忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日は、美里連盟親善大会でした。
私は、次男の中学野球最後の引退試合と重なり、欠席となりました。
んー残念。
んー残念といいながら、後から後から流れてくる連絡が、残念を通り越してきます。
今日のこの試合、聞けば聞くほど見逃してはいけない試合だったんじゃないかという気持ちがわいてきます。
しかし、体は二つない。
どっちも大事。
私はというと、次男の中学野球最後の雄姿を焼き付けてきました。

ただ、行けなかった私には、高田イーグルスのみんなが真剣にプレーに向き合う姿が、まぶたに思い浮かびます。
それもみなこコーチのスコアがあるからこそ。
コーチのスコアで、彼らの一生懸命なプレーが脳内に再生されていきます。
やはり、データでみるといろんなことが読み取れる。
スコアブックに書き込んで、素人がみてもわかりやすいように書き換えてアップするというを継続していただいています。
ありがたいです!

さて、私の脳内劇場に招待しましょう。
このスコアを見ると、相手チームに奪三振の嵐が吹き荒れています。しかも空振り三振の嵐。
スコアブックには「K、K、K」が踊ります。
マウンドに君臨するユナの無双っぷり!
笑顔にあふれ、自信に満ちていく、勝利の女神。
あぁその姿、見たかったなぁ~。
いつも崩れる原因となるファーボール。
湯川戦にいたっては、ゼロ。無四球試合。これはすごい!
試合を作れている証明ですね。
コジマ監督がラインをよこしましたが、あんなにぼろくそに負けていた湯川さんを相手に最終回まで勝っていた。
その姿に、勝敗はどうでもよくなる気持ちがわかったと。
ユナとシュンペイが、ここにきて「バッテリー」として力を発揮してきています。

守備について。
関柴戦はエラーがゼロ。
ショートでキャプテンのレンが声を張り上げてみんなを鼓舞する姿が見えます。
レンは1年生からガンガン声を出してきました。
関柴戦は、中盤から終盤にかけて、ユナに疲れが見えてきたんでしょうね。
四死球が多めになってきています。
リズムが悪くなる。そうなるといつもの地獄の入口が見えてきます。
「ん?どうした?」というマイナスのオーラ。
バックにもエラーが出て、一気に崩れるという負の連鎖、チームの崩壊につながります。
しかし、今回は違いました。
バックにエラーがゼロ。
バッテリーが崩れそうなところをバックがしっかり支えています。これぞチーム!
簡単なゴロやフライを確実にさばく。
当たり前のことを当たり前にプレーする。
強いチームは、これができるんです。
逆に言うと、高田イーグルスがその扉を開けつつあるということなんだと私は思います。
紙一重の試合ができるまでになってきている。
めいっぱいのプレーに安堵のため息がでる。
今年のチームもここまできたんですねぇ。
ぎりぎりの均衡をお互いに保つことができる。
いい試合とはそういうものです。
相手も強い。そして自分たちも強い。
なので、少しのミスが命取りになります。
その緊迫感。
保護者の応援席にも緊張の波がやってきたことでしょう。

打撃もいいつながりです。
どうにかして出たランナー。いままでだったら、ぱかぱか打ち上げてランナーも進まないのが高田イーグルス。
しかし、今回は違いました。ヒットにならないまでも、きちんとゴロを打ってランナーを進めるスモールベースボール。
こういうこまいところ、ち密な攻撃ができる。
それが大事な1点につながっています。
ヒットを打たずとも1点をもぎとる。
フォアザチームの精神は、大人になってからも役に立ってくれるはずです。

この快進撃の口火をきったのは、初戦の湯川戦のユウキとシュンペイの2連打だと私は思います。
この2本の連打。
先頭バッターのレンが倒れた後に、すかさず強敵相手に長打をかましたユウキ。
スコアには「中3」と記入されています。
センターオーバーもしくは右中間を切り裂く鋭い打球の三塁打。
ここ最近、練習しているセンターから右方向に打つ意識、インサイドアウトがここで生きてくれたかなと自画自賛してみます。
コースに逆らわないで打つ意識。
打撃練習でもユウキは、我々の意図をわかって取り組んでいるのがよくわかります。
そして振りぬいた。
この思い切りの良さが格上を相手に戦うイーグルスに勇気を与えたと私は思います。
そしてきっちり返すシュンペイ。「左安」
彼はイーグルスの中でも、ひっぱっていい選手のひとりです。
ここだけは、スモールベースボールではなく、ちからとちからのぶつかり合いを制してとった1点です。
湯川さんを相手に押し負けなかった。
初回に先制した。しかも裏攻め。
いける、いけるぞ!とみんなに思わせることに成功したと思います。
追い風が吹いている。

その2連打を導いた前段のプレー。
それは、初回の表、湯川さんを完璧に押さえたバッテリー。
いつもは不安な立ち上がりになりますが、今日のユナはひと味違います。
躍動感に満ちたユナがマウンドに君臨する。
きっちり3人で切ってとります。
強敵の最初の攻撃を完璧に防いでみせた。
守備からいいリズムをつくる。
ここが今日のイーグルスのロケットスタートにつながっています。
そのどちらにもシュンペイが絡んでいます。投打の要として結果をだした。
ブレイブハート。
自分自身も奮い立たせ、チーム全体も奮い立たせたと私はこのスコアから分析します。
となると、みんないい声が出たんでしょうね。
レンを中心として、「わ」となって、チームとなってたたみかけるイーグルス。
これが、楽しいだけのスポ少からひとつ上のレベル。
ぎりぎりの戦いという、勝負の厳しさ、楽しさが紙一重の世界です。
そういう世界の扉を開けたんですね。
スコアをみると、まだまだですが、いままで、やってきたことが活きています。
俺らは、ちゃんと強い!
それをプレーで証明してくれていますね。

そうなると返す返す、見れなかったことが残念です。
しかし、次の練習で彼らの取り組む「目」が、おそらく変わっているでしょう。
「もっと、もっと強くなりたい!」
さて、晩秋に差し掛かって、いい流れが高田イーグルスに来ています。

その昔、ゼンジが言ってました。
「流れもってこい、流れもってこい、流れ、流れ、流れ、流れ、流れもってこい!」
流れは自分たちで起こすもの。
その流れにのって、高田イーグルスは最後まで大きな滝に挑み続けます。



PR
明日は久々の大会です。
我が美里連盟が主催する美里親善大会。
関係者のご尽力によりなんとか
今年は去年よりひどい。
持てるちからを発揮する場、その場所さえないというのは、なんともやるせない気持ちになりますね。
どこにぶつけていいのかもわからない。
コロナだから仕方がない、その一言で片付けられてしまう。
みんなそれもわかってるんです。

わかってるんですが、わからない。

大人の私たちでさえもそうなんでしょうから、まして子供たちがどうとらえるか?
一生懸命にやっても、なにもかもが無駄になる。
そんな理不尽と不条理が一緒にやってくるような時代に人生でも1番輝けるチャンスがある年代を過ごす子供たちを思いやると、やるせません。
ただ、それは大人の見方であって、当の本人たちはどう思っているのか?
それは本人たちにしかわかりません。
我々大人ができること、その可能性があるのならば、少しでも実現できるように行動すること。
それを、言葉と背中で語る以外にないと思います。

一生懸命やっても無駄。
一生懸命やっても意味がない。

そんな訳ないんです。
そんな風に世の中に出る前から、世の中に絶望してほしくありません。
子供の時分に、長い白ヒゲの仙人のように悟る必要などないんです。

世の中は、可能性にあふれている。

たかだか、小学生のソフトボールの地方大会。
そうかもしれませんが、こんなコロナの中でも、できることはある。
それを美里連盟親善大会で示しましょう!

いままで積み上げてきたことを、
いままで、選手たちと保護者と我々指導者が高田イーグルスとして育ててきたことを、明日の大会で全力で証明しましょう!
この前の新人戦、カナト世代の船出。
全国大会出場の5年生を複数擁する県内トップクラスのチームに対して、我が高田イーグルスはコテンパンやられました。

その試合の中で、「あぁ~またやっちまったなぁ~」と思う場面がありました。
それは、なにか?

「ため息」です。

あ~ぁ、はぁ~、ふぅ~。
失望の吐息(といき)。
私は、ため息で人が殺せると思います。
殺すという表現は悪いので、やる気をつぶす、モチベーションをだださげると言い換えましょう。
頑張ろうとする人が失敗したとき、バカヤローとかアホとかいうことを選ばずに、ぐっとこらえたときに、ため息はやってきます。
罵声を浴びせるよりも、ため息のほうが相手に与えるダメージが低いだろうという配慮が働きます。
しかし、実はため息の方が、心の中から毒を盛るようにダメージが残ります。
期待している人たちを失望させてしまった。
私のせいだ。
自分で自分を否定してしまうという猛毒にかかってしまいます。
選手の心を折る。
この前の新人戦、そのため息、気づいたらしてました。

よかれと思って、罵声を我慢しても、ため息が漏れるようではまだまだ指導者として、失格です。
チームとして選手と一緒に戦っていないことを証明しているのと同じことです。
ただ、人が思う事には戸は立てられない。
思ってしまうことは止められないんです。
しかし、それを外にだすこと、表現してしまうことは訓練次第で止めることはできる。
ため息を出したくなっても、出さない工夫。
罵声を飲み込み、ため息さえも飲み込む。
ここまでしなければ選手たちからの信頼は得られないと私は思います。
私が選手の立場になったならば、ため息をつかれたら、やる気をなくしますね。
近い人ならばなおさらのことです。
なので、指導者、保護者は子供たちの前でため息をつかないことをお勧めします。
大丈夫、どんな状況になっても、お前たちの味方だ!という気持ちを持ち続けること。
そう思うことで、ため息は出なくなると思います。

ストライクが入らず、下を向きがちなミソラ。
彼女のいいところは、その笑顔です。
笑顔こそ、チカラ、自信です。

最近のユナが良くなってきたのは、よく笑うからです。
どんな逆境においても、あたふたしなくなった。
送りバント処理の時もサードの投げようと思ったり、ファーストに投げようと思ったり、くるくる右往左往することがなくなりました。
そこをミソラには見習ってほしいと思います。

選手のやる気をそぐため息、
心を折るため息ではなく、

追い風となる、全力応援の声を我々は届けていきましょう。





勝ち負けではない。
その課程を積極的に楽しむ。
ミッションチャレンジ型のスポ少を掲げてきましたが、すべてをフォローできないことも思い知らされます。 


最初に言っておきますが、負けたことに全ての責任を負うのは監督です。
その試合までの練習の内容、当日にかけてのコンディション調整、総合的に見ながらチームとして最善だと思われるオーダーを決めます。
その選手をそのポジション、打順に置いたのは監督です。
盗塁のサイン、バントのサインを出して失敗しても、責められるべくは選手ではなく、監督にある。それが私の持論です。
なので、盗塁死した選手がうつむいて帰ってきた時に、サインを出したのは俺だ、お前のせいではないと声をかけるようにしていました。
そうでなければ、次に盗塁が出たときにその選手は思いきったスタートをきることができないと思うからです。
失敗は全部監督のせい、こんぐらいの気概でやってもらっていいと私は思っています。
しかし、実際はそうではありません。
いくら監督のせいだと言ったとしても、実際にミスをした選手、チャンスに打てなかった選手は、どうしても、上手くやれなかった自分を責めるでしょう。どうしてもその失敗が残像としてのこる。
なんで失敗したんだろう?もっと上手く、やれたのに……
自分を責める。
いくら監督のせいだといいながらも、私は「自責の念」がなくては、その選手に向上はないと思います。
くやんでいい。その悔やみこそ、次のステップにつながると思います。
しかし、悔やみというプロセスは、心情的にはマイナスのストレス。
この負荷に耐えれる人と、耐えられない人がでてきます。
その時こそ、指導者の出番だと思います。
その失敗を直視させ、立ち直らせ、次にどうするかというところまでもっていく。
この過程が大事です。
ただ、どうしても強くあたってしまいます。
課題に向き合うと称して、どうしても子供たちを責めてしまう時があります。
どうしても厳しくなってしまう。
指導者からすれば、原因をさぐって次につなげるための検証。
検証とは、どうしてそのミスが起きたのか?を探る作業です。
そうなると、ミスをした選手たちへの尋問のようになります。
試合の後のミーティングは、どうしても厳しくなってしまいます。ごめん。
そうなると、なんでこんなに頑張っているのに評価されないんだ。
何でこんなに責められるんだ。
俺だけのせいじゃないのに……
なんで、俺ばかり責められるんだ、と思う選手もいるはずです。
チームで戦っている以上、ひとりのせいではありません。
ただ、重要な場面が、たまたまその選手に何回も重なりました。
試合が終わってからのミーティングで、そこを指摘する。
厳しくなってしまいました。
そこを我々がおもんばかれなかった。
なんで、俺ばっかり~。
怒られるのは俺ばっかり。
そこから、もう一歩前に踏み出すことをサポートできませんでした。
もう少し彼らに寄り添って、彼らの立場にたつべきでした。
彼らはソフトボールやること自体が嫌になってしまった。
そうなってしまったら、全てが終わりです。
彼らは静かにグローブを置きました。
そこに責任を感じます。
そこはごめん、すまん。申し訳ない、
ソフトボールを好きにできなくてごめん。
そこ、確かに吾々に責任があります。
幾人かにソフトボールの楽しさを伝えきれなかった。
そこが、悔やまれてなりません。
そこにどうしようもなく無力感を感じる時があります。

しかし、そうだとしても、我々はこの歩みを止めません。
なぜなら、本来、ソフトボールは、野球は、楽しいものなんですから!
ごめんと思いつつも、私たちは前に進みます。
すまないと思いながら、楽しさを伝えきれなかった彼らの思いを背負いつつ、こののち、彼らのような選手を生まないように。
それこそが、楽しさを伝えきれなかった彼らに対する責任だと思い、私はこの思いを胸に刻みます。

ひとりでも、ひとりでも多くの子供たちにソフトボールの、野球の楽しさを伝えたい。
その一点。

そして、勝っても負けても、いいところ、良かったところを、つまみにうまい酒を選手たちと、保護者の皆さんと飲みたい!
どんな時でも楽しむこと、グローブを置いた子供たちにもそのカケラひとつでも残ってくれていることを祈ります。
グローブを置いたとしても、ソフトボールをやったことでは無駄ではなかった。
いつか、彼らにもそう思える日が来ることを私はこころから願っています。

今日はカナト世代の新人生会津予選でした。
結果は、あの全国大会にいった猪苗代さんを相手にコテンパンに負けました。
0:19
このスコアをTシャツのバックプリントで保存したいくらいです。
ほとんど、何もさせてもらえなかった。
完敗でした。
気持ちいいほどのコテンパン
負けは負けとして、ここからどうしていくか?
猪苗代さんに勝つためにというか、まずは自チームをどうしていくか?
そこから初めていくしかないようです。
負けから始まる。
思いかえせば、私の出発は、いつも負けから、失敗から始まります。

今の私のたどり着いた立ち位置、「ミッションチャレンジ型のスポ少」。
これに至るまでには、いろんな思いがありました。

勝利至上主義。

勝つためなら、なんでもやるという意味だけではありません。
私がこれまで、たくさん見てきた負の連鎖、
勝ちにこだわるあまり、負けたとき、失敗したとき、エラーをしたとき、三振したときに、とんでもなく子供たちを怒る。
ゲッて思う。そこまで言うんかい!
そんな場面を見てきて、私は
「あぁ~、あんなふうに怒られたら、ソフトボール嫌いになるよな。
あんなふうに怒られたら、楽しい訳がない。
あぁはなりたくないな。」
と何度も思いました。

ここ最近、そんな監督さんにはいませんが、私が始めたばかりのころ、20年前にはそんな指導者がそれなりにいました。
そして、そのチームがまた強い。
恐怖政治によって作られたチームではありましたが、練習量の多さと怒られたくないという動機によって成り立っていました。
強いんだけど、楽しくねえだろうなぁとおもってみてました。笑顔がない。
指導者の顔色ばかり、うかがっている。
創意工夫もなく、与えられたサイン通りにしか、動くことのできないロボットたち。
そんな能面のような彼らに本当の笑顔を望むべくもありません。

かくいう私も同じことをしていたんだと気づかされる時がありました。
エラーをした選手にむかって、
「何やってんだぁ、てめぇ!
やる気がねぇなら、とっとと帰れぇ!」
激高して、叱りつけ、懲罰で交代させる。
ベンチに帰ってきてうなだれている選手にむかって、追い打ちで罵声を浴びせる。
さらに試合が終わった後の反省会でもダメ出し。
厳しくすることが、選手のためだと思っていました。
しかし、面白くないんですよね。
気分が悪い。気持ちよくない。
お互いに面白くない。
怒っている私も、マイナスの言葉を吐くと毒がたまるんでしょうね。
周りに見えない壁を知らずに築いていく。
そんなベンチに理解と協力などありません。
建設的なプロセスができるはずがない。
そんな、チームは強くなるはずがありません。
必然、何回も何回も負けることが続きます。
八方ふさがり。何をやってもうまくいかない。
そうなると、やけのやけっぱちの心境に陥ります。
どうせ負けるなら、怒るのも無駄、子供たちの好きなようにやって見ろ!と作戦を変更しました。
そして、この試合は何があっても怒らない。
そう子供たちにも宣言して、戦いに望みました。
途中、何回も失敗、エラーがあります。
ぁんだこのヤロー、ぁんだあのプレーは!と思っても、ぐっと飲み込む。
ぐぅーーーっと飲み込む。
怒りで血管がピクピク浮き出る。
ここは辛抱がいりました。
ある本によれば、怒りがこみ上げても六秒我慢すれば落ち着くとも言っています。
ぐっと飲み込む。
ふぅ~と深呼吸をする。
凪(なぎ)、穏やかな水面を思い浮かべます。
深呼吸をすると、やはり落ち着くんですよね。
そうすると周りが見えてきます。
ミスをすると、チラチラ、私をうかがう選手もいます。
それをみて私も、20年前のあのパワハラの指導者と、五十歩百歩、大なり小なり同じだったんだと気づかされました。
私も同じ穴のムジナだったんです。
あんなふぅにはなりなくない、と思ったムジナとおなじ。
だから、面白くなかった。
だから、勝てなかった。
だから、うまくいかなかった。
選手たちのチカラを引き出してやれなかった。
愕然としましたね。
しかし、気づいてよかったとも思えました。
どうにか、踏みとどまった。
これは、何回も何回も負けて、負けて、負けまくった、子供たちの犠牲のおかげで気づかされたものです。
ここまでくるのに、たくさんの子供たちのやる気を犠牲にしてきました。
一将功なって万骨枯る。
そして、気づいた法則。

怒るよりも、信頼したほうがいい。

チラチラ私をみる、選手に対して、
がっとばすという選択肢を捨てて、
大きくうなずいて見せる。
「大丈夫だ、いいぞ!ミスってもいい!」と声をかける。
エラーをした選手は、エラーをしたことで、みっともないという、いわゆる社会的制裁を受けています。
その時点で、やっちまったと心理的にダメージを受けている。
心のダメージは、次の行動に間違いなく影響します。悪い方向に。
落ち込んでいる選手を試合中にがっとばしても何の意味もないどころか、傷口に塩をぬる行為だと、私は気づきました。
エラーをした選手の立場になって考えてみる。
かつての私もエラーを何回もしました。
そして、怒られていたことを思い出します。
その時、どうして欲しかったか?
何を言ってほしかったか?
自分自身に置き換えてみる。
覆水盆に帰らず。
やっちまったことはもう戻せません。
あわわわと心理的に慌ててている。
その時に何を言って欲しいか?
私は、「大丈夫だ!」の一言だと思います。
チーム的には大丈夫じゃありませんが、カラ元気でも大丈夫だといってみせること、
このひと言でその子は、チームは救われます。
怒りちらして、さらに萎縮させるのは逆効果。
がっとばすなど、愚の骨頂。
指導者として、自分が無能だと言っているのと同じだと気づきました。
それよりも、「大丈夫だ!」のひと言で、その子もまわりの選手たちも救われるはずです。
まだ、試合は終わっていません。
ひとつふたつのミスで、崩れるわけにはいかない。
怒って萎縮させて、自分から崩れるわけにもいかない。
選手と指導者、お互いに足の引っ張り合いはやめです。
立ち直ってもらう!立ち直らせてみせる!
鼓舞、激励。
「下を向くんじゃねえ、バレーは常に上を向くスポーツだ!」
とハイキュー!!の鵜飼コーチも言ってます。
これこそ、指導者の役目でしょう。
エラーをした子も、そのまわりの選手たちも、次の瞬間から私ではなく、プレーそのものに集中するようになります。
それでいい。
こっちを見る必要などない。見なくていい。
今この瞬間、このプレーに集中しろ!
「あとは、お前に任せた!」
この言葉に、すべてが集約されていきます。
大事なのは、信頼して、任せることだったんですね。
私は、この任せたという言葉、かっこいいと思ってよく使います。
大事な場面で、
「タカヤ、後は任せた!」
「ユウキ、任せた!」
「レン!後は任せた!」
数々の任せた、後は頼んだという言葉。
かけた選手は、黙ってうなずく。私もうなずく。
これだけでいいんです。
お互いの信頼をこれほど表現できる場面はないと思います。
かっこいいでしょう!
これが、気持ちいい。
打てばさらに気持ちいい。
任せることで、選手は自分自身で戦います。
私たちは背中を押すのみ。
そうすると、周りをみて、考えるようになります。後ろ向きではなく、前向きな姿勢。
そして何より、お互いに気持ちいい。
選手を、単なるコマとして見ない。見れなくなりました。
これまで何をがんばってきたか?
練習で1番近くで見てきてた我々が1番知っているはずです。
バットを少し短く持ってる。
守備位置をきちんとバッターによって変えている。
練習の時にアドバイスしたことをちゃんと自分に落とし込んでいる。
選手の細かい動き、違いに気づけるのは我々しかいません。
ひとりひとりにドラマがあり、ストーリーがあります。もはや、全員が「推し」となります。
その「推し」に大丈夫と声をかけること、それは私自身にも、チーム全体にも大丈夫だということと同じなんですよね。
そして、お互いに向き合って、目を見て大丈夫、まだやれる、へこたれるなと確認すること。
私は、ようやく気づきました。 
信頼しあうことの気持ち良さを。
選手たちに後顧の憂いなく、前だけ向かせることの大事さを。
そうすることで、彼らの力を100%,120%引き出せるということを知りました。
空をみる余裕ができました。
あの風を感じる余裕ができました。

そうなると、不思議に勝ち始めます。
自分たちよりも強いといわれる相手であっても、いい試合をするようになります。
勝っても負けても気持ちいい。
無論、後ろ向きな負け方、準備なしの無策の負けはとことん怒ります。がっとばします。
しかし、全力を尽くして負けたなら、負けても気持ちいいんです。
負けても、次にどうしたらいいかを考えると前向きな負け方。
勝っても、負けても前に進む。
この考えが「ミッションチャレンジ型のスポ少」につながっていきます。
勝ち負けの結果、ヒット三振の結果、
それよりも、どうやって自分の課題に向き合ったか?を重視する。
これが、子供たちの力を、段階的に伸ばしていく、最善の道だと私は思っています。

少しずつ、少しずつ成長していけばいいんです。
かつて、旭スポ少時代、秋の新人戦から、春の総体、夏の白獅子、秋の美里親善まで、一回も勝ったことがなかったチームがありました。
練習試合でさえも勝てない。
6年生がたったひとり、ナオヒロ世代。
端から見れば、暗黒時代。
しかし、キャプテンとして彼はやり抜いた。
負けて、負けて、負けまくっても彼はグランド立ち続けました。
何回もコールドで負けました。
負けて、1番怒られるのもキャプテンです。
それでも彼は最後まで、やり抜きました。
何が、彼をそこまでやらせたのか? 
今となっては、本人に聞くしかありませんが、おそらく「意地」だったと私は思います。
たとえ何回負けてもやり通す。
何回も心が折れたでしょう。
しかしその都度また立ち上がる。
その意地。
そして、それを支えた保護者の皆さんもたいしたもんです。
そのころの私たちには、明るさがありました。
負けつづけて投げやりになるところですが、また明日があるさと前を向く。悲壮感がなかった。
負けた試合の中に、いいところを見ようとしていました
あの頃は勝っても負けても、焼き肉をやって反省会を親子でしていました。
勝ち負けも大事ですが、ソフトボール自体をみんなで楽しむ、そんな姿勢だったからこそ、一回も勝てなくても最後まで続けることができたんだと思います。
あの頃の保護者の皆さんには、
「監督!まだスポ少やってんかい?今年のチームはどうだい?」といまだに声をかけてもらってます。
ありがたい。
まだ、つながっていてくれます。
負け続けたキャプテン、ナオヒロは自分の好きな道を突き進み、水産系の仕事に就いています。
あの頃、私たちは負け続けていても、決して卑屈にならず、一点とったら、勝ちだ、ヒット一本打ったら焼き肉だとか、
逆境の中にあっても楽しむこと、しぶとさ、したたかさを学んだと思います。
勝てば万々歳のどんちゃん騒ぎ。
スポ少に限らず、勝ち続けることなんて、できないんです。ミスもするし、負けもします。
負けたとき、負けそうになるとき、その時どうするか?
ここにその人の生き方、本質がでてくると思います。
あたりちらすか、落ち込むか?
流れる時間は同じ。
であれば、その負けさえも楽しむ。次に活かす。ここがスポ少でサポートできるところです。
その命脈は間違いなく、あの時のキャプテン、ナオヒロの中に生きていると私は信じています。

そして、このカナト世代。
彼らの進む道も険しいことはわかっています。
何回も何回も地べたに顔を押さえつけられるでしょう。
しかし、あの時のナオヒロのように、折れた心を何回も何回も鍛え直して、立ち上がることを期待しています。
高田イーグルスが、竃門炭治郎と重なるんですよねえ。
そして、いつかみんなが心から笑顔になれる勝利をつかみ取って欲しいと思います。
さぁ、また明日からがんばっていきましょう!




いつのころからか、勝利への執着心のようなものがなくなりました。
まったくなくなっと言えば嘘になりますが、無理をしてまで勝たなくていいんじゃないかと思うようになってきました。

それが表にでたのが、今の中学2年のユウキ世代の県大会の時だと思います。
あの世代、総体、雨の須賀川も、白獅子、灼熱のいわき新舞子も、どっちも我々を県大会へ連れて行ってくれました。

県大会、出会う敵は強敵ばかり。
長沼さん、中山さん、天栄阿武隈さん、桜さん、県大会で戦ったのはこの四チームだと記憶しています。どのチームも強いんですよねえ。
しかし、美里イーグルスもがっぷりよっつのいい試合をするんですよねえ。
お互いに素晴らしいプレーの連発。 
あまりにいい試合になるので、両チームをたたえたくなる。 
こんないい試合をしてくれて、ありがとう。
自分のチームだけではなく、相手チームの選手でさえもほめたたえたくなるんです。
そして、どちらにも勝たせてやりたいと思ってしまう。
こんなに、いい試合ならば、勝っても負けても本望。
俺たちは全力を尽くしている。
その上のミス、エラー、三振ならば、仕方のないこと。
だから、失敗を恐れず、全力でチャレンジしていけ!
お互いのチームの選手、控え選手、保護者、みんながいろんなものを抱えてチャレンジしているんです。
それが表情に、プレーに現れている。
それに気づいたとき、熱闘を繰り広げるグランドにたつ私の頬に、静寂の風が吹きました。
いい風だ。
みんながんばっている。
敵味方関係なく、みんないい顔をしている。
ソフトボールはやはりいいな、とかっこつけてみる。
お互い一生懸命のプレーの積み重ね、その延長線上にあるのが勝敗だとする。
そうであるならば、勝ち負けどっちでもいいや、と本気で思いました。

思わず、
「いいぞおめぇら!やれぇ、やれぇ!勝っても負けてもどっちでもいいぞぉ!」と叫んでいました。
すかさず、隣にいた今のコジマ監督、当時コーチに
「監督!みんな勝ちを目指しているのにそんなこといっちゃだめですよ!」
とたしなめられました。
しかし、あれは私の本心からでた言葉です。
それがずっとひっかかっています。

もちろん、スポーツは勝負ごとなので、原則勝ちを目指します。
しかし、勝つことがすべてではない。
勝つために手段を選ばない、とかという勝利至上主義は捨てます。
負けていいとはいいません。
この場合の負けとは、無策の、準備無しの、建設的ではない、後ろ向きの姿勢、それが負けです。
だけど、一生懸命に準備をして、全力でチャレンジして失敗して負けたなら、それでいいじゃないですかね。

私は負けたことよりも、
ちゃんと準備をして、全力で挑戦したことを褒めたり、その時何を思って何をしたのかを追求していきます。
今のプレー、どんな準備をしたか?
その準備の何が良くて、何がだめだったか?
そして、実際のプレーにも、何が良くて何がだめだったかを検証して、次に活かしていく。

ひとりひとりの課題=ミッションに、当てはめていく。
そして、チーム全体でも検証していく。
勝ったならなお良し!
それで、負けたとしてもそんなに悲観する必要はないんです。
負けても死にやしないし、この世も終わらない。
そんな燃え尽き症候群の予備軍になんてなることはないんです。
いったんは落ち込む。泣いても、悔しがってもいい。
だけど、すぐに次を目指して、どうすればいいかを考えて行動に移す方がいい。

試合の勝ち負けよりも、そこにいたる過程での、小さいミッションの成否、いかにして挑戦したか?ということこそ一喜一憂していきましょう。
プレーに関することはもちろんです。
バントができた。
タッチアップができた。カバーができた。
それだけではありません。
ちゃんと声を出せた。
ちゃんとコーチャーに入れた。
ちゃんと事前の打ち合わせの声がみんなで出せた。
ちゃんと試合の道具を自分で用意できた。
控えの子も含めた、子供たちのそういう名もなき小さなミッションの成功を褒め称えましょう。
できないなら、なぜできなかったかを検証していく。
その積み重ねこそが、高田イーグルスを本当の意味での勝利に導いてくれるはずです。

試合は勝敗を決める場所でもありますが、
いろんなことを全力でチャレンジする場所だと、今の私は思っています。
そう考えるとわくわくする。
失敗してもいい、この一言で救われる人もいるでしょう。
何でかんで勝たなくてはいけない場ではない。
小学生のうちはそれでいいと思ってます。
勝ち負けは後からついてくる。
勝ったならラッキー。
負けても、すぐに次を見据えます。
そういう意味で、私は「ミッションチャレンジ型のスポ少」を目指しています。

ひとりひとりのミッションチャレンジ。
チームとしてのミッションチャレンジ。
刻々と変わる状況を加味して、そのミッションチャレンジは変化します。
そのバリエーションを増やしつつ、思い浮かべた作戦やシフトを遂行できる実力も徐々につけていく。
今の自分に何ができて何ができないのかを知る。
できないことを見つめることって、けっこう大事です。
過去と現在の自分を、チームを分析する。
そして、今後近い将来、遠い将来にどうなりたいかを思い浮かべる。
小さい課題、ミッションを少しずつ積み重ねていく。
自分自身に対する自信という鎧を身につけていく。

勝ちは、その先に結果としてあるもの。
自分がチームのために、何をやるべきか?何をしてきたか?
そして、全力でチャレンジしたか?
それを重視する。
私が今現在、たどり着いているところは、ここです。
その心境になると、あの雨の須賀川、灼熱のいわき新舞子で私の頬を流れた、あの静寂の風がパノラマで包み込みます。

勝ち負けにこだわるな。
失敗を恐れず、全力でチャレンジする、その姿勢をみろ。

そうなると、すーぅっと肩の力が抜けます。
試合にではなく、子供たちに真正面から向き合うことができる。
それは相手チームの選手たちへのリスペクトにも通じます。

一生懸命にやったならば、それでいいじゃないか!
今後もこの姿勢を貫いていきます。

「シュンペイ、レオ、マナト!三振してもいい、全力で振れ、一撃にかけろ!」
「ユナ、ユウキ!打たれてもいい、全力で投げろ!」
「レン、タイチ、コタロー!エラーするのはいい、全力で準備しろ!」

「結果を恐れるな!全力で挑め!」

この先も何回も言い続けていきます。
さて、マナト編の続きです。

昨日の六年生のみの打撃練習。
普段行っている練習、ただのロングティーバッティング。
その中で、マナトの打撃フォームを見たときに、鳥肌か立ちました。
音が違う。
打撃音が違います。
バットの振り方が違いました。
チカラがある!
バットの遠心力を使って振っています。
そのため、かつての手打ちの打球よりもはるかに速く、力強い放物線、というよりライナーが軌道ラインを描いていきます。
それが意味するところ、すなわちスウィングスピードが格段に速くなっています。

ホームランキング、タフィーローズ。 
足をぴったり並べた、突っ立ちのスタンス。
これだけでは、打ちそうな雰囲気はまだありません。
あえて、日本のセオリーに反発している構えです。
完全に始動が遅れます。
目線も上下します。
タイミングも遅れやすくなるでしょう。
デメリットの方が大きい。

しかしそのリスクを取ったとしても、軸足に全体重をのせるという、たった1点のメリットを、マナトは選択します。

そしてさらに、彼ができなかったタイミングの取り方、それもまたセオリーに逆らった、
まさかのテイクバック、
手首を下げてとる方式を採用しました。
それが、ことのほか上手く機能しています。
自分のものにしつつある。

マナト、彼にかぎらず、小学生の中学年、高学年は人生の中でわずかな期間しかない「ゴールデンエイジ」のまっただ中です。
運動神経はもちろん、反射神経、視神経などあらゆる器官がとんでもなく、内部要因でも外部要因でも発達するエイジです。
おそらく、原始の時代から、人間としてこの世に生を受け、ある程度脳も発達し、まわりとコミュニケーションがとれるようになってきた、この時期に生物として生き残るための運動能力に必要な神経系の発達があるんだと思います。
骨も太くなり、筋肉も発達しつつある。
そこに神経系の発達が追いつこうとしてるのだとと思います。

ゴールデンエイジ。
マナト、なんとか、そこに間に合った。
彼は今、自分でタイミングをとるコツを徐々につかみつつあります。
私の投げるコース、速さに対応してタイミングをアジャストさせています。
第1に、突っ立ちスタンスでだいぶ高いとこから体重を軸足にのせるということができてきています。

第2に、その乗せた体重を向かってくるボールに合わせた独特のテイクバックを取ることにより、ボールと出会うインパクトを自分でアジャスト出来るようになってきました。

そして第3に、取っておいた体重をタイミングよく、バットにのせる、こめることが出来るようになってきました。ためたエネルギーに遠心力をプラスして、スウィングに乗せてきている。
これができるようになってきました。
それを私が確認したのは、昨日のマナトの今までにない、きれいなフォロースルーを見た時でした。
「あっ、できてる!」
それと同時に背中が弓なりに反っている。
それは、下半身と背筋、腰の回転を使っている証(あかし)なんです。
間違いなく遠心力を使っています。
回転の最後にバットの重みを感じているからこそ、フォロースルーの最後に左手に名残惜しいようにバットが残ります。 
野球人の多くがわかるであろうフォロースルー。
これがきれいになっている。
いままでの、上半身がつっこんだ漢字の「入」みたいな形になっていない。
それを見たときに、鳥肌がたちました。 
成長の証が、きちんとライナーとなって現れています。今までのマナトの打球ではありません。
そういや、ナイター紅白戦でもあんなにびびっていたユナの球に対して、果敢に立ち向かっていっています。
私は「10回に1回に当たればいい!三振を恐れるな!」この言葉を応援として添えて背中を押します。


あぁ~、マナト。
お前も大きな壁を乗り越えてきたか!
抱きしめてやりたくなりました。
それでも、トスを上げ続けます。
いいぞ!いいぞ!すごく、いいぞ!
それが、私とマナトのソフトボールという共通言語なんです。

いままでにない打球をポンポン飛ばすマナト。
自分自身にびびってることでしょう。
ボールを自分の間合い、インパクトで捉えた時の気持ちよさ。
あのなんとも言えない、軽い感触。
気持ちのいい打球音。
あそこそが、野球の、ソフトボールの一番の面白さだと、私は思います。
マナト、彼はその面白さの世界の扉を開けました。
ただまだまだ初心者、試合で打ってこその成功です。それを早くチャレンジさせてやりたいところです。

思うに、いままで彼がふてくされたり、マイナスの態度を表に出していたこと。
それは、周囲の過剰な期待がプレッシャーになって、かえって上手くいかない原因となってきたからだと思います。 
できないことを上手く消化できなかった。
それがあの態度となって現れていた。 
そうすると周りから浮く。
さらに態度が悪くなる、この悪循環がどんどん、彼を卑屈にしていきました。
それをマナト自身もわかっていたはずです。
でも、どうしていいかわからなかった。
それは周り、我々指導者も保護者もチームメイトでさえもそれは同じです。
接し方が難しい。
そのマイナスのどつぼにはまっていく。
うまくいかない。
一生懸命にやっているのに、うまくいかないし、重要なポジションももらえない。
だからこそ、マナトはぶすくれていたんです。
そのぶすくれは、周りへのとんがりではなく、助けてというサインだったんです。
それをどうしていくか?
私が達した結論は、マナトのプレーそのものを上手くいくようにするしかない、でした。
プレーの失敗は、プレーでしか取り戻せない。
周りを、実力で認めさせるしかありません。
そのためには、あれもこれにも手を出さないで、一点集中。
マナトの最大の長所をいかす場所=バッティングを強化しようと思いました。
それがここにきて、開花しつつある。
その手応えを私は昨日のロングティーで感じました。

上手く、できるようになる。
この最初の小さな成功体験が、のちの大きな自信を育てていきます。
マナト、いい笑顔なんです。
自信ほど自分を支えてくれるものはないでしょう。
ユナとペイのバッテリーもそうですが、子供たちが自信を持ったときほど、「あぁ~、気持ちいなぁ~。」といい笑顔に成ります。
笑顔は強い!
追い風、破顔。それがまたいい笑顔なんです。
快音を飛ばしていくほど、いい笑顔が後からついてきます。
二本柳のナイター練習。
漆黒の空に、マナトの飛ばした白いソフトボールがライナーを描きます。
自分が快音を飛ばしているという事実。
みなぎる自信が、マナトをさらなる高みへと連れて行ってくれます。
なにより、バッティングをしてる、マナト本人が楽しそうです。
自分の打球にほれぼれしている。
それでいいんです。自己満足最高! 
もっともっと、打たせてくれ!と言っています。
彼は今、自ら工夫してバッティングをしています。
その主体性こそ、上達の近道なんです。
私たちが教えたいのは、まさにそこなんです。
上手くなりたい!そのためにはどうしてらいいか?それを自分自身で見つめ直してみる。
その上で、われわれのような大人を利用していいんです。


それをみて、冒頭の「メキメキ」という言葉が踊ります。
彼らは、メキメキ上達しています。
たしかに、コロナは彼らから多くの機会を奪いました。
しかし、ソフトボールの面白さ、仲間とやるソフトボールの面白さは奪えない。
彼らは、コロナをいいわけにしていません。
昨日も書きましたが、コロナがあったからこそ、向きあえた、だからこそ上達した。
どんな状況であろうと、とことん楽しむ。
楽しむことこそ、上達することなんだと彼らのプレーが言っています。

また子供たちから教わりました。
教えてる我々の方が、教わっている。
この真理は何年やっても変わらぬ真理です。



さて、メキメキという言葉が合う6年生がもうひとり。

そのひとりは、マナトです。

ここ最近、マナトには打撃と投球フォームに関して、具体的な指示を出してきました。
打撃ついては、自分の長所を生かしたスウィングをすること。
彼の長所、筋肉量。
言い換えれば、パワーです。
そのパワーを投げるときも、打つときもいかしきれていませんでした。
投球フォームは上半身のみの手投げ。
打撃フォームも上半身のみの手打ち。
捕球も体の中心で捕ることなく、グローブさばきのみ、小手先のみなのでポロポロ落とします。
これはあかん。
もったいないなぁと常々思っていました。
ことあるごとに、そこを指摘してきました。

キャッチボールにて
私「マナト、(捕球は)両手っ!」
マナト 憮然として、ぶすくれた様子。
そういや、以前レフトの守備位置を指摘したとき、激高してグローブをぶん投げて、そのグローブをふんづけていましたねぇ~。
これも奴の悪いところなんですが、まぁ、こういう態度になる理由もなんとなくわかるので、ここはすきにさせます。

打撃練習にて
私「マナト、フォームなんてどうでもいいんだ。とりあえず、お前の体重を使え!バットに体重をのせろ。のせろというか、こめろ。」
マナト 何を言われてるのか、いまいちわかってない様子。
それでも、私の指示で、元近鉄のタフィーローズのようなスウィングに近づけようと苦心していますが、なかなか上手くいかない。

私から見ていても、不器用なタイプだと思います。
そして、素直ではない。
そして、すぐに忘れる。
1番悪いのは、くさった態度を外に出してしまうことです。まわりの雰囲気を悪くしてしまう。
この傾向は、タイチ、コタロー、そしてキャプテンのレンにも言えることです。
まだまだ、みんな幼い。
自分の心と向き合うことができないから、外に出してしまう。
心のダムが浅いんです。
だから、漏れてしまう。あふれ出てしまう。
今の時代、それを無理に押さえるなといいますが、それも保育園が小学校低学年まででしょう。
勝負事のスポーツとして、チームとしての一緒に戦っていく上では、それは許されません……というのが、建前ですが、人間みんなそんなに上手くは出来ていません。
なので、小学校6年になっても、ふてくされ、あきらめ、弱音、嫉妬などの悪い思いを態度に出してしまうのは仕方のないことなんでしょう。
それを、いったんは引き受けます。
しかし、それをわかったうえで、練習や試合の中で、その弊害を教えていきたいと私は思います。
マイナス思考は間違いなくチーム内に伝染します。
チャンスは準備された心に降り立つ。
ハイキュー!!でも言ってますね。
自分のやるべきとこを放棄したり、途中で投げ出す奴には絶対奇跡は起こりません。
しかし、マナトもタイチも自ら、その奇跡を体験していないと思います。
実体験がないから、実感がわかない。
だからこそ出る弱音、あきらめ、ぶすくれ。
彼らがそう思うことは誰にもとめられせん。
ただ、それを表に出すかどうか、それは彼ら自身が決めることができます。
メンタルマイナスストッパーを彼らの心の中に育てていくことにします。
前にも書いていますが、息子たちと同じように、彼らと私の間には大きな意味で同じ目的意識でつながれたソフトボールという共通言語があります。
ソフトボールの指導者だからこそ響く言葉。
この多感な時期にスポ少をやっているからこそ響く言葉。
それが確かに存在すると私は信じています。
練習や試合のプレーの中で、諭す。
お互いの信頼関係の中だからこそ、すっーと入っていくことを願って。
それでも何回も何回も言い続けます。
無駄ではないんです。
砂漠に降る雨のように、最初は浸透してしまったとしても、何回も何回も降るうちに、コケになります。
そのコケが大きくなり、ゆくゆくは土となり、最後にはオアシスになる。
私たちが毎回やっている練習とは、そういう壮大なことなんです。
地球の温暖化に抗うことと同じなんです。

そうやって、まいてきた水が、種が、花を咲かせて実となるとき、その時こそ、われわれ指導者がガッツポーズを心の中で、ひとりでしていい時なんです。
誰かが言ってましたね。
菊作り、菊見るときは、陰の人。
その陰で、ひとりほくそ笑む。
「よし!いいぞ!マナト!やっとわかってきたな!」
最近の私は、その心の声が漏れているときがあります。

ここで、やっとマナトに笑顔が戻ります。
できない、彼はそこで立ち止まっていました。
どうやったら、できるか?そこに踏み出せてなかつた。
きっかけ、なんですよね。
我々が砂漠にまいている水は。
マナトにとってのきっかけ、タフィーローズ打法が彼を、もう一段上に押し上げました。
上にいけばいくほど、見えてくる景色が広がり、変わってきます。
心も強くなる。
私とマナトの小さな勝利です。
まぁ、誰とも戦ってないんですがね。
とりあえず、勝ったと言っておきましょう。
その方が気持ちいいので。

マナト編、次回に続きます。
メキメキという言葉が似合う六年生がいます。

ここ最近、成長著しい一人と二人。
今回は、その内の二人、バッテリーについて書きます。

新人チームが上向き傾向であることは、先にも書きました。
それに刺激されてというか、その少し前からなんですが、今年のエース、ユナのコントロールが格段に良くなってきました。
紅白戦をやるようになって、これまでの、高く浮く球が少なくなってきています。
スリーボールからの簡単にファーボールを出さなくなってきてきているのも賞賛に値します。
ねばりがでてきた。
いい、いいんです、ユナが。

なんで、いきなりそうなったんだろうと考えます。
いきなりではないですね。
コップに水をはった表面張力のように、粘りに粘って、やっとのこと溢れるような成長曲線。
今は、やる気と覇気がほとばしっています。
あぁ~、他のチームと試合をやらせてやりてぇ!
そんで、もっともっと二人に自信をつけさせてやりてぇ~!
この思いは日々強くなっています。

こうなるには、家族との努力もあったでしょう。
宮川小学校のグランドに映る影が3つ。
その影が長くなり、消えゆくまで投げ込みを続けていたに違いありません。
ユナは、兄貴の背中をみつつ、ご両親と努力を続けてきました。
ここにきて開花しつつあります。
それもしかり。 
それを認めつつ、私が思うにもうひとつ要因があります。

それは、キャッチャーとの信頼関係です。
最近のシュンペイは止めまくります。
ユナのどんなワイルドピッチであろうと、止めまくります。
平泉の武蔵坊弁慶ばりに止めまくる。
ユナの球はここ最近、スピード、球威ともに男子顔負けの威力です。
それが、シュンペイが要求したコースにくるとは限らない。
ホームベース付近でバウンドしたものなら、キャッチャーは体で止めるほかにありません。
ちょっと前のペイ(=シュンペイ)なるば、グローブさばきのみで捕りにいっていましたが、
ここにきて、体を移動させてなるべく正面でとれるようにしています。そしてなおかつ、体全体で、ぬりかべのようにブロックをかけます。
体に当たることを怖がらなくなりました。
これは新人チームのキャッチャー、トウマにもいい影響を与えています。
ペイを見て、トウマもブロックを覚え始めました。
目の前に先輩という教材がいる。
そこから吸収していくという形ができている。
これもうれしい副産物となります。
余裕があるんです。
だから、バッターを打ち取るための配球にも気を使える。
中学生や大人を相手にしての、最近の組み立ては見事です。
そのペイの後ろで主審をしている私むかって、軽口をきく余裕さえ見て取れます。

どんなボールでもキャッチャーが捕ってくれる。
ピッチャーにとって、これほど心強いキャッチャーはいないでしょう。
だから、ユナも全力で腕が振れるんです。
もはや、ファーストミットでは手が痛くて捕れません。
キャッチャーミットでなければ無理。
女子のエースもいままでいませんでしたが、
歴代の女子のピッチャーでも一番速いと思います。そして球質も重い。
そのエースを、エースたらしめているのは、間違いなくキャッチャーのシュンペイです。
かつて、ノーコンのユナに対して「もぅ、やだぁ~。」と女々しく悪態をついていたペイはもういません。
あんときは、お互いにこのやろーちゃんとやれよという空気が強くて、ふたりでどんどん沈んでいきました。雰囲気悪かったもんなぁ。
あのころの二人はもういません。
というか、あの頃があったから、今があるんです。
すがすがしいほど、お互いを補強しあっています。
最近のユナは気持ちよさそうに投げます。
シュンペイのミットもぱち~んと気持ちいいほどいい音を奏でる。

ユナとシュンペイのバッテリーが黄金期を迎えようとしています。

こういう光景に目を細める。
指導者冥利につきます。
なのに、試合がない・・・という現実。かなしい・・・

しかし、このバッテリーにとっては今はどうでもいいことなのかもしれません。
キャッチボールが終わって、一番最初に打撃練習を終えて、投球練習に入る。
以前は、投球練習にいくのもおっくうそうでした。特にペイが。
しかし、今は嬉々として向かいます。
構えたところにビタリとくる。これほど気持ちいいことはないんでしょうね。
いろんなバリエーションを試そうとしています。
この二人で投げることができること。
今のふたりは、それが楽しそうです。

ふと考えてみる。
万事が塞翁が馬のプラス思考。
コロナがあったからこそ、きちんと向き合えたのかもしれません。

コロナのせいにしないぜ。

ぱち~んという気持ちのいいミットの音。
このふたりが奏でる音はそう言っているのかもしれません。

今日の練習も紅白戦を行いました。
その中で、気づいたこと。

このチームの声には意思がない。考えがない。
この声は、ただ出しているだけだと。

この新人チームの声は、確かに、はた目には声が出ているように聞こえます。
しかし、その実、チーム全体の意思統一の声ではないなと思いました。
今日の紅白戦を見ていて、わかる人にはわかったと思います。
声の出すタイミング、
そして作戦を伝える手段としての声、
その時その状況のチームとして、どう動くかというコミュニケーションが図れていない。
それを露呈しています。
だから、打たれるとどこに投げていいかわからない。どう守っていいかわからない。
個人判断で動いていました。

ただでさえ、個別にあたっては強大な敵にはかなうはずもありません。
しかし、試合にでている九人ひとりひとりの力を結集する。
もてる力を一点集中する。
そのさきがけこそが、「声」なんです。
バラバラの考えではなく、意思を統一して、効率よく動くこと、これを作戦やシフトと言いますが、プレーの前に「声」に出して各自の動きを確認するだけで、ぐーんと違います。
あっ、あの時のあれか!
こういう場合、俺は何をするんだっけ?とシミュレーションしておく。
これだけで、ぐっとミスが減ります。
弱いチームほど、これをやらなければいけない。
これって、野球をやってきた人、スポーツをやってきた人にはすぅーっと入る言葉だと私は思います。
この事前の準備、大事ですよね。
ここにはセンスや感覚が入る余地がありません。
練習の積み重ねで手に入るスキルです。
ここは凡人でも天才に勝てるところだと思います。


チームとして戦う。
ひとりでアウトをとることがほぼない、ソフトボールだからこそ連携が大事になってきます。
ゴロをアウトにするには、捕って、なげて、また捕ってというチームプレーが必要になってきます。
なのでなおさら声は必要になります。
プレーの前段に「声」による意思統一ができる。
これがチームとして戦う気持ちよさでもあるんです。
これが、まだまだ新人チームには出来ていません。

まずは、状況を把握すること。
アウトカウントは?点差は?ランナーはどこいる?ストライクカウントは?ボールカウントは?

そして、次にどうするか?
どこでアウトをとるのか?
場合によっては、一点をくれてもアウトをとるのか?

そのためには、どう動くのか?誰がどう動くか?

他にもいろいろありますが、
チームとして、ひとりひとりが同じ目的で動くことができるかどうか?
それができてこそのチームなんです。
ここまでくるとチームプレーの面白さがわかってくるでしょう。
そうなると、どんどん強くなります。
そのためにも、考える声を発していくように訓練していく必要があります。

自分たちが思い描く「型にはめるプレー」。
これを全員で共有するには、やはり声が必要となってきます。
声というコミュニケーションツールこそ、古来、人を人たらしめた最強の武器です。
彼らはまだそれを使いこなせていません。
残念ながら、まだ使いこなすという域に達していないということです。 

一生懸命さが声に現れています。
彼らの声は、がむしゃらという表現が1番しっくりきます。
元気がないよりは全然ましです。
こんなやりとりもありました。

私「カナト(キャプテンで一塁手)!ツーアウトだから内野ボール、ファーストといって事前にどうするかをみんなに声をかけろ!」

カナト「はい!」

私(どうやら、わかったようだな。)

次の瞬間
カナト「さぁこっ~い!」(それに合わせて全員がさぁこっ~い!の大合唱)

私(ガクッ↓)


一心不乱の大合唱。
蟷螂(とうろう)の斧。
私はこれを見て、小さなカマキリが人間にむかって、鎌を振り上げて威嚇する様を思い出しました。

いいじゃないですか!
面白い!
武器は、さぁこっ~い!の大合唱のみ。
しかし、声を出しつつもカナトは時折笑顔も見せます。
大声が笑顔も連れてきてます。
声が余裕を生んでいます。
それが少しずつ伝染しているようです。
もうひとつ武器がありましたね。
ミソラとトウマのバッテリーの切れ味も良くなってきました。
世の中は、もしかしたら、と、まさかの、オンパレード。プラスに考えた方が物語としても面白い。

今週末は、いよいよ全国大会まで通じる新人戦があります。強敵ばかり。

蟷螂で、上等です!
思い切り、ひとつ覚えのさぁこっ~い!の大合唱を貫いてやりましょう。



≪  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  ≫
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
フリーエリア
プロフィール
HN:
高田イーグルスコーチ
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]