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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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しばらくぶりで、書き進めたくなりました。
なかなか書けなかったところから、またはじめます!


中島みゆきさんの「ファイト!」を竹原ピストルさんのカバーで聞いています。

諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

雪も終わりかけたかと思っていれば、今日は大雪でした。
しかし、その雪もあたたかさが感じられる雪。
振りながらも、融けることがわかっているような雪。
確実に春は近づいている、そう思わせてくれる雪でした。
今日はレン世代の卒団式でした。

この世代もコロナの災いから、まだ抜け出せないでいた世代。
思うようにソフトボールができませんでした。
試合数は激減、自分たちの居場所さえも確認できない。努力してきたことを確かめる機会さえ、与えてもらえない。
そんな中で迎えた総体。
関柴さんを相手に4点も先制するも、その裏にすぐさま逆転される有様。流れを維持できず、自らが崩れていくことを止められない脆弱さ、未熟さ。
ここが今年のスタートでしたね。

挽回する機会はまたもやコロナで打ち消される。
コロナ明けでやっと練習が許されたのは、5月だったか6月だったか?
さぞかし、身体的にも精神的も落ちていることだろうと予測していましたが、いい意味で期待は裏切ってくれました。
こんなどん底みたいな状態であっても、ちゃんと前を向いていたんですね。
コロナ明け、ユナとシュンペイのバッテリーのピッチング練習を見ていた時、見ていたというか、ピッチングの音、キャッチングの音が、私を振り向かせました。
ん!なんだこの音は!
ずいぶん、長い間、休んでいた音ではありませんでした。
躍動感のあるフォームから放たれる白い一筋の線。ぱちーんと気持ちよく、ミットに収まるボールが笑っているようでした。
収まるべきところに収まることが楽しそう。
音がそう言っています。
ここまで、この二人にいろんなことがあったんだろうなぁとなんとなく思っていました。
バッテリーになっていなかった。
わかっていながらも、この二人で、乗り越えるしかない壁。
どうやって乗り越えてきたかは、二人とその家族にしかわからないでしょう。
しかし、それを乗り越えてきた。
歯車がカチッとはまる音。
なんか、乗り越えたな?そう思えた瞬間でした。
ここからなんじゃないでしょうか?
ここからいろんなことが上手くいき始めてきたと思います。
それは、ここまで記してきたとおりです。

そして、今日を迎えます。
別れの時。
またしても、コロナで全員が集まらない。
目を見て、サヨナラを言えないんです。
そして、目を見て、がんばれよ!と言えないんです。

この流れは何回やってきても複雑な気持ちになります。
いままでよくやってきたなという感慨と、
もう、この選手たちと一緒にプレーできないことを分からされる時。
うれしさよりも、寂しい気持ちでいっぱいになります。
このこどもたちの一挙手一投足によろこんだり、ないたりできなくなること、
いままでとなりにいた子供たちが、
そのおとうさん、おかあさんたちがいなくなること、
こえがきこえなくなること、それがたまらなくさびしい。いつも思います。
ソフトボールという世界を通して、いっしょに見てきた景色、世界をもういっししょにみることはないんだとおもうと、またまた、たまらなくさびしさが襲ってきます。
長年の友がいなくなってしまうような感覚。
レンなんて、六年間も一緒にやってきました。
彼とその家族にとっては、激動の六年間だったことでしょう。
レンをはじめ、彼等のプレーのひとつひとつがよみがえってきます。
そして、うろこが剥がれるようにひらりひらりと、私から離れていきます。
言わなくても、目をみれば、くやしさも、よろこびも、わかりあえてきた。
そういうのが、もうできなくなる。

さびしい。

それを酒の席で、みんなで飲んで発散させることさえもコロナは許してくれませんでした。

それでも、時は過ぎゆきます。
これも、やはり試合と同じなんですね。
過ぎたことは、もうもどらない。
ここから先をどうするか?が大事。

そう言ってきた私がそれを実行しないわけにはいけきません。

レン、
タイチ、その不器用さ、まっすぐさに何回も助けられたぞ。
ユウキ、秘めたる闘志、俺は見たぞ。
マナト、型にこだわるな、豪快な一発、何回もイメージで見たぞ。
コタロー、いつもチームを救うようないいところにいたな、埋まっていこうは面白かった。
レオ、不器用ながらの豪快なホームラン、打球は速かったなぁ。
ユナ、よく泣いた、よく投げた、そしてよく笑った。
シュンペイ、メンタル激弱からの成長、ソフトボールを楽しんだな。

お別れです。
彼等の成長を、またここから見守ることにしましょう。

最後に、これまで手厚くサポートをして下さいました、六年生の保護者の皆様、
万感の思いで、ありがとうございました。






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久々に感動して書きたくなったので書きます。
連日の選手の頑張りに元気をいただいている北京五輪。
昨日はカーリングの準決勝。
日本は前日に負けている王者スイスと対決し、みごと大金星!
日本を初の決勝に導きました。
その直後の吉田知那美選手のインタビュー、その、中で「私たちのアドバンテージはたくさんのミス」、こう話していました。
それを聞いて、これが彼女たちの強さなんだと確信しました。

自分たちの弱さを認めている。
相手の強さをリスペクトしている。
その上で、自分たちの強みを活かした、失敗を恐れないチャレンジをしている。
1番負けてきたから、1番やられてきたからこそ、強くなれた。吉田選手は、周りの仲間を見ながら胸を張って、うるんだ瞳でそう言いました。

その鉄の意志。
仲間との鎖のような堅く、柔軟なチームワーク。
喜怒哀楽を隠さない、涙に笑顔。
おそらく日本中の多くの人が、たいしてルールもわからず、ほとんどがにわかファン。
そうだとしても、熱しやすく冷めやすいとしても、こんなにも我々を熱くさせてくれます。
スポーツの原点がここにある、誰かがそう言ってました。正にそのとおり。
見ていてこんなにも我々をひきつけるチームが他にあるでしょうか?
ロコソラーレ。
彼女たちから学ぶべきことはたくさんあります。
私たちがめざすところと似ています。

さて、これをどうやって高田イーグルスにいかしていきましょうか。
来年も高田イーグルスも、たくさんミスをして、たくさん負けるでしょう。
それでいいんです。
勝つことを目指しますが、それだけに固執して欲しくない。
負けても勝っても、仲間を信じて、競技を楽しみ、相手とのリスペクトをわすれない。
スポ少は、「人として成り立つ」練習ですね。
高田イーグルス、ロコソラーレのようであって欲しい。

雪解けの春を待ちます。

春のセンバツ出場校が決定しました。
只見高校!
会津から63年ぶりの出場を果たします。
これはまさに会津の球児の夢。
それが叶った。
甲子園に会津の高校がでる。
全国の強豪校としのぎをけずる。
考えただけでワクワクします。

13人という少ない人数、公立高校、豪雪という不利な状況。
それだけではなく、いろんなことが不利に働いたことでしょう。
しかし、彼らはそれを糧としてきた。
無い物ねだりではなく、いまここで咲き誇ることを選んで積み重ねてきた。
それが、今、花を咲かせる。
今の彼らの奥に、いままで彼らを支えてきた方々の笑顔が見えます。
その波はいきなりやってきました。
我々ではなく、全南選抜チームに。

初回にファーボールとエラーでいきなり3点を献上してしまいます。
おい!気前が良すぎないかい!
3点……
これで相手は余裕をもって選択肢も増えます。
対する会津選抜チームは、序盤こそ、1点ずつでいいんですが、回を追うにつれて確率の低い、思い切った策が必要となります。
となると、相手チームもこちらの作戦を読みやすくなります。
そこにきて、前の練習試合でもわかりましたが、バッテリーが、特にキャッチャーが元気が良くて、クレバーなんですよね。
扇の要として、チーム全体を鼓舞します。
彼の声、指示、これがまた、絶妙なタイミングで効果大。
三年前のユウキを思い出します。
屈強さ、ユーモアさ、状況把握からの対応力、機転、そしてなによりキャプテンシーがある。
キャッチャーとしての資質がそろっている。
いいキャッチャーなんですよ。
そして、実に絶妙なタイミングでチェンジアップを使ってくる。それがバンバン決まる。相手選手をよく観察している証拠です。
会津選抜は最後までこのチェンジアップに狂わされます。
まんまと、バッテリーの術中にハマってしまった。
3点を追いながらも、反撃の糸口さえ見つけられません。
先の田村選抜チーム戦では、バンバン決まっていたバントも決められません。
そこにきて、ランナーもでない。
手の打ちようがありません。
エース、ハルの調子もなかなかあがってきてくれません。
球威も明らかに落ちています。
そこにきて、忘れていた12月の寒さが徐々に忍び寄ってきます。
さらに2点を献上し、コールド負けの歌がだんだん聞こえてきました。
斜陽。
いわき新舞子の太陽が沈もうとしています。
会津選抜の命運もこのまま尽きてしまうのか?
流れは完全に全南選抜にいっています。
こういう時は、積極的にしかけるか、選手たちを信じてじっと待つかの二つにひとつです。
どうやってとったかは、忘れました。 
中盤にきて、2点をもぎ取りました。
さぁ、あと3点。
全南選抜の尻尾が見えてきました。
ハルとコタローのバッテリー、なかなか調子があがらないまでも、なんとかその中でやりくりをしようとしています。
しかし、それも限界か。
コントロールも甘くなり、痛打される場面が増えてきました。
終盤にきて、これ以上の得点は許されませんが、追加点で離されます。
やる気を削いでくる。
おそらく、やってあと2回。上位打線にもう一回回せるかがカギとなるでしょう。
そこにきて、時間との戦いも視野に入れなければなりません。
どうやったら、効率よく時間を配分し、逆転にこぎつけるか?
上位に賭けるしかないと思うので、必要とあらば、下位に早打ちを命じることもあるでしょう。
しかし、そんなに上手くいかないんですよね。
下位を早く終わらせようとすると、意に反してファーボールで出たりする。
時間を目いっぱい使った上に、無得点という無残な結果に終わることも過去にありました。
思い通りにはいってくれない。
思惑通りにはいってくれないのがソフトボールというものです。
いわき新舞子にナイターが点灯しました。
人工的な光ではありますが、我々会津選抜にとっては、あきらめるな、もう一度がんばれと言ってているような、光でした。
何とか時間を上手く使い切り、最終回まで来ることができました。
やろうと思えばできる、遅延行為なども全南選抜にはいっさいありませんでした。
コールド負けはなくなりましたが、6点差。

疲れの見えるハルから、ユウマにピッチャーを交換します。公式戦、初登板となります。
別名「まんじゅう」、普段はひょうきんで、面白い奴ですが、今回のユウマはスイッチが入っています。
みんなが満身創痍、そしてこの点差。
俺だってやってやる!という闘志に溢れています。
俺はあきらめないというユウマの意思がみんなに伝染したかどうかはわかりません。
コールド負けになりそうになりながらも、最終回、おそらく最後の攻撃になるところまでなんとかもってきました。
後は、もてる全力を尽くすのみ。
しかし、この状況、全南選抜チームはほぼ勝ちを確信しています。
満塁ホームランでも追いつけない状況、向こうにも疲れは見えますが、少しぐらいミスっても致命傷にはならないという余裕が見えて取れます。
その余裕をいかんなく、チェンジアップに看過して会津選抜チームを手玉にとる相手バッテリー。
ここにきても警戒を緩めることはありません。
タツキが倒れ、代打のタイチも倒れる。
2死。
今度こそ本当に追い詰められました。
ここで、前の回に急にセカンドについたリョーマ。
この打順、1番はいつもならレンですが、やつは前の回守備の時、急に腹が痛くなって、試合を止めて、ベンチにダッシュ、監督に腹が痛いと言ってらトイレに駆け込みました。
いわき新舞子の夕暮れの寒さにやられたに違いありません。俺も寒かった。
ここで、レンがいない。1番の出塁率を誇る男がいない。レンはまだトイレと戦っています。
ここはこのままリョーマにうたせるか?
それとも、リョーマに代打か?
一時の逡巡、監督はリョーマを送り出します。

前の回、いきなり守りにいけと言われたリョーマ。
えーっ!俺ぇ!という表情が見て取れましたが、いったん守りを経験すると少し落ち着いたようです。
それでも、ツーアウト。
最後のバッターには誰もなりたくありません。
会津選抜チームも追い詰められていますが、この場面でバッターボックスに入るリョーマも追い詰められているでしょう。
応援しているお父さんお母さんもきがきでないでしょう。
パァーン、パァーンとテンポ良く投げ込む相手バッテリー。
そして、ツーストライク、いよいよもって後がない。崖っぷちというやつです。
6点差、全南選抜チームは90%セント以上勝ちを確信していると思います。

しかし、こういうところにこそ、ドラマは生まれます。
ほぼほぼ決まった試合、あぁ負けるんだろうなと覚悟を決めていると、途中から入った、この男、リョーマによって、ガラッと試合は変わります。
どんな男か?
それは必死になって、もがく男です。
潔く、きれいにではなく、どろくさく、かっこ良くなくてもいいから、自分の最善を尽くす男です。
私は思います。華やかさばかりに、気をとられガチではありますが、世の中の大半はこういう人たちによって動いていると。
自分の居場所で、最善を尽くそうとする人たちで成り立っていると思います。
間違いなく今回のリョーマもそのひとりです。
リョーマ、いつも追い詰められると、高めのボール球に手を出してしまいますが、今回は止まりました。ツーストライクに追い込まれて空振りしたフォームは、左バッター、前足の右足が完全に90度以上に曲がっていました。
それが意味するところは、前体重、前傾姿勢
だということです。
呼び込んで打っていない。どちらかというと迎えにいっている振りだなと初見から思っていました。
しかし、今、そんなことはどうだっていいんです。
いろいろ不利な条件の中であったとしても、今、ここ、この打席の中で彼は最善の努力をしているということがヒシヒシと伝わってきました。
もはや技術なんぞ、どうだっていい。
不安というよりは、やってやる!という意志が彼の眼光から見て取れます。
ここに至って、リョーマにかける言葉は、「がんばれ!」これしかありません。
いったん負けそうになった心に、ふたたびのブレイブハート!
頼む、頼むぞ、リョーマ!
私はサードコーチャーズボックスから、リョーマに全力応援をします。

こういう時って、ミリ単位で形勢が動きます。
リョーマが覚悟を決めて、持てる力を出し切ろうとする中、相手バッテリーの余裕があった呼吸が少しずつ乱れ始めます。
いったん、緩んだ気は中々もどりません。
こういう時って、なぜか審判のジャッジも厳しくなります。
きわどいところをつかれながらも、ボールを見極めるリョーマ、ものすごい集中力を発揮します。そして、ついにファーボールを選びます。
この大事な場面でよくぞ、ファーボールを選んだ。たいしたもんです。うるっときます。
ここでも、少し相手チームの歯車が狂います。
もしかしたら、ヒットよりも相手に与えるダメージは大きいと思います。
あれ、なんか違うなという違和感を相手に植え付けた。つけ込むスキが見えてきました。

2番のユウキを迎えます。
そしてここで浮かんでくる可能性。
前の試合でホームランを打っている3番のケイシンまで回せば、もしかしたらもしかするかもしれない。
そんな一縷(いちる)の望みを抱いてしまいます。
人が思うことは誰にも止められません。
そして、会津選抜チームの全人類がそれを期待してしまう。
そうなると、普段はおきないようなことが起きてしまうんですね。
念ずれば通ず。
人の思いは終わらない。
こういう場面に何回も遭遇していると、本当に人の思いは、通じる時があるんだなぁと思わされます。
そして、それは最後まで信じて、ひたむきに準備をしてきた者のみにくるということがよくわかります。
チャンスは準備された心に降り立つ。
それを地でいっている。
そこをリョーマが切り開いてくれた。
ユウキも何とかして塁にでます。

そして、この試合、会津選抜チームの最高潮の時はやってきます。
書いてきたことと、つじつまがあいませんが、ケイシンが打席に立ったとき、それは満塁だったと記憶しています。
タツキの前にヒロトが出ていたのか?
ん?なんか合わない……けれど、最終回裏、ツーアウト満塁、そして最強バッターのケイシンを迎えるという場面を作り出しました。これ以上はないという場面をみんなで紡いだ。
これはたいしたもんです。
死に体の会津選抜チーム。
しかし、彼らはただでは負けねえぞという意地を見せてくれています。
こういうのが、勝っても負けても次につながる挑戦だと私は言い続けています。
この場面で満塁までもってくるとは。
2:8この時点で、満塁ホームランを打ったとしても、まだまだ追いつけない状況。
しかし、我々はケイシンが打てば、もしかするかもしれないという希望に賭けています。
流れがこちらに来ると信じています。
このままでは終わらない。
このままでは終われない。
そして、ケイシンならば打つ、会津選抜チームにはそれしか考えはなかったはずです。
そのみんなの思い、悟空の元気玉のような思いを一心に受けるケイシンは、スウイング、一振り一振りに魂を込めています。
終わりの時は近い。
誰もがそう思っています。
ツーストライクと追い込まれました。
しかし、一分でも一秒でも長く、このメンバーで一緒に戦い、このお母さんお父さんとその家族に応援してもらいたい。
このメンバーで戦っていたい、その思いの全てをフルスイングに賭けます。
この大事な場面で、全南バッテリーは最後にチェンジアップを選びました。
たいしたもんだとしか言い様がない配球。見事です。
みんなの思いを込めたケイシンのバットは空を切りました。
三振。
悔しさもありましたが、してやられた感、それとやりきった顔がそこにありました。
ゲームセット。
終わってしまった……
まわりのナイター照明のカクテルライトに両チームのシルエットが浮かび上がります。
ひとつは上を向いて、もうひとつはうなだれる影となる。
肌寒く、すっかり暗くなったいわき新舞子。
ここに、2021会津選抜チームの最後の挨拶がこだましました。
私たちの旅はここで終わりました。
どこがいけなかったのかと振り返ってみる。
初回の3点が痛かった。
立ち上がりの不安定さを克服できませんでした。
それがバッテリー、ひいてはチーム全体の推進力になりえなかった。
しかし、中盤の追い上げ、時間切れにならずに最終回までもつれさせたこと。
そして、ツーアウトランナー無しから、最後の最後にヤマ場を作ったこと。
いくつかのいいプレーが今年の会津選抜チームのカラーを象徴しています。乗れば強く、やられてもただでは起きないしぶとさ。渋みのある濃紺、ネイビーというところでしょうか。
確かに、勝負には負けました。
しかし、完全には負けていない。
もう一回やったら負けない。
そんな前向きな負け方だったと、私は思います。
負けてもまだまだ完全に、完膚なきまでに負けたと思わない限り、私は負けていません。
ゲームセットの挨拶で頭を下げるとき、次はみてろよ!といつも思っています。
その意味では、負けることは次へのスタートでしかない。
多くの負けに彩られた敗者の道。
そこは下がるのではなく、ちょっとそれる迂回路でしかない。
しかし、このメンバーでやるのは今回が最後。
そうこれで最後だったんです。

試合後のラストミーティング。
真っ先に声を詰まらせたのは、佐藤監督でした。
あぁ、この人も人の気持ちがわかる人で、いい年をした大人でも、きちんと感情を出すことをためらいなくできる人なんだと思いました。
そして、そんな計算高いところでやっていない。
普段、あんなに速い鬼ノックを打つ人でも、あふれる涙は止めようがないんだなあと安心しました。
そういや三年前、テンカイのお父さんに言われたことを思い出しました。
「ちゃんと泣くことができる大人に会えてこの子たちは幸せだ。」と。そんなような意味だったと記憶しています。
大人だって泣くんです。鼻水を垂らして、おいおい泣く。高田イーグルスの福田コーチもそうですが、私もそう。
だって、あふれる感情を止めることができなくなるくらい、君たち選手がいろんな思いを見せてくれるから。
そんな時くらい、心を震わせてもいい。
心のダムを決壊させてもいいと思うんです。
佐藤監督もこちら側の人。
理論もそうですが、それを行動で示し、気持ちを前に出す。
だから、子供たちも保護者もついてくる。
そんな佐藤監督はいいました。
「いろいろあったけど、18人全員で最後まで戦えたことが1番良かった!」
ひとりひとりの顔をつぶさに見ながら、言葉を絞り出しています。最後の方は涙声。
18人という言葉に重みがありました。
もしかしたら、集まらなかったかもしれない18人。
くるしい船出ながら、ひとり増え、またひとり増えという水滸伝、梁山泊のような成り立ちのチームでした。
苦労しながらのチーム編成、ポジション、打順を佐藤監督を中心に作り上げてきました。
一試合を勝ち、これから彼らの真価を発揮させるというところで上手くいかなかった。
私もそうでしょうが、佐藤監督も山内コーチも大堀コーチも、もっともっと勝たしてやりたかったというのが本当のところです。
力の至らなさ、それが無力感と、最後に円になって、子供たちの真摯な視線を受けとめることができません。
「監督コーチ、どうでしたか?負けはしましたが僕たちは一生懸命にやりました!」
彼らの目がそう言っています。
一直線に突き刺してくる彼ら18人の視線。
受けきれませんよ。だって実際、彼らは一生懸命にやってきたんですから。そして、お母さんお父さんも一生懸命に彼らを支えてきた。我々はそれを一番近くで見てきました。
秋空の寒さの中、練習している選手たちを見守る保護者。何回も寒かったはずです。
そうやって作り上げたチームが、最後までいけなくて、ここで終わってしまった。
子供たちに対する感情が涙となってあふれ出てしまいます。
子供たちは、選手たちはよくやった。
もっともっと、勝たせてやりたかったし、もっともっと一緒にソフトボールをやりたかった。
それが、我々の本音です。
ただ、こういうような気持ちで相手も戦っています。それは同じなんですよね。
だからこそ、ドラマが生まれると思います。
本気だからこそ、面白いし、悔しい。
何回もいいますが、それもここで終わってしまうんです……
いわき新舞子に、いつもより大きな月がでています。
お母さんお父さんのような大きな月。優しい光。
その月が、負けてグランド隣の宿舎に向かって歩く我々を照らしていました。

さて、今年の2021会津選抜チーム、いわき新舞子劇場、かくのごとく戦い、終幕となりました。
2021いわき新舞子で県下各地区の選抜チームを集めた大会が行われました。
わが会津選抜チームは、一回戦、田村選抜チームとあたりました。
試合前の練習をみるに、ピッチャーは3枚。
伸びのある快速球。
選抜チームのエースともなると、悪いピッチャーはいません。
それは、こちらも同じ。
こちらにはハルがいます!
少ないチャンスをどういかすか、ピンチになっても自分たちのプレーがいかにできるかが、勝負の分かれ目になると思います。

だんだん記憶も薄れてきました。
田村選抜チーム先攻で試合がはじまりました。
ファーボールか、ヒットだったか?忘れましたが、長身で足の速そうな先頭バッターを出してしまいます。
なんだかんだで、このランナーが先制の1点になります。
長年、こういうハイレベルの戦いをやっていくと、この何気ない1点の重みがよくわかります。
この1点で何回もやられてきました。
大丈夫、すぐに追いつける!そう思う気持ちも、この時点では必要です。
しかし、試合が終わって振り返ったときに、こんなに簡単に相手に1点を献上してはいけないと私はいいます。
しかし、過去にはもどれない。 
であれば、どうしたら1点をやらずにすんだかの検証が必要です。
これが次に活かすということです。
初回の1点は重いが、試合中は大丈夫、なんとかなるの精神でいいと思います。反省は後でいい。
ここでやっていけないことは我々指導陣が、あたふたしないことです。
焦らないこと。
焦りやあきらめ、マイナスの精神は恐ろしく繁殖力が高いんです。あっという間にチーム全体に伝染していまいます。
そうならないためには、指揮官があたふたしてはいけません。
そして、なるべく早い段階で反撃すること。
「やられはしたけど、俺たちはやれる!」と思わせなければなません。
といいつつも、内心は、やべえ、やべえぞ、こりゃと思っています。
それを打ち消すように、「大丈夫!ひとつずつやれば大丈夫!」と選手たちにいいます、がそれは、自分自身にも大いに言っていることです。
そして、選手たちひとりひとりの顔を見る。
こいつらなら、大丈夫!ひとつひとつ、積み上げていこう!とチームの立ち位置を確認します。
あのグランドでプレーが始まったなら、私たちにできることは、彼らを信じるのみです。
大丈夫、おめぇらなら、やれる!
どれだけ、信じれるか?
あとは、選手たちが迷いなくチャレンジしたプレーができるように環境を整えてやること。
大きくは、この二つがあげられます。

選手たちも決して、折れてはいません。
どうすれば逆転できるか? 
そのためにはどうやって塁に出るか?
ここにいままでやってきた練習と、我々指導陣と培ってきた信頼関係がいきてきます。
これを活かさないとチームにしっかりとした「芯」が現れてくれません。
バントが得意な選手、打撃に特化した選手、どちらかというと守備向き、足の速い選手、声がでるタイプ、気が利くタイプなどその選手たちの特長や個性をいかにして、つないでいくか?
その選手の得意な分野をチャレンジできるようする。
選手も自分の得意分野ならば思い切ってチャレンジできます。
これが私たちの信頼関係の構築。
得点やピンチ脱出は、これをどれだけおおく積み上げてきたかということの結果だと私は思っています。
いままで練習してきた、小さいことをチーム一丸となってつなげていく、まさにそれは「波」ようにどんどん大きくなってきます。

そして、ようやく会津選抜チームに、いわき新舞子のその「波」がやってきます。ビックウェーブが!

1点を先制されて、試合が膠着するかにみえた三回裏、下位打線からの攻撃でした。
打順は8番の打撃専門DPで入っているタツキ。
(ちなみに彼の表裏一体の裏は、守備専門で入っているシラコです。2人で1人のフュージョン。)
彼は、この大会に至る最後の週に体調を崩して、大会参加も危ぶまれていました。
しかし、なんとか間に合った。
打撃専門であれば、普通は打撃力、長打の選手が多いと思われがちですが、会津選抜にセオリーは通用しません。
ここに俊足好打のタツキをもってきたのには訳がありました。
その訳、タツキは監督から指示があったかねてからの作戦通りに、スラップバントを決めます。
決して簡単なコースではありません。
しかも、相手は田村選抜チームのエース。
実際よく決めたと思います。
後から思えば、これがこの試合の分水嶺となったと私は思います。
そして、ラストバッターのオウガがさらにバントで送りますが、このバントが絶妙なコースに転がります。
オウガも生きました。
結果、願ったり叶ったりの波状攻撃になりました。
そして、1番からの上位打線に回ります。
逆転するならここしかありません。
私はサードコーチャーボックスから、ビックウェーブを感じていました。
レンはヒットを打てないまでも逆方向に進塁打。
1死二三塁、ユウキ。 
ゴロゴー、タッチアップなどが想定されます。
ユウキは三塁ゴロ。このゴロではバックに突っ込めない、と私は判断しました。
いくな、もどれとランナーに指示。
サードはランナーも見ずにファースト送球。
その瞬間、サードコーチャーの私、迷いました。
セオリーどおりならば、ここはホームに突入させていい場面です。
しかし、このサード、ファーストのリターンでの速さでは、突入できないと判断し、タツキをサードに止めました。
これで、2死二三塁。
セオリー通りにしなかった。
これに対して、激怒の監督。
「サードコーチャー、頼むよー!(ちゃんと判断して、突っ込ませてよ~!の意味)」と怒気を含んだ温かい支持が矢のように飛んできました。
ぁあ~、やっちまったかもと思いながら、実は私もここは、賭けていたんです。いのちとまではいかないまでも、ものすごく大事なものを。

この逆転がかかった大事な場面で、もしサードランナーの俊足のタツキを突っ込ませて、ゲッツーアウトになったら反撃の芽をつんでしまうことになる。
よしんば、成功したとしてもここは同点になる1点しか取れない。ここは一気に逆転を狙うべき!
なぜなら、次の打順はチームの最強のバッターのケイシン。
ツーアウトになっとしても、ランナーを残した方がいい。なにも反撃の芽を摘むことはないと最前線のサードコーチャーは判断したんです。

この判断が吉と出るか?凶と出るか?
結果はご承知の通りケイシンが逆転タイムリーを打ちます。そして、もう一点を追加して一挙に3点。鮮やかに逆転に成功しました。

これ、ケイシンがちゃんと打ったからいいものの、打たなかったら、私が戦犯になっていたことは想像に難くありません。

これは、高田イーグルスの最終戦の下郷戦のタッチアップ失敗が活きています。
ホームにいかせるか、いかせないか、
ここで得点できるか、できないか、が試合の結果を大きく左右します。
結果論なんです。上手くいけば官軍。いかなければ賊軍。
どっちにしても確固たる信念をもって指示を出すことが大事だと私は思っています。
終わってみて、迷いがあったことがわかる、
これが1番後悔します。
であっても、人はどうやっても迷うもの。
しかし、今回はいい方向に作用してくれました。
これも、ケイシンなら打つという、根拠のない絶対的自信、信頼関係がなせる業だと思います。
1点をとりにいくなら、突っ込ませました。
今回はリスクをとって、あえてランナーを突入させず、その次のバッターに賭けた。
2点を取りに行くことをサードコーチャーの私は選んだんです。
結果、3点をとることにつながりました。
ここでケイシンが打たなかったら、ゼロ。
この点数をとるべき場面で得点できなかったとしたら、もしかしたら負けていたのは会津選抜チームだったかもしれません。

あ~良かった。
ケイシンを信じて良かった。
ケイシンが打ってくれて良かった。
右方向の意識で打てるケイシンがこの打順にいて良かったと思いました。

歯車が、カチッとかみ合う音が聞こえました。
ここから会津選抜チームの投打がきちんとかみ合います。
逆転タイムリーのケイシンは、この後大会第1号ホームランを放ちます。
その堂々たる低い弾道の打球、打撃音は後からやってきます。
私はそれをサードコーチャーボックスから見ていました。
田村選抜チームの目の前にも関わらず、絶叫していました。
「いっけぇー!入れーぇっ!」
ケイシンのレーザーが右中間スタンドをとらえたと分かった瞬間に、飛び上がって両手でガッツポーズ。
45過ぎたおっさんが日常的にやる、ポーズではありません。
両足ジャンプの両手ガッツポーズって……
それに気づいて、恥ずかしいのと、相手ベンチへのリスペクトから、すぐにやめました。
逆の立場に立って自分を見てみる。
あれを目の前で、自チームがやられているときに、目の前でやられたら、殺意さえわくかもしれません。
静かに喜びます。
次第に相手チームのベンチからの元気がなくなっていくのが分かりました。

しかし、そんな中でもひときわ元気に声出す少年がいました。
背番号7番、サードの男の子です。
声変わりしていないので、かん高い声。
ワンサイドゲームになりつつある中、彼はチームを鼓舞し続けます。
つられて、まわりも再び顔を上げます。
たとえ敵チームだとしても、彼の行動にはたいしたもんだと思いました。

こちらのタツキのバントがうまくて、サードである彼も目一杯の守備をしますが、アウトにできない。
いったん彼もうつむいて、下を見てしまいます。
しかし、彼はふたたび、前を向きます。上を向きます。
7番サード、ガクくんの心は折れません。
さらに、声を張り上げる。そして、それはショートに伝わり、チーム全体に広がっていく。
彼もまた、激流に抗い、ビックウェーブに呑まれそうなチームを救う男だったんです。
そんな彼の姿勢に、尊敬の念を抱きます。
名前まで覚えてしまいました。
私たち会津選抜チームの敵である田村選抜チームもいいチームです。

田村選抜のエースもアウトコースにきちんとコントロールされた、球威のある球がきていました。
ウィニングショットでくるんですが、少し外れています。ほんの少しなんです。
そのへんの草大会であれば、入っているでしょう。
でも、今回の審判は正確でした。
アウトコースがきつめの判定。
我々会津選抜チームのエース、ハルにも同じ判定をしていました。
ハルとコタローのバッテリーは、そのあたりを素早く修正できたと思いますが、田村選抜チームのバッテリーは微妙な調整ができなかった。
決めにきたウィニングショットがボールの判定。
それが、要所要所で出ていました。
何回も、あっやばい、入ったと思った場面がありました。でも、ボール。
そのあたりも勝敗を分けたひとつの要因だと思います。

会津選抜チームは、繰り出す作戦がことごとく成功します。なかなか、高度な作戦なんです。
それを、決めていく選手たちはすごい。
かなり薄い可能性であっても成功させてしまう。
序盤の危ない場面では、ライトの守備専門のシラコがファインプレーでチームを救います。
シラコの反応の良さがココで生きました。
これは、シラコのファインプレーですが、ここに配置した監督の目利きのファインプレーでもあります。
選手をよく見ている。
こちらが、こうして欲しいと思ったとおりにことが運ぶ。
監督冥利に尽きるでしょう。
私もサードコーチャーボックスから笑いが止まりませんでした。
相手チームの手前なのでガッツポーズはしないで、ニヤッとニヒルに笑う程度です。
チームとしてまとまってきたなという、実感をこの大会でさせてくれます。
選手ひとりひとりが、その持ち味をいかんなく発揮してくれている。
それを、試合にでていない選手たちもベンチからのサポートしている。
会津選抜チームの集大成がここにあります。
チーム全員が、きちんと機能していた。
チーム全員、18人が機能していた。
ここに勝因となったいろんな事が含まれていると私は思います。
あんなに急造チームだったこのチームが相手を圧倒しています。
この瞬間、間違いなく彼らは会津選抜チームというひとつのチームになったと思います。

田村選抜チームをコールドで下しました。
さて、次はここ最近なし得なかった、二日目への生き残りを賭けて、以前対戦した、全南選抜チームとベスト8を戦います。

さて、次の波はどちらにいくのか?
それは、ここ、いわき新舞子の海と空だけがわかっていました。







今年の会津選抜が、ワンチームだと思えた理由。
そのもうひとつ。
それは、ヒロトの居場所です。

コロナの影響もあって、高田イーグルスが参加を見送り、今年の会津選抜チームは当初10人という、ギリギリの人数となりました。
まさに前途多難の船出。
チーム事情により湯川さんが会津東部選抜チームに加入することになりました。
その時点で、9人。
それでは少なすぎて、編成に支障がでるだろうからということで、会津東部選抜から磐梯スポ少さんが移動することになりました。
ということで、磐梯スポ少さんから、唯一の6年生でエースであるヒロトの参加が決まりました。
これは、うれしかった。
10人になった。
これが良かった。
9人だったなら、ひとりでも欠けたらアウトという崖っぷちで強敵を相手にしなければなりません。
そこに、ヒロトというメンバーが加入してくれました。
なぜ良かったかというと、偶然ではありますが、今年のを春先に、ヒロトが高田イーグルスの6年生と一緒のチームとなり、試合をしたことがありました。
やっておいて良かった。
そうなんです、ヒロトは、すでに仮の会津選抜チームの一員として参加していたんです。
それがわかっていただけに、私はそれが良かったと、言ったんです。

なんとか最初のメンバーの10人がそろいました。
しかし、ヒロトは他のスポ少が複数人で参加する中、たったひとりでの参加となりました。
ヒロトもそうですが、ご家族も心細かったと思います。
ここで、私の心配が生まれます。
ヒロトの行動に遠慮が見られたからです。 
ベンチに入るときは、いつも1番端っこに場所をとります。
座るところがないときは、立っている。
この遠慮がいらねえなと思っていました。
坂下ヒーローズのユウマのように、はじめから、もう何十年も同じ釜の飯を食っているかのようにな態度、これこそバチコイ!なんです。

ヒロトに気を使わせている。
このヒロトの遠慮がある限りは、本当の意味でヒロトを会津選抜チームの一員として、迎え入れていないなと私は思いました。
受け入れ側として、ヒロトの遠慮を取っぱらわなければならないと思いました。
それが会津選抜チームのためでもある。
磐梯スポ少から、ひとりで参加していると思わせてはならない。
会津選抜チームの一員として、心からみんなと溶け合うようにしていこうと思いました。
ベンチの端っこにいれば、真ん中にいけ、みんなと一緒に座れと言います。
なるべく、ひとりにならないようにと、ヒロトを見ていましたが、すぐさまそんな配慮は無用だと分かりました。
大人の気づかいなんて、ソフトボールというチームスポーツの前では、無用の長物だったんですね。
この子たちは、ただ単に一緒にソフトボールをプレーするだけで、どんどん溶け合っていきます。
ヒロトが少しだけ不安を感じたのは、ほんの最初のころだけだったと思います。
同じ年代に生まれた仲間たちと一緒にプレーするだけで、すぐに打ち解けていきます。
そんなヒロトをみていて、彼のこれまでの歴史を思い浮かべました。

磐梯スポ少さんの中で唯一の6年生。
思いかえしてみれば、高田イーグルス、美里イーグルスは、ヒロトと何回も対戦してきています。
二年前の秋の民友杯、雨の磐梯二小のグランド、ソウゴ世代の美里イーグルス(このころは高田さんと合併前)が、本郷さんに負けてガッカリしていた時に練習試合をやりました。
その時、4年生以下のチームだと聞いていました。
そして、昨年、高田イーグルスとなった美里親善大会の決勝で5年生以下のチームとなっていた磐梯さんと戦いました。
ヒロトはずっと磐梯スポ少さんの最上級生として、最前線に立ってきていました。
今思えば、その最上級生がヒロト、ひとりだったんですね。
昨年の親善大会決勝で、メンバー全員が6年生の高田イーグルスは容赦なく磐梯さんに襲いかかりました。
大量得点を相手チームに許す中、ヒロトは若い磐梯スポ少の1番先頭に立って率いていました。
そういう試合がいままで何回もあったはずです。
ヒロトは磐梯スポ少の最前線にいたんです。

今年、喜多方ボーイズ杯で高田スポ少単独チームと磐梯スポ少が3位決定戦で対戦した時、ヒロトは先発しませんでした。
なぜなんだろうと思っていましたが、ヒロトは前の試合の湯川戦で打ち込まれて、心が折れていたそうです。
磐梯スポ少の加藤監督から、試合後に決して手を抜いた訳ではありませんと言われましたが、チーム事情はどのチームにもあること、そんな心配は無用ですと伝えたことを思い出しました。
心が折れていた。
それを、聞いて「ヒロト~、大丈夫か?」
と聞くと「だめで~す!」と彼の返事。
だめですと言えるうちは大丈夫だなと、思ったことを思い出しました。
磐梯スポ少では、ただひとりの6年生。
しかし、この会津選抜ではチームメイトは同じ年代の同級生のみ。
同学年と一緒に遠慮のないプレーをしたことがない。
ヒロトが遠慮するのは、こういう戸惑いもあったのかもしれないと勝手に想像しています。
しかし、練習を重ねていく中で、ヒロトの中の何かが変わってくれたようです。
ベンチの端っこに座ることもなくなりました。
私が気を使わなくても、みんなの中に溶け込んでいる。
ヒロトという1本の「糸」が、メンバーと交わっているなと安心した瞬間でした。
ヒロトの居場所はここにもある。
これで、ヒロトも心から会津選抜チームのメンバーになったなと、思えた瞬間でもあります。

会津選抜チームとして初の対外練習試合、
西白選抜、全南選抜と対戦した時、レンがケガで出れない穴をヒロトはリードオフマンとして見事に埋めて見せました。
西白選抜、あの長身の豪腕ピッチャーから打ったホームランが会津選抜チームの唯一の得点、同点となり負けを免れました。
ヒロトが伸び伸びとプレーする姿。
あの瞬間は磐梯のヒロトではなく、我らが会津選抜のヒロトです!
それは何も、ヒロトだけの話ではありません。
各チームの選手たちが、レギュラーもそうでない選手も会津選抜チームとして、自分の役割を果たしていきます。
その意味で、ヒロトもユナも、みんなが今年の会津選抜チームとなっていきました。
一丸になっていく。ひとつになっていく。
そのさまを我々は見てきました。
そして、今年もなんとかなると思えた。
さぁあとはやるだけです。
やるなら、今しかねえ!

会津選抜チーム出陣です!
18
18と言えば……
野球をかじってきた人であれば、特別な番号であるのはわかると思います。
18番は、エースナンバー。
昔読んでた漫画の影響で、息子ができたら、一八と書いて、カズヤと読ませようなんて思っていたときもありました。
背番号18。
かっこいいですよね。

しかし、今回は違います。
18

今回は、今年の会津選抜メンバーの人数です。
選手登録は、17人。
しかし、佐藤監督と私、他の指導陣が「18」にこだわるのにはちゃんとした理由があるんです。
今回は男子選抜大会。当然、女子は参加資格がありません。
それをわかっていながら、高田イーグルスのエース、ユナは会津選抜の練習に参加していました。
本人の意志はもちろんですが、ご家族の意向もありました。
本来ならば、練習に参加する義務はないんです。
晩秋のナイターは、いろいろ寒いです。
そして、なによりモチベーションの維持が難しいと思います。
自分に参加資格がない、男子の大会に出るための練習なんですから、なおさら難しいと思います。
本来ならば、こたつでぬくぬくしながら、せんべいとみかんを食っていていい立場です。
しかし、ユナとそのご家族はそうしなかった。
一つ上のあにき、ユウゴの影響も強くあるでしょう。
自分が大会に参加しようがしまいが、それは後。
ともかく、この時代に時を同じくして生まれた、このメンバーと一緒に練習をしたい。
その思い、ひとつなんだろうと、私はかってに思っています。
親であれば、本当は止めていい、ところです。
ですが、ユナのご両親はそうしなかった。
おそらく、そうしなかったどころか、どんどん会津選抜に参加しなさいと進めたと私は思います。
いまだかつてない。
それが、佐藤監督も大堀コーチ、山内コーチも、そして私もうれしかった。
しかし、どうしても登録上、ユナを選手登録はできません。
となると、ユニフォームも必要ではなくなる。
ここまで一緒に、会津選抜として練習に参加してしたユナに報いるためには、どうしたらいいかと、ふと考えました。
ここは、私の独断になってもいいから、ユナのユニフォームもみんなと一緒に作ろうと思いました。
もちろん、ユナのご両親にはご負担をいただかないで。
そうして、作成の手続きを進めていると……
佐藤監督が、
「コーチ、折り入ってご相談が……
私が負担するんで、ユナのユニフォームも作ってくれないかい?」といってきます。 
そして、それは大堀コーチも、山内コーチもおなじ気持ちでした。
みんなが、みんな同じことを考えていた。
それほど、会津選抜に対する、ユナの貢献度は高いということでしょう。
それを、みんなで話し合ったわけでもなく、指導者ひとりひとりが思っていて、ユナのためにこっそりとひと肌脱ごうとしていた。
私は、それにこころを動かされました。
この指導者たちってすげえ!(もちろん、私もはいっていますよ)
そういう気づかい、他者へのおもいやり、そして感謝をちゃんと形として示す行動力。
この人たちは、女の子にもてるはずだと思いました(もう一回いいますけど、私も入っていますよ)

こういう指導陣のもとにならば、ソフトボールとチームプレーの大切さを学べるはずだと私は断言します。
かくして、ユナの背番号1のユニフォームはいろんな人の思いをこめて作成されました。
エース、ハルと、もうひとりのエース、ユナ。
会津選抜チームには、背番号1がふたり存在します。
両雄並び立つ!かっこいい。

そしてこのエピソードには後日談があります。
この大会は、男子選抜大会、なので女子のユナはベンチに入れません。
しかし、なんとかして、いままで一緒に戦ってきたユナをベンチに入れたい、そう思った佐藤監督は、大会事務局に直談判をしにいきます。
私はそこまではしなくてもいい思っていたのですが、佐藤監督はそうではなかったようです。
そして、トレーナーとして、チームスタッフのひとりとして、ベンチに入ることが許されました。
選手としての出場はかないませんが、背番号1を防寒着の下に背負いつつ、みんなと一緒にベンチから同じ景色をユナは見ることができました。
それがうれしかった。
ユナは幸せものです。
そう、ご両親は言っていました。
いえいえ、試合に出れなくても一緒に練習をしてチームを支えようと行動で示したユナがすごいんです。
そして、そのユナを送迎したり、サポートをするご家族がすごいんです。
そんなユナと一緒に会津選抜チームとしてプレーができる、選手を含め、我々も幸せものなんです。
ひとりひとりの「糸」があたたかい毛布となって、包み込む。それがここにあります。
世の中って、こういうありがとうと、「自分たちはみんなのおかげで、しあわせだ。」という気づきにもっともっと溢れたらいいと私は思います。
そういう心遣い。行動で示す。
佐藤監督、あなたはすごい。
それともうひとつ私は気づきました。
佐藤監督は、会津選抜チームを言うとき、必ず選手18名といいます。
こういうところなんですよね。
そこには、必ずユナが入っています。
常に一緒に戦っているという意識があるからこそ、「18」という数字が至極自然にでてくる。
選手登録は17名ということは分かっているはずです。
それを聞くたびに、じーんと感動するとともに、この人は、選手とご家族の気持ちがわかっているなと感謝をします。
ありがとうございます佐藤監督!
一緒に戦えて私も光栄ですと思い直します。
会津選抜チームがひとつになる要因がこういうところにもあると思います。
大会後のラストミーティングで、佐藤監督は涙で声をつまらせながら言いました。
「この18人で戦ってこれて良かった!」
その言葉に今年の会津選抜の全てが含まれていると私は思います。
今年もいいチームだった。

それと、そう思えた理由がもうひとつあります。
それは次回!




さて、今年の会津選抜について語りましょう。
会津選抜は本来、柳津、坂下、高田イーグルス、新鶴、湯川から構成されます。
しかし、今年もコロナの影響を受けました。
大会の開催もあやぶまれ、決定も遅かった。
自然と始動も遅く、参加チームも全チームとはなりませんでした。
湯川さんが他の選抜チームの人数が足りないということで、そちらに異動し、代わりに磐梯さんが加わりました。計算上では6年生男子は17名。
しかし、時はコロナ禍にまっただ中、まん延防止が福島県下にでていました。それをうけて、保護者の仕事の影響と選抜大会の翌週に修学旅行があるのでいわきでコロナにかかる危険を冒せないという理由で、参加を見送るチームもありました。
それが、高田イーグルスでした。
高田イーグルスの7人が参加を見送る。
となると、柳津、磐梯、坂下、新鶴が参加しての会津選抜は過去最低人数の10名となりました。
指導者の体制もなかなか決まりませんでした。
いろんなチーム事情から、もう一回言いますが、
いろんなチーム事情から、今回も佐藤監督にお願いし、そういう事情ならばということで、快く引き受けていただきました。
そうなるのが、1番良いというのが、新鶴の大堀代表と私の意見です。
当初の船出、参加はたったの10人。
磐梯からの参加のヒロトがいなければ、9人というギリギリの編成になるところでした。
10人という少ない会津選抜はいままでに経験はありません。
そうであっても、会津という名を背負って戦う会津選抜チーム。やるからには勝ちをめざし、ベストを尽くすのは当たり前です。
そこは我々指導陣もブレることはありませんでした。このメンバーで最高の配置、打順でもって戦う、そう決めました。
私はといえば、たしかに今はコロナ禍でまん延防止もでている。
しかし、状況が好転してもしかしたら、高田イーグルスの職場のコロナ規制や学校の修学旅行の日程も変わるかもしれない。
その時のために、選抜大会には出なくてもいいから、登録だけはさせてくれ、
そして6年生の世代がみんな集まるせっかくの機会なので、選抜大会にはでなくてもいいから、同世代で一緒にソフトボールをして、選抜のメンバーをサポートしてくれと選手と保護者にお願いしました。
それもこれも、もしかしたら、高田イーグルスの選手が選抜大会に出られるように事態が好転するかもしれないという一縷(いちる)の望みをかけて、先手を打つ努力をしました。

最初は、10人の練習が続きました。
高田イーグルスのメンバーがいなくても、柳津のハルとコタロウのバッテリーはしっかりしているし、センターライン(バッテリーとショート、セカンド、センターのライン)もとれる、それぞれの守備適正もあるということが確認できました。
10人でも、やれる!という算段はつきました。
佐藤監督と何とかなるなという見通しがたった時はうれしかったものです。
それは良かったのですが、そこに自分のチームのメンバーがいないというのは、やはり寂しいものです。
そうこうしているうちに、高田イーグルスのメンバーも練習に顔を出すようになりました。
あくまで大会には参加しない、サポートメンバーとしてですが。
私はそれでもうれしかった。うれしかったです。
たとえ大会にでなくても、同じ6年生として選抜のメンバーをサポートするという気持ち、気概。
大会でないと決めても、その子供たちを練習会場まで送迎していただける、保護者。
ありがたかったです。

なんとか、コロナの状況が好転してくれることを思い続けます。
念ずれば通ず。
まさに、これでしょう。
県下にまん延防止も解除、修学旅行の日程も変更になりました。会津選抜に有利な方向に!
高田イーグルスが、会津選抜に参加しないという理由がなくりました。
これまでの練習でも、
「あ~ぁ、ここに高田イーグルスがいてくれたらなぁ。でも、いねえからなぁ。」
と、さんざん待望論を流布してきました。
時いたれり。
しかし、この時点で不安もありました。
せっかく、会津選抜は10人でいくと決めたばかり。
高田イーグルスが入ることによって、試合に出れなくなる選手も必ずでてきます。
私の記憶によれば、誰ひとり文句を言う保護者はいませんでした。
本来ならば、違うでしょう?と詰め寄られることも予測していました。
それはありませんでした。思っていた人もあったでしょうが、それを表に出さない思慮深さ。
ありがたいです。そしてご迷惑をおかけしました。

となれば、高田イーグルスも参加させていただく、そういう流れになりました。
大会にでないことを前提として練習に参加していましたが、事態が好転して、高田イーグルスにもチャンスが回ってきました。
出れる!
世の中、捨てたもんじゃありませんね。
もしかしたらの可能性に賭けて準備をしてきたかいがありました。
練習に参加させていただいてよかった。
選手登録をしておいてよかった。
出れるとなっても、なかなか腰を上げないメンバーもいて説得にも苦労しました。
だが、そろった。全員が。
いろいろあって、10人も会津選抜メンバーは幻となりました。 
そして、新生2021会津選抜メンバー18名での船出となりました。
まったくもう、出だしから前途多難、紆余曲折、前方不注意。
佐藤監督、大堀コーチ、山内コーチが言いました。
「やっとそろったか!」

佐藤監督がいいます。
いろいろあったけど、結果、良かった!なんとかなりそうだねと。
本当にその通りです。

ここに2021会津選抜のメンバー18名がそろいました。

今日は、ここまでとします。
6年生最後の大会の関柴大仏杯、準優勝。
これまでいくつかの大会の3位を祝って、久々に祝勝会をやることになりました。
このコロナ禍においても、やっとそういうことが許されるようになってきました。
他のスポ少さんもすでにやっているということも確認した上で、このタイミングを狙いました。
とはいえ、まだ保護者の職場では規制が解除されないところもあるので、自由参加としました。
そして、あまり密にならないように、各家庭保護者はひとりのみ。コロナ対策はおこたりません。
段取っていただいた会長、副会長に感謝ですね。

場所はいつもお世話になっている、きらくやさん。旧高田スポ少のOBのお店です。
ホルモンが看板メニューですが、中華にパスタにスリランカカレーと多彩なラインナップ、ソフトクリームもあり、子供たちにも保護者にも受けがいいお店です。

何年ぶりがわからないくらい、みんなで祝勝会をやっていませんでした。長いトンネルでしたね。
待望。
私たちは、この時を待っていました。
その長いトンネルを抜けた後の祝勝会のお酒がまずいわけがない。
百薬の長が、五臓六腑に染み渡ります。
あぁ~ぁ、美味い!
ハイボールが、ハイハイハイハイハイハイボールになります。
いろんなことを、保護者のみなさんと話しました。
今年のスポ少のいろんなプレー、その裏にあったいろんな苦労、子供たちの思い、保護者の思い。
選手ひとりひとりに、保護者ひとりひとりの思いをお酒を介して話し合います。
背負っていたものをひとつずつ確認しながら下ろしていきます。
あんなことがあった、こんなことがあった。
そのたびに、その時の感情がよみがえります。
福田コーチなんて、三星臨時コーチとお互いに泣き合って何言ってるのかわかりませんでした。
みんなの思いがあふれ出る。
やはりこういう時間は大事なんですね。

私はといえば、今日の大仏杯のタイチのエピソードを声高に話していたと思います。
あのタイチが、あのタイチがですよ。
あんなにマイナス思考の後ろ向きな奴が、
負けそうになって泣いている私に向かって、
「泣くのはまだ早い!」という。
あのタイチが……。
スラムダンクの流川みたいにかっこよく見えました。かっこよすぎるじゃないですか!
そう言って、酔っ払いの馬鹿笑い、ガハガハぁ。
子供たちや保護者のプレーや気づかい、行動が1番の酒の肴なんですよね。

そしてもうひとつ。
今日の大仏杯の山場となった、三回裏トウマのタッチアップについて。
あのプレーを私は引きずっていました。
みなこコーチが私にハイハイハイハイハイハイボールを、注ぎにきてくれた時にその話をしました。
あのプレーが今日の試合の勝敗を分けた分水嶺だったと。
トウマが生還していれば、2:3、一点差に詰め寄り、ツーアウト、二三塁で2番のユウキ。なにかあったかもしれない。同点、もしくは逆転していたかもしれない……
あそこで、的確な指示を出せなかったサードコーチャーだった私の責任、小島監督、福田コーチ、みなこコーチ、ごめんと吐露しました。
私がそう言うと、みなこコーチが
「トウマがタッチアップの感覚になれていないのはわっていました。6年生たちとのAチームに入っていると、ランナーを想定しての守備練習の機会は多くなりますが、反対にランナーの練習はできなくなります。同様にアユキもトウマと同じ傾向があります。
なので、今回のトウマのタッチアップホーム突入憤死は、トウマにタッチアップの感覚がないということをあらかじめサードコーチャーに伝えなかった私の責任です。」
みなこコーチはキッパリと私の目を見て言いました。意志の強い眼差しでした。
いえいえ、あれは事前にタッチアップの可能性を伝えなかった俺のミスですってというと、いえいえあれは私のミスですってとみなこコーチ。
すいません、ごめん、すいませんのダチョウ倶楽部のような応酬。
それをやりながら、私は、ひとりやってるのではないなぁ、と思えました。
こうやって問題意識を言わなくても共有していただける。
そのやりとりをしかながら、いい指導者たちだなぁと思いました。
こんないい指導者がいる、高田イーグルスはいいチームだなぁと思えました。
ミスはミスとして、試合が終わった後にきっちり検証する(今回は酒の席ですが)。
原因を明らかにして、次にそういうミスが起きないように責任の所在を明らかにする。
選手にあれば、選手に、
指導者にあれば指導者に。
そこをはっきりさせておく、これって大事です。
これをやらないと次につながりません。
今回は私に否があったので、後でトウマに謝りました。
タッチアップ憤死について、ご家族からも怒られていたと聞いたので、なおさら悪かったな、ごめんなと謝って起きました。
大人もちゃんと謝るというところを示しておきます。
自分に否があるのに、変なプライドが邪魔して謝れない。
そういう時もありますが(家では特に)、今回はトウマに対しても、チームに対しても申し訳なかった。
このまま、うやむやにはできません。
そんな、気持ちで飲んでる酒はまずくなるでしょう。
みなこコーチと話すうちに、ちゃんとトウマに謝ろうと思いました。
自分の否を認める。
そうすることで、気持ちが晴れやかになりました。
そして、ハイハイハイハイハイハイボールが、また美味くなりました。
自浄。
まだこれができるうちは、私は指導者としてまだやれると思います。
まだまだ私も指導者として、成長できるはずです。
指導者としてだけではなく、人間としても。
間違えない人なんていないんですから。
問題は間違えた時、その時なんです。
その後にどうするか?
それをみなこコーチは気づかせてくれました。
そういうお気づかいがありがたい。
たまにぐさぐさっときますが、
そう言うと、うるさいと思われるかもしれませんが、これからも私は、言うべきことは言っていきますと、みなこコーチははっきり言いました。
さっきよりも、強い眼差しで。
私は、どうぞどうぞ、どんどん言って下さい、
その意見を採用するかしないかは別として、みなこコーチもそれ以外の人の意見も聞かなくなったらば、そのチームも私も終わりだと思います、
そう伝えました。
だいぶたじろぎながら。
言うべきことは言う、
どうぞどうぞ、バンバンいらっしゃい!
お互いの立場を再確認したといっていいでしょう。
まったくもっていいチーム。
大橋監督、あなたがいなくなっても高田イーグルスはいいチームになっていきますよ。
私はかつての盟友に向けて、杯を傾けます。

その辺までは覚えています。
えっ、なぜって?
ご承知のとおり、あの時はすごく快調にお酒が進みました。とても美味しいお酒。
そのお酒が私の記憶を奪っていきました。
いろんなことを話したと思いますが、覚えているのはこの辺までです。
後は、まったく記憶がございません。
いい話も覚えていません。いい話だったら、あっもぅ、もったいないなぁ。
でも、いい祝勝会だった。
お父さんお母さんたちの笑顔の奥に、子供たちの笑顔を見る。
これまで何年も何年も、何十回も私が見てきた風景です。
そのひとつひとつがすべて違うページです。
最初のダイスケ世代から昨年のソウゴ世代、そして今のレン世代。
みんなうれしそうだった。
それだけで十分です。
それだけで、やってきた意味があります。
昔を思い出しながら、今に至ります。
そして、小島監督と福田コーチ、みなこコーチ、保護者のみなさんと祝杯をあげる。
杯を開けまくる。
明日、地獄の二日酔いになることも知らずに。

2021高田イーグルス、記憶のない大祝勝会&慰労会でした。
♪ 縦の糸はあなた~、横の糸はわたし~ ♪
これはなにも恋人たちだけの歌ではありません。
スポ少もしかり。
人が織りなす物語は、誰かと出会ってからでないと織りなせない。
人が糸だとするならば、ひとりではただの一本の糸のまま。
縦に横に織りなされてこそ、織物になる。
それでこそ、いろんな役にもたつし、あたたかく人を包み込むこともできる。
からまってこその存在意義がある。
いろんなところで、いろんな人に出会って、いろんな織物として表現していく。
生きていくことは、最後まで物語を編んでいくことなんだと思います。
まだ見ていませんが、『糸』という映画を見てみたい。
今年のスポ少も、そういった意味で、いろんな物語を編んできたと思います。

先の関柴さんの大仏杯で、今シーズンの高田イーグルスとしての最後の大会が終わりました。
結果は、今シーズン初めての決勝戦に挑み、全力を尽くした上での準優勝。
柳津さんとの決勝を夢見ていましたが、それはかなわず。
柳津さんを倒した下郷さんを倒しての優勝を目指しましたが、下郷さんの前に屈する。
あの強さで新人メンバーだというから驚きです。
そんな強敵を前に、負けはしましたが、今シーズンの最高の結果をみんなで勝ち取りました。

私はそれをサードコーチャーズボックスから見ていました。
これまであったいろんなことを思い出しながら、今年のレン世代の最後の戦いを目に焼き付けていました。彼らと戦うのもこれが最後。
万感の思いで、目頭が熱くなります。

ちょっとそれはおいておいて、試合の流れから。
下郷さんの先攻で始まりました。高田イーグルスは、初回に先頭をファーボール、エラーもからんで3点を失います。
まず主導権を握られます。
しかし、その裏にレンの1発で、すぐに反撃の狼煙を上げますが1点止まり。
主導権は下郷さん、高田イーグルスが2点を追う展開になります。
2回の下位打線を抑え、3回の攻防。表をゼロに抑えます。

そして、この試合の山場3回の裏を迎えます。
トウマからの打順、しぶとくライト前に運んでまずは一塁に。
そこから、アユキのサードへのセフティバント、レオのファーボールでランナーが埋まってきます。
相手が苦しいところで小技と選球眼を発揮する。下位打線にしぶとさがありました。
これは、もしや!と思い始める。逆転のきっかけなんてそんなもんです。
最初は、おぼろげな希望でしかない。普段であれば簡単にアウトになってしまう。しかし、こういう時、その薄い可能性が連鎖していくことで、みんなが奇跡を信じてみたくなる。
「流れ」とはそういうものです。
そして、誰もがレンまで回してくれ!と祈る。
相手投手もこの下位打線で切らなければいけないことはわかっていたはずです。
ここはイーグルスが流れを制しました。
ボルテージにゲージがあるとすれば、ここがMAXでしょう。
やってきました千両役者。
1死満塁として、バッターは前の打席でホームランのレン。 
ここで最低でも同点、逆転はしておきたいところ。
その可能性は十分にあります。
下郷さん、外野はあり得ないくらいに下がっています。特にライトは。
ここで一発をくらってはいけないことはじゅうじゅうわかっているということです。
二点差を考慮して、長打警戒のみのシフト。
この下がり具合は、レンでも抜けないかもしれない。捕られる可能性もある。
しかし、レンならば……
貧すれば鈍す。
ピンチの時ほど、都合のいい方を選びたがります。
そこに油断がありました。
三塁にいるトウマにあらゆる可能性を伝えませんでした。
レンがホームランを打つことしか考えていませんでした。最低でもヒットを打つ。それしか、考えていませんでした。
ここが、この試合の天王山……だった。
今思うとそう思います。

レンが放った大飛球。
定位置だったならば、抜けてホームランとなったでしょう。
しかし、長打警戒のシフト。
それでもライトは懸命にさがり、なんとかキャッチします。
抜けたと思った、三塁のトウマはハーフウェイまで飛び出ています。
戻れ!と指示を飛ばしますが、戻ったときは、ライトが捕球したと同時くらい。
体勢をととのえないまま、タッチアップの指示を出してトウマを走らせます。
サードランナーは、ライトからの返球はよく見えます。
これは、アウトになるかもしれないと判断したトウマは、途中でとまります。
この時点で、これはやばい、アウトのタイミングになるかもしれないと思った私は、送球がそれることを願って、行けーと再度指示を飛ばします。
おそらく、迷ったままホームに突入したトウマ。
まんまと、いい送球が返ってきました。
飛んで火に入る夏の虫。
それでも、懸命にスライディングをして、生還を試みるトウマ。
刹那。
アンパイアのアウトのコール。
ワンアウト、満塁のチャンスが、タッチアップ、ホームゲッツーで、一気に消滅してしまいました。
燃えさかる反撃の炎が一瞬で消し飛んだ。
これがチームに与える影響は計り知れません。
それをサードコーチャーズボックスから、見ていることしかできない私。
ことの重大さに気づいて、立ち尽くすことしかできません。
やっちまったぁ~
これは、俺の指示のせいだ。
プレーの前に、タッチアップの可能性も示唆していれば……
すまんトウマ。すまん、みんなと思いながらベンチに帰ります。
あぁ~ぁという味方の落胆がみてとれるだけに、なおさらつらい。
ここは、謝るしかありませんが、まだ試合は終わっていません。
反省するなら、試合が終わってから。
そう言い続けてきた私が、それを実践しないわけにはいきません。

しかし、このチャンスを活かせなかったことは、のちのちまで影響します。
当たり前のことを当たり前にできないと、流れはきてくれません。
勝利の女神は微笑んでくれません。 
その後も大きく陰を落とします。
同点もしくは逆転できなかった。
エース、ユナもいまいち調子に乗りきれない。
そこにきて、ユナが投げるときだけ、冷たい雨が降るという悪循環。
11月の寒さ、指先の感覚を奪っていきます。
ファーボールを連発。
微妙なコントロールがきかなくなってきました。
投げた瞬間に、明らかにボールとわかるコースが連発。
追いつくどころか、点差はどんどん離されていきます。
次第に盛り下がるベンチ。
敗北の大合唱が明らかに近づいているのがわかります。
冷たい雨に屈してしまいそうになります。
このままではイーグルスは消え去ってしまうという危機感。
マウンドはすぐそこにあるのに、どんどん遠くに行ってしまうような感覚。
自分がなんとかするしかないという、とんでもない孤独感と必死に戦っているユナ。
同じピッチャー出身だから余計にわかるんだと思います。
6年生の最後の試合だから、みんなで声を出して応援して!とベンチの下級生を鼓舞し続ける、みなこコーチ。
はっと気づいて、このままではいけないと私も思いかえします。
こいつらとこのユニフォームを着て戦うのもこれが最後。
この6年生たちとの最後の試合をこんな葬式みたいな試合にしてはいけない。
それぞれがひとりで戦っているような思いにさせてはいけない。
みんながチームで戦っていることをもう一度思い出せるように、ベンチのみんなと声をだそう。
私も寒さで震える選手たちを鼓舞します。

「ピッチャーを助けろ!」
ほとんど叫びに近かったと思います。
相手チームに押されて、勢いをなくし、自信をなくし、今まさに高田イーグルスは、試合さえもなくそうとしています。
自然と下をばかりを向く。
肩を落とし、雨でぬかるむグランドばかりを見つめることしかできない。
このままでは終われない。
このまま終わらせてはいけない。
冷たい雨がほおをつたいます。
少し前であったなら、ユナのこころはとっくに折れて、雨と一緒に涙があふれていたことでしょう。
しかし、今は違います。
折れそうになるこころを、必死に押さえて、バックを信じて、シュンペイを信じて思い切り腕を振る。おそらく、彼女はシュンペイのミットをみて、集中して投げることでその精神を保っていたと思います。
大丈夫!俺が全部とるよ!だから思い切りこい!
うん、わかった!
そして、シュンペイはユナが投げやすいように、努めて大きく構えます。
その動作に、バッテリーの無言の会話が聞こえてくるようでした。
マウンドは孤独ですが、決してひとりで戦っていないということを彼女はわかっています。
そして、エースとしてのユナを信じてバックを守る彼らもいます。
だから、私は彼らに頼むんです。
お願いだから、ピッチャーを助けてやってくれ、と。
いってるそばから、目がうるんでくる、涙で前が見えなくなってきます。
春先は、ピッチャーのノーコンとバックのエラー、あんなにかみ合わなかった彼らがこの冷たい雨の中、必死に踏みとどまっています。
チームが勝つためでもありますが、このくそ寒い雨の中、集中しているのは、隣にいる仲間のためだと私は思います。

なんとか、スリーアウトをとってベンチに戻ってくる彼ら。
マスク越ではありましたが、私が泣いていることに、レフトから戻ってくるタイチが気づきました。
「コーチ、泣くのはまだ早いですよ。試合は終わっていません。すぐに追いつきます!」
詳しくは思い出せませんが、そんなようなことを私にいったと記憶しています。
そして、颯爽とベンチに戻っていくタイチ後ろ姿を見る。
私は泣き止むどころか、さらに前が見えなくなりました。もはや水中だといっていい。
あのタイチが私にそんなことを言うようになるとは!
今度の涙は、うれしい方です。
大きく成長して、他者に対する配慮、この劣勢にあってもチームに貢献しようとする姿勢。
あのタイチがですよ。
そうかっこいいことを言っていいのは、スラムダンクの流川クラスだけだからと、突っ込みを入れますが、あの時はタイチは確かにかっこよかったです。
自分がミスをしたり、ミスをしそうになるとき、
あんなに後ろ向きなことしか言わなかった奴が、反対に私を励ましています。
タイチのこころの成長を感じました。
てめぇら泣かせんじゃねえぞ、曇天(どんてん)の空を仰ぎ見ます。
この感極まっての涙とうれしい涙の混在。
彼らは確実に成長している。
それを最後の最後に我々に見せてくれている。
しかし、それも今回で最後。
終わりの時は確実に近づいてきます。
もう終わってしまう。それがわかる。
ベンチにいる彼らをみる。
どうしようもない寂しさの涙がやってきます。
もう、こいつらと一緒にソフトボールができないんだ。
そう思うだけで、天を見ている瞳のダムがあふれ出します。止められない。
雨で濡れたサードコーチャーズボックスが、私の涙でさらに濡れていきます。
マスクはぐしょぐしょです。

そして冒頭の「糸」を思い出します。
どちらが縦で、どちらが横かはわかりません。
しかし確実に言えるのは、スポ少という舞台で、選手のみんな、我々指導者、そして保護者のみなさんと1つの織りなす物語を作ってきたということです。
決してひとりでは、なしえなかった。
いろんな人が、いろんな材質、いろんな色の糸があってこそ、多彩な色彩や十分な強度を保つことができる。
ひとりひとりが一本の「糸」。
一本では、きゃしゃで、頼りなく、ふきとびそうな糸。
しかし、それがふたり、三人、四人とどんどん出会って、織り重なっていく。
人と関わることで、自分の存在に気づくでしょう。
そして、その自分も他者の存在の気づきになっている。
ホームランを打った自分をすげぇべと聞いてくるレン。
静かに自分の役割をこなすユウキ。
プレー以外の気づかいでもみんなを支えるマナト。
プレーでもベンチでもつっこみどころ満載のコタロー。
いっぱいいっぱいになりながらも全力をつくすレオ。
こころが弱っていた私に前向きな言葉をかけるタイチ。
そして、ユナのシュンペイのバッテリーをみる。
中島みゆきさんが高田イーグルスを歌ってくれています。
間違いなく私たちの糸は、彼らの糸と交差している。織りなしている。
彼らは私に教えてくれます。私達、大人に教えてくれます。
自分の居場所を探し、他者とともに居場所を作り、他者への配慮も忘れない。
これだけで、小さな糸が生きていくための練習の場に十分になりえる。
たかだが、スポ少という小さな舞台ではありますがこころを揺さぶる物語を紡いでいます。
私たちはそれが見たかった。そんな彼らを支えることで、自分たちも支えられていたことに気づくんです。
そんな彼らとの物語もここで終着となりました。
2:9。この試合は、下郷さんに軍配があがりました。今年の関柴、大仏杯は準優勝。
コロナ禍で大会数の少ない中では、ありますが、今年の最高成績を収めました。
この時期に、開催までこぎつけていただきました関柴スポ少、審判団、大会関係者の皆様には感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。

さて、今年も終わってしまいました。
でも終わりではないんですね。
すでにもう始まっています。次の物語が。それぞれの物語が。
誰かと出会い、また新しい物語を織りなす。
私は確信しています。
彼らが織りなす物語には、スポ少の成分が必ず入っているであろうことを。
その糸がいろんな場所でひろがっていくであろうことを。


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