時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
ほとんどのチームは今シーズンをおえたのではないでしょうか?
そして、最後に選抜の大会がある。
各チームの主力を集めてのドリームチーム。
上手い奴らがひしめき合っています。
その中でも、本当上手いやつは、やっぱりうまいんです。
守備にしろ、バッティングにしろ、まわりを納得させてしまうものを持っています。
そして、こちらの期待に応えるように結果を出す。
ヤバいボールが飛んでいっても普通に捕ってしまう。普通にさばいてしまいます。
そしてその上をいく奴らが他の地区にはまだまだいる。
そんな奴らが集まっての選抜なんです。
イーグルスの6年生がどこまで通用するのか?
いけば試合に出ることができるイーグルスの試合とは全然違います。
ひとつの小さなミスが命取り。
勝負に勝つためには、やはり上手い奴しか出せなくなります。
その環境の究極がプロの世界なんでしょうね。
わずか数ミリでも上手い方を使う。
そうなると、ベンチに入っているが、試合に出れない選手もでてきます。
これは勝負の世界なので仕方のないこと。
物理的に試合にでれなくなる。
それは、なぜか?
もう分かっているはずです。
出てる選手の方が自分たちより上手いから。
それは、自分でもわかっているはず。
出場機会がなくなると、面白くありません。
あの気持ちよくボールを打つ快感。
レーザービームでランナーを刺す快感。
おどれぃこなくそ、打てるもんなら打ってみぃと投げての三振の快感。
それが体験できるチャンスがなくなるから、まったく面白くない。、
それは誰だってそう。
試合にでれないんですから!
手持ち無沙汰感まんまんです。
そうすると自然にわいてくる疑問。
「俺は何してんだろう?試合にもでれないのに何してんだろう?これって面白いの?」
自問自答です。
そして気づく。
「俺は孫悟空ではなかった。ベジータでもなく、ピッコロでもなく、クリリンでもない。」
「いいとこ、チャオズか、ヤムチャ…以下かも。」
「単独で、俺ひとりで、地球を救うことは出来ないな。」と。
ここで、ふた通りのリアクション。
ひとつは、「面白くないから、やめよう!」
もうひとつは、
「面白くないけど、こんな自分にもできることがあるはず。それをまっとうしよう。そして、少しでもチームに貢献しよう!」
前者も真理、後者も真理。
前者は、可能性の薄いところをいち早く切って、次の機会に早く挑戦することができます。
それはそれで誰にも責められるものではない。
どこに才能があるかなんで、数打ってみないとわからないこともあります。
切り替えるなら早いほうがいい。
しかし、世の中のみんなは圧倒的に後者。
そんな簡単にやめられない。
やめることが許されない風潮があります。
石の上にも三年みたいな、日本人特有な概念。
あきらめたらあかん的なものが美化されがちな傾向。
それに辟易しながらも、自分の不器用さに気づく。
どうしようもない、不器用さに気づき、現実にうちのめされる。
そこで悟るんです。
私もそうでした。
あんなに努力してきたのに、今までで1番素振りをして、筋トレをして、走ってきたのに、その上をいくチームメイトたち。高校最後の背番号は20番でした。
だからこそ、そいつらの気持ちが痛いほどわかります。できないといわれる選手の悲哀が。
レギュラーではなく、控えに回ることがわかった時、儀式のように、ひととおり悔しんだあとに気づくんです。
一緒にやってきた仲間たちのために、チームために、自分にできることをやろうと。
自分ひとりでは打開できないけど、歯車のひとつとなり、自分のできることをコツコツ、日々積み重ねていく。
それが、チーム全体のため、チームがいい結果をだせば自分のためにもなる。
たまに自分のためもありますが、最終的に、チームのためは自分ため。
ここに行き着きます。
一将成りて万骨枯る。
だからこそ、選ばれたレギュラーは中途半端では許されない。あなたの後ろには何人もの控えがいる。だからこそ、その控えの分も全力尽くさなくてはいけない。
俺の屍をこえていけ!
俺がでるよりも上手くやれるし、いい結果をもたらすことを証明しろ!
ただ、全力でやった結果に対しては何も言わないし、何も言わせません。
その覚悟。
今年の選抜のレギュラーに入ったのは、ルイ、ハルヤ。
相手には、そのルイの上をいく、フリーザ、セルがいっぱいいます。
そんなルイたち、ハルヤたちがが強敵を打ち破っていくことを誰もが期待している。
そのための全力支援。
他のイーグルス戦士は、全力で後方支援。
わかっていても中々できないと思います。
試合にでれないから、やめてもいいんです。
いかなくてもいい。
それでも、イーグルス戦士はサポートという戦いを楽しんでいます。
いままで、敵だったやつらと一緒になって戦うことを楽しんでいる。
もはや、そこに試合に出ることに対するこだわりはあるかもしれませんが、大きな問題ではない。
なぜ、自分はそこにいるのか?
試合に出れないのに、なぜそこまでしてやるのか?
その答えを、あいつらは行動で示しています。
コーチャーにいくこと、ボールボーイでボールを拭くこと、全力で応援すること。
チームを盛り上げること。
試合に出ずとも、やれることは山ほどある。
自分で役割をみつけ、自分で動くようになっています。
それでも「行け!」と言われれば、全力でいく準備もできている。
柳津の選手が打ったことを、
高田の選手が打ったことを、
新鶴の選手が守り切ったことを自分のことのように喜ぶイーグルス戦士たち。
その後ろ姿が、たのもしく見えます。
ほんと、盛り上げ上手です。
「誰が相手だろうか関係ねえ!
俺たちにくすぶっている暇なんてねえ。ただ、この場を俺たちはチーム全体で楽しむだけだ!イェーイ!」
そんな覚悟が見てとれます。
どんな立場だろうが、楽しんだもん勝ち。
試合にでるだけがソフトボールではない。
俺たちはここで精いっぱいやらせてもらう。
これもまた今年のイーグルス6年生の最後の戦いです。
果たしてどうなるか?
その結末を私は見届けてきます。
そして、最後に選抜の大会がある。
各チームの主力を集めてのドリームチーム。
上手い奴らがひしめき合っています。
その中でも、本当上手いやつは、やっぱりうまいんです。
守備にしろ、バッティングにしろ、まわりを納得させてしまうものを持っています。
そして、こちらの期待に応えるように結果を出す。
ヤバいボールが飛んでいっても普通に捕ってしまう。普通にさばいてしまいます。
そしてその上をいく奴らが他の地区にはまだまだいる。
そんな奴らが集まっての選抜なんです。
イーグルスの6年生がどこまで通用するのか?
いけば試合に出ることができるイーグルスの試合とは全然違います。
ひとつの小さなミスが命取り。
勝負に勝つためには、やはり上手い奴しか出せなくなります。
その環境の究極がプロの世界なんでしょうね。
わずか数ミリでも上手い方を使う。
そうなると、ベンチに入っているが、試合に出れない選手もでてきます。
これは勝負の世界なので仕方のないこと。
物理的に試合にでれなくなる。
それは、なぜか?
もう分かっているはずです。
出てる選手の方が自分たちより上手いから。
それは、自分でもわかっているはず。
出場機会がなくなると、面白くありません。
あの気持ちよくボールを打つ快感。
レーザービームでランナーを刺す快感。
おどれぃこなくそ、打てるもんなら打ってみぃと投げての三振の快感。
それが体験できるチャンスがなくなるから、まったく面白くない。、
それは誰だってそう。
試合にでれないんですから!
手持ち無沙汰感まんまんです。
そうすると自然にわいてくる疑問。
「俺は何してんだろう?試合にもでれないのに何してんだろう?これって面白いの?」
自問自答です。
そして気づく。
「俺は孫悟空ではなかった。ベジータでもなく、ピッコロでもなく、クリリンでもない。」
「いいとこ、チャオズか、ヤムチャ…以下かも。」
「単独で、俺ひとりで、地球を救うことは出来ないな。」と。
ここで、ふた通りのリアクション。
ひとつは、「面白くないから、やめよう!」
もうひとつは、
「面白くないけど、こんな自分にもできることがあるはず。それをまっとうしよう。そして、少しでもチームに貢献しよう!」
前者も真理、後者も真理。
前者は、可能性の薄いところをいち早く切って、次の機会に早く挑戦することができます。
それはそれで誰にも責められるものではない。
どこに才能があるかなんで、数打ってみないとわからないこともあります。
切り替えるなら早いほうがいい。
しかし、世の中のみんなは圧倒的に後者。
そんな簡単にやめられない。
やめることが許されない風潮があります。
石の上にも三年みたいな、日本人特有な概念。
あきらめたらあかん的なものが美化されがちな傾向。
それに辟易しながらも、自分の不器用さに気づく。
どうしようもない、不器用さに気づき、現実にうちのめされる。
そこで悟るんです。
私もそうでした。
あんなに努力してきたのに、今までで1番素振りをして、筋トレをして、走ってきたのに、その上をいくチームメイトたち。高校最後の背番号は20番でした。
だからこそ、そいつらの気持ちが痛いほどわかります。できないといわれる選手の悲哀が。
レギュラーではなく、控えに回ることがわかった時、儀式のように、ひととおり悔しんだあとに気づくんです。
一緒にやってきた仲間たちのために、チームために、自分にできることをやろうと。
自分ひとりでは打開できないけど、歯車のひとつとなり、自分のできることをコツコツ、日々積み重ねていく。
それが、チーム全体のため、チームがいい結果をだせば自分のためにもなる。
たまに自分のためもありますが、最終的に、チームのためは自分ため。
ここに行き着きます。
一将成りて万骨枯る。
だからこそ、選ばれたレギュラーは中途半端では許されない。あなたの後ろには何人もの控えがいる。だからこそ、その控えの分も全力尽くさなくてはいけない。
俺の屍をこえていけ!
俺がでるよりも上手くやれるし、いい結果をもたらすことを証明しろ!
ただ、全力でやった結果に対しては何も言わないし、何も言わせません。
その覚悟。
今年の選抜のレギュラーに入ったのは、ルイ、ハルヤ。
相手には、そのルイの上をいく、フリーザ、セルがいっぱいいます。
そんなルイたち、ハルヤたちがが強敵を打ち破っていくことを誰もが期待している。
そのための全力支援。
他のイーグルス戦士は、全力で後方支援。
わかっていても中々できないと思います。
試合にでれないから、やめてもいいんです。
いかなくてもいい。
それでも、イーグルス戦士はサポートという戦いを楽しんでいます。
いままで、敵だったやつらと一緒になって戦うことを楽しんでいる。
もはや、そこに試合に出ることに対するこだわりはあるかもしれませんが、大きな問題ではない。
なぜ、自分はそこにいるのか?
試合に出れないのに、なぜそこまでしてやるのか?
その答えを、あいつらは行動で示しています。
コーチャーにいくこと、ボールボーイでボールを拭くこと、全力で応援すること。
チームを盛り上げること。
試合に出ずとも、やれることは山ほどある。
自分で役割をみつけ、自分で動くようになっています。
それでも「行け!」と言われれば、全力でいく準備もできている。
柳津の選手が打ったことを、
高田の選手が打ったことを、
新鶴の選手が守り切ったことを自分のことのように喜ぶイーグルス戦士たち。
その後ろ姿が、たのもしく見えます。
ほんと、盛り上げ上手です。
「誰が相手だろうか関係ねえ!
俺たちにくすぶっている暇なんてねえ。ただ、この場を俺たちはチーム全体で楽しむだけだ!イェーイ!」
そんな覚悟が見てとれます。
どんな立場だろうが、楽しんだもん勝ち。
試合にでるだけがソフトボールではない。
俺たちはここで精いっぱいやらせてもらう。
これもまた今年のイーグルス6年生の最後の戦いです。
果たしてどうなるか?
その結末を私は見届けてきます。
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