時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
秋の陸上大会が近づいている。
話を聞いていると、いまの子供たちというか我がチームの6年生の身体能力の高さはたいしたものだ。
50メートルは7秒台が数人。ソフトボール投げは60メートル近く、高飛び135センチをこえるものもいるそうだ。
この前の水泳大会も上位入選者が相当いる。
そんなすごいやつがひとりいてもすごいのに、数人規模でいるということはたいしたものだ。
だがそんなにすごいやつがいても試合に勝てるかどうかは、別のものだ。
身体能力のあるやつがたくさんいるにこしたことはないが、そうでなくても勝てる。
野球は、足の速さだけでやるものでもないし、肩の強さだけでやるものでもない。
さらには、ひとりでやるスポーツではないからだ。
足がはやくてもアウトにはできるし、肩が強くても盗塁を成功させることはできる。その逆も可。
現にこれだけそろっていてもチームはこてんぱに負けるときもある。
下馬評どおりにはいかない、それが野球だ。
人より優れた身体能力、才能というやつは使い方をしらないといけない。
自チームでは、野球に活かせる使い方が発揮できるようにし、相手チームにはそれをさせない。
最後に一点でも多くとったチームが勝つのが野球。
快速、強肩をいかす打撃や守備をしってなきゃいけない。
そんなに速い選手もいなく、ずば抜けて遠くに飛ばす選手もいない。でも戦ってみると強いチームはある。
同様に足もそんなに速いわけでないのに、打つのがうまかったり、守備が上手かったりすれば足が速いだけの選手よりはチームに貢献できる選手になれる。
身体能力はあるにこしたことはない。
だが、どうやってもいきなり足は速くならないし、限界もある。
がんばれば速くなるなんていうのはうそだということに気づく。
本当にはやいやつにはかなわない。
自分の限界に気づくときがくる。
自分は、もたざるものだと。
足にしても肩にしても、もっているほうが少ない。もっていないほうが大部分を占める。
そこでどうするかだ。
もっているやつと同じ土俵で戦ってはいけない。
同じ土俵で戦ってはいけないといってもある程度までは必要だ。
そこまでは、がんばればある程度まではいける。そこまでの努力は惜しんではだめ。
その先がなかなかうまらない。追いつけない部分をどうするか?
(まぁやっかみでいえば、快足強肩なんてやつらは、たいてい何をやらせてもできるやつなんだが・・・)
自分の得意な土俵を探すしかない。
足の速さや肩の強さの関係しないところを磨くしかない。
捕球のうまさ、ミートのうまさ、バント、守備位置のポジショニング、打球の追い方、投手との駆け引きなど頭を使った考えるプレーの部分と、準備の部分、野球には身体能力をカバーできる分野がたくさんある。
もたざるものが勝てる土俵がある。
一点に秀でたものはそれをうまく使うことを考える。それはそれで大いなる武器だし、自信になるだろう。
ないものは、あるやつとは違う分野で「俺はこれだ!」と言い切れる武器をつくらないと、自分の居場所がなくなってしまう。
それがうまく融合し、きっちり発揮できること。そして相手にそれをさせないようにすること。
そうすれば格上といわれるチームをバンバン飲み込むことができる。
まぁそれはなかなかうまくいかないことが多いのだが・・・
社会とはそういうところ。
自分より優れた人はごまんといるし、その中でどうやって自分をアピールするか?どうやって自分の居場所をこじあけるか?自分のチームの存在を認めさせるか?
これならあいつに任せよう、あいつならやってくれる、あのチームjはやるなぁといってもらえる存在になること。
それが「俺にもできる、負けねぇぞ!」という自信になり、俺はこの場所でがんばるんだという生きる力になると私は思う。
やりなおしのきくゲームの世界とはちがう。
相手は生身の人間で、現実の世界。プレッシャーもリスクもゲームの比ではない。
だからこそ成功したときは、ものすごい自信になる。
ソフトボールをとおして、そういうことも知らずに学んでいる。
いやースポーツってほんといいもんだ。
話を聞いていると、いまの子供たちというか我がチームの6年生の身体能力の高さはたいしたものだ。
50メートルは7秒台が数人。ソフトボール投げは60メートル近く、高飛び135センチをこえるものもいるそうだ。
この前の水泳大会も上位入選者が相当いる。
そんなすごいやつがひとりいてもすごいのに、数人規模でいるということはたいしたものだ。
だがそんなにすごいやつがいても試合に勝てるかどうかは、別のものだ。
身体能力のあるやつがたくさんいるにこしたことはないが、そうでなくても勝てる。
野球は、足の速さだけでやるものでもないし、肩の強さだけでやるものでもない。
さらには、ひとりでやるスポーツではないからだ。
足がはやくてもアウトにはできるし、肩が強くても盗塁を成功させることはできる。その逆も可。
現にこれだけそろっていてもチームはこてんぱに負けるときもある。
下馬評どおりにはいかない、それが野球だ。
人より優れた身体能力、才能というやつは使い方をしらないといけない。
自チームでは、野球に活かせる使い方が発揮できるようにし、相手チームにはそれをさせない。
最後に一点でも多くとったチームが勝つのが野球。
快速、強肩をいかす打撃や守備をしってなきゃいけない。
そんなに速い選手もいなく、ずば抜けて遠くに飛ばす選手もいない。でも戦ってみると強いチームはある。
同様に足もそんなに速いわけでないのに、打つのがうまかったり、守備が上手かったりすれば足が速いだけの選手よりはチームに貢献できる選手になれる。
身体能力はあるにこしたことはない。
だが、どうやってもいきなり足は速くならないし、限界もある。
がんばれば速くなるなんていうのはうそだということに気づく。
本当にはやいやつにはかなわない。
自分の限界に気づくときがくる。
自分は、もたざるものだと。
足にしても肩にしても、もっているほうが少ない。もっていないほうが大部分を占める。
そこでどうするかだ。
もっているやつと同じ土俵で戦ってはいけない。
同じ土俵で戦ってはいけないといってもある程度までは必要だ。
そこまでは、がんばればある程度まではいける。そこまでの努力は惜しんではだめ。
その先がなかなかうまらない。追いつけない部分をどうするか?
(まぁやっかみでいえば、快足強肩なんてやつらは、たいてい何をやらせてもできるやつなんだが・・・)
自分の得意な土俵を探すしかない。
足の速さや肩の強さの関係しないところを磨くしかない。
捕球のうまさ、ミートのうまさ、バント、守備位置のポジショニング、打球の追い方、投手との駆け引きなど頭を使った考えるプレーの部分と、準備の部分、野球には身体能力をカバーできる分野がたくさんある。
もたざるものが勝てる土俵がある。
一点に秀でたものはそれをうまく使うことを考える。それはそれで大いなる武器だし、自信になるだろう。
ないものは、あるやつとは違う分野で「俺はこれだ!」と言い切れる武器をつくらないと、自分の居場所がなくなってしまう。
それがうまく融合し、きっちり発揮できること。そして相手にそれをさせないようにすること。
そうすれば格上といわれるチームをバンバン飲み込むことができる。
まぁそれはなかなかうまくいかないことが多いのだが・・・
社会とはそういうところ。
自分より優れた人はごまんといるし、その中でどうやって自分をアピールするか?どうやって自分の居場所をこじあけるか?自分のチームの存在を認めさせるか?
これならあいつに任せよう、あいつならやってくれる、あのチームjはやるなぁといってもらえる存在になること。
それが「俺にもできる、負けねぇぞ!」という自信になり、俺はこの場所でがんばるんだという生きる力になると私は思う。
やりなおしのきくゲームの世界とはちがう。
相手は生身の人間で、現実の世界。プレッシャーもリスクもゲームの比ではない。
だからこそ成功したときは、ものすごい自信になる。
ソフトボールをとおして、そういうことも知らずに学んでいる。
いやースポーツってほんといいもんだ。
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