなかったんですが、最近はみんなが何を考えているかが、少しずつ分かってきました。
考え方も違うし、どこを重要視しているかも違う。でも、それでいいんです。それでこそいい。
多様性を認めない組織に成長はありません。
生物の進化も多様性の歴史です。
みんな同じであれば、環境が変わったり、疫病にかかったときに、みんな滅亡してしまう。
あらゆる状況に対応できるために、生物、というか遺伝子、DNAが選んだ道こそが多様性なんです。
プロ野球でも四番バッターばかり集めたチームがどうなったのか、それは歴史が物語るところです。
異なるものが、お互いを認め合った時に発揮できる強さ。
これこそが、求めるべきチームプレーの強さだと私は思います。
何よりその方が面白い。
私が目指してきたチームとはそういうチームです。
多種多能な人種と文化を内包するアメリカ合衆国の強さって、こういうところにあるんじゃないかと思います。
まぁ、それは置いておいて、高田イーグルス。

子供たちひとりひとりのいいところを伸ばすために、いろんなコーチがいるんです。

昨日の練習試合でも、その効果が表れたと思います。
外野を抜けた時の魂の中継プレー。
一三塁でのカットプレー。
どちらも意図してやろうという意志が複数人いなくては成り立たない。
これぞ、フォアザチーム。

まだまだ、けつが青いですが、そういうプレーが少しずつでてきた。
それを見ている我々大人も、「おぉ~!」と、うなってしまう。
そういうのを見たいんです。
そういう、本気のギリギリのプレーを全力で応援したいんです。

彼らの成長はこれからです!




だいぶ遅れましたが、2022カナト世代が4月から始まりました。
高田イーグルスは、4月時点で23人となり、それなりの大所帯となりました。
多いといっても、六年生は3人。
三国志ですね。桃園の誓い。
例えて言えば、劉備がカナト、関羽がチヒロ、張飛がキヒトというところでしょうか?
かなりのでこぼこ三国志。
その下には、いまのところ有象無象の梁山泊。
まだまだ何者でもありません。
だからこそ、いろんな可能性がある。
私はそう思っています。
もっとやばい状況は過去にもありました。
6年が1人のみ、人数もほぼぴったり。
なにをやっても、うまくいかない。
最後の最後のまで、練習試合も含めて1回も勝ったことが無かった、ナオヒロ世代。
しかし、最後に昔の赤沢スポ少さん?本郷スポ少さん?に勝ったことを覚えています。
たったの1勝。
しかし、あの時の私たちにとって、とてつもなく大きな1勝でした。
死力をつくして、全力をつくして、ギリギリのところで勝ち取った1勝。
人の生き方というのは、基本的に相対評価。
苦しくて、つらくて、何回も何回も負けて、打ちのめされて、それでもまた前を見て、前を向いて、また立ち上がる。
そして、最後の最後にあげた、たったの1勝。
あの時の、ナオヒロをはじめ、決して上手くは亡い、どろくさい、へっぽこで、とんでもなくたくましくなった彼等を思い出しました。
その世代と、今のカナト世代は重なります。
お世辞にも上手くは無い。幼い。
このカナト世代が、果たしてどう変わるか?
どう変えていくか?
今年のメンバー、ひとりひとりの顔が思い浮かびます。
そしてまた、今年は今年の風が吹く!
楽しみです!

しばらく書いてなかったので、備忘録として。
この冬から春は2つの大きな経験をしました。

ひとつは、高田中駅伝部の全国大会でまたまた滋賀県にいったこと。
そして、もうひとつは、只見高校の選抜高校野球出題で、甲子園に応援に行ったことです。
どちらも、生きていく上で、大きな経験をしました。

1番は、やはり、現場に行かなくてはならないということ。
そして、そういうチャンスがあったなら、なるべく子供たちにもその舞台に連れて行ってやること。その行程を楽しむこと。
分かっているつもりでしたが、そういったことを改めて、教えてもらいました。


同じ空気をすって、同じ空間に存在する。
こういう経験にこそ、お金は使うものだと思いました。
経験こそ、大きな財産。
そして大事なのは、何を感じて、その後にどう活かしていくか?
そんな高尚に考えなくても、その経験は血となり肉となっています。
意識しなくても、感じたことが、潜在意識として、我々を突き動かすと思います。
だから、親は我が子をいろんなところに連れて行くんだと思います。
いろんなことを自分の目で見ておくこと。
現場のチカラを信じてみる。

これをすごく実感したのは、高田中の2回目の全国駅伝大会でした。
今回のメンバーは、2年前に我々が連れて行ったメンバーがほとんどです。
2年前のあの場所、あの感動を実際に自分たちの目で経験しているんです。
そして、彼等はこう思ったでしょう。
「俺たちも必ずこの全国大会にいく!」と。
あの場所を具体的にイメージとして持っているんです。
これは強いですよね~。
全国大会が決まったとき、終わったとき、
あの時のメンバーと顔を見合わせて、
「俺たちがやってきたことは、無駄では無いどころか、全国に大輪の花を咲かせた!」
そう自分たちも褒め称えます。
それを、2度も私たちは目にすることができました。
私たちも、多くの勇気と感動を間違いなくもらっています。
おそらく、寿命は2年は伸びています。

そして、今回もまた、規模縮小ながら、新たな若い芽を連れていきました。
別に大輪の花を狙っているわけではありません。
そんなプレッシャーなどみじんも感じさせなかったはずです。
ただ、ただ、「現場のチカラ」を信じているのみ。
年はちがえど、ただ、ただ、一緒に楽しむ仲間なんです。

なので、これからも、私は「現場のチカラ」を実践していきます。
東京オリンピックのチケットも当たってたんだよなぁ。
サッカー、ワールドカップもいつか見てみたい。
夢は尽きません。





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