時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
彼らの最後の戦いが終わりました。
美里親善大会で、高田スポ少、美里イーグルスそれぞれの単独チームとして、
関柴大仏杯で、高田イーグルスとして、
会津選抜チームで、小学校のスポ少として、
彼らと、そして彼らの保護者のみなさんのソフトボールスポ少がひと区切りつきました。
まずは、みなさん、お疲れさまでした。
長いようで短く、濃密な時間。
親子で、家族でこんなにも自分のこどもはもちろん、チームメイト、そのお母さん、お父さんたちとと向き合い、付き合った日々はなかったのではないでしょうか?
小学校のスポ少のいいところは、この距離の近さだと思います。
物理的にも心理的にもあんなにこどもの近くで応援することはスポ少ならでは。
今後中学生、高校と行く度に距離がなんとなく離れていく感覚が出てきます。子離れ、親離れしていくものなんです。
スポ少の距離の近さ。
こんなにも、親子で熱くなれるものはない。
もちろん、対価として、休日返上や泥のユニフォーム洗い、チーム運営、いろんな大会への派遣要請などほぼゆっくりと過ごす休日はなかったと思います。
しかし、今になって思うのではないでしょうか?
やってよかった!と。
子どもたちと、そのお母さんお父さんたちと一緒にやってきてよかったと。
私もみなさんとやってこれてよかったと思います。
彼らとだからこそ、
その親のあなたたちと一緒だからこそ、
これまでこのスポ少をやってこれたと思います。それは毎年同じ。
そして、同時にこうも思います。
もう、彼らと一緒に、あなたたちとはもう戦えないのだと。
この現実に思い知らされます。
それが悲しく、さびしい。
いわきからの帰りの車の中でこの現実を悟りました。
もうグランドで、あの声が聞けないんだ。
もうあのユニフォームを着て、強敵に立ち向かえない。
もう、あいつらの勝ったときの笑顔が見れない。
途端に流れ出す涙。
外は晴天ですが、涙で前が見えません。
車のワイパーなどきくはずもなく、40すぎたおっさんがひとり車内でむせび泣く。
寂しさに耐えられません。
そして思い出しました。
「監督、長い間お世話になりました。」
選抜の試合に負けた後、ユリアが言いにきました。
その時は試合の直後で、軽くおうと答えましたが、本当は何を差し置いても抱きしめて、ご苦労さま、俺こそありがとうと言わなければならなかった。
ユリアの目は真っ赤にはれていました。
彼の中のソフトボールが終わった。その実感が絞り出した言葉でした。
自分の浅はかさに自責します。
彼らと過ごした日々がパノラマで一気によみがえってきます。
ちびども、へたれ、生意気、自信満々、泣き虫…
そんな彼らが、エースになり、センタープレーヤーになり、スラッガーになり、キャプテンになる。
その課程を見てきました。見続けてきました。
失敗を励まし、対策を練り、怠惰を叱り、鼓舞してきました。
次に成功するように、次に負けないように、次に笑顔になれるように。
その傍らには常に見守り、背中を押し続ける家族の支えがありました。
練習日でない、宮川小学校のグランドに寄るたびにある、その複数の影。
毎日毎日の積み重ねが、彼らを育てました。
みんなでその成長を見守り続けてきた。
幸せな時間でした。
この先もまだまだ続きますが、ひとまず小学校時代はひとつの区切りを迎えました。
そして俺は彼らに何かを残してやることができただろうかと自問する。
そして、ユリアだけでなく、彼らからもらったものの方が遙かに大きなものだったことに、涙でくれる車内で気づきました。
もう一緒に同じユニフォームを着てグランドに立つことはできない。
緊張感が張り詰める中、お互いの目を見てうなずくだけで、何を考えているか、何をやるのかがわかるあの瞬間。
ひとりひとりはもちろん、全員がハブとなって同じビジョンを共有して、同じ目的をもち、同じ方向を向く。
確かに分かり合えたなと言う、あの一体感。
やばい、負けるかもしれない、
可能性は限りなく少ないのかもしれない、
だけど、俺たちはあきらめない。
ひとりひとりのベクトルは小さいけれど、いくつもが折り重なったときの力強さ。
岩をも砕き、強敵も倒し、チームのピンチを救います。
選抜大会で見せたソウゴからはじまる逆転劇、ヒカリの粘りに粘った後に放ったセンターへの逆転打。
間違いなく、チームがひとつになった瞬間、
私はいつもその瞬間を渇望しています。
今年の会津選抜もいいチームでした。
そして、高田イーグルスもいいチームだった。
あいつらと。あなたとソフトボールができない、悲しさがまた私を泣かせます。
あぁ終わったんだなぁ。
ついに終わってしまったんだなぁ。
ひとつの時代がまた終わりました。
スポ少の歴史がまた1ページ…
美里親善大会で、高田スポ少、美里イーグルスそれぞれの単独チームとして、
関柴大仏杯で、高田イーグルスとして、
会津選抜チームで、小学校のスポ少として、
彼らと、そして彼らの保護者のみなさんのソフトボールスポ少がひと区切りつきました。
まずは、みなさん、お疲れさまでした。
長いようで短く、濃密な時間。
親子で、家族でこんなにも自分のこどもはもちろん、チームメイト、そのお母さん、お父さんたちとと向き合い、付き合った日々はなかったのではないでしょうか?
小学校のスポ少のいいところは、この距離の近さだと思います。
物理的にも心理的にもあんなにこどもの近くで応援することはスポ少ならでは。
今後中学生、高校と行く度に距離がなんとなく離れていく感覚が出てきます。子離れ、親離れしていくものなんです。
スポ少の距離の近さ。
こんなにも、親子で熱くなれるものはない。
もちろん、対価として、休日返上や泥のユニフォーム洗い、チーム運営、いろんな大会への派遣要請などほぼゆっくりと過ごす休日はなかったと思います。
しかし、今になって思うのではないでしょうか?
やってよかった!と。
子どもたちと、そのお母さんお父さんたちと一緒にやってきてよかったと。
私もみなさんとやってこれてよかったと思います。
彼らとだからこそ、
その親のあなたたちと一緒だからこそ、
これまでこのスポ少をやってこれたと思います。それは毎年同じ。
そして、同時にこうも思います。
もう、彼らと一緒に、あなたたちとはもう戦えないのだと。
この現実に思い知らされます。
それが悲しく、さびしい。
いわきからの帰りの車の中でこの現実を悟りました。
もうグランドで、あの声が聞けないんだ。
もうあのユニフォームを着て、強敵に立ち向かえない。
もう、あいつらの勝ったときの笑顔が見れない。
途端に流れ出す涙。
外は晴天ですが、涙で前が見えません。
車のワイパーなどきくはずもなく、40すぎたおっさんがひとり車内でむせび泣く。
寂しさに耐えられません。
そして思い出しました。
「監督、長い間お世話になりました。」
選抜の試合に負けた後、ユリアが言いにきました。
その時は試合の直後で、軽くおうと答えましたが、本当は何を差し置いても抱きしめて、ご苦労さま、俺こそありがとうと言わなければならなかった。
ユリアの目は真っ赤にはれていました。
彼の中のソフトボールが終わった。その実感が絞り出した言葉でした。
自分の浅はかさに自責します。
彼らと過ごした日々がパノラマで一気によみがえってきます。
ちびども、へたれ、生意気、自信満々、泣き虫…
そんな彼らが、エースになり、センタープレーヤーになり、スラッガーになり、キャプテンになる。
その課程を見てきました。見続けてきました。
失敗を励まし、対策を練り、怠惰を叱り、鼓舞してきました。
次に成功するように、次に負けないように、次に笑顔になれるように。
その傍らには常に見守り、背中を押し続ける家族の支えがありました。
練習日でない、宮川小学校のグランドに寄るたびにある、その複数の影。
毎日毎日の積み重ねが、彼らを育てました。
みんなでその成長を見守り続けてきた。
幸せな時間でした。
この先もまだまだ続きますが、ひとまず小学校時代はひとつの区切りを迎えました。
そして俺は彼らに何かを残してやることができただろうかと自問する。
そして、ユリアだけでなく、彼らからもらったものの方が遙かに大きなものだったことに、涙でくれる車内で気づきました。
もう一緒に同じユニフォームを着てグランドに立つことはできない。
緊張感が張り詰める中、お互いの目を見てうなずくだけで、何を考えているか、何をやるのかがわかるあの瞬間。
ひとりひとりはもちろん、全員がハブとなって同じビジョンを共有して、同じ目的をもち、同じ方向を向く。
確かに分かり合えたなと言う、あの一体感。
やばい、負けるかもしれない、
可能性は限りなく少ないのかもしれない、
だけど、俺たちはあきらめない。
ひとりひとりのベクトルは小さいけれど、いくつもが折り重なったときの力強さ。
岩をも砕き、強敵も倒し、チームのピンチを救います。
選抜大会で見せたソウゴからはじまる逆転劇、ヒカリの粘りに粘った後に放ったセンターへの逆転打。
間違いなく、チームがひとつになった瞬間、
私はいつもその瞬間を渇望しています。
今年の会津選抜もいいチームでした。
そして、高田イーグルスもいいチームだった。
あいつらと。あなたとソフトボールができない、悲しさがまた私を泣かせます。
あぁ終わったんだなぁ。
ついに終わってしまったんだなぁ。
ひとつの時代がまた終わりました。
スポ少の歴史がまた1ページ…
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