時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
ちょっと前の話。
スポ少の卒団生をつれて仙台で楽天イーグルスの試合を見てきました。
これは私の中で毎年恒例行事となっています。
今まで何年も一緒にやってきたやつらのと小学生時代、最後の会話。
今までの労をねぎらうという意味もありますが、要は私がこいつらと好きな野球をみて、応援して、上手いお酒をのんでバカ騒ぎしたいだけなんです。
そんな最後の私のワガママに、こころよく大事な息子を送り出してくれる保護者のみな様に感謝です。
仙台駅東口から楽天生命球場まで、約1.5キロくらいあるでしょうか?
そこをてくてく歩きます。まわりにはユニフォームを着た、今日の試合を応援にいく同志がたくさんいます。
私はこの歩く時間が好きです。
今回も先を歩く6年生たちの後ろ姿をみながら、一緒にやってきた今までを振り返りました。
心臓が飛び出しそうなほどドキドキなピンチをみんなで乗り切ったこと。
ここぞというときにホームラン。
強敵をあと一歩のところまで追い詰めての逆転負け。
最後の優勝。
あいつらの嬉々とした笑顔をみながら、少し後ろから歩く。
ああ、こいつら成長したなあ、とつくづく思います。
そして、いい仲間に恵まれたなあと思います。
卒団式での涙は、スポ少を終えていく息子だけではなくて、こいつらみんなとのサヨナラに対する涙だったんだなあと自覚しました。
そして、それを一生懸命に応援していただいた保護者のみなさんとサヨナラも含まれている。
こうして、みんなで築いてきたひとつのシーズンが終わることに対しての寂しさ。
お前らがいなくて寂しい。
あなたたちがいなくて寂しい。
大人の割り切った感情ではなく、幼児のようにただ寂しい。
そう思わせてくれたシーズンでした。
こうして、みんなで野球場に来ている。
プレーするのもいいですが、プロ野球を直接見るのもいい。
今日の試合は楽天イーグルスが勝ちました。
浅村選手のホームラン。辛島投手の好投など、球場全体が応援している。
その一体感がなんともいえない。
そしてビール。この日は寒くて熱燗でしたが…
この先、別に野球をやらなくても、大人になったらまた野球場にいってみようかと少しでも思って欲しい。
気の置けない仲間達と、あるいは好きな人と、あるいは家族と。
さぁ今日は、野球場にいこう!と思えるようなきっかけであってほしいと思います。
プレーしてもしなくても野球が好きで、野球に関わりのあるようになってくれればいいなあと思います。
スポ少の卒団生をつれて仙台で楽天イーグルスの試合を見てきました。
これは私の中で毎年恒例行事となっています。
今まで何年も一緒にやってきたやつらのと小学生時代、最後の会話。
今までの労をねぎらうという意味もありますが、要は私がこいつらと好きな野球をみて、応援して、上手いお酒をのんでバカ騒ぎしたいだけなんです。
そんな最後の私のワガママに、こころよく大事な息子を送り出してくれる保護者のみな様に感謝です。
仙台駅東口から楽天生命球場まで、約1.5キロくらいあるでしょうか?
そこをてくてく歩きます。まわりにはユニフォームを着た、今日の試合を応援にいく同志がたくさんいます。
私はこの歩く時間が好きです。
今回も先を歩く6年生たちの後ろ姿をみながら、一緒にやってきた今までを振り返りました。
心臓が飛び出しそうなほどドキドキなピンチをみんなで乗り切ったこと。
ここぞというときにホームラン。
強敵をあと一歩のところまで追い詰めての逆転負け。
最後の優勝。
あいつらの嬉々とした笑顔をみながら、少し後ろから歩く。
ああ、こいつら成長したなあ、とつくづく思います。
そして、いい仲間に恵まれたなあと思います。
卒団式での涙は、スポ少を終えていく息子だけではなくて、こいつらみんなとのサヨナラに対する涙だったんだなあと自覚しました。
そして、それを一生懸命に応援していただいた保護者のみなさんとサヨナラも含まれている。
こうして、みんなで築いてきたひとつのシーズンが終わることに対しての寂しさ。
お前らがいなくて寂しい。
あなたたちがいなくて寂しい。
大人の割り切った感情ではなく、幼児のようにただ寂しい。
そう思わせてくれたシーズンでした。
こうして、みんなで野球場に来ている。
プレーするのもいいですが、プロ野球を直接見るのもいい。
今日の試合は楽天イーグルスが勝ちました。
浅村選手のホームラン。辛島投手の好投など、球場全体が応援している。
その一体感がなんともいえない。
そしてビール。この日は寒くて熱燗でしたが…
この先、別に野球をやらなくても、大人になったらまた野球場にいってみようかと少しでも思って欲しい。
気の置けない仲間達と、あるいは好きな人と、あるいは家族と。
さぁ今日は、野球場にいこう!と思えるようなきっかけであってほしいと思います。
プレーしてもしなくても野球が好きで、野球に関わりのあるようになってくれればいいなあと思います。
PR
卒団式終わりました。
毎年なんですが、いままでのいろんな場面が思い出されます。
あふれ出す感情を抑えられない。
40過ぎのおっさんが、みんなの前で嗚咽する姿はどう映るんでしょうね。
まあどう映ったとしても、どうにも止められないんですけどね。
今回は娘があらかじめハンカチを持たせてくれました。
自分でも泣くだろうなと思っていましたが、あんなに声にならないくらいに泣くとは…
それほど今年のメンバーも私に、人が成長する姿を現在進行形で見せてくれました。
できなかったことができる。
チカラを合わせて事を成し遂げる。
失敗しても、負けても最後までやり遂げる。
そんな姿を間近で見せられたら感動しない人はいません。
長い間指導者をやってる先輩達がいますが、その方たち長くやっている理由がわかるような気がします。
これは、日々の練習を1番近くで見て、その子達の頑張りを見てきたご褒美です。
こうして生きていて、こんなにも満足感のある事柄はあるでしょうか?
どんな映画より、小説よりもダイレクトに心に突き刺さる。
プロ野球選手も好きですが、どんなプロ野球選手よりも、1番にイーグルスの熱烈なファンなんです。
良くも悪くも距離が近すぎる。
エラーやミスをすれば頭にくる。暴言もはきます。
それは上手くなって欲しいし、勝って欲しいから。
厳しいことをいうのは、その裏返しなんです。
一生懸命にやれば、例え失敗してもいい。負けてもいいと思っていました。
結果が全てではない。
今もそのスタンスは大きく変わりません。
しかし、最近聞いている竹原ピストルさんの「カウント10」という曲の中に、人生負けてもいいと言っている人の言葉に一度たりとも心を動かされたことはないというニュアンスのフレーズがあります。
はなから負ける気でいいと、へらへらしてるんじゃねえ。例え負けるにしても、やるからには勝つ気で最後まで全力を尽くす。
その覚悟を持て!その覚悟を育てろという意味だと思います。
ものすごく共感します。
世の中、なんの影響か、なんでもクールにスマートにやれという風潮があるような気がしてなりません。
物事に一生懸命になったり、勝ちにこだわったり、泥臭く愚直に取り組むことを敬遠している。
「何をそんなに熱くなってんだい?」
「気楽に行こうぜ!」
人ごとみたいな(人ごとなんですが)軽薄さ。
深く入れば、失敗したとき自分も深く傷つく。
それをを恐れている。
確かにそれもいいのかもしれない。
ただものすごくもったいないことをしてると私は思います。
もしかしたら、今の世の中、情報や選択肢が多すぎて、そんなに一生懸命になれるものに出会えることは逆に難しいことなのかもしれません。
そう考えると一生懸命に取り組める「スポ少」に出会える、出会えたということはものすごく幸せなことなんじゃないでしょうか?
親子で、家族で本気で取り組むことができる。
一生懸命な姿に、声がかれるほど声を張り上げる。
そして、気づくでしょう。
がんばれ、がんばれと応援して、支えてはきたけれど、元気をもらっていたのは大人のほうだったということに。
支えていたのではなく、二人三脚だったと。
子は親の鏡。その逆もしかり。親も子の鏡。
確かに金銭的、労務的に親は支えてるかもしれませんが、そうではない。
子ども達のがんばりに、明日の自分たちを映している。
この子たちがあんなにも頑張っている。
私たちも頑張ろう!と自然となってくる。
別に色あせてはないでしょうが、毎日の生活に、たいへんではありますが「スポ少」という彩りが加わる。
緑しかない葉っぱのサラダにトマトが加わるかのように、情熱の赤が添えられる。
たとえ朝がこっぱやくても、メリハリがでます。
お互いに、win winの関係なんですね。
たいへんだからこそ、見えてくる景色がある。
これは、実際にやった人にしかわからない。
まさに同志というにふさわしい。
それを、多くのチームメイト、その保護者と一時代を共有できました。
同じ景色を見てきた。
その自負がある。
まぎれもなく「戦友」でしょう!
そんな人たち、選手たちとの別れは悲しくないはずがない。
寂しくないはずがない。
もうこの子たちと一緒に戦えない。
もう一緒に苦楽をともにできない。
もうこの子たちの名前をメンバー表に書くことはない。
もうこの子たちを車に乗せることはない。
寂しい。
この前の遠征で、バックミラー見たときにタケルたちの姿がない。
自分が幼子になったような寂しさに気づきました。
試合に疲れ切って、眠ている姿がない。
間違いなく、私にとって無くてはならない子ども達でした。
その子ども達、選手たちとの別れ。
いつもそうですが、この子たちと過ごした時間はかけがえのないない大切な時間です。
間違いなくワンピース。
もちろんその保護者と過ごした時間も。
ですが、いつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。
彼らにも我々にも次のステップがある。
少し休憩したなら、涙を拭いたならば進むべきでしょう。
また違う景色が見えてくるはずです。
それぞれ、見る景色は違ってくるでしょうが、根っこはどこかでつながっていた。
それだけで十分です。
苦しくも楽しい時間をありがとう。
これまで、協力していただきました、子ども達、保護者、全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、また今年もよろしくお願いします!
毎年なんですが、いままでのいろんな場面が思い出されます。
あふれ出す感情を抑えられない。
40過ぎのおっさんが、みんなの前で嗚咽する姿はどう映るんでしょうね。
まあどう映ったとしても、どうにも止められないんですけどね。
今回は娘があらかじめハンカチを持たせてくれました。
自分でも泣くだろうなと思っていましたが、あんなに声にならないくらいに泣くとは…
それほど今年のメンバーも私に、人が成長する姿を現在進行形で見せてくれました。
できなかったことができる。
チカラを合わせて事を成し遂げる。
失敗しても、負けても最後までやり遂げる。
そんな姿を間近で見せられたら感動しない人はいません。
長い間指導者をやってる先輩達がいますが、その方たち長くやっている理由がわかるような気がします。
これは、日々の練習を1番近くで見て、その子達の頑張りを見てきたご褒美です。
こうして生きていて、こんなにも満足感のある事柄はあるでしょうか?
どんな映画より、小説よりもダイレクトに心に突き刺さる。
プロ野球選手も好きですが、どんなプロ野球選手よりも、1番にイーグルスの熱烈なファンなんです。
良くも悪くも距離が近すぎる。
エラーやミスをすれば頭にくる。暴言もはきます。
それは上手くなって欲しいし、勝って欲しいから。
厳しいことをいうのは、その裏返しなんです。
一生懸命にやれば、例え失敗してもいい。負けてもいいと思っていました。
結果が全てではない。
今もそのスタンスは大きく変わりません。
しかし、最近聞いている竹原ピストルさんの「カウント10」という曲の中に、人生負けてもいいと言っている人の言葉に一度たりとも心を動かされたことはないというニュアンスのフレーズがあります。
はなから負ける気でいいと、へらへらしてるんじゃねえ。例え負けるにしても、やるからには勝つ気で最後まで全力を尽くす。
その覚悟を持て!その覚悟を育てろという意味だと思います。
ものすごく共感します。
世の中、なんの影響か、なんでもクールにスマートにやれという風潮があるような気がしてなりません。
物事に一生懸命になったり、勝ちにこだわったり、泥臭く愚直に取り組むことを敬遠している。
「何をそんなに熱くなってんだい?」
「気楽に行こうぜ!」
人ごとみたいな(人ごとなんですが)軽薄さ。
深く入れば、失敗したとき自分も深く傷つく。
それをを恐れている。
確かにそれもいいのかもしれない。
ただものすごくもったいないことをしてると私は思います。
もしかしたら、今の世の中、情報や選択肢が多すぎて、そんなに一生懸命になれるものに出会えることは逆に難しいことなのかもしれません。
そう考えると一生懸命に取り組める「スポ少」に出会える、出会えたということはものすごく幸せなことなんじゃないでしょうか?
親子で、家族で本気で取り組むことができる。
一生懸命な姿に、声がかれるほど声を張り上げる。
そして、気づくでしょう。
がんばれ、がんばれと応援して、支えてはきたけれど、元気をもらっていたのは大人のほうだったということに。
支えていたのではなく、二人三脚だったと。
子は親の鏡。その逆もしかり。親も子の鏡。
確かに金銭的、労務的に親は支えてるかもしれませんが、そうではない。
子ども達のがんばりに、明日の自分たちを映している。
この子たちがあんなにも頑張っている。
私たちも頑張ろう!と自然となってくる。
別に色あせてはないでしょうが、毎日の生活に、たいへんではありますが「スポ少」という彩りが加わる。
緑しかない葉っぱのサラダにトマトが加わるかのように、情熱の赤が添えられる。
たとえ朝がこっぱやくても、メリハリがでます。
お互いに、win winの関係なんですね。
たいへんだからこそ、見えてくる景色がある。
これは、実際にやった人にしかわからない。
まさに同志というにふさわしい。
それを、多くのチームメイト、その保護者と一時代を共有できました。
同じ景色を見てきた。
その自負がある。
まぎれもなく「戦友」でしょう!
そんな人たち、選手たちとの別れは悲しくないはずがない。
寂しくないはずがない。
もうこの子たちと一緒に戦えない。
もう一緒に苦楽をともにできない。
もうこの子たちの名前をメンバー表に書くことはない。
もうこの子たちを車に乗せることはない。
寂しい。
この前の遠征で、バックミラー見たときにタケルたちの姿がない。
自分が幼子になったような寂しさに気づきました。
試合に疲れ切って、眠ている姿がない。
間違いなく、私にとって無くてはならない子ども達でした。
その子ども達、選手たちとの別れ。
いつもそうですが、この子たちと過ごした時間はかけがえのないない大切な時間です。
間違いなくワンピース。
もちろんその保護者と過ごした時間も。
ですが、いつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。
彼らにも我々にも次のステップがある。
少し休憩したなら、涙を拭いたならば進むべきでしょう。
また違う景色が見えてくるはずです。
それぞれ、見る景色は違ってくるでしょうが、根っこはどこかでつながっていた。
それだけで十分です。
苦しくも楽しい時間をありがとう。
これまで、協力していただきました、子ども達、保護者、全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、また今年もよろしくお願いします!
ほとんどのチームは今シーズンをおえたのではないでしょうか?
そして、最後に選抜の大会がある。
各チームの主力を集めてのドリームチーム。
上手い奴らがひしめき合っています。
その中でも、本当上手いやつは、やっぱりうまいんです。
守備にしろ、バッティングにしろ、まわりを納得させてしまうものを持っています。
そして、こちらの期待に応えるように結果を出す。
ヤバいボールが飛んでいっても普通に捕ってしまう。普通にさばいてしまいます。
そしてその上をいく奴らが他の地区にはまだまだいる。
そんな奴らが集まっての選抜なんです。
イーグルスの6年生がどこまで通用するのか?
いけば試合に出ることができるイーグルスの試合とは全然違います。
ひとつの小さなミスが命取り。
勝負に勝つためには、やはり上手い奴しか出せなくなります。
その環境の究極がプロの世界なんでしょうね。
わずか数ミリでも上手い方を使う。
そうなると、ベンチに入っているが、試合に出れない選手もでてきます。
これは勝負の世界なので仕方のないこと。
物理的に試合にでれなくなる。
それは、なぜか?
もう分かっているはずです。
出てる選手の方が自分たちより上手いから。
それは、自分でもわかっているはず。
出場機会がなくなると、面白くありません。
あの気持ちよくボールを打つ快感。
レーザービームでランナーを刺す快感。
おどれぃこなくそ、打てるもんなら打ってみぃと投げての三振の快感。
それが体験できるチャンスがなくなるから、まったく面白くない。、
それは誰だってそう。
試合にでれないんですから!
手持ち無沙汰感まんまんです。
そうすると自然にわいてくる疑問。
「俺は何してんだろう?試合にもでれないのに何してんだろう?これって面白いの?」
自問自答です。
そして気づく。
「俺は孫悟空ではなかった。ベジータでもなく、ピッコロでもなく、クリリンでもない。」
「いいとこ、チャオズか、ヤムチャ…以下かも。」
「単独で、俺ひとりで、地球を救うことは出来ないな。」と。
ここで、ふた通りのリアクション。
ひとつは、「面白くないから、やめよう!」
もうひとつは、
「面白くないけど、こんな自分にもできることがあるはず。それをまっとうしよう。そして、少しでもチームに貢献しよう!」
前者も真理、後者も真理。
前者は、可能性の薄いところをいち早く切って、次の機会に早く挑戦することができます。
それはそれで誰にも責められるものではない。
どこに才能があるかなんで、数打ってみないとわからないこともあります。
切り替えるなら早いほうがいい。
しかし、世の中のみんなは圧倒的に後者。
そんな簡単にやめられない。
やめることが許されない風潮があります。
石の上にも三年みたいな、日本人特有な概念。
あきらめたらあかん的なものが美化されがちな傾向。
それに辟易しながらも、自分の不器用さに気づく。
どうしようもない、不器用さに気づき、現実にうちのめされる。
そこで悟るんです。
私もそうでした。
あんなに努力してきたのに、今までで1番素振りをして、筋トレをして、走ってきたのに、その上をいくチームメイトたち。高校最後の背番号は20番でした。
だからこそ、そいつらの気持ちが痛いほどわかります。できないといわれる選手の悲哀が。
レギュラーではなく、控えに回ることがわかった時、儀式のように、ひととおり悔しんだあとに気づくんです。
一緒にやってきた仲間たちのために、チームために、自分にできることをやろうと。
自分ひとりでは打開できないけど、歯車のひとつとなり、自分のできることをコツコツ、日々積み重ねていく。
それが、チーム全体のため、チームがいい結果をだせば自分のためにもなる。
たまに自分のためもありますが、最終的に、チームのためは自分ため。
ここに行き着きます。
一将成りて万骨枯る。
だからこそ、選ばれたレギュラーは中途半端では許されない。あなたの後ろには何人もの控えがいる。だからこそ、その控えの分も全力尽くさなくてはいけない。
俺の屍をこえていけ!
俺がでるよりも上手くやれるし、いい結果をもたらすことを証明しろ!
ただ、全力でやった結果に対しては何も言わないし、何も言わせません。
その覚悟。
今年の選抜のレギュラーに入ったのは、ルイ、ハルヤ。
相手には、そのルイの上をいく、フリーザ、セルがいっぱいいます。
そんなルイたち、ハルヤたちがが強敵を打ち破っていくことを誰もが期待している。
そのための全力支援。
他のイーグルス戦士は、全力で後方支援。
わかっていても中々できないと思います。
試合にでれないから、やめてもいいんです。
いかなくてもいい。
それでも、イーグルス戦士はサポートという戦いを楽しんでいます。
いままで、敵だったやつらと一緒になって戦うことを楽しんでいる。
もはや、そこに試合に出ることに対するこだわりはあるかもしれませんが、大きな問題ではない。
なぜ、自分はそこにいるのか?
試合に出れないのに、なぜそこまでしてやるのか?
その答えを、あいつらは行動で示しています。
コーチャーにいくこと、ボールボーイでボールを拭くこと、全力で応援すること。
チームを盛り上げること。
試合に出ずとも、やれることは山ほどある。
自分で役割をみつけ、自分で動くようになっています。
それでも「行け!」と言われれば、全力でいく準備もできている。
柳津の選手が打ったことを、
高田の選手が打ったことを、
新鶴の選手が守り切ったことを自分のことのように喜ぶイーグルス戦士たち。
その後ろ姿が、たのもしく見えます。
ほんと、盛り上げ上手です。
「誰が相手だろうか関係ねえ!
俺たちにくすぶっている暇なんてねえ。ただ、この場を俺たちはチーム全体で楽しむだけだ!イェーイ!」
そんな覚悟が見てとれます。
どんな立場だろうが、楽しんだもん勝ち。
試合にでるだけがソフトボールではない。
俺たちはここで精いっぱいやらせてもらう。
これもまた今年のイーグルス6年生の最後の戦いです。
果たしてどうなるか?
その結末を私は見届けてきます。
そして、最後に選抜の大会がある。
各チームの主力を集めてのドリームチーム。
上手い奴らがひしめき合っています。
その中でも、本当上手いやつは、やっぱりうまいんです。
守備にしろ、バッティングにしろ、まわりを納得させてしまうものを持っています。
そして、こちらの期待に応えるように結果を出す。
ヤバいボールが飛んでいっても普通に捕ってしまう。普通にさばいてしまいます。
そしてその上をいく奴らが他の地区にはまだまだいる。
そんな奴らが集まっての選抜なんです。
イーグルスの6年生がどこまで通用するのか?
いけば試合に出ることができるイーグルスの試合とは全然違います。
ひとつの小さなミスが命取り。
勝負に勝つためには、やはり上手い奴しか出せなくなります。
その環境の究極がプロの世界なんでしょうね。
わずか数ミリでも上手い方を使う。
そうなると、ベンチに入っているが、試合に出れない選手もでてきます。
これは勝負の世界なので仕方のないこと。
物理的に試合にでれなくなる。
それは、なぜか?
もう分かっているはずです。
出てる選手の方が自分たちより上手いから。
それは、自分でもわかっているはず。
出場機会がなくなると、面白くありません。
あの気持ちよくボールを打つ快感。
レーザービームでランナーを刺す快感。
おどれぃこなくそ、打てるもんなら打ってみぃと投げての三振の快感。
それが体験できるチャンスがなくなるから、まったく面白くない。、
それは誰だってそう。
試合にでれないんですから!
手持ち無沙汰感まんまんです。
そうすると自然にわいてくる疑問。
「俺は何してんだろう?試合にもでれないのに何してんだろう?これって面白いの?」
自問自答です。
そして気づく。
「俺は孫悟空ではなかった。ベジータでもなく、ピッコロでもなく、クリリンでもない。」
「いいとこ、チャオズか、ヤムチャ…以下かも。」
「単独で、俺ひとりで、地球を救うことは出来ないな。」と。
ここで、ふた通りのリアクション。
ひとつは、「面白くないから、やめよう!」
もうひとつは、
「面白くないけど、こんな自分にもできることがあるはず。それをまっとうしよう。そして、少しでもチームに貢献しよう!」
前者も真理、後者も真理。
前者は、可能性の薄いところをいち早く切って、次の機会に早く挑戦することができます。
それはそれで誰にも責められるものではない。
どこに才能があるかなんで、数打ってみないとわからないこともあります。
切り替えるなら早いほうがいい。
しかし、世の中のみんなは圧倒的に後者。
そんな簡単にやめられない。
やめることが許されない風潮があります。
石の上にも三年みたいな、日本人特有な概念。
あきらめたらあかん的なものが美化されがちな傾向。
それに辟易しながらも、自分の不器用さに気づく。
どうしようもない、不器用さに気づき、現実にうちのめされる。
そこで悟るんです。
私もそうでした。
あんなに努力してきたのに、今までで1番素振りをして、筋トレをして、走ってきたのに、その上をいくチームメイトたち。高校最後の背番号は20番でした。
だからこそ、そいつらの気持ちが痛いほどわかります。できないといわれる選手の悲哀が。
レギュラーではなく、控えに回ることがわかった時、儀式のように、ひととおり悔しんだあとに気づくんです。
一緒にやってきた仲間たちのために、チームために、自分にできることをやろうと。
自分ひとりでは打開できないけど、歯車のひとつとなり、自分のできることをコツコツ、日々積み重ねていく。
それが、チーム全体のため、チームがいい結果をだせば自分のためにもなる。
たまに自分のためもありますが、最終的に、チームのためは自分ため。
ここに行き着きます。
一将成りて万骨枯る。
だからこそ、選ばれたレギュラーは中途半端では許されない。あなたの後ろには何人もの控えがいる。だからこそ、その控えの分も全力尽くさなくてはいけない。
俺の屍をこえていけ!
俺がでるよりも上手くやれるし、いい結果をもたらすことを証明しろ!
ただ、全力でやった結果に対しては何も言わないし、何も言わせません。
その覚悟。
今年の選抜のレギュラーに入ったのは、ルイ、ハルヤ。
相手には、そのルイの上をいく、フリーザ、セルがいっぱいいます。
そんなルイたち、ハルヤたちがが強敵を打ち破っていくことを誰もが期待している。
そのための全力支援。
他のイーグルス戦士は、全力で後方支援。
わかっていても中々できないと思います。
試合にでれないから、やめてもいいんです。
いかなくてもいい。
それでも、イーグルス戦士はサポートという戦いを楽しんでいます。
いままで、敵だったやつらと一緒になって戦うことを楽しんでいる。
もはや、そこに試合に出ることに対するこだわりはあるかもしれませんが、大きな問題ではない。
なぜ、自分はそこにいるのか?
試合に出れないのに、なぜそこまでしてやるのか?
その答えを、あいつらは行動で示しています。
コーチャーにいくこと、ボールボーイでボールを拭くこと、全力で応援すること。
チームを盛り上げること。
試合に出ずとも、やれることは山ほどある。
自分で役割をみつけ、自分で動くようになっています。
それでも「行け!」と言われれば、全力でいく準備もできている。
柳津の選手が打ったことを、
高田の選手が打ったことを、
新鶴の選手が守り切ったことを自分のことのように喜ぶイーグルス戦士たち。
その後ろ姿が、たのもしく見えます。
ほんと、盛り上げ上手です。
「誰が相手だろうか関係ねえ!
俺たちにくすぶっている暇なんてねえ。ただ、この場を俺たちはチーム全体で楽しむだけだ!イェーイ!」
そんな覚悟が見てとれます。
どんな立場だろうが、楽しんだもん勝ち。
試合にでるだけがソフトボールではない。
俺たちはここで精いっぱいやらせてもらう。
これもまた今年のイーグルス6年生の最後の戦いです。
果たしてどうなるか?
その結末を私は見届けてきます。
その人が1番適している守備位置、打順。
これを見つけるのは至難の業です。
結果がよければ、合っている。
悪ければ、合っていない。
ましてや、短い期間で見極めが必要な今回の選抜大会、我らが会津選抜の監督さんも苦労しているようです。
監督さんの好みや経験からしても、何パターンもの選択肢がある。
これはこれで面白いとは思いますが、勝ち負けのかかった勝負。
ひとりひとりが真剣にのぞんでいる小学生の思いを推しはかると適当なことはできません。
その子をその守備位置、その打順におく、明確な根拠が必要となってきます。
あとは、祈るだけ。
そこで、いい結果がでれは、
「あー、あの監督は選手をよく見ている。」
と言われ、反対に散々にやられれば、
「はぁー、あの監督は選手の適性を分かっていない。」
と言われる。
いつも、毎回毎回、名監督とは限りません。
その中で、毎日の練習から、普段の態度からその選手の少しずつ積み重ねてきたストーリーを読み込んでいる。
表にでる表現だけでなく、行間の空気、背景、そこに至った理由、いろんなサイドストーリーも読もうとしています。
ただ、我々も神ではありません。
見逃すこと、読めないこと、見えないことが多々ある。
打たれたとき、エラーしたとき、守り切れなかったとき、
あの時こうしてれば良かったと、思うことが毎回あります。
監督も千里眼ではない。
万能ではない。
それを分かった上で、天空の神々の座を目指して勝利というその山を登っています。
だからこそ、上手くいったときは、至上の喜び。
我が子でなくても、それまでの苦労を知っている分、感情があふれでてしまいます。
今回の選抜も面白いメンバー。
しかもまわりは強敵だらけ。
どこまでいけるか?
彼らと一緒に終着駅までいってみます!
これを見つけるのは至難の業です。
結果がよければ、合っている。
悪ければ、合っていない。
ましてや、短い期間で見極めが必要な今回の選抜大会、我らが会津選抜の監督さんも苦労しているようです。
監督さんの好みや経験からしても、何パターンもの選択肢がある。
これはこれで面白いとは思いますが、勝ち負けのかかった勝負。
ひとりひとりが真剣にのぞんでいる小学生の思いを推しはかると適当なことはできません。
その子をその守備位置、その打順におく、明確な根拠が必要となってきます。
あとは、祈るだけ。
そこで、いい結果がでれは、
「あー、あの監督は選手をよく見ている。」
と言われ、反対に散々にやられれば、
「はぁー、あの監督は選手の適性を分かっていない。」
と言われる。
いつも、毎回毎回、名監督とは限りません。
その中で、毎日の練習から、普段の態度からその選手の少しずつ積み重ねてきたストーリーを読み込んでいる。
表にでる表現だけでなく、行間の空気、背景、そこに至った理由、いろんなサイドストーリーも読もうとしています。
ただ、我々も神ではありません。
見逃すこと、読めないこと、見えないことが多々ある。
打たれたとき、エラーしたとき、守り切れなかったとき、
あの時こうしてれば良かったと、思うことが毎回あります。
監督も千里眼ではない。
万能ではない。
それを分かった上で、天空の神々の座を目指して勝利というその山を登っています。
だからこそ、上手くいったときは、至上の喜び。
我が子でなくても、それまでの苦労を知っている分、感情があふれでてしまいます。
今回の選抜も面白いメンバー。
しかもまわりは強敵だらけ。
どこまでいけるか?
彼らと一緒に終着駅までいってみます!
あなたは、何百回、何千回、何万回、
僕のユニフォームを洗ってくれたでしょうか。
毎回毎回、当たり前に着ていた洗濯されたきれいなユニフォーム。
やれベルトを忘れた、帽子を忘れた、スパイクを忘れた。
全部、あなたのせいにしてました。
でも、本当は分かっていました。
僕が寝た後に、洗濯機では落ちない汚れを、ゴシゴシ洗っていてくれたことを。
毎朝、毎朝、きちんと用意されている、真っ白なユニフォーム。ソックス。
おそらく、その白さはあなたの愛情なのでしょう。
でも、僕らはそれをわかっていても上手く表現できません。
だから、僕らは一生懸命なプレーで、あなたへの感謝を表します。
チームのためにもがんばって、打ちます!
守ります。
ヒットを打った後、チームのみんなを見てから、最後にあなたを探します。
そして、無言の会話を買わす。
「俺、打ったよ!」
「うん、いいヒットだったよ。」
お互い、目を見てうなづく。
それだけでいい。
親と子だけがかわす視線。
それだけで、今までの苦労、辛苦をわかり合える。
家でたいした会話をもなくても、深いところでつながっている。
これもスポ少のいいところです。
僕のユニフォームを洗ってくれたでしょうか。
毎回毎回、当たり前に着ていた洗濯されたきれいなユニフォーム。
やれベルトを忘れた、帽子を忘れた、スパイクを忘れた。
全部、あなたのせいにしてました。
でも、本当は分かっていました。
僕が寝た後に、洗濯機では落ちない汚れを、ゴシゴシ洗っていてくれたことを。
毎朝、毎朝、きちんと用意されている、真っ白なユニフォーム。ソックス。
おそらく、その白さはあなたの愛情なのでしょう。
でも、僕らはそれをわかっていても上手く表現できません。
だから、僕らは一生懸命なプレーで、あなたへの感謝を表します。
チームのためにもがんばって、打ちます!
守ります。
ヒットを打った後、チームのみんなを見てから、最後にあなたを探します。
そして、無言の会話を買わす。
「俺、打ったよ!」
「うん、いいヒットだったよ。」
お互い、目を見てうなづく。
それだけでいい。
親と子だけがかわす視線。
それだけで、今までの苦労、辛苦をわかり合える。
家でたいした会話をもなくても、深いところでつながっている。
これもスポ少のいいところです。
人は、なぜ、応援するんでしょう。
自分のこどもでもないのに。
自分自身がやってないにも関わらず、イーグルスの選手みんなの一挙手一投足に、笑い、泣き、怒る。
ひいきにしてるプロ野球チームでないんです。
華麗なプレーや豪快なバッティングをみせつけるわけでもない。
こんな場末のスポ少の上手くもない選手を応援するために、朝こっぱやく起きて、何十キロ運転して駆けつける。
今に限ったことではなく、昔からそうなんです。
自分の子供がレギュラーではないのにも関わらず、試合にでる保証もないのにかけつけていただいている。
ここって、スポ少のすごいところだと思います。
これはおそらく、ソフトボールスポ少だけではない。
サッカーも、バスケットも、バレーもそう。
自分の子供に限らず、その友達、先輩、後輩のやってくるであろう成功を見たいがための興味。
その思惑とは、全くの逆にでるときもあります。
よってたかって、フルボッコにされるイーグルス。
ボコボコにやられて、グーのねもでないほど、落ち込んでいるイーグルスも見る。
毎日毎日、毎回毎回、少しずつ、少しずつ、変化していくイーグルスに巻き込まれてしまう。
その変化は、いい方向ばかりとは限りませんが、みんながいい方向にいくことを信じている。
そのエラーさえも、その下手くそぶりさえも、いとおしく、面白く感じる。
だってそれは、必ず上手くなることを誰しもが信じているからこそです。
そして、それを自分の目で見届けたい。
そして、同じ思いの保護者とその時間を共有したい。
イーグルスにとっての時代の証言者でありたいと思ってしまう。
思い入れの深さ、マリアナ海溝のごとく深し。
だからこそ、どんなひいきプロ野球チームよりも、メジャーリーグよりもおっかけてしまう。
見届けたくなる。全部は無理かもしれないけど、仕事の合間をぬって、暇を見つけては、イーグルスのあの小憎らしい面々に会いたくなる。
イーグルスは、
旭スポ少は、
藤川スポ少は、
永井野スポ少は、そんな保護者の皆さんに支えられてきました。
保護者と子供達が関わりあい「円」となり、その子の成功を祈る。
保護者の厳しくもあたたかい視線が、子どもたちをまちがいなく育てています。
その意味で保護者全員が指導者であると思います。
我が子以外に、あんなにも怒る時があるでしようか?
我が子以外に、あんなにも悪態をつかれる時があるでしょうか?
我が子以外に、あんなにも打ってくれと神様にお願いするときがあるでしょうか?
昔から言ってますが、どんなテレビより、映画より、どんなアトラクションより、面白い。
やはり、最後は人と人とのつながりなんでしょうね。
「お前らが、どうなるのか見てみたい。」
ひとりで、野球は、ソフトボールはできない。
そのひとりひとりの、キセキのチェーンを繋いでいく。
そのチェーンは、最後の最後に、間違いなく今年のイーグルス、選手全員、保護者全員を繋いでくれました。
今年もまとまりのあるチーム!
これはやった人にしか、わからない至福の時間です。その祭りのような「渦(うず)」にあえて、喜んで、のみこまれてみる。
いろんな苦労が浄化されていきます。
もうしばらくはこの余韻に、ひたって毎日の晩酌の友とします!
自分のこどもでもないのに。
自分自身がやってないにも関わらず、イーグルスの選手みんなの一挙手一投足に、笑い、泣き、怒る。
ひいきにしてるプロ野球チームでないんです。
華麗なプレーや豪快なバッティングをみせつけるわけでもない。
こんな場末のスポ少の上手くもない選手を応援するために、朝こっぱやく起きて、何十キロ運転して駆けつける。
今に限ったことではなく、昔からそうなんです。
自分の子供がレギュラーではないのにも関わらず、試合にでる保証もないのにかけつけていただいている。
ここって、スポ少のすごいところだと思います。
これはおそらく、ソフトボールスポ少だけではない。
サッカーも、バスケットも、バレーもそう。
自分の子供に限らず、その友達、先輩、後輩のやってくるであろう成功を見たいがための興味。
その思惑とは、全くの逆にでるときもあります。
よってたかって、フルボッコにされるイーグルス。
ボコボコにやられて、グーのねもでないほど、落ち込んでいるイーグルスも見る。
毎日毎日、毎回毎回、少しずつ、少しずつ、変化していくイーグルスに巻き込まれてしまう。
その変化は、いい方向ばかりとは限りませんが、みんながいい方向にいくことを信じている。
そのエラーさえも、その下手くそぶりさえも、いとおしく、面白く感じる。
だってそれは、必ず上手くなることを誰しもが信じているからこそです。
そして、それを自分の目で見届けたい。
そして、同じ思いの保護者とその時間を共有したい。
イーグルスにとっての時代の証言者でありたいと思ってしまう。
思い入れの深さ、マリアナ海溝のごとく深し。
だからこそ、どんなひいきプロ野球チームよりも、メジャーリーグよりもおっかけてしまう。
見届けたくなる。全部は無理かもしれないけど、仕事の合間をぬって、暇を見つけては、イーグルスのあの小憎らしい面々に会いたくなる。
イーグルスは、
旭スポ少は、
藤川スポ少は、
永井野スポ少は、そんな保護者の皆さんに支えられてきました。
保護者と子供達が関わりあい「円」となり、その子の成功を祈る。
保護者の厳しくもあたたかい視線が、子どもたちをまちがいなく育てています。
その意味で保護者全員が指導者であると思います。
我が子以外に、あんなにも怒る時があるでしようか?
我が子以外に、あんなにも悪態をつかれる時があるでしょうか?
我が子以外に、あんなにも打ってくれと神様にお願いするときがあるでしょうか?
昔から言ってますが、どんなテレビより、映画より、どんなアトラクションより、面白い。
やはり、最後は人と人とのつながりなんでしょうね。
「お前らが、どうなるのか見てみたい。」
ひとりで、野球は、ソフトボールはできない。
そのひとりひとりの、キセキのチェーンを繋いでいく。
そのチェーンは、最後の最後に、間違いなく今年のイーグルス、選手全員、保護者全員を繋いでくれました。
今年もまとまりのあるチーム!
これはやった人にしか、わからない至福の時間です。その祭りのような「渦(うず)」にあえて、喜んで、のみこまれてみる。
いろんな苦労が浄化されていきます。
もうしばらくはこの余韻に、ひたって毎日の晩酌の友とします!
いまでも忘れられない風景があります。
ベンチで力尽きて寄り添うように寝てるタケル、ヨウスケ(いたかな?)、ハルヤ。
三人はお地蔵さんのようでした。
三年生か四年生だったと思います。
それは、数年前の中畑清杯。
大きな池がとなりにある試合会場でした。
中畑清杯は、100チームくらい参加する県内最大の大会です。
会場もいろいろあって、試合の順番も早くなったり、遅くなったりがあります。
その時のイーグルスの試合も遅かった。
第4試合?第5試合まで、待つ展開。
あんなに朝早く行ったのに、出番が来ない。
やっとこさ、出番が来たときはもう体力、気力の限界。
応援しながら、眠りの境地に旅立つ。
ごらぁ~と怒る前に、三人のあまりのかわいさにそのまま少し寝かせて置いてやったことを思い出します。
そんな3人もすでに6年生になって、スポ少を引退です。ルイ、ヒロヤ、コウノスケが入るまではずっと凸凹(でこぼこ)な三人でやってきました。
決して、上手いとはいえないながらも、ハルヤはエースに。
ヨウスケは最後の試合でホームランを打つまでに。
タケルは会津トップのピッチャーをとらえるも、ライトゴロ。
彼らは彼らなりにソフトボールを、イーグルスを楽しんだことでしょう。
ベンチでよだれをたらして寝てたあの3人がねぇ。
イーグルスの最後の優勝でそれなりに活躍する。
ホームランを打つだけがソフトボールではない。
三振をとるだけがソフトボールではない。
勝ちにこだわるだけがソフトボールではない。
あいつらは負けても、ミスっても、エラーしてもに楽しそうです。
それもスポ少でしょう。
腹の底から笑える何か、楽しむ何かをもっています。
それは6年生選抜にいってもそうです。
レベルは確実に高いです。
そのレベルを求めるのは酷というもの。
それでも、自分のできることと、楽しむことをしっている奴らはこの先どこにいっても大丈夫でしょう。
この先どこにいっても寝ることが出来る!
イーグルスの誇る「眠りの三地蔵」です!
ベンチで力尽きて寄り添うように寝てるタケル、ヨウスケ(いたかな?)、ハルヤ。
三人はお地蔵さんのようでした。
三年生か四年生だったと思います。
それは、数年前の中畑清杯。
大きな池がとなりにある試合会場でした。
中畑清杯は、100チームくらい参加する県内最大の大会です。
会場もいろいろあって、試合の順番も早くなったり、遅くなったりがあります。
その時のイーグルスの試合も遅かった。
第4試合?第5試合まで、待つ展開。
あんなに朝早く行ったのに、出番が来ない。
やっとこさ、出番が来たときはもう体力、気力の限界。
応援しながら、眠りの境地に旅立つ。
ごらぁ~と怒る前に、三人のあまりのかわいさにそのまま少し寝かせて置いてやったことを思い出します。
そんな3人もすでに6年生になって、スポ少を引退です。ルイ、ヒロヤ、コウノスケが入るまではずっと凸凹(でこぼこ)な三人でやってきました。
決して、上手いとはいえないながらも、ハルヤはエースに。
ヨウスケは最後の試合でホームランを打つまでに。
タケルは会津トップのピッチャーをとらえるも、ライトゴロ。
彼らは彼らなりにソフトボールを、イーグルスを楽しんだことでしょう。
ベンチでよだれをたらして寝てたあの3人がねぇ。
イーグルスの最後の優勝でそれなりに活躍する。
ホームランを打つだけがソフトボールではない。
三振をとるだけがソフトボールではない。
勝ちにこだわるだけがソフトボールではない。
あいつらは負けても、ミスっても、エラーしてもに楽しそうです。
それもスポ少でしょう。
腹の底から笑える何か、楽しむ何かをもっています。
それは6年生選抜にいってもそうです。
レベルは確実に高いです。
そのレベルを求めるのは酷というもの。
それでも、自分のできることと、楽しむことをしっている奴らはこの先どこにいっても大丈夫でしょう。
この先どこにいっても寝ることが出来る!
イーグルスの誇る「眠りの三地蔵」です!
小学校4年からソフトボールを始めて、中学で軟式にかわり、高校で硬式をやりぬいた。
今思うと、大学でもプレーではついて行けませんが、野球の戦術やコンディショニングなどを学んでおけば良かったと思います。
中学の社会の先生になって、野球部の顧問をやるのが夢でした。
でも今は、小学生のスポ少の監督をしてきて、本当によかったと思います。
はじめた当初は、コーチもいなくて、送迎も道具の運搬も一人でやったときもありました。
車に全員乗せられないので、試合会場と旭小学校を往復したこともありました。
そんでもやってやろうと決めていました。
だって今も昔も、あいつらのやる気に満ちた顔が、私を動かしました。
何よりみんなで一緒になって、ピンチを切り抜け、チャンスで盛り上がる。
そうやってやってきました。
そこから、同じ志のコーチを見つけ、熱い保護者会長や保護者たちに出会い、話したこともないライバルのスポ少チームに戦いを挑み、仲良くなる。
誰も見る人がいなくて、試合に乳飲み子の自分の子供をスポ少に連れて行き、保護者におむつを交換してもらったこともあります。
毎年毎年、出会いと別れを繰り返して20年。
その当時、こうなればいいのになあと思っていたことが、少しずつ実現していく。
毎週水曜日の高田スポ少さんとのナイターもそうです。
めざしているものが同じならば、みんな一緒に仲良くなればいい。
高田さん、新鶴さんとの連合チームが組めたのもうれしかった。
もっともっとやりたいことがあります。
スポ少の試合でもウグイス嬢が、アナウスしてほしい。
両チームの代表を呼んで、試合を実況してみたい。
「こんばんわ!エキサイティングナイターの時間です。実況は、パンチョスズキ、解説は高スポ、ジァイアントオオハシィさん、みさスポ、ファイティングコジーマさんでお送りします。」
こんな感じでビールを飲みながら選手のいいところにスポットを当てながら解説したい。
ほかにも打率や防御率などを集計して、プロ野球のように何チームかでペナントレースをやってみたい。
県外に遠征に行ってみたい。
キャンプを張ってみたい。
まだまだやりたいことは山ほどあります。
人の無限の可能性を引き出していく、スポ少の監督というこの職業。職業というより役柄。
毎日毎日の小さな成長を見つめ続けて、気づかせる。
砂漠に水をまき続ければ、流れ落ちていく無駄だと思われる水。
それが、湿気となり、コケとなり、小さな土となる。
そこから、芽を出し、太陽に向かって伸び続けていく。
無駄だと思われることも、無駄では終わらせない。
必ずどこかにつながっているはずです。
そこを活かしてやりたい、自信にしてやりたい。
できることならば、可能ならば、この後もそうやって子供達の成長を一番近くて支えていきたいと思います。
今思うと、大学でもプレーではついて行けませんが、野球の戦術やコンディショニングなどを学んでおけば良かったと思います。
中学の社会の先生になって、野球部の顧問をやるのが夢でした。
でも今は、小学生のスポ少の監督をしてきて、本当によかったと思います。
はじめた当初は、コーチもいなくて、送迎も道具の運搬も一人でやったときもありました。
車に全員乗せられないので、試合会場と旭小学校を往復したこともありました。
そんでもやってやろうと決めていました。
だって今も昔も、あいつらのやる気に満ちた顔が、私を動かしました。
何よりみんなで一緒になって、ピンチを切り抜け、チャンスで盛り上がる。
そうやってやってきました。
そこから、同じ志のコーチを見つけ、熱い保護者会長や保護者たちに出会い、話したこともないライバルのスポ少チームに戦いを挑み、仲良くなる。
誰も見る人がいなくて、試合に乳飲み子の自分の子供をスポ少に連れて行き、保護者におむつを交換してもらったこともあります。
毎年毎年、出会いと別れを繰り返して20年。
その当時、こうなればいいのになあと思っていたことが、少しずつ実現していく。
毎週水曜日の高田スポ少さんとのナイターもそうです。
めざしているものが同じならば、みんな一緒に仲良くなればいい。
高田さん、新鶴さんとの連合チームが組めたのもうれしかった。
もっともっとやりたいことがあります。
スポ少の試合でもウグイス嬢が、アナウスしてほしい。
両チームの代表を呼んで、試合を実況してみたい。
「こんばんわ!エキサイティングナイターの時間です。実況は、パンチョスズキ、解説は高スポ、ジァイアントオオハシィさん、みさスポ、ファイティングコジーマさんでお送りします。」
こんな感じでビールを飲みながら選手のいいところにスポットを当てながら解説したい。
ほかにも打率や防御率などを集計して、プロ野球のように何チームかでペナントレースをやってみたい。
県外に遠征に行ってみたい。
キャンプを張ってみたい。
まだまだやりたいことは山ほどあります。
人の無限の可能性を引き出していく、スポ少の監督というこの職業。職業というより役柄。
毎日毎日の小さな成長を見つめ続けて、気づかせる。
砂漠に水をまき続ければ、流れ落ちていく無駄だと思われる水。
それが、湿気となり、コケとなり、小さな土となる。
そこから、芽を出し、太陽に向かって伸び続けていく。
無駄だと思われることも、無駄では終わらせない。
必ずどこかにつながっているはずです。
そこを活かしてやりたい、自信にしてやりたい。
できることならば、可能ならば、この後もそうやって子供達の成長を一番近くて支えていきたいと思います。
さあ、泣いても笑っても明日がH30イーグルス最後の戦いです。
二日に渡って、まさに、青空の青空杯に呼んでいただいて本当によかった。
イーグルス最後を飾るにこの上ない環境です。
舞台は整いました。
あとは、やるだけ。
やるなら今しかねえ、です。
明日で6年生はイーグルスを引退します。
思えばいろんなことがありました。
今日見事なホームランを打った泣き虫ルイ。
センターをそつなくこなし、肩を見せたサムライ、ヒロヤ。
腰が痛いといいながらも、なんとか試合を、作ったエース、ハルヤ。
良くも悪くもチームを盛り上げ、CoCo壱番で打つヨウスケ。
鈍足ながらセーフティを試みるアウト。ヒットを打ってもライトゴロのタケル。
そして、すぐにアップアップなりながらも精一杯のプレーを積み上げていくキャプテン、コウノスケ。
コウノスケは、よくぞこの個性派集団をまとめ上げました。
このバラバラの抑えのきかないボンクラども。
当初は、この中でだれがチームをまとめられるかを考えたとき、「チームの理性」として、コウノスケを選びました。
ここにきて、その選択でよかったとつくづくおもいます。
確かにプレーは上手くいかないときもあります。
でも、それをみんなでカバーしていく。
ここが今年のイーグルスです。
今日もそのエラーをみんなで防ぎきった。
ミスっても下を見ることなく、切り替えて次のプレーに集中する。
厳しく指摘されても、腐らず、謙虚に前に進んでいこうとするその気概。
これが、今の世の中には必要です。
だからこそ、今年のイーグルスのキャプテンは、コウノスケなんです。
チームを調子づける危険なアクセルがヨウスケだとすれば、コウノスケはハンドルとブレーキ。
きっちり目的地に連れて行ってくれるのは、やはりコウノスケなんです。
そんなコウノスケ世代も明日が最後。
応援もプレーも上向きになっています。
控えのベンチの雰囲気もいい。
さて、明日どこまでやってくれるのか
楽しみです。
二日に渡って、まさに、青空の青空杯に呼んでいただいて本当によかった。
イーグルス最後を飾るにこの上ない環境です。
舞台は整いました。
あとは、やるだけ。
やるなら今しかねえ、です。
明日で6年生はイーグルスを引退します。
思えばいろんなことがありました。
今日見事なホームランを打った泣き虫ルイ。
センターをそつなくこなし、肩を見せたサムライ、ヒロヤ。
腰が痛いといいながらも、なんとか試合を、作ったエース、ハルヤ。
良くも悪くもチームを盛り上げ、CoCo壱番で打つヨウスケ。
鈍足ながらセーフティを試みるアウト。ヒットを打ってもライトゴロのタケル。
そして、すぐにアップアップなりながらも精一杯のプレーを積み上げていくキャプテン、コウノスケ。
コウノスケは、よくぞこの個性派集団をまとめ上げました。
このバラバラの抑えのきかないボンクラども。
当初は、この中でだれがチームをまとめられるかを考えたとき、「チームの理性」として、コウノスケを選びました。
ここにきて、その選択でよかったとつくづくおもいます。
確かにプレーは上手くいかないときもあります。
でも、それをみんなでカバーしていく。
ここが今年のイーグルスです。
今日もそのエラーをみんなで防ぎきった。
ミスっても下を見ることなく、切り替えて次のプレーに集中する。
厳しく指摘されても、腐らず、謙虚に前に進んでいこうとするその気概。
これが、今の世の中には必要です。
だからこそ、今年のイーグルスのキャプテンは、コウノスケなんです。
チームを調子づける危険なアクセルがヨウスケだとすれば、コウノスケはハンドルとブレーキ。
きっちり目的地に連れて行ってくれるのは、やはりコウノスケなんです。
そんなコウノスケ世代も明日が最後。
応援もプレーも上向きになっています。
控えのベンチの雰囲気もいい。
さて、明日どこまでやってくれるのか
楽しみです。
高田中駅伝部が東北大会を制覇しました。
これはとんでもない快挙です。
片田舎の小さな中学校の大きな挑戦。
何年も何年も挑み続けた大きな、大きな壁。
その壁を今日ぶち破った。
空を飛びたいと願った恐竜が、始祖鳥となり青空に羽ばたいた。それが今日だった。
悲願といっていいでしょう。
来る日も来る日も毎朝走り抜いた。
ただ走り抜いたのではなく、本気で走り抜いた。
空のプールに一滴一滴ずつスポイトで水を垂らす、気の遠くなるような作業。
作業はいつしか、目標となり、生きがいとなった。
そして東北大会の今日、そのプールの水はついにあふれ出した。
補欠の選手も含めみんなで頑張りました。
指導してくれた先生方、それを支えた保護者、みんなが注いできた一滴一滴が大きなうねりとなり、壁をやぶった。
優勝した瞬間。
その知らせを聞いた瞬間。
その瞬間を見ていませんが、なぜか泣けてくる。
みんなの頑張る姿が目に浮かびます。
苦痛に顔をゆがめつつも、歯を食いしばってタスキを繋ぐ。
髪を振り乱して、必死に応援するお父さん、お母さん。
うなづく先生方。歓喜。
みんなが一滴一滴を、注いできたプールがあふれ出た。
劇的な瞬間がイメージできます。
いままでの努力が、苦労が、すべてが報われる時。
止められない、止めどなく流れる涙。
美しい涙。うれし涙。限りなく美しい涙。
そんな涙は、何回流してもいい。
すげえ、すげえ、すげえ。
手放しで賞賛します。
それにしても、高田中駅伝部の環境はすごい。
教職がブラック、ブラックといわれる昨今。
毎日毎日の朝7:00からの朝練。
それを根気強く継続していく。
毎毎日の朝早くの出勤は、多くのことを犠牲にしてきたはずです。特に自分の家族に対して。
その意味で、指導者の家族のみなさんも紛れなく、功労者です。
いろんな人の支えがあって、彼らが走る環境が整ってきました。
そんな中、競い合ってタイムを縮めてくる選手たち。
よくぞ、ついてきてきてくれた。
先生方のその気にさせて覚醒させてしまう、その手腕はお見事です。
今日くらいはゆっくり休んで、美味い食事、美味いお酒で乾杯してください。
あらためて、高田中駅伝部おめでとう!
これはとんでもない快挙です。
片田舎の小さな中学校の大きな挑戦。
何年も何年も挑み続けた大きな、大きな壁。
その壁を今日ぶち破った。
空を飛びたいと願った恐竜が、始祖鳥となり青空に羽ばたいた。それが今日だった。
悲願といっていいでしょう。
来る日も来る日も毎朝走り抜いた。
ただ走り抜いたのではなく、本気で走り抜いた。
空のプールに一滴一滴ずつスポイトで水を垂らす、気の遠くなるような作業。
作業はいつしか、目標となり、生きがいとなった。
そして東北大会の今日、そのプールの水はついにあふれ出した。
補欠の選手も含めみんなで頑張りました。
指導してくれた先生方、それを支えた保護者、みんなが注いできた一滴一滴が大きなうねりとなり、壁をやぶった。
優勝した瞬間。
その知らせを聞いた瞬間。
その瞬間を見ていませんが、なぜか泣けてくる。
みんなの頑張る姿が目に浮かびます。
苦痛に顔をゆがめつつも、歯を食いしばってタスキを繋ぐ。
髪を振り乱して、必死に応援するお父さん、お母さん。
うなづく先生方。歓喜。
みんなが一滴一滴を、注いできたプールがあふれ出た。
劇的な瞬間がイメージできます。
いままでの努力が、苦労が、すべてが報われる時。
止められない、止めどなく流れる涙。
美しい涙。うれし涙。限りなく美しい涙。
そんな涙は、何回流してもいい。
すげえ、すげえ、すげえ。
手放しで賞賛します。
それにしても、高田中駅伝部の環境はすごい。
教職がブラック、ブラックといわれる昨今。
毎日毎日の朝7:00からの朝練。
それを根気強く継続していく。
毎毎日の朝早くの出勤は、多くのことを犠牲にしてきたはずです。特に自分の家族に対して。
その意味で、指導者の家族のみなさんも紛れなく、功労者です。
いろんな人の支えがあって、彼らが走る環境が整ってきました。
そんな中、競い合ってタイムを縮めてくる選手たち。
よくぞ、ついてきてきてくれた。
先生方のその気にさせて覚醒させてしまう、その手腕はお見事です。
今日くらいはゆっくり休んで、美味い食事、美味いお酒で乾杯してください。
あらためて、高田中駅伝部おめでとう!
カレンダー
フリーエリア
最新記事
プロフィール
HN:
高田イーグルスコーチ
性別:
非公開
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析