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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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優勝しましたね。
坂下ヒーローズさん主催の新人の最初の大会。
おそらく、この先、何回もこの世代の高田イーグルスの前に立ちふさがるであろう強敵です。
そして、この前の白獅子会津予選では、県大会を決める大事な一戦を落とした相手。
試合に負けた後のみんなの涙、ミソラの嗚咽、虚脱感、いろんなものを思い出しました。
その悔しさをぶつける時がようやく来ました。
新人戦会津予選の前に大会という形式の場を作っていただきました坂下ヒーローズさんをはじめ、審判や関係者、スポンサーの方々に感謝いたします。
コロナ禍で大会が少なくなっている中、子供たちと保護者にチャレンジする場を与えてくださいました。
ありがとうございました。

さて、カナト世代が抜けたこの世代、今のところは、アユキ世代となりますが、新人として最初の船出となります。
参加チームにたくさん試合を経験させたいとの思いで、トーナメント形式はとらず、3チームのリーグ戦で2コートをつくり、それぞれの順位でさらにもう一回やるという、粋な計らいの方法です。
高田イーグルスの伊佐須美杯も、関柴さんの大仏杯(今年は雨で短縮となりましたが)も、そういう選手ファーストのやり方をとっています。
私は思うんですけど、チーム数が減ってきている昨今、たくさんの出場機会を!という、こういう形式の大会運営が増えていってくれたらいいなぁと思います。

高田イーグルスの初戦は、丑寅の赤のユニフォームの柳津さんです。
これまでも何回も対戦している相手ですが、新人チームとなって、向こうもポジションや打順が変わっています。
特筆すべきはコーチの多いこと、高田イーグルスもそれなりにいますが、柳津さんも野球経験者の元気なコーチがたくさんいます。
いけいけどんどんにさせたら、雰囲気でやられることになるでしょう。
新キャプテンのアユキ。
おとなしめの性格ですが、プレーは走攻守共に大胆な所も持ち合わせます。
カナトと違うのは、後攻をとりたがるところ。
アユキに、どっちをとってくるんだ?と聞きました。
おそらく彼の中では、すでに決まっていたのでしょうね。
後攻を選ぶことが強いチームのセオリーだといわんばかりでした。
この夏強豪校を次々に破っていった聖光学院を思い出しました。
そして、その聖光学院のキャプテンの赤堀君を、アユキに重ねてみる。
いいじゃないですか!
後攻を選ぶことにアユキの意志を感じました。
となれば、初回の表をきっちり、立ち上がってゼロに抑えて、リズムを作ってくることが強さの証明になります。
ここ最近の大会で、やられる原因はここにあるというのが、我々指導者の考察です。
ちゃんと立ち上がる前に、つまずいて、最後には自らすっ転び、目も当てられないコールド負け。
自分たちの本当の実力を出す前に自滅していました。
何気に、ちゃんと立ち上がるといいますが、これって難しいんです。
あの聖光学院でさえも、2回に11点も取られています。
歯車がかみ合わないと、とんでもない致命傷を招くうえに、立ち直った時には、遥か遠くに敵は、行ってしまっているという後の祭り。
細心の注意と集中力で、自分たちが、当たり前にできるということを証明しなくてはいけません。
そのためには、最初のワンナウトをとること。
そのためには、最初のワンプレーを大事にいくこと。
そのためには、最初の一球を慎重にコースに入れることが、肝心になってきます。
ここにチームとして最大の注意と集中力を発揮して欲しいというのが、私たち指導者からの課題でした。
課題としてあげたからには、私たちも事前にいろんなアドバイスをして、選手たちを援護します。

しかし、世の中甘くない。そうはうまくはいきませんでした。
先頭バッターをデッドボールで出してしまいます。
ん?どうしたミソラ!
続くバッターはピーゴロに打ち取りますが、ミソラ送球が高い!ファースト、リツは懸命に背伸びをして捕りますが、伸びたぶん足がベースから離れてしまいました。
タイミングはアウト、しかし、離れた足を審判がきっちり見ていました。セーフとなり、ノーアウト、1,2塁のピンチを背負います。
ムムム、どうしたミソラ!!
立ち上がりをきっちりこなすどころか、ジャブからのストレートのコンビネーションをまともに受けた感じとなりました。
この状況は、うまくない。
下手をすれば、この前の大仏杯の下郷戦の二の舞なります。
しかし、ゼロに抑える可能性はないわけではない。
ここは冷静になって、どうすればいいかをひとつひとつやっていくしかありません。
チームは、浮き足立っています。
エースミソラも興奮もしているようですが、目には闘志があふれています。
よし、まだ大丈夫!アウトひとつ取れば落ち着くことができます。
どうしても欲しい、ワンナウト。
ワンナウトとるだけで、水中から息を継ぐことができるでしょう。
しかし、3番バッターを迎えます。
どのチームも3番はだいたい撃つバッターを配置します。
ボールが2球先行します。
んー、見られているなぁ~、嫌な雰囲気だなぁ~と思っていると、打ち上げてくれました。
これを見てどう判断するか?
初回の立ち上がり、デットボールと自らのエラーで、アップアップでしたが、3番を抑えたことで、落ち着きを取り戻すとともに、3番バッターをピッチャーフライに打ち上げさせた。
バットがボールの下をいっているということです。
ボールが伸びているということです、
今日のミソラ、球威はあるという証明になりました。
少しずつ、自信を取り戻していきます。
大丈夫、私なら大丈夫!自分に言い聞かせるようにして投げるミソラ。
バックに声を掛ける余裕もあります。
続く4番打者も三振に切って取ります。
ぅぉしゃ!二死まで来ました。
このピンチの出口が見えてきました。
ベンチもバックの守備も一点もやらないという覚悟の大きな声でミソラを盛り立てます。
うん、いい声だ。これならば、いけるという確信が生まれまます。
しかし、5番にまたもやデッドボール。
しかも、この5番バッターのデッドボールのよけ方、というか当たり方が、かっこいいんです。
右バッターの左上腕二頭筋に当たります。
結構痛いでしょうが、きっちりとったトップの構えを崩しません。
何より、左投手が内角をえぐってくる球、しかも高めの顔付近に来るコースを怖がらずに、最後まで見極めています。
これは大したもんです。
それを表しては、かっこいいという言葉しかでてきません。
大人の私だって、ミソラの内角のえぐりにはビビッて逃げてしまいます。

五番バッターの豪胆さに驚愕しますが、そうも言ってられません。
二死満塁となり、ピンチは続きます。
こうなると、ワイルドピッチ、パスボールのバッテリーミスもありえます。
コーチは、トウマに絶対に止めろと厳命します。
いままで何回もバッテリーのミスから、崩れてきたことを警戒しての言葉です。
トウマの闘志も一層燃え上がります。
献身的なブロックが活きています。
みんなの想いを込めた渾身の一球が、バットに空を切らせて、三振。
初回のピンチをゼロでしのぎました。笑顔で帰ってくる選手たち。
誰よりも、とびきりの笑顔だったのは、ミソラであったことは言うまでもありません。
課題だった、初回をなんとか乗り切りました。
乗り切ったといっても、ギリギリのところでした。
それでも、ゼロで乗り切ったという結果は、まぎれもなく、これまでの選手たちの成長の証だと思います。
あの敗戦から、積み上げてきたもの。
私たちは、確かな手応えを感じていました。

つづく

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今年の熱闘甲子園を見返しています。晩酌をしながら。
テレビ局の演出が過分に入るとわかりながらも、やはり、気持ちを投影してしまいます。
厳密には、分からないんでしょうが、なんか分かった気持ちになってしまいます。
それだけ、素材のチカラが凄すぎる思います。
なんつったって、真実、ノンフィクションなんですから。

その熱闘甲子園のひとコマ。
ある高校の一選手の兄弟の話です。
兄はセンターで甲子園に、その兄を応援する弟は視覚に障害があり、右眼がほとんど見えません。
なので、音による反応で、兄の高校の活躍が分かるそうです。

「あぁ~」ならば、あまりいい雰囲気ではなく、観客の落胆を表している。
「ぅおぉー」ならば、いけいけどんどんで、観客の歓喜を表している。
なるほど、言えて妙です。
兄の高校の活躍を甲子園のアルプススタンドから、見守る弟。
彼のシーンは、音と共に彩られていることでしょう。

私は、その高校の試合を見ていました。
強豪を相手に押される展開、兄が守るセンターを難しい打球が襲います。
普通であれば、無理をしないで、1点は与えることを覚悟でワンヒットに止めるところです。
しかし、センターの彼は果敢に勝負にいきました。
無理を承知で飛び込んでいった。
野球経験者の98%ぐらいは、それはやめておけと思うでしょう。
しかし、彼の気持ちもよくわかります。
これ以上点差を広げられたら、勝機はますます薄くなる。
可能性は限りなくゼロに近いかもしれないが、ここは賭ける以外の選択肢はない。
彼の思い切ったダイビングには、その覚悟、不退転の決意がありました。

その直後に、「あぁ~」の悲鳴にも似た歓声。
弟の耳にはどう聞こえたことでしょう。

ボールはむなしくもセンターの後ろに転々と転がり、大量得点を与えたうえに、ピンチの継続をまねく結果になりました。

このプレーをどうみるか?

いろんな見方があることでしょう。
そして、その大半が批判的なものになる。
結果とは残酷なものです。
どうやったって、元に戻すことはできません。
こうなることを覚悟のダイビングキャッチです。
それでも、私は思います。
彼のこのダイビングキャッチを責めるチームメイトと指導者はひとりもいないと思います。
強い相手と戦う場合は、リスクをどうしても取らなければなりません。
そうでなければ、相手を上回る事などできない事を知っているからです。
チャレンジした彼を責めるチームであれば、この甲子園まで到達することはできなかったでしょう。
たからこそ、彼は思いきって飛び込むことができたんだと思います。

いいチームです。
高田イーグルスもそうあって欲しいと思いました。
「あぁ~」は、たくさん、たくさん、経験してきました。
これを「ぅおぉー」に変えていかなければなりません。 

番組の最後に、甲子園から帰ってきた兄と一緒に地元の海をみる弟。
青い海に、白い雲、夏空のコントラスト。
いい景色の中、兄弟ふたりは、この夏を振り返ります。

そして、弟は兄に聞きます。
「(甲子園)楽しかった?」
兄は満面の笑みで「楽しかった!」と答えます。
弟は、「それは良かった!」と答える。
妙に大人びた回答でした。
野球の神様が、それでいいんだよと代弁しているように聞こえました。
兄のすべてを包み込み、その高校のチャレンジの全てを肯定するひと言だと思います。

全力チャレンジ。
成功も失敗もありますが、すべてを出し切った後には、この兄弟のように、すがすがしいやりとりが残るはず。 
兄貴も弟もいい顔してるんですよね~。
高田イーグルスも、この全力チャレンジを掲げて、残りのシーズンを戦っていきます!



センスは磨くもの、才能は開花させるもの。
青葉城西の及川君の名言です。
どうしても勝つことができない相手を前にして、可能性があるのに諦めるのかと問う、指導者。
彼は気づきます。
誰を相手にしても、一生センスは磨いていくものだし、その結果が上手くいった時に、センスの意味が後からついてくる。
迷いのない及川君は強い。
ハイキュー!!の言葉は、端的でわかりやすく、語呂もいいんですよね。

「センス」の話です。
ひとくくりに「センス」といってもいろいろあります。
だいたいは、たいしてやってないのに、いきなり上手いとか、難しい打球やコースに反応しているときに使います。 
生まれ持ってのものと理解していましたが、そうではありませんでした。
センスは、一生かかって磨いていくものなんです。
センスなんぞは、今からでも獲得できる!
まだまだ下手くそ軍団の高田イーグルスの面々を見ているとつくづくそう思います。
最近、特に上手くなってきているのが、ハルト。
特に守備に堅実性、センスを感じるようになってきました。

ゴロに入るタイミングが良くなってきた。 
←どのバウンドのどこの位置で捕るかを考えて、一番捕りやすいところへ動いています。考えるというか、自然と反応するといったほうがいいでしょうか?この位置取りのための動き、ここに私はセンスを感じます。そして、それは先天的なものではなく、後付けで身に着けることができる。

捕球直前、グローブのすぐそばに「添え手」が見えます。 
←正面付近に限った話ですが、両手でとることで、シングルキャッチの不確実性を払拭し、次に投げる体勢への移行、ステップのスムーズな動きが見られるようになってきました。
まだまだ、アユキには負けますが、俗に言う「流れるような動き」に繋がっています。
なので安定した送球体勢ができている。よって、サードからもきちんとした送球ができています。結果、強肩が活きる。捕ってからのスピードがまだまだですが、通常のゴロならば、安心できる域まできています。

捕球姿勢の安定性。 
←捕球の姿勢がいいんです。強いゴロにも、負けない、ぶれない捕球姿勢。
しっかりと、足のひら、指全体でグランドをつかんでいます。
私は、特に足の親指から付け根の部分のグリップ力が大事だと思います。
バランスがいいんですよね。捕った時もふらふらしない。
反対に、これがまだまだできてていないのは、レント、チヒロ、キヒト、カナト、ゼンジ、ミソラ・・・ほとんどですね。みんな良くはなってきましたが、まだまだです。追いついているのに、落としてしまう。グローブに入れたのにこぼれてしまう。それはこの安定性の欠如が原因です。
ひるがえって、ふたたびハルト。
グローブを出すタイミング、位置もそうですが、体の芯、体幹が安定してきたということだと思います。体幹を駆使して、一番強い土台を作って捕っている。体幹は、すべての動きに連結します。頭で思い浮かべた動きが精密機械のようにできるかということです。大きな筋肉を動かす、ハンドルのような役目が体幹となり、動きの精密さをつかさどります。
体幹の強さ、これは、うれしい副作用をもたらします。ハルトのピッチングのコントロールの向上にもつながっています。これは、いずれバッティングにもいい影響を及ぼすはずです。

キリスト強のマタイさんも言ってますよ。
「求めよ。さらば与えられん。」と。
上手くなりたい。強くなりたいと思うことは、同時にどうすればいいかを考えること。
脳と体をフルに使うことで、心身ともに成長していきます。
彼の貪欲な向上心が実を結んでいます。
ほかにもありますが、ハルトの構成ファクターが少しずつ課題を克服していきます。
それが、相乗効果を発揮しています。すべてがいい方向に繋がっていく。
今のハルトは、ソフトボールが面白くてしかたないでしょうねぇ~。
おぉ!上手くなってきたな!と我々に思わせます。
自分が、できる!という自信で満たされていく。
この先、何十年も役に立つであろう自己肯定。そのの足場がどんどん形成されていっているはずです。
それが楽しいということです。
好きこそもののに繋がっていきます。
そして、それはさらなる向上を渇望する。
もっと上手くなりたい、もっと強くなりたいと思う。
それはハルトだけではありません。
この前の柳津戦で、見事なリリーフを見せたゼンジ。
まだまだ育成段階ながら、マウンド経験豊富なレント。
外野を争うマナトとソウスケ。
ブルペンエースを返上したいヒカル。
チームの中に、競争がうまれています。いい傾向です。よどんだ水は腐るのみ。
変化や流れがなければ、進化はありません。
そして、このハルトの成長をみて、まわりがどう思うか?
私はここに期待したい。
チームメイトであっても、仲間であっても、人間はその人に勝ちたいもの。
いままでの子どもたちもそうでしたが、私は、やつらがグランドの中で、何かを確信して、ニヤっと笑う場面が好きです。
今の高田イーグルスの面々のそういう場面、見てみたいものです。
この秋、彼ら、彼女らの成長が、願わくば結果となって表れてくれることを期待せずにはいられません。

早いものでもう9月です。
新人戦がすぐそこまで迫っています。
新人チームも念頭に育成してきましたが、いざ真剣に考えてみると迷うところがたくさんあります。
人数がいてくれることは助かります。
会津全体を見回しても、人数がそろわないチームが多い。
いまや会津全体をみても、15チーム切ってしまいました。
少子化の影響もあるでしょうが、そればかりではないと私は思ってます。
ソフトボール、野球にかぎらず、子供たちのスポーツ離れが進んでいます。
スポーツ離れの原因は、親にあると私はにらんでいます。
将を射んと欲すればまず馬を射よ。
親がやってみたいと思わないかぎり、スポ少の門をたたくことはありません。
親がそんなにスポーツに意味を感じない。
なので、子供にもスポーツの良さを伝えようと思わない。
お金もかかるし、時間もかかる習い事のひとつとして、やらせる意義を見いだせない。
やるメリットを見いだせない。
昔から思ってましたが、この問題は根深い。
もっとも、向こうから見れば、我々のほうこそ、間違ってんじゃないの?という目で見ているでしょう。
これもまた真実。
強制するものでもありません。

時代の変化や価値観の変化もありますが、そこに対応してこなかったスポ少サイドの怠慢もあります。
この問題を語ると長くなるのでやめます。
しかし、近い将来、高田イーグルスにも人数不足の波は間違いなくやってきます。
このまま座して、待っていてはジリ貧は確実。
で、あればどうするか?
メリットが見いだせないのであれば、メリットを見出してもらいましょう。
メリットがないのなら、メリットを作るしかない。
それを宣伝して、実績を作っていくしかないと思います。
私はこれを考え続けてきました。
そして、今も考え続けています。
答えの出ない問い。
だかるこそ、やりがいがあります。
ライフワークたりえる。
スポ少を子供たちがやる意味。
子供たちがやることで、子供たちはもちろん、家族にもメリットがある。
これを打ち出していかない限り、スポ少という世界に光はあたりません。
そして、それは地域の振興に直結している。
私はそう思っています。
子どもたちが元気であれば、大人も元気になる。
町も元気になる。
その中心にスポ少がある。
いいじゃないですか!
さて、どうやっていくかは、また今度にしましょう。








下郷ジュニアさんに負けた関柴大仏杯には、後日談があります。
全体ミーティングの後、ほおのきスポ少さんにお誘いを受けて、練習試合をやることになりました。
私は、次男の高校野球があるのでここからコーチ陣に頼んだので、試合を見ていません。
夕方、いつものようにスコアラーからのスコアが届きました。
そして、スコアラーからのメッセージ。

キヒトのホームラン、見せたかった!

トリハダが立ちました。
どんなホームランかは、見てないのでわかりません。
おそらくカチ上げた、高い放物線かなぁ。
スコアをみれば、四辺を一筆で結ぶ四角いダイヤモンド。
それはホームランの証です。
満塁か?と見直しましたが、先頭バッターでした。
うれしかった!
うれしかったです。

「巨人の星」という昔のアニメの明子姉ちゃんのように、
木の陰から、ばつの悪そうに、我々指導者のミーティングを盗み聞きしていたキヒトがホームランを打った!
これを読んだとき、思わず立ち止まってしまいました。
そして、熱いものがこみ上げてきました。
キヒト、あんにゃろめーと、思いつつ、うれしくて仕方がない。
その直前の大仏杯で、大エラーをした後に、すぐに結果をひっぱってくる。

彼の、はにかんだ笑顔が思い浮かびます。
奴は絶対に、おっしゃーとか雄たけびをあげないタイプ。
本当に自分が打ったかどうか、わからないんじゃないでしょうかね。
わけがわからないけど、みんなよろこんでいる。
その原因が自分のホームラン。
いいじゃないですか!
三者連続ホームランもそうですが、
神様はときどき、こういう粋な計らいをプレゼントしてくれます。
しかも、今回は、私がそこにいない場面で・・・
私は、キヒトがダイヤモンドをせかせか走る場面を想像します。
ホームランを打ち慣れていないので、余裕をもってゆっくりと回るなんてことは、彼にはできないとわかっています。
いい場面でしょうね。
この成功は、彼なりの努力と注意を積み重ねてきた結果です。
いっぱい、いっぱい、失敗も重ねてきました。
ついさっきも、大きな失敗をしたばかり。
彼なりに反省して、次はどうしたらいいかということを具現化した結果です。
失敗を失敗のままで終わらせず、前の失敗をきちんと糧としています。
こう言うところが泣かせるんですよね~。
キヒトの背後に、いままでそうやってきた子供たちが重なります。
子どもたちのがんばりが見える。
それをちゃんと神様がご褒美として与えてくれる。
それをみんなで見ることができる。
いい場面。

そして、我々はまた確信します。
播いた種は確実に育ち、やがて花を咲かせる。
私たちがやってきたことは、間違ってない、間違ってないんです。
それをキヒトのホームランは証明してくれています。
練習しても、なかなかいい結果には繋がらない。
もしかしたら、全く繋がらないかもしれない。
それどころか、大きなミスを連発することもあるでしょう。
しかし、ゆっくりと、ゆっくりと育っていてくれるんです。キヒトのように。
それは、チヒロもそうです。カナトもそう。
みんなそうなんです。
その小さな変化を、褒め称えましょう。
スポ少は、そういうところです。
指導者も保護者も、私たちにしか、気づくことができない変化を、彼らと共有していきましょう。
青春はすっごく密。
仙台育英の須江監督が、優勝インタビューで言ってました。
そういう時間を子供たちと共有できる保護者も私たち指導者もしあわせもんだと思います。
私の次男も高校球児です。なので、保護者の気持ちも痛いほどわかります。 
子供たちが少しずつ、少しずつ、上手くなっていく。
それは、少しずつ、自分に自信をつけていくことと同義です。
自分の存在に自信をもつこと。
俺は、やれる!と思えることで、世界の見え方は変わってきます。 
これこそ、生きる力だと思います。
付け加えるとすれば、楽しんで、生きる力。
自信はさらにその子を成長させていくガソリンとなります。
今日の打撃練習でも、キヒトに余裕が見えました。
そして、振りの思い切りが格段に良くなっている。
センター前ヒット。
小さな成功の積み重ね、これこそが練習をやる意味です。
そして、彼らはまた自信をつけていく。
自信が子供たちを育ててくれます。
子供たちも私たちもソフトボールに育ててもらってるんです。
次男の高校の野球部の先生が言ってました。
「高校野球は、プロ野球のようにホームランや華麗な守備や走塁を見るものではない。ダメダメだった選手の成長、チームの成長を応援するもの。」
小学生のソフトボールもその通りだと思います。
しかし、その成長に我々は感動させられます。
我が子もそうですが、他の子や相手チームの選手にさえ感動します。
キヒトもそうですが、キヒトの背後には現役の選手たち、そして今まで一緒にやってきた子供たちのがんばりと活躍が重なります。
私たちは確かに彼らを支えていますが、
反対に、彼らに励まされて、勇気と元気をもらっています。
一喜一憂のgive-and-take。
これからも、彼らの心を動かされるプレーを支えていきます。

関柴スポ少さんの大仏杯に参加させていただきました。
コロナ禍で大会が中止されていく中、万全の対策をとりながら実施していただけることに感謝です。
中神谷、TKヤンキース、桜など県大会常連メンバーがずらり。数年前に全国大会に行っている関柴さんの人脈をいかした招待チームの面々。
そんなチームと肩を並べて試合ができるだけで、ありがたいです。
そういえば、ハルヤがエースだったとき、県大会準優勝の川俣ジュニアさんに最終回まで勝っていたということもありました。肉薄しましたが、抽選で負けたことを記憶しています。
大仏杯は名勝負が多い。
それは、この秋にきてそれぞれのチームの底上げか成功してきていることを意味します。
それが激突する。
名勝負を生み、選手はもちろん、保護者の心にも大きく残る財産になってくれます。
ほんと、いい大会です。

さて、高田イーグルスは下郷ジュニアさんとあたります。ん?ここ最近、この大仏杯では定番の組み合わせのような気がします。
ユウキたちとの激闘。
昨年のレンたちとの激闘。
そして今年と、あたるときはあたるものです。
そして、毎年強い。
今年は白獅子県大会ベスト4の実力者です。
胸を借りるつもりでいきます。
さて、高田イーグルスはどう戦うか?

事前情報では、アウトコースにピシピシ決めてくるエース。
体格に恵まれたリードオフマン、堅い守備。
総合力の高さはイーグルスの比ではありません。
イーグルスが勝てる要素は、どこか?
やはりここは、ミソラとトウマのバッテリーにかかる負担が大きいと言わざるを得ません。
60分という短期戦。ミソラがなんとか押さえて、我慢して我慢して、ロースコアの展開にもちこみ、少ないワンチャンスを活かす。
2:1くらいでなければ、勝利はもぎとれません。
そして、特殊なグランド状態もありました。
コロナでスポーツイベントが激減し、グランド整備もあまりいきとどいていないと言うことが、監督会議でアナウスされました。
なるほど、ここ1週間くらいの間に苅ったであろうと草がいたるところにあります。
関柴スポ少の保護者のみなさんの熱い気持ちが伝わってきます。
ここにも感謝!
なので、外野はボコボコで、ゴロがどうはねるか予測がつきません。
そこで、試合前のミーティングで、外野にはシングルハンドはやめて、膝をついて体を壁にして、捕れなくても体のどこかにあてて止めるように指示を出しました。
ノックの時もノーアウトのシングルヒットの捕球として、膝をついて壁にする練習はしてきています。そこをあらためて確認させました……
この指示がちゃんと選手たちに入っていてくれればと言う展開になることは、この時点で予測していませんでした……

さて、高田イーグルスは後攻。
白獅子会津予選の猪苗代戦のように、初回を押さえて守りからリズムを掴むことを意図して、選手たちはフィールドに散っていきました。
下郷ジュニアの1番バッター、大きい……
キヒトより大きいでしょう。引き締まった上半身、太い大腿部、いかにも野球向きなケツ。
伝聞にそぐわない偉丈夫。スウイングを見ても、いい選手だと思わせてくれるには充分です。
断言します。将来的にも彼はすごい選手に育つことでしょう。

一騎当千の彼に立ち向かうのは、こちらの一騎当千のミソラ。
しかし、ミソラであってしても押さえるのは難しいでしょう。 
打たれればかなりの確率で長打になります。
シングルヒットなら御の字、そのぐらいの方針でいい。
一投最初からの強敵。
しかし、今日のミソラの調子はいい。
致命傷にならないコース、高さでカウントを稼いでいきます。
しかし、このバッターから空振りをとることは、かなり難しい。
打たせてとるにも、打球はとんでもなく速くなる。
ミソラとトウマ、仕留めるコースをアウトコースに絞って、渾身の一球を投げ込みます。
無理に引っ張らない。
強い打球ですが、討ちとってもいます。
しかし、正面でなければまずさばけない速さと強さ。
本大会からセカンドに入ったアオトの横を通り過ぎていきます。
ライト、キヒトも反応しています。
正面に強く、低い打球が襲います。
このぐらいの強さであれば、安パイだなと判断し、セカンドベースに誰が入っているかを確認しようとしたその時、キヒトのまたの間をボールはすり抜けていきました。かすりもしないで。
相撲の蹲踞(そんきょ)のような姿勢。
腰を落とすタイミングが遅れ、グローブが出るのが遅れました。
グローブも上からでるので、ボールが目線から切れる、あの捕り方です。
トンネル。キヒトだけに、キヒトンネル、なんつって……
笑えないギャグを思い浮かべつつも、握る拳はプルプル震えています。
やりやがったなぁーとは、心の声。
しかも、最初の最初に……と心の声。
やっちまったぁと天を仰ぐキヒトを見て、心のちゃぶ台を引っくり返して、気持ちを切り替えます。すでに彼は制裁を受けている。
自分が何をしたかを理解している。
だとすれば、これ以上の試合中の制裁は無用です。
覆水盆に帰らず。 
終わってしまったことは、どうやっても取り返せません。
気持ちを落ちこませたまま、キヒトを守備につかせることの方が、チームにとってはマイナスに働きます。
キヒト、忘れろ!と声をかけますが、一方でマウンドのミソラのマグマがそこまできています。ゴォゴォゴゴゴぉとジョジョのディオのような怒りが視界に入ります。
怒りというか、失望のため息。
さぁ、行くぞ!というところで、味方のミスで、いきなりすっこける。
強敵を前に、もてる力の全てをぶつけているのに、味方の援護どころか、ミスで足を引っ張られる。
情熱のモチベーションで赤くたぎった刀身に冷却水をぶっかけるとどうなるか?
その身は急激な温度変化に耐えられず、ヒビがはいり、もろく崩れることでしょう。
耐えられない。
それが今このマウンドでおきています。
そして、温度が高ければ高いほど、ダメージは大きくなる。
負けず嫌い、勝ちたい、己の力で勝ちたい。
三振を取り、ねじ伏せたい。
ゴロの山を築いて、逃げ切りたい。
敵と最前線で渡り合うピッチャーという生き物の宿命ですね。
しかし、人はミスをするもの。
だから、自分の範疇以外のところで、おきたことが自分にとってマイナスに働くことになれば、ガッカリするのは当たり前です。
でも、ここで、ここで、よく考えてください。
そこに、打たせたのは誰か?
ミスをした彼のところに打たれたのは誰か?
結局、最後は自分に跳ね返ってくる。
因果応報、人のせいにしても何も始まらないという原点に帰ってきます。
私も中学の頃はピッチャーでした。
速い球は投げれませんでしたが、コントロールには自信がありました。
なので、最終的にどのコースを打たせてとるかのイメージを常に持っていました。
そして、イメージどおりに打たせる。
しかし、肝心のバックがエラーをする時があります。どうやってもある。
プロだってエラーするんです。まして中学生なら……。
問題はその時どうするか?
一瞬、このやろー何やってんだよと思います。
これは仕方がない。
人の心に戸は立てられません。
思ってしまうことは誰にも止められない。
これは誰しもが同じ。
問題はその後です。
その後の行動、言動にその人の真価が問われます。
怒りを態度と言動に出してしまう者。
感情をシャットダウンし、心を閉ざしてしまう者。
この世の終わりの如く落ち込み、回りを巻き込んで、チームもどん底に引き連れていく者。
反対に、エラーした選手に声をかけ、次がんばろうぜと前を向き、上を向き、次に備える者。
エラーしたときこそ、カラ元気であっても、声を出して、チームを鼓舞しようとする者。
いったん立ち止まって、深呼吸をして、冷静に分析して、対処法を寝る者。
対応はさまざまです。
そして、正解はない。
怒ることで、チームを鼓舞する場合もあるでしょう。 
温かい声が、かえってプレッシャーになる場合もある。
どちらが正しいかなんて、終わってみなければわからないんです。
しかし、今の立場の私は、その場だけではなく、将来的なことも考えます。
この子には、どんなピッチャーになって欲しいか?
どんな人間になって欲しいか?
こういう場面は、この先何回もやってきます。スポ少でも、人生でも。
こういうピンチの場面でこそ、「いい人」であってほしい。
まったくの「いい人」でなくていい、「そこそこのいい人」であってほしいと思います。
100%完璧な「いい人」は、やってても疲れるし、見てても疲れます。なので、無責任にいい人になれとは言えません。
しかし、そこそこいい人を複数人つくること。20%くらいを5人で持ち寄れば100%になります。
チームで分担すればいいんです。
全部の負担を背負うことはない。みんなに背負ってもらえばいいんです。
そして、その中心にピッチャーはいます。存在します。
最前線のピッチャーがハブ機能をもたなくてはいけません。
みんなをつなげる役目をもたなくてはならない。
だってもうピンチなんですから、自分一人ではどうにもならない状況にまできています。
自分一人でなんか、この状況は打開できない。打開しようと思っても、空回りするだけです。
それは、今まで生きてきたからこそ分かる経験値。
小学生のころに分かれといわれても、わからないでしょうね。
だから、ミソラはいい経験をしています。
もうひとりの試合をぶん投げていったピッチャーも・・・
「失敗するチャンス」をもらっている。
我、天啓を得たり。
どっかで目にしました。ネットかなぁ、テレビかなぁ。どっかの高校野球の監督が言っていました。
アマチュアスポーツの目的のひとつはこれなんだと思います。
チャンスと聞くと、ものにするものだとばかり思いこんでいますが、その反対もある。
むしろ、多くは失敗ばかりだと思います。
人は失敗する。
失敗して、そこから学べ!という意味だと解釈しています。
だから、失敗していい。
まわりに迷惑をかけていい。
失敗することこそ、スポーツをやる意味なんだ、そう言っています。
これは、トンネルをしたキヒトにも言えることです。
失敗をしてしまった。
落胆。回りからのため息でまた落胆。
自分も周りもがっかりしてしまいます。
しかし、ここからがスタートです。
大事なのは、その後。その後どうするか?
根本的には、考え方を変えていくしかありません。
普通ならば、落ち込んだり、ふてくされたり、逆切れしたり、マイナスの感情がすぐに出てしまうところ。
心に戸は立てられないので、それは、仕方がないことかもしれません。
一瞬は、マイナスの感情に流されてもいい。
でも、スポーツをやっている限りは、そのままでいることは、負けを意味します。
自分に勝ってない。
自分を克服していません。
このマイナスの感情をどうすか?
なかったことにはできないのなら、仲良く付き合っていくしかないんです。
ごまかして、いくらか軽減することもいいでしょう。
1番いいのは、そのマイナスの感情さえも、プラスのエネルギーに変えてしまうこと。
ミスをしたことを認めて、チームメイトに謝った上で、次への対策を錬る。
この切り替えが、本気で、できるかどうか?
これが、メンタルの強さだと、私は思います。
1回負けを認める。失敗を認める。
自分の駄目さを認める。
自分のバカさを認める。
否を認める。 
そうすることで、迷惑をかけた、回りのみんなに心から本気で、謝れると思います。
心から、ごめんと言えるでしょう。
その謝罪を受け止めないチームメイトなどいませんよ。
そんな奴は、チームメイトではない。
そこにお互いの信頼が生まれます。
そして、ここがスタート地点。
挽回のチャンスです。
失敗は挽回のチャンス。
この失敗さえも、次への糧としましょう。
この失敗があったから、次の大きな成功があった。
次の成功のための基礎となる。
基礎としていくんです。
それこそが、進歩であり、進化です。
かく言う私たち大人もたくさん失敗して、エラーをして、まわりに迷惑をさんざんかけてきたと思います。
失敗しない人なんて、大門先生くらいでしょう。

関柴大仏杯、この大会も下郷ジュニアさんを前に1:9で敗れました。
最後に、アユキがしぶとく選んだファーボールと、アオトの長打で一矢を報いました。
攻撃は、この1点のみ。
試合後、指導者ミーティングで、確認したことは、最初のワンプレーの準備のなさ。
他にもまだまだありますが、最初のボタンの掛け違いが致命傷になるということを確認しました。
あのプレーが、痛かった。
あれで、みんなが波に乗るどころか、奈落に突き落とされた。
我々指導者ミーティングを、影でこっそり、見ていた奴がいました。
そう、キヒトです。
彼は彼なり責任を感じていたのでしょう。
自分がどういわれているか、気になるということは、成長している証拠です。
彼は今回を教訓として、次につなげなくてはいけない。
我々はそれを、あたたかく、時に強く、
そしてまたあたたかく、時に強く、
あたたかく、見守るだけです。

そして、チームには競争が生まれています。
今回からサードにハルトが入りました。
彼の取り組む姿勢と明るさを買っての起用でした。
ポジションは、楽して手に入るものではない。
自分の居場所を自分でこじ開けていく。
これもスポ少のいいところです。
自分に何ができて、何ができないかを見つめる。
そして、今チームには何が求められているか?
これを考えて動いている子は、何人いるでしょうね。
しかし、少しずつ、わかってきています。
ソフトボールというチームスポーツが、いい媒体となっています。
チームメイトは仲間であり、ライバル。
そして、敵と戦い、勝つためには、協力しなくてはならない。
全員が少しずつ、力を出し合って強大な敵を倒したとき、もういっこ上の楽しさがわかることでしょう。
そして、それは不可能なことではない。
ここをスポ少をやっている期間のどっかで味合わせてやりたいといつも思ってます。
ジァイアントキリングを地でいく。
現実は小説よりも奇なり。
何回か味わっていますが、いいもんですよ。
自分がプレーヤーでないことが、悔しいですが、それもまた一興。
さて、今年のカナト世代で味わうことができるかどうか?
さて、次はカナト世代は一休みで、新人戦です!




秋風を感じます。
秋風を感じるということは、今シーズンの終わりが近いことを意味します。
カナト世代の終わりが近づいています。
なんか大したことしたかなぁと考えると、やはりあの白獅子会津予選を思い出します。
三者連続ホームランが出たのに、なぜ負けたのか?
負けるべくして負けていたんだと思います。
最近の練習試合をやっていても、そう思う場面が多々ある。
コーチたちと話していても、その弱さがわかります。
チームになってない。
組織的なプレーが必要な場面で、組織的に動けていないんです。
みんなで同じプレーを思い浮かべることができない。
練習でやってきてるんですよ。
しかし、いざその場面になると、できない。
ボールが来た時に、まだ迷いがあります。
だから一歩遅くなる。遅くなるから、焦る。
焦るから、ちゃんと投げれない、ちゃんと捕れない。
カバーもいない。
エラーした後のフォロー、指示もない。
だから、さらに焦って、投げることないのに投げて、さらにエラーの傷口に塩。
そしてこの世の終わりかのように、落ち込む。
モチベーションが低いから、次のプレーが思い浮かばない。
そしてそれは伝染していく負の連鎖。
弱小スポ少を見続けてきた私の二十数年は、この風景と共にありました。
上手くいかないほうが、圧倒的に多い。
仕方ないとは、言ってられません。
なんとかしなくてはいけない。
スポ少とは、思えば、こういう課題との対峙の歴史でした。

ここ最近のコーチたちの見方に共通点があります。
それは試合中のベンチを観察すればよくわかります。ベンチが休憩所に成り下がっている。
ベンチは、次の戦いのための準備の場ではなく、のんびり休む場所。
全ての選手が指示待ち人間になっています。
あれをしろ、これをしろと言われ続けてきて、自分でどうしていいかを考えていない。
これは、家族に大切に育てられてきたからです。
先回りして、大人がやってしまっている。
普通であれば、恵まれた環境で良かったねで、終わりますが、手を出しすぎるのも考えものだなと思ってしまいます。
私の世代でさえも、その傾向はありました。
私も間違いなく、その部類の人間です。
しかし、打席に入ったら親は助けてくれません。
最後は自分でどうにかしなくてはいけない。
そして自分ができなければ、回りに迷惑をかける。それがチームスポーツです。
で、あればどうするか?
考えるしかありません。状況を把握して、分析して、観察して、どう動くことがチームのためになるか?
ここにたどり着くはずです。
それは自分の楽しさや気持ち良さとかけ離れていることもあります。苦手なこともあるでしょう。
嫌なこと、やりたくないこともある。
しかし、チームのためにはやらなくてはいけない。
これが、日本人が好きな、好きなというか、比較的得意な「組織的」というやつです。
護送船団方式、この考え、しばしば、個を粉砕するときにも使われてしまいます。
そして、なんだかんだといいながら、私達は組織が大好き。
歯車として動きたいんです。
いろんな原理によって、小さい歯車の集合体がとんでもなく大きなものを動かすことを知っているからでしょうか?
重機もない紀元前に巨大なピラミッドを作り、万里の長城を築いてきた。
小さな歯車が、巨大な敵を打ち破ることがある。
ジャイアントキリング。
弱い者が強い者に勝つ、だから人生は面白い!
今年の甲子園の決勝、下関国際の坂原監督の言葉です。
弱さがわかるからこそ、そこを克服するし、準備をする。弱者は弱者のままではないという強烈なメッセージが隠れていると思います。
そして、そこが面白いという。
そうだからこそ、面白いといいます。
私もそう思います。
この臥薪嘗胆、準備が面白いんです。
選手がいきなり強くなるわけでもない。
設備がいきなり整うわけでもない。
あれもこれもできない、限られた中で、自分たちの弱さを見つめて、何ができて何ができないかを知る。
削りに削った研ぎ澄ました武器で、強者の急所を突く。
可能性は低い。
確かに前評判はある。しかし、その通りになるとは限らない。
やってみなくてはわからない。
その課程を楽しもうじゃないか!
下関国際の坂原監督は、こうも言っていると思います。

そのためには、最低限の準備が必要になります。
大きな敵と戦う前に、チームがひとつにまとまっていることが大前提でしょう。
今の高田イーグルス、それができているとは到底言えません。
グランドはもちろん、ベンチの中でも・・・
コーチたちがいっているのはここなんです。
相手が全力でかかってくるグランドならまだしも、相手のいないベンチ。
自分たちの心のもちかたひとつで、変えることができる。なのにそれをしない、できない・・・
一生懸命に教えているのに、相手に響いていないと、がっかりしますよね。
教えてきたことが行動に表れない・・・
そういうのも今まで何回もありました。
それでも、続けていくこと。
砂漠に水を撒いていくこと。
響いては、います。そう信じるしかない・・・
いつか、行動でしめしてくれることを信じる。
私たちにできることは、これくらいです。
言い方を変えたり、さくらを作っておくこともいいでしょう。
大事なのは、チーム全体でそういう心意気になって、全体で行動してくれること。
小学校の時にできなくてもいい。
いつかわかる時がくる。
今の私はこのスタンスです。
少しでもそういう心意気になってきてくれた時に、それはグランドでも発揮されることでしょう。
お手本のようなゲッツー、1.3塁のカットプレー。ソフトボールはひとりでは成立しない連係プレーが欠かせません。
そしてそれはピンチの時ほどやってくる。
この時に、チームとしてのまとまりが試される時です。
それができた時、もう一段上の楽しさ、達成感、一体感を味わうことができるでしょう。
歯車の一員としての矜持が芽生える。歯車は他の歯車なしでは動きません。
そこに他者への観察が生まれ、誰にも言われることのない状況判断の意識が芽生えます。
他人のプレーがよく見えるでしょう。
他の選手のプレーを我がことのように喜び、ほめたたえる。
ミスを挽回してくれた日には、感謝しかありません。自然と声も大きくなる。
それをチームで、大きな声でほめたたえてほしい。
試合前に誰彼に言われることなく、素振りをして、相手投手を観察する。
チーム全体の準備を大きな声でかけてほしい。
キャッチャーの防具をみんなでつける。
フォアザチームの精神をみんなで気づいて行動してほしい。
ほかにもいろいろありますが、ソフトボールはやることが多い。
歩みは遅々としてですが、少しずつ、少しずつ進んではいます。
負の連鎖を断ち切る方法は、正攻法のこれしかないのかもしれませんね。
ぶっとい鎖をやすりでキコキコ少しずつ、少しずつ削っていく。
それでも手を止めたら、断ち切れません。
手を変え品を変え、続けていくことにしましょう。



お盆があけました。
我が高田イーグルスの練習も再開されました。
二本柳グランドに選手たちの生きのいい声が響き渡ります。
やっぱ、これですよね。
枝豆にビールと同じ。
二本柳には、高田イーグルス。
これです。


白獅子会津予選が終わって、はや一ヶ月がたちました。あの時みんなで話し合った事は、なかなかできていませんが、少しずつでも積み上げていきたいと思っています。
少しずつでも、やめないで、積み上げていくこと、これが大事なんだと思います。

選手たちもそれぞれ課題を抱えています。
今日金曜日はバッテリー中心の練習でした。
フォーム改造に一生懸命なミソラ。
がむしゃらに投げまくるレント。
メキメキと上手くなっているゼンジとハルト。
プレーの精度を上げているアオト。
おっかないピッチャーの球を受け続けるトウマ。
そして、私が注目したのは、黙々と黙々と黙々と投げるヒカルです。 

彼は純粋に100%ピッチャー、混じりっけ無しにピッチャーをやりたい男です。 
なので、投げろと言われれば、夜がくるまで、いや朝になるまで投げ続ける男でしょう。
いろんなアドバイスをしますが、わかっているのかわかっていないのか、わからない。
しかし、上手くいかないとそのアドバイスを受け入れて、やってみる様子。
それがいいとなると、やろうとする姿勢は見えます。
ですが、それが合わないと感じるやいなや、すぐにぶん投げます。
少し前にしたアドバイスを受けた動作もすぐにはもとに戻ってしまいます。
なかなか手強い選手です。
そこが面白い!そこが面白いんです。

今日もブルペンでは、バンバンストライクを投げ込んでいます。
スピンの聞いたスライドする癖のある球。
投げてる本人も気持ち良さそうです。 
黙々ながら、ドヤ顔なんです。
間違いなく、ブルペンではエースです。
これが、試合でできたなら……
これが、マウンドでできたなら……

ヒカルの課題は、実戦です。
実際にバッターが入ると、ブルペンでのコントロールを失ってしまいます。
練習とは、試合でうまくできるためにやるものです。
それができない。
何が問題なんでしょう?
おそらく、メンタル的な部分だと我々は分析しています。
いや、絶対メンタル。
だって、違うところ、ブルペンではエースの投球ができるんですから。
それが他の場所ではできないなんて。
何か理由がある。
我々にできることは、ヒカルと一緒に考えて、ひとつひとつの可能性を試していくことです。
いろんな可能性があります。
プレートをつかう。
ルーティンを変える。
フォームを変える。
どうやれば、ヒカルがマウンドで自身の光を取り戻すか?
面白いじゃないですか!
正解がわからない。
教科書は当てになりません。
スポ少の期間中にたどりつけるかどうかもわかりません。 
しかし、私は面白いと感じます。
ヒカルをはじめ、選手のみんなが何かしらの課題を抱えています。
そのひとつひとつに向き合うこと、これが私たちのライフワークです。
これが、解決したときの選手の笑顔、お母さんお父さんの笑顔をみて、みんなでバカ騒ぎをするのが楽しいんです。

ヒカルは、いい球を投げる。
それをみんなに知らしめたい。
そして、黙々と投げてもいいから、マウンドでとびきりの笑顔を光らせたい。
そのために私達は、今日も二本柳グランドに長い影をおとしながら、長い長い助走をみんなで走り続けます。

白獅子会津大会、二日目まで行きましたが、県大会への出場権は逃しました。
今大会の最大の目標を達成できなかった。
表彰式を終えて、他の三チームが帰り路を急ぐ中、高田イーグルスは係が後片付けを終えて誰もいなくなっても、最後まで残っていました。
なぜか?
試合後の反省を指導者でしていたからです。
この試合、この大会に限らず、いままでの高田イーグルスのチームとして全体の反省まで及びました。
これはいい機会、コーチ陣のひとりひとりの思いを付き合わせていくことにしました。
それがこの指導者たちの円卓会議となりました。
それは、この後に大雨が来る予報、その大雨が降ってくるまで、続きました。

コーチ7人。
ひとりひとりの思いを言葉にします。
なるほど、どのコーチの言葉にも説得力があります。
野球経験者は、経験者なりの視点が入ってきます。的確です。
それができたら、おそらく強くなるねという視点。
みんなの意見を聞きながら、昔の自分自身を見ているようでした。
そして、野球経験者であればあるほど、同じような教育をされてきている。
だから、行きつくところは同じなんです。
普段の行動から正す。
あいさつ、用具の取り扱い整理整頓、ものごとの取り組み方、後片付け、そして「声」。
いいプレーヤーになるためには、きちんとした人間教育にある。
そして、その効果、効力を身をもって経験している。
実際に強いチームほど、それができています。
それができているからこそ、強いんだと思います。
かつてそういうのを身をもって経験してきています。
だからこそ、子供たちにもそうあって欲しいと願う。
これって当たり前です。
かつての私もそうでした。

しかし、今の私は少し違います。
どう変わったか?
平たく言えば、「やるもやらないも、最後は子供たちにまかせる。願わくば、意味を理解した上で、自分たちで選んで、筋を通して欲しい。」
今は、これです。

かつての私も、負けが混んだり、僅差で勝負を取れないときがあると、なぜ、負けるんだと考えました。
プレーの精度の高さが、勝負所で発揮できるかどうかが大きく関わってきます。
それが発揮できるかどうかの分岐点は、普段の準備、普段の周囲の観察、普段の落ち着きさにあります。
優れた先人の指導者の皆さんもそう言ってますし、自分も指導者として長年やってくると、そういうところに行きつくのは至極当然のことだと思われます。
普段の行い、振る舞い、取り組み方から変えない限り、ギリギリの戦いを勝ち取ることはできないんです。
星稜高校の山下監督の言葉。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

この言葉に多くの指導者が共感することでしょう。
しかし、この言葉には、大前提があります。
子供たちが、自分で考えて、腑に落として実践していかなくては意味がないということです。
やらされているうちは、意味がない。
意味がなくはないが、真摯に取り組む、そういう姿勢が大事だと私はそう思います。
これって難しい。ものすごく難しい。
なかなか上手くいかないから、永遠のテーマになり得るんだと思います。
だから、毎回毎回、高校野球でも同じような事が取り上げられます。
聖光学院をはじめ、多くの強豪校が学校の回りのゴミ拾いや地域のお手伝いをするのは、人間教育の一環だと多くの指導者がそういっています。
すごいなと思いつつも、私は違和感も感じるんです。
周囲に対するアピールもあるんじゃないかと勘ぐってしまいます。
もちろん、優れた指導者は、そんなことはすでに織り込み済みなんですよね。
そんなことは百も承知でやっている。
選手たちも最初はやらされているのでしょうが、やっていくうちに何かに気づくのでしょう。
そのきっかけとして、ゴミ拾いという一見野球とは関係ない活動を練習のひとつとして取り入れている。
それを人間教育の一環として、昇華している。
そういうことだと私は思っています。
これが、ゆくゆくは挨拶や礼儀、普段の行い、ものごとの考え方などにいい方向に影響し、野球のプレーにも影響する。
最終的には、生き方にも影響し、その選手の運命を変えていく。
野球を通しての人間教育。
これだと思います。
なるほどと、それは理解しながらも、この話は小学生にも通用するのかと考えます。
広義的にはその方向性を認めながらも、狭義的には、アレンジが必要だと思います。
それが、いままで私が感じている違和感、少し違うなというところです。

かつても私も、いいプレー=勝つためのプレーをするためには、普段の行いから矯正していかなければならないと考えていました。
この「矯正」というやり方、考え方が、間違いだったと後で気づきます。
グランドへの挨拶、関係者への挨拶、礼儀、用具の扱い、練習の合間合間の行動、普段の行いから、直さねばならないと思っていました。
そして、それをやらせてきました。
最初の二、三日は続くんですよね。
しかし、その後はなかなか継続していかない。
そしてまた、ダルダルのダラダラ戻っていく。
たまに、指導者の怒りの線に触れて、怒られて、またきちんとなりますが、何も言わないとまた戻る。この振り返しの20数年でした。
でも、これって自分が子どもの頃もそうだったと気づきます。
隙あらば抜いていた。
だって、かったるいんですもの。
こんなのやって意味あんの?と斜に構えていました。
そして、これを一生懸命にやる奴が上手いとは限らないという矛盾にもぶつかります。
こんなのやんなくても上手くなるよと思ってました。
しかし、後で気づくことがありました。
こういうの、ちゃんとやってた奴は大抵いい奴なんですよね、野球はそんなに上手くなくても、きちんとした人生を送っているような気がします。その時は気づきませんでしたが、「人としての部分」の練習をしていたんですね。だから、野球だけはなくその後の人生が開けてくる。その反対もある・・・
どちらがいいかは別として、その当時は見えませんでしたが、きちんとやることで見えてくる未来もある。今の私はそう思います。

でもまぁ監督コーチの前では全力でやるという、うわべだけはひととおりやってきました。私は中途半端だったと思います。
形の上では、普段の行動から正すと言うことは分かっているんですが、なかなか身にならない。
それでも、野球経験者あるあるとして、グランドへの挨拶や先輩への礼儀、用具の取り扱いなど、いろんなものが身についています。 
経験として身についている。
多くの人がここなんじゃないでしょうか?

これをもう一歩進めましょう。
我々が過去の経験から、学んできたことを、もっと今の子供たちの腑に落ちるように、「教えて」いきましょう。
かつての我々が、やらされていたことは、なぜ、なかなか身につかなかったのか?
それは、そう行動する意味を考えてこさせなかったからです。
有無を言わさず、まずやれ!という圧力。同調圧力。
ここに、日本のスポーツ界の違和感の正体があると私は思ってます。日本だけに限らないかな?
これが面白くない。これが良くない。
ここが嫌で離れていった人はたくさんいると思います。
指導者や先輩がいうんですから、拒否権はありません。
そして、たちの悪いことに古いスポーツ、昔からなじみのあるスポーツほどこの傾向が強い。
野球、ソフトボールなんてその典型的なものなんだと思います。
なぜ、こんなことするんだろうと思ったこと、たくさんあります。
人って面白いもんですね。
こうやれといわれて、やらないと罰則を受ける。
そうすると考えることをやめるんですね。
罰則がつらいから、即行動してしまう。
まるでパブロフの犬。人もまた動物です。
しかし、そんなパブロフの犬にも一周回ると考え方はじめる者もいます。
なぜ、こんなことをするのか?
そうすると、どうなるのか?
挨拶をするのは、お互いが気持ち良くプレーするため。目を見て挨拶することで、顔を覚えて、相手の実力を観察して覚えるため。
大きな声で練習するのは、お互いにアピールして、ぶつからないためや、大きな声を出すことで自信をつけていくため。
礼儀正しく行動するのは、無駄な動きをしないため。そうすると、練習時間が長く取れて、結果的に強くなるチャンスを多く恵まれるから。
用具を大事にするのも、ピンチでグローブやバット、スパイクが裏切らないため。きちんと整理しておく事で、無駄な動きや時間を節約するため。
諸説ありますが、最終的には、自分が納得すればいいんです。人と違ってもいい。
こうして、考えていくことで、全ての行動には根拠、理屈があることに気づきます。
そうすることで、腑に落ちる。
それまで、根拠のなかった行動に、裏付け、根拠ができます。
納得して動く。
こうなれば、さらに強くなることでしょう。
我々はここを見逃してきたと思います。
確かに、きちんと挨拶をしたり、用具がそろっていることは、見た目にも格好いいし、強く見えます。
これって何かに似ているんですよね。
そう、「軍隊」です。
命のやりとりをする軍隊こそ、規律と統制がとれていなければなりません。
そして、上官への絶対服従。
強い高校野球のチームを見ると、私は軍隊を想像してしまいます。
そして、私はなぜかそういうチームには、いっさい惹かれません。
数年前の金足農業と近江戦。
伝説のツーランスクイズ。
あれは、監督のサインプレーではなかったそうです。二塁走者の判断。万全の準備がなせる高度な自由度の勝利です。
面白い。
涙が出てくるほど面白い。
そして、選手たちがどんな顔をしていましたか?
心からの満面の笑顔。私がめざしたいのはこの笑顔です。
次の決勝で、王者大阪桐蔭にボコられますが、それでもいいんです。甲子園の優勝でさえ、多くの人にとっては通過点です。

私が目指すのはここです。
私の次男坊もそうですが、高校にいけばいやがおうにも軍隊みたいな野球部員になります。
方向性は認めますが、それを小学生の内から、「やらせる」だけではもったいないんじゃないでしょうか?
そこにプラスして、なぜそうするかを気づかせていきましょう。
形から入ることを焦るあまりに、挨拶の意味、用具の整理など、やることの意味を教えていませんでした。
なぜ、そうするのか?を教えてこなかった。
ここからはじめましょう。
そしてそれは、小学生のうちにできなくてもいい。
きちんと整列ができない高田イーグルスをみて、このやろーと声を荒げずに、なぜ、短時間できちんと並ぶのかを気づかせる。
気づかせるには、言う方にも説得力がなくてはなりません。
我々もソフトボールを通して普段の行動を見直すことになります。
子は親の鏡といいますが、親も子の鏡です。
お互いが納得して行動すること。
そこに信頼関係が生まれませんかね?
すぐにはできないでしょう。最後までできないかもしれません。
でも、気長に根気よくいこうじゃありませんか!
そういう私が、がっとばしたときはごめんなさい。

教えるということは、気づかせること。
私がここ近年使っている「俺がなんておもっているでしょうか?」という問いはここから発想した問いかけです。
こちらから、こうやれという指示を出すのではなく、どうすることがベストか?という問いかけ。
これは私のオリジナル、専売特許です。
気づかせることは、深堀りして、相手に分かるように伝えなくては相手が納得しません。
だから、我々も考えて、勉強しなくてはなりません。
となると、教えることは、実は教わっていることなんですよね。
相手が納得していないということは、気づかせていません。それは、教えていないということ。
上手くいくことばかりではありません。 
私も今、ひとつ大きな課題に直面しています。
果たして、その子に気づかせることができるかどうか?
今は分からなくても、いつか分かってくれる日が来ると信じて続けていくことを選んでいます。

指導者たちの円卓会議が終わって、一応にみんなの顔を見ます。
ひとりひとりが、スポ少のこれからについて真剣に自分の言葉でつむいでいきます。熱量を感じます。
私は思うんです。
大人になってから、こんなにも真剣に取り組む事があるだろうかと。
確かに仕事でも、家庭でもあることでしょう。
自分とその家族に直結することなので、その真剣さはわかります。
しかし、スポ少はどうでしょう。
確かに我が子がいますが、我が子以外のこともこんなにも真剣に取り組む事があります。
そういうチームがたくさんある。
いろんな種目のスポ少の数だけある。
高田イーグルスもまたその中の星のひとつです。
その中のコーチ7人。
やり方、考え方は少し違うところがありますが、目指す山は同じだということに気づきます。
違っていい。
子供たち笑顔のために!
だいぶ長いミーティングになりました。
残っているのは我が高田イーグルスのみ。
雨が強くなってくる様子です。
磐梯山は、早く帰れと雨を強くしてくれました。
さぁ、帰ってまた明日から練習です。





白獅子県大会、代表決定戦。
高田イーグルスは、坂下ヒーローズさんに3:9で敗れました。
二日目に残った四チームのうち、三チームが県大会へ駒を進めます。
その表彰式、四チームが整列してますが、高田イーグルスだけが、県大会に行けなかった。
なんとも屈辱的な表彰式となりました。
しかし、これは紛れもない事実、ここをしっかりと受け止めて、この屈辱を焼き付けて、次に備えなければならないと思いました。
今の高田イーグルスをどう立て直すか?
まずは、コーチ陣との意思の疎通、現状の把握、情報共有、方針の共有が必要だという結論に達しました。
監督不在の中、同列のコーチが7人いて、方針などの統一が取れていないことが、選手、保護者、チーム全体に混乱を招いていると思っています。
ここは、いったん立ち止まって、今の立ち位置、今後の方針、打開策を確認しようと思いました。
まずは、今の自分たちを見つめ直す。
ここから始めます。

坂下ヒーローズさんとの試合が終わって、失意のどん底にたたき落とされた選手たち。
キャプテン、カナトをはじめ、選手たちの多くが泣いていました。
その中でも、エース、ミソラの泣きっぷりが忘れられません。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいでごめんなさい……トウマ、ごめんなさい……」
まるでこの世の終わりだというような慟哭と嗚咽。
そして、それはベンチの中ではなく、少し離れたところで、ひとりで泣いています。
みんなに申し訳ないという思いから、ベンチに身を置くことさえできません。
チームの責任を一身に背負っている。
弱冠小五の小さな背中に、その重みを背負わせてしまいました。
その嗚咽に震える背中を見つめて、私も押さえていた感情があふれ出します。
すまん、ミソラ、ごめんな。お前が謝る必要などみじんも無い。
敗戦の責任は全て、私にあります。
ごめんなさいと謝るのは俺の方です。
みんなが、打ちひしがれています。
しかし、こういう時間も必要です。
しばらく、失意にくれていい。
泣きたいときは泣いたらいいんです。
表彰式がありましたが、時間の許す限り、泣くことにしました。

思えば、生きている中で、本気で泣くほど悔しいことはどれくらいあるでしょう?
おそらく、スポ少などをやらずに、普通に生きている限りは、そんなにないでしょう。
そしてそれは、自分のみに限ったことが多い。
しかし、スポ少というチームスポーツをやると、自分だけではなく、自分に関わりのある仲間たちを巻き込んでの悔しさになります。
スケールが大きくなる。
だからこそ、悔しさは倍増し、反対に達成感も倍増します。
仲間の成功を自分のことのように喜び、仲間の失敗を自分以上に気遣う。
それが、チームスポーツのいいところなんです。
そして今、高田イーグルスはみんなで悔しさに暮れている。
これも今しか経験できないことです。
本気でやってきたからこその悔しさ。
ミソラが泣きじゃくるのは、本気の裏返しだからです。
だから今は本気で泣いていい。
だからこそ、次に進めます。
どうでもよければ、次へのステップを踏むことなどしなければいいんです。
しかし、この悔しさを味わってしまった。
どうでもよくない。
ミソラばかりではありません。
泣くほど悔しいということは、次は何とかして改善してやろうと思っているということです。
次は見てろよ!と、進化を望んでいる。
泣くだけ泣いたら、この子たちはまた、前を向くことでしょう。
スポ少はこれの繰り返しです。
そして、生きていくことも同じです。
失敗して、負けて、打ちひしがれる。
たまに成功して、勝って、みんなで喜ぶ。
こうやって、心は強くなっていくんだと思います。
自分のちっぽけさに気づき、仲間や保護者、先生、指導者の大切さに気づき、自分なりのものごとの取り組み方、メンタルの持ち方を学んでいく。
ここが「生きるチカラ」だと思います。
そして、そこに生きがいを感じる。
失敗ばかり、負けてばかりでもだめですが勝つばかり、成功するばかりでは、気づかないことがあります。
たいていの人は、失敗と負けの方が多い。
それでも、前に進んでいきます。
時間は誰のもとにも平等です。進むのみ。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
であれば、私は、その前への進み方を工夫したほうがいいという結論に達しました。
負けも勝ちも、成功も失敗もすべてを糧として進みます。
勝ちも楽しみますが、負けも失敗も楽しみましょう。
この失敗があったからこそ、この次の成功がある。
そうしてやりましょう。

今回の手痛い負けを、必ず次にいかします。
ミソラの慟哭と嗚咽を、歓喜の慟哭と嗚咽に変えて見せましょう。
ミソラだけではありません。
高田イーグルスの選手たちに宿った悔しさ。
本気でやったからこそ、手に入ったものです。
今年のチームも、ようやくそのレベルにまで来たということですね。
負けて一緒に泣けるところまで、きた。
一生懸命にやって、勝負のあやを楽しめるトコロまで来ているということです。
よちよち歩きで、試合ができることだけで満足していたチームがですよ。
成長している。
それを感じる。
人の成長を目の当たりにすることほど面白いことはありません。
こういうところが、私の生きがいです。
ライフワークです。
一喜一憂してしまいます。
久々に「慟哭」なんて書いたので、工藤静香を思い出しました。
いい曲ですね。

今回の敗戦をどう活かすか?
ここは高田イーグルスが誇る、指導陣の出番です。
組織的な戦いに負けました。
組織的な戦いに勝つことでしか、抗えません。
そうなるためには、より組織的になるほかにありません。
それは、まだまだヒヨッコですが、高田イーグルスが、より「戦う集団」なっていくことを意味します。

やるべきことは、たくさんあります。
ありすぎて困ります。
何に重きを置いて、何を選んでいくか?
我々の腕のみせどころです。
今回の敗戦を糧として、慟哭と嗚咽の中から、高田イーグルスは何度でも立ち上がります。
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