時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
福島県、夏の高校野球が昨日始まりました。
そして、今日、次男坊の高校も一回戦を迎えました。
私は所要で応援にいけませんでした。
しかし、いてもたってもいられず速報を見ていると、なんとヴァーチャル高校野球でライブでみれるではありませんか!
野球の神様ありがとうございます。
全国47都道府県の1回戦からライブで見れるとは・・・
いい時代になりました。
3年生には、高田中で長男坊と一緒に白球を追いかけた、タカヤとカオルがいます。
高校まで野球を選んだのは、この二人しかいません。
その彼らの夏、さっき終わりました。
4:13の7回コールド負け。
カゲロウのように短い夏となりました。
タカヤとカオルたち、保護者のみなさん、先生方のがんばりを見てきただけに悔しい結末となりました。
もっと長い夏にできただろうに、
もっと笑顔があふれる試合になっただろうに、
もっと、頑張ってきた自分たちを評価できる結果になっただろうに・・・
しかし、そうはならなかった。
どんなに祈ったり、願ったりしても、思いどおりにならないことがある。
どんなに一生懸命頑張っても報われない結果がある。
それが勝負という世界です。
だって、相手も同じくらい頑張っているんですから。
7回の表相手の猛攻を最後に好守備で止めたのはセンターのカオルでした。
難しい打球でした。後ろに下がりながらの好捕。
いままで、何回も何回も捕れなかった角度、強さの打球です。
それを最後の最後でファインプレー。
見事でした。
そして、タカヤ。
ケガから復帰してまだ本調子ではないでしょう。
最後の打席、相手のエースの前に追い込まれました。
そして決めにきた、アウトコース。
ヴァーチャル高校野球の中継はバックネット裏からのライブなので、審判のジャッジがよく見えます。
その審判の右手が途中まで上がりかけていました。
その手が挙がっていれば、見逃し三振。
タカヤは、今日のその前の打席でインコースを自信をもって見送りましたが、判定がストライクで見逃し三振に倒れた前例がありました。
タカヤは自分を信じて見送った。
審判もよくぞ、見ていてくれました。逡巡しながらも、手をあげなかった。
ボールの判定となり、ピッチャーは、よりゾーンでの勝負を余儀なくされます。
そして、タカヤ、おそらく自分でも高校野球の最後の打席になるであろうことをわかっていたはずです。
悔いの残らない打席にしてほしい。
完全に捕らえた当たりではありませんでしたが、センター前にはじき返してヒット。
やはり勝負強い!最後の打席をヒットで飾りました。
他の選手たちも随所にいいプレーはあった。
しかし、ゲームの流れは終始、相手チーム。
自分たちのペースに持ち込めず、自分たちの良さを発揮できなかった。
ここは悔いがのこるところでしょう。
そうはいっても、覆水盆に返らず。
そんな中でも懸命にプレーする姿に、いままでのがんばりが重なります。
心のダムはいろいろな思いであふれ、そして風景が、にじんできました。
だめだ、こられきれない・・・
私は、他の保護者のみなさんと一緒にスタンドではみることはできませんでしたが、同じ思いだったと思います。
選手たちの気持ちへのシンパシー。それを一番感じているのは保護者でしょう。
そして無情にもゲームセット。
彼らの夏、私たちの夏が終わりました・・・
ヴァーチャル高校野球のライブカメラが引き上げる選手たちをとらえます。
3年生よりも先に泣き崩れる2年生を支えるタカヤ。
これが、タカヤです。
自分も泣きたいのに・・・他者を配慮する。
ここに彼が最後まで高校野球を続けてきた意義、すべてが詰まっています。
やはりスポーツは、人を育てます。
チームスポーツである野球は、チームの中の人を育てる。
タカヤは、小中学生の時よりも、人を包み込むように大きな器になっていました。
先生は、こういいました。
「高校野球は、プロ野球のように足の速さや、打球の飛距離、上手なプレーを見るものではない。上手い下手はあれど、いままで、できなかったことができるようになる、そういう伸びしろを見るものだ。人の、チームとしての成長をみるものだ。」と。
その通りだと思います。スポ少も同じ。
これを聞いて、私はこうも思いました。
だからこそ、チームの悪いときも、見なくてはならない。どうしようもなく、弱くて、みじめで、かっこ悪い。
その現実こそ、見なくてはならない。
そうでなくては、どのように成長したかが見えない、と。
これはスポ少でも同じです。
何ができて、何ができないか?
そのできないを克服するためには、どうしたらいいか?
この繰り返しです。
しかし、高校野球はそうもいきません。
多くの球児の場合、この後がないかもしれない。
進学や就職で、最後の野球になるほうが多いでしょう。
挽回するチャンスがなくなってしまうんです。
克服して、次に試す機会がなくなってしまうんです。
そこが、小学生、中学生とは決定的に違うところ。
だからこそ、いままでのすべてを賭けて挑戦してきているんです。
だからこそ、終わった時のショックが大きい。
それは選手も保護者も、そして先生もでしょう。
私は、保護者としての視点もありながら、指導者としての視点でも見ています。
お互いに懸命にがんばった。
しかし、勝者と敗者はかならず出てくる。
何が良かったんだろうか?
何がいけなかったんだろうか?
どの作戦、どの動作が功を奏したのか?その意図は?
こうなる前にどのような手を打たなくてはいけなかったのか?
正解はありません。
しかし、考察はできます。
そして、わが高田イーグルスにどのようにして活かしていくかを考えます。
タカヤの真剣な表情、どっしり構えた隙のないスタンス、
カオルの韋駄天、笑顔のセンターへの全力疾走、
その他のメンバーのプレーも、もうグランドで見ることはありません。
もどれないからこそ、輝いていたプレー。
もう見ることができない。そう思うことが、たまらなく寂しい。
1年生の次男坊には、どう映ったことでしょう?
まずは、いったんゆっくり休んでほしい。何も考えず、ぼーっと。
そしたら、次が見えてくるはずです。
高田イーグルスの中からも、そういった高校球児がこの先も出てきてくれることでしょう。
私たちは、それを期待します。
高校野球は、いろいろなことを我々に教えてくれます。
お疲れ様、タカヤ、カオル!
そして、今日、次男坊の高校も一回戦を迎えました。
私は所要で応援にいけませんでした。
しかし、いてもたってもいられず速報を見ていると、なんとヴァーチャル高校野球でライブでみれるではありませんか!
野球の神様ありがとうございます。
全国47都道府県の1回戦からライブで見れるとは・・・
いい時代になりました。
3年生には、高田中で長男坊と一緒に白球を追いかけた、タカヤとカオルがいます。
高校まで野球を選んだのは、この二人しかいません。
その彼らの夏、さっき終わりました。
4:13の7回コールド負け。
カゲロウのように短い夏となりました。
タカヤとカオルたち、保護者のみなさん、先生方のがんばりを見てきただけに悔しい結末となりました。
もっと長い夏にできただろうに、
もっと笑顔があふれる試合になっただろうに、
もっと、頑張ってきた自分たちを評価できる結果になっただろうに・・・
しかし、そうはならなかった。
どんなに祈ったり、願ったりしても、思いどおりにならないことがある。
どんなに一生懸命頑張っても報われない結果がある。
それが勝負という世界です。
だって、相手も同じくらい頑張っているんですから。
7回の表相手の猛攻を最後に好守備で止めたのはセンターのカオルでした。
難しい打球でした。後ろに下がりながらの好捕。
いままで、何回も何回も捕れなかった角度、強さの打球です。
それを最後の最後でファインプレー。
見事でした。
そして、タカヤ。
ケガから復帰してまだ本調子ではないでしょう。
最後の打席、相手のエースの前に追い込まれました。
そして決めにきた、アウトコース。
ヴァーチャル高校野球の中継はバックネット裏からのライブなので、審判のジャッジがよく見えます。
その審判の右手が途中まで上がりかけていました。
その手が挙がっていれば、見逃し三振。
タカヤは、今日のその前の打席でインコースを自信をもって見送りましたが、判定がストライクで見逃し三振に倒れた前例がありました。
タカヤは自分を信じて見送った。
審判もよくぞ、見ていてくれました。逡巡しながらも、手をあげなかった。
ボールの判定となり、ピッチャーは、よりゾーンでの勝負を余儀なくされます。
そして、タカヤ、おそらく自分でも高校野球の最後の打席になるであろうことをわかっていたはずです。
悔いの残らない打席にしてほしい。
完全に捕らえた当たりではありませんでしたが、センター前にはじき返してヒット。
やはり勝負強い!最後の打席をヒットで飾りました。
他の選手たちも随所にいいプレーはあった。
しかし、ゲームの流れは終始、相手チーム。
自分たちのペースに持ち込めず、自分たちの良さを発揮できなかった。
ここは悔いがのこるところでしょう。
そうはいっても、覆水盆に返らず。
そんな中でも懸命にプレーする姿に、いままでのがんばりが重なります。
心のダムはいろいろな思いであふれ、そして風景が、にじんできました。
だめだ、こられきれない・・・
私は、他の保護者のみなさんと一緒にスタンドではみることはできませんでしたが、同じ思いだったと思います。
選手たちの気持ちへのシンパシー。それを一番感じているのは保護者でしょう。
そして無情にもゲームセット。
彼らの夏、私たちの夏が終わりました・・・
ヴァーチャル高校野球のライブカメラが引き上げる選手たちをとらえます。
3年生よりも先に泣き崩れる2年生を支えるタカヤ。
これが、タカヤです。
自分も泣きたいのに・・・他者を配慮する。
ここに彼が最後まで高校野球を続けてきた意義、すべてが詰まっています。
やはりスポーツは、人を育てます。
チームスポーツである野球は、チームの中の人を育てる。
タカヤは、小中学生の時よりも、人を包み込むように大きな器になっていました。
先生は、こういいました。
「高校野球は、プロ野球のように足の速さや、打球の飛距離、上手なプレーを見るものではない。上手い下手はあれど、いままで、できなかったことができるようになる、そういう伸びしろを見るものだ。人の、チームとしての成長をみるものだ。」と。
その通りだと思います。スポ少も同じ。
これを聞いて、私はこうも思いました。
だからこそ、チームの悪いときも、見なくてはならない。どうしようもなく、弱くて、みじめで、かっこ悪い。
その現実こそ、見なくてはならない。
そうでなくては、どのように成長したかが見えない、と。
これはスポ少でも同じです。
何ができて、何ができないか?
そのできないを克服するためには、どうしたらいいか?
この繰り返しです。
しかし、高校野球はそうもいきません。
多くの球児の場合、この後がないかもしれない。
進学や就職で、最後の野球になるほうが多いでしょう。
挽回するチャンスがなくなってしまうんです。
克服して、次に試す機会がなくなってしまうんです。
そこが、小学生、中学生とは決定的に違うところ。
だからこそ、いままでのすべてを賭けて挑戦してきているんです。
だからこそ、終わった時のショックが大きい。
それは選手も保護者も、そして先生もでしょう。
私は、保護者としての視点もありながら、指導者としての視点でも見ています。
お互いに懸命にがんばった。
しかし、勝者と敗者はかならず出てくる。
何が良かったんだろうか?
何がいけなかったんだろうか?
どの作戦、どの動作が功を奏したのか?その意図は?
こうなる前にどのような手を打たなくてはいけなかったのか?
正解はありません。
しかし、考察はできます。
そして、わが高田イーグルスにどのようにして活かしていくかを考えます。
タカヤの真剣な表情、どっしり構えた隙のないスタンス、
カオルの韋駄天、笑顔のセンターへの全力疾走、
その他のメンバーのプレーも、もうグランドで見ることはありません。
もどれないからこそ、輝いていたプレー。
もう見ることができない。そう思うことが、たまらなく寂しい。
1年生の次男坊には、どう映ったことでしょう?
まずは、いったんゆっくり休んでほしい。何も考えず、ぼーっと。
そしたら、次が見えてくるはずです。
高田イーグルスの中からも、そういった高校球児がこの先も出てきてくれることでしょう。
私たちは、それを期待します。
高校野球は、いろいろなことを我々に教えてくれます。
お疲れ様、タカヤ、カオル!
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