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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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前段で話して、そのままになってました。
田島から帰る道すがら、どうやったら子供たちの理解を得ることができるかを考えました。

なぜ、挨拶をするのか?
なぜ、キビキビ動かなければいけないのか?

大人となった今ではいろんな、理由、根拠が出てきます。
そして、それは人それぞれでいい、ということもわかっています。
子供たちも基本的には、人それぞれでいいと思います。
しかし、強制はできませんが、人としてのベースとなるところは同じであって欲しいと思います。

挨拶(あいさつ)。
人と人とのコミュニケーションの基本となるところです。
そして、いろんな人、モノ、事象、信仰の基本となる動作だと思います。

野球部的に言えば、まず先輩、指導者へのあいさつ。基本中の基本ですね。
これをやらなかったばかりに、反省会で先輩に絞られて、辞めてった野球人を何人も見ています。
あったんですよね、理不尽が。
それが、まかりとおっていた。
それが、スタンダードの時代だったといったらいいでしょうか。
それのおかげで、なんの抵抗もなく、挨拶は気持ち良くできるようになりました。
それなりに頭のいい高校なのに、最後に「し」をつける。
先輩が3人以上いたら、挨拶は3回するなど、へんなご当地ルールがあったことを今でも思い出します。
そして、地獄の「杉の木」という約400mのダッシュ。
しごきにはこれがつきものでした。
練習してヘトヘトなのに、長時間の説教。
なにをいっても全否定。口答え、論破はできません。そして、最後に校庭の端から端まで行って戻ってくる「杉の木」と呼ばれるダッシュ。
一本で終わればいいんですが、帰ってきた途端に、もう一本のおかわりもある。
残っていない体力の限界をこえていました。
これが、つらくて30人以上いた、1年生の仲間は半分になりました。
そういう時代だったんですよね~。
とにかく、挨拶をしなかったら、先輩にしばかれる。
なぜ、挨拶をするのかという根本的なことは後回しでした。
怒られたくない、しごかれたくない、仲間に迷惑をかけたくない、この点のみ。
挨拶の大切さなんて、じっくり考えたことはありませんでした。
なぜ挨拶するかを考える前に、私の中では、挨拶することは当たり前になっている。
しかし、今から学んでいく小学生にはそういう訳にはいきません。
なぜ、挨拶をするのか?
この意味、大切さを腑に落としてもらいましょう。

挨拶の意義はと考えて、まっ先に私はグランドへ入る時の挨拶を思い出しました。
どこのグランドにいっても、中を入る時は、必ず帽子をとって、「お願いします!」と挨拶をする習慣がついています。
これをやらないと、気持ち悪いんです。
そのグランドにいると思われるグランドの神様、整備していただいている選手はもちろん保護者、関係者の方々に対する、ありがとうございます、この気持ちですよね。
そういうのを全部ひっくるめて、グランドの神様と私は呼んでいます。
野球のあるところ、ソフトボールのあるところ、その神様は必ずいてくれます。
グランド整備を自分たちと同じように、同じ気持ちでやっている人達が必ずいるんです。
それを思えば、自然と帽子をとって、ありがとうございますのひと言が出てくる、私はそう思います。
高田イーグルスの子供たち、保護者の皆さんもそういう気持ちであって欲しいと切に思います。

そして、もうひとつ。
これは、最近思っていることです。
グランドに挨拶をすること、それは自分自身の「やる気スイッチ」を入れるためです。
自分自身のためでもあり、隣のいる仲間のためでもあり、チーム全体のためでもある。
自分が大きいやる気のある声で挨拶をすれば、隣にいる仲間もつられて大きい声で挨拶をしたくなります。
それが、連鎖すればチーム全体が大きな声で挨拶をするようになります。
こういうチームの中で、大きな声を出していると、自然と大きな声が出るようになってきます。
声の大きさは自信の大きさ。
自然と自分に対する自信も大きくなっていくと私は思っています。
自信がないなら、まず声を出せ!
声をおおきくだすことで、横隔膜の筋肉が鍛えられます。
肺活量が大きくなると、1回に呼吸できる量が大きくなる。
ということは、取り入れる酸素量が大きくなります。
これは、運動量、回復量、思考力の上昇を意味します。
声を大きくだすことには、きちんとした根拠、理由があることに気づきます。
この大きな挨拶というやる気スイッチ、これがいつもひとりひとりが、きちんとやれていれば練習の密度は確実に向上するはずです。
大きな声で、挨拶するのは、自分のため、隣にいる仲間のため、そしてチームのため。
これ以外にチームスポーツが目指す目標はあるでしょうか?
これができる子、この意味がわかる子はどこに行っても大丈夫だと太鼓判を押します。
挨拶は、ペイフォワード。
いいことの先送り。
必ずいつか自分のところに戻ってきます。 
全部できなくてもいい。
完璧にやらなくてもいい。
でも、ここだけはやる!ここは必ずやるという覚悟を時折もつだけでいい。
それが、選手全員で一致したときに無類の強さを発揮することでしょう。
私は、そういう瞬間を何回か見てきています。
前評判の強さなど無視した、現場の強さを。
その子たちを思い出す時、彼らは必ず大きな声で叫んでいます。
さぁ、こい!俺のところにこい!
大人になったら、絶対に出すことができない声です。
心の底から、仲間のため出す声。
自分のために出す声。
チームのために出す声。
そんな昔の選手たちに、今の選手たちが重なります。
ゼンジが、アオトが、
……
そこに選手全員が追随していく。
近い将来が見えます。
我々指導者は、それを続けていけるように支援をしていきましょう。
一時は誰でもできます。 
難しいのはこれを継続していくこと。
させるのではなく、自分たちでやろうと思わせること。
主役は俺たちだと思ってもらいましょう。
厳しさも必要です。
そして、それ以上のパッションも。
遅ればせながら、原点に立ち戻った高田イーグルス。
何回スタートしてもいい。
さぁ、ここからです。




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田島夢カップで大敗を喫した高田イーグルス。
精神的な弱さを露呈し、自分たちの弱さを見つめ直すきっかけとなりました。

白獅子まで、わずか1週間。
しかし、人はやり直そうと思えば、遅いときなどないんです。
今この瞬間から、変わることができる。
白獅子に間に合わなくてもいいんです。
彼らが今の状況ではいけないと自覚し、変わろうとする覚悟が大事なんです。
星稜高校の山下監督の言葉。


心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

プレー云々よりも、彼らの普段のココロノモチカタ、取り組み方を変えていくことで、彼らの行動、習慣、人格、運命を変えていきます。
なぜなら、それがプレーに表れるからです。
そして、この考え方は生き方に通じる。
たかがこどものスポ少ですが、今後の生き方に大きく関わってくるはずです。
これは、必ず役に立つ。
試合後のミーティングで、私たち指導者の全員がそう思ってくれたはずです。
子供たちに教えるとはいいますが、実はこういうところで、我々自身のことを見つめ直すきっかけをもらっているんです。
指導者も保護者も、私たち大人も子供たちから学んでいるんです。
子供たちに教える以上、私たち大人もそうであらねばならない。
当たり前のことです。
大人が行動で示し、模範となり、背中で語る。
私もなかなかできていません。
むしろ、駄目な見本の方が多いでしょう。
しかし、せめて大事なところ、人としての部分は、そうありたいと思っています。
100%の聖人君子なんていないし、そんなのクソ面白くもない。
七、八割、もっと言えば、六割くらいでいい、私はそんなスタンスです。
ともかく、大人は、特に親は、子供たちにとって、それが1番わかりやすい、身近なモデルなんです。
子供たちに変われと言っておいて、大人も変わらないなら、説得力に欠けて、絵に描いた餅となるでしょう。
大人が変われば、地域が変わります。
地域が変われば、町が変わる。
たかがスポ少ですが、スポ少ってすごいと思います。
この方針でいけば、いつか、会津の地から、公立高校から甲子園、いけるんじゃないかと密かに思っています。
あのセンバツに言った只見町の只見高校のように。
願わくば、夏の大会、強豪私立をぶち倒して、勝ち上がるところを見てみたい。
ソフトボールが、野球が、町と地域を変えていく。
いいじゃないですか!
まぁ、それは私個人の野望なので、置いておきます。
個人ではとうてい敵わない野望です。個人では。

さて、戻ります。
1回戦で早々に負けたので、二本柳に戻って練習することにしました。
その帰りの道すがら。
ココロノモチカタ、取り組み方を変える。
行動を変える。
子供たちに、どういうふうに言えば、あいさつやキビキビ行動することの大切さがわかるかを運転しながら考えました。
子供たちに教えるからには、シンプルで説得力がなければなりません。
なるほど、そういうことか!とひとりひとりの腑に落ちなければいけない。
頭で納得できないものは、結局のところ、入ってこない、身になりません。
「できる」ということは、なぜそうなるのか?そうせるのか?を頭で考えて解って、
そのうち、考えなくても即座に行動に移せて、
最後はそれを他人に説明できること、
究極には他人に解らせること、指導できること、そしてその「できる、わかる」の仲間を増やしていくこと、そういうことだと思っています。

なぜ、ゴロの捕球の際に右手をグラブの脇に添えるのか?
なぜ、ステップをとりながら捕球するのか?
なぜ、正面で捕るのか?
ゴロの捕球1つとっても、いろんな「なぜ」が出てきます。

その「なぜ」の理由、そうするのかという根拠を知らずに、動くのもいいでしょう。
まず、動け!動いている内に理解しろ!
これも時と場合によって、ありだと思います。
むしろ達人の域に達すれば、こちらなんでしょう。
ブルースリーもそう言ってますから。
しかし、凡人の我々、入門仕立ての子供たちにとって、その理由を解って動くのと、解らずに動くのとでは、定着率に違いがでてきます。

体を動かすのは脳。
体の器官は、脳の電気信号によって動きます。
複雑な動きには、複雑な回路の構築が必要となります。
難しい動きは、いろんな道を通らなくてはいけない。
だから、難しいんです。
いろんなパターンがある。
人は生まれた時から、いろんな場面でそのパターンを学んでいきます。
言葉を話すこともそう、歩くこともそう、食べること、排泄することもそうでしょう。
ほぼ全てのことが、脳の電気信号による命令なんです。
それをいろんなパターンで自分なりに覚えていきます。
何回も何回も繰り返すことで、瞬時に取り出せるようになること。
この動きには、このパターンというショートカットを作ること。
これが、「解る」ということなんだと、私は理解しています。
ツーアウト三塁で、セカンドゴロ、ここは考えなくてもボールはファーストでいい。
その間には、サードランナーがいても、ツーアウトだから一塁でアウトを取れば、相手の得点にはならないという、根拠、理由があります。
最初は解らなくても、何回も何回も繰り返すことで、理屈をいちいち確認しなくても即座に行動に移すことができるようになってきます。

その近道が、まず、頭で理解すること。
これだと思います。
まず、動いてみようではなく、いったん頭で整理してみること、理解してみること。
そこには、法則性や特性があることに気づくでしょう。
これが後に応用力に繋がっていきます。
なぜ、そうなるのか?
なにが、そうさせるのか?
仕組みを知ろうとすること。
どうやったら、効率よく、楽にできるかを常に考える。
地頭の良さというものは、こういうところから育つと思います。脱線しました。

まず、頭でシミュレーションしてみる。
そして、理解したことを、実際に考えて、やってみること。
これを繰り返すうちに、頭が反応し、体が反応する。考えなくても対応できるようになります。
ここまできて、やっと「できる!」ということなんです。
我々が指示しなくても、いろんな状況をふまえて、自分たちで何を優先して動くべきかを考え、チームとして、どのように動くのか?
そして、実際にやってのける。
ここまできて、やっと、「できる!」なんです。

これをふまえて、この大敗を機に、我々が選手たちに解って欲しいこと。
それは、プレー以外の部分もちゃんとやること、これだとみんなが同意しました。
むしろ、これしかない、ここしかない。
こんなチームでも、この前の大会のように、上手くいく場合もある。
勝っているとき、上手くいっているときに、声を出したり、行動を律することができるのは当たり前なんです。 
しかし、今回のように試合の前から、暑さに負け、だらだらの行動、他のチームに挨拶もできない。
試合の前にすでに負けていました。いろんなところが。
そして、負けるべくして負けた。
エラーすべくして、エラーをした。
試合にエラーはつきものですが、私たちが許すのは、準備に準備を重ねた上でのエラーです。
一生懸命にやったエラーは、エラーとは言わず、チャレンジでしょう。
しかし、無策や準備無し、対策無し、不用意なエラーは許しません。
ここは、がっとばしていいところ。
このいろんな準備ができていなかったことを、今大会の最大の反省事項とします。 
まず、プレー云々の前に、選手として、人としてやるべきことをやろう!
その原点に戻ります

自分の道具の準備手入れから始まり、
グランドの入り方あいさつ、用具の出し方、
整列の仕方、綺麗さ、規律、
返事の仕方、集合の機敏さ、他のチームへのあいさつ配慮、話を聞く態度などなど
一見プレーには関係ありませんが、そうではありません。
強いチームは、できています。
これができているから、プレーが上手くなって、強いチームになっていくんです。

私も反省しなくてはいけません。
目先の技術にばかり走ってしまった。
この前の大会で、少しばかり上手くいったために調子に乗りました。
選手たちを増長させて、こんなもんでいいんだ~と思わせてしまった。
試合の負けのすべては監督が負うものです。
誰がなんといおうが、選手たちをそうさせた私の責任なんです。
ここはゆるがない。ゆるいではいけません。
いろんな方法、起用法、サインの種類とタイミング、試合もそうですが、その前のアップ、用具の出し方、片し方などすべては、そうさせた監督、それを許した指揮官である私の責任です。
責任は転換できませんし、してはいけない。
遅れてきて、選手たちを緩くさせたのは私の責任。
私がコーチであったなら、そう思うはずです。
若いコーチたちは、ここを言いたかったんでしょう。
あんたのやり方ではだめだよと。
ありがたい。
ここを言われなくなったら、終わりです。
裸の王様。
そういう指導者も見てきました。
ああはなりたくねぇと思ってやってきた。
私もまだまだ。
しかし、聞く耳と変える覚悟があれば、遅いということはありません。
こういうこと、何回も繰り返しています。
その都度、いい先輩や後輩、指導者、保護者に恵まれています。支えられてきました。 
完璧ではない。
完成されていないから、面白い。
80歳をこえてもまだまだ監督業から離れられない指導者の気持ちがよくわかります。
何度やっても、わからないことだらけ。
だから、面白い。
この次は、こうしよう、ああしようと、尽きない改善策がどんどん出てくる。
この子供たち、保護者、指導者と一緒に続きがみたくなってしまいます。

今回も、次から次へと言葉と考えがあふれてきます。
長い……
一旦切ります!

猛暑猛暑の今日は、田島さんの夢カップに参加させていただきました。
コロナ禍にあっての希少な大会、ありがたいです。しかも、白獅子前の最後の公式大会、あれもこれも試したいと意気込んでのぞみましたが、結果は、りんどうスポ少さんの前に1回戦敗退。
いろいろ試す余裕などなく、ミスにミスを重ねての自滅のオンパレード。
白獅子前に自信をつけるどころが、1:9の大敗で、全く自信をなくしてしまいました。
しかし、これが今の我々高田イーグルスの実力だということです。
弱い。
この前の伊佐須美神社あやめ祭り大会の優勝が夢だったんじゃないかいうくらい、ちぐはぐで、ダメダメ。
ミスを1個で止められない、ミスにミスを重ねる。
ひとりひとりが個人で戦っていて、チームとして機能していませんでした。
当たり前にやるべきことができない。
だから、少しずつ崩れていって修正がきかないところまでいってしまう。
ダムの崩壊を誰も止められず、仲間を、チームを見殺しにするように、指をくわえて見ていることしかできませんでした。

まずは、討ちとったあたり、落下点に入ったセンターが落球。
同じく討ちとったサードゴロが悪送球で回の先頭バッターを出してしまう。
ピッチャーが決めにいったコースをキャッチャーがポロポロ。
決めにかかっているのに捕球ができないので、波に乗りきれないピッチャー。
タッチアウトのタイミングなのに、グラブから落ちるボールが2回。両手でいけよと確認した3回目はアウトにしましたが、片手でした。
あれほど確認した、1,3塁のシフトにピッチャーがサインミス。
飛び出したランナーをランダウンにできず、得点アンド進塁。
ツーアウトからの場面、普通にやればスリーアウトでチェンジの場面なのに、当たり前のプレーができずにスコアリングポジションにランナーを進められる。
きわどいコースは、ボールのコールの連続。
決めにいった球はキャッチャーが捕れずにポロ、捕っていれば、フレーミングが活きて、審判のストライクを引き出せたかもしれない。

攻撃については、消極的な見逃しが多い。
確かに球威はありました。 
だからこそ、早いカウントで仕掛けなければならない。
追い込まれたら、三振覚悟で振りにいくしかないんです。
追い込まれた恐怖と不安で、いつもどおりのタイミングの取り方、スウイングができなくなっていました。
そこにきて、相手ピッチャーは追い込んでいるので気合いが入った球を投げ込んでくる。
そこにきて、余裕がない。
精神が未熟な小学生、特にバッティングに自信がない下位打線は、断然不利になる。
だからこそ、追い込まれる前なんです。
わかっているのに、手が出ない、出せない。
びびってるバッターなんぞ、カモネギです。
ただ突っ立っているマネキンよりも怖くない。
相手のピッチャーというよりは、まず自分の気持ちややるべきことを整理できずに、打席に入っています。
「どうしよ、どうしよ、やばい、やばい……」
こんな精神状態で、打てるわけがありません。

前の大会ではあんなに伸び伸びやっていたのに……
優勝した同じチームとは思えませんでした。
しかし、これも本質。
これが本来の姿。
コインの裏と表、マイナスもプラスもある。
この無様な姿も高田イーグルスなんです。
ここを認めなければなりません。
ここを認めなければ、次に進めません。
何ができて、何ができないか?
できない理由は何か?
足りない要素は何か?
それを克服していくためには、どうしたらいいか?
これがなくては進化はありません。
次に繋がらない。
やっている意味がない。

この敗戦の後、コーチ陣で話し合いました。
その中で、1番の課題は、選手ひとりひとりの自覚、これが見えてこないということ。
さっき言った、落球やエラー、見逃しなどプレー云々の前に、選手がチームの一員として動けていないという結論に達しました。
ソフトボールをやりたいという選手たちのチームではなく、親に言われているから,
このクソ暑い中、連れてこられたモルモットたち。
他のチームから挨拶をもらうのに、こちらからは挨拶を返せない。
整列は、たらたらで、列もそろわず、間隔はまばら、グランド挨拶にいたっては、声を出してるのか出していないのか、わからないぐらい小さく、声もまとまっていない。
道具の準備や後片付けは、言われないとできない。
そして一生懸命にやっているのはいつも同じ人。
何をやるにも、大人たちの指示がないと動けないモルモットたち。
中には自分で考えて動いている選手たちもいますが、ほかの選手に指示を出すところまで言っていない。
だから、毎回同じメンバーがグランド整備をしています。
正直者が馬鹿を見ている。
その正直者を見て見ぬ振りをしている。
仲間を見殺しにしているのと同じです。 
その兆候は、今大会の随所に見られます。
ピンチの時に、孤独になって落ち込んでいるピッチャーに誰も声をかけない。
エラーをして落ち込んでいる選手に誰も声をかけない。
打てなくて見逃し三振をしても、ため息しか出ない。
ベンチにいて、どんどん泥沼にハマっていくのがわかりました。
何とかして是正を試みますが、ひとりひとりを動かして、波に持って行くところまでいきません。
試合の大きな流れが相手チームに傾いています。
それを黙って指をくわえて見ている。
ため息連発、完全に敗北の大合唱をBGMにしています。
こうなると、打つ手がない。
気合いでどうにかなる、レベルではありません。
過去の経験から、こういう時は耐えるしかない。
耐えて耐えて必死に食らいついて、僅差を保って追いかけてるしかありません。
そうであっても、こうなると自分から崩れることの方が多いです。
劣勢の中、平静を保つというのは、やはり難しいものです。
ここをなんとか乗り越えると、再びチャンスの神様はこちらに舞い降りてくれる、時もありました。
しかし、そうはならなかった。
そうならなかった理由。
相手に主導権を渡してしまった最大の理由は、当たり前のことを当たり前にできなかったからです。
小さいことなんです。
その小さいことをおろそかにした。
おごり、慢心、なぁなぁ感、そういう小さなほころびを自分で修正できなかった。
いろんな意味で、お前たちはまだまだ、ヘタレのチームなんだということを思い知らされました。
身から出たさび。
だからといって座して待つつもりは毛等もありません。
これが、白獅子でなくて良かった。
それが不幸中の幸いでした。
この敗戦を糧としなければ、進化はありません。
高田イーグルスは変わらなければならない。
ここから、挽回しなければならない。

さて、我々に何が足りなかったのか?
ここからどうしていけばいいのか?

それは、次回。
この大会は、選手たちのいろんな成長を確認できることができました。
あぁ~、こいつら分かってきたな!
こいつら、うまくなったなぁ~と思える
こういうところなんですよね~。
指導者として感動するのは!

その最たる現象、まさに怪奇現象なんですが、見れました。
それが、キヒトの公式戦初ヒットです。
そして、初盗塁。
最後には、貴重な先制点のランナーとなって帰ってくる。
あの、なにをやっても、わけのわからなかった奴がですよ。
いまや、ベースの上て、私と指さしで会話ができるんてすから驚きです。

柳津さんのエースから鋭い打球をセンター前に放ち、全力で一塁に駆け抜ける。
少し差し込まれていましたが、思い切り振った分、負けませんでした。
完璧とはいわないまでも、キヒトのバットの感触は、芯で捉えたときの、あの感覚が残っていることでしょう。
あの感覚は、野球やソフトボールをやった人でなければわかりません。
あれは、気持ちいい。
モノをぶったたいた時、真芯に当たると軽いと言う感覚。
物理的な法則からしても、作用反作用がゼロに限りなく近い時に起こる現象だと思います。
あの感覚を自分の人生の一部にできること、それだけでも野球をやる価値があります。

キヒトの放ったボールはピッチャーとショートの間を抜いてセンターへのクリーンヒット。
これが、キヒトの試合という場面で、人生での初ヒットになります。
私たちはこういう場面に幾度となく接しています。
初打席、初ヒットに初ホームラン。
いいことばかりではなく、初エラー、初三振、初サヨナラ負け。
いろんな初ものに出くわしますが、本人にとっての大事な場面を一緒に経験できるのは、それを残像としてハードディスクに残すことができることは、指導者冥利に尽きるでしょう。
うれしい。
なぜなら、そうなることを狙って練習を積んできたからです。
ひとりひとり、フォームやタイミングの取り方、パワーやスウイングスピード、角度、いろんな要素が違ってくる中、1番伝わりやすい言葉を選んで、効果的にアドバイスを気の遠くなるほど続けてきた。
その効果がグランドで花開くのです。
そして選手の笑顔も花開く。
おそらくというか、絶対に保護者も笑顔になる。
そういう瞬間がスポ少なんです。
そこは自己満足でいい。
スポ少なんて自己満足の集合体なんですから!

キヒトはガッツポーズなんてするガラではありません。
塁上でも何が起きたか、まだ整理がつかない様子ですが、手に残る感覚、なんか喜んでいるベンチ、そしてアウトにならずにファーストにいる自分。
じわじわきたことでしょう。
しかし、すかさず私はサインを送ります。
キヒト動かず……
あの、タコスケが!
そうこうしているうちにバッターはツーストライクに追い込まれました。
そこで、人差し指をセカンドに私は向けます。
キヒト、走れ!と。
ようやくわかった様子。
走るという意味、盗塁という意味がわかったようです。
キヒトは見事なスライディングで、セカンドを陥れました。
おぉ~スライディングもできるようになったのか!
そして隙を見て、サードも陥れる。
おぉ~、そんなことまでできるようになったのか!
キヒトの成長を感じます。
あのヤロー、感動させやがって!
よくここまで成長したな……
また涙腺が……

その後、キヒトはパスボールの間に、抜群のスタートを切って、またまたスライディングでホームに滑り込み、セーフ。
これが大きな大きな先制点となりました。
キヒトをはじめ、選手ひとりひとりの小さな成長が、チームとしての高田イーグルスを少しずつ成長させています。
今、ここにきて、それを実感しています。

ホームベースに生還したキヒトは、みんなからの祝福を受けます。
「ナイスッ!」「良くやった!」「すげぇな~!」
キヒトも仲間も笑顔になる。
こういうところで、自己肯定感が育つんです。
私たち指導者たちも、間違ってなかったなと安心できます。
あのヒットをみて、ニヤつかなかったコーチはいないでしょう。
あのヤロー、やりやがったな!
罵声で褒める。

塁上のキヒト。
何より、俺はここでやっていける!
そういう自信が育つんです。
そして、認められる自分が楽しい。
いままでいろんな意味で家族や学校に守られてきた。
しかし、スポ少といえど、勝負の世界です。
スポ少という小さい世界ではありますが、子供たちにとっては、最初に触れる社会という大海であり、荒波だと私は思います。
その荒波を制した。
俺はやれる!
お前ならやれる!
自分にも仲間にも、そして家族以外の大人にもはじめて認められる。
彼らにとっての大きな一歩。
それが、生きるチカラ、ですね。
ひとりひとりのそのチカラが、高田イーグルスにも勢いをもたらします。成長をもたらします。
確かに、自分たちが強くなっていることを実感している。
相変わらず、キヒトはすっとぼけています。
人類史上、はじめて月面に降り立ったアームストロング船長風に言えば、
たった一本のヒット。
しかし、今回のキヒトのヒットは、高田イーグルスにとっても大きな一歩となりました。

この伊佐須美神社あやめ祭り大会、
いくつか課題を持ってのぞみました。

そのひとつが、バントです。
打線は水物と言われる中、このバントだけは訓練次第で一定の効果を発揮してくれます。
いままで幾度となく、強豪チームを見てきましたが、そういうチームは大事なところで一発でバントを決めてきます。
きっちり、のどもとに匕首(あいくち)をつきつけてきます。
スコアリングポジションにランナーを確実に送ってくるということです。

さらに言えば、絶対的な投球のエースを崩す手段としもバントを駆使してくる。
全国大会にいく前の年の、秋の新人戦県大会、あづま総合グランド。
釜子スポ少さんを相手に、高田イーグルスの前身である、美里イーグルスとして初出場した戦いでした。
この後、釜子さんは、この新人戦を制して全国大会にいくことになります。
この時、美里イーグルスには、のちに絶対的エースとなるコウダイが君臨していました。
互いに譲らず、均衡する展開。
試合は、スコアレスで終盤へ。
釜子さんは、コウダイを打てないと見ると、下位打線はバントに切り替えてきました。
そして、二死三塁の場面、ツーストライクスリーボールと追い込んだ場面で、まさかのスクイズ。
この攻撃、想定していませんでした。
会津では、まずない。
それに対応する練習もしていませんが、フィールディングがいいコウダイも反応しますが、どうしても半歩遅れる。
ファースト、セーフとなり待望の1点。
これが決勝点となり、美里イーグルスは敗れます。
二死三塁、ツーストライクスリーボールから、スクイズ。
こんな攻撃ってありかあ~と思わせますが、釜子さんは通常通りのサインプレーだったようです。
この練習をしてきている。
だからこそ、三塁ランナーも反応してスタートを切っている。
バッターも、あの低いコウダイの決め球をキッチリ、セーフティ気味に決めて、ファーストに全力疾走。
この場面、我々美里イーグルスの方が絶対的に有利だった。
釜子さんに唯一、有利だと言う点は、次がかなりの確率でストライクだという一点のみ。
いいピッチャーだというコウダイの強みを逆に突いてくる攻撃。
これを見たとき、私たちは「世の中の蛙、大海を知らず」だと思いました。
そして、このたった一点で負けた。
最少得点だけれども、限りなく遠い一点。この一点に泣きました。
(しかし、この世代は、もう一回そういう場面に全国大会で遭遇します。それは、またいつか。)

私がここでいいたいのは、バントという作戦の安定性と確実性です。
どんなに球が速くても次にストライクがくるとわかっていれば、成功する確率は高くなります。
そして成功率は練習すればするほど上がる。
バントだけでは勝てないでしょうが、バントができれば、攻撃の幅は格段に広がります。
守る側も、対応する選択肢が増える分、エラーの確率が上がります。
そして強いチームほど、きっちりバントを決めてくる。
バントは練習すればするほどと言いましたが、センスも必要だと思います。
そして、1番必要なのは、必ず決めるという覚悟と準備、これだと思います。
センスがあるということは、覚悟と準備が整っていることだと私は思っています。
びびってないんですよ。
速く強い球にもアジャストして、きっちり勢いも殺す。
いとも簡単にやってるように見えるんですよねえ、上手い奴にかかると。
そしてセンスの原料、覚悟と準備は、ふだんのココロノモチカタで変えられると思っています。
生まれ持っての才能ではありません。
後付けできる才能、それがバントだと思っています。
凡人が努力とココロノモチカタ次第で踏み入れることができる神の領域。
それは努力次第で達することができる不可能ではない才能。
あのコウダイを擁した美里イーグルスでさえ、あのバントの前にやぶれました。
ちなみにコウダイはこの後、その年の総体県大会の予選から全国大会で敗れるまで、自身のパスボールの1点しか取られていません。
そんだけすごいやつでも、バントの前に敗れることがある。
あの夏も蒸し暑い夏でした。
そんな強大な竜を倒す、1個の剣、ドラゴンスレヤーのごとく、バントは強者も打ち破る武器となり得るのです。

現代にもどります。
そのバントのチカラを試すべく、今回の大会はバントを出し続けました。
本番でも、バントのサインが想定されるメンバーに対してです。 
アユキ、チヒロ、ユウシン、カナト、そしてアオト。アユキ、チヒロ、ユウシンあたりは、自分に与えられた役割をわかっているようです。
アユキは、スリーバントのサインの時でさえ、冷静に対処していました。
失敗はしましたが、自分が生きるようサード線を狙っていました。右ひじがあがるのが気になります。
チヒロもギリギリまで引きつけていた。
ユウシンも生きるバント。
カナトは……ノリノリなんですが、できる気がしない・・・1から頑張りましょう。

そしてアオト。
二塁にアユキをおいて、ツーアウトの場面。
普通なら打たせる場面です。
しかし、私は次の白獅子を見すえて、あえてバントのサイン。
こういう場面が来るかもしれません。
そのシミュレーションをしておこうと思いました。
よし!バントだ!
アオト本人は、目を大きく見開いて、3回くらい確認しました。
以下アオトは身振りで話します。
アオトの言葉は私の想像です。
「この場面で俺にバントをだすの?(打たせてよ~)」
私は黙って、サインを送ります。
「ほんと?(俺に打たせてよ~)」
黙って、再度サインを出します。
「まじで?」
黙って、何回もサインを出しまくります。
「えー↓」
ため息が見えました。
ようやく、覚悟を決めたらしく、アオトはサードとピッチャーの間にバントを決めます。
抜群のスタートをきっていたアユキ。
サードコーチャーの指示が良かったんでしょうね。
アオトもセーフになり、アユキはホームに突入してセーフ。
図らずも近江高校を破った金足農業のツーランスクイズのような形になりました。
これが、相手を崩す一手、終盤の貴重な追加点となり、新鶴さんを破っての優勝となりました。

不本意ながらも、きっちりバントを決めてくるアオト。
たいした奴だと感心していましたが、なんか様子がおかしい。
試合後本人は泣いていました。
うれし涙ではないようです。
コーチがフォローしていました。
私は、バントをさせられた不満の涙だと捉えました。
なんで俺に打たせないんだ~。ウタセテッテ言ったのに~。
打たせなかった、悔しさからの涙。
不本意。敬遠を指示された、ジャイアンツ時代の上原を思い出しました。
スポ少にもこういうガッツのある、昭和の子どもみたいな子もいるんですねぇ~。
だから、スポ少は面白い。
打たせろと泣いた選手は初めてです。
私に対する当てつけもあったでしょう。
しかし、フォローする気はありません。
ここは、恨まれてもいい。
チームが優勝した。それを喜べない。
そのぐらいで泣いているようであれば、アオトの心のダムは、その浅さしかないということ。
それまでのことです。
私も経験ありますが、男の子は、そういう時は放っておいた方が良いんです。
逆にフォローすると、かえって荒れたりしてめんどくさい。放置の一点です。
自分でもどうしていいかわからない涙なんですから。

しかし、私はわかっていました。
アオトが、また全力の笑顔でグランドに戻ってくることを。
時と場合によりますが、泣きたいときは泣いたらいいんです。
次の練習の際に、「あん時はアオトは逆ギレして泣いてたもんなぁ?」といじると、アオトはキッパリ言いました。
「あれは、打てなかった自分に悔しくて泣いた!」
まったく引きずっていない。
ちゃんと気持ちを整理してきた。
こういう竹を割ったような奴なんです。
つまづいた瞬間、ちょっと悔しがりますが、すぐに立ち上がって次を見すえる目は真っ直ぐ前を見る。
高田イーグルスは、彼の真っ直ぐな声を道しるべ
に進むことでしょう。
だからこそ、私は彼に1番を任せます!





伊佐須美神社あやめ祭り大会、本大会3連勝での優勝、その最大の要因は、エース、ミソラの安定したストライク率です。
そして、それを支えるキャッチャー、トウマのキャッチング、フレーミング。
この2人のバッテリーが安定してきたことが、チームにも安定をもたらしました。
守備でリズムを作ることができる。
こういうチーム、大好きです。
ファミスタでも、豪快なチームは選びません。
だって、ほとんど三振に討ちとり、内外野に守備機会がありませんでした。
私が1番いいなと思ったのは、四球の少なさです。
安定してきたと言っても、まだ狙ったところに標準があっているわけではありません。
上に行くためには、もっとコントロールの精度が必要でしょうが、今は良い具合に散らばってくれています。
またまだ精度はいまいち、なのでボールが先行してスリーボールまでいくことが何度もありました。
それでもミソラなりに奮起するんでしょうね。
スリーボール、ノーストライクから、何とか2つ入れて、フルカウントまで持ち込む。
ここが、いままではできなかったことです。
そして、最後は三振か、凡打に討ちとる。
これができるようになったんですよね~

マウンドにミソラの白い歯があふれます。
それでいいんです。
人は笑顔の方が断然強い!
それは、科学的にも証明されています。
そしてなにより、見ていて気持ちいい!
みんなを巻き込んでドヨーンとめそめそ泣くよりも、ピンチになってもキリッとした笑顔で立ち向かう。
人はそちらの方に引きつけられると思います。
これをいうと、金足農業を思い出します。
前評判はいつも相手の方が上、試合でも押され気味な展開が多かった。
しかし、彼らは、気持ちいいまでの笑顔、チームワーク。
最後の大阪桐蔭を相手に一方的な展開になっても、彼らの笑顔は止みませんでした。
我々の目指すところは、ここなんじゃないでしょうか?
どんなに強い敵であっても、どんなに攻め込まれて劣勢になったとしても、最後まで諦めず、自分を信じて、仲間を信じて、笑顔になれるかどうか?
絶望的な展開になっても、自分たちのやるべき事に対して、投げやりにならずに、真剣に、真摯に、謙虚に取り組めるか?
多くの人は、ここでこらえきれず、泣いてしまうでしょう。
それでもいい。
しかし、その状況で、そんなボロボロの状況であっても、「笑顔」になれるという、心の強さ。
この笑顔は、一旦、絶望を乗り越えています。
1回は、下を見ている。1回じゃきかないくらい、下を見ている。
その上で、もう一回頑張ろうと覚悟した強さ、その「笑顔」です。
甲子園は、そういう笑顔を幾度も見せてくれます。
その笑顔に何回も励まされて、感動をもらいます。
スポ少でも、何回も見ていますし、実際に経験もしています。
それを乗り越えての、笑顔。
これは、強い!
この笑顔、去年のユナとシュンペイのバッテリーも終盤に度々見せていました。
今年のミソラとトウマのバッテリーにも、少しずつ、出てきています。
たくさんのピンチを乗り越えてきたことでしょう。そして、この先、それ以上のたくさんのピンチが待ち受けています。
しかし、それこそ楽しみ。
1個ずつ、少しずつ、乗り越えていく様をまじまじと見ることができます。

「さぁ、ここにこい!全部俺が止める!」
「全力で行くよ!」
ピンチであっても、実際、話していないのに、聞こえてくる会話。
ユナとシュンペイのバッテリーがそうであったように、今年のミソラとトウマにも少しずつ、聞こえない会話が聞こえてきます。

「もう!頭にくる!入ってるのに、ストライクとってくれないんだもん!」
「まぁ、がんばれ!とりあえず、止めるわ!」
今のミソラとトウマは、こんなところでしょうか?

二人の成長は、もちろん家族やコーチ陣との練習に支えられいると思います。
毎週金曜のバッテリー特化の練習。
これに快く賛同してくれたコーチと、選手を送り出してくれるご家族。
こういうのを栄養に、彼らは育っていくんです。
毎日毎日の少しずつの積み重ね。
それが開花していくところを見るのは、やはりいい。
涙腺を槍でつついてくれます。

ただ、まだまだ彼らは伸びることでしょう。
まだまだ道半ば。
選手と保護者、指導者全員がうれし涙にあふれる日まで、これからも積み重ねを続けていきます。
ミソラの白い歯、かっこいい!




直近のこの話をしましょう。
高田イーグルス、見事優勝しました!
なんの大会かというと、今年初めての主催大会として、あらたな取り組み、伊佐須美神社あやめ祭り大会、3連勝で優勝を納めました。

この大会の趣旨は、参加チームが全て3試合を消化できること、それと教育リーグを作り、ソフトボール初心者を含めて全員が試合にでることができること、この2つを大きく挙げました。
これは、勝つことだけではなく、本来のソフトボールの楽しさを追求しつつも、同じレベルの相手と決勝戦を行うことで、ギリギリ勝負の面白さも追いもとめる、どっちもいいとこ取りしようという目論見です。
ですから、トーナメント戦のように多くのチームを呼ぶことはできませんが、会津選抜の5チーム、高田イーグルスのBチームを入れて、合計6チームがちょうど良いという判断です。
こういう大会があってもいいなぁと、私は常々思っていたんです。
それが、会津選抜の5チームの監督さんたちのご理解を得て、今回、実現することができました。ありがとうございました。
参加チームのみなさま、高田イーグルスをはじめ、他のチームの保護者のみなさまのご協力、大変ありがとうございました。

そして、この大会に高田イーグルスなりのアレンジを加えます。
ひとつは、伊佐須美神社へ、白獅子大会へ向けての必勝祈願。
もうひとつは、各チームのスラッガーを集めたホームラン競争。
小さい大会ながらも、高田イーグルスでしかできない、他とは違った面白さを加えましょう。
狐うち温泉大会のホームラン饅頭なんかもあっても良かったかもしれません。
単にソフトボールだけではない、何かがあってもいい。
私は、観光振興、地域振興の観点からももっとスポ少の大会を活用していけばいいと思っています。
またその話はいずれ。

さて、伊佐須美神社、選手全員の必勝祈願。
朝早い神社はすいていていいです。選手保護者総勢100名ぐらい入っても大丈夫。
神社の境内に、色とりどりのユニフォームの選手が整列する様は、かっこいい!
そして、大勢の選手を前にして、各チームのキャプテンが、白獅子杯に向けた決意表明をめいめいに語る。「精いっぱい頑張る!」「県大会をめざす!」。
おのおのの決意を胸に、伊佐須美神社に二礼二拍手一礼の参拝。
朝方の境内に、100人の拍手が響き渡ります。
これがやりたかった。やりたかったんです。
神さまに手を合わせる機会、そうそうないでしょう。
私は特に熱心な信者というわけではありませんが、グランドの礼をするなど、いたるところに神様はいると思っています。
グランドの神様、野球の神様、ソフトボールの神様。
信じる、信じないは別として、そういった概念を否定せず、身近なものとして信じたほうが面白いと思っています。
今日の試合も、何回か、神様にお願いしました。
ユウシンがリリーフで登場し、3ボール2ストライクとなったあの場面です。
拝まずにはいられなかった。
神様頼みます。どうか、ストライクを!と。
ユウシンに自信をつけさせてください!と。
都合のいい時ばかり、拝みますが、それは許してください。
何かにすがる、カイジはそうなったら終わりだといいます。
結果は変わらないかもしれませんが、人なんてそんなもんでしょう。
祈らずにはいられない。
もし、思い通りになっても、ならなくても、神様を恨むことはないでしょう。
そんな私が1番拝んできたのは、野球の神様だと思います。
神様繫がりという意味では、伊佐須美神社も親戚ですよ、もう。
必勝祈願なんて、意味はないかもしれない。
しかし、この会津選抜の5チームで、小学校の頃に、みんなでお参りに行ったという思い出は残るかもしれない。
これが、やりたかったんです。

もうひとつは、ホームラン競争。
メジャーリーグの大谷さんがやってたやつ。
その昔、高田スポ少時代にやってた大会で、やってました。
主催大会があれば、これもぜひともやってみたかった。
その大会の結果はあまり覚えていませんが、いろんなチームのスラッガーが一堂に会して、ただただホームランを打ちまくる。
シンプルでいいじゃないですか!
あのきれいな放物線を何発も打ち込むスラッガーは、やはりすごい。
見事な弧を青空に描くのをみているだけで、敵味方関係なく、応援してしまいます。
あの時間は、敵であっても褒め称えたいと思える、貴重な時間となったことでしょう。
やばいスラッガーの名前も覚えることができました。
これも面白かった。

小さい大会ながらも、戦うだけではなく、アイデア次第で一層、子供たちのこころに残る大会になる。私はそう確信しています。

大会や試合をするのは、相手チームがあってからこそ。ただ、倒すだけの相手ではないんです。
試合は一緒に作るもの。いい試合をするのには、いい対戦相手に恵まれなければなりません。
これは、近年つくづく思います。
そういう意味で、この会津選抜の5チームは、素晴らしい対戦相手です。
実力が伯仲しているというのが、でかい。
強すぎす、弱すぎず。ちょうど良い相手、しかも、総体で負けたチームにリベンジできる、チャンス!

伊佐須美神社あやめ祭り大会。開幕です!



今年の総体の事を書きましょう。
小学生のソフトボーラーにとっては、毎年2つの大きな大会があります。
その最たるもの、Road to 全国大会の総体、そして、夏の甲子園(全国までありませんが)にあたるのが白獅子。
今年の総体はというと……
結果から言えば、磐梯さんを前に1回戦敗退でした。
しかも、最終回までにリードしていながら、サヨナラ負けを喫する。
なんとも後味が悪い結末となりました。

負けた原因はいくつかあります。
不安定要素がいくつも、次から次へと出てくる。
それが、同時多発におきると手の施しようがなくなります。
バッテリーの不安定さ、守備の不安定さ、打撃走塁の不安定さ……
そしてそれら全ての根底にある情緒の不安定さ。
使い古された言葉ですが、気持ちの持ちようです。
気持ちの強さを持ち出すと、昭和のスパルタ教育みたいに聞こえますが、あながち嘘ではありません。
気持ちだけでは、上手くいくはずがない。
でも、気持ちがなければ、もっと上手くいくはずがないんです。
人を動かす、原動力、基礎となるもの。
それは、やはり気持ちなんだと思います。

彼等の声に出さない狼狽ぶりが見て取れる。
あたふたあたふた。
混乱に陥った集団が組織的に戦えるはずがありません。
それは、私だけでなく、コーチも保護者も思ったことでしょう。
ヤバイやばいと思って守るよりは、
これしかできないけど、大丈夫、これならできると少しでも自信をもって準備するほうがいいに決まってます。
それが、気持ちのいうもの。
この気持ちというのは、伝染病みたいなもので、プラスにもマイナスにも働きます。
あーこれはやべぇ、やられるわぁと1人が思うと、あっという間チーム全体に伝染してしまいます。
やっかいなことに、マイナスの方がうつりが早くて強力です。
それに比べて、プラスの方は、なかなか伝染しないというジレンマ。
ここが、野球を難しくさせるし、面白くもさせているところだと思います。
人と人との信頼関係に似ています。
信頼を積み上げていくのは、一朝一夕にはいかない。たけどその反対に信頼を壊すのは一瞬でできてしまう。
ソフトボールはそれを地でいきます。

それが今の高田イーグルスには、できなかった。
負けの原因はひと言でいえば、これです。
チームとしてまだぜんぜん機能していない。
よくもまぁワンヒットで、最終回までリードする展開になったなあと不思議に思います。
相手のミスにも助けられました。
相手の磐梯さんのバッテリーもまだまだ仕上がっていません。
これが仕上がってきたらば、今の高田イーグルスでまともに打てる奴がいるかどうか?
シーズンの後になればなるほど、強敵になるでしょう。その予感がします。
現時点では、相手もつけいる隙があり、そこを突かせてもらいました。

それでも、こちらも穴だらけなので、なんとか少ないリードで逃げ切りを図りましたが、そうはいかなかった。

最終回に詰めの甘さ、隙を見せた上に、あたふたを修正できずに、リードを守れなかった。
大事な場面、先頭バッターにファーボールはだめです。
ランナーを出すことで、野手の選択肢が増えます。捕ってファーストに投げるだけでは済まなくなる。
バントも警戒しなくてはならないし、盗塁もある。
ゴロならば、どうする?ライナーならば?
カバーは?
この思考の分散こそ、エラーの原因です。
状況をみて、瞬時に判断がつかなくなる。
そうすると、人はパニックになりやすい。
そのパニックの先にまっているものは、エラーという名の大惨事。
今年の高田イーグルスは、まさにこれ。
そして、当たり前にアウトを取らなければならないところで、アウトがとれないと、チーム全体がパニックに陥る。
総体で磐梯さんに負けた原因はここです。
最後の回まで勝っているという心理的アドバンテージを維持できなかった。
あの場面、最終回で先頭バッターを討ちとっていれば……
セカンドの後逸が無ければ……
もっと、いい場面で打てていれば……
ほかにも、あの時こうしていれば……というところがたくさんありました。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。
で、あれば次のためにどうするか?


……していれば……(こうなっていなかった)、これを改善していくほかにありません。
コーチがいいました。
伸びしろしかない。
そのとおりです。
改善点がたくさんあるというのは、伸びていく点がたくさんある=まだまだ強くなれる、と言うことです。
そして、こうも言ってました。
試合中に、反省してないか?落ち込んでないか?
反省は試合の後、気持ちの切り替えができていたか?

ここも、そう。試合中に落ち込んでも何もいいことはありません。
そんな暇があったら、次のための準備をした方がなんぼかましです。
マイナス思考は何も生み出さない。
で、あればその時は間違っていたとしても、そのまま突き通した方がいい。
私もそう思います。
だめだったプレーを引きずってしまう。
そして、次のエラーを生むというデフレスパイラル。そして、それが連鎖していくという悪循環。
対処法がわからないというのが、正直なところですが、そんなことは言ってられません。
あれもこれもはできない。
であれば、目の前のワンプレーに集中するしかないんです。
小難しいことはいいから、目の前のボールを思い切り打つ、アウトをファーストで1個ずつ取る。
今の君たちは、シンプルに考えるしかない。
それが、できていたかということですが、できていたとは言えない。
ここが、まだココロノ、モチカタの弱いところです。
でも、今は弱くていいんです。
その弱さを認めて、前に進んでいこうと、我々指導者は言っているんです。
その上での、伸びしろしかない、なんです。
君たちは、まだまだ強くなる余地がある!
プラス思考でいきましょう。

試合後、勝っていたにも関わらず、最後は逆転負けを喫したエース、ミソラ。
名前の通り、晴れ渡ってはいませんでした。
土砂降りで、目が真っ赤っか。
ほんと、よく泣く奴です。
昨年のユナはぐっとこらえるような泣き方でしたが、今年のミソラはどよーんとみんなを巻き込みながら沈んでいく泣き方。ミソラがなくと、チームも沈んでいきます。
これが今年のチームなんですよね。
弱さに歯止めがきかない。
しかし、今は泣きたいときは泣けばいい。
泣け泣け、泣いて泣いて泣きまくればいいんです。
いつか涙も涸れ果てるでしょう。
なんで、泣いてんだろう、その「なんで」に気づいたときが、心のダムを深く掘るときです。
キャパを広く、深くするとき、そうすると容量がでかくなるので、中々泣かなくなります。

総体の直接的な原因は、大事なところを守れなかった、守り切れなかったことです。
ツーアウトからのエラーが多かった。それが、ことごとく失点に絡む。
そして、何よりチームとして、全員が戦う集団になっていないこと。
ワンアウト、一塁など場面場面で、1人1人が、チームとして同じビジョンを共有できない。
これはチームとして致命的です。
組織として、攻撃も守備もベンチワークもまだまだできていません。
それでもそんな中、たった1安打で、確か6点をもぎ取った。
しかし、その得点差を維持できなかった。
それが、今の高田イーグルスです。
ここまでの強さと弱さ。
ここを受け止めて、前に進むしかありません。

我々指導者は、楽しみでしかありません。
一進一退といいながら、我々の一歩はかなり大きい。
北極点まで、いけてしまいそうです。

さぁ、いくとこまでいってみましょう!









次男防が高校で野球を選びました。
長男は野球を選びませんでした。
だからというわけではありませんが、なんとなくうれしい。
いや、かなりうれしい。
小学校、中学校が統廃合になり、校歌も新しくなりました。
新しい校歌はなんかしっくりきませんでした。
高校にきて、やっと同じ校歌を歌うことができます。
しかも、スタジアムで。
まだ、勝っていませんので歌ったことはありませんが……
我々の時代は地区大会では、校歌は歌いませんでした。
それこそ、甲子園でしか歌えない。
気の遠くなるような遥か先の頂でした。
それでも、その頂に至った時のために、練習が終わった後に、全員でダイヤモンドに丸くなって歌いました。
最初はキャプテンのソロで、はじまります。
それは今でも鮮明に覚えています。
近所迷惑だったでしょうが、疲れも忘れて全力で歌いました。
薄暗くなるグランド。
近所から漂ってくる夕ご飯のにおい。
おそらく人生の1番動ける時に、仲間と一緒に白球を追いかけていた。
あれは気持ち良かったなぁ。
1番気持ちのいい校歌は、高校時代の校歌です。

そして、今、次男も同じグランドで、同じ外野手として、白球を追いかけています。
高校の校舎がビックモンスターのように聳え立つライトに、私がかつていたようにいるんです。
次男坊がいうには、部室とどっかに私の名前が壁に刻まれていたそうです。
息子もまた同じ道を通っている。
小学校や中学校ではそんなことを思いませんでしたが、次男坊が高校野球をやり始めてから、特にそう感じます。
だいぶ変わってしまっていますが、30年たっていても、変わらないところがたくさんあります。
部室の風景、ベンチ、バッティングゲージ、後ろが弓道場・・・
一生のうちであれほど、1つのことに一生懸命になったことはありません。
あるとすれば、今のスポ少でしょうかね。
だからこそ、深いところに刻まれている。
その風景に、息子がいるんです。
これは、野球の神様に感謝しなくてはいけません。
そして、そんな子を産んでくれた嫁さんにも。
なにより、次男坊に感謝しなくてはいけません。

次男坊は、私が見ても、決して野球が上手いとは言えません。むしろ、下手くそな部類だといっていい。大きくないし、線も細い。
指導者の目で言えば、大事な時にエラーをしたり、チャンスで打てないタイプです。
次男坊は、自分よりも上手い奴を、ごまんと見てきたはずです。
だいたいは自分の才能に見切りをつけて、この先芽が出ずに、つらい思いをするくらいなら、野球をやめる・・・それを選ぶのが大半。
坊主にしてまで、つらい思いをしてまで、野球はやらない。
それでも、高校野球を選びました。
なぜなんでしょうね。
いろいろ推測はできますが、彼にしか分からない理由があるはずです。
ここで、昨日のカナトの話が浮かんできます。
楽しい野球がしたいというカナト。
野球を続けるという意味をどこに見いだすか?
根幹には、まじりっけなしに、楽しいと思える何かがないと続かないと私は思います。
楽しいから、いろんな事にも耐えられるし、バネにできる。
ただ、楽しいだけでは続かない。
楽しさの奥にある、本当の面白さ、これに気づいてしまうと、もう虜でしょう。
ひるがえって次男坊、彼もまた、野球の本当の面白さを追求する、求道者となりました。
小学校、中学校で、少しはその本質を垣間見たかもしれません。
しかし、高校野球までやらないと、野球の本当の面白さは分からないと思います。
チームスポーツの王道。
私も最後までやって、良かったと今でもつくづくそう思います。
彼はいま、その道を歩んでいる。
そこに昔の自分たちも重ねてしまいます。

職場の先輩に言わせれば、それはとんでもなく、幸せなことだといいます。
スポーツ離れ、子離れ、親離れしていく中、高校になっても、親が応援できるというのは、幸せなことなんです。
私もつくづくそう思います。
一緒に応援する高校野球部の保護者の皆さんともそういう話をします。
「三連休が全て野球になったとしても、こんな幸せなことはない。」その人は嬉々として言います。
泥で真っ黒になったユニフォームをたわしでこすりながら、彼も嬉々として洗ってるんだろうなぁと同じ境遇を楽しみます。

親への義理でできるほど、肉体的にも精神的にも、高校野球は甘くはありません。
次男坊が自分で選んだ道。
彼は、いつか学校の先生になって、野球を教えたい、そんな風な事を言っていました。
ここも私と同じなんですよね~。
好きな科目を教えて、好きな野球を教えることで飯が食えるのは先生しかない。
ヤンウェンリー的発想も同じ。
私は先生にはなれませんでしたが、こうしてスポ少の指導者を続けられています。
今思うと先生にならなくて良かった。
先生だったら、こんなに自由にソフトボールや野球に携われなかったと思います。
ここにも塞翁が馬。

ともあれ、次男坊にとっての高校野球は始まったばかりです。
彼も野球が上手くないことは、自分も分かっているでしょう。
であれば、どうするか? 
自分の弱さと強みに向き合う時です。
小学生や中学校の時のように、温情や配慮では試合に出ることもかなわない、本当の勝負の世界。
自分が、チームにどれだけ貢献できるかという居場所をさがす旅。

後顧の憂いなく、思い切り打ち込めることの素晴らしさを味合うがいい。
かつての私がそうであったように、家族の支えを受けながら、全力でやったらいいんです。
今になって、支えてきた親のありがたさがよく分かります。

今年の夏は3年生に頑張ってもらいましょう。
なんと言っても、激闘また激闘の連続のタカヤ世代の最後の夏。
野球をやっているのはタカヤひとりとなりました。
そのタカヤ主将のもと、最後の夏はすぐそこまでやってきています。
少し前に今年の目標を決めるとき、
選手たちにどんなソフトボールを目指すかという問いをしました。
例年であれば、「県大会にいきたい!」「大会で優勝したい!」、そんなような事がでてきます。
ちなみに、去年のレン世代はと言えば、「ちゃんとキャッチボールをやる」でした。
まぁ、らしいと言えばらしい。
しかし、ぜんぜん子供らしくない。野望のない答えでした。だからと言って悪いわけではありません。
その裏には、基本に忠実でありたいというレンなりの野望があったんだと思います。

そして、今年のカナト世代。
キャプテンである、カナトは、「楽しくやりたい……」と言いました。

カナトがそういう前に前置きがありました。
コーチ陣は、今年の目標を決めるために、選手たちの気持ちを確認したいということで、
勝ち負けにこだわってやるか?
そこにこだわらず楽しくやるか?
どっちだというように選択肢を2つ用意したと記憶しています。
いろいろ、みんなに聞いていって、最後にカナトだったと思います。
「楽しくやりたい!」
その前には、勝ち負けにこだわらず、というカナトの枕詞が入ると私は理解しました。
我々コーチ陣は、ズコッとずっこけます……
……が、しかしそれがいまのところのカナトの本音なのでしょう。

我々、指導者の思惑とは異なりました。
普通であれば、県大会、優勝と来るだろうとふんでいたのに・・・

んーと思案したあげく、そういう意見もあるけど、楽しいだけではだめだ、楽しいとふざけるでは違う、本当の楽しさは苦しい練習を耐えた後にあるみたいなことを言って、その場を納得させたように記憶しています。

しかし、私の中にずっと小骨のように、カナトの言葉が突き刺さっています。
そして、今年の選手の戦いっぷり、甲子園で見てきた高校野球、いろんなところから入ってくる情報から、今の時代、カナトのいう勝ち負けにこだわらない楽しい、和気あいあいとしたソフトボール、それもありなんじゃないだろうか?と思い始めています。

昨今の野球離れのひとつの要因として、競技としての野球を追い求める傾向、そしてそれを奨励しているマスコミや世の中の風潮があると思います。
いろんなものを犠牲にしたり、敗者を美談するなど、我々もそれを求めています。
上手い下手、勝ち負けにこだわるあまり、大事なことを見落としている。
カナトの正直な、大人に忖度しない言葉は、私をはっと、立ち止まらせてくれました。
世の中は、多角的で多面的、表があれば裏がある、そして立場によっては、表も裏もない。
正直な意見、心の中に思うことは誰にも止められません。
和気あいあいと、仲間と楽しくやるソフトボールがあってもいい。
私もそう思います。世の中に一定数、その考えの人はいると思います。

しかし、立ち止まった私は再び動き始めます。考え始めます。
楽しさを求めることはわかる、しかし、本当にそれだけでいいのかと、そこで止まっていていいのかと。
スポ少の本来の目的は、どこにあるのか?
はるか遠くにある、頂をもう一回見ろと考えさせてくれています。

カナトのいう「楽しさ」とは、我々が休み時間や放課後にやっていた、あの野球です。
ちょっとした広場や田んぼがスタジアムと化し、棒っきれをバットに、丸めた紅白帽子をボールにしてやっていた遊びの野球。
審判などいるはずもなく、微妙な判定はじゃんけん。
誰に怒られることもなく、エラーしてもゲラゲラ笑い、勝ち負けにもたいしてこだわらない、プレッシャーのない野球。
誰しもここが出発点であり、スタートラインであったと思います。
ここで、あぁ野球って面白なぁとまず初めに気づく、ファーストタッチ。

よーし、野球は面白いから、4年生になったら、スポ少をやろうと志す。
そこから、競技としても野球、ソフトボールが始まります。
競技なので、勝ち負けがあります。
勝つためには、何をやるかが体系化されてきます。
投げ方にしても、打ち方にしても、上手くやろうとすると努力が必要になってくる。
そして、周りは仲間でもありますが、ライバルでもある。
少し上手くなっても、上には上がいるという現実にぶつかる。
ミスをしたり、チャンスに打てなかったりすると、怒られる。
怒られないまでも、ミスした自分のちっぽけさに、いやおうなく気づかされます。
誰しもぶつかる、厳しい現実という壁。
この壁にどう対応するか?
ぶち破るか、迂回するか、逃げるか、いろんな選択肢があります。
ここに答えなどありません。
我々、大人はアタックしろ、ぶち破れとけしかけます。
自分が逃げてきたことを差し置いて。
逃げたり、避けたりもしたけれどなんとかやってきて、ここに至っています。
なんとかなるんです。後から見れば、そうたいした問題ではないし、問題だとしても、もう戻れない。なんとかするしかないんです。
壁の大小、種類はあれど、すべてを逃げずにぶち当たってきた人などいません。
だから、どの道を通ってもいいと思います。

しかし、私は、野球を、ソフトボールを続けてほしいと思います、願います。
なぜなら、壁の向こうにある「本当の野球の面白さ」を知ってほしいからです。
その本当の面白さを知ること、経験することが、生きていくうえで役に立ち、野球が、自分という存在を支えてくれるものになると信じているからです。
そういいつつ、その手段は「野球」に限ったことではないとも言います。
しかし、ソフトボールの指導者として、我々が存在する大きな意味は、ここにあるのだと私は思っています。
いろんな挫折や失敗を繰り返しながらも、人として成長する、人として楽しくいきる。
その支えのひとつとして野球やソフトボールがあったらいいと思うんです。

カナトは、まだ「楽しい」の意味を分かっていません。
カナトのいう最初の「楽しい」を認めつつも、その先にある、「本当の楽しさ」に気づかせることが我々の役目でしょう。
この「本当の楽しさ」、ここに気づくまでには、いろんな苦労、苦しみも経験しなくては、一概にはたどり着けません。
我々コーチ陣は、大なり小なり、それを経験しています。だからこそ、子供たちにも、本当の楽しさを知ってほしいと思います。そのための伝道師が我々なんです。
それは、小学校時代にできるかはわかりません。
中学、高校、大学といつになるかはわかりません。
その種をまきましょう。そして、水と栄養を与え続けましょう。
来るべき時がきたら、カナトは「本当の野球の楽しさ」に気づくことでしょう。
さて、6年生の今年、それを気づかせてやることができるか?
また、我々の楽しみが増えました。










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