時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。
ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
ここ最近は勝ちがつきません。
昨日の練習試合でも新鶴さんに1:2で負け。
負けが込んでいる。
スポーツは勝負ごと、必ず勝敗があります。
勝ち負けが必ずある。
大部分の人は、負けを多く経験するものです。
私もその大部分のひとりです。
ただ、多くの負けを経験していくと、負けの克服方法を私はあみ出しました。
俺が負けたと思わない限り、負けてない。
これです。
試合がコールドで負けようと、0:1の先後のスクイズでまけようと、自分が負けたと思わない限り、負けていない、そう自分のルールを設定しました。
確かに公式的には、負けました。
ただ、心底「このチームには逆立ちしたっ勝てねえな!」と思わない限りは、心から降伏はしません。
そういう圧倒的なチームも中にはいましたが、ギリギリのところで負けたときは、「この次は負けない」とすぐに立って次に向かいます。
そういや、三振してスキップで戻ってきたって中学の頃怒られました。次は必ず打てるという根拠のない自信がさせたものです。
小学校の頃に、当時ゴリと呼ばれた6年生にケンカを売り、秒殺されて泣くも、泣きながらヘッドロックを離さず、最後はそのまま抱え上げられバックドロップ。それでもヘッドロックを外さず、最後は先生が止めに入りました。
落ちたのがワラの上だったのが幸いでした。
涙と鼻水とワラの肥やしにまみれながらも、負けなかった。
翌日、調子に乗って再度ゴリをあおったら、保健室の前で捕まってコブラツイストでギブアップ、そのまま保健室のベッドに直行でした。
それでも心は負けてない。
自分が負けたと思わない限り、負けてない。
誰がなんと言おうが、俺は負けてない。
今でもそう思っています。
そうすると、すぐに負けたときの原因を探ります。
あの時どうすれば良かったのか?
この次やったときにゴリを倒す方法は?と考えた時と同じように今も考えます。
猪苗代さんの一番に決勝打を打たれたとき。
私はキャッチャーのユウトにどこの球を打たれたかと聞きました。
アウトコースやや低め、コースぎりぎりのところで、ユウゴのウイニングショットになるべき球は、寸分狂わずコースに来ていたと言っていました。
セカンドのレンが全く反応できないほどの打球の速さ。
レンもいっていましたが、バットの先っぽだったそうです。
普通なら凡打。
しかし、全力で振り切っていた。
バットの先っぽのミートが残っている部分で振り切った。
インパクトの手首の返しもジャストタイミング。
彼の魂のスイング。
それが、イーグルスの未来を切り裂いた。
イーグルスとしては、あの場面どうすればよかったか?
終わってしまった結果だからなんとでも言えます。
しかし、次に同じ轍を踏まないように、あらゆる可能性を探り、その時の1番高い可能性を探究しなくてはならない。
負けて得るもの。それはこの反省にある。
他にも配球の方法、打撃、バント、守備体系などいろいろあります。
それだけ、伸びしろがあるということです。
まだまだ、自分が負けない要素がある。
それだけで、またやる気がでてきます。
もういい。
もういい、よくやった、という人もいてくれます。
そういう人は危ない。
自分の心にも引導を与えかねない人です。
まだまだという心を、もういいに変えてしまう。
心がそう思った瞬間に、負けが決まってしまう。
最後の最後、時と場合によっては必要だとも思います。
しかし、安易な「よくやった」は、禁物。
だから、私がまだまだと思ったとき、
おめえらのチカラはこんなもんじゃねえだろ!とたきつけます。
こんなところで、くじけるな、へこたれるな。下を見るな。
シーズンの残りも少ない。
だから、なんだそれがどうした。
何回でもやり直しましょう。
人生が続く限り、終わりはないんです。
何回負けてもいいんです。
何回でもまた立ちあがればいい。
そばには、それを支えてくれる家族や仲間がいてくれるじゃありませんか。
試合に負けることもある。
試合には負けたけど、心はぜんぜん負けてない。
君たちは負けていない。
俺たちは負けてていない。
高田イーグルスは負けていない。
イーグルスがフェニックスになる時。
さぁ、9月のナイターです。
昨日の練習試合でも新鶴さんに1:2で負け。
負けが込んでいる。
スポーツは勝負ごと、必ず勝敗があります。
勝ち負けが必ずある。
大部分の人は、負けを多く経験するものです。
私もその大部分のひとりです。
ただ、多くの負けを経験していくと、負けの克服方法を私はあみ出しました。
俺が負けたと思わない限り、負けてない。
これです。
試合がコールドで負けようと、0:1の先後のスクイズでまけようと、自分が負けたと思わない限り、負けていない、そう自分のルールを設定しました。
確かに公式的には、負けました。
ただ、心底「このチームには逆立ちしたっ勝てねえな!」と思わない限りは、心から降伏はしません。
そういう圧倒的なチームも中にはいましたが、ギリギリのところで負けたときは、「この次は負けない」とすぐに立って次に向かいます。
そういや、三振してスキップで戻ってきたって中学の頃怒られました。次は必ず打てるという根拠のない自信がさせたものです。
小学校の頃に、当時ゴリと呼ばれた6年生にケンカを売り、秒殺されて泣くも、泣きながらヘッドロックを離さず、最後はそのまま抱え上げられバックドロップ。それでもヘッドロックを外さず、最後は先生が止めに入りました。
落ちたのがワラの上だったのが幸いでした。
涙と鼻水とワラの肥やしにまみれながらも、負けなかった。
翌日、調子に乗って再度ゴリをあおったら、保健室の前で捕まってコブラツイストでギブアップ、そのまま保健室のベッドに直行でした。
それでも心は負けてない。
自分が負けたと思わない限り、負けてない。
誰がなんと言おうが、俺は負けてない。
今でもそう思っています。
そうすると、すぐに負けたときの原因を探ります。
あの時どうすれば良かったのか?
この次やったときにゴリを倒す方法は?と考えた時と同じように今も考えます。
猪苗代さんの一番に決勝打を打たれたとき。
私はキャッチャーのユウトにどこの球を打たれたかと聞きました。
アウトコースやや低め、コースぎりぎりのところで、ユウゴのウイニングショットになるべき球は、寸分狂わずコースに来ていたと言っていました。
セカンドのレンが全く反応できないほどの打球の速さ。
レンもいっていましたが、バットの先っぽだったそうです。
普通なら凡打。
しかし、全力で振り切っていた。
バットの先っぽのミートが残っている部分で振り切った。
インパクトの手首の返しもジャストタイミング。
彼の魂のスイング。
それが、イーグルスの未来を切り裂いた。
イーグルスとしては、あの場面どうすればよかったか?
終わってしまった結果だからなんとでも言えます。
しかし、次に同じ轍を踏まないように、あらゆる可能性を探り、その時の1番高い可能性を探究しなくてはならない。
負けて得るもの。それはこの反省にある。
他にも配球の方法、打撃、バント、守備体系などいろいろあります。
それだけ、伸びしろがあるということです。
まだまだ、自分が負けない要素がある。
それだけで、またやる気がでてきます。
もういい。
もういい、よくやった、という人もいてくれます。
そういう人は危ない。
自分の心にも引導を与えかねない人です。
まだまだという心を、もういいに変えてしまう。
心がそう思った瞬間に、負けが決まってしまう。
最後の最後、時と場合によっては必要だとも思います。
しかし、安易な「よくやった」は、禁物。
だから、私がまだまだと思ったとき、
おめえらのチカラはこんなもんじゃねえだろ!とたきつけます。
こんなところで、くじけるな、へこたれるな。下を見るな。
シーズンの残りも少ない。
だから、なんだそれがどうした。
何回でもやり直しましょう。
人生が続く限り、終わりはないんです。
何回負けてもいいんです。
何回でもまた立ちあがればいい。
そばには、それを支えてくれる家族や仲間がいてくれるじゃありませんか。
試合に負けることもある。
試合には負けたけど、心はぜんぜん負けてない。
君たちは負けていない。
俺たちは負けてていない。
高田イーグルスは負けていない。
イーグルスがフェニックスになる時。
さぁ、9月のナイターです。
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