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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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次男防が高校で野球を選びました。
長男は野球を選びませんでした。
だからというわけではありませんが、なんとなくうれしい。
いや、かなりうれしい。
小学校、中学校が統廃合になり、校歌も新しくなりました。
新しい校歌はなんかしっくりきませんでした。
高校にきて、やっと同じ校歌を歌うことができます。
しかも、スタジアムで。
まだ、勝っていませんので歌ったことはありませんが……
我々の時代は地区大会では、校歌は歌いませんでした。
それこそ、甲子園でしか歌えない。
気の遠くなるような遥か先の頂でした。
それでも、その頂に至った時のために、練習が終わった後に、全員でダイヤモンドに丸くなって歌いました。
最初はキャプテンのソロで、はじまります。
それは今でも鮮明に覚えています。
近所迷惑だったでしょうが、疲れも忘れて全力で歌いました。
薄暗くなるグランド。
近所から漂ってくる夕ご飯のにおい。
おそらく人生の1番動ける時に、仲間と一緒に白球を追いかけていた。
あれは気持ち良かったなぁ。
1番気持ちのいい校歌は、高校時代の校歌です。

そして、今、次男も同じグランドで、同じ外野手として、白球を追いかけています。
高校の校舎がビックモンスターのように聳え立つライトに、私がかつていたようにいるんです。
次男坊がいうには、部室とどっかに私の名前が壁に刻まれていたそうです。
息子もまた同じ道を通っている。
小学校や中学校ではそんなことを思いませんでしたが、次男坊が高校野球をやり始めてから、特にそう感じます。
だいぶ変わってしまっていますが、30年たっていても、変わらないところがたくさんあります。
部室の風景、ベンチ、バッティングゲージ、後ろが弓道場・・・
一生のうちであれほど、1つのことに一生懸命になったことはありません。
あるとすれば、今のスポ少でしょうかね。
だからこそ、深いところに刻まれている。
その風景に、息子がいるんです。
これは、野球の神様に感謝しなくてはいけません。
そして、そんな子を産んでくれた嫁さんにも。
なにより、次男坊に感謝しなくてはいけません。

次男坊は、私が見ても、決して野球が上手いとは言えません。むしろ、下手くそな部類だといっていい。大きくないし、線も細い。
指導者の目で言えば、大事な時にエラーをしたり、チャンスで打てないタイプです。
次男坊は、自分よりも上手い奴を、ごまんと見てきたはずです。
だいたいは自分の才能に見切りをつけて、この先芽が出ずに、つらい思いをするくらいなら、野球をやめる・・・それを選ぶのが大半。
坊主にしてまで、つらい思いをしてまで、野球はやらない。
それでも、高校野球を選びました。
なぜなんでしょうね。
いろいろ推測はできますが、彼にしか分からない理由があるはずです。
ここで、昨日のカナトの話が浮かんできます。
楽しい野球がしたいというカナト。
野球を続けるという意味をどこに見いだすか?
根幹には、まじりっけなしに、楽しいと思える何かがないと続かないと私は思います。
楽しいから、いろんな事にも耐えられるし、バネにできる。
ただ、楽しいだけでは続かない。
楽しさの奥にある、本当の面白さ、これに気づいてしまうと、もう虜でしょう。
ひるがえって次男坊、彼もまた、野球の本当の面白さを追求する、求道者となりました。
小学校、中学校で、少しはその本質を垣間見たかもしれません。
しかし、高校野球までやらないと、野球の本当の面白さは分からないと思います。
チームスポーツの王道。
私も最後までやって、良かったと今でもつくづくそう思います。
彼はいま、その道を歩んでいる。
そこに昔の自分たちも重ねてしまいます。

職場の先輩に言わせれば、それはとんでもなく、幸せなことだといいます。
スポーツ離れ、子離れ、親離れしていく中、高校になっても、親が応援できるというのは、幸せなことなんです。
私もつくづくそう思います。
一緒に応援する高校野球部の保護者の皆さんともそういう話をします。
「三連休が全て野球になったとしても、こんな幸せなことはない。」その人は嬉々として言います。
泥で真っ黒になったユニフォームをたわしでこすりながら、彼も嬉々として洗ってるんだろうなぁと同じ境遇を楽しみます。

親への義理でできるほど、肉体的にも精神的にも、高校野球は甘くはありません。
次男坊が自分で選んだ道。
彼は、いつか学校の先生になって、野球を教えたい、そんな風な事を言っていました。
ここも私と同じなんですよね~。
好きな科目を教えて、好きな野球を教えることで飯が食えるのは先生しかない。
ヤンウェンリー的発想も同じ。
私は先生にはなれませんでしたが、こうしてスポ少の指導者を続けられています。
今思うと先生にならなくて良かった。
先生だったら、こんなに自由にソフトボールや野球に携われなかったと思います。
ここにも塞翁が馬。

ともあれ、次男坊にとっての高校野球は始まったばかりです。
彼も野球が上手くないことは、自分も分かっているでしょう。
であれば、どうするか? 
自分の弱さと強みに向き合う時です。
小学生や中学校の時のように、温情や配慮では試合に出ることもかなわない、本当の勝負の世界。
自分が、チームにどれだけ貢献できるかという居場所をさがす旅。

後顧の憂いなく、思い切り打ち込めることの素晴らしさを味合うがいい。
かつての私がそうであったように、家族の支えを受けながら、全力でやったらいいんです。
今になって、支えてきた親のありがたさがよく分かります。

今年の夏は3年生に頑張ってもらいましょう。
なんと言っても、激闘また激闘の連続のタカヤ世代の最後の夏。
野球をやっているのはタカヤひとりとなりました。
そのタカヤ主将のもと、最後の夏はすぐそこまでやってきています。
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