時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
さて、明日から練習会場などの使用休止期間が明けます。
ということは、練習再開。
まずは何から手をつけるか?
落ちている体力の底上げ、
基礎練習から基本的な連携の確認、
バッテリー、特にピッチャーの仕上がり度の確認、
秋から始まるであろう新人チームの育成、
などがあげられます。
打撃、守備、走塁など、感覚的なもの、試合勘的なものをいかにしてはやく戻すか?
精神的な部分が大きい。
ずっと雌伏していて、総体でも逆転負け。
気分的にもまったく乗っていない今の状態。
世界を変えるには、試合での成功体験が一番てっとりばやいけど、コロナで試合も大会もない。
そして、もう一つの目標、白獅子。
これもなんとか開催していただけるようです。
ありがたい。
今のイーグルス、状態はよくない、と思います。
総体で関柴さんに逆転負けをして、みんながもう一度上を向いてがんばる機会がコロナ自粛でなくなってしまいました。
もやもやとした感情をもったままくすぶっている。
お互いに気持ちを整理する時間がもてなかった。
あまりいい状態とは言えません。
一回リセットして、自分たちの今を見つめなおす、そこから何が必要かを導き出す。
みんな悪いところもあるし、いいところもある。
それをチームとしてどう活かしていくか?
これってソフトボールだけでなく、ほかのスポーツにもいえます。
難題に面したこの状況。
スポーツどころか、スポーツ以外の場面、職場、学校、家庭、いろんな場面状況で子どもも大人関係なく出会う。
生きていくことは、これの繰り返しだと思うんです。
ただ、ひとりでは困難なことでも、チームであれば勇気百倍、立ち向かえます。
ひとりひとりの切れかかった糸。
それを一本一本紡いで、つないでいきましょう。
より太く、より大きく、より強く。
結果に結びつけばいいですが、相手も自分たちの同じように一生懸命です。
なので、いつもいい結果ばかりではありません。
しかし、それでもまた、自分たちを見つめなおして、上を向いていこうとすること。
こういう過程が大事です。
そういう時は決まって、ドリカムの「何度でも」が流れてきます。
何度でも、何度でも、何度でも、立ち上がれ!
イーグルス!
ということは、練習再開。
まずは何から手をつけるか?
落ちている体力の底上げ、
基礎練習から基本的な連携の確認、
バッテリー、特にピッチャーの仕上がり度の確認、
秋から始まるであろう新人チームの育成、
などがあげられます。
打撃、守備、走塁など、感覚的なもの、試合勘的なものをいかにしてはやく戻すか?
精神的な部分が大きい。
ずっと雌伏していて、総体でも逆転負け。
気分的にもまったく乗っていない今の状態。
世界を変えるには、試合での成功体験が一番てっとりばやいけど、コロナで試合も大会もない。
そして、もう一つの目標、白獅子。
これもなんとか開催していただけるようです。
ありがたい。
今のイーグルス、状態はよくない、と思います。
総体で関柴さんに逆転負けをして、みんながもう一度上を向いてがんばる機会がコロナ自粛でなくなってしまいました。
もやもやとした感情をもったままくすぶっている。
お互いに気持ちを整理する時間がもてなかった。
あまりいい状態とは言えません。
一回リセットして、自分たちの今を見つめなおす、そこから何が必要かを導き出す。
みんな悪いところもあるし、いいところもある。
それをチームとしてどう活かしていくか?
これってソフトボールだけでなく、ほかのスポーツにもいえます。
難題に面したこの状況。
スポーツどころか、スポーツ以外の場面、職場、学校、家庭、いろんな場面状況で子どもも大人関係なく出会う。
生きていくことは、これの繰り返しだと思うんです。
ただ、ひとりでは困難なことでも、チームであれば勇気百倍、立ち向かえます。
ひとりひとりの切れかかった糸。
それを一本一本紡いで、つないでいきましょう。
より太く、より大きく、より強く。
結果に結びつけばいいですが、相手も自分たちの同じように一生懸命です。
なので、いつもいい結果ばかりではありません。
しかし、それでもまた、自分たちを見つめなおして、上を向いていこうとすること。
こういう過程が大事です。
そういう時は決まって、ドリカムの「何度でも」が流れてきます。
何度でも、何度でも、何度でも、立ち上がれ!
イーグルス!
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覆水盆に返らず。
お椀からこぼれた水は二度とお椀には戻せない。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
起きたことを後悔しても仕方がないという意味で使われる事が多いです。
どちらかといえば、やっちまったぁと思うとき、マイナスの時に使うことが多いと思います。
しかし本当にそうでしょうか?
失敗してしまったこと、それ自体はもう覆ることはありせん。
悔やむのも大いに結構だと思うんです。
それでも、いつかは区切り点けて次のステップに行くんだという、覚悟をはらんでいるように最近は聞こえます。
覆水盆に返らず。
次はやらねぇから!
右肩上がりの感じを勝手に付け加えています。
中学3年生の私たち七人の旅は終わりました。
新潟の日本海まで自転車で行くというアホにしかできない旅。
この旅を通してたくさんのことを学びました。
腐りかけて糸をひいているようなおにぎりは食べてはいけないこと。
遠出するときのパーティーの列、なんかあったときのために自転車屋は1番最後にすること。
カレーヌードルのゲロは落ちにくいからなるべくやらないこと。
他にもありますが、前向きな気づきとして陸続きであればいけないところはない、要はやる気と準備の問題だと実感しました。
まだまだ俺たちにはいけるところがある。
やってやれないことはないという確かな自信をつけました。
それは私だけではありません。
この後コウジは大晦日に自転車でいわきの海をマサカズという友達と一緒に目指しました。
まぁ、彼らの挑戦は途中あまりの寒さに開成山球場で野宿をして結局は帰ってきましたが……
私はといえば、大学の時、帰省するのにただでは面白くないと思い、東京から会津、チャリの旅をやりました。これは三日かかりました。巣鴨、板橋、川口、大宮、宇都宮、下今市、五十里湖、山王峠、田島、下郷、大内塾、高田。これもナビなんてないんで、地図をコピーしてテープではりました。泊まりは蚊に刺されながらの野宿。
夏でもアスファルトの上で寝ると寒いと言うことがわかりました。せめてなんか敷かないといかん。
チャリでできたんだから、歩きでもいけるだろうと徒歩にも挑戦しましたが、途中で豆ができて諦めました。そこからまたチャリンコに変更しました。新幹線代を節約したはずが、自転車の輸送代が同じくらいかかって、たいしたうまみもないこともわかりました。
それでも、自分の体を駆使して東京から会津をめざすという試みは、さらに私を進化させたと思います。
そしてその挑戦はどんどん大きくなる。
タイに1カ月。
最後はインドに2か月。
タイではメコン川の支流で魚釣り。
インドでも南北縦断をし、歴史の教科書にでているアジャンター石窟寺院、エローラ石窟寺院を実際に見てきました。
世界史の教科書にあった、壁画を自分の目で見る。あぁこれがかの有名な壁画なのか~。
将来、先生になったときこれは実際に見たと自慢できるなあと勝手に思ったものです。
ガンジス川でも泳ぎました。
バイバイガンジス、大いなる川よ~♪
長渕剛のガンジスという曲を口ずさみます。
あの川真っ黒なんですよね。ものすごくきったない。泳いだ後、三日間熱がでて寝込みました。
もうろうとする中、現地の医者のかかり方もしらないので自力で直すしかありません。とにかく水分をとって寝る。
その時、バファリンがこんなにも効くんだと実感しました。日本の薬はすごい!
ハンピという砂漠地帯ではまたしてもチャリンコを借りて、遺跡群を旅する。
インドの最南端、カニャークマリというところでは、インド洋、アラビア海、ベンガル湾の3つの海が交わる不思議な色の海をぼぉーと見てました。毎日毎日3食カレーで過ごした日々でした。
そして今でもどこかに行きたいと熱望している自分がいます。
人生の半分は来ている。
あとどのくらい元気でいれるんだと考えたとき、このままでいいのかと自問する。
人の寿命が見えれば、人はもっと真剣に生きるんじゃないでしょうかね。
80か90で死ぬとして、元気なのは70くらいまでか?
バイクで世界一周をするだけの体力はせいぜい60くらいまで、となると余り時間がない。
やれるかやれないかは別として、いろんな可能性を考えています。
もちろん、スポ少も私のライフワークなので其方もやりつつですが。
たまには、自分の時間があってもいいじゃないですか?
というと、んじゃ家族の時間はどうするの?と怒られてしまいますね。
まぁ、夢は夢として、考えるだけなら自由。
いろんな可能性を考えています。
こういう考えに至るのも、土台にあの中学3年生の新潟の旅があったからだと思ってます。
いけないところなどない。
やれないことなどない。
あの旅が間違いなく血肉になっている。
新しい場所、挑戦を渇望させ続けています。
人の生き方は千差万別。
物事のいろんな事象に対して比較的柔軟なものの見方ができているのは、こういういろんな旅や挑戦をしてきたからなんじゃないかと勝ってに思っています。
だから、子供たちがいろんな経験をすることに反対はしません。
むしろ、面白そうだと奨励します。
なにが、将来の自分を支えてくれるかわかりません。
いろんなものに手を出していい。
間違いだと思ったならば引き返せばいいんです。
今はひとりでもいけたり、やれたりすることも多くなってきました。
それを奨励する傾向さえある。
しかし、本当に困ったときに助けてくれたり、素晴らしい経験や景色を共有できる仲間や伴侶がいてくれたら、もっといいと思いませんかね。
このコロナ禍で大会や練習ができない日々が続いています。
そして、私は昔を思い出して、活字にする時間を得た。いつか忘れないうちに書きとめておきたいと思ってたんです。
ちょうどその機会があってよかった。
スポ少も我々にとっての挑戦です。
日々挑戦。
改良と失敗を繰り返して、少しでも上手く回るようにチャレンジしている。
その意味では、これも「旅」と言えるのかもしれません。
さて、来週からは練習もできるでしょう。
また挑戦をつづけることにしましょう!
お椀からこぼれた水は二度とお椀には戻せない。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
起きたことを後悔しても仕方がないという意味で使われる事が多いです。
どちらかといえば、やっちまったぁと思うとき、マイナスの時に使うことが多いと思います。
しかし本当にそうでしょうか?
失敗してしまったこと、それ自体はもう覆ることはありせん。
悔やむのも大いに結構だと思うんです。
それでも、いつかは区切り点けて次のステップに行くんだという、覚悟をはらんでいるように最近は聞こえます。
覆水盆に返らず。
次はやらねぇから!
右肩上がりの感じを勝手に付け加えています。
中学3年生の私たち七人の旅は終わりました。
新潟の日本海まで自転車で行くというアホにしかできない旅。
この旅を通してたくさんのことを学びました。
腐りかけて糸をひいているようなおにぎりは食べてはいけないこと。
遠出するときのパーティーの列、なんかあったときのために自転車屋は1番最後にすること。
カレーヌードルのゲロは落ちにくいからなるべくやらないこと。
他にもありますが、前向きな気づきとして陸続きであればいけないところはない、要はやる気と準備の問題だと実感しました。
まだまだ俺たちにはいけるところがある。
やってやれないことはないという確かな自信をつけました。
それは私だけではありません。
この後コウジは大晦日に自転車でいわきの海をマサカズという友達と一緒に目指しました。
まぁ、彼らの挑戦は途中あまりの寒さに開成山球場で野宿をして結局は帰ってきましたが……
私はといえば、大学の時、帰省するのにただでは面白くないと思い、東京から会津、チャリの旅をやりました。これは三日かかりました。巣鴨、板橋、川口、大宮、宇都宮、下今市、五十里湖、山王峠、田島、下郷、大内塾、高田。これもナビなんてないんで、地図をコピーしてテープではりました。泊まりは蚊に刺されながらの野宿。
夏でもアスファルトの上で寝ると寒いと言うことがわかりました。せめてなんか敷かないといかん。
チャリでできたんだから、歩きでもいけるだろうと徒歩にも挑戦しましたが、途中で豆ができて諦めました。そこからまたチャリンコに変更しました。新幹線代を節約したはずが、自転車の輸送代が同じくらいかかって、たいしたうまみもないこともわかりました。
それでも、自分の体を駆使して東京から会津をめざすという試みは、さらに私を進化させたと思います。
そしてその挑戦はどんどん大きくなる。
タイに1カ月。
最後はインドに2か月。
タイではメコン川の支流で魚釣り。
インドでも南北縦断をし、歴史の教科書にでているアジャンター石窟寺院、エローラ石窟寺院を実際に見てきました。
世界史の教科書にあった、壁画を自分の目で見る。あぁこれがかの有名な壁画なのか~。
将来、先生になったときこれは実際に見たと自慢できるなあと勝手に思ったものです。
ガンジス川でも泳ぎました。
バイバイガンジス、大いなる川よ~♪
長渕剛のガンジスという曲を口ずさみます。
あの川真っ黒なんですよね。ものすごくきったない。泳いだ後、三日間熱がでて寝込みました。
もうろうとする中、現地の医者のかかり方もしらないので自力で直すしかありません。とにかく水分をとって寝る。
その時、バファリンがこんなにも効くんだと実感しました。日本の薬はすごい!
ハンピという砂漠地帯ではまたしてもチャリンコを借りて、遺跡群を旅する。
インドの最南端、カニャークマリというところでは、インド洋、アラビア海、ベンガル湾の3つの海が交わる不思議な色の海をぼぉーと見てました。毎日毎日3食カレーで過ごした日々でした。
そして今でもどこかに行きたいと熱望している自分がいます。
人生の半分は来ている。
あとどのくらい元気でいれるんだと考えたとき、このままでいいのかと自問する。
人の寿命が見えれば、人はもっと真剣に生きるんじゃないでしょうかね。
80か90で死ぬとして、元気なのは70くらいまでか?
バイクで世界一周をするだけの体力はせいぜい60くらいまで、となると余り時間がない。
やれるかやれないかは別として、いろんな可能性を考えています。
もちろん、スポ少も私のライフワークなので其方もやりつつですが。
たまには、自分の時間があってもいいじゃないですか?
というと、んじゃ家族の時間はどうするの?と怒られてしまいますね。
まぁ、夢は夢として、考えるだけなら自由。
いろんな可能性を考えています。
こういう考えに至るのも、土台にあの中学3年生の新潟の旅があったからだと思ってます。
いけないところなどない。
やれないことなどない。
あの旅が間違いなく血肉になっている。
新しい場所、挑戦を渇望させ続けています。
人の生き方は千差万別。
物事のいろんな事象に対して比較的柔軟なものの見方ができているのは、こういういろんな旅や挑戦をしてきたからなんじゃないかと勝ってに思っています。
だから、子供たちがいろんな経験をすることに反対はしません。
むしろ、面白そうだと奨励します。
なにが、将来の自分を支えてくれるかわかりません。
いろんなものに手を出していい。
間違いだと思ったならば引き返せばいいんです。
今はひとりでもいけたり、やれたりすることも多くなってきました。
それを奨励する傾向さえある。
しかし、本当に困ったときに助けてくれたり、素晴らしい経験や景色を共有できる仲間や伴侶がいてくれたら、もっといいと思いませんかね。
このコロナ禍で大会や練習ができない日々が続いています。
そして、私は昔を思い出して、活字にする時間を得た。いつか忘れないうちに書きとめておきたいと思ってたんです。
ちょうどその機会があってよかった。
スポ少も我々にとっての挑戦です。
日々挑戦。
改良と失敗を繰り返して、少しでも上手く回るようにチャレンジしている。
その意味では、これも「旅」と言えるのかもしれません。
さて、来週からは練習もできるでしょう。
また挑戦をつづけることにしましょう!
深夜三時に会津を自転車で出発し、長駆130km。
中学3年生の七騎は、18:00に目的地、新潟の海、角田浜に到着します。
精も根も尽き果てたうえ、ケツも限界を迎える。
これからキャンプ場でのメインイベント、アウトドアでのディナーとなりますが…
疲れ切った七人は、何もしたくない。
しかし、腹は減っている、ものすごく減っている。
そんな私たちの状態を察して、親父が寺泊に飯を食いにいこうといいました。
またまた渡りに舟。
買ったばかりのデリカは、ちょうど八人乗り。
腹が減って、海に入ってべたべた、疲れきっていている、まさに餓鬼の集団。
車に入るなり全員が爆睡こきます。
しかし、新潟の海岸線の上下起伏のあるクネクネ道路が私たちを寝せません。
そんでなんだかよく知りませんが、サスが固い?
車高も高い上に、よく揺れます。
いつしかみんな起きて、遠くに見える佐渡島をぼーっとみている。
寺泊までは30分くらいだと聞いていました。
あーだんだんつくなあ、と思っていたら、コウジが
おい、やべえぞ、車止めてくれとのお願い。
ミッチャンが気持ち悪そうだぞ、止めろって、まじだって。
私はもう少しでつくから大丈夫だ、我慢しろ!と言ったそばから、
ミッチャン、レロレロレローと嘔吐。
車内にゲロと胃液の匂いがたちこめます。
ミッチャンが空腹に耐えきれずさっき食ったカップヌカレーの匂い、それと胃液のにおい。
その隣にいた、わんぼ。
彼の顔も蒼白になっている。
ワナワナワナワナ~、嗚咽にも似た震え。
彼も彼方にいってしまった、こらえきれずもらいゲロ。
うぁー、きったねぇー、うぁー!
ミッチャンが~、ミッチャンが~
わんぼぅが~、わんぼぅが~…
車内は阿鼻叫喚の地獄と化しました。
たまらず、車を止める親父。
みんな我先にと急いで車内にでます。
申し訳なさそうにしてるミッチャン、ワンボ。
だから、やべーっていったべやーとコウジ。
うぷ、うぷ、うぷ……
私もしのぶもけんちゃん、マサヨシも寸でのところでもらいゲロを止めています。
なんか違ういいことを考えて、もちこたえていますが、眼前にあの物体。
あの匂いとレロレロの風景は人を連鎖させます。
悪寒が首根っこをつかんで地獄に引き込もうとします。現にわんぼはもってかれました。
我が娘が燃えさかるさまをみて、嘆くどころか、絵師として筆をとったという芥川の「地獄変」を連想させる地獄絵図。
私はあーやっちまったなぁと思いつつ、あー本当にもらいゲロっていう現象、ドリフのコントでしか見たことがないあの現象がこの世にあるんだなあと感心しました。
そういやこの場面、スタンドバイミーの映画にもあった。あの復讐チェリーパイ大食い大会。
ここでもスタンドバイミーとの共通点。
その意味でも、この旅は俺たちのスタンドバイミーでした。
ここで距離感の異なるひとりが……
親父は新車のデリカがわずか数周間でカレーヌードルまみれのゲロを喰らうとは思わなかったでしょう。
平静を装いつつもかなり怒っている。
そんで、帰ったらきっちり洗っとけ!と俺にひと言。
そこから、そのまま寺泊までいったのか、行かなかったのかの記憶はありません。
ゲロの原因を考察します。
コウジも言ってました。
そういやあの安田の郵便局で昼メシをくったとき
、ミッチャンが「あっ、このおにぎり、なんか糸ひいてる~、まぁでもいいか!」と言って全部食った、とコウジが言ってました。
おいおいおいおい、おにぎりが糸をひくのはやべぇべや、と突っ込みを入れます。
わんぼも、あれはヤバいと思ったんだよなぁと後付けの意見。
なら、食うの止めろってとみんなで突っ込む。
三列目に隣り合ったこのふたりが犠牲になったこともなんとなく、みんな納得します。
こんな布石があったんですね~。
体力が弱り切っているところに、軽い食中毒?
そして、海岸線の上下と左右のゆれ。
ここに起きている惨事は起こるべくして起こったのかもしれません。
このあたりからあんまり記憶がないんですよね。
疲れて寝てたんでしょうかね。
あるのは角田浜にもどり、テントの中に横たわる七人。白黒の映像。
余りの暑さに耐えきれず、涼しいところを求めてみんな砂浜の上で寝てました。
テントで寝てたのはけんちゃんくらいか。
遠くに見える佐渡の明かり。
砂の上に死んだように眠る。
私の隣は、この悪夢に参加すること直前の昨日に決めたマサヨシでした。
ぁあ布団で寝てぇなあとみんな思ったことでしょう。
この一日、いろんなことがありましたが、思い出す気力も、それを話し合う元気もなく、ただ闇に眠ります。
呼応した新潟の海もそれを良しとして静寂を保ってくれます。
真夏の朝の強烈な日差し。
なんか暑いなぁと、思って目が覚めました。
ああ今日も海が青い!
さぁて朝メシなににすっかなぁ、
今日は何をやるかなあと考えていると、
弟のヒトシがいました。
けんちゃんたちと話している。
えっ?なんで?
なんでここにいるの?
ヒトシもコウジやけんちゃん、しのぶたちいつものメンバーを見つけて安心した様子。
そして、親父の姿を見つけます。
そして、母ちゃんをつれてくる。
あぁ、これは何かあったなとみんなも察します。
親父と母ちゃんが話しているのを聞くと近所の人が亡くなって葬式の準備をやらなくてはいけない。連絡もつかないので角田浜という地名をたよりに軽トラで迎えに来たということです。
しばしのシンキングタイム。
ということは、親父は今すぐにかえらなければなりません。
我々はもう一泊する予定でした。
が、親父は俺らは疲れきっていて帰りの自転車130キロは危ないと判断。
母ちゃんが乗ってきた軽トラにチャリンコ7台を積んで全員でした引き上げることを決断します。
我々は遊び足りなかった気分半分、帰りにチャリをこぐことがなくなった安堵感半分で複雑な気持ちです。
どちらかというと、あぁもうチャリに乗ることがない、良かった~のほうがみんな勝っていたと思います。
帰りは、またあのカレーヌードルゲロくさいデリカに揺られます。
においも慣れてきたのか、帰路は爆睡の嵐。
その辺から余り記憶がありません。
ただ、帰ってきて、きっちり車を洗いました。
そして、カレーヌードルのゲロ、黄色は中々落ちないということを発見します。
ママレモンで何回洗っても落ちない。
おかげで、私の家族はしばらくその黄色いカーペットと歴史を一緒にします。その度に親父に怒られる。
そのデリカが他の人の手に渡る10数年間、後部座席に乗るとそれを思い出します。
あの忌まわしいカレーヌードル(ゲロ)事件と我我のアイダには刻まれて、よく酒の肴にのぼります。
近所の亡くなったおっちゃんは、私たちを助けてくれたんだと今でも感謝しています。
そんな話を今でも集まるとたまにします。
そして、この話には後日談も。
帰りは車で帰ってきましたが、思った以上に体は疲れていました。
なので、当時義務の駅伝練習をみんなでサボろうと画策しました。
いいべ、いかなくても。
みんないくなよ。
あぁわかったといいながら、分かれましたが…
駅伝練習当日、駅伝の先生から電話がかかってきました。
おい、なんでこねえんだ?コウジはきてるぞ。
あぁこの先生は新潟の事情をわかって電話してる、腹痛ぇとか逃げれねぇぞ。いくしかねぇな。
あんにゃろー、あのええかっこしぃが!くそ!
気持ち良く寝てたのは布団を飛び出し、まだ痛いケツを友とし、遅れながらも駅伝練習にいきます。
130キロは走破した。やればできるもんだという変な自信を身につけました。
そしてまた日常がやってくる。
おそらく、コウジ以外のみんなもあのクソ野郎と呪いながらも、またみんなに会えるという期待を持って愛機のチャリンコをこいだはずです。
あーコウジのクソ野郎ー、あーケツ痛ぇといいながら。
中学3年生の七騎は、18:00に目的地、新潟の海、角田浜に到着します。
精も根も尽き果てたうえ、ケツも限界を迎える。
これからキャンプ場でのメインイベント、アウトドアでのディナーとなりますが…
疲れ切った七人は、何もしたくない。
しかし、腹は減っている、ものすごく減っている。
そんな私たちの状態を察して、親父が寺泊に飯を食いにいこうといいました。
またまた渡りに舟。
買ったばかりのデリカは、ちょうど八人乗り。
腹が減って、海に入ってべたべた、疲れきっていている、まさに餓鬼の集団。
車に入るなり全員が爆睡こきます。
しかし、新潟の海岸線の上下起伏のあるクネクネ道路が私たちを寝せません。
そんでなんだかよく知りませんが、サスが固い?
車高も高い上に、よく揺れます。
いつしかみんな起きて、遠くに見える佐渡島をぼーっとみている。
寺泊までは30分くらいだと聞いていました。
あーだんだんつくなあ、と思っていたら、コウジが
おい、やべえぞ、車止めてくれとのお願い。
ミッチャンが気持ち悪そうだぞ、止めろって、まじだって。
私はもう少しでつくから大丈夫だ、我慢しろ!と言ったそばから、
ミッチャン、レロレロレローと嘔吐。
車内にゲロと胃液の匂いがたちこめます。
ミッチャンが空腹に耐えきれずさっき食ったカップヌカレーの匂い、それと胃液のにおい。
その隣にいた、わんぼ。
彼の顔も蒼白になっている。
ワナワナワナワナ~、嗚咽にも似た震え。
彼も彼方にいってしまった、こらえきれずもらいゲロ。
うぁー、きったねぇー、うぁー!
ミッチャンが~、ミッチャンが~
わんぼぅが~、わんぼぅが~…
車内は阿鼻叫喚の地獄と化しました。
たまらず、車を止める親父。
みんな我先にと急いで車内にでます。
申し訳なさそうにしてるミッチャン、ワンボ。
だから、やべーっていったべやーとコウジ。
うぷ、うぷ、うぷ……
私もしのぶもけんちゃん、マサヨシも寸でのところでもらいゲロを止めています。
なんか違ういいことを考えて、もちこたえていますが、眼前にあの物体。
あの匂いとレロレロの風景は人を連鎖させます。
悪寒が首根っこをつかんで地獄に引き込もうとします。現にわんぼはもってかれました。
我が娘が燃えさかるさまをみて、嘆くどころか、絵師として筆をとったという芥川の「地獄変」を連想させる地獄絵図。
私はあーやっちまったなぁと思いつつ、あー本当にもらいゲロっていう現象、ドリフのコントでしか見たことがないあの現象がこの世にあるんだなあと感心しました。
そういやこの場面、スタンドバイミーの映画にもあった。あの復讐チェリーパイ大食い大会。
ここでもスタンドバイミーとの共通点。
その意味でも、この旅は俺たちのスタンドバイミーでした。
ここで距離感の異なるひとりが……
親父は新車のデリカがわずか数周間でカレーヌードルまみれのゲロを喰らうとは思わなかったでしょう。
平静を装いつつもかなり怒っている。
そんで、帰ったらきっちり洗っとけ!と俺にひと言。
そこから、そのまま寺泊までいったのか、行かなかったのかの記憶はありません。
ゲロの原因を考察します。
コウジも言ってました。
そういやあの安田の郵便局で昼メシをくったとき
、ミッチャンが「あっ、このおにぎり、なんか糸ひいてる~、まぁでもいいか!」と言って全部食った、とコウジが言ってました。
おいおいおいおい、おにぎりが糸をひくのはやべぇべや、と突っ込みを入れます。
わんぼも、あれはヤバいと思ったんだよなぁと後付けの意見。
なら、食うの止めろってとみんなで突っ込む。
三列目に隣り合ったこのふたりが犠牲になったこともなんとなく、みんな納得します。
こんな布石があったんですね~。
体力が弱り切っているところに、軽い食中毒?
そして、海岸線の上下と左右のゆれ。
ここに起きている惨事は起こるべくして起こったのかもしれません。
このあたりからあんまり記憶がないんですよね。
疲れて寝てたんでしょうかね。
あるのは角田浜にもどり、テントの中に横たわる七人。白黒の映像。
余りの暑さに耐えきれず、涼しいところを求めてみんな砂浜の上で寝てました。
テントで寝てたのはけんちゃんくらいか。
遠くに見える佐渡の明かり。
砂の上に死んだように眠る。
私の隣は、この悪夢に参加すること直前の昨日に決めたマサヨシでした。
ぁあ布団で寝てぇなあとみんな思ったことでしょう。
この一日、いろんなことがありましたが、思い出す気力も、それを話し合う元気もなく、ただ闇に眠ります。
呼応した新潟の海もそれを良しとして静寂を保ってくれます。
真夏の朝の強烈な日差し。
なんか暑いなぁと、思って目が覚めました。
ああ今日も海が青い!
さぁて朝メシなににすっかなぁ、
今日は何をやるかなあと考えていると、
弟のヒトシがいました。
けんちゃんたちと話している。
えっ?なんで?
なんでここにいるの?
ヒトシもコウジやけんちゃん、しのぶたちいつものメンバーを見つけて安心した様子。
そして、親父の姿を見つけます。
そして、母ちゃんをつれてくる。
あぁ、これは何かあったなとみんなも察します。
親父と母ちゃんが話しているのを聞くと近所の人が亡くなって葬式の準備をやらなくてはいけない。連絡もつかないので角田浜という地名をたよりに軽トラで迎えに来たということです。
しばしのシンキングタイム。
ということは、親父は今すぐにかえらなければなりません。
我々はもう一泊する予定でした。
が、親父は俺らは疲れきっていて帰りの自転車130キロは危ないと判断。
母ちゃんが乗ってきた軽トラにチャリンコ7台を積んで全員でした引き上げることを決断します。
我々は遊び足りなかった気分半分、帰りにチャリをこぐことがなくなった安堵感半分で複雑な気持ちです。
どちらかというと、あぁもうチャリに乗ることがない、良かった~のほうがみんな勝っていたと思います。
帰りは、またあのカレーヌードルゲロくさいデリカに揺られます。
においも慣れてきたのか、帰路は爆睡の嵐。
その辺から余り記憶がありません。
ただ、帰ってきて、きっちり車を洗いました。
そして、カレーヌードルのゲロ、黄色は中々落ちないということを発見します。
ママレモンで何回洗っても落ちない。
おかげで、私の家族はしばらくその黄色いカーペットと歴史を一緒にします。その度に親父に怒られる。
そのデリカが他の人の手に渡る10数年間、後部座席に乗るとそれを思い出します。
あの忌まわしいカレーヌードル(ゲロ)事件と我我のアイダには刻まれて、よく酒の肴にのぼります。
近所の亡くなったおっちゃんは、私たちを助けてくれたんだと今でも感謝しています。
そんな話を今でも集まるとたまにします。
そして、この話には後日談も。
帰りは車で帰ってきましたが、思った以上に体は疲れていました。
なので、当時義務の駅伝練習をみんなでサボろうと画策しました。
いいべ、いかなくても。
みんないくなよ。
あぁわかったといいながら、分かれましたが…
駅伝練習当日、駅伝の先生から電話がかかってきました。
おい、なんでこねえんだ?コウジはきてるぞ。
あぁこの先生は新潟の事情をわかって電話してる、腹痛ぇとか逃げれねぇぞ。いくしかねぇな。
あんにゃろー、あのええかっこしぃが!くそ!
気持ち良く寝てたのは布団を飛び出し、まだ痛いケツを友とし、遅れながらも駅伝練習にいきます。
130キロは走破した。やればできるもんだという変な自信を身につけました。
そしてまた日常がやってくる。
おそらく、コウジ以外のみんなもあのクソ野郎と呪いながらも、またみんなに会えるという期待を持って愛機のチャリンコをこいだはずです。
あーコウジのクソ野郎ー、あーケツ痛ぇといいながら。
あきらかに地勢が変わってきました。
砂地が多くなってきた。スイカ畑も。
この時流行っていたPCエンジンの桃太郎電鉄、新潟駅にスイカ畑が多い理由がここでわかりました。
私としのぶは納得していましたが、他は余り興味がない様子。
風が海風となり、しっとりまとわりつくようになります。
時刻は夕方ごろ五時を回っています。
みんなの体力もケツも限界でしょう。
ケツが限界といえば、愛読書「わたるがぴゅん」という漫画でも、そういう場面がありました。
わたるたちのチームが全国大会で北海道にいくんですが、応援団もいくことになります。
しかし、金がない。
よって、自転車でいくんですが、吉田という奴が一輪車ならば、みんな「いかなくていい。」というだろうと思って彼は一輪車で集合場所にいきます。
ここがギャグ漫画なんですが、よしそれでいい、と先輩はあっさり承諾。
彼は一輪車で北海道を目差すことになります。
ここからが彼の地獄。
そのエピソードを七人は思い出しては笑っていました。
当時、面白い漫画はみんなで貸し借りして共有するもの。
たいていの漫画は読んでいたものです。
そしてゲラゲラ笑いながらも、待望の海は近づいています。
虎視眈々、誰もが一番先に海を見てやろうと一番槍を狙います。
確実に海は近い。
ただ、一番先にスパートをかけては追いつかれてしまいます。
最後の最後に競走馬になったような心境。
誰が一番最初に海を見るかダービー1着を狙います。
地形が、まさに国語の教科書あった「あの坂を上れば」に記述されているような坂になりました。
最終第4コーナーを曲がり最後の直線。
おそらくはこれが最後の坂。誰もがそう思う。
ここで、いつも我慢できないけんちゃんが先行します。
追随する6人。
その位置取りに性格が出ます。
鼻にけんちゃん、続いてマサヨシ、
私とワンボ、ミッチャンは中盤待機、しのぶ、コウジは後方から。
レースは佳境に入ります。みんな1回は先頭に立ちますが、体力がもたない、トップを維持できません。
こうなると後は根性の勝負。
全員があの坂を上れば、と絶叫しながらチャリンコをこぐ。
あの坂を上れば…
(海が)見えた!と一番に叫んだのは、コウジでした。
このチャリンコやめ!
そしてみんな、海が見えた。
眼下に広がる日本海。
七人で見た、あのオレンジの日本海を私たちは一生わすれないでしょう。
誰もしゃべらず、しばらく海風に吹かれながら海岸を駆ける。
ついた、ついたぞ!(ケツの痛みから解放されるぞ)
日本海の夕日に映える、その七つのシルエットは完全にスタンドバイミーです。
ポスターにしたいくらい。
深夜三時に出て、到着は六時。
実に13時間チャリの旅。
角田浜キャンプ場についたころは、全員がヘロヘロ。やっとやっと親父のデリカから用具を下ろして、テントを立てます。
目は半開きで寝ながらの作業。それでもなんとか、やり終えて、シャワー代わりに海へ向かいます。
おらーぁーと勢いよく海に飛び込むも、全員がギャーギャーといってすぐに砂浜にあがります。
全員のケツがむけて、塩に耐えられないというオチです。
サドルにスレてケツが炎症しまくった状態で、海水浴どころではありません。
ウギャー、とかオッオッオッオッとかみんな変な声を上げています。
それでもせっかく来たので痛みに耐えながら日本海に浮かびます。
体を浮かせて波に漂う。。
みんなに浮かぶ瀬がある。
長かったなぁ~、でも…
顔の半分だけを海面にのぞかせて、脱力してぷかぷか浮かぶ。
つらかったなぁ~、でも…
みんなただ浮いています。きれっぱしのように、ぼぉーっと。
波の音と自分の呼吸の音しか聞こえません。
疲れ切った体に適度に冷たい海水が心地良い。
ドラゴンボール、ナメック星でベジータがギニューたちにやられた後に入った回復カプセルの中入っているようでした。
気持ち、回復していくような感覚。
ちょうどいい塩分、塩梅(アンバイ)。
海の水は、人間の血液の濃度と同じだとどっかで聞きました。
でどころは同じ、根っこはおんなじなんじゃねぇかという感覚。
海と同化している
あぁ~気持ちいい~けど、ケツがいてぇ~。
確かに、俺らは生きている。
みんな黙って、海に浮いて、ただオレンジの空を見上げる。
流れる時間。
俺たちは生きているなあと感じました。
こいつらと生きている、と力強く感じました。
新潟空港に向かう飛行機が着陸態勢に入るために低空を飛んでいました。
……黙って波とともに流れる時間は、長く続きませんでした。
腹が減った。
けんちゃんがいったと思います。
I’mハングリー!
世の中、これのみでいけるんじゃないかと思うくらいの強いフレーズ。
ハングリー=hungryという単語は、カップヌードルのCMで覚えました。あのターミネーター2の少年が出てたやつです。
腹が減っては戦はできぬ!
たそがれる時間は終わりました。
うぉー腹減ったーと日本海、遠くに見える佐渡島に叫びます。
とはいっても、食材の買い出しにいかないといけない。
しかし、みんな疲れ切っていました。
晩飯は、親父が寺泊にいって食うかと提案してきたのでそれに乗ります。ナイス、親父!
真新しいデリカに汗と砂にまみれた中坊7人が乗り込みます。
なんか、うめぇもん食えそうだなと期待しつつ、七人と運転手ひとりは寺泊をめざします。
これから悪夢が始まるということも知らずに。
砂地が多くなってきた。スイカ畑も。
この時流行っていたPCエンジンの桃太郎電鉄、新潟駅にスイカ畑が多い理由がここでわかりました。
私としのぶは納得していましたが、他は余り興味がない様子。
風が海風となり、しっとりまとわりつくようになります。
時刻は夕方ごろ五時を回っています。
みんなの体力もケツも限界でしょう。
ケツが限界といえば、愛読書「わたるがぴゅん」という漫画でも、そういう場面がありました。
わたるたちのチームが全国大会で北海道にいくんですが、応援団もいくことになります。
しかし、金がない。
よって、自転車でいくんですが、吉田という奴が一輪車ならば、みんな「いかなくていい。」というだろうと思って彼は一輪車で集合場所にいきます。
ここがギャグ漫画なんですが、よしそれでいい、と先輩はあっさり承諾。
彼は一輪車で北海道を目差すことになります。
ここからが彼の地獄。
そのエピソードを七人は思い出しては笑っていました。
当時、面白い漫画はみんなで貸し借りして共有するもの。
たいていの漫画は読んでいたものです。
そしてゲラゲラ笑いながらも、待望の海は近づいています。
虎視眈々、誰もが一番先に海を見てやろうと一番槍を狙います。
確実に海は近い。
ただ、一番先にスパートをかけては追いつかれてしまいます。
最後の最後に競走馬になったような心境。
誰が一番最初に海を見るかダービー1着を狙います。
地形が、まさに国語の教科書あった「あの坂を上れば」に記述されているような坂になりました。
最終第4コーナーを曲がり最後の直線。
おそらくはこれが最後の坂。誰もがそう思う。
ここで、いつも我慢できないけんちゃんが先行します。
追随する6人。
その位置取りに性格が出ます。
鼻にけんちゃん、続いてマサヨシ、
私とワンボ、ミッチャンは中盤待機、しのぶ、コウジは後方から。
レースは佳境に入ります。みんな1回は先頭に立ちますが、体力がもたない、トップを維持できません。
こうなると後は根性の勝負。
全員があの坂を上れば、と絶叫しながらチャリンコをこぐ。
あの坂を上れば…
(海が)見えた!と一番に叫んだのは、コウジでした。
このチャリンコやめ!
そしてみんな、海が見えた。
眼下に広がる日本海。
七人で見た、あのオレンジの日本海を私たちは一生わすれないでしょう。
誰もしゃべらず、しばらく海風に吹かれながら海岸を駆ける。
ついた、ついたぞ!(ケツの痛みから解放されるぞ)
日本海の夕日に映える、その七つのシルエットは完全にスタンドバイミーです。
ポスターにしたいくらい。
深夜三時に出て、到着は六時。
実に13時間チャリの旅。
角田浜キャンプ場についたころは、全員がヘロヘロ。やっとやっと親父のデリカから用具を下ろして、テントを立てます。
目は半開きで寝ながらの作業。それでもなんとか、やり終えて、シャワー代わりに海へ向かいます。
おらーぁーと勢いよく海に飛び込むも、全員がギャーギャーといってすぐに砂浜にあがります。
全員のケツがむけて、塩に耐えられないというオチです。
サドルにスレてケツが炎症しまくった状態で、海水浴どころではありません。
ウギャー、とかオッオッオッオッとかみんな変な声を上げています。
それでもせっかく来たので痛みに耐えながら日本海に浮かびます。
体を浮かせて波に漂う。。
みんなに浮かぶ瀬がある。
長かったなぁ~、でも…
顔の半分だけを海面にのぞかせて、脱力してぷかぷか浮かぶ。
つらかったなぁ~、でも…
みんなただ浮いています。きれっぱしのように、ぼぉーっと。
波の音と自分の呼吸の音しか聞こえません。
疲れ切った体に適度に冷たい海水が心地良い。
ドラゴンボール、ナメック星でベジータがギニューたちにやられた後に入った回復カプセルの中入っているようでした。
気持ち、回復していくような感覚。
ちょうどいい塩分、塩梅(アンバイ)。
海の水は、人間の血液の濃度と同じだとどっかで聞きました。
でどころは同じ、根っこはおんなじなんじゃねぇかという感覚。
海と同化している
あぁ~気持ちいい~けど、ケツがいてぇ~。
確かに、俺らは生きている。
みんな黙って、海に浮いて、ただオレンジの空を見上げる。
流れる時間。
俺たちは生きているなあと感じました。
こいつらと生きている、と力強く感じました。
新潟空港に向かう飛行機が着陸態勢に入るために低空を飛んでいました。
……黙って波とともに流れる時間は、長く続きませんでした。
腹が減った。
けんちゃんがいったと思います。
I’mハングリー!
世の中、これのみでいけるんじゃないかと思うくらいの強いフレーズ。
ハングリー=hungryという単語は、カップヌードルのCMで覚えました。あのターミネーター2の少年が出てたやつです。
腹が減っては戦はできぬ!
たそがれる時間は終わりました。
うぉー腹減ったーと日本海、遠くに見える佐渡島に叫びます。
とはいっても、食材の買い出しにいかないといけない。
しかし、みんな疲れ切っていました。
晩飯は、親父が寺泊にいって食うかと提案してきたのでそれに乗ります。ナイス、親父!
真新しいデリカに汗と砂にまみれた中坊7人が乗り込みます。
なんか、うめぇもん食えそうだなと期待しつつ、七人と運転手ひとりは寺泊をめざします。
これから悪夢が始まるということも知らずに。
ダイ・ハードという映画があります。
ブルースウィルス主演のアクション映画で、「なかなか死なないやつ」という意味です。
世の中が浮かれているクリスマスの夜にテロリストに襲われるタフな警官のジョンマクレーン。
ベレッタM92Fをかりながら、ばったばったと敵を倒していく姿、みんな真似をしていました。
ビバリーヒルズコップのエディマーフィーと同じく、笑い方に癖がある。
アメリカ人特有の大げさな笑い方。
アーハッハハ、ハッハハッハーと全身で表現する。けんちゃんあたりがいう、まったくつまらないギャグに対してよく使ってました。
「まったく、今日はついてねぇぜ!」と訳もなく、誰にいうでもなく悪態をつく。
そうはいいつつも、この悪い状況の中でも何とかしてやろうと考えを張り巡らす。
それが、ダイハードの真の意味だと思ってきました。
この中学3年生七人の新潟長行もダイハード。
午前中にパーティー崩壊の危機を運良く乗り越えました。なんとかまた七人が集まった。
昼も近くなり、だんだん疲れてきました。そしてこの頃から、長い時間チャリに乗ってるので異様にケツが痛い。
安田のどっかにある郵便局を目指して49号線を西進します。
程なく見つけた郵便局。
ちょうどよく林の中で日陰があります。
よし、ここで飯だ。
失礼しまーすと郵便局に入ります。あーここもクーラー効いてると、見回して…
あった!ありました冷水機。
順番にたらふく飲んで次は水筒に補給します。七人もいきなり、断りもなく水を補給したので、なんだ君たちはと少し怒られましたが、最後まで補給はされてくれました。
ここはオアシス安田郵便局。
会津を出て、行程の1/3というところでしょうか?
全員がそろって、チャリから下馬しての休憩。
みんなケツがいてぇだの、わめき始めます。
そんなかでも置いていかれた3人の呪詛。
しんじらんねぇー、まってぇーといってんのに置いていくし!
たまたまコウジのちゃんりんこ見つけたからいいものの、見過ごしたらどうなっていたことか。
俺らがどんだけ苦労したがわかっての?
いや、わからねえと先行の4人。
まぁいいじゃねえか、またこうして会えたんだしと彼らの苦労をねぎらいます。
腹減ったから飯にするべと話をすり替えてこの場を治めます。
かあちゃんが作ったのか、自分で作ったのかわかりませんが、めいめいが銀紙に包まれたおにぎりを出します。
昼メシのおにぎりを頬張りながら、ここまでの行程をああでもない、こうでもないと語り合います。
しかし、ここで食ったこのおにぎりが後でみんなに地獄を呼んできます。
それはあとで。
さぁ腹も膨れました。
木陰でライフ回復。
再び七人がそろった。
私の感覚では新潟市はもう少しです。
陽があるうちに海に着きたいと、みんなおもっているはず、さあ出発です。
あーケツがいたい。ずーっとサドルに乗りっぱなし。坂でもない平地で立ち乗りが多くなってきました。
それでもみんな一路、日本海をめざします。
あっセブンイレブンみっけ!
その当時は、今ほどコンビニが乱立していませんでした。
ロードサイド、左車線にちょうどよくコンビニがあるのはラッキーということになります。
そして、みんな昼飯をくってデザートが食いたい年頃。
誰からともなく、おそらくくいしんぼうのけんちゃんが、アイスを食いてぇーと絶叫し、みんなが同意。
七騎は、セブンに吸い込まれる。
今でもそこを通ると、思い出します。今はもうセブンではなく学習塾になっていますが、レンガ風の壁がそのなごりを残しています。
その49号線、安田、ちょうど90Rのカーブの手前にあるセブン。
そこで、小休憩。
当時中学生の私たちは、安いお金でいかに満足することができるかを競っていました。
100円で500ml缶に入っている容量のでかいジュース。
名前はなんていったか?ポストミックス?ゲータレード?んーわすれた。
ともかく、でかくて安いものを奨励していました。
ただ、炭酸は飲まないという、独自ルールがありました。
炭酸は体力を落とす。野球や駅伝のクオリティーを上げるために実践していました。
特にコウジあたりは、それをかたくなに守っていて、炭酸を飲んでいると裏切者扱い。
変な迷信だったと思います。
その横で、けんちゃんやマサヨシがごくごくコーラをうまそうに飲んでいる。
炭酸の誘惑。
コウジの顔をたてて、我々はポカリスエット。
そしてみんなアイスをほおばります。
あー、夏だなぁ~。海遠いなぁ~とガリガリ君やらジャイアントコーンやらを食っていると、一台の車がセブンに入ってきます。
いやー、やっと追いついた、と親父が下りてきます。
買ったばかりのぴかぴかの三菱デリカ。
なんか、見たことのある中学のジャージの集団がアイスをくってるなぁとよく見てみると、おめぇらだったと親父はいいます。
何回もいいますが、この時代に携帯電話はありません。
親父が俺らを見つけたのも、偶然のたまもの。
俺らがたまたまここでアイスをくっていたからです。
コウジの自転車を見つけたしのぶもそうですが、この度はなにかに見守られていました。
俺たちを、海に導いている。
ここからは親父が俺らのしんがりを務めてくれるそうです。
といっても、国道でたらたらちゃりの後をついてくるわけでもなく、つかず離れずでついてくるそうです。
中3になって親に見守られながら、ちゃりをこぐのはなんか嫌でしたが、だんだん新潟の市街地。
道もわからなくなってくるかもしれない。
不案内な道が続いた時に、親父がこっちだ、あっちだと我々をサポートしてくれました。
混んでいる市街地を通らず、外側をぐるっと回るルートを選択してくれました。
陽も傾いてきた。みんな口数が少なくなってきました。
目の前に日本一の長さの川、信濃川を見ても、あぁなんだ大した事無い川だなと余り感動なし。
阿賀野川の方がよっぽど大河感がありました。
しかし、信濃川まで来たと言うことは海は近い。
海はちけえぞ!とみんないきなりげんきになります。
実際はまだまだなんですけどね。
若いということは素晴らしい。
多少間違いも勢いで制してしまいます。
ここからはみんな黙々と海を目指しました。
誰からともなく、あの坂を上れば海が見える!とこのころから連呼するようになりました。
そして、俺が誰よりも先に海を先に見る!とまたしょうもないことで競争が始まりました。
あーけつがいてぇといいながら、まだ見ぬ日本海。
真夏の風にかすかに潮の匂いを感じました。
確かに俺たちは近づいているという実感が私たち七人の背中を力強く押してくれています。
さぁ海はもう少しだ!
ブルースウィルス主演のアクション映画で、「なかなか死なないやつ」という意味です。
世の中が浮かれているクリスマスの夜にテロリストに襲われるタフな警官のジョンマクレーン。
ベレッタM92Fをかりながら、ばったばったと敵を倒していく姿、みんな真似をしていました。
ビバリーヒルズコップのエディマーフィーと同じく、笑い方に癖がある。
アメリカ人特有の大げさな笑い方。
アーハッハハ、ハッハハッハーと全身で表現する。けんちゃんあたりがいう、まったくつまらないギャグに対してよく使ってました。
「まったく、今日はついてねぇぜ!」と訳もなく、誰にいうでもなく悪態をつく。
そうはいいつつも、この悪い状況の中でも何とかしてやろうと考えを張り巡らす。
それが、ダイハードの真の意味だと思ってきました。
この中学3年生七人の新潟長行もダイハード。
午前中にパーティー崩壊の危機を運良く乗り越えました。なんとかまた七人が集まった。
昼も近くなり、だんだん疲れてきました。そしてこの頃から、長い時間チャリに乗ってるので異様にケツが痛い。
安田のどっかにある郵便局を目指して49号線を西進します。
程なく見つけた郵便局。
ちょうどよく林の中で日陰があります。
よし、ここで飯だ。
失礼しまーすと郵便局に入ります。あーここもクーラー効いてると、見回して…
あった!ありました冷水機。
順番にたらふく飲んで次は水筒に補給します。七人もいきなり、断りもなく水を補給したので、なんだ君たちはと少し怒られましたが、最後まで補給はされてくれました。
ここはオアシス安田郵便局。
会津を出て、行程の1/3というところでしょうか?
全員がそろって、チャリから下馬しての休憩。
みんなケツがいてぇだの、わめき始めます。
そんなかでも置いていかれた3人の呪詛。
しんじらんねぇー、まってぇーといってんのに置いていくし!
たまたまコウジのちゃんりんこ見つけたからいいものの、見過ごしたらどうなっていたことか。
俺らがどんだけ苦労したがわかっての?
いや、わからねえと先行の4人。
まぁいいじゃねえか、またこうして会えたんだしと彼らの苦労をねぎらいます。
腹減ったから飯にするべと話をすり替えてこの場を治めます。
かあちゃんが作ったのか、自分で作ったのかわかりませんが、めいめいが銀紙に包まれたおにぎりを出します。
昼メシのおにぎりを頬張りながら、ここまでの行程をああでもない、こうでもないと語り合います。
しかし、ここで食ったこのおにぎりが後でみんなに地獄を呼んできます。
それはあとで。
さぁ腹も膨れました。
木陰でライフ回復。
再び七人がそろった。
私の感覚では新潟市はもう少しです。
陽があるうちに海に着きたいと、みんなおもっているはず、さあ出発です。
あーケツがいたい。ずーっとサドルに乗りっぱなし。坂でもない平地で立ち乗りが多くなってきました。
それでもみんな一路、日本海をめざします。
あっセブンイレブンみっけ!
その当時は、今ほどコンビニが乱立していませんでした。
ロードサイド、左車線にちょうどよくコンビニがあるのはラッキーということになります。
そして、みんな昼飯をくってデザートが食いたい年頃。
誰からともなく、おそらくくいしんぼうのけんちゃんが、アイスを食いてぇーと絶叫し、みんなが同意。
七騎は、セブンに吸い込まれる。
今でもそこを通ると、思い出します。今はもうセブンではなく学習塾になっていますが、レンガ風の壁がそのなごりを残しています。
その49号線、安田、ちょうど90Rのカーブの手前にあるセブン。
そこで、小休憩。
当時中学生の私たちは、安いお金でいかに満足することができるかを競っていました。
100円で500ml缶に入っている容量のでかいジュース。
名前はなんていったか?ポストミックス?ゲータレード?んーわすれた。
ともかく、でかくて安いものを奨励していました。
ただ、炭酸は飲まないという、独自ルールがありました。
炭酸は体力を落とす。野球や駅伝のクオリティーを上げるために実践していました。
特にコウジあたりは、それをかたくなに守っていて、炭酸を飲んでいると裏切者扱い。
変な迷信だったと思います。
その横で、けんちゃんやマサヨシがごくごくコーラをうまそうに飲んでいる。
炭酸の誘惑。
コウジの顔をたてて、我々はポカリスエット。
そしてみんなアイスをほおばります。
あー、夏だなぁ~。海遠いなぁ~とガリガリ君やらジャイアントコーンやらを食っていると、一台の車がセブンに入ってきます。
いやー、やっと追いついた、と親父が下りてきます。
買ったばかりのぴかぴかの三菱デリカ。
なんか、見たことのある中学のジャージの集団がアイスをくってるなぁとよく見てみると、おめぇらだったと親父はいいます。
何回もいいますが、この時代に携帯電話はありません。
親父が俺らを見つけたのも、偶然のたまもの。
俺らがたまたまここでアイスをくっていたからです。
コウジの自転車を見つけたしのぶもそうですが、この度はなにかに見守られていました。
俺たちを、海に導いている。
ここからは親父が俺らのしんがりを務めてくれるそうです。
といっても、国道でたらたらちゃりの後をついてくるわけでもなく、つかず離れずでついてくるそうです。
中3になって親に見守られながら、ちゃりをこぐのはなんか嫌でしたが、だんだん新潟の市街地。
道もわからなくなってくるかもしれない。
不案内な道が続いた時に、親父がこっちだ、あっちだと我々をサポートしてくれました。
混んでいる市街地を通らず、外側をぐるっと回るルートを選択してくれました。
陽も傾いてきた。みんな口数が少なくなってきました。
目の前に日本一の長さの川、信濃川を見ても、あぁなんだ大した事無い川だなと余り感動なし。
阿賀野川の方がよっぽど大河感がありました。
しかし、信濃川まで来たと言うことは海は近い。
海はちけえぞ!とみんないきなりげんきになります。
実際はまだまだなんですけどね。
若いということは素晴らしい。
多少間違いも勢いで制してしまいます。
ここからはみんな黙々と海を目指しました。
誰からともなく、あの坂を上れば海が見える!とこのころから連呼するようになりました。
そして、俺が誰よりも先に海を先に見る!とまたしょうもないことで競争が始まりました。
あーけつがいてぇといいながら、まだ見ぬ日本海。
真夏の風にかすかに潮の匂いを感じました。
確かに俺たちは近づいているという実感が私たち七人の背中を力強く押してくれています。
さぁ海はもう少しだ!
何回もいいますが、その当時の我々は携帯電話を持っていません。
なので、お互いに連絡をとる手段がない。
49号線に長く伸びた我々の戦線はいったいどうなることやら。
ここで、時間を遡ります。
柳津西会津間でいきなり始まった、下り坂のレース。
後方にいたのは、ワンボ、ミッチャン、しのぶの3人でした。
前方の我々が奇声を発してドンドン先に進んであっという間に見えなくなる。
彼らもそれを追って加速を続けます。
がしかし、三人の内の誰か?確かワンボかミッチャンが減速していきます。
ここはミッチャンにしておきましょう。
その遅れに気づいたしのぶとワンボ、止まってミッチャンの様子をうかがいます。
後輪がペッシャンコ。
パンクです。
チャリンコやのコウジがいますが、遙か先にいってしまいました。
おーいと叫ぼうにも後の祭り。
3人は次の町まで歩くことにしました。
彼らに土地勘はあったのかは、わかりませんがどっかの自転車屋を見つけるしかないとしのぶは思ったそうです。
ここで、運が良かったのは次の町が西会津だったこと。
これが西会津を過ぎていたら、次の町まではとんでもなく遠かったことでしょう。
3人は、先にいった4人を呪いながらてくてく歩きます。
特に自転車屋がいながら役に立たなかったコウジを呪ったことでしょう。
そうして早朝、7時ごろだったと聞いています。なんとかチャリンコ屋をみつけ、訳を話して、親切なおっちゃんにパンクを直してもらいました。
いいおっちゃんでよかった。
ここから3人で先行の4人を追いますが、だいぶ離されているということに気づきます。
私以外に地図を持っていません。
なので、49号線という道路標識を確認して進む以外に道はありません。
いけどもいけども見えない4人。
先行4人がどこまで行ったかもわからない。確認のしようがない。この不安な状況ですが、3人は進むしかありません。
この時点でおそらく20-30キロの差が付いていたと思います。
ひたすら、チャリをこいでいく。
そして、しのぶが見覚えのある自転車を見つけました。
白い自転車に、蛍光黄色、赤字で「佐藤商会」のシール。
見間違えるはずはありません。
自転車屋のコウジのチャリンコです。
そのまわりには我々のチャリも。
しのぶはこの時確信したそうです。
あんにゃろめらは、このTSUTAYAの中にいると。
汗だくだくと、疲労の中、クーラーの聞いた本屋の中で先行の4人を補足しました。
今生の別れかという危機を乗り越えた安堵感から、あぁ~良かったと心底思ったはずです。
そして、漫画を立ち読みして「うっす!」と軽いノリの私たち。
てめぇーら、俺たちを置いていきやがってーと怒りのしのぶ。
まぁまぁ見つかったんだから、よかったじゃねえかと話をまとめる。俺たちも漫画読めたし。
TSUTAYAの前にまたもやそろった7人。
しのぶがコウジのチャリンコを見つけなかったらどうなっていただろうかと考えると、ゾッとします。
みんな落ち合えなくて、家に電話して、おそらくは途中で強制終了になっていたかもしれません。
コウジは今でも飲みながらいいます。
あん時のみんなを救ったのは、俺んちの店のロゴだと。そこに反論するのは、俺が見つけたからだという、しのぶ。
いずれにせよ、チーム「七人のぼんくら」の瓦解は防がれました。
パンクの話やコウジのロゴをしのぶが見つけた話で馬鹿笑いをしました。
いったん、ここで休んでこの先を見すえます。
ここまで、スタートから半分ちかく来たはずです。
時間は11:00ごろ。気温は間違いなく30度をこえている真夏日。水もなくなってきました。
腹が減っている。
どこかで、飯を食う必要があると判断。
いままでの経験から、どの町村にも郵便局はあって、その中には冷たい水の給水器があるということがわかっていました。あの足で踏んで、チョローッとでるあのタイプです。あの冷たい水を水筒に補給して、昼メシにしようと作戦会議をしました。
ここは来たことがない町。
49号線ならば、大きい道路なので郵便局は必ずあると踏んで、目標を次の郵便局と定めます。
ここは安田、遊園地があるくらいなので、けっこう大きいだろう、進む方向は中心地っぽい。
ならば郵便局は近いはず、そうふんで七人はまたいっしょに先を急ぎました。
なので、お互いに連絡をとる手段がない。
49号線に長く伸びた我々の戦線はいったいどうなることやら。
ここで、時間を遡ります。
柳津西会津間でいきなり始まった、下り坂のレース。
後方にいたのは、ワンボ、ミッチャン、しのぶの3人でした。
前方の我々が奇声を発してドンドン先に進んであっという間に見えなくなる。
彼らもそれを追って加速を続けます。
がしかし、三人の内の誰か?確かワンボかミッチャンが減速していきます。
ここはミッチャンにしておきましょう。
その遅れに気づいたしのぶとワンボ、止まってミッチャンの様子をうかがいます。
後輪がペッシャンコ。
パンクです。
チャリンコやのコウジがいますが、遙か先にいってしまいました。
おーいと叫ぼうにも後の祭り。
3人は次の町まで歩くことにしました。
彼らに土地勘はあったのかは、わかりませんがどっかの自転車屋を見つけるしかないとしのぶは思ったそうです。
ここで、運が良かったのは次の町が西会津だったこと。
これが西会津を過ぎていたら、次の町まではとんでもなく遠かったことでしょう。
3人は、先にいった4人を呪いながらてくてく歩きます。
特に自転車屋がいながら役に立たなかったコウジを呪ったことでしょう。
そうして早朝、7時ごろだったと聞いています。なんとかチャリンコ屋をみつけ、訳を話して、親切なおっちゃんにパンクを直してもらいました。
いいおっちゃんでよかった。
ここから3人で先行の4人を追いますが、だいぶ離されているということに気づきます。
私以外に地図を持っていません。
なので、49号線という道路標識を確認して進む以外に道はありません。
いけどもいけども見えない4人。
先行4人がどこまで行ったかもわからない。確認のしようがない。この不安な状況ですが、3人は進むしかありません。
この時点でおそらく20-30キロの差が付いていたと思います。
ひたすら、チャリをこいでいく。
そして、しのぶが見覚えのある自転車を見つけました。
白い自転車に、蛍光黄色、赤字で「佐藤商会」のシール。
見間違えるはずはありません。
自転車屋のコウジのチャリンコです。
そのまわりには我々のチャリも。
しのぶはこの時確信したそうです。
あんにゃろめらは、このTSUTAYAの中にいると。
汗だくだくと、疲労の中、クーラーの聞いた本屋の中で先行の4人を補足しました。
今生の別れかという危機を乗り越えた安堵感から、あぁ~良かったと心底思ったはずです。
そして、漫画を立ち読みして「うっす!」と軽いノリの私たち。
てめぇーら、俺たちを置いていきやがってーと怒りのしのぶ。
まぁまぁ見つかったんだから、よかったじゃねえかと話をまとめる。俺たちも漫画読めたし。
TSUTAYAの前にまたもやそろった7人。
しのぶがコウジのチャリンコを見つけなかったらどうなっていただろうかと考えると、ゾッとします。
みんな落ち合えなくて、家に電話して、おそらくは途中で強制終了になっていたかもしれません。
コウジは今でも飲みながらいいます。
あん時のみんなを救ったのは、俺んちの店のロゴだと。そこに反論するのは、俺が見つけたからだという、しのぶ。
いずれにせよ、チーム「七人のぼんくら」の瓦解は防がれました。
パンクの話やコウジのロゴをしのぶが見つけた話で馬鹿笑いをしました。
いったん、ここで休んでこの先を見すえます。
ここまで、スタートから半分ちかく来たはずです。
時間は11:00ごろ。気温は間違いなく30度をこえている真夏日。水もなくなってきました。
腹が減っている。
どこかで、飯を食う必要があると判断。
いままでの経験から、どの町村にも郵便局はあって、その中には冷たい水の給水器があるということがわかっていました。あの足で踏んで、チョローッとでるあのタイプです。あの冷たい水を水筒に補給して、昼メシにしようと作戦会議をしました。
ここは来たことがない町。
49号線ならば、大きい道路なので郵便局は必ずあると踏んで、目標を次の郵便局と定めます。
ここは安田、遊園地があるくらいなので、けっこう大きいだろう、進む方向は中心地っぽい。
ならば郵便局は近いはず、そうふんで七人はまたいっしょに先を急ぎました。
中三の夏休み、軽いノリと度胸で新潟まで、チャリンコで海を目指した7人。
出発当日の集合時間は早朝というか、深夜3:00。
なんとか、じいちゃんに起こされて出発した私。
自転車をこぎながら、あれ待てよ、これみんな起きれんのか?と心配になりました。
携帯電話もないので、家から出てしまえば連絡の手段はありません。
なので現場にいってみるしかない。
深夜3時にうすらかすらしている人はまずいません。
なんか心配になって、先を急ぎました。
みっちゃんちに到着すると、すでに数名の仲間が待ってました。
あーよかった。
しかし、肝心のみっちゃんが出てこない。
玄関で大声を上げるわけにもいきません。
部屋はわかっています。
ロミオとジュリエットよろしく、小石を窓に投げます。ガラスをわらないように。
ようやくみっちゃんも起きだしました。
まず一同、ここで爆笑。深夜なので、押し殺しますが、笑いをこらえられません。
げすらげすら、みんなで笑いながらのスタート。
7人は一路1号線を北上し、49号線をめざします。
坂下に抜けて、49号線にのる。
今の新しい七折峠トンネルではなく、古い峠のラブホテルを横目にどんどん西に向かいます。
まだまだこの辺りは、みんな元気、ぐんぐんペダルをこいでいきます。
七人のシルエットがはっきり道路に映るように朝もやが晴れていきます。
前日にいきなりいくことになったマサヨシをいじりながら、柳津のでっかい橋を越えて、上り坂をえっちらおっちらこいでいく。
七折峠を越えてまた峠の上り坂、今回の柳津西会津の峠はかなり長そうです。
登り切って、長い下り坂が西会津の町へ伸びているのが見えた時、みんなこの先は下りが続くことがわかりました。
「おっしゃ競争だ!」と誰かがいうと同時にレースはいきなり始まりました。
勢いよく飛び出したのはぽっちゃりけんちゃん。
自分の体重をいかんなく発揮して加速度運動に繋げています。
彼は自転車に名前を付けていました。その名も「松風」。これは当時ジャンプで連載されていた「花の慶次」からとったものです。主人公、前田慶次の愛馬の名前が「松風」。
さぁて、いくぞ松風とけんちゃんが先陣をきります。
続いて、チャリンコやのコウジ、俺、マサヨシと続きます。
道は49号線1本。迷いようがない。
どんだけ先にいっても、待ってれば後から追いつくだろうという計算のもと、全員がぶっ飛ばします。
こんな長い峠を下る機会はなかなかありません。
早朝なので車も皆無。
まさに俺たちだけのフィールドでした。
まてぇーコノヤロー!
つかまえられるもんなら捕まえてみぃ!
ちゃりんこですが人馬一体と化した中坊軍団。
支流を集めて肥え太った阿賀野川ぞいを進みます。
ゆったりと緑色に流れる大河に切り立った崖、そこに大小の松。中国大陸の四川省みたいです。
このあたり、いったことはありませんが、なんか杜甫とか李白が読んだ国語の教科書にあった漢詩の場面にでてきそうだと勝手に思いました。
西会津をこえて、新潟県に入ります。
さて少し疲れてきました。
そんで、気づく。
あれ、後ろが来てねえぞ。
先頭をいく、コウジとけんちゃんを制して止まります。そこにマサヨシも合流。
ちょっと待つことにしました。
さてここはどの辺だろうかとあたりを見渡してみる。
なんか山の中腹に見える観覧車、あぁここは、小さいとき親父とかあちゃんに連れてきてもらった安田アイランドの近くでした。
ということは、阿賀町。
自販機で飲み物を補給し、しばらく待ちましたが、待てど暮らせどこない。
ここにいないのは、ミッチャン、しのぶ、ワンボの3人。
待つのも飽きてきました。そこにちょうどオープンするTSUTAYAがありました。ということは、10時か。
買いたかった漫画本があることを思いだし、中に入ります。
私がはまっていたのは、わたるがぴゅんという野球漫画。ハブボールや3トンボールなどあり得ない魔球を投げる主人公が活躍する漫画です。
ギャグも抜群に面白い。
私はマサヨシに貸していましたが、あいつはこともあろうに授業中にそれを教科書に隠して読んでいたら、爆笑してしまい、漫画本が先生見つかり没収されるというエピソードがあったくらいです。
それ以降、わたるがぴゅんは授業中には読んではいけないという暗黙のルールができました。
また当時はジャンプ全盛期。ドラゴンボールがちょうどサイヤ人と対決したあたりでした。
続きが見たくて仕方がない。
それはみんなも同じでした。
10時とはいえ、真夏のクソ暑さ。
TSUTAYAはクーラーがガンガンに効いています。
その誘惑には誰も勝てません。
全員がTSUTAYAに吸い込まれました。
涼しいユートピアでの読者、後からくる3人のために、見張りを立てることもしないでみんな漫画の立ち読みにふけります。
その頃、とりのこされた3人、ミッチャン、しのぶ、ワンボは何をしていたのか?
次回。
出発当日の集合時間は早朝というか、深夜3:00。
なんとか、じいちゃんに起こされて出発した私。
自転車をこぎながら、あれ待てよ、これみんな起きれんのか?と心配になりました。
携帯電話もないので、家から出てしまえば連絡の手段はありません。
なので現場にいってみるしかない。
深夜3時にうすらかすらしている人はまずいません。
なんか心配になって、先を急ぎました。
みっちゃんちに到着すると、すでに数名の仲間が待ってました。
あーよかった。
しかし、肝心のみっちゃんが出てこない。
玄関で大声を上げるわけにもいきません。
部屋はわかっています。
ロミオとジュリエットよろしく、小石を窓に投げます。ガラスをわらないように。
ようやくみっちゃんも起きだしました。
まず一同、ここで爆笑。深夜なので、押し殺しますが、笑いをこらえられません。
げすらげすら、みんなで笑いながらのスタート。
7人は一路1号線を北上し、49号線をめざします。
坂下に抜けて、49号線にのる。
今の新しい七折峠トンネルではなく、古い峠のラブホテルを横目にどんどん西に向かいます。
まだまだこの辺りは、みんな元気、ぐんぐんペダルをこいでいきます。
七人のシルエットがはっきり道路に映るように朝もやが晴れていきます。
前日にいきなりいくことになったマサヨシをいじりながら、柳津のでっかい橋を越えて、上り坂をえっちらおっちらこいでいく。
七折峠を越えてまた峠の上り坂、今回の柳津西会津の峠はかなり長そうです。
登り切って、長い下り坂が西会津の町へ伸びているのが見えた時、みんなこの先は下りが続くことがわかりました。
「おっしゃ競争だ!」と誰かがいうと同時にレースはいきなり始まりました。
勢いよく飛び出したのはぽっちゃりけんちゃん。
自分の体重をいかんなく発揮して加速度運動に繋げています。
彼は自転車に名前を付けていました。その名も「松風」。これは当時ジャンプで連載されていた「花の慶次」からとったものです。主人公、前田慶次の愛馬の名前が「松風」。
さぁて、いくぞ松風とけんちゃんが先陣をきります。
続いて、チャリンコやのコウジ、俺、マサヨシと続きます。
道は49号線1本。迷いようがない。
どんだけ先にいっても、待ってれば後から追いつくだろうという計算のもと、全員がぶっ飛ばします。
こんな長い峠を下る機会はなかなかありません。
早朝なので車も皆無。
まさに俺たちだけのフィールドでした。
まてぇーコノヤロー!
つかまえられるもんなら捕まえてみぃ!
ちゃりんこですが人馬一体と化した中坊軍団。
支流を集めて肥え太った阿賀野川ぞいを進みます。
ゆったりと緑色に流れる大河に切り立った崖、そこに大小の松。中国大陸の四川省みたいです。
このあたり、いったことはありませんが、なんか杜甫とか李白が読んだ国語の教科書にあった漢詩の場面にでてきそうだと勝手に思いました。
西会津をこえて、新潟県に入ります。
さて少し疲れてきました。
そんで、気づく。
あれ、後ろが来てねえぞ。
先頭をいく、コウジとけんちゃんを制して止まります。そこにマサヨシも合流。
ちょっと待つことにしました。
さてここはどの辺だろうかとあたりを見渡してみる。
なんか山の中腹に見える観覧車、あぁここは、小さいとき親父とかあちゃんに連れてきてもらった安田アイランドの近くでした。
ということは、阿賀町。
自販機で飲み物を補給し、しばらく待ちましたが、待てど暮らせどこない。
ここにいないのは、ミッチャン、しのぶ、ワンボの3人。
待つのも飽きてきました。そこにちょうどオープンするTSUTAYAがありました。ということは、10時か。
買いたかった漫画本があることを思いだし、中に入ります。
私がはまっていたのは、わたるがぴゅんという野球漫画。ハブボールや3トンボールなどあり得ない魔球を投げる主人公が活躍する漫画です。
ギャグも抜群に面白い。
私はマサヨシに貸していましたが、あいつはこともあろうに授業中にそれを教科書に隠して読んでいたら、爆笑してしまい、漫画本が先生見つかり没収されるというエピソードがあったくらいです。
それ以降、わたるがぴゅんは授業中には読んではいけないという暗黙のルールができました。
また当時はジャンプ全盛期。ドラゴンボールがちょうどサイヤ人と対決したあたりでした。
続きが見たくて仕方がない。
それはみんなも同じでした。
10時とはいえ、真夏のクソ暑さ。
TSUTAYAはクーラーがガンガンに効いています。
その誘惑には誰も勝てません。
全員がTSUTAYAに吸い込まれました。
涼しいユートピアでの読者、後からくる3人のために、見張りを立てることもしないでみんな漫画の立ち読みにふけります。
その頃、とりのこされた3人、ミッチャン、しのぶ、ワンボは何をしていたのか?
次回。
スタンドバイミーにあこがれる。
俺たちもあんな風に自然の中を突き進みたい。
今の俺たちにしか感じ取れないものを探しに行くぞ、と中学の野球部練習が終わるとテントと寝袋を持ってキャンプをはりました。
一人500円と米、あとはスキなものを持ち寄ってその時にやりたいことをやる。
だいたいは、肉のみのバーベキュー。
牛肉は高くてたくさん買えないので、一番安い豚バラ肉を買えるだけ買う、1キロ1000円くらいでした。
それを買って、バーベキューをやるんですが、何ぶんランプの明かりのみで暗くて焼き加減がわからない。
みんな中学生の食い盛りなので、焼けてるそばから肉がなくなります。
早く食わなければ肉がなくなると言う恐怖。
その恐怖が私たちを戦士に変えます。
とったもん勝ち、食ったもん勝ち。
ここに弱肉強食の生存競争が始まります。
てめぇ、コノヤロー、それは俺のだ!
うっせぇぼけかす、食えば俺のだ!
飛び交う怒号、罵詈雑言。
そうなると、焼ける前、半生でも食おうとする輩がいます。
明らかに焼けていないピンクの豚肉、「たたき」ぐらいでしょうか。
ランプで見えないので、みんなよくわかりません。
口に入れて、ぁあなんか生だなと思っても、次の肉をハンティングするので無理矢理食います。
食ってくって食いまくる。
暗闇の焼肉バトル、それはみんなの満腹中枢を満たすまで続きます。
あんなにバトルしてたのに、後半になるとだいたいは肉があまります。
残さないのが主義なので、今度はおめぇが食えとのおっつけあいになります。
腹いっぱいになると食うスピードが落ちて、いろいろ中学での出来事を話すようになります。
たき火に照らされるみんなの顔。
やれあの子はかわいいだの、あの先生はきらいだの、あの漫画はここが面白いだの、あの頃にしか話せない話題でもりあがる。
すぐそこに受験という怪物が迫っていて、おのおのが大人になるために戦わなくてならない。
抱えている不安を仲間同士で忘れるかのような宴。
そんな中で、少しずつ目の前の目標に立ち向かう勇気をもらっていたのかもしれません。
酒も飲まずに、夜更けまで馬鹿騒ぎをして笑い合う。
ようやく眠くなって寝ようとしても、ゲラゲラ笑ってみんな寝れない。
あれなんでなんでしょうね?
電気を消して寝ようとしても、変な擬音や奇声、幼稚園児がよくやるオナラの真似をしても笑ってしまう。
「ふとんがふっとんだ!」など普段であれば、絶対笑わないようなたいして面白くもないギャグで大爆笑してしまう。
寝るのは笑い疲れてからです。
そしていつのまにか皆が寝て気づけば夜明けでした。
そして、翌日が地獄。
生で食った豚肉が我々の腹を直撃します。
特に、後述しますが、けんちゃんがいつもゲリピーになってました。
当時英語の授業で習ったビートルズのレットイットビーを文字って、ゲリピーゲリピーと皆で歌ったものです。
幸い私は消化器官が強かったので、腹は壊しませんでしたが。
親も気にせず、テントで過ごす時間。
今思えば、いい時間でしたね。
まさに映画のスタンドバイミーが私たちの前にありました。
中学3年生なので、どの高校にいって将来何になるとかみんなが漠然と持っていながらも、そうなるとは限らないという、見えそうで見えない霧の中にいるような状態。
ただ、同じ時代にこうしていっしょにこの場所で生きている、近くの仲間の存在をありがたく思い、心強く思いました。
こいつらといるのが楽しい。
そんな仲間は、年をとった今でもいい仲間です。
いつもホワイトガソリンのバーナーをもってくるんだけど中々点けられない自転車屋のコウジ、こいつはサードで1番バッターでした。
ぽっちゃり大食漢なんだけど、おなかが弱い柔道部主将のけんちゃん。こいつには何回か袈裟固めで落とされました。
物静かで、エロや下ネタ攻撃にメッポウ弱いシノブ、外野。高校も一緒で、大学も東京方面、就職も会津でいまだに麻雀仲間です。
神出鬼没で奇襲カンチョーを得意とするワンボ。ウヒョーとオヒョーとかいつも奇声をあげていました。
いじられキャラながら、いつもいさぎよい告白をして振られてたミッチャン、ショートで守備の名手、二中のオジースミスと呼んでましたが、肩がものすごく弱かった。室内練習で両手首を骨折し、女子に給食をあーんで食わせてもらってました。
足が速いんだけど、でこがせまいマサヨシ。ドッジボールで顔面に当てると、激怒してどこまでも追ってくる復讐の鬼でした。体育館を飛び出し、プールサイドを駆け抜け、私はテニスコートでつかまりました。
ほかにも個性が強い友達がいましたが、ここに私を含めた七人で、チャリで新潟の海を目指したことがあの時代、最大の冒険でした。
3年生の中体連が終わった夏休み、本当ならば高校受験に向けて勉強にいそしまなければならない時期。
野球が終わって、駅伝の練習が始まりましたが、なんとなく暇で宙ぶらりんな感じが漂っていました。かといってすぐに勉強する気にもなれない。
週末キャンプをやってきたので、この夏はなんかデカいことをやろうと仲間同士の話はいろいろでていました。
柳津の七折峠までエロ本を買いにいこうとか、
博士峠をこえて、柳津経由で一周してこようとか、いろんな計画を実行してきました。
一日5,60キロなら自転車で余裕。
なので、さらに大きなチャレンジを熱望していました。
俺たちにいけないところはない、そんな錯覚さえ覚える。
そして、行きついたのは海。
国語の教科書に「あの坂を上れば海が見える。」という一文があったのをみんな覚えていました。
それを地でいってみるか?
んじゃ海でも行ってみるか!
そんな軽いノリでした。
行程やスケジュールを考えるのは私です。
駅伝の練習が二日間休みのところねらって実行に移すことにしました。
柳津くんだりだと親には言わないんですが、今回はさすがに言いました。
危ないからやめろ、と言わないのがうちの親。
それどころか心配だから、朝仕事が終わったらいってみると、いいだしました。
ナーイス!渡りに舟とはこのこと。
テントなどの荷物を車につんで、チャリで持っていく必要がなくなりました。事前に車につめるので機動力アップ!
サンキュー親父!
携帯電話もない時代です。
到着地点と大まかなルートを伝えました。
「49号線をずっと左にいって、海までぶつかったら下、角田浜つぅところを目差すから」
そう親父にいいました。
我々七人の出発時刻は早朝3:00。
49号線に近い上戸原のミッチャンちに集合としました。
何を持ってくるとかは各自に任せます。
お金と水とおにぎり、カップ麺やおやつくらいの感覚です。
チャリンコ屋のコウジにはもしもの時にパンクを直せるようになんかもってこいとはいいました。
ちなみにマサヨシは直前の前日になんか面白そうだから俺もいくといきなりの参戦です。デコも狭いがノリも軽い。
目覚まし時計では心配なので、当時生きてたじいちゃんに起こしてくれと頼みました。
そして、三時前。
案の定、目覚まし時計は無視。
保険のじいちゃんに起こされて、用意した荷物をチャリに積んで出発しました。
あたりはまだ真っ暗闇。
これから挑むチャレンジに皆が高揚していたと思います。
さぁ、目指すは130キロ先の新潟日本海。
暗闇の中をスタンドバイミーを歌いながら、私はミッチャンちを目差しました。
俺たちもあんな風に自然の中を突き進みたい。
今の俺たちにしか感じ取れないものを探しに行くぞ、と中学の野球部練習が終わるとテントと寝袋を持ってキャンプをはりました。
一人500円と米、あとはスキなものを持ち寄ってその時にやりたいことをやる。
だいたいは、肉のみのバーベキュー。
牛肉は高くてたくさん買えないので、一番安い豚バラ肉を買えるだけ買う、1キロ1000円くらいでした。
それを買って、バーベキューをやるんですが、何ぶんランプの明かりのみで暗くて焼き加減がわからない。
みんな中学生の食い盛りなので、焼けてるそばから肉がなくなります。
早く食わなければ肉がなくなると言う恐怖。
その恐怖が私たちを戦士に変えます。
とったもん勝ち、食ったもん勝ち。
ここに弱肉強食の生存競争が始まります。
てめぇ、コノヤロー、それは俺のだ!
うっせぇぼけかす、食えば俺のだ!
飛び交う怒号、罵詈雑言。
そうなると、焼ける前、半生でも食おうとする輩がいます。
明らかに焼けていないピンクの豚肉、「たたき」ぐらいでしょうか。
ランプで見えないので、みんなよくわかりません。
口に入れて、ぁあなんか生だなと思っても、次の肉をハンティングするので無理矢理食います。
食ってくって食いまくる。
暗闇の焼肉バトル、それはみんなの満腹中枢を満たすまで続きます。
あんなにバトルしてたのに、後半になるとだいたいは肉があまります。
残さないのが主義なので、今度はおめぇが食えとのおっつけあいになります。
腹いっぱいになると食うスピードが落ちて、いろいろ中学での出来事を話すようになります。
たき火に照らされるみんなの顔。
やれあの子はかわいいだの、あの先生はきらいだの、あの漫画はここが面白いだの、あの頃にしか話せない話題でもりあがる。
すぐそこに受験という怪物が迫っていて、おのおのが大人になるために戦わなくてならない。
抱えている不安を仲間同士で忘れるかのような宴。
そんな中で、少しずつ目の前の目標に立ち向かう勇気をもらっていたのかもしれません。
酒も飲まずに、夜更けまで馬鹿騒ぎをして笑い合う。
ようやく眠くなって寝ようとしても、ゲラゲラ笑ってみんな寝れない。
あれなんでなんでしょうね?
電気を消して寝ようとしても、変な擬音や奇声、幼稚園児がよくやるオナラの真似をしても笑ってしまう。
「ふとんがふっとんだ!」など普段であれば、絶対笑わないようなたいして面白くもないギャグで大爆笑してしまう。
寝るのは笑い疲れてからです。
そしていつのまにか皆が寝て気づけば夜明けでした。
そして、翌日が地獄。
生で食った豚肉が我々の腹を直撃します。
特に、後述しますが、けんちゃんがいつもゲリピーになってました。
当時英語の授業で習ったビートルズのレットイットビーを文字って、ゲリピーゲリピーと皆で歌ったものです。
幸い私は消化器官が強かったので、腹は壊しませんでしたが。
親も気にせず、テントで過ごす時間。
今思えば、いい時間でしたね。
まさに映画のスタンドバイミーが私たちの前にありました。
中学3年生なので、どの高校にいって将来何になるとかみんなが漠然と持っていながらも、そうなるとは限らないという、見えそうで見えない霧の中にいるような状態。
ただ、同じ時代にこうしていっしょにこの場所で生きている、近くの仲間の存在をありがたく思い、心強く思いました。
こいつらといるのが楽しい。
そんな仲間は、年をとった今でもいい仲間です。
いつもホワイトガソリンのバーナーをもってくるんだけど中々点けられない自転車屋のコウジ、こいつはサードで1番バッターでした。
ぽっちゃり大食漢なんだけど、おなかが弱い柔道部主将のけんちゃん。こいつには何回か袈裟固めで落とされました。
物静かで、エロや下ネタ攻撃にメッポウ弱いシノブ、外野。高校も一緒で、大学も東京方面、就職も会津でいまだに麻雀仲間です。
神出鬼没で奇襲カンチョーを得意とするワンボ。ウヒョーとオヒョーとかいつも奇声をあげていました。
いじられキャラながら、いつもいさぎよい告白をして振られてたミッチャン、ショートで守備の名手、二中のオジースミスと呼んでましたが、肩がものすごく弱かった。室内練習で両手首を骨折し、女子に給食をあーんで食わせてもらってました。
足が速いんだけど、でこがせまいマサヨシ。ドッジボールで顔面に当てると、激怒してどこまでも追ってくる復讐の鬼でした。体育館を飛び出し、プールサイドを駆け抜け、私はテニスコートでつかまりました。
ほかにも個性が強い友達がいましたが、ここに私を含めた七人で、チャリで新潟の海を目指したことがあの時代、最大の冒険でした。
3年生の中体連が終わった夏休み、本当ならば高校受験に向けて勉強にいそしまなければならない時期。
野球が終わって、駅伝の練習が始まりましたが、なんとなく暇で宙ぶらりんな感じが漂っていました。かといってすぐに勉強する気にもなれない。
週末キャンプをやってきたので、この夏はなんかデカいことをやろうと仲間同士の話はいろいろでていました。
柳津の七折峠までエロ本を買いにいこうとか、
博士峠をこえて、柳津経由で一周してこようとか、いろんな計画を実行してきました。
一日5,60キロなら自転車で余裕。
なので、さらに大きなチャレンジを熱望していました。
俺たちにいけないところはない、そんな錯覚さえ覚える。
そして、行きついたのは海。
国語の教科書に「あの坂を上れば海が見える。」という一文があったのをみんな覚えていました。
それを地でいってみるか?
んじゃ海でも行ってみるか!
そんな軽いノリでした。
行程やスケジュールを考えるのは私です。
駅伝の練習が二日間休みのところねらって実行に移すことにしました。
柳津くんだりだと親には言わないんですが、今回はさすがに言いました。
危ないからやめろ、と言わないのがうちの親。
それどころか心配だから、朝仕事が終わったらいってみると、いいだしました。
ナーイス!渡りに舟とはこのこと。
テントなどの荷物を車につんで、チャリで持っていく必要がなくなりました。事前に車につめるので機動力アップ!
サンキュー親父!
携帯電話もない時代です。
到着地点と大まかなルートを伝えました。
「49号線をずっと左にいって、海までぶつかったら下、角田浜つぅところを目差すから」
そう親父にいいました。
我々七人の出発時刻は早朝3:00。
49号線に近い上戸原のミッチャンちに集合としました。
何を持ってくるとかは各自に任せます。
お金と水とおにぎり、カップ麺やおやつくらいの感覚です。
チャリンコ屋のコウジにはもしもの時にパンクを直せるようになんかもってこいとはいいました。
ちなみにマサヨシは直前の前日になんか面白そうだから俺もいくといきなりの参戦です。デコも狭いがノリも軽い。
目覚まし時計では心配なので、当時生きてたじいちゃんに起こしてくれと頼みました。
そして、三時前。
案の定、目覚まし時計は無視。
保険のじいちゃんに起こされて、用意した荷物をチャリに積んで出発しました。
あたりはまだ真っ暗闇。
これから挑むチャレンジに皆が高揚していたと思います。
さぁ、目指すは130キロ先の新潟日本海。
暗闇の中をスタンドバイミーを歌いながら、私はミッチャンちを目差しました。
今日の金曜ロードショー「スタンドバイミー」
小学校の時に、おそらく金曜ロードショーか、日曜劇場で見ました。
この映画、間違いなく私の人生を変えた映画です。
この映画を少年の時に見ておいて良かった!
大人になる前に見ておいてよかった!
大人になるにつれ、いろんな経験や情報が入ってきて、物わかりが良くなったり、こずるくなってきてしまう。
そうなる前のピュアさがまだある時期、自分の年輪の奥の深いところに刻まれてくれたと思います。
あの時代でなければ、あそこまで心を震わせることもなかった。
心の底からそう思える映画です。
野球、ソフトボールも大事ですが、ちょっと違った視点からものを見ることができれば、いろんな打開策が見つかると私は思っています。
映画もゲームも料理もなんであれ、無駄なことなんてないんです。
だから、子供たちにはいろんな心を震わせることに出会ってほしい。
もちろんスポ少もそのひとつだと胸を張って言えます。
中学入学前の小学校六年の最後の夏休み。
アメリカは9月入学なので、夏休みが終わると進学になります。
子供から少し大人になりかけるその多感な時期、いろんな問題を抱えた少年四人の冒険物語。
その冒険の目的は、自分たちと同じ年ごろの少年、列車にひかれて行方不明となっている少年の死体をさがして、ヒーローになることです。
たった二日間の時間の流れ。
小さな冒険を通して、いろんな問題を少しずつ向き合い、お互いの強さ弱さを認めながら成長していく彼らを描きます。
さすがのスティーブンキングの原作です。
きっちりホラー要素が入っている。
とは言っても、イットやペットセメタリーほどのホラーではありません。
誰しもが経験したことのある、子供時代の友情物語。
兄を交通事故で亡くし、失望する両親の間に居場所のない主人公。
なんでもないことで馬鹿笑いして、たわいの無いことでケンカする。
損得無しの付き合い。
ああいう心地よい距離感、人と人との距離間は大人になった今ではもう体験できない。
あの時代だからこそ、の風景。
エンディングで流れるベンEキングのかすれたような、しゃがれたような、日本人には発音できない声のスタンドバイミーが流れる。
心が洗われてしまう。
それを見て、いつか俺も気の合う仲間とああいう冒険をしてみたいと決意しました。
その仲間というのはもちもん同じグランドに立つ野球部の仲間たち。
思えば、そこがスタート地点。
そこから、大人のチカラを借りずに、自分たちだけでどこまでいけるかというチャレンジが始まりました。
俺たちのスタンドバイミー、次回。
小学校の時に、おそらく金曜ロードショーか、日曜劇場で見ました。
この映画、間違いなく私の人生を変えた映画です。
この映画を少年の時に見ておいて良かった!
大人になる前に見ておいてよかった!
大人になるにつれ、いろんな経験や情報が入ってきて、物わかりが良くなったり、こずるくなってきてしまう。
そうなる前のピュアさがまだある時期、自分の年輪の奥の深いところに刻まれてくれたと思います。
あの時代でなければ、あそこまで心を震わせることもなかった。
心の底からそう思える映画です。
野球、ソフトボールも大事ですが、ちょっと違った視点からものを見ることができれば、いろんな打開策が見つかると私は思っています。
映画もゲームも料理もなんであれ、無駄なことなんてないんです。
だから、子供たちにはいろんな心を震わせることに出会ってほしい。
もちろんスポ少もそのひとつだと胸を張って言えます。
中学入学前の小学校六年の最後の夏休み。
アメリカは9月入学なので、夏休みが終わると進学になります。
子供から少し大人になりかけるその多感な時期、いろんな問題を抱えた少年四人の冒険物語。
その冒険の目的は、自分たちと同じ年ごろの少年、列車にひかれて行方不明となっている少年の死体をさがして、ヒーローになることです。
たった二日間の時間の流れ。
小さな冒険を通して、いろんな問題を少しずつ向き合い、お互いの強さ弱さを認めながら成長していく彼らを描きます。
さすがのスティーブンキングの原作です。
きっちりホラー要素が入っている。
とは言っても、イットやペットセメタリーほどのホラーではありません。
誰しもが経験したことのある、子供時代の友情物語。
兄を交通事故で亡くし、失望する両親の間に居場所のない主人公。
なんでもないことで馬鹿笑いして、たわいの無いことでケンカする。
損得無しの付き合い。
ああいう心地よい距離感、人と人との距離間は大人になった今ではもう体験できない。
あの時代だからこそ、の風景。
エンディングで流れるベンEキングのかすれたような、しゃがれたような、日本人には発音できない声のスタンドバイミーが流れる。
心が洗われてしまう。
それを見て、いつか俺も気の合う仲間とああいう冒険をしてみたいと決意しました。
その仲間というのはもちもん同じグランドに立つ野球部の仲間たち。
思えば、そこがスタート地点。
そこから、大人のチカラを借りずに、自分たちだけでどこまでいけるかというチャレンジが始まりました。
俺たちのスタンドバイミー、次回。
冷静と情熱のあいだ。
といっても、竹野内豊さんとケリーチャンのラブストーリーの映画ではありません。
あの映画、私も好きでよく見てました。
10年後、ミラノのドーモォで会うという約束・・・
これはおいといて、本題。
今年もコロナの影響で各種大会の中止、規模縮小が相次いでいます。
中畑清杯は中止、大多鬼丸杯は周辺地域のみで開催、総体県大会は未定・・・
昨年と同じような空気。
オリンピックもやるかやらないか、まだわからない。
本当、どうなるのかは誰もわからない。
しかし、主催者側の心境を慮(おもんぱか)るに、責任という大義を考えると、中止にせざるをえないというところでしょうか。
やっても、怒られる。やらなくても怒られる。
前門の虎後門の狼。
切ない・・・
いろんなものが中止になる。
そうなると、参加しようといろんな準備をしてきた人にとっては、心の整理がなかなかつかなくなります。
準備の長さやその大会の規模などにもよるでしょう。
しかし、大小にかかわらず、その準備期間を費やしてきたことは同じです。
そこを「棒に振った」と考えるか、「次への臥薪嘗胆」と考えるか?
ここの差だと思います。
心の整理の仕方。
これができる人と、できない人は必ずでてくると思います。
そういう人が世界中にいる。
おそらくたくさんいる。
私のまわりにもいます。
県大会に行けなかった球児、直前で大会がなくなった中学生・・・
高田イーグルスもしかり。
最高学年、6年であれば最後のチャンス。
それが費える・・・
彼らの心内を考える。
仕方ない。
私も含めた大人は「仕方ない。」という。
仕方ないで片づけられてしまう。
わかっているんです。仕方ないということは・・・
物事の判断や是非、道徳倫理を学びながら成長している彼ら。
その多感な時期に、ものすごく大事なものを奪われたこの心内はどうやって整理していくのか、それが心配です。
人生のいい時期をコロナ禍で過ごしたこと、通常であれば悪い方向にしか作用しません。
しかし、これをマイナスしないでプラスに転化してほしい、そう思います。
一生懸命にやっても無駄になる。
だったら最初から本気でやる必要なんてない。
あきらめ、達観、冷めた見方。
そんな斜に構えた生き方はつまならいと私は思います。
どうかそうならないでほしい。
だからといって、見るからにガツガツした暑苦しい人になれということではありません。
表面はクールでも本質のところで、そうならないでほしいと切に思います。
本質のところでは、人の可能性や物事の未来を信じる熱い人であってほしいと思います。
熱というものは伝染します。
それは、冷たさ、熱さ、どちらも伝染する。
どちらも必要だと思います。ちょうどよい温度を保つためには。
そうはいっては、世の中冷たい人、冷静な人が多くなっているような気がします。
心のサーモグラフィーがあったら、青ばっかりだと思います。
いろんなものをあきらめている人の多いこと。
そこにきてこのコロナ。青い人の量産体制ができている。
冷静な奴ばかりと飲んでてもつまんないし、面白くないんですよね。盛り上がらない。
これではあかん。
青ばかりではないということ、熱く燃える赤もいる、煉獄さんではありませんが、心を燃やすような情熱を持つこと、一生懸命に取り組むことの意義を少しでもこのスポ少から、高田イーグルスから感じ取ってほしいと思います。
といっても、竹野内豊さんとケリーチャンのラブストーリーの映画ではありません。
あの映画、私も好きでよく見てました。
10年後、ミラノのドーモォで会うという約束・・・
これはおいといて、本題。
今年もコロナの影響で各種大会の中止、規模縮小が相次いでいます。
中畑清杯は中止、大多鬼丸杯は周辺地域のみで開催、総体県大会は未定・・・
昨年と同じような空気。
オリンピックもやるかやらないか、まだわからない。
本当、どうなるのかは誰もわからない。
しかし、主催者側の心境を慮(おもんぱか)るに、責任という大義を考えると、中止にせざるをえないというところでしょうか。
やっても、怒られる。やらなくても怒られる。
前門の虎後門の狼。
切ない・・・
いろんなものが中止になる。
そうなると、参加しようといろんな準備をしてきた人にとっては、心の整理がなかなかつかなくなります。
準備の長さやその大会の規模などにもよるでしょう。
しかし、大小にかかわらず、その準備期間を費やしてきたことは同じです。
そこを「棒に振った」と考えるか、「次への臥薪嘗胆」と考えるか?
ここの差だと思います。
心の整理の仕方。
これができる人と、できない人は必ずでてくると思います。
そういう人が世界中にいる。
おそらくたくさんいる。
私のまわりにもいます。
県大会に行けなかった球児、直前で大会がなくなった中学生・・・
高田イーグルスもしかり。
最高学年、6年であれば最後のチャンス。
それが費える・・・
彼らの心内を考える。
仕方ない。
私も含めた大人は「仕方ない。」という。
仕方ないで片づけられてしまう。
わかっているんです。仕方ないということは・・・
物事の判断や是非、道徳倫理を学びながら成長している彼ら。
その多感な時期に、ものすごく大事なものを奪われたこの心内はどうやって整理していくのか、それが心配です。
人生のいい時期をコロナ禍で過ごしたこと、通常であれば悪い方向にしか作用しません。
しかし、これをマイナスしないでプラスに転化してほしい、そう思います。
一生懸命にやっても無駄になる。
だったら最初から本気でやる必要なんてない。
あきらめ、達観、冷めた見方。
そんな斜に構えた生き方はつまならいと私は思います。
どうかそうならないでほしい。
だからといって、見るからにガツガツした暑苦しい人になれということではありません。
表面はクールでも本質のところで、そうならないでほしいと切に思います。
本質のところでは、人の可能性や物事の未来を信じる熱い人であってほしいと思います。
熱というものは伝染します。
それは、冷たさ、熱さ、どちらも伝染する。
どちらも必要だと思います。ちょうどよい温度を保つためには。
そうはいっては、世の中冷たい人、冷静な人が多くなっているような気がします。
心のサーモグラフィーがあったら、青ばっかりだと思います。
いろんなものをあきらめている人の多いこと。
そこにきてこのコロナ。青い人の量産体制ができている。
冷静な奴ばかりと飲んでてもつまんないし、面白くないんですよね。盛り上がらない。
これではあかん。
青ばかりではないということ、熱く燃える赤もいる、煉獄さんではありませんが、心を燃やすような情熱を持つこと、一生懸命に取り組むことの意義を少しでもこのスポ少から、高田イーグルスから感じ取ってほしいと思います。
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