時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
少し前に今年の目標を決めるとき、
選手たちにどんなソフトボールを目指すかという問いをしました。
例年であれば、「県大会にいきたい!」「大会で優勝したい!」、そんなような事がでてきます。
ちなみに、去年のレン世代はと言えば、「ちゃんとキャッチボールをやる」でした。
まぁ、らしいと言えばらしい。
しかし、ぜんぜん子供らしくない。野望のない答えでした。だからと言って悪いわけではありません。
その裏には、基本に忠実でありたいというレンなりの野望があったんだと思います。
そして、今年のカナト世代。
キャプテンである、カナトは、「楽しくやりたい……」と言いました。
カナトがそういう前に前置きがありました。
コーチ陣は、今年の目標を決めるために、選手たちの気持ちを確認したいということで、
勝ち負けにこだわってやるか?
そこにこだわらず楽しくやるか?
どっちだというように選択肢を2つ用意したと記憶しています。
いろいろ、みんなに聞いていって、最後にカナトだったと思います。
「楽しくやりたい!」
その前には、勝ち負けにこだわらず、というカナトの枕詞が入ると私は理解しました。
我々コーチ陣は、ズコッとずっこけます……
……が、しかしそれがいまのところのカナトの本音なのでしょう。
我々、指導者の思惑とは異なりました。
普通であれば、県大会、優勝と来るだろうとふんでいたのに・・・
んーと思案したあげく、そういう意見もあるけど、楽しいだけではだめだ、楽しいとふざけるでは違う、本当の楽しさは苦しい練習を耐えた後にあるみたいなことを言って、その場を納得させたように記憶しています。
しかし、私の中にずっと小骨のように、カナトの言葉が突き刺さっています。
そして、今年の選手の戦いっぷり、甲子園で見てきた高校野球、いろんなところから入ってくる情報から、今の時代、カナトのいう勝ち負けにこだわらない楽しい、和気あいあいとしたソフトボール、それもありなんじゃないだろうか?と思い始めています。
昨今の野球離れのひとつの要因として、競技としての野球を追い求める傾向、そしてそれを奨励しているマスコミや世の中の風潮があると思います。
いろんなものを犠牲にしたり、敗者を美談するなど、我々もそれを求めています。
上手い下手、勝ち負けにこだわるあまり、大事なことを見落としている。
カナトの正直な、大人に忖度しない言葉は、私をはっと、立ち止まらせてくれました。
世の中は、多角的で多面的、表があれば裏がある、そして立場によっては、表も裏もない。
正直な意見、心の中に思うことは誰にも止められません。
和気あいあいと、仲間と楽しくやるソフトボールがあってもいい。
私もそう思います。世の中に一定数、その考えの人はいると思います。
しかし、立ち止まった私は再び動き始めます。考え始めます。
楽しさを求めることはわかる、しかし、本当にそれだけでいいのかと、そこで止まっていていいのかと。
スポ少の本来の目的は、どこにあるのか?
はるか遠くにある、頂をもう一回見ろと考えさせてくれています。
カナトのいう「楽しさ」とは、我々が休み時間や放課後にやっていた、あの野球です。
ちょっとした広場や田んぼがスタジアムと化し、棒っきれをバットに、丸めた紅白帽子をボールにしてやっていた遊びの野球。
審判などいるはずもなく、微妙な判定はじゃんけん。
誰に怒られることもなく、エラーしてもゲラゲラ笑い、勝ち負けにもたいしてこだわらない、プレッシャーのない野球。
誰しもここが出発点であり、スタートラインであったと思います。
ここで、あぁ野球って面白なぁとまず初めに気づく、ファーストタッチ。
よーし、野球は面白いから、4年生になったら、スポ少をやろうと志す。
そこから、競技としても野球、ソフトボールが始まります。
競技なので、勝ち負けがあります。
勝つためには、何をやるかが体系化されてきます。
投げ方にしても、打ち方にしても、上手くやろうとすると努力が必要になってくる。
そして、周りは仲間でもありますが、ライバルでもある。
少し上手くなっても、上には上がいるという現実にぶつかる。
ミスをしたり、チャンスに打てなかったりすると、怒られる。
怒られないまでも、ミスした自分のちっぽけさに、いやおうなく気づかされます。
誰しもぶつかる、厳しい現実という壁。
この壁にどう対応するか?
ぶち破るか、迂回するか、逃げるか、いろんな選択肢があります。
ここに答えなどありません。
我々、大人はアタックしろ、ぶち破れとけしかけます。
自分が逃げてきたことを差し置いて。
逃げたり、避けたりもしたけれどなんとかやってきて、ここに至っています。
なんとかなるんです。後から見れば、そうたいした問題ではないし、問題だとしても、もう戻れない。なんとかするしかないんです。
壁の大小、種類はあれど、すべてを逃げずにぶち当たってきた人などいません。
だから、どの道を通ってもいいと思います。
しかし、私は、野球を、ソフトボールを続けてほしいと思います、願います。
なぜなら、壁の向こうにある「本当の野球の面白さ」を知ってほしいからです。
その本当の面白さを知ること、経験することが、生きていくうえで役に立ち、野球が、自分という存在を支えてくれるものになると信じているからです。
そういいつつ、その手段は「野球」に限ったことではないとも言います。
しかし、ソフトボールの指導者として、我々が存在する大きな意味は、ここにあるのだと私は思っています。
いろんな挫折や失敗を繰り返しながらも、人として成長する、人として楽しくいきる。
その支えのひとつとして野球やソフトボールがあったらいいと思うんです。
カナトは、まだ「楽しい」の意味を分かっていません。
カナトのいう最初の「楽しい」を認めつつも、その先にある、「本当の楽しさ」に気づかせることが我々の役目でしょう。
この「本当の楽しさ」、ここに気づくまでには、いろんな苦労、苦しみも経験しなくては、一概にはたどり着けません。
我々コーチ陣は、大なり小なり、それを経験しています。だからこそ、子供たちにも、本当の楽しさを知ってほしいと思います。そのための伝道師が我々なんです。
それは、小学校時代にできるかはわかりません。
中学、高校、大学といつになるかはわかりません。
その種をまきましょう。そして、水と栄養を与え続けましょう。
来るべき時がきたら、カナトは「本当の野球の楽しさ」に気づくことでしょう。
さて、6年生の今年、それを気づかせてやることができるか?
また、我々の楽しみが増えました。
選手たちにどんなソフトボールを目指すかという問いをしました。
例年であれば、「県大会にいきたい!」「大会で優勝したい!」、そんなような事がでてきます。
ちなみに、去年のレン世代はと言えば、「ちゃんとキャッチボールをやる」でした。
まぁ、らしいと言えばらしい。
しかし、ぜんぜん子供らしくない。野望のない答えでした。だからと言って悪いわけではありません。
その裏には、基本に忠実でありたいというレンなりの野望があったんだと思います。
そして、今年のカナト世代。
キャプテンである、カナトは、「楽しくやりたい……」と言いました。
カナトがそういう前に前置きがありました。
コーチ陣は、今年の目標を決めるために、選手たちの気持ちを確認したいということで、
勝ち負けにこだわってやるか?
そこにこだわらず楽しくやるか?
どっちだというように選択肢を2つ用意したと記憶しています。
いろいろ、みんなに聞いていって、最後にカナトだったと思います。
「楽しくやりたい!」
その前には、勝ち負けにこだわらず、というカナトの枕詞が入ると私は理解しました。
我々コーチ陣は、ズコッとずっこけます……
……が、しかしそれがいまのところのカナトの本音なのでしょう。
我々、指導者の思惑とは異なりました。
普通であれば、県大会、優勝と来るだろうとふんでいたのに・・・
んーと思案したあげく、そういう意見もあるけど、楽しいだけではだめだ、楽しいとふざけるでは違う、本当の楽しさは苦しい練習を耐えた後にあるみたいなことを言って、その場を納得させたように記憶しています。
しかし、私の中にずっと小骨のように、カナトの言葉が突き刺さっています。
そして、今年の選手の戦いっぷり、甲子園で見てきた高校野球、いろんなところから入ってくる情報から、今の時代、カナトのいう勝ち負けにこだわらない楽しい、和気あいあいとしたソフトボール、それもありなんじゃないだろうか?と思い始めています。
昨今の野球離れのひとつの要因として、競技としての野球を追い求める傾向、そしてそれを奨励しているマスコミや世の中の風潮があると思います。
いろんなものを犠牲にしたり、敗者を美談するなど、我々もそれを求めています。
上手い下手、勝ち負けにこだわるあまり、大事なことを見落としている。
カナトの正直な、大人に忖度しない言葉は、私をはっと、立ち止まらせてくれました。
世の中は、多角的で多面的、表があれば裏がある、そして立場によっては、表も裏もない。
正直な意見、心の中に思うことは誰にも止められません。
和気あいあいと、仲間と楽しくやるソフトボールがあってもいい。
私もそう思います。世の中に一定数、その考えの人はいると思います。
しかし、立ち止まった私は再び動き始めます。考え始めます。
楽しさを求めることはわかる、しかし、本当にそれだけでいいのかと、そこで止まっていていいのかと。
スポ少の本来の目的は、どこにあるのか?
はるか遠くにある、頂をもう一回見ろと考えさせてくれています。
カナトのいう「楽しさ」とは、我々が休み時間や放課後にやっていた、あの野球です。
ちょっとした広場や田んぼがスタジアムと化し、棒っきれをバットに、丸めた紅白帽子をボールにしてやっていた遊びの野球。
審判などいるはずもなく、微妙な判定はじゃんけん。
誰に怒られることもなく、エラーしてもゲラゲラ笑い、勝ち負けにもたいしてこだわらない、プレッシャーのない野球。
誰しもここが出発点であり、スタートラインであったと思います。
ここで、あぁ野球って面白なぁとまず初めに気づく、ファーストタッチ。
よーし、野球は面白いから、4年生になったら、スポ少をやろうと志す。
そこから、競技としても野球、ソフトボールが始まります。
競技なので、勝ち負けがあります。
勝つためには、何をやるかが体系化されてきます。
投げ方にしても、打ち方にしても、上手くやろうとすると努力が必要になってくる。
そして、周りは仲間でもありますが、ライバルでもある。
少し上手くなっても、上には上がいるという現実にぶつかる。
ミスをしたり、チャンスに打てなかったりすると、怒られる。
怒られないまでも、ミスした自分のちっぽけさに、いやおうなく気づかされます。
誰しもぶつかる、厳しい現実という壁。
この壁にどう対応するか?
ぶち破るか、迂回するか、逃げるか、いろんな選択肢があります。
ここに答えなどありません。
我々、大人はアタックしろ、ぶち破れとけしかけます。
自分が逃げてきたことを差し置いて。
逃げたり、避けたりもしたけれどなんとかやってきて、ここに至っています。
なんとかなるんです。後から見れば、そうたいした問題ではないし、問題だとしても、もう戻れない。なんとかするしかないんです。
壁の大小、種類はあれど、すべてを逃げずにぶち当たってきた人などいません。
だから、どの道を通ってもいいと思います。
しかし、私は、野球を、ソフトボールを続けてほしいと思います、願います。
なぜなら、壁の向こうにある「本当の野球の面白さ」を知ってほしいからです。
その本当の面白さを知ること、経験することが、生きていくうえで役に立ち、野球が、自分という存在を支えてくれるものになると信じているからです。
そういいつつ、その手段は「野球」に限ったことではないとも言います。
しかし、ソフトボールの指導者として、我々が存在する大きな意味は、ここにあるのだと私は思っています。
いろんな挫折や失敗を繰り返しながらも、人として成長する、人として楽しくいきる。
その支えのひとつとして野球やソフトボールがあったらいいと思うんです。
カナトは、まだ「楽しい」の意味を分かっていません。
カナトのいう最初の「楽しい」を認めつつも、その先にある、「本当の楽しさ」に気づかせることが我々の役目でしょう。
この「本当の楽しさ」、ここに気づくまでには、いろんな苦労、苦しみも経験しなくては、一概にはたどり着けません。
我々コーチ陣は、大なり小なり、それを経験しています。だからこそ、子供たちにも、本当の楽しさを知ってほしいと思います。そのための伝道師が我々なんです。
それは、小学校時代にできるかはわかりません。
中学、高校、大学といつになるかはわかりません。
その種をまきましょう。そして、水と栄養を与え続けましょう。
来るべき時がきたら、カナトは「本当の野球の楽しさ」に気づくことでしょう。
さて、6年生の今年、それを気づかせてやることができるか?
また、我々の楽しみが増えました。
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