インフルエンザで今週いっぱい練習を見送るそうです。
かくいう私も風邪気味。
体調管理はしっかりやっとかないと。
しっかり食べて、寝ること。あと風呂上りも危険です。
即、あったかい格好をすること。
いまんところ、家族全員大事ないですが、子どもがなるとかわいそうでしょう。
前にケガをしない才能と書きましたが、病気にならない才能のほうが大変なような気がします。
いきおいとどまるところを知らずってとこですか・・・インフルエンザ。
このままですと、保育園のお遊戯会も危ぶまれる。
やや過剰な反応だと思うのですが、責任者の立場になると自分もその選択をすると思う。
君子危うきに近寄らず。
石橋をたたいて歩くような用心深さが必要。
さて、考えた室内練習。
「メンコ」
小学校のとき、牛乳瓶のふたでメンコをやったのを思い出した。
いろいろネットで調べてみるとその効果は
肘が下がらなくなる。
これが一番のメリットでしょう。
あとは、肩、肘、手首、指先の連動した動き。
しかも、知らず知らずに身につく。
中学、高校ならまだしも小学生には理論や理屈では通用しない。
こうやってやればうまくいくという実践が一番効果的だ。
しかも楽しい。
一人に3枚ぐらいずつもたせて、制限時間内に何枚獲得するかを競わせる。
これは熱中するでしょう。
と思ってネットを調べて買ったのだが、どこかへやってしまった。
探さねば
インフルエンザの波が・・・
今週の練習は中止です。
15日の廃品回収&芋に会ももしかして・・・
こればっかりは仕方ないか。
頑丈な大人でもなると非常に厳しいですからね。
嵐の過ぎるのを待つ。
なにか効果的な室内練習法でも考えましょう。
人をやる気にさせること。
モチベーションの維持。
これを維持していくことは思いのほか難しい。
たとえば、ダイエットとか、禁煙とか
思い浮かべるだけで難しい。
大人でも難しいのに、ましてや子どもにとっては・・・
特に冬期間は、グランドに出れず、室内練習になる。
地味で地道な反復練習。
自分の目指すべきプレーが、実際にできないのはストレスとなる。
人を一番上達させるのは、本人のやる気。
どうやってそれを維持していくか。
この練習は、何のための練習で、実際にはこういうときに役に立つ。
(本当は、これをグランドで実践して初めてその効果を知ることができるのだが・・・)
これをとうとうと説いていくしかない。
それとゲーム性やチャレンジ精神をあおるもの。
子どもはそういうのは大好きだ。それらをうまく混ぜ合わせながら春の到来をまつ。
この冬の優先課題は、投手力。とくにコントロール。
第2に守備。守備範囲の拡大=スタートの早さの向上。
第3に、バットスピードの向上。
これを念頭に指導してきたいと思う。
逆にえいえば、大事なところで結果を出せるように練習しているといってもいい。
その一瞬で報われるか、悔し涙を流すかが決まる。
その二つの差はどれほどか?
たいして違わないと私は思う。一生懸命さに大きな違いはない。
いっぱいに水の入ったコップ。表面張力で水はこぼれない。
たった一枚のコインでその状態が崩れる。
ほんのすこしの努力を惜しまないものが報われるのだと思う。
さてこの時期、われわれがグランドについたころにはもう太陽は隠れている。
できることは少ない。
そして、これから劇的な向上はほとんど望めない。
だとすればどうするか?
試合でおこるであろう出来事、場面を想定してシュミレーションを繰り返すのがいちばんいいと思う。
無死一塁。攻撃側の予想される作戦。盗塁、バント、エンドランなど。
それに呼応する守備側の動き。投手の心理。
どうすれば、最大の効果が得られるか?
守備側は、どうすれば最小の被害で食いとめられるか?
そのためには、どうするか?
状況を経験しているか、していないかでは天と地ほどの対応力が違う。
まったく同じ状況はつくれないとして、それに近い状況をシュミレートする。
どうすればいいかわからない不安な状況を回避するためには有効だ。
ただ、この練習はおそろしく効率が悪い。
試合形式で打者1人1人で消化していくために、全員が日暮れまでに経験できない。
だが、それをしてでも実戦形式だからこそ身につくものを優先したい。
同点の最終回、ノーアウト2,3塁とか、そういったぞくぞくする場面で自分たちの力をだしきって勝つために必要な練習。
勝負強さ。
うまれつき度胸のあるやつはいるかもしれないが、そこはこういったシュミレーションを経験させることである程度カバーできる。
見るならやっぱりうれし涙。
秋風、五丈原。
クライマックスは近い。
ケースバイケースの連続、それが現実。
打撃なんぞ、その最たるものだ。
風、天候、回転数、スピード、コースなどなど厳密にいって一球として同じ球はないだろう。
一球一球が毎回違う、まさにケースバイケース。
よって打撃で、もっとも求めれるものは対応能力、応用能力だと思う。
それと即応するための基礎基本。
スウィングスピードの向上、バットコントロール、選球眼など個々の能力を上げていくしかない。
応用とは総合的なもので、そういった個々の能力を磨くことで不測の事態に備えられる。
最近、イーグス メジャーチームの練習法に右打ちがあった。
ああやっぱり、そうなんだと思ったが、ある程度のレベルに達したとき、右打ちの練習は非常に効果が高いと思う。
右打者による右打ちの効果は、まずボールをひきつけて打つ。打たされるんじゃなくて、自分の間合いをつかむことができる。自然ボールを長く見ることができる。選球眼のよさにも繋がるんじゃないだろうか?
さらに体の開きを抑えることができる。前に突っ込まないで打てる。より体に近いところで打つことができる。
などなどがあげられる。
実践では、ひっぱっる場面も多いだろう、センター返しもあるだろうだが、あえて右に打つことで普段意識しないことをより意識することができる。それは、ひっぱる場面でもセンター返しの場合にも必ず役にたつ。
ここにきて、イーグルスメジャーチームはその効果が少しずつ出始めているのではないかと思う。
マイナーチームはといえば、まだその域までは達していない。
まだ思い切りかっ飛ばして、気持ちよさを追求していい段階。
少しずつ球を「とらえる」ということを実感させていきたい。
だが、いい意味で使われるときもある。
自分の立場とかを忘れ、一心不乱に取り組む。
毎回では困る場合もあるが、人間時としてそんな「いい馬鹿」をやっていい。
っていうか、馬鹿になれる人のほうが人間味があっていい。
守備練習。
打球が飛んだ瞬間に、あきらめてしまう。
やもすればノッカーに悪態をつく。
まだわかってないんだなぁ。
馬鹿になる気持ちよさがわかっていない。
まったく取れないボールだと思っても、全力でおっかける。
別にとるとらないの問題ではない。
気持ちの問題として、最後まであきらめないこと。それを植えつけるための練習。
人というのは面白いもので、気持ちがなえれば体はいい方向に動かない。
99%負けそうだと周りが思っていても、まだまだやれるとあきらめない。
選手があきらめたときに、本当の負けになる。
たとえ結果負けたとしても、中途半端でなげだす試合よりもよっぽど成長するはず。
限界を超えたとき、本当に苦しいときは、笑うしかない状況になる。
苦しくとも全力で走ることをあきらめるな。
その先にある「何か」は自分で確かめろ!
最初から、馬鹿になれるやつはいないし、人から言われてもそうなれるもんでもない。
いつの間にか馬鹿になってしまう。
全力でボールを追わずにはいられなくなる。
わがマイナーチームは、最初から「あっ無理だ」と思う段階から、少し上がって「いくだけいってみよう」と思う、その辺に今います。ゆくゆくは「絶対にとってやる」にまでいってほしい。
本気になるということはそういうことです。
昨日は練習休みでした。
休むこともまた重要。
うまく休息をとることは、怪我の防止、気分のリフレッシュにつながります。
陸上大会の練習など多忙な上学年にとって、いい休息であったことを願います。
さて、われらマイナーチーム。
土曜の敗北を反省し、前に進まなければなりません。
技術うんぬんよりも、まずは考えかた、高い意識をもつこと。
彼らの中にも、昨日の負けは少しは記憶にあるようです。そしてこのままではいけないという意識も。
いつものように練習前のミーティングでも視線が私に集中していることがわかります。
彼らに難しいことをいってもわかりません。
短い言葉で、わかりやすく、ときにユーモアを交えて、そしてゆるみっぱなしにならないように。
打順が8番までしか回らなく20点以上をとられて負けた事実。
自分たちが何をしていいのかわからないまま過ぎた1時間。打席でのあっという間の三振。
何事も経験です。
最初からうまくやれるやつは少ないでしょう。
問題はこれから、ここで考えて行動しないやつは進歩のない人間でしょう。
どうにかしたいと思うから真剣なまなざしになる。
なにも上手くなれといってるわけじゃあありません。
「真剣にやろうぜ!」といってるだけです。
打席でなにもできないまま終わらせないためにはどうするか?
トンネルしないためにはどうするか?
チーム全員のその積み重ねが勝利に繋がるでしょう。
彼らのけつをけりまくって(実際には声による叱咤激励),あおりにあおりまくってやったボール回しでちょっと真剣さが垣間見えました。
人に言われての真剣ではなく、自分からの真剣。
その種、いまだ開花せず・・・も、その兆候あり?
デッドボール。
当たった選手も痛いが、当てたピッチャー、守っているチーム全体にとっても痛い。
昨日の練習で、デッドボールがあった。
運動神経のいいやつでも避けれないものは、避けれない。
もろにくらった日には、悶絶ものです。
高校の時には、ただしいDBの当たり方っていうのがありました。
わざと当たれば、ただのボールになってしまうので、ただのやられ損。
あたりそうであたらなそうな球ならば、避け方!?で当たって出塁することが可能です。
たしかに汚いやり方かもしれませんが、こずるさも勝負の駆け引きには必要です。
どんな小さなチャンスも見逃さない。そこからビックイニングにつながる可能性だったあるのですから。
小学生には、まず正々堂々。だが、相手によっては、そういったこずるさを発揮してくる場合もあるので、そういう野球もあるということはわかっていなければなりません。
わかっているのと、わからないのでは、受けるダメージの大きさが違います。
プラス、マイナス両方わかっている。
その上で、正々堂々のプレー、プラスの力を発揮できるチーム、選手になってほしい。
自然、練習時間が短くなる。
六年生のシーズンの終わりが近いことを意味する。
いつもながら、この季節は複雑な気持ちだ。
残り少ないシーズンを6年生にがんばってもらいたいと思いながら、来期の構想を練る。
頭の半分では、6年生を追い出して、なき者として考えている。
まだ幼く、へたくそだった低学年のころから見てきて、感慨深いものがある。
うまくなったし、たくましくもなった。
彼らとまだまだ一緒に戦いたい。
だが、いつまでも一緒にプレーはできない。
それに落日の太陽が拍車をかけて気持ちを沈めようとする。
あきらかに頂点から坂をくだり、クライマックスに向かう。
彼らとの別れを確信しつつ、進むしかない。
願わくば、それが少しでも長いウイニングロードであることを願って。