時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
卒団式終わりました。
毎年なんですが、いままでのいろんな場面が思い出されます。
あふれ出す感情を抑えられない。
40過ぎのおっさんが、みんなの前で嗚咽する姿はどう映るんでしょうね。
まあどう映ったとしても、どうにも止められないんですけどね。
今回は娘があらかじめハンカチを持たせてくれました。
自分でも泣くだろうなと思っていましたが、あんなに声にならないくらいに泣くとは…
それほど今年のメンバーも私に、人が成長する姿を現在進行形で見せてくれました。
できなかったことができる。
チカラを合わせて事を成し遂げる。
失敗しても、負けても最後までやり遂げる。
そんな姿を間近で見せられたら感動しない人はいません。
長い間指導者をやってる先輩達がいますが、その方たち長くやっている理由がわかるような気がします。
これは、日々の練習を1番近くで見て、その子達の頑張りを見てきたご褒美です。
こうして生きていて、こんなにも満足感のある事柄はあるでしょうか?
どんな映画より、小説よりもダイレクトに心に突き刺さる。
プロ野球選手も好きですが、どんなプロ野球選手よりも、1番にイーグルスの熱烈なファンなんです。
良くも悪くも距離が近すぎる。
エラーやミスをすれば頭にくる。暴言もはきます。
それは上手くなって欲しいし、勝って欲しいから。
厳しいことをいうのは、その裏返しなんです。
一生懸命にやれば、例え失敗してもいい。負けてもいいと思っていました。
結果が全てではない。
今もそのスタンスは大きく変わりません。
しかし、最近聞いている竹原ピストルさんの「カウント10」という曲の中に、人生負けてもいいと言っている人の言葉に一度たりとも心を動かされたことはないというニュアンスのフレーズがあります。
はなから負ける気でいいと、へらへらしてるんじゃねえ。例え負けるにしても、やるからには勝つ気で最後まで全力を尽くす。
その覚悟を持て!その覚悟を育てろという意味だと思います。
ものすごく共感します。
世の中、なんの影響か、なんでもクールにスマートにやれという風潮があるような気がしてなりません。
物事に一生懸命になったり、勝ちにこだわったり、泥臭く愚直に取り組むことを敬遠している。
「何をそんなに熱くなってんだい?」
「気楽に行こうぜ!」
人ごとみたいな(人ごとなんですが)軽薄さ。
深く入れば、失敗したとき自分も深く傷つく。
それをを恐れている。
確かにそれもいいのかもしれない。
ただものすごくもったいないことをしてると私は思います。
もしかしたら、今の世の中、情報や選択肢が多すぎて、そんなに一生懸命になれるものに出会えることは逆に難しいことなのかもしれません。
そう考えると一生懸命に取り組める「スポ少」に出会える、出会えたということはものすごく幸せなことなんじゃないでしょうか?
親子で、家族で本気で取り組むことができる。
一生懸命な姿に、声がかれるほど声を張り上げる。
そして、気づくでしょう。
がんばれ、がんばれと応援して、支えてはきたけれど、元気をもらっていたのは大人のほうだったということに。
支えていたのではなく、二人三脚だったと。
子は親の鏡。その逆もしかり。親も子の鏡。
確かに金銭的、労務的に親は支えてるかもしれませんが、そうではない。
子ども達のがんばりに、明日の自分たちを映している。
この子たちがあんなにも頑張っている。
私たちも頑張ろう!と自然となってくる。
別に色あせてはないでしょうが、毎日の生活に、たいへんではありますが「スポ少」という彩りが加わる。
緑しかない葉っぱのサラダにトマトが加わるかのように、情熱の赤が添えられる。
たとえ朝がこっぱやくても、メリハリがでます。
お互いに、win winの関係なんですね。
たいへんだからこそ、見えてくる景色がある。
これは、実際にやった人にしかわからない。
まさに同志というにふさわしい。
それを、多くのチームメイト、その保護者と一時代を共有できました。
同じ景色を見てきた。
その自負がある。
まぎれもなく「戦友」でしょう!
そんな人たち、選手たちとの別れは悲しくないはずがない。
寂しくないはずがない。
もうこの子たちと一緒に戦えない。
もう一緒に苦楽をともにできない。
もうこの子たちの名前をメンバー表に書くことはない。
もうこの子たちを車に乗せることはない。
寂しい。
この前の遠征で、バックミラー見たときにタケルたちの姿がない。
自分が幼子になったような寂しさに気づきました。
試合に疲れ切って、眠ている姿がない。
間違いなく、私にとって無くてはならない子ども達でした。
その子ども達、選手たちとの別れ。
いつもそうですが、この子たちと過ごした時間はかけがえのないない大切な時間です。
間違いなくワンピース。
もちろんその保護者と過ごした時間も。
ですが、いつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。
彼らにも我々にも次のステップがある。
少し休憩したなら、涙を拭いたならば進むべきでしょう。
また違う景色が見えてくるはずです。
それぞれ、見る景色は違ってくるでしょうが、根っこはどこかでつながっていた。
それだけで十分です。
苦しくも楽しい時間をありがとう。
これまで、協力していただきました、子ども達、保護者、全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、また今年もよろしくお願いします!
毎年なんですが、いままでのいろんな場面が思い出されます。
あふれ出す感情を抑えられない。
40過ぎのおっさんが、みんなの前で嗚咽する姿はどう映るんでしょうね。
まあどう映ったとしても、どうにも止められないんですけどね。
今回は娘があらかじめハンカチを持たせてくれました。
自分でも泣くだろうなと思っていましたが、あんなに声にならないくらいに泣くとは…
それほど今年のメンバーも私に、人が成長する姿を現在進行形で見せてくれました。
できなかったことができる。
チカラを合わせて事を成し遂げる。
失敗しても、負けても最後までやり遂げる。
そんな姿を間近で見せられたら感動しない人はいません。
長い間指導者をやってる先輩達がいますが、その方たち長くやっている理由がわかるような気がします。
これは、日々の練習を1番近くで見て、その子達の頑張りを見てきたご褒美です。
こうして生きていて、こんなにも満足感のある事柄はあるでしょうか?
どんな映画より、小説よりもダイレクトに心に突き刺さる。
プロ野球選手も好きですが、どんなプロ野球選手よりも、1番にイーグルスの熱烈なファンなんです。
良くも悪くも距離が近すぎる。
エラーやミスをすれば頭にくる。暴言もはきます。
それは上手くなって欲しいし、勝って欲しいから。
厳しいことをいうのは、その裏返しなんです。
一生懸命にやれば、例え失敗してもいい。負けてもいいと思っていました。
結果が全てではない。
今もそのスタンスは大きく変わりません。
しかし、最近聞いている竹原ピストルさんの「カウント10」という曲の中に、人生負けてもいいと言っている人の言葉に一度たりとも心を動かされたことはないというニュアンスのフレーズがあります。
はなから負ける気でいいと、へらへらしてるんじゃねえ。例え負けるにしても、やるからには勝つ気で最後まで全力を尽くす。
その覚悟を持て!その覚悟を育てろという意味だと思います。
ものすごく共感します。
世の中、なんの影響か、なんでもクールにスマートにやれという風潮があるような気がしてなりません。
物事に一生懸命になったり、勝ちにこだわったり、泥臭く愚直に取り組むことを敬遠している。
「何をそんなに熱くなってんだい?」
「気楽に行こうぜ!」
人ごとみたいな(人ごとなんですが)軽薄さ。
深く入れば、失敗したとき自分も深く傷つく。
それをを恐れている。
確かにそれもいいのかもしれない。
ただものすごくもったいないことをしてると私は思います。
もしかしたら、今の世の中、情報や選択肢が多すぎて、そんなに一生懸命になれるものに出会えることは逆に難しいことなのかもしれません。
そう考えると一生懸命に取り組める「スポ少」に出会える、出会えたということはものすごく幸せなことなんじゃないでしょうか?
親子で、家族で本気で取り組むことができる。
一生懸命な姿に、声がかれるほど声を張り上げる。
そして、気づくでしょう。
がんばれ、がんばれと応援して、支えてはきたけれど、元気をもらっていたのは大人のほうだったということに。
支えていたのではなく、二人三脚だったと。
子は親の鏡。その逆もしかり。親も子の鏡。
確かに金銭的、労務的に親は支えてるかもしれませんが、そうではない。
子ども達のがんばりに、明日の自分たちを映している。
この子たちがあんなにも頑張っている。
私たちも頑張ろう!と自然となってくる。
別に色あせてはないでしょうが、毎日の生活に、たいへんではありますが「スポ少」という彩りが加わる。
緑しかない葉っぱのサラダにトマトが加わるかのように、情熱の赤が添えられる。
たとえ朝がこっぱやくても、メリハリがでます。
お互いに、win winの関係なんですね。
たいへんだからこそ、見えてくる景色がある。
これは、実際にやった人にしかわからない。
まさに同志というにふさわしい。
それを、多くのチームメイト、その保護者と一時代を共有できました。
同じ景色を見てきた。
その自負がある。
まぎれもなく「戦友」でしょう!
そんな人たち、選手たちとの別れは悲しくないはずがない。
寂しくないはずがない。
もうこの子たちと一緒に戦えない。
もう一緒に苦楽をともにできない。
もうこの子たちの名前をメンバー表に書くことはない。
もうこの子たちを車に乗せることはない。
寂しい。
この前の遠征で、バックミラー見たときにタケルたちの姿がない。
自分が幼子になったような寂しさに気づきました。
試合に疲れ切って、眠ている姿がない。
間違いなく、私にとって無くてはならない子ども達でした。
その子ども達、選手たちとの別れ。
いつもそうですが、この子たちと過ごした時間はかけがえのないない大切な時間です。
間違いなくワンピース。
もちろんその保護者と過ごした時間も。
ですが、いつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。
彼らにも我々にも次のステップがある。
少し休憩したなら、涙を拭いたならば進むべきでしょう。
また違う景色が見えてくるはずです。
それぞれ、見る景色は違ってくるでしょうが、根っこはどこかでつながっていた。
それだけで十分です。
苦しくも楽しい時間をありがとう。
これまで、協力していただきました、子ども達、保護者、全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
そして、また今年もよろしくお願いします!
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