時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
もりだくさんの昨日。
私は次男坊の中学野球最後の引退試合に行ってきました。
2年と半年にわたって仲間とともに続いてきた野球。次男はいったん、ここで野球を離れ、受験という荒波に挑戦することになります。
そのための、最後の区切り。
親としては、いかないわけにはいかないでしょう。
といいながらも、美里親善大会の様子も気になり、気が気ではありませんでした。
とはいえ、こっちに来ると決めたので、その責務を全うします!
いつも、いろんな関係で11月の後半、12月のはじめごろにやっていた引退試合。
今年はコロナの影響もあっていろんな大会、練習試合ができないことが、逆にこの引退試合に限ってはプラスに働きました。
暖かいこの時期に開催できた。
これは良かったです。
まずは、在校生とオール3年との試合。
そして、3年と保護者の試合をやりました。
野球を通して、子供たちの成長を感じます。
このチームは2年生の力が大きかったと言わざるを得ません。
特にユウキを中心とした、強力なバッテリー。
ピッチャーとして成長した二枚看板、それをキャプテンとして、キャッチャーとしてユウキがリードしています。
バッテリーが安定していることで、試合は作れます。
バックの守備がやや不安定ではありますが、そこ練習でカバーできるところ。
バッテリーを中心として、少ないチャンスを活かし、守り切るのが来年の高田中野球部のスタイルになると思います。
思えば、この2年生と今の3年生。
パズルのピースのように、お互いのウィークポイントにはまっていたんですね。
だから、チームとしてそれなりにまとまっていた。
それが、ちゃんと発揮されたときは会津で1番のチームであろうと粉砕する力を持っていました。
このチームには悲愴感がありません。
チーム全体で野球を楽しんでいます。
野球に取り組む姿勢も基礎はできたと思います。
中学時代に、こんなメンバーと一緒にやれたら楽しいでしょう、そう思わせてくれます。
指導にあたった先生方にも恵まれたと思います。
働き方改革などて、中学部活のあり方も変わっていく中、やれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生、指導者に恵まれるって、人生の中でもけっこう重要な要件だと私は思っています。
そこにきて、強力な保護者会長を筆頭に保護者のバックアップ体制も良かった。
いい雰囲気で部活が楽しめました。
特に全ての子供たちを写真に収めていただいたことには感謝しかありません。
応援しているとつい夢中になってしまって、大事な場面を撮り忘れます。
冷静に写真をとるということは、応援で盛り上がらないということを自分に強制しているようで申し訳ないと思いつつ、当てにしていました。
この写真は、結婚式のスライドショーの時に必ず使わせていただきます。
記憶にも記録にも残していただいた。
コロナで応援規制がある中、子供たちのためにやれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生との出会い。
いい指導者、保護者との出合い。
いいメンバーとの出合い。
次男坊たちも私たちも人に恵まれたと思います。
出合いは化学反応です。
どう変化していくかは、自分次第です。
親子対決をしましたが、まだまだ負けないとおもっていましたが、とっくに負けていましたね。
この子たちもちゃんと成長していました。
高校にいくということは、今のメンバーと道を分かつということ。
これからは、自分で自分の道、居場所を切り開くことになります。
勉強することで開ける道もあるでしょう。
野球が道を開いてくれることもあるでしょう。
野球以外に居場所を求めることもいいでしょう。
ただ、選ぶのは自分自身です。
人を頼っていい。むしろ、頼るべきです。
利用というと言い方が悪いかもしれませんが、我々や先生、先輩などの先人たちを大いに利用していいんです。
そして、また後ろから来る後輩を助けてやって下さい。
まずは、何者でもない自分をみつける旅がはじまりますね。その最初が受験。
私は、根も葉もない根拠ながら、野球をやってきたやつらなら大丈夫!と勝手に思っています。
娘にも野球をやってきた奴と結婚しろ!と言っています。
なんとなく、わかるんですよね。
ライトを守ってて、強いあたりに襲われてチャレンジするとき、すでにセンターのマサシ君(高校時代の2年からレギュラーの好打者、守備範囲も広い!)が後ろにいてくれることを。
だからこそ、思い切って飛び込むことができる。
この角度、この強さの打球ならば俺のボール。
そういう、呼吸というか、言わなくても動いてくれているというお互いの安心感。
チームプレーをやってきた人ならばわかると思います。
支えるとか、支えてもらうとかじゃない、そんなの当たり前だよなの感覚。
そういうのを表現することを、私は野球以外に知りません。
だから、なんでも野球に当てはめて考えます。
ユーチューブの動画。
高校野球ラストミーティング、小樽潮陵監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
この通りだと思います。
多くの人がプロになれる訳ではない。
大部分は野球で飯が食えない。
しかし、野球をやってきたことでが生きていく糧になることがある。
その通りだと思います。
3年生が在校生一言をかける引退式。
みんなが思い思いの言葉を絞り出します。
そんな中、次男坊がつむいだ言葉、
「自分は下手くそです。」
大事な場面でミスをしてチームに迷惑をかけた。
そうならないように、在校生はもっともっと練習してほしい。
プレーが下手でも、声でチームにできる。
もっと声でチームを盛り上げていって欲しい。
そんなことを言ったと記憶しています。
わかってますね。
自分を下手くそだと言える。
その上で、だからこそ声でチームに貢献する。
これぞ、自分の力で自分の居場所を切り開いていくということだと私は思います。
この先そういう場面に何度も出くわすでしょう。
ミスを連発したり、できないことばかり。
そこで、腐って世の中を呪ってみても、何も始まりません。で、あれば、動いた方がいい。
できないならできないなりに、自分のできることを探す。
それが自分を活かす道。
これも野球が息子に教えてくれたことです。
彼らなら大丈夫!
何年か後、酒が飲めるようになったらみんなで飲みたいものです。
私は次男坊の中学野球最後の引退試合に行ってきました。
2年と半年にわたって仲間とともに続いてきた野球。次男はいったん、ここで野球を離れ、受験という荒波に挑戦することになります。
そのための、最後の区切り。
親としては、いかないわけにはいかないでしょう。
といいながらも、美里親善大会の様子も気になり、気が気ではありませんでした。
とはいえ、こっちに来ると決めたので、その責務を全うします!
いつも、いろんな関係で11月の後半、12月のはじめごろにやっていた引退試合。
今年はコロナの影響もあっていろんな大会、練習試合ができないことが、逆にこの引退試合に限ってはプラスに働きました。
暖かいこの時期に開催できた。
これは良かったです。
まずは、在校生とオール3年との試合。
そして、3年と保護者の試合をやりました。
野球を通して、子供たちの成長を感じます。
このチームは2年生の力が大きかったと言わざるを得ません。
特にユウキを中心とした、強力なバッテリー。
ピッチャーとして成長した二枚看板、それをキャプテンとして、キャッチャーとしてユウキがリードしています。
バッテリーが安定していることで、試合は作れます。
バックの守備がやや不安定ではありますが、そこ練習でカバーできるところ。
バッテリーを中心として、少ないチャンスを活かし、守り切るのが来年の高田中野球部のスタイルになると思います。
思えば、この2年生と今の3年生。
パズルのピースのように、お互いのウィークポイントにはまっていたんですね。
だから、チームとしてそれなりにまとまっていた。
それが、ちゃんと発揮されたときは会津で1番のチームであろうと粉砕する力を持っていました。
このチームには悲愴感がありません。
チーム全体で野球を楽しんでいます。
野球に取り組む姿勢も基礎はできたと思います。
中学時代に、こんなメンバーと一緒にやれたら楽しいでしょう、そう思わせてくれます。
指導にあたった先生方にも恵まれたと思います。
働き方改革などて、中学部活のあり方も変わっていく中、やれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生、指導者に恵まれるって、人生の中でもけっこう重要な要件だと私は思っています。
そこにきて、強力な保護者会長を筆頭に保護者のバックアップ体制も良かった。
いい雰囲気で部活が楽しめました。
特に全ての子供たちを写真に収めていただいたことには感謝しかありません。
応援しているとつい夢中になってしまって、大事な場面を撮り忘れます。
冷静に写真をとるということは、応援で盛り上がらないということを自分に強制しているようで申し訳ないと思いつつ、当てにしていました。
この写真は、結婚式のスライドショーの時に必ず使わせていただきます。
記憶にも記録にも残していただいた。
コロナで応援規制がある中、子供たちのためにやれる限りのことをやっていただいたと思います。
いい先生との出会い。
いい指導者、保護者との出合い。
いいメンバーとの出合い。
次男坊たちも私たちも人に恵まれたと思います。
出合いは化学反応です。
どう変化していくかは、自分次第です。
親子対決をしましたが、まだまだ負けないとおもっていましたが、とっくに負けていましたね。
この子たちもちゃんと成長していました。
高校にいくということは、今のメンバーと道を分かつということ。
これからは、自分で自分の道、居場所を切り開くことになります。
勉強することで開ける道もあるでしょう。
野球が道を開いてくれることもあるでしょう。
野球以外に居場所を求めることもいいでしょう。
ただ、選ぶのは自分自身です。
人を頼っていい。むしろ、頼るべきです。
利用というと言い方が悪いかもしれませんが、我々や先生、先輩などの先人たちを大いに利用していいんです。
そして、また後ろから来る後輩を助けてやって下さい。
まずは、何者でもない自分をみつける旅がはじまりますね。その最初が受験。
私は、根も葉もない根拠ながら、野球をやってきたやつらなら大丈夫!と勝手に思っています。
娘にも野球をやってきた奴と結婚しろ!と言っています。
なんとなく、わかるんですよね。
ライトを守ってて、強いあたりに襲われてチャレンジするとき、すでにセンターのマサシ君(高校時代の2年からレギュラーの好打者、守備範囲も広い!)が後ろにいてくれることを。
だからこそ、思い切って飛び込むことができる。
この角度、この強さの打球ならば俺のボール。
そういう、呼吸というか、言わなくても動いてくれているというお互いの安心感。
チームプレーをやってきた人ならばわかると思います。
支えるとか、支えてもらうとかじゃない、そんなの当たり前だよなの感覚。
そういうのを表現することを、私は野球以外に知りません。
だから、なんでも野球に当てはめて考えます。
ユーチューブの動画。
高校野球ラストミーティング、小樽潮陵監督の名言
「野球をやってきたことで飯を食えることがある。野球で飯は食えないかもしれないけど」
この通りだと思います。
多くの人がプロになれる訳ではない。
大部分は野球で飯が食えない。
しかし、野球をやってきたことでが生きていく糧になることがある。
その通りだと思います。
3年生が在校生一言をかける引退式。
みんなが思い思いの言葉を絞り出します。
そんな中、次男坊がつむいだ言葉、
「自分は下手くそです。」
大事な場面でミスをしてチームに迷惑をかけた。
そうならないように、在校生はもっともっと練習してほしい。
プレーが下手でも、声でチームにできる。
もっと声でチームを盛り上げていって欲しい。
そんなことを言ったと記憶しています。
わかってますね。
自分を下手くそだと言える。
その上で、だからこそ声でチームに貢献する。
これぞ、自分の力で自分の居場所を切り開いていくということだと私は思います。
この先そういう場面に何度も出くわすでしょう。
ミスを連発したり、できないことばかり。
そこで、腐って世の中を呪ってみても、何も始まりません。で、あれば、動いた方がいい。
できないならできないなりに、自分のできることを探す。
それが自分を活かす道。
これも野球が息子に教えてくれたことです。
彼らなら大丈夫!
何年か後、酒が飲めるようになったらみんなで飲みたいものです。
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