時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
白獅子会津大会、二日目まで行きましたが、県大会への出場権は逃しました。
今大会の最大の目標を達成できなかった。
表彰式を終えて、他の三チームが帰り路を急ぐ中、高田イーグルスは係が後片付けを終えて誰もいなくなっても、最後まで残っていました。
なぜか?
試合後の反省を指導者でしていたからです。
この試合、この大会に限らず、いままでの高田イーグルスのチームとして全体の反省まで及びました。
これはいい機会、コーチ陣のひとりひとりの思いを付き合わせていくことにしました。
それがこの指導者たちの円卓会議となりました。
それは、この後に大雨が来る予報、その大雨が降ってくるまで、続きました。
コーチ7人。
ひとりひとりの思いを言葉にします。
なるほど、どのコーチの言葉にも説得力があります。
野球経験者は、経験者なりの視点が入ってきます。的確です。
それができたら、おそらく強くなるねという視点。
みんなの意見を聞きながら、昔の自分自身を見ているようでした。
そして、野球経験者であればあるほど、同じような教育をされてきている。
だから、行きつくところは同じなんです。
普段の行動から正す。
あいさつ、用具の取り扱い整理整頓、ものごとの取り組み方、後片付け、そして「声」。
いいプレーヤーになるためには、きちんとした人間教育にある。
そして、その効果、効力を身をもって経験している。
実際に強いチームほど、それができています。
それができているからこそ、強いんだと思います。
かつてそういうのを身をもって経験してきています。
だからこそ、子供たちにもそうあって欲しいと願う。
これって当たり前です。
かつての私もそうでした。
しかし、今の私は少し違います。
どう変わったか?
平たく言えば、「やるもやらないも、最後は子供たちにまかせる。願わくば、意味を理解した上で、自分たちで選んで、筋を通して欲しい。」
今は、これです。
かつての私も、負けが混んだり、僅差で勝負を取れないときがあると、なぜ、負けるんだと考えました。
プレーの精度の高さが、勝負所で発揮できるかどうかが大きく関わってきます。
それが発揮できるかどうかの分岐点は、普段の準備、普段の周囲の観察、普段の落ち着きさにあります。
優れた先人の指導者の皆さんもそう言ってますし、自分も指導者として長年やってくると、そういうところに行きつくのは至極当然のことだと思われます。
普段の行い、振る舞い、取り組み方から変えない限り、ギリギリの戦いを勝ち取ることはできないんです。
星稜高校の山下監督の言葉。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
この言葉に多くの指導者が共感することでしょう。
しかし、この言葉には、大前提があります。
子供たちが、自分で考えて、腑に落として実践していかなくては意味がないということです。
やらされているうちは、意味がない。
意味がなくはないが、真摯に取り組む、そういう姿勢が大事だと私はそう思います。
これって難しい。ものすごく難しい。
なかなか上手くいかないから、永遠のテーマになり得るんだと思います。
だから、毎回毎回、高校野球でも同じような事が取り上げられます。
聖光学院をはじめ、多くの強豪校が学校の回りのゴミ拾いや地域のお手伝いをするのは、人間教育の一環だと多くの指導者がそういっています。
すごいなと思いつつも、私は違和感も感じるんです。
周囲に対するアピールもあるんじゃないかと勘ぐってしまいます。
もちろん、優れた指導者は、そんなことはすでに織り込み済みなんですよね。
そんなことは百も承知でやっている。
選手たちも最初はやらされているのでしょうが、やっていくうちに何かに気づくのでしょう。
そのきっかけとして、ゴミ拾いという一見野球とは関係ない活動を練習のひとつとして取り入れている。
それを人間教育の一環として、昇華している。
そういうことだと私は思っています。
これが、ゆくゆくは挨拶や礼儀、普段の行い、ものごとの考え方などにいい方向に影響し、野球のプレーにも影響する。
最終的には、生き方にも影響し、その選手の運命を変えていく。
野球を通しての人間教育。
これだと思います。
なるほどと、それは理解しながらも、この話は小学生にも通用するのかと考えます。
広義的にはその方向性を認めながらも、狭義的には、アレンジが必要だと思います。
それが、いままで私が感じている違和感、少し違うなというところです。
かつても私も、いいプレー=勝つためのプレーをするためには、普段の行いから矯正していかなければならないと考えていました。
この「矯正」というやり方、考え方が、間違いだったと後で気づきます。
グランドへの挨拶、関係者への挨拶、礼儀、用具の扱い、練習の合間合間の行動、普段の行いから、直さねばならないと思っていました。
そして、それをやらせてきました。
最初の二、三日は続くんですよね。
しかし、その後はなかなか継続していかない。
そしてまた、ダルダルのダラダラ戻っていく。
たまに、指導者の怒りの線に触れて、怒られて、またきちんとなりますが、何も言わないとまた戻る。この振り返しの20数年でした。
でも、これって自分が子どもの頃もそうだったと気づきます。
隙あらば抜いていた。
だって、かったるいんですもの。
こんなのやって意味あんの?と斜に構えていました。
そして、これを一生懸命にやる奴が上手いとは限らないという矛盾にもぶつかります。
こんなのやんなくても上手くなるよと思ってました。
しかし、後で気づくことがありました。
こういうの、ちゃんとやってた奴は大抵いい奴なんですよね、野球はそんなに上手くなくても、きちんとした人生を送っているような気がします。その時は気づきませんでしたが、「人としての部分」の練習をしていたんですね。だから、野球だけはなくその後の人生が開けてくる。その反対もある・・・
どちらがいいかは別として、その当時は見えませんでしたが、きちんとやることで見えてくる未来もある。今の私はそう思います。
でもまぁ監督コーチの前では全力でやるという、うわべだけはひととおりやってきました。私は中途半端だったと思います。
形の上では、普段の行動から正すと言うことは分かっているんですが、なかなか身にならない。
それでも、野球経験者あるあるとして、グランドへの挨拶や先輩への礼儀、用具の取り扱いなど、いろんなものが身についています。
経験として身についている。
多くの人がここなんじゃないでしょうか?
これをもう一歩進めましょう。
我々が過去の経験から、学んできたことを、もっと今の子供たちの腑に落ちるように、「教えて」いきましょう。
かつての我々が、やらされていたことは、なぜ、なかなか身につかなかったのか?
それは、そう行動する意味を考えてこさせなかったからです。
有無を言わさず、まずやれ!という圧力。同調圧力。
ここに、日本のスポーツ界の違和感の正体があると私は思ってます。日本だけに限らないかな?
これが面白くない。これが良くない。
ここが嫌で離れていった人はたくさんいると思います。
指導者や先輩がいうんですから、拒否権はありません。
そして、たちの悪いことに古いスポーツ、昔からなじみのあるスポーツほどこの傾向が強い。
野球、ソフトボールなんてその典型的なものなんだと思います。
なぜ、こんなことするんだろうと思ったこと、たくさんあります。
人って面白いもんですね。
こうやれといわれて、やらないと罰則を受ける。
そうすると考えることをやめるんですね。
罰則がつらいから、即行動してしまう。
まるでパブロフの犬。人もまた動物です。
しかし、そんなパブロフの犬にも一周回ると考え方はじめる者もいます。
なぜ、こんなことをするのか?
そうすると、どうなるのか?
挨拶をするのは、お互いが気持ち良くプレーするため。目を見て挨拶することで、顔を覚えて、相手の実力を観察して覚えるため。
大きな声で練習するのは、お互いにアピールして、ぶつからないためや、大きな声を出すことで自信をつけていくため。
礼儀正しく行動するのは、無駄な動きをしないため。そうすると、練習時間が長く取れて、結果的に強くなるチャンスを多く恵まれるから。
用具を大事にするのも、ピンチでグローブやバット、スパイクが裏切らないため。きちんと整理しておく事で、無駄な動きや時間を節約するため。
諸説ありますが、最終的には、自分が納得すればいいんです。人と違ってもいい。
こうして、考えていくことで、全ての行動には根拠、理屈があることに気づきます。
そうすることで、腑に落ちる。
それまで、根拠のなかった行動に、裏付け、根拠ができます。
納得して動く。
こうなれば、さらに強くなることでしょう。
我々はここを見逃してきたと思います。
確かに、きちんと挨拶をしたり、用具がそろっていることは、見た目にも格好いいし、強く見えます。
これって何かに似ているんですよね。
そう、「軍隊」です。
命のやりとりをする軍隊こそ、規律と統制がとれていなければなりません。
そして、上官への絶対服従。
強い高校野球のチームを見ると、私は軍隊を想像してしまいます。
そして、私はなぜかそういうチームには、いっさい惹かれません。
数年前の金足農業と近江戦。
伝説のツーランスクイズ。
あれは、監督のサインプレーではなかったそうです。二塁走者の判断。万全の準備がなせる高度な自由度の勝利です。
面白い。
涙が出てくるほど面白い。
そして、選手たちがどんな顔をしていましたか?
心からの満面の笑顔。私がめざしたいのはこの笑顔です。
次の決勝で、王者大阪桐蔭にボコられますが、それでもいいんです。甲子園の優勝でさえ、多くの人にとっては通過点です。
私が目指すのはここです。
私の次男坊もそうですが、高校にいけばいやがおうにも軍隊みたいな野球部員になります。
方向性は認めますが、それを小学生の内から、「やらせる」だけではもったいないんじゃないでしょうか?
そこにプラスして、なぜそうするかを気づかせていきましょう。
形から入ることを焦るあまりに、挨拶の意味、用具の整理など、やることの意味を教えていませんでした。
なぜ、そうするのか?を教えてこなかった。
ここからはじめましょう。
そしてそれは、小学生のうちにできなくてもいい。
きちんと整列ができない高田イーグルスをみて、このやろーと声を荒げずに、なぜ、短時間できちんと並ぶのかを気づかせる。
気づかせるには、言う方にも説得力がなくてはなりません。
我々もソフトボールを通して普段の行動を見直すことになります。
子は親の鏡といいますが、親も子の鏡です。
お互いが納得して行動すること。
そこに信頼関係が生まれませんかね?
すぐにはできないでしょう。最後までできないかもしれません。
でも、気長に根気よくいこうじゃありませんか!
そういう私が、がっとばしたときはごめんなさい。
教えるということは、気づかせること。
私がここ近年使っている「俺がなんておもっているでしょうか?」という問いはここから発想した問いかけです。
こちらから、こうやれという指示を出すのではなく、どうすることがベストか?という問いかけ。
これは私のオリジナル、専売特許です。
気づかせることは、深堀りして、相手に分かるように伝えなくては相手が納得しません。
だから、我々も考えて、勉強しなくてはなりません。
となると、教えることは、実は教わっていることなんですよね。
相手が納得していないということは、気づかせていません。それは、教えていないということ。
上手くいくことばかりではありません。
私も今、ひとつ大きな課題に直面しています。
果たして、その子に気づかせることができるかどうか?
今は分からなくても、いつか分かってくれる日が来ると信じて続けていくことを選んでいます。
指導者たちの円卓会議が終わって、一応にみんなの顔を見ます。
ひとりひとりが、スポ少のこれからについて真剣に自分の言葉でつむいでいきます。熱量を感じます。
私は思うんです。
大人になってから、こんなにも真剣に取り組む事があるだろうかと。
確かに仕事でも、家庭でもあることでしょう。
自分とその家族に直結することなので、その真剣さはわかります。
しかし、スポ少はどうでしょう。
確かに我が子がいますが、我が子以外のこともこんなにも真剣に取り組む事があります。
そういうチームがたくさんある。
いろんな種目のスポ少の数だけある。
高田イーグルスもまたその中の星のひとつです。
その中のコーチ7人。
やり方、考え方は少し違うところがありますが、目指す山は同じだということに気づきます。
違っていい。
子供たち笑顔のために!
だいぶ長いミーティングになりました。
残っているのは我が高田イーグルスのみ。
雨が強くなってくる様子です。
磐梯山は、早く帰れと雨を強くしてくれました。
さぁ、帰ってまた明日から練習です。
今大会の最大の目標を達成できなかった。
表彰式を終えて、他の三チームが帰り路を急ぐ中、高田イーグルスは係が後片付けを終えて誰もいなくなっても、最後まで残っていました。
なぜか?
試合後の反省を指導者でしていたからです。
この試合、この大会に限らず、いままでの高田イーグルスのチームとして全体の反省まで及びました。
これはいい機会、コーチ陣のひとりひとりの思いを付き合わせていくことにしました。
それがこの指導者たちの円卓会議となりました。
それは、この後に大雨が来る予報、その大雨が降ってくるまで、続きました。
コーチ7人。
ひとりひとりの思いを言葉にします。
なるほど、どのコーチの言葉にも説得力があります。
野球経験者は、経験者なりの視点が入ってきます。的確です。
それができたら、おそらく強くなるねという視点。
みんなの意見を聞きながら、昔の自分自身を見ているようでした。
そして、野球経験者であればあるほど、同じような教育をされてきている。
だから、行きつくところは同じなんです。
普段の行動から正す。
あいさつ、用具の取り扱い整理整頓、ものごとの取り組み方、後片付け、そして「声」。
いいプレーヤーになるためには、きちんとした人間教育にある。
そして、その効果、効力を身をもって経験している。
実際に強いチームほど、それができています。
それができているからこそ、強いんだと思います。
かつてそういうのを身をもって経験してきています。
だからこそ、子供たちにもそうあって欲しいと願う。
これって当たり前です。
かつての私もそうでした。
しかし、今の私は少し違います。
どう変わったか?
平たく言えば、「やるもやらないも、最後は子供たちにまかせる。願わくば、意味を理解した上で、自分たちで選んで、筋を通して欲しい。」
今は、これです。
かつての私も、負けが混んだり、僅差で勝負を取れないときがあると、なぜ、負けるんだと考えました。
プレーの精度の高さが、勝負所で発揮できるかどうかが大きく関わってきます。
それが発揮できるかどうかの分岐点は、普段の準備、普段の周囲の観察、普段の落ち着きさにあります。
優れた先人の指導者の皆さんもそう言ってますし、自分も指導者として長年やってくると、そういうところに行きつくのは至極当然のことだと思われます。
普段の行い、振る舞い、取り組み方から変えない限り、ギリギリの戦いを勝ち取ることはできないんです。
星稜高校の山下監督の言葉。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
この言葉に多くの指導者が共感することでしょう。
しかし、この言葉には、大前提があります。
子供たちが、自分で考えて、腑に落として実践していかなくては意味がないということです。
やらされているうちは、意味がない。
意味がなくはないが、真摯に取り組む、そういう姿勢が大事だと私はそう思います。
これって難しい。ものすごく難しい。
なかなか上手くいかないから、永遠のテーマになり得るんだと思います。
だから、毎回毎回、高校野球でも同じような事が取り上げられます。
聖光学院をはじめ、多くの強豪校が学校の回りのゴミ拾いや地域のお手伝いをするのは、人間教育の一環だと多くの指導者がそういっています。
すごいなと思いつつも、私は違和感も感じるんです。
周囲に対するアピールもあるんじゃないかと勘ぐってしまいます。
もちろん、優れた指導者は、そんなことはすでに織り込み済みなんですよね。
そんなことは百も承知でやっている。
選手たちも最初はやらされているのでしょうが、やっていくうちに何かに気づくのでしょう。
そのきっかけとして、ゴミ拾いという一見野球とは関係ない活動を練習のひとつとして取り入れている。
それを人間教育の一環として、昇華している。
そういうことだと私は思っています。
これが、ゆくゆくは挨拶や礼儀、普段の行い、ものごとの考え方などにいい方向に影響し、野球のプレーにも影響する。
最終的には、生き方にも影響し、その選手の運命を変えていく。
野球を通しての人間教育。
これだと思います。
なるほどと、それは理解しながらも、この話は小学生にも通用するのかと考えます。
広義的にはその方向性を認めながらも、狭義的には、アレンジが必要だと思います。
それが、いままで私が感じている違和感、少し違うなというところです。
かつても私も、いいプレー=勝つためのプレーをするためには、普段の行いから矯正していかなければならないと考えていました。
この「矯正」というやり方、考え方が、間違いだったと後で気づきます。
グランドへの挨拶、関係者への挨拶、礼儀、用具の扱い、練習の合間合間の行動、普段の行いから、直さねばならないと思っていました。
そして、それをやらせてきました。
最初の二、三日は続くんですよね。
しかし、その後はなかなか継続していかない。
そしてまた、ダルダルのダラダラ戻っていく。
たまに、指導者の怒りの線に触れて、怒られて、またきちんとなりますが、何も言わないとまた戻る。この振り返しの20数年でした。
でも、これって自分が子どもの頃もそうだったと気づきます。
隙あらば抜いていた。
だって、かったるいんですもの。
こんなのやって意味あんの?と斜に構えていました。
そして、これを一生懸命にやる奴が上手いとは限らないという矛盾にもぶつかります。
こんなのやんなくても上手くなるよと思ってました。
しかし、後で気づくことがありました。
こういうの、ちゃんとやってた奴は大抵いい奴なんですよね、野球はそんなに上手くなくても、きちんとした人生を送っているような気がします。その時は気づきませんでしたが、「人としての部分」の練習をしていたんですね。だから、野球だけはなくその後の人生が開けてくる。その反対もある・・・
どちらがいいかは別として、その当時は見えませんでしたが、きちんとやることで見えてくる未来もある。今の私はそう思います。
でもまぁ監督コーチの前では全力でやるという、うわべだけはひととおりやってきました。私は中途半端だったと思います。
形の上では、普段の行動から正すと言うことは分かっているんですが、なかなか身にならない。
それでも、野球経験者あるあるとして、グランドへの挨拶や先輩への礼儀、用具の取り扱いなど、いろんなものが身についています。
経験として身についている。
多くの人がここなんじゃないでしょうか?
これをもう一歩進めましょう。
我々が過去の経験から、学んできたことを、もっと今の子供たちの腑に落ちるように、「教えて」いきましょう。
かつての我々が、やらされていたことは、なぜ、なかなか身につかなかったのか?
それは、そう行動する意味を考えてこさせなかったからです。
有無を言わさず、まずやれ!という圧力。同調圧力。
ここに、日本のスポーツ界の違和感の正体があると私は思ってます。日本だけに限らないかな?
これが面白くない。これが良くない。
ここが嫌で離れていった人はたくさんいると思います。
指導者や先輩がいうんですから、拒否権はありません。
そして、たちの悪いことに古いスポーツ、昔からなじみのあるスポーツほどこの傾向が強い。
野球、ソフトボールなんてその典型的なものなんだと思います。
なぜ、こんなことするんだろうと思ったこと、たくさんあります。
人って面白いもんですね。
こうやれといわれて、やらないと罰則を受ける。
そうすると考えることをやめるんですね。
罰則がつらいから、即行動してしまう。
まるでパブロフの犬。人もまた動物です。
しかし、そんなパブロフの犬にも一周回ると考え方はじめる者もいます。
なぜ、こんなことをするのか?
そうすると、どうなるのか?
挨拶をするのは、お互いが気持ち良くプレーするため。目を見て挨拶することで、顔を覚えて、相手の実力を観察して覚えるため。
大きな声で練習するのは、お互いにアピールして、ぶつからないためや、大きな声を出すことで自信をつけていくため。
礼儀正しく行動するのは、無駄な動きをしないため。そうすると、練習時間が長く取れて、結果的に強くなるチャンスを多く恵まれるから。
用具を大事にするのも、ピンチでグローブやバット、スパイクが裏切らないため。きちんと整理しておく事で、無駄な動きや時間を節約するため。
諸説ありますが、最終的には、自分が納得すればいいんです。人と違ってもいい。
こうして、考えていくことで、全ての行動には根拠、理屈があることに気づきます。
そうすることで、腑に落ちる。
それまで、根拠のなかった行動に、裏付け、根拠ができます。
納得して動く。
こうなれば、さらに強くなることでしょう。
我々はここを見逃してきたと思います。
確かに、きちんと挨拶をしたり、用具がそろっていることは、見た目にも格好いいし、強く見えます。
これって何かに似ているんですよね。
そう、「軍隊」です。
命のやりとりをする軍隊こそ、規律と統制がとれていなければなりません。
そして、上官への絶対服従。
強い高校野球のチームを見ると、私は軍隊を想像してしまいます。
そして、私はなぜかそういうチームには、いっさい惹かれません。
数年前の金足農業と近江戦。
伝説のツーランスクイズ。
あれは、監督のサインプレーではなかったそうです。二塁走者の判断。万全の準備がなせる高度な自由度の勝利です。
面白い。
涙が出てくるほど面白い。
そして、選手たちがどんな顔をしていましたか?
心からの満面の笑顔。私がめざしたいのはこの笑顔です。
次の決勝で、王者大阪桐蔭にボコられますが、それでもいいんです。甲子園の優勝でさえ、多くの人にとっては通過点です。
私が目指すのはここです。
私の次男坊もそうですが、高校にいけばいやがおうにも軍隊みたいな野球部員になります。
方向性は認めますが、それを小学生の内から、「やらせる」だけではもったいないんじゃないでしょうか?
そこにプラスして、なぜそうするかを気づかせていきましょう。
形から入ることを焦るあまりに、挨拶の意味、用具の整理など、やることの意味を教えていませんでした。
なぜ、そうするのか?を教えてこなかった。
ここからはじめましょう。
そしてそれは、小学生のうちにできなくてもいい。
きちんと整列ができない高田イーグルスをみて、このやろーと声を荒げずに、なぜ、短時間できちんと並ぶのかを気づかせる。
気づかせるには、言う方にも説得力がなくてはなりません。
我々もソフトボールを通して普段の行動を見直すことになります。
子は親の鏡といいますが、親も子の鏡です。
お互いが納得して行動すること。
そこに信頼関係が生まれませんかね?
すぐにはできないでしょう。最後までできないかもしれません。
でも、気長に根気よくいこうじゃありませんか!
そういう私が、がっとばしたときはごめんなさい。
教えるということは、気づかせること。
私がここ近年使っている「俺がなんておもっているでしょうか?」という問いはここから発想した問いかけです。
こちらから、こうやれという指示を出すのではなく、どうすることがベストか?という問いかけ。
これは私のオリジナル、専売特許です。
気づかせることは、深堀りして、相手に分かるように伝えなくては相手が納得しません。
だから、我々も考えて、勉強しなくてはなりません。
となると、教えることは、実は教わっていることなんですよね。
相手が納得していないということは、気づかせていません。それは、教えていないということ。
上手くいくことばかりではありません。
私も今、ひとつ大きな課題に直面しています。
果たして、その子に気づかせることができるかどうか?
今は分からなくても、いつか分かってくれる日が来ると信じて続けていくことを選んでいます。
指導者たちの円卓会議が終わって、一応にみんなの顔を見ます。
ひとりひとりが、スポ少のこれからについて真剣に自分の言葉でつむいでいきます。熱量を感じます。
私は思うんです。
大人になってから、こんなにも真剣に取り組む事があるだろうかと。
確かに仕事でも、家庭でもあることでしょう。
自分とその家族に直結することなので、その真剣さはわかります。
しかし、スポ少はどうでしょう。
確かに我が子がいますが、我が子以外のこともこんなにも真剣に取り組む事があります。
そういうチームがたくさんある。
いろんな種目のスポ少の数だけある。
高田イーグルスもまたその中の星のひとつです。
その中のコーチ7人。
やり方、考え方は少し違うところがありますが、目指す山は同じだということに気づきます。
違っていい。
子供たち笑顔のために!
だいぶ長いミーティングになりました。
残っているのは我が高田イーグルスのみ。
雨が強くなってくる様子です。
磐梯山は、早く帰れと雨を強くしてくれました。
さぁ、帰ってまた明日から練習です。
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