時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
私が思うスポ少の存在理由の大きなひとつ。
それは「自分の居場所の開拓」だと思っています。
スポ少に限らず、人が生きていくということは、この居場所を探し続ける旅なのかもしれませんね。
俺が、私が、自分がいていいんだと思える場所。
小さい頃は、両親や家族がその場所を作ってくれます。
しかし、保育園にいって、学校へいくと、たくさんの人がいて、社会という大きな場所にいやがおうでも放り込まれる。
右も左もわからず、どうしていいかもわからない。
そんな中で先生や友達から少しずつ、自分の居場所を探したり、築いていくことをいろんな場所で繰り返していく。
スポ少もそういう場所です。
しかも、自分の中で初めてぶち当たるであろう壁、勝負もからむ厳しめの世界。
始める前から、身体能力で差がある。
チャンスも平等にはもらえない。
一生懸命にやっても報われない時もある。楽しいばかりではない。
子供のころの経験からいっても、スポーツの世界は厳しいと思います。
スポ少でソフトボールをやるということはそういう世界に身を置くこと。
自分に何ができて、何ができないのかを知る。
チームとしてその時に、何を求めているかを考え、その状況で自分が何をしなければならないかを考え、周りの選手も見ながら、絶好のタイミングで行動に移す。
結果、うまくいけば周りにも認められる。
いいぞ、すこいぞ、よくやったと褒められる。
それによって自分の存在意義も見出していく。
俺はやれる!ここでやれる!というその子の自信につながります。
残念なことに、そこに100%の答えというものはありません。
なぜなら、求める答えは人それぞれ違うから。
多くの人が思うような、ある程度のところはあるでしょうが、全員が全員そうとは限らない。
多様性と個性が認められる現代であればなおのことです。
それをソフトボールスポーツ少年団という世界にあてはめてみる。
たくさんヒットが打てるバッター、ファインプレー連発の野手。
バンバン三振を取りまくるエースピッチャー、強肩でランナーを刺しまくるキャッチャー。
二盗三盗を決めまくる俊足。
大事なところで確実にバントを決める犠打のスペシャリスト。
いろんな個性があっていいと思います。
そして自分を見つめなおしてみる。
チームのために自分に何ができるかを探す。自分に何が求められているかを考える。
そこに自分のやりたいこと、自分の得意なことを重ねてみる。
自分の進むべき道がかすかに見えるてくると思います。
みんながみんなエースで4番になる必要はありません。
常に打ちまくってコールドゲームにすることはないんです。
大事なのは試合が終わった時に相手よりも1点だけ多くとっていればいい。
それができる確率が高いのはバランスの取れたチーム、状況によって変化できるチームだと私は思っています。
よくを言えば、どこか一点で特化している。そこが欲しい。
そのためには、全員がスラッガーではだめです。バント職人でもだめ。
いろんな個性が集まる多様性のあるメンバーがいい。
その意味で、今年の高田イーグスルは、バランスのとれたメンバーで、かつそれぞれ特化した特徴をもっている選手の集団でした。
出塁率と安定感抜群の1,2番、ユキノブ、ダイ。
それらを返すクリーンナップのケンタ、ユウゴ、ユウト。
残存を掃討し、打線が切れれば修復する役目を担う、ソウゴ、ヒカリ、ハレル。
上位につなげたり、ランナーを進めたりなんでもできるサポート役のユズキ、ユリア。
ひとりひとりの点を打線にしていくメンバー個性と、流れ。
それを大橋監督もよくわかっていました。
彼らの個性を生かした打順、チームに必要な打順に組み込んだ。
それが機能した時は無類の強さを発揮すると我々も思っていました。
それができた試合と、できなかった試合があります。
抑えこまれた試合はがまんしてがまんして、大幅に崩れないようにこころがけました。
あの下郷江川杯決勝のような試合。
本当はそういう神経を削り取るような試合をもっも経験させてやりたかった。
死線をくぐり抜けるようなゾクゾクする試合。
そういう試合をたくさん見たかった。
そして、強い彼らをさらに鍛え上げていく。
名刀をつくりあげる鍛冶職人のような心境に我々はなっていたと思います。
もっともっと納得のいくまで鍛え続けたかった。
それも、もはやかなわず。
彼らにとっての居場所がみつかったかどうか……
彼らは彼らの新しい道を歩み始めました。
そして我々もまた新しい道が見えてきた。
ここらが、彼らと我々の潮時でしょう。
一緒の船団であった彼らが我々と離れていく。
いままで何回も何回も見てきた景色。
彼らの船出を祝うこととしましよう。
それは「自分の居場所の開拓」だと思っています。
スポ少に限らず、人が生きていくということは、この居場所を探し続ける旅なのかもしれませんね。
俺が、私が、自分がいていいんだと思える場所。
小さい頃は、両親や家族がその場所を作ってくれます。
しかし、保育園にいって、学校へいくと、たくさんの人がいて、社会という大きな場所にいやがおうでも放り込まれる。
右も左もわからず、どうしていいかもわからない。
そんな中で先生や友達から少しずつ、自分の居場所を探したり、築いていくことをいろんな場所で繰り返していく。
スポ少もそういう場所です。
しかも、自分の中で初めてぶち当たるであろう壁、勝負もからむ厳しめの世界。
始める前から、身体能力で差がある。
チャンスも平等にはもらえない。
一生懸命にやっても報われない時もある。楽しいばかりではない。
子供のころの経験からいっても、スポーツの世界は厳しいと思います。
スポ少でソフトボールをやるということはそういう世界に身を置くこと。
自分に何ができて、何ができないのかを知る。
チームとしてその時に、何を求めているかを考え、その状況で自分が何をしなければならないかを考え、周りの選手も見ながら、絶好のタイミングで行動に移す。
結果、うまくいけば周りにも認められる。
いいぞ、すこいぞ、よくやったと褒められる。
それによって自分の存在意義も見出していく。
俺はやれる!ここでやれる!というその子の自信につながります。
残念なことに、そこに100%の答えというものはありません。
なぜなら、求める答えは人それぞれ違うから。
多くの人が思うような、ある程度のところはあるでしょうが、全員が全員そうとは限らない。
多様性と個性が認められる現代であればなおのことです。
それをソフトボールスポーツ少年団という世界にあてはめてみる。
たくさんヒットが打てるバッター、ファインプレー連発の野手。
バンバン三振を取りまくるエースピッチャー、強肩でランナーを刺しまくるキャッチャー。
二盗三盗を決めまくる俊足。
大事なところで確実にバントを決める犠打のスペシャリスト。
いろんな個性があっていいと思います。
そして自分を見つめなおしてみる。
チームのために自分に何ができるかを探す。自分に何が求められているかを考える。
そこに自分のやりたいこと、自分の得意なことを重ねてみる。
自分の進むべき道がかすかに見えるてくると思います。
みんながみんなエースで4番になる必要はありません。
常に打ちまくってコールドゲームにすることはないんです。
大事なのは試合が終わった時に相手よりも1点だけ多くとっていればいい。
それができる確率が高いのはバランスの取れたチーム、状況によって変化できるチームだと私は思っています。
よくを言えば、どこか一点で特化している。そこが欲しい。
そのためには、全員がスラッガーではだめです。バント職人でもだめ。
いろんな個性が集まる多様性のあるメンバーがいい。
その意味で、今年の高田イーグスルは、バランスのとれたメンバーで、かつそれぞれ特化した特徴をもっている選手の集団でした。
出塁率と安定感抜群の1,2番、ユキノブ、ダイ。
それらを返すクリーンナップのケンタ、ユウゴ、ユウト。
残存を掃討し、打線が切れれば修復する役目を担う、ソウゴ、ヒカリ、ハレル。
上位につなげたり、ランナーを進めたりなんでもできるサポート役のユズキ、ユリア。
ひとりひとりの点を打線にしていくメンバー個性と、流れ。
それを大橋監督もよくわかっていました。
彼らの個性を生かした打順、チームに必要な打順に組み込んだ。
それが機能した時は無類の強さを発揮すると我々も思っていました。
それができた試合と、できなかった試合があります。
抑えこまれた試合はがまんしてがまんして、大幅に崩れないようにこころがけました。
あの下郷江川杯決勝のような試合。
本当はそういう神経を削り取るような試合をもっも経験させてやりたかった。
死線をくぐり抜けるようなゾクゾクする試合。
そういう試合をたくさん見たかった。
そして、強い彼らをさらに鍛え上げていく。
名刀をつくりあげる鍛冶職人のような心境に我々はなっていたと思います。
もっともっと納得のいくまで鍛え続けたかった。
それも、もはやかなわず。
彼らにとっての居場所がみつかったかどうか……
彼らは彼らの新しい道を歩み始めました。
そして我々もまた新しい道が見えてきた。
ここらが、彼らと我々の潮時でしょう。
一緒の船団であった彼らが我々と離れていく。
いままで何回も何回も見てきた景色。
彼らの船出を祝うこととしましよう。
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数年前から高田スポ少と美里イーグルスが毎週水曜にナイター練習試合をやるようなったこと。
これが両者の合併のきっかけになったことは間違いありません。
お互いの距離が少しずつ縮まってきた。
そうなると指導者目線で見た時に、「あの選手がうちのチームにいてくれたら・・・」と思わせてくれたのが、ショートに君臨するユキノブでした。
それを機に周りを見渡してみると、外野にはユズキ、キャッチャーにユウト、内野にヒカリ、エース級のピッチャー、ダイとハレルもいる。
対してイーグルス、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴの6年生四人を中心にしていますが、5年生、3年生を入れての守備体系。
県大会でその守備のほころびを露呈して敗北を喫しました。
ほころびというか、チーム事情によって下級生をださなくてはいけない状況だったんです。
それはその選手にとっても大きな傷をつくるなと思い知らされました。
本当ならばもっと育つ時間をつくってあげから、満を持して守備に就かせてあげたい。
しかし、人数がいないから守備に就かさざるを得ない。
それもソフトボールであり、その中でがんばるのがスポ少だという人もいるでしょう。
しかし私は、はっきりいって酷だと思いました。
あんなに早い打球の処理をするにはもう少し時間が必要だと私たちも思いました。
それからナイターで高田スポ少をみる。じっくり見てみる。
ひらめきましたよ。
イーグルスのウィークポイントに高田スポ少の6年生全員がキーマンとなってはまる。
まさに凸(デコ)と凹(ボコ)がはまる感じ。
我天啓を得たり。
逆にいえば、高田スポ少さんにとっても同じことが言えます。
多少のコンバートは必要ですが、お互いのウィークポイントを補ってあまりあまる伸びしろができる。
6年生だけでチームが組める。
エース級が3人。しかも左右がそろう。リリーフも万全。
選手の個性をいかす守備位置におくことができて、守備力が向上する。
チカラ負けせず、どこからでも得点できる打線。
スキを突く走塁、堅実なバント、多彩な攻撃のバリエーション。
5年生をいれても守備のバリエーションも増える。
人数不足で試合ができなくなることがなくなる。
ケンタのひざを考えてキャッチャーをやらせなく済むなどメリットがどんどんでてきました。
そして、あの県大会でみたベスト4のチームに対抗できる戦力が整い、全国大会が目指せる戦力が整うと確信しました。
私には、確かな夢が、行くべき道が、登るべき山がはっきりと見えました。
これは合併しなくてはならない。
彼らが全国の舞台で勇躍する姿を少しでも想像してしまった。
この思いを少しずつみんなに共有してもらいたい。
そう思って動いてきました。
結果、全国には届かず、初戦で猪苗代さんには敗れました。
しかし、舞台は整えて、土俵にはあがりました。
念ずれば通ず。
ちゃんとしたビジョンがあってそこに向かって共感する人たちと進むことで、困難ことにも立ち向かえるし、思いは通じるとうことをまたここでも実感しました。
その夢のはじまりがユキノブでした。
4年生のころから「ん?うまいな。こいつはいいショートになるな。」と思っていました。
捕り方=捕球体制、ゴロに入るタイミング、手首の柔らかさ、スローイングの強さ、リストの強さ、ポジショニングの良さがいい。ひとつ上の学年のタイセイにはまだ少しかなわないが、6年になったならば超えてくるかもしれないとその可能性を感じさせてくれました。
打撃もいい。
ユキノブがいいところは選球眼のよさ。
かっ飛ばすだけなら、ケンタ、ユウゴ、ユウトもいますが確実性でいえばユキノブが上。
それを大橋監督もわかっていたからリードオフマンの1番に置いたのだと思います。
それは、ミナココーチの打撃成績表からもうかがえます。
打率もチームナンバーワン。
堅守好打を備えたショートストップ。
プロ野球でいえば、坂本選手のようなタイプ。
ただこの数年見てきて、その性格もわかってきました。
自分が上手いことをわかってるがゆえに、がむしゃらさ、一生懸命さ、努力することがおろそかになる。そこはケンタと同じです。
自分の実力にあぐらをかくことがある。
周りに気が利かない。
チームとしてどうするべきかを、本当は見渡すことができるのに、本当はそういうポジションにいて全体を見渡さなければならないのに、あえてやらない。人任せなところがある。
私はそう思った時がありました。
ユキノブのズルさが垣間見えた。
私も何年も指導者をしてるので、そういう選手も何人も見てきました。
うまい選手はそういう狡猾さを持った選手が多いことも事実。
そこはいい意味でのズルさ。
そういうズルさの必要性も認めています。
常に全力ではやらない。大事なところをわかっていて、そのタイミングで実力を出す。
大人の目、指導者がどうしてほしいかをわかっていて動く。
効率よく立ち回る。
容量がいいんです。
そこはいいんですが、それが緩み切ってしまう場面がありました。
悪い意味でのズルさがでた場面。
それがちょうど白獅子で猪苗代さんに負けた後で、私の腹の虫のいどころも悪かったんでしょうが、練習が終わったあとのグランド整備、用具かたづけの場面で、「ズルさ」がはっきりと見えてしまった。
いままでも目についていましたが、いつか分かってくれるだろうという期待をこめてみていましたが、我慢ならなかった。
適当にやって、終わるタイミングでさっさとトンボを片付けて、他に手伝いにもいかないでくっちゃべる。とりあえずやっとくかという姿勢。
負けたチームがとってはいけない態度。
ちょうどユキノブとケンタのふたりの「ズルさ」。
あれは、ふたりに通じたかどうかはわかりませんが、ズルさの見せどころを間違えるなという私なりの叱咤激励でした。
私は見てきました。
高校時代に、一年の春に30人以上野球部に入りました。
一中にエース、五中のエースなどすごい選手がわんさかいました。
一緒に練習していても身体能力は高く、センスの良さが私にもわかりました。
しかし、時間がたつにつれ、こういう上手いやつから上級生の激しい叱咤激励に耐え切れず、やめていきました。
グランド整備、用具かたづけなど当たり前にことに一生懸命になれない。
あの時代にあった、前時代的な先輩たちのきつめの叱咤激励の前に野球をやることがバカらしくなったのでしょうね。
本当に才能のある選手がやめていく。
もったいないなと思いながらも、私はそういう選手の中に、一定の「ズルさ」を見ていました。
ズルさはもろさと言ってもいいでしょう。
そのズルさを見透かされた。
それは、けっこう核心の部分なのかもしれません。
野球に対する姿勢。それは「生き方」にも通じるかもしれません。
大事なところでズルをしてるんじゃねぇ!
そういう部分で、ふるいにかけられる。自分から降りていく。
結局残ったのは、半分の部員でした。
ズルさに負けなかった者たち、もろさに打ち勝った者たち。
それは、いろんなめんどくさいこともひっくるめて野球が好きだということが少しだけ上回った者たちだと思います。
だからこそ、そこから始まる中学生のころとは比べようもないほど野球に打ち込むことができた。私はそう思っています。それでも甲子園は遠い。
私がいいたいのは、そこなんです。
大事なところでズルをするな、逃げるな、向き合え。そこで全力をだせ。
野球の神様はそこを見ている。
野球の神様ではなくても、自分がみている。
そこをごまかすな。
私自身もできているとは言えないし、やってきたとも言えません。
ただユキノブ、ケンタにはその部分を大事にしてほしいなという思いで厳しく接しました。
素晴らしい才能をもっている。
願わくば良い指導者に出会ってほしい。
しかし、最後はいかすもころすも君たち次第。
やっても無駄とだと思わない。
やるだけ無駄だと思わない。
もう少し頑張っていれば、もう少し本気になっていれば、もう少し努力すれば、未来を変えられる!
そのもう少しをプレーにも、プレー以外のところでも心掛けてほしいなと思います。
熱血バレーアニメ ハイキューの及川さんもこう言ってます。
才能は開花させるもの。
センスは磨くもの。
その底にあるのは、謙虚で素直という土壌。
そこに自分で気づけるかどうか?そこに真摯にとりくむこと。
そこが本当の野球の面白さ、楽しさ、仲間の大切さに気付く第一歩。
願わくは気づいてほしい。
そこに気づいたとき、ユキノブはサイヤ人のように本当の才能は開花すると私は信じています。
これが両者の合併のきっかけになったことは間違いありません。
お互いの距離が少しずつ縮まってきた。
そうなると指導者目線で見た時に、「あの選手がうちのチームにいてくれたら・・・」と思わせてくれたのが、ショートに君臨するユキノブでした。
それを機に周りを見渡してみると、外野にはユズキ、キャッチャーにユウト、内野にヒカリ、エース級のピッチャー、ダイとハレルもいる。
対してイーグルス、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴの6年生四人を中心にしていますが、5年生、3年生を入れての守備体系。
県大会でその守備のほころびを露呈して敗北を喫しました。
ほころびというか、チーム事情によって下級生をださなくてはいけない状況だったんです。
それはその選手にとっても大きな傷をつくるなと思い知らされました。
本当ならばもっと育つ時間をつくってあげから、満を持して守備に就かせてあげたい。
しかし、人数がいないから守備に就かさざるを得ない。
それもソフトボールであり、その中でがんばるのがスポ少だという人もいるでしょう。
しかし私は、はっきりいって酷だと思いました。
あんなに早い打球の処理をするにはもう少し時間が必要だと私たちも思いました。
それからナイターで高田スポ少をみる。じっくり見てみる。
ひらめきましたよ。
イーグルスのウィークポイントに高田スポ少の6年生全員がキーマンとなってはまる。
まさに凸(デコ)と凹(ボコ)がはまる感じ。
我天啓を得たり。
逆にいえば、高田スポ少さんにとっても同じことが言えます。
多少のコンバートは必要ですが、お互いのウィークポイントを補ってあまりあまる伸びしろができる。
6年生だけでチームが組める。
エース級が3人。しかも左右がそろう。リリーフも万全。
選手の個性をいかす守備位置におくことができて、守備力が向上する。
チカラ負けせず、どこからでも得点できる打線。
スキを突く走塁、堅実なバント、多彩な攻撃のバリエーション。
5年生をいれても守備のバリエーションも増える。
人数不足で試合ができなくなることがなくなる。
ケンタのひざを考えてキャッチャーをやらせなく済むなどメリットがどんどんでてきました。
そして、あの県大会でみたベスト4のチームに対抗できる戦力が整い、全国大会が目指せる戦力が整うと確信しました。
私には、確かな夢が、行くべき道が、登るべき山がはっきりと見えました。
これは合併しなくてはならない。
彼らが全国の舞台で勇躍する姿を少しでも想像してしまった。
この思いを少しずつみんなに共有してもらいたい。
そう思って動いてきました。
結果、全国には届かず、初戦で猪苗代さんには敗れました。
しかし、舞台は整えて、土俵にはあがりました。
念ずれば通ず。
ちゃんとしたビジョンがあってそこに向かって共感する人たちと進むことで、困難ことにも立ち向かえるし、思いは通じるとうことをまたここでも実感しました。
その夢のはじまりがユキノブでした。
4年生のころから「ん?うまいな。こいつはいいショートになるな。」と思っていました。
捕り方=捕球体制、ゴロに入るタイミング、手首の柔らかさ、スローイングの強さ、リストの強さ、ポジショニングの良さがいい。ひとつ上の学年のタイセイにはまだ少しかなわないが、6年になったならば超えてくるかもしれないとその可能性を感じさせてくれました。
打撃もいい。
ユキノブがいいところは選球眼のよさ。
かっ飛ばすだけなら、ケンタ、ユウゴ、ユウトもいますが確実性でいえばユキノブが上。
それを大橋監督もわかっていたからリードオフマンの1番に置いたのだと思います。
それは、ミナココーチの打撃成績表からもうかがえます。
打率もチームナンバーワン。
堅守好打を備えたショートストップ。
プロ野球でいえば、坂本選手のようなタイプ。
ただこの数年見てきて、その性格もわかってきました。
自分が上手いことをわかってるがゆえに、がむしゃらさ、一生懸命さ、努力することがおろそかになる。そこはケンタと同じです。
自分の実力にあぐらをかくことがある。
周りに気が利かない。
チームとしてどうするべきかを、本当は見渡すことができるのに、本当はそういうポジションにいて全体を見渡さなければならないのに、あえてやらない。人任せなところがある。
私はそう思った時がありました。
ユキノブのズルさが垣間見えた。
私も何年も指導者をしてるので、そういう選手も何人も見てきました。
うまい選手はそういう狡猾さを持った選手が多いことも事実。
そこはいい意味でのズルさ。
そういうズルさの必要性も認めています。
常に全力ではやらない。大事なところをわかっていて、そのタイミングで実力を出す。
大人の目、指導者がどうしてほしいかをわかっていて動く。
効率よく立ち回る。
容量がいいんです。
そこはいいんですが、それが緩み切ってしまう場面がありました。
悪い意味でのズルさがでた場面。
それがちょうど白獅子で猪苗代さんに負けた後で、私の腹の虫のいどころも悪かったんでしょうが、練習が終わったあとのグランド整備、用具かたづけの場面で、「ズルさ」がはっきりと見えてしまった。
いままでも目についていましたが、いつか分かってくれるだろうという期待をこめてみていましたが、我慢ならなかった。
適当にやって、終わるタイミングでさっさとトンボを片付けて、他に手伝いにもいかないでくっちゃべる。とりあえずやっとくかという姿勢。
負けたチームがとってはいけない態度。
ちょうどユキノブとケンタのふたりの「ズルさ」。
あれは、ふたりに通じたかどうかはわかりませんが、ズルさの見せどころを間違えるなという私なりの叱咤激励でした。
私は見てきました。
高校時代に、一年の春に30人以上野球部に入りました。
一中にエース、五中のエースなどすごい選手がわんさかいました。
一緒に練習していても身体能力は高く、センスの良さが私にもわかりました。
しかし、時間がたつにつれ、こういう上手いやつから上級生の激しい叱咤激励に耐え切れず、やめていきました。
グランド整備、用具かたづけなど当たり前にことに一生懸命になれない。
あの時代にあった、前時代的な先輩たちのきつめの叱咤激励の前に野球をやることがバカらしくなったのでしょうね。
本当に才能のある選手がやめていく。
もったいないなと思いながらも、私はそういう選手の中に、一定の「ズルさ」を見ていました。
ズルさはもろさと言ってもいいでしょう。
そのズルさを見透かされた。
それは、けっこう核心の部分なのかもしれません。
野球に対する姿勢。それは「生き方」にも通じるかもしれません。
大事なところでズルをしてるんじゃねぇ!
そういう部分で、ふるいにかけられる。自分から降りていく。
結局残ったのは、半分の部員でした。
ズルさに負けなかった者たち、もろさに打ち勝った者たち。
それは、いろんなめんどくさいこともひっくるめて野球が好きだということが少しだけ上回った者たちだと思います。
だからこそ、そこから始まる中学生のころとは比べようもないほど野球に打ち込むことができた。私はそう思っています。それでも甲子園は遠い。
私がいいたいのは、そこなんです。
大事なところでズルをするな、逃げるな、向き合え。そこで全力をだせ。
野球の神様はそこを見ている。
野球の神様ではなくても、自分がみている。
そこをごまかすな。
私自身もできているとは言えないし、やってきたとも言えません。
ただユキノブ、ケンタにはその部分を大事にしてほしいなという思いで厳しく接しました。
素晴らしい才能をもっている。
願わくば良い指導者に出会ってほしい。
しかし、最後はいかすもころすも君たち次第。
やっても無駄とだと思わない。
やるだけ無駄だと思わない。
もう少し頑張っていれば、もう少し本気になっていれば、もう少し努力すれば、未来を変えられる!
そのもう少しをプレーにも、プレー以外のところでも心掛けてほしいなと思います。
熱血バレーアニメ ハイキューの及川さんもこう言ってます。
才能は開花させるもの。
センスは磨くもの。
その底にあるのは、謙虚で素直という土壌。
そこに自分で気づけるかどうか?そこに真摯にとりくむこと。
そこが本当の野球の面白さ、楽しさ、仲間の大切さに気付く第一歩。
願わくは気づいてほしい。
そこに気づいたとき、ユキノブはサイヤ人のように本当の才能は開花すると私は信じています。
美里イーグルスの卒団式も終わりました。
しかし、ここで少し心残りのことが・・・
合併したのに、六年生全員が会してのけじめがない。
そこで保護者の許可をとって、指導者主導の合同卒団式を執り行わせていただきました。
コロナに見舞われたこの世代の6年生。
始動は2月と早かったものの、その後長い謹慎期間。
私が生きてきた中でも、こんな自粛自粛の連続は初めてでした。
夜が明けない夜はない。
やまない雨はないとはいいますが、世の中は油膜のようなベールにつつまれ、晴天であっても幾日も雨が降り続いているようでした。
それは、毎日の生活においてもそうであり、知らず知らずに私たちの心の中も雨を降らせているようでした。
晴れない日々。
気持ちが晴れない日々。
何事もこころから喜べない日々。
なんなでしょう。
誰もがそう思いつつも、自己防衛、家族防衛に努める。
そんな中でまともにスポ少なんてできるわけがない。
しかし、そうであっても私たちは、子供たちは、お母さんお父さんたちは、自分たちにできることをしようと継続してきました。
数多くの大会が中止に追い込まれ、数少ない大会を実行するために奔走する。
暗闇の中の一筋の光。
いろんな努力を惜しまずに、こどもたちの笑顔のために大人のみなさんも一所懸命にできることをする。
親は鏡といいますが、子供も同じように鏡なんです。お互いを映している。
子どもたちが笑顔になる。
大きく笑った瞳に大人たちの笑顔も映ります。
子どもたちが笑えば、自然と大人たちも笑顔になる。
そんな日常に笑顔の大切さ、それを気づかされました。
グランドでボールを追いかける。
ソフトボールができることの大切さ。
仲間といっしょにソフトができることの大切さ。
それをこの世代はいつもより深く刻んだことでしょう。
そんな中で2020初代高田イーグルスの戦いをみんなで振り返る日。
この10人ひとりひとりの足跡をたどっていきます。
毎回毎年思います。
いつまでも、彼らと一緒にグランドでチームとしてソフトボールをずっとやっていたかったと。
でもそれはかなわない。
自分たちに区切りをつけるうえで、彼らに対して、その彼らを支えてきたお母さんお父さんその家族に対して、気持ちを正直に伝えようと。
さびしい。
とてもさびしい。
そのさびしさにお別れして、お互いに新たなスタートを切るための儀式。
この時期はそういうもんだと私は思っています。
そうやっていままでも、送り出してきました。
でもやっぱり、さびしい。
「おい、ユリア!」
もう、名前を呼ぶこともできない。
「なぁ、ケンタ?」
もう、尋ねることもできない。
「いいぞ、ユウゴ!」
もう、褒めることもできない。
「任せたぞ、ソウゴ!」
もう、頼ることもできない。
練習にいってもその姿がない。
彼らがもういないと思うこと、思わされることがたまらなくさびしいんです。
そうはいっても時は戻らず。
せめて彼らを記憶に刻もうと思います。
次回から。
しかし、ここで少し心残りのことが・・・
合併したのに、六年生全員が会してのけじめがない。
そこで保護者の許可をとって、指導者主導の合同卒団式を執り行わせていただきました。
コロナに見舞われたこの世代の6年生。
始動は2月と早かったものの、その後長い謹慎期間。
私が生きてきた中でも、こんな自粛自粛の連続は初めてでした。
夜が明けない夜はない。
やまない雨はないとはいいますが、世の中は油膜のようなベールにつつまれ、晴天であっても幾日も雨が降り続いているようでした。
それは、毎日の生活においてもそうであり、知らず知らずに私たちの心の中も雨を降らせているようでした。
晴れない日々。
気持ちが晴れない日々。
何事もこころから喜べない日々。
なんなでしょう。
誰もがそう思いつつも、自己防衛、家族防衛に努める。
そんな中でまともにスポ少なんてできるわけがない。
しかし、そうであっても私たちは、子供たちは、お母さんお父さんたちは、自分たちにできることをしようと継続してきました。
数多くの大会が中止に追い込まれ、数少ない大会を実行するために奔走する。
暗闇の中の一筋の光。
いろんな努力を惜しまずに、こどもたちの笑顔のために大人のみなさんも一所懸命にできることをする。
親は鏡といいますが、子供も同じように鏡なんです。お互いを映している。
子どもたちが笑顔になる。
大きく笑った瞳に大人たちの笑顔も映ります。
子どもたちが笑えば、自然と大人たちも笑顔になる。
そんな日常に笑顔の大切さ、それを気づかされました。
グランドでボールを追いかける。
ソフトボールができることの大切さ。
仲間といっしょにソフトができることの大切さ。
それをこの世代はいつもより深く刻んだことでしょう。
そんな中で2020初代高田イーグルスの戦いをみんなで振り返る日。
この10人ひとりひとりの足跡をたどっていきます。
毎回毎年思います。
いつまでも、彼らと一緒にグランドでチームとしてソフトボールをずっとやっていたかったと。
でもそれはかなわない。
自分たちに区切りをつけるうえで、彼らに対して、その彼らを支えてきたお母さんお父さんその家族に対して、気持ちを正直に伝えようと。
さびしい。
とてもさびしい。
そのさびしさにお別れして、お互いに新たなスタートを切るための儀式。
この時期はそういうもんだと私は思っています。
そうやっていままでも、送り出してきました。
でもやっぱり、さびしい。
「おい、ユリア!」
もう、名前を呼ぶこともできない。
「なぁ、ケンタ?」
もう、尋ねることもできない。
「いいぞ、ユウゴ!」
もう、褒めることもできない。
「任せたぞ、ソウゴ!」
もう、頼ることもできない。
練習にいってもその姿がない。
彼らがもういないと思うこと、思わされることがたまらなくさびしいんです。
そうはいっても時は戻らず。
せめて彼らを記憶に刻もうと思います。
次回から。
今日はソウゴたち世代の卒団式でした。
コロナの影響もあり、美里イーグルス、高田スポ少、それぞれ分かれて執り行いました。
準備に奔走された役員のみなさんのご尽力に感謝いたします。
人が出会えば必ず別れもやってきます。
生きていくことはその繰り返し。
多くの出会いの中で、このスポ少での出会い。願わくば、その子にとって、そのご家族にとって有用な出会いであって欲しい。
人はひとりでは生きていけません。
人のつながりの中でこそ、人は人らしくいられると思います。
人と人を介するその真ん中にあるのが、「ソフトボール」。
それが彼らの小学校時代のスポ少だった。
その指導者が我々だった。それが出会いです。
数ある人生の中の出会いのひとつに過ぎない。
たったひとつの出会いが、何をもたらしたか?
数学の答えのようにはっきりしたものではありません。
たしかに、試合に勝ったり負けたり、大会で優勝したり、初戦で負けたりということもありました。
目に見える結果、ただそれだけではない。
彼らの通ってきた道を振り返ってみてください。
その通ってきた道、行程、成長してきたプロセスにこそ答えがあると思っています。
万人を理解させなくてもいいんです。
お父さんやお母さんしかわからなくっていい。
もっといえば、自分にしかわからなくていい。
いろんな経験。体験。
それこそがこれから君たちを支えてくれる「背骨=バックボーン」になる。
根拠なんてなくていいんです。
俺はあの時、あのピッチャーから打った!
抜ければホームランのあたりをファインプレーした。
俺はこうだった。
小さな自信でいい。
そういう自信こそが、次に踏み出す勇気を与えてくれます。
この先も失敗したり、負けたりする時もあるでしょう。
スポ少でも何回も失敗して、エラーをして三振をして負けてきました。
それでもまた立ち上がって、練習して、またあのグランドに立ってきました。
スポ少は失敗する練習をしているんです。
そこから立ち直る練習をしているんです。
これから先も、ものすごく理不尽な出来事にも何回もぶつかります。
自分ではどうすることもできないような大きな壁。敵。
逃げてもいいんです。
本当に危ないときは逃げてもいい。それも作戦です。
それでもグランドに立つ以上は自分たちのベストを尽くす努力をしてきた。
ひとりでは立ち向かえないような強敵を前にしても、横をみれば仲間がいて、後ろをみれば家族が支えてくれる。その心強さを知っている。
勇気は勝手に湧いてくるものではなく、自分たちで湧き起こすもの。
それをこの子たちは知っています。
私たちはそれをあのグランドで見てきました。
我々にできることは終わりました。
本当はもっともっとユニフォームを着てあのグランドに一緒に立ちたいところ。
しかしそうもいきません。
彼らならば大丈夫、そう思って送り出す以外にありません。
か細く、弱く、軟弱だった彼らが大きく羽ばたいていく姿を目に焼き付けようじゃありませんか。
今日大空に飛び立った4人の若い鷲を静かに見送ります。
さらば、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴ。
コロナの影響もあり、美里イーグルス、高田スポ少、それぞれ分かれて執り行いました。
準備に奔走された役員のみなさんのご尽力に感謝いたします。
人が出会えば必ず別れもやってきます。
生きていくことはその繰り返し。
多くの出会いの中で、このスポ少での出会い。願わくば、その子にとって、そのご家族にとって有用な出会いであって欲しい。
人はひとりでは生きていけません。
人のつながりの中でこそ、人は人らしくいられると思います。
人と人を介するその真ん中にあるのが、「ソフトボール」。
それが彼らの小学校時代のスポ少だった。
その指導者が我々だった。それが出会いです。
数ある人生の中の出会いのひとつに過ぎない。
たったひとつの出会いが、何をもたらしたか?
数学の答えのようにはっきりしたものではありません。
たしかに、試合に勝ったり負けたり、大会で優勝したり、初戦で負けたりということもありました。
目に見える結果、ただそれだけではない。
彼らの通ってきた道を振り返ってみてください。
その通ってきた道、行程、成長してきたプロセスにこそ答えがあると思っています。
万人を理解させなくてもいいんです。
お父さんやお母さんしかわからなくっていい。
もっといえば、自分にしかわからなくていい。
いろんな経験。体験。
それこそがこれから君たちを支えてくれる「背骨=バックボーン」になる。
根拠なんてなくていいんです。
俺はあの時、あのピッチャーから打った!
抜ければホームランのあたりをファインプレーした。
俺はこうだった。
小さな自信でいい。
そういう自信こそが、次に踏み出す勇気を与えてくれます。
この先も失敗したり、負けたりする時もあるでしょう。
スポ少でも何回も失敗して、エラーをして三振をして負けてきました。
それでもまた立ち上がって、練習して、またあのグランドに立ってきました。
スポ少は失敗する練習をしているんです。
そこから立ち直る練習をしているんです。
これから先も、ものすごく理不尽な出来事にも何回もぶつかります。
自分ではどうすることもできないような大きな壁。敵。
逃げてもいいんです。
本当に危ないときは逃げてもいい。それも作戦です。
それでもグランドに立つ以上は自分たちのベストを尽くす努力をしてきた。
ひとりでは立ち向かえないような強敵を前にしても、横をみれば仲間がいて、後ろをみれば家族が支えてくれる。その心強さを知っている。
勇気は勝手に湧いてくるものではなく、自分たちで湧き起こすもの。
それをこの子たちは知っています。
私たちはそれをあのグランドで見てきました。
我々にできることは終わりました。
本当はもっともっとユニフォームを着てあのグランドに一緒に立ちたいところ。
しかしそうもいきません。
彼らならば大丈夫、そう思って送り出す以外にありません。
か細く、弱く、軟弱だった彼らが大きく羽ばたいていく姿を目に焼き付けようじゃありませんか。
今日大空に飛び立った4人の若い鷲を静かに見送ります。
さらば、ユリア、ケンタ、ユウゴ、ソウゴ。
2021が始まりました。あけましておめでとうございます。
スポーツ少年団にかかわるすべての方々、今年もよろしくお願いいたします。
さて、イーグルスにとって激動の2020は終わりました。
なにが激動かというと、高田さんとの合同チームを作り上げたことが大きな動きでした。
私の中でそれが正解かそうでないかという問いはありません。
全員の賛同を最初から得ることは難しいことはわかっていました。
そのうえで、この合併は失敗だったとならないよう、合併して正解だった、よかったと時間がかかっても、ひとりでも多くの選手が、そしてその保護者がそう思えるようにみんなで協力してそこに進むのみだという覚悟と決意をもっていたからです。
不正解だなんて思わせない。
初めから正解することしか考えていませんでした。
私もよく上司とぶつかります。
その中でよく言われること、
「お前は最初に自分に都合のいい結論を持ってくる。思い込みが激しい。その結論が間違っているというリスクは考えないのか?」と。
私はいいます。
「はたから見れば間違っているといわれることも、もしかしたら間違っていないかもしれません。最初からできない、間違っていると決めつけるよりも、どうやったら成功するか、そしてそこにたどり着く方法を考えたほうが面白くありませんか?」
その先輩はそこでため息をつきます。
めんどくせぇやつだと思われるほうが多い。
もっと細かいところに気を使って、いろいろ詰めてから実行に移せ。
それはわかっています。
ルールがあるから、段取りが決まっているから、それが今までのやり方だから、そうやって、新しいルートを探ろうとしない。
旧態依然。
今までルール、段取り、やり方を疑ってみたほうがいい。
まず動く。まず思い込む。
細かいところは後から直していけばいい。
それはだめだ、無理だという前に、俺は、俺たちはここまで到達するんだと決める。
そこにいくまでのルート、方法を考えて実行に移す。
間違っているのならば、効率が悪いならば、それを変える第一歩を踏み出しましょう。
こういう人種を真っ向から否定する人種もいることもわかっています。
アクセルとブレーキ。自動車には両方必要です。
がけっぷちではブレーキが必要です。いろんな考えがあっていい。
多様性こそ、生物の進化の歴史。
めんどくせぇと思われても、最終的にはブレーキさえも納得させてしまえばいい。
その方がチームとして機能する。私はそう思っています。
私としても、アクセルだけの車には乗りたくないですからね。
ブレーキも大事。
世の中は、ブレーキだけではなくいろんな部品、役割で成り立っています。
先輩とのぶつかりも必要なこと。ぶつかることも長い目で見れば、悪いことではないんです。
それを踏まえたうえで、私はアクセルという役割を果たしていこうと思っています。
そういや昔、小学校のころ国語の授業で、フグを調理する一族の話がありました。
猛毒のフグをたべるために、子々孫々、命をもってふぐのだべられる部位、調理法を探していく。
変わったことをやる人間は最初はあほだと思われます。
最初はマイノリティなんです。少数派。
それでも少しずつ、わかってくれる人が増えていく。思えば人の歴史なんてその繰り返し。
勇気と信念をもって最初の一歩を踏み出すものがいままでを作ってきたといっていい。
ふぐを食おうと思った一族の壮大な思い込み。
それがあったからこそ、今日のふぐのおいしさのありがたみがわかります。
その意味で、今年の高田さんとイーグルスの合併も勇気ある一歩だったと私は思います。
昨年の今の時期、こうなることを予測していた人は何人いたでしょうか?
私自身も、こうなればいいなぁというおぼろげなイメージしかありませんでした。
そしておそらく多くの保護者の賛同は得られないだろうとも思っていました。
だが、動かないわけにはいきませんでした。
状況が目まぐるしく変わる中で、変化を恐れて立ち止まることは私にはできませんでした。
今後の美里イーグルスの先が見えていたからです。
両チームの内部事情、今後5年10年先の入団者数の減少傾向、指導者の確保の難しさ、会津のチーム数の減少、県内の強豪チームの一本化への対抗策などいろんな事情を考慮して、合併するのが妥当だというのが私の結論でした。
もちろん、スポーツ少年団の運営としてひとつの小学校単独で運営していくという選択肢もありました。
どちらも正解でしょう。
ただこっちの道に進んだ以上、こっちの道に来てよかったとみんなが思うようにするべく、いろんな方法を講じていかなくてはならない。
その積み重ねをしていく外はないと思っています。
いまだ合併による弊害もあることは確か、しかし、総じてこの合併は成功だと私は思っています。いろんな意味で。
数年前から見越していたわけではありませんが、毎週水曜のナイター。
これをやってきたことが大きいと思っています。
そこで一緒になる土壌が育ってきたといっていい。
その効果を狙っていたわけではありませんが、いつかは一緒になるだろうなぁくらいにしか思っていませんでしたが、それがここにきて活きました。
お互いに一生懸命、子供たちのためにスポ少をやってきている。
そこが最後に分かり合えた最大の要因だと思っています。
さて、2021、今年はその合併をより確かなものにしていくべく、保護者の皆さんに話し合いをお願いしたいと思います。
指導者である私たちがいくらこうしたいと思っても、最後に決定権をもつのは、選手、そして保護者のみなさんだと私は思っています。
長くスポ少に携わってきて、保護者とぶつかったことも何回かあります。
しかし、本流はお互いに外してきませんでした。
細かいところに相違はあれど、最後にめざすところは同じ。
そこはわかってきていただいています。
思い込み、大いに結構。
思い込みもできないようじゃ、面白くない。
選手、保護者、指導者、みんなを巻き込んでの壮大な思い込み。
高田イーグルスとして、その正当性を証明していこうじゃありませんか!
2021、始動です!
スポーツ少年団にかかわるすべての方々、今年もよろしくお願いいたします。
さて、イーグルスにとって激動の2020は終わりました。
なにが激動かというと、高田さんとの合同チームを作り上げたことが大きな動きでした。
私の中でそれが正解かそうでないかという問いはありません。
全員の賛同を最初から得ることは難しいことはわかっていました。
そのうえで、この合併は失敗だったとならないよう、合併して正解だった、よかったと時間がかかっても、ひとりでも多くの選手が、そしてその保護者がそう思えるようにみんなで協力してそこに進むのみだという覚悟と決意をもっていたからです。
不正解だなんて思わせない。
初めから正解することしか考えていませんでした。
私もよく上司とぶつかります。
その中でよく言われること、
「お前は最初に自分に都合のいい結論を持ってくる。思い込みが激しい。その結論が間違っているというリスクは考えないのか?」と。
私はいいます。
「はたから見れば間違っているといわれることも、もしかしたら間違っていないかもしれません。最初からできない、間違っていると決めつけるよりも、どうやったら成功するか、そしてそこにたどり着く方法を考えたほうが面白くありませんか?」
その先輩はそこでため息をつきます。
めんどくせぇやつだと思われるほうが多い。
もっと細かいところに気を使って、いろいろ詰めてから実行に移せ。
それはわかっています。
ルールがあるから、段取りが決まっているから、それが今までのやり方だから、そうやって、新しいルートを探ろうとしない。
旧態依然。
今までルール、段取り、やり方を疑ってみたほうがいい。
まず動く。まず思い込む。
細かいところは後から直していけばいい。
それはだめだ、無理だという前に、俺は、俺たちはここまで到達するんだと決める。
そこにいくまでのルート、方法を考えて実行に移す。
間違っているのならば、効率が悪いならば、それを変える第一歩を踏み出しましょう。
こういう人種を真っ向から否定する人種もいることもわかっています。
アクセルとブレーキ。自動車には両方必要です。
がけっぷちではブレーキが必要です。いろんな考えがあっていい。
多様性こそ、生物の進化の歴史。
めんどくせぇと思われても、最終的にはブレーキさえも納得させてしまえばいい。
その方がチームとして機能する。私はそう思っています。
私としても、アクセルだけの車には乗りたくないですからね。
ブレーキも大事。
世の中は、ブレーキだけではなくいろんな部品、役割で成り立っています。
先輩とのぶつかりも必要なこと。ぶつかることも長い目で見れば、悪いことではないんです。
それを踏まえたうえで、私はアクセルという役割を果たしていこうと思っています。
そういや昔、小学校のころ国語の授業で、フグを調理する一族の話がありました。
猛毒のフグをたべるために、子々孫々、命をもってふぐのだべられる部位、調理法を探していく。
変わったことをやる人間は最初はあほだと思われます。
最初はマイノリティなんです。少数派。
それでも少しずつ、わかってくれる人が増えていく。思えば人の歴史なんてその繰り返し。
勇気と信念をもって最初の一歩を踏み出すものがいままでを作ってきたといっていい。
ふぐを食おうと思った一族の壮大な思い込み。
それがあったからこそ、今日のふぐのおいしさのありがたみがわかります。
その意味で、今年の高田さんとイーグルスの合併も勇気ある一歩だったと私は思います。
昨年の今の時期、こうなることを予測していた人は何人いたでしょうか?
私自身も、こうなればいいなぁというおぼろげなイメージしかありませんでした。
そしておそらく多くの保護者の賛同は得られないだろうとも思っていました。
だが、動かないわけにはいきませんでした。
状況が目まぐるしく変わる中で、変化を恐れて立ち止まることは私にはできませんでした。
今後の美里イーグルスの先が見えていたからです。
両チームの内部事情、今後5年10年先の入団者数の減少傾向、指導者の確保の難しさ、会津のチーム数の減少、県内の強豪チームの一本化への対抗策などいろんな事情を考慮して、合併するのが妥当だというのが私の結論でした。
もちろん、スポーツ少年団の運営としてひとつの小学校単独で運営していくという選択肢もありました。
どちらも正解でしょう。
ただこっちの道に進んだ以上、こっちの道に来てよかったとみんなが思うようにするべく、いろんな方法を講じていかなくてはならない。
その積み重ねをしていく外はないと思っています。
いまだ合併による弊害もあることは確か、しかし、総じてこの合併は成功だと私は思っています。いろんな意味で。
数年前から見越していたわけではありませんが、毎週水曜のナイター。
これをやってきたことが大きいと思っています。
そこで一緒になる土壌が育ってきたといっていい。
その効果を狙っていたわけではありませんが、いつかは一緒になるだろうなぁくらいにしか思っていませんでしたが、それがここにきて活きました。
お互いに一生懸命、子供たちのためにスポ少をやってきている。
そこが最後に分かり合えた最大の要因だと思っています。
さて、2021、今年はその合併をより確かなものにしていくべく、保護者の皆さんに話し合いをお願いしたいと思います。
指導者である私たちがいくらこうしたいと思っても、最後に決定権をもつのは、選手、そして保護者のみなさんだと私は思っています。
長くスポ少に携わってきて、保護者とぶつかったことも何回かあります。
しかし、本流はお互いに外してきませんでした。
細かいところに相違はあれど、最後にめざすところは同じ。
そこはわかってきていただいています。
思い込み、大いに結構。
思い込みもできないようじゃ、面白くない。
選手、保護者、指導者、みんなを巻き込んでの壮大な思い込み。
高田イーグルスとして、その正当性を証明していこうじゃありませんか!
2021、始動です!
今年の最後の練習が終わりました。
振り返ってみると、こんなにももどかしい1年は初めての経験でした。
全国大会を目指して、高田さんと合併し、望んだ会津大会。
猪苗代さんに惨敗しました。
そこから、本当の高田イーグルスとしての戦いが始まったと私は思っています。
そして、いろんな経験を積んできたことはみなさんご承知のとおりです。
人間行きていれば、必ずしもいいところばかりとは限りません。
望まない結果の目しかでないときもある。
心が折れそうになります。現に折れました。
困難にくじけそうになります。現にくじけました。
自分たちがやってきたことを信じられなくなります。現に疑いました。
大事なのはそういう時です。
上手くいっているときには、追い風が吹いています。多少のミスなど振り払えるほどの勢いがある。
しかし、その反対はいつもうまくいっていることでさえもつまずき、ミスは連鎖し、運もこちらに来ない。
その人の、そのチームの真価が問われるのはこういう時です。
過ぎてしまったことは、取り返しがつきません。
いくら悔やんでも、元には戻らない。
だからこそ、それまでの準備が大事なんです。
おきたことは帳消しにはできない。
だからこそ、次はどうしたらそうならないかを考え、そのためにはどう行動していくかを探るしかてはありません。
落ち込む暇などないといいたいところですが、私はとことん落ち込んでいいと思います。
流行りの鬼滅の刃の善逸さんのように、弱さを前面にだしていい。
気の済むまで泣いて、くよくよしていいと思います。
自分にきっちり向き合うこと。
自分の弱さを受け入れる。
そして、立ちあがれ!
高田イーグルスの1年はこの連続だったと思います。
何度彼らを突き放したことか……
それでも、彼らはまたグランドに真剣に向き合うことを選びました。
望むような結果は手に入りませんでした。
それもまた今年のチームの本質なんでしょう。
大事なところで弱い。
思い出してみれば、それを象徴するようなプレーが何個も思い出されます。
それは当事者である彼らのココロの中に刺さっていて欲しい。
あの時こうしていれば、
あの時俺がこのミスをしなければ、
あの時あのコースに投げなければ、
あの時、あの時、あの時……
彼らそれぞれの中に、一生、ずっとずっと残っていていい傷だと思います。
なぜそうなったかを一生をもって問い続ける。
打開策が必ずあるはず。
次はやらないという布石となる。
無傷なんて、むしろかっこ悪い。
傷だらけでいい。
その傷は、「俺を忘れるな、この悔しい思いをわすれるな。」と言ってくれています。
不屈のココロを育ててくれます。
その傷が、やがて未来の彼らを奮い立たせてくれる、私はそう信じています。
このクリスマスイブさえも来たるべき春に向けて、走り続ける彼ら。
クリスマスイブにもかかわらず、今シーズン最後の練習に送り出してくれるご家族。
この時くらいは練習しなくていいかなと、私も思いましたがやってしまいました。
この子たちが、一生懸命に走る姿は胸を打ちます。
俺はやるぞ、私はやるよ!と彼らが言っています。
来たるべき来シーズンはどんなシーズンになることでしょうか?
しんしんと降る雪のように、彼らの自信を少しずつ積み上げていく。
暗闇から無数に表れる雪に美里イーグルスの彼らを重ね合わせて、今年最後の練習を終える事とします。
振り返ってみると、こんなにももどかしい1年は初めての経験でした。
全国大会を目指して、高田さんと合併し、望んだ会津大会。
猪苗代さんに惨敗しました。
そこから、本当の高田イーグルスとしての戦いが始まったと私は思っています。
そして、いろんな経験を積んできたことはみなさんご承知のとおりです。
人間行きていれば、必ずしもいいところばかりとは限りません。
望まない結果の目しかでないときもある。
心が折れそうになります。現に折れました。
困難にくじけそうになります。現にくじけました。
自分たちがやってきたことを信じられなくなります。現に疑いました。
大事なのはそういう時です。
上手くいっているときには、追い風が吹いています。多少のミスなど振り払えるほどの勢いがある。
しかし、その反対はいつもうまくいっていることでさえもつまずき、ミスは連鎖し、運もこちらに来ない。
その人の、そのチームの真価が問われるのはこういう時です。
過ぎてしまったことは、取り返しがつきません。
いくら悔やんでも、元には戻らない。
だからこそ、それまでの準備が大事なんです。
おきたことは帳消しにはできない。
だからこそ、次はどうしたらそうならないかを考え、そのためにはどう行動していくかを探るしかてはありません。
落ち込む暇などないといいたいところですが、私はとことん落ち込んでいいと思います。
流行りの鬼滅の刃の善逸さんのように、弱さを前面にだしていい。
気の済むまで泣いて、くよくよしていいと思います。
自分にきっちり向き合うこと。
自分の弱さを受け入れる。
そして、立ちあがれ!
高田イーグルスの1年はこの連続だったと思います。
何度彼らを突き放したことか……
それでも、彼らはまたグランドに真剣に向き合うことを選びました。
望むような結果は手に入りませんでした。
それもまた今年のチームの本質なんでしょう。
大事なところで弱い。
思い出してみれば、それを象徴するようなプレーが何個も思い出されます。
それは当事者である彼らのココロの中に刺さっていて欲しい。
あの時こうしていれば、
あの時俺がこのミスをしなければ、
あの時あのコースに投げなければ、
あの時、あの時、あの時……
彼らそれぞれの中に、一生、ずっとずっと残っていていい傷だと思います。
なぜそうなったかを一生をもって問い続ける。
打開策が必ずあるはず。
次はやらないという布石となる。
無傷なんて、むしろかっこ悪い。
傷だらけでいい。
その傷は、「俺を忘れるな、この悔しい思いをわすれるな。」と言ってくれています。
不屈のココロを育ててくれます。
その傷が、やがて未来の彼らを奮い立たせてくれる、私はそう信じています。
このクリスマスイブさえも来たるべき春に向けて、走り続ける彼ら。
クリスマスイブにもかかわらず、今シーズン最後の練習に送り出してくれるご家族。
この時くらいは練習しなくていいかなと、私も思いましたがやってしまいました。
この子たちが、一生懸命に走る姿は胸を打ちます。
俺はやるぞ、私はやるよ!と彼らが言っています。
来たるべき来シーズンはどんなシーズンになることでしょうか?
しんしんと降る雪のように、彼らの自信を少しずつ積み上げていく。
暗闇から無数に表れる雪に美里イーグルスの彼らを重ね合わせて、今年最後の練習を終える事とします。
もうひとつティーボールの話題です。
室内ティーボールは、外でやるソフトボールよりも選手との距離が近くなります。
その分、いろんなことを、より分析しやすくなります。
今回、私は各チームの残存兵力を集めての連合チームを監督として率いました。
高田イーグルスからも数名送り出せるはずですが、諸事情でゼロ。
何とかしてチームを組めるかなぁと思っていましたが、本郷さんから二名と柳津さんから三名で、総勢五名。
はぁて、あと5人足りないぞ。
んー、そや、大人をいれて守備だけにして、5人に2回打たせれば回せると判断。
お父さんたちも快く協力してくれました。
これで、5人の選手をフル活用できる。
我ながらいい判断でした。
控えに回ることなく、打ちも打ったり、守りも守ったり!
全員がフル出場できる環境が整いました。
その中で、将来の各チームのエース、スラッガー候補をつぶさにみる。
どのチームもまだまだあらけずりですが、個性豊かな面々がラインナップされています。
私がその中でも特に感心したのは、柳津さんの1年生3人。
華麗にゴロを裁き、アウトの山を築きます。
小さいながらうまい。
あー3年生くらいかなと思って、学年を聞くと、「1年生です!」との回答。
えー、まじでー、ほんとー。
ビビりました。
上手い。こいつら上手い。
ゴロに入るタイミング、固くない捕球体勢、からのスムーズな送球姿勢。
いろんなしぐさにセンスを感じます。
これで本当に1年生かい?
世の中にはまだまだ驚かせてくれることがたくさんあります。
あーこの子たちはまだまだ上手くなるなあと近い将来を想像してみる。
私はファンになってしまい、勝手に「柳津スリースターズ」と命名してしまいました。
ボールを打つこと、ゴロをさばくこと、
ソフトボールをやること、
試合にでることが楽しくて仕方がない。
嬉々としている。
彼らのプレーがそう言っています。
こういう子たちのプレーは面白くて仕方がない。
相手チームながら、この子たちの成長が見たくなってしまいます。
そんな子たちが他にもいました。
エイタ、ユメカ、シンジ、カズキ、リク……
自分のチームそっちのけで、「カズキ!ナイスプレー!」と声をかけてしまいます。
次世代の各スポ少を担うであろうヒナたちの躍動。
そういう子たちにたくさん出会えるチャンスがこのティーボール大会にありました。
こういう気持ちはおそらく、美里連盟の多くの指導者の中にあると思います。
敵は敵としておきながらも、相手へのリスペクト。選手たちへのリスペクトがある。
この子たちが大きく成長してくれることを願ってやみません。
そこには、敵味方など関係なく、みんなでソフトボールをやる子どもたちを見守る。
こういう姿勢が美里連盟のスポ少にはあります。
いい雰囲気と環境がある。
そこは胸を張って言えるところです。
今は確かにコロナ禍。
いろんな制限があります。
その制限が有りながらも、やれることをやっていきましょう。
この大会でホームラン競争をやりました。
各チーム、1名のスラッガーが3本勝負でホームランの数を競い合う。
大方の予想は六年のユキノブあたりかと思っていましたが、力みすぎて、狙いすぎて記録は1本。
優勝したのは、ホームラン2本、弱冠3年生の高田イーグルスのトウマでした。
彼もまだまだ荒削り。
ただトウマの中にはホームランを狙うというよりは、より遠くにボールをかっ飛ばす!
記録や勝ち負けにこだわらない姿勢が、彼をして優勝に導いたと私は思います。
まさに「純粋スラッガー」。
ケンタとは毛色が少し違います。
彼も楽しみな逸材。
トウマが高田イーグルスで良かったと思ったのは私だけではないでしょう。
近い将来、新鶴のエイタとスラッガー争いをすることになります。
トウマ以外にも、高田イーグルスの4年生以下の成長が目まぐるしいと思いました。
人にああしろ、こうしろと言われるよりも、自分で楽しさを追求する姿勢。
これからもその芽を伸ばすティーボールも続けていきたいと思います。
室内ティーボールは、外でやるソフトボールよりも選手との距離が近くなります。
その分、いろんなことを、より分析しやすくなります。
今回、私は各チームの残存兵力を集めての連合チームを監督として率いました。
高田イーグルスからも数名送り出せるはずですが、諸事情でゼロ。
何とかしてチームを組めるかなぁと思っていましたが、本郷さんから二名と柳津さんから三名で、総勢五名。
はぁて、あと5人足りないぞ。
んー、そや、大人をいれて守備だけにして、5人に2回打たせれば回せると判断。
お父さんたちも快く協力してくれました。
これで、5人の選手をフル活用できる。
我ながらいい判断でした。
控えに回ることなく、打ちも打ったり、守りも守ったり!
全員がフル出場できる環境が整いました。
その中で、将来の各チームのエース、スラッガー候補をつぶさにみる。
どのチームもまだまだあらけずりですが、個性豊かな面々がラインナップされています。
私がその中でも特に感心したのは、柳津さんの1年生3人。
華麗にゴロを裁き、アウトの山を築きます。
小さいながらうまい。
あー3年生くらいかなと思って、学年を聞くと、「1年生です!」との回答。
えー、まじでー、ほんとー。
ビビりました。
上手い。こいつら上手い。
ゴロに入るタイミング、固くない捕球体勢、からのスムーズな送球姿勢。
いろんなしぐさにセンスを感じます。
これで本当に1年生かい?
世の中にはまだまだ驚かせてくれることがたくさんあります。
あーこの子たちはまだまだ上手くなるなあと近い将来を想像してみる。
私はファンになってしまい、勝手に「柳津スリースターズ」と命名してしまいました。
ボールを打つこと、ゴロをさばくこと、
ソフトボールをやること、
試合にでることが楽しくて仕方がない。
嬉々としている。
彼らのプレーがそう言っています。
こういう子たちのプレーは面白くて仕方がない。
相手チームながら、この子たちの成長が見たくなってしまいます。
そんな子たちが他にもいました。
エイタ、ユメカ、シンジ、カズキ、リク……
自分のチームそっちのけで、「カズキ!ナイスプレー!」と声をかけてしまいます。
次世代の各スポ少を担うであろうヒナたちの躍動。
そういう子たちにたくさん出会えるチャンスがこのティーボール大会にありました。
こういう気持ちはおそらく、美里連盟の多くの指導者の中にあると思います。
敵は敵としておきながらも、相手へのリスペクト。選手たちへのリスペクトがある。
この子たちが大きく成長してくれることを願ってやみません。
そこには、敵味方など関係なく、みんなでソフトボールをやる子どもたちを見守る。
こういう姿勢が美里連盟のスポ少にはあります。
いい雰囲気と環境がある。
そこは胸を張って言えるところです。
今は確かにコロナ禍。
いろんな制限があります。
その制限が有りながらも、やれることをやっていきましょう。
この大会でホームラン競争をやりました。
各チーム、1名のスラッガーが3本勝負でホームランの数を競い合う。
大方の予想は六年のユキノブあたりかと思っていましたが、力みすぎて、狙いすぎて記録は1本。
優勝したのは、ホームラン2本、弱冠3年生の高田イーグルスのトウマでした。
彼もまだまだ荒削り。
ただトウマの中にはホームランを狙うというよりは、より遠くにボールをかっ飛ばす!
記録や勝ち負けにこだわらない姿勢が、彼をして優勝に導いたと私は思います。
まさに「純粋スラッガー」。
ケンタとは毛色が少し違います。
彼も楽しみな逸材。
トウマが高田イーグルスで良かったと思ったのは私だけではないでしょう。
近い将来、新鶴のエイタとスラッガー争いをすることになります。
トウマ以外にも、高田イーグルスの4年生以下の成長が目まぐるしいと思いました。
人にああしろ、こうしろと言われるよりも、自分で楽しさを追求する姿勢。
これからもその芽を伸ばすティーボールも続けていきたいと思います。
さて本格的な冬となりました。
室内練習しかできない、会津のデメリットを何とかしてメリットにできないかと考えたうえ、ひとつの案としてティーボールに行きつきました。
室内でもチームとして野球系のスポーツができる。
走ったり、筋トレ、体幹トレーニングなどの練習も大事なのはわかっていますが、やはりバットを思い切り振って、ボールをかっ飛ばすことにはかないません。
ティーボールは少し物足りないながらも、打撃に特化したチームスポーツ。
突き詰めていけば、これも春先グランドに立ったときに役に立ってくれるはずです。
さて、コロナ対策をとりながらの室内大会。
私の考えとして、選手全員を選手として打たせて守らせるたいという野望がありました。
よって、各スポ少、余りの選手……
言い方が悪いのですが、残存兵力を集めて連合チームを作りました。
そしてひとりふたりくらい少なくても、誰かがに2回打つなど代替策を講じる。
ベンチを温めることなく、全員をレギュラーとして登録する。
ここに狙いがありました。
ベンチの役割、下積みも大事ですが、やはり試合に出て、できなくても、ミスっても、失敗してもいいから思い切りやる。
わけなどわかんなくていいんです。
バット1本とボール1個。
みんなと一緒にフィールドに立つ。
「あっ!俺、なんか野球やってんな。」という感覚。
俺らが昔やった原っぱ野球。
六年もいれば、一年もいる、人数もひとりふたりあわない。
平等な条件などは、話し合いやじゃんけん、ガキ大将の力尽くで解決する。
あのカタチでいいんです。
本当はこういう、スポーツ競技ではなく、遊びでいいんじゃないなと思うときがあります。
上手い下手という技術とか勝ち負けとか、うんぬんではなく、ただ純粋にみんなで楽しむということ。
それも野球の側面のひとつではないのかと。
ただ今の時代、そういう環境がない。
プラスチックのカラーバットを自転車のサドルの後ろに突っ込み、タイヤのスポークの間にはお気に入りの色のカラーボール。
そして、いつもの場所にいけば待ち合わせの約束などなくても誰かがいて、野球ができる。
ドラえもんの空き地の野球。
しかし、今はああいう環境がないし、もはや子供たちだけであのコミュニティは作れないでしょう。
ないなら、大人が作ればいいんです。
そしてそこから派生して、子供たちが自分たちでやろうというきっかけを作ってやる。
スポ少はスポ少としてそれでいい。
しかし競技ではなく、楽しみ、趣味としての野球が今の子供たちの中にあってもいいんじゃないかと最近強く思います。
ティーボールはその方法になり得る。
この前の子供たち嬉々としてフルスイングをして、フィールドを駆け抜ける笑顔をみて実感しました。
ひとつ、ひらめきました。
今度は、全員をシャッフルして、チーム関係なく、新たなチームを作って戦うのも新鮮味があっておもしろいんじゃないでしょうか?
あっ、これは面白そうです。
主旨に賛同していただけるチームを呼んでやりたいと思います。
ただ、どのチームも均衡していなくては面白くない。チーム分けがカギを握りますね。
競技としてのソフトボール。
純粋な楽しみとしてのティーボール。
私は欲張りなので、どちらも追求していこうと思います。
室内練習しかできない、会津のデメリットを何とかしてメリットにできないかと考えたうえ、ひとつの案としてティーボールに行きつきました。
室内でもチームとして野球系のスポーツができる。
走ったり、筋トレ、体幹トレーニングなどの練習も大事なのはわかっていますが、やはりバットを思い切り振って、ボールをかっ飛ばすことにはかないません。
ティーボールは少し物足りないながらも、打撃に特化したチームスポーツ。
突き詰めていけば、これも春先グランドに立ったときに役に立ってくれるはずです。
さて、コロナ対策をとりながらの室内大会。
私の考えとして、選手全員を選手として打たせて守らせるたいという野望がありました。
よって、各スポ少、余りの選手……
言い方が悪いのですが、残存兵力を集めて連合チームを作りました。
そしてひとりふたりくらい少なくても、誰かがに2回打つなど代替策を講じる。
ベンチを温めることなく、全員をレギュラーとして登録する。
ここに狙いがありました。
ベンチの役割、下積みも大事ですが、やはり試合に出て、できなくても、ミスっても、失敗してもいいから思い切りやる。
わけなどわかんなくていいんです。
バット1本とボール1個。
みんなと一緒にフィールドに立つ。
「あっ!俺、なんか野球やってんな。」という感覚。
俺らが昔やった原っぱ野球。
六年もいれば、一年もいる、人数もひとりふたりあわない。
平等な条件などは、話し合いやじゃんけん、ガキ大将の力尽くで解決する。
あのカタチでいいんです。
本当はこういう、スポーツ競技ではなく、遊びでいいんじゃないなと思うときがあります。
上手い下手という技術とか勝ち負けとか、うんぬんではなく、ただ純粋にみんなで楽しむということ。
それも野球の側面のひとつではないのかと。
ただ今の時代、そういう環境がない。
プラスチックのカラーバットを自転車のサドルの後ろに突っ込み、タイヤのスポークの間にはお気に入りの色のカラーボール。
そして、いつもの場所にいけば待ち合わせの約束などなくても誰かがいて、野球ができる。
ドラえもんの空き地の野球。
しかし、今はああいう環境がないし、もはや子供たちだけであのコミュニティは作れないでしょう。
ないなら、大人が作ればいいんです。
そしてそこから派生して、子供たちが自分たちでやろうというきっかけを作ってやる。
スポ少はスポ少としてそれでいい。
しかし競技ではなく、楽しみ、趣味としての野球が今の子供たちの中にあってもいいんじゃないかと最近強く思います。
ティーボールはその方法になり得る。
この前の子供たち嬉々としてフルスイングをして、フィールドを駆け抜ける笑顔をみて実感しました。
ひとつ、ひらめきました。
今度は、全員をシャッフルして、チーム関係なく、新たなチームを作って戦うのも新鮮味があっておもしろいんじゃないでしょうか?
あっ、これは面白そうです。
主旨に賛同していただけるチームを呼んでやりたいと思います。
ただ、どのチームも均衡していなくては面白くない。チーム分けがカギを握りますね。
競技としてのソフトボール。
純粋な楽しみとしてのティーボール。
私は欲張りなので、どちらも追求していこうと思います。
会津選抜チームの分散会が行われました。
今年も練習を視察していただいた国分前監督を来賓にお迎えし、佐藤監督のあいさつから始まり、選手ひとりひとりからスピーチをもらい、我々コーチ陣も思いを語らせていただきました。
ひと言で言えば、さみしい。
このチームでもうできないことが、たまらなくさみしいです。
この分散会を迎えると言うことは、本当にもうできないんだということを実感します。
今年もいいチームでした。
選手もそうですが、保護者のみなさんの惜しみない協力があってこその、この連帯感でした。
ほんとにいいチーム。
そんな皆さんの想いが、この分散会の雰囲気に現れていたと思います。
そのみんなの思いを汲んで、佐藤監督が編集したスライドショーをみる。
泣かない保護者、指導者はいないでしょう。
保護者の方々が撮影した写真16000枚の中から厳選した一コマが熱い音楽とともに流れる。
佐藤監督は来る日も来る日も編集のために、選手たちの顔を見続けて、彼らの父親になった気分だと言っていました。
その編集作業の大変さ、佐藤監督には感謝しかありません。毎年、ありがとうございます。
選抜の期間、2カ月を切り取った写真。
それをスライドショーで振り返る。
プレーや表情、1枚1枚の写真が選手たちの、そのお父さんお母さんの思いに溢れています。
これを「愛」とよぶのでしょうね。「チーム愛」。
必ず佐藤監督が入れるスーパーフライの曲がまた合うんです。
カイのお父さんが言ってました。
最初はそれぞれのスポ少が集まった寄せ集めのチーム。上手くいくか不安だったけれど、終わってみれば、子ども達だけではなく自分も号泣していると。
保護者のみなさんのココロを代弁していたと思います。
今年はコロナのために始動も遅く、いつもより対外的な試合もできませんでした。
その中で、数少ない練習機会の中で少しずつ「チーム」として、熟成されてきました。
レギュラーとなり主戦として試合にでる選手もそうですが、控えに回った選手たちも自分の役割を探して、チームに貢献する姿勢を見せてくれました。
最後の試合が終わったとき、1番号泣していたのはテッセイだと思います。
試合に出たい、打ちたいとずっと懇願していました。それは他の控えメンバーも同じだと思います。
俺も試合に出たい!その思いに整理をつけて、応援に周り、サポートすることに全力を尽くした。
たいしたもんです。
これができるんですから。
たがらこそ、最後の試合が終わったときに、実際に試合に出ていた選手以上に悔しさがこみ上げてきたんだと思います。
俺のソフトが終わった。
俺たちのソフトボールが終わった。
嗚咽に近い涙。
彼らの純な涙を真っ向から受けとめてしまいました。
よける術はありません。
私ももらってしまいました。
テッセイの、テッセイたちの悔しさが痛いほどわかる。
でも、今は泣いていい。
気の済むまで泣いていい。
泣きたいだけ泣いたらいい。
そして、また前を向け!上を向け!
そう心の中で彼らにはエールを送りました。
控えのメンバーも、グランドにいる選手以上に戦う気持ちがあった。
私はそれがうれしいし、誇らしい。
そんなメンバーともお別れの時間が来てしまいます。
出会いこそ財産。
この素晴らしいメンバーとの出会いを大切にして欲しいと思います。
出会いは次の出会いにつながります。
保護者のみなさんにいただいた、メンバー全員の名前が入ったカップで毎夜晩酌をしながら、大きく成長した彼らにまた会う日を楽しみに待ちましょう!
ご協力いただきました保護者のみなさま、ありがとうございました!
今年も練習を視察していただいた国分前監督を来賓にお迎えし、佐藤監督のあいさつから始まり、選手ひとりひとりからスピーチをもらい、我々コーチ陣も思いを語らせていただきました。
ひと言で言えば、さみしい。
このチームでもうできないことが、たまらなくさみしいです。
この分散会を迎えると言うことは、本当にもうできないんだということを実感します。
今年もいいチームでした。
選手もそうですが、保護者のみなさんの惜しみない協力があってこその、この連帯感でした。
ほんとにいいチーム。
そんな皆さんの想いが、この分散会の雰囲気に現れていたと思います。
そのみんなの思いを汲んで、佐藤監督が編集したスライドショーをみる。
泣かない保護者、指導者はいないでしょう。
保護者の方々が撮影した写真16000枚の中から厳選した一コマが熱い音楽とともに流れる。
佐藤監督は来る日も来る日も編集のために、選手たちの顔を見続けて、彼らの父親になった気分だと言っていました。
その編集作業の大変さ、佐藤監督には感謝しかありません。毎年、ありがとうございます。
選抜の期間、2カ月を切り取った写真。
それをスライドショーで振り返る。
プレーや表情、1枚1枚の写真が選手たちの、そのお父さんお母さんの思いに溢れています。
これを「愛」とよぶのでしょうね。「チーム愛」。
必ず佐藤監督が入れるスーパーフライの曲がまた合うんです。
カイのお父さんが言ってました。
最初はそれぞれのスポ少が集まった寄せ集めのチーム。上手くいくか不安だったけれど、終わってみれば、子ども達だけではなく自分も号泣していると。
保護者のみなさんのココロを代弁していたと思います。
今年はコロナのために始動も遅く、いつもより対外的な試合もできませんでした。
その中で、数少ない練習機会の中で少しずつ「チーム」として、熟成されてきました。
レギュラーとなり主戦として試合にでる選手もそうですが、控えに回った選手たちも自分の役割を探して、チームに貢献する姿勢を見せてくれました。
最後の試合が終わったとき、1番号泣していたのはテッセイだと思います。
試合に出たい、打ちたいとずっと懇願していました。それは他の控えメンバーも同じだと思います。
俺も試合に出たい!その思いに整理をつけて、応援に周り、サポートすることに全力を尽くした。
たいしたもんです。
これができるんですから。
たがらこそ、最後の試合が終わったときに、実際に試合に出ていた選手以上に悔しさがこみ上げてきたんだと思います。
俺のソフトが終わった。
俺たちのソフトボールが終わった。
嗚咽に近い涙。
彼らの純な涙を真っ向から受けとめてしまいました。
よける術はありません。
私ももらってしまいました。
テッセイの、テッセイたちの悔しさが痛いほどわかる。
でも、今は泣いていい。
気の済むまで泣いていい。
泣きたいだけ泣いたらいい。
そして、また前を向け!上を向け!
そう心の中で彼らにはエールを送りました。
控えのメンバーも、グランドにいる選手以上に戦う気持ちがあった。
私はそれがうれしいし、誇らしい。
そんなメンバーともお別れの時間が来てしまいます。
出会いこそ財産。
この素晴らしいメンバーとの出会いを大切にして欲しいと思います。
出会いは次の出会いにつながります。
保護者のみなさんにいただいた、メンバー全員の名前が入ったカップで毎夜晩酌をしながら、大きく成長した彼らにまた会う日を楽しみに待ちましょう!
ご協力いただきました保護者のみなさま、ありがとうございました!
今日のNHK、逆転人生を見ていました。
現実は小説よりも奇なり。
こういうノンフィクション、大好きです。
今日は、2015.9.19ラグビーワールドカップ。
南アフリカを倒した、イギリス、ブライトンの奇跡。
その舞台裏にスポットを当てます。
当時のラグビー日本代表は、20年以上も勝利から見放され、世界の中でも弱小として認識されていました。
その日本代表をメンタル面から支えるべく、当時若干30代の女性をスポーツメンタルコーチとして迎えます。
アメリカで最先端のスポーツメンタルを学びながらも日本で活かせない不遇。
2019に日本でラグビーワールドカップの開催国となりながらも、世界で勝てない日本代表とタッグを組んで逆転を目指す筋書きでした。
当時の日本代表をどこがマイナスで、どこがプラスかをメンタル面から分析します。
当時も今もそうですが、日本のスポーツにあるあるの問題を別な角度から切り取ります。
ミスをあげつらい、ミスばかりを指摘する。
誉めても誉められたことを流す。
言いたいことを呑み込んでしまう日本人特有の集団的性格などなどを列挙します。
こういう日本スポーツの常識、細かいマイナスの連鎖により、日本代表選手たちに「自信」が蓄積されていかないことに彼女は気づきました。
それを改善すべく、エディジョーンズヘッドコーチにズケズケものを言う。
小さいことなんです。
何気ないことでボールを落としてしまった選手を責める。
その時間をなくして、次はどうすればいいかを考えて行動する。
そして、どんな小さく些細なことでもいいことはチームの中で誉め合う。
お互いに小さないいことを、大きな声で誉めて認め合う。
そうすることで、ひとりひとり少しずつ自信がついてきます。
そうなるとここはこうした方がいい、あそこはこういくべきだったなど選手間のコミュニケーションが密に取れるようになってきました。
そうなることで、ラグビーは、特にチームプレーにとってはプラスにしか働かないでしょう。
闊達な意見が飛び交い、常に前を向く集団になってきます。
私がぐっときたのはここです。
自信こそが自分を強くする糧。
その自信は人に誉められることで培われる。
これこそがスポーツをやる意味、スポ少をやる意義なんだと思いました。
自信をもった心は強い。
体を動かすのは心。
強い心は強いフィジカルを育てます。
小さな事をちまちま責めるよりは、いいところを誉めて誉めて誉めまくった方がいい。
その方がお互いの魂にとってプラスとなるんでしょうね。
誉めるということは、相手を認めること。
相手を認めることはコミュニケーション=意思疎通そのものと言えます。
チームメイトの考えること、首脳陣の考えること、すなわち戦術を手に取るように理解し、即座に行動に移す。
そこに世界でも後発でフィジカルに劣る日本人がとるべきヒントがあります。
「個」を「衆」で圧倒する。
ここでいう衆とは、瞬時に意思疎通し、来たるべく戦術を理解し、即座に行動する集団を指します。
まさに、2015のブライトンの日本代表はそういう集団だったと思います。
だから、ラスト5分で29:32で負けているとき、3点のペナルティキックで同点にすることを選択せず、あくまでトライの5点を取りに行ったんだと思います。
結果はご承知の通り。
誰がどう見ても少ない可能性。
たいていの場合は引き分けでいいと思うはずです。
この選択にコーチ席にいたエディジョーンズもリーチマイケルらグランドにいた選手たちの選択にいったんは激怒したそうです。
そりゃそうです。
キックならばかなりの確率で同点にできた。
しかしその選択しなかった。
歴史を作るのは誰だ?
彼らは常に、自分たちに問い続けてきました。
弱小弱小と言われ続けてきた弱い自分たちを打破する機会を狙っていた。
いつも壁をぶち破る準備をしてきました。
そして、そのチャンスが目の前にある。
今日のこの番組の主人公の荒木コーチが言っていました。
あれは奇跡なんかではない、必然だったと。
そう思えるメンタルの強さ。たいしたもんです。
逆境の中でこそ、ひとつのミスも許されないギリギリの状況にあってこそ、その人の、そのチームの真価が問われる。
そして彼らにはその覚悟があった。
だからこそ全員が勝利を必然として疑わなかった。強い気持ち。まさにブレイブハート。
それは間違いなく荒木コーチから出たものだと思いました。
ブライトンの奇跡といわれる、日本ラグビー史に燦然と輝く金字塔。
荒木コーチは言いました。
あれ以上の景色はもう見ることはないと。
しかし私はそうは思いません。
人は欲張りです。
いったん経験したもの以上の刺激を欲して止まないでしょう。
過去は過去として彼女は、あの時みた景色を糧としながら、後輩の選手たちと再びそういう景色を見ることに今も全力を尽くしていると私は思います。
お互いに小さなこともチームで誉め合う。
認め合うことに繫がり、小さな自信が積み重なっていく。自信はこころを強くします。
人を動かすのはこころ。
こころも強くあれ!高田イーグルス!
現実は小説よりも奇なり。
こういうノンフィクション、大好きです。
今日は、2015.9.19ラグビーワールドカップ。
南アフリカを倒した、イギリス、ブライトンの奇跡。
その舞台裏にスポットを当てます。
当時のラグビー日本代表は、20年以上も勝利から見放され、世界の中でも弱小として認識されていました。
その日本代表をメンタル面から支えるべく、当時若干30代の女性をスポーツメンタルコーチとして迎えます。
アメリカで最先端のスポーツメンタルを学びながらも日本で活かせない不遇。
2019に日本でラグビーワールドカップの開催国となりながらも、世界で勝てない日本代表とタッグを組んで逆転を目指す筋書きでした。
当時の日本代表をどこがマイナスで、どこがプラスかをメンタル面から分析します。
当時も今もそうですが、日本のスポーツにあるあるの問題を別な角度から切り取ります。
ミスをあげつらい、ミスばかりを指摘する。
誉めても誉められたことを流す。
言いたいことを呑み込んでしまう日本人特有の集団的性格などなどを列挙します。
こういう日本スポーツの常識、細かいマイナスの連鎖により、日本代表選手たちに「自信」が蓄積されていかないことに彼女は気づきました。
それを改善すべく、エディジョーンズヘッドコーチにズケズケものを言う。
小さいことなんです。
何気ないことでボールを落としてしまった選手を責める。
その時間をなくして、次はどうすればいいかを考えて行動する。
そして、どんな小さく些細なことでもいいことはチームの中で誉め合う。
お互いに小さないいことを、大きな声で誉めて認め合う。
そうすることで、ひとりひとり少しずつ自信がついてきます。
そうなるとここはこうした方がいい、あそこはこういくべきだったなど選手間のコミュニケーションが密に取れるようになってきました。
そうなることで、ラグビーは、特にチームプレーにとってはプラスにしか働かないでしょう。
闊達な意見が飛び交い、常に前を向く集団になってきます。
私がぐっときたのはここです。
自信こそが自分を強くする糧。
その自信は人に誉められることで培われる。
これこそがスポーツをやる意味、スポ少をやる意義なんだと思いました。
自信をもった心は強い。
体を動かすのは心。
強い心は強いフィジカルを育てます。
小さな事をちまちま責めるよりは、いいところを誉めて誉めて誉めまくった方がいい。
その方がお互いの魂にとってプラスとなるんでしょうね。
誉めるということは、相手を認めること。
相手を認めることはコミュニケーション=意思疎通そのものと言えます。
チームメイトの考えること、首脳陣の考えること、すなわち戦術を手に取るように理解し、即座に行動に移す。
そこに世界でも後発でフィジカルに劣る日本人がとるべきヒントがあります。
「個」を「衆」で圧倒する。
ここでいう衆とは、瞬時に意思疎通し、来たるべく戦術を理解し、即座に行動する集団を指します。
まさに、2015のブライトンの日本代表はそういう集団だったと思います。
だから、ラスト5分で29:32で負けているとき、3点のペナルティキックで同点にすることを選択せず、あくまでトライの5点を取りに行ったんだと思います。
結果はご承知の通り。
誰がどう見ても少ない可能性。
たいていの場合は引き分けでいいと思うはずです。
この選択にコーチ席にいたエディジョーンズもリーチマイケルらグランドにいた選手たちの選択にいったんは激怒したそうです。
そりゃそうです。
キックならばかなりの確率で同点にできた。
しかしその選択しなかった。
歴史を作るのは誰だ?
彼らは常に、自分たちに問い続けてきました。
弱小弱小と言われ続けてきた弱い自分たちを打破する機会を狙っていた。
いつも壁をぶち破る準備をしてきました。
そして、そのチャンスが目の前にある。
今日のこの番組の主人公の荒木コーチが言っていました。
あれは奇跡なんかではない、必然だったと。
そう思えるメンタルの強さ。たいしたもんです。
逆境の中でこそ、ひとつのミスも許されないギリギリの状況にあってこそ、その人の、そのチームの真価が問われる。
そして彼らにはその覚悟があった。
だからこそ全員が勝利を必然として疑わなかった。強い気持ち。まさにブレイブハート。
それは間違いなく荒木コーチから出たものだと思いました。
ブライトンの奇跡といわれる、日本ラグビー史に燦然と輝く金字塔。
荒木コーチは言いました。
あれ以上の景色はもう見ることはないと。
しかし私はそうは思いません。
人は欲張りです。
いったん経験したもの以上の刺激を欲して止まないでしょう。
過去は過去として彼女は、あの時みた景色を糧としながら、後輩の選手たちと再びそういう景色を見ることに今も全力を尽くしていると私は思います。
お互いに小さなこともチームで誉め合う。
認め合うことに繫がり、小さな自信が積み重なっていく。自信はこころを強くします。
人を動かすのはこころ。
こころも強くあれ!高田イーグルス!
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