時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
勝ち負けではない。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。
最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。
しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。
ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。
そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。
最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。
しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。
ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。
そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。
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