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時に笑い、時に苦しみ、時に涙する。すべてはグランドへ。 ソフトボールを通して成長していく小学生とその保護者、スタッフの物語。
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ひさびさにソウゴのキャプテンシーを見ました。
誰に言われるでもなく、はじめてスポ少に入ったばかりのトウマとキャッチボールをしていました。
普通ならば、はじめて入った素人には教えることも多く、自分も思いきりやれないし、面白くないと思うでしょう。
しかし、ソウゴは違ってました。
われわれ指導者が言うまでもなく、入ったばかりのトウマにキャッチボールを教えている。
それを見て、
「あぁ、本当のキャプテンになってきたなぁ。」
と思いました。
役割が人を育てるといいますが、間違いなくソウゴはその役割を人質越えつつあります。
キャプテンという役割をやろうというより、自然とキャプテンに成ってきている。
人として間違いなく成長しています。
私は、あのキャッチボールを見て思いました。

思い返せば、そういう場面が多々あった。
コロナで練習ができないときも、仲間を連れだって自主的にランニングをする。
小さい子ども達にも配慮しながら、練習すすめる。
声を荒げるでもなく、自分が率先して行動することでチームを鼓舞する。
そして、自分の行動にも責任をもつ。

ソウゴをキャプテンに推す。
そうはじめに表明したのはユウキでした。
やはり、ユウキはそのあたりをきちんと見ていたということを今になってつくづく思います。

ソウゴは、見るからに俺が俺がという前面にでるタイプではありません。
ですが、コツコツと自分の信念を着実に積み重ねていく辛抱強いタイプ。
私が驚いたのは、昨年真夏のインターバルトレーニングの時に、誰も追いつけなかったユウキに肉迫して最後は追い抜こうかというまでになる。
あれこんなに速かったっけ?
しかも、ソウゴはあえてスタートを遅らせて最後尾から、追いまくる。
あえて辛い練習を自分に課している。
そのうえで、いっさい手を抜かない。
私が思うに、そのあたりがひとつ上のユウキたちからも、そして同級生以下をして、全員からキャプテンに推された要因だと思います。
イーグルスはじまって以来の、選挙によるキャプテン決めで、全員からキャプテンに推される選手になった。
そして、あのトウマとのキャッチボール。
つくづく背中で語る奴。
かっこいい。
今では、誰もがソウゴがキャプテンで良かったと思っているはずです。

そこで心配ごとがひとつ。
誰よりも責任感が強いが上に、背負い込んでしまうものも多くなってしまうんじゃないかという懸念があります。
完璧な人間などいない。
ひとつふたつと言わず、だいぶ抜けていていい。
やるときゃ、やる漢(おとこ)、そんでいい。
そのあたりは、たまに白いケツを出す昨年の主将ユウキを見習ってもいい。
遊びのないブレーキは危ない。
でもまぁ、人に左右されないソウゴなりのキャプテンシーがあるでしょう。
ソウゴの人となり、ひたむきさ、謙虚さ、態度、礼儀、優しさ、心遣いは多くの人の共感を呼びます。
そこは間違いない。私は、そこを応援します。

病み上がりの高田イーグルスのキャプテン、ダイの代行として、約30人をまとめる副キャプテン、ソウゴ。
たのもしくなった横顔、丸刈りも板についてきました。

もうひとつ気づいたこと。
これは城戸コーチの気づかいだと思いますが、学校の先生に対して、チーム全体でさようならの礼をみんなでまとまって言うこと。
そこも徹底してやる、謙虚さ。
アピールといわれても、形から入るということは大事です。
そうしているうちに、中身が詰まってくる。
私は、今でもグランドに入るときに自然と一礼をしてしまいます。
マストではなく、それが当たり前になってくる。
いいじゃないですか!
その先頭にソウゴがいます。

チームを引っ張るソウゴを見るたびに今年のイーグルスもいける!と思います。
他の6年生も間違いなくソウゴのひたむきさに引っ張られている。
それを誰もが嫌がっておらず、むしろ楽しんでいる。
それが相乗効果を生んでいます。
チームとしてまとまっている。
だからこそ、いける!
自分たちよりも強いチームと互角に渡り合えると思わせてくれます。
彼らはやってくれます。
それが見える。

イーグルスの最大の夏は8月ときまりました。
めざすは、県制覇!
口に出して、自分たちの心に染みこませましょう。

血湧き肉躍る、激闘の世界に、イーグルスの双璧、矢じりとなったダイとソウゴを先頭に切りこむ。

やってやりましょう!
待ってろ、最高の夏。
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夏が終わっていきます。
イーグルスOBの最後の夏が。

高校三年、この年代はイーグルスを初の全国の舞台と導いた年代です。
9人いた仲間の中で野球を選んだのはタイキひとりでした。
もちろん、それぞれの道を進んでいいし、それを応援します。
ただ、高校野球を選んだことに対して、私は単純にうれしい、そう思います。
独断でひとりよがりだとはわかっていますが、高校野球をやってこそ、野球の深さ、野球をやることで仲間の大切さがわかる、私は、そう思っています。
タイキはその道を選んだ。
だから、うれしい。

彼の夏も終わりを告げました。
直前にケガをして、最後の夏なのに試合にでることはかなわない。
劣勢のチームをなんとかして、立ち直らせようと鼓舞する。
伝令に向かった彼の横顔をとらえた写真。
私は、この写真をみて思いました。
高校でもいい仲間に出会えたんだな、と。


新聞の記事によると、こんなにも一生懸命になれることがこの先をあるのかなぁといいつつ、将来を見すえる。
しかし、彼ならば、この先も大丈夫だなと思わせてくれます。
そして、また野球の道を探究するとのこと。
私の勝手ながら、たのもしくて仕方がありません。
独断と偏見ながら、私が育てたかったのは、こういう人間。
そこまで、野球に魅入られた人間は、必ず野球の楽しさを誰かに教えたくて仕方がなくなります。

イーグルスの練習に来てくれるOBたちもまたしかり。
高校野球までやったとか、そんなのはまぁいいとして、ソフトボールの厳しさ、楽しさ、仲間の大切さを身をもって経験してきたからこそ、またグランドに戻ってきてくれる。
自分が生まれ育った川にもどってくる鮭のように。

かくいう私もそうでした。
小学校のスポ少の監督から、中学校の野球部の先生から、高校の野球部の監督から、野球の厳しさと楽しさを教わってきました。
それができたのも、やはり一緒に野球をしてきた仲間たちのおかげです。
そうして、野球にどっぷり浸かっていく。
そういう人間をひとりでも多く育てていきたい。
野球の伝道師。
それが、間違いなく、私のライフワークになっています。


その片鱗を示してくれたタイキ。
思い出します。
あの年代の最後の試合。
11月の寒さの中、信夫第一さんとのきつねうち温泉杯決勝、もつれにもつれてナイターとなり、最後はタイキのタイムリーで試合を決めたあの一打。
おやっさんと涙の抱擁。
決めるときは決める漢(おとこ)です。
まだバットを置くのは早い。
彼の進む道に、ふたたび良き野球仲間との出会いがありますようにと願ってやみません。

お前ならば、大丈夫!
私は、自信をもって「行け!」といいます!

ひとまず、タイキ、高校野球おつかれさまでした!
今日の練習をみていて思いました。
なんだ、この打撃力は!
去年もすごかったが、去年にもまして打撃力が向上しています。
すごみがある。

バッティングピッチャーをしていても、怖さを感じます。
ここ最近、あきらかに私は動体視力が落ちていて、速いボールにアジャストできません。
あーピッチャーライナーくらったら痛いだろうなと恐怖を感じます。

6年生はとくにいい。全員がタイプが違います。
長距離砲、中距離砲、マシンガン、スナイパー。
それらが上手く機能している。
そこにきて高田さんのメンバーが加わると、どこからでもつながる打線ができあがります。

その中でもうちの長距離砲は、すごい。
ほぼ全てのコースをとらえることができます。 そして、特筆すべきはその選球眼と対応能力。
自分が打つべき球を見定める能力がすごい。
あれは入ってる、入っていないのゾーニングがほぼ完璧です。
だから、ちゃんとした審判の場合は、比類なき判断力、選球眼がいきてきます。
撃てる球をしっかりと見極めている分、ヒット、長打の可能性が高くなります。
問題は、微妙な判定が続く審判の場合、さっきボールと行ったコースが、今度はストライクになる。
彼がクソ審判と言う所以(ゆえん)です。
言葉が過ぎてしまうのは、彼なりの理由があります。
それだけ、自分のコースの見極めに自信をもっている。
だから、どんなにピンチでもチャンスでも、自分がボールと決めた球は悠然と見逃す。
微動だにしません。
それこそが、自分の存在理由だといわんがばかりに。
嫌いじゃない。
そこまで信念のあるバッターなかなかいません。
言葉が悪いのは、今後の改良の余地はありますが、どんな相手であれ、物怖じしない自分の信念があるということは、今の流されるのが楽だというスタンスに抗うようで、私は好きです。

「審判に聞こえるようにいうなよ!」といいつつ、俺もそう思ってんだ!代弁してくれてありがとう!とも思います。
いいじゃないですか、そんな人間が二人ばかりいても。
審判も人間なら、われわれ指導者も選手も人間です。感情に囚われる時もあっていいと私は思っています。
ただ、問題はそれをどう表現するかの違いだと思います。
あるがままに出すか、
いったんうけて、相手の反応を見てから出すか、
その時、その状況によっていろんな選択肢がある。
そこを的確に判断できる人になれるか?
そう思ってる時点で、計算高い人間になってしまいますが、そこを自然と出せる人間に近づけるか?
ぶれない信念をもっていれば、のりきれる。
その自分なりの信念を育てる。
そこもある意味スポ少の課題だと思っています。

ともあれ、イーグルスの6年は、それぞれの個性を活かしながら、ひとりひとりが、それぞれの信念のもとに戦っています。
バッティングピッチャーをしながら、鋭い打球をよけながら、こいつらもたのもしくなったなぁと、目を細める。
あんなに下手クソだったあいつらが……。
この瞬間が、指導者冥利につきる。

今年もその瞬間に立ち会うとこができました。

あとは、これを選手、保護者にいかにして還元できるか?

明日から怒濤の練習試合スケジュール。
がんばっていきましょしょい!
高田中野球部、3年生の夏が終わろうとしています。
この3年生は、コロナの影響で公式戦がゼロ。
会津大会、県大会、上を目指して戦う試合が1回もありませんでした。
そして、この練習試合で彼らの3年間は終わりを告げます。
どうしようもないといえば、どうしようもない事態。誰が悪い、彼が悪いとかではないからたちが悪い。
その中でも、何ができるかを考えて実行する。
先生方、関係者の方々のご尽力に感謝します。
ありがとうございました。

さて、かつてのイーグルスOBのユウトの世代の中学3年の最初で最後の夏がはじまりました。
小学校でもキャプテンをやりましたが、中学でも、再びキャプテンをつとめあげた。
そこにユウトの集大成がありました。
小学校の時のような、切羽詰まった感じがなく、「俺は、俺たちの野球を楽しむ!」
という感覚にあふれていました。

誰かがミスをしても、小学校の時のようにぶすくれて態度にだすような稚拙さがなくなっていました。
ユウトはどちらかというと先輩に可愛いがわられるタイプ。
よき先輩たちの中に違和感なく溶け込むことに長けている。そんな中で、自分たちの世代のチームの在り方を彼なりに模索してきたと思います。
自分たちの世代だけではチームもくめない状況から、後輩たちをうまく機能させることを選んだ。
となると、怒ってばかりでもだめ。
かといって、なめられてもだめ。
両者のバランスをとりながら、リーダーシップを発揮していくことを選んだんだなと、私なりに勝手に解釈しています。
あの泣き虫きかんぼうユウトが、一歩ひいて見ている。
つくづく、大人になったな、と思わせてくれます。

一緒に、ソフトをやってきた仲間が、いろんな事情で野球をやめていく中、よくぞ3年間がんばった。
私は、そのがんばりにぐっと来ていました。それを支え続けた家族のサポートも立派です。

久しぶりに野球の審判をやりましたが、いやーきもちいい。
天然芝の上で野球をやれる幸せを感じました。

世の中、いろんなことがある。
しかし、そんな中でも仲間と野球ができるということの幸せさを感じました。

ただのゴロを誰かが捕って、きちんと投げて、誰が捕ってアウトになる。アウトをとるということは、チームメイトとの連携が不可欠です。
ひとりではなにもできない。
相手もいなくてはならない。
審判もいる。
野球は、スポーツはいろんな人がいてこそ成り立っています。
いまさらながら、それに気づく。
 
野球は、ちいさな成功体験を仲間と一緒に積み重ねていくスポーツです。
いろんな場面で、仲間たちといかに段取りよくそれを繰り返していくか?
チームワークという絆をいかにみんなで作っていくかというスポーツなんですね。
自分がエラーしたときに誰かがファインプレーで救ってくれる。
ピンチで逆転のタイムリーを打つ。
仲間のありがたさ、人の大切さを教えてくれるスポーツだと思います。
当たり前のことなんですが、改めて野球ってすげえなと思いました。

そして、グランドで生きていることを実感します。
心地よい風、仲間たちの声、緊張のプレー。
あのグランドにいるだけで、気持ちいいし、心地よい。
来週に引退する3年生にその面白さを知って欲しいと思います。

そして、勝っても負けても、俺たちはやれる!
という自信に昇華していく。
今後の将来に何ほど役に立つはずです。

来週こそ、最後の聖戦です。
がんばれ、ユウト!
悩むのはいいことだと思います。
いろんな事象をならべて、ああでもない、こうでもないと考える。
それを一人で、または仲間同士で考えることは人が成長して行く上で、とても有用なものだと思います。
それを挫折や苦労というのかもしれませんが、それを知らないことは果たして本当の成長と呼べるでしょうか?
大きな壁に打ちあたって当たり前。
跳ね返されて当たり前。
そして、その壁をどうやって乗り越えていくかを考えて、実行する。
よけていくら、ぶち破るか、よじ登るか?
方法はたくさんあり、ひとつではない。
大小あれど、生きていくことはまさにその連続です。
スポ少の中では、それが経験できます。

このチーム中で自分はどういう役割なのか?
自分はどうしたいか?
そのためにはどうすればいいか?
大なり小なり、考えて行動するようになります。
「俺が何をいいたいか?」という問いかけ。
ああやれ、こうやれという前に、私たちも考えて行動するように仕向けています。

彼ら彼女らが大きくなったときに、自分で自分が行く道を決められる人間になって欲しいという思いをこめて。

どっかの停止線で立ち止まった時に、
「俺が何をいいたいか?」
という声がどっかから聞こえてくれればいいなと思います。
打撃理論ってなんでしょう?
つまるところ、どうやったら効率よく打てるか?
それが答えだと思います。 
この「どうやったら」ってのが、我々人類にとっての永遠の課題。
それが、ヒットの錬金術=打撃理論。

あまたの打撃理論がこの世には存在します。
振り子打法、一本足打法、フライボール理論、そしてインサイドアウト…。
いろんな理論、セオリーを実際に試してきました。
打撃理論なんて、あってないようなもんだと思っています。
ただ、確信をついているところは確かにある。
それを見極める。
使えるところを使う。これだと思います。

そして、私なりに今のところ掴んでいるポイント。それは、

打ち負けない始動ができる「われ」→トップの作り方。

効率よくミートポイントにバットのヘッドを導くスイング軌道(最短が望ましい)。

そしてもっとも大事なのは、バットとボールが出会うタイミングがとれること。

この3点。
体が大きく筋肉量が多いにこしたことはありませんが、でかくてもボールに上手く当たらなくては話になりません。
小さくても、全身の筋肉を効率よく使い、タイミングを上手くとりながら長打を連発する選手もいます。

突き詰めていけば、人それぞれ筋肉の付き方、ボールをとらえる動体視力、経験値が違います。
よって、一概にこうすれば良いという共通のセオリー、決まり事は存在しないと思ってます。

その人が、そのスイングをするには訳がある。

私はそれを大事にしたい。
何も教わってない状態でやるスイングこそ、その人の「素(す)」であり、それまで生きてきた経験値からの最良のスイングであり、タイミングのとり方だと私は思います。
だから、「ん!?」と思ったスイングでも、その人にとっては有効な場合があるかもしれないと思って使えるところを探します。
その固有のスイングを全否定することなく、むしろ強みとして昇華する。 
ここが、指導者の腕の見せどころ。
今はいろんなバッティング理論が謳歌しています。
私もそれを研究しつつ、「この子にとっては、どれが使えて、どれとどれを組み合わせればちいいか?」を考えています。
型にはめない。
だからこそ、イーグルスにはいろんな打撃フォームをする奴らがいます。
去年の山形、鶴岡東もそうでした。
いろんな打撃フォームの打線。
決して、お行儀がいいとは言えないフォームがたくさん並んでいました。
不思議とそれがつながる。
全員が同じようなフォームに収束しない面白さ、そして強い。
理想だと思います。

ポイントだけ抑えてりぁ、ボールを強く叩くという行為には、幾通りの方法があります。

とんでもないアッパースイングのレイラ。
普通に考えれば、体格に合わない大きすぎるスイング。よしんば、あたったとしてもフライになる確率が高いアッパー。普通は直すでしょう。
しかし、信念に基づき、私はレイラのフォームもあまりいじりません。よく、あんなフォームで打てるなぁ、なんて思っているのは、大人だけかもしれません。彼女にとっては、あれがスタンダード。そのいいところを活かしましょう。
あのフォームが打ちまくって、相手チームを席巻する、そんな予感がしています。
最近のティーボールの練習では、自分のインパクトのポイントが分かってきています。
レイラなりのボールの飛ばし方を少しずつものにしています。
ボールをバットの芯でとらえると、心地よい手応えとなんとも言えない気持ち良さが経験できます。
これは、人類が太古の昔から気持ちいい感覚のひとつだと私は思っています。
ボールをかっ飛ばすと気持ちいい。
これが単純に、野球の、ソフトボールのもっとも面白いところだと思います。

その気持ちよさ、楽しさをより多くの子ども達に経験させてやりたい。しかも、大きな舞台で。

そのやり方は、人によって千差万別。
その子にあった最善のひとふりを一緒に作り上げていきたい。

「なんで、あんな打ち方で打てるんだ!」
と驚嘆する人のよこで、ほくそ笑む。
セオリーにとらわれることなく、その子にあったスイング。
それを突き詰めていきたいと思います。

練習が再開して一月がたちました。
コロナ対策をとりながら練習試合もちらほらなんとかやれています。
選手の個性をみたポジション、打順もなんとなくかたまりつつあり、高田イーグルスとしての体裁が整いつつあります。
形になってきている。
見ていてそう思います。 
しかし、それは、5年、6年の話です。

私が主に担当するのは、四年生以下選手たち。
はい、そうです、素人集団です。
人間的にもまだまだややっこ。
理論や技術を教える前の段階の人たちです。
ただ、私は思うんです。
ここが、この導入が1番大事だと。
これは、昔から思っていました。
6年から1年生まで、アップはいいとして、同じ練習メニューなんてできる訳がない。
私一人で指導していた時期は、どうしてもこの下級生の導入に時間を割くことができなかった。
それが、高田さんと合併して、指導者も保護者も多くなった今、未来の高田イーグルスを引っ張っていくであろう人材育成を任されている。
ここは合併したメリットです。

ただ、こいつら、めんどくさい。
人の話を聞かない、ややっこなので思い通りに動かない、喧嘩がはじまる。
保育所です。
ソフトボールを教える以前の問題。
個人でやるゲームが遊びの主流となり、普段から、友達同士、年齢をこえた集団で遊ぶことも少なくなったんでしょうね。
それぞれが、我を通す。
それを制するガキ大将がいません。
学年が上とかも関係ない。
あぁ、こりゃ大変だ。
ここからやんなんねえのかぁと思いつつも、これもソフトボールを通しての、人格形成の一環と考えます。
むしろその方が大きい。
とんでもなくめんどくせぇやつもいます。
もし学校にこんなのが、何人もいたら学級崩壊でしょうね。
学校の先生の苦悩をお察しします。
しかし、ここは学校ではありません。
学習指導要領では、解決できないでしょう。
まがりなりにも、彼らにはソフトボールをしてチームとして、勝ちにいくという明確な目標があります。
そこが、チームスポーツとしてのスポ少のいいところ。
スポ少だからこそ、できることがあります。

世の中どうあっても、合わない奴っていうのがいます。
みんな聖人君主ではありませんから、みんなと仲良くしようなんてことはないと思います。
その距離感を正しくもてばいい。
それが、「コミュニケーション能力」だと私は思ってます。
スポ少は、それを実践的に、経験的にソフトボールを通して学んでいく場です。
嫌いな奴とでも、チームの勝利のためには協力しなくてはならない。
これって将来、社会に出たときも役に立つと思うんです。
合わない奴であっても、そいつの特性を活かすような配慮、動きしようとする。
そして、自分もそうやってチームの一員なんだと気づくはずです。自分もみんなに活かされていると。
これが、なんとなくでもいいから学ぶ事ができるスポ少とはやはり有用な教育法だと私は確信しています。
そして、それをまた今年も実践しようとしています。
何人か、キーマンは抑えています。
あとは、そいつらがどう変わっていくかをけしかける。
これは、これで面白い側面です。
北風と太陽。アメとムチ。仏と鬼を使い分けて少しずつ、彼らの顔が変わっていく様子を見守ることにします。
コロナ災禍の中、新生高田イーグルスがなんとか船出しました。
新しい空、青空なのか、暗雲なのかはまだ分かりません。
ですが、新しい大陸を求めてこぎ出したという事実が大事なんです。
これで、前に進める!と誰もが決意を胸に刻んだことでしょう。
ぐるぐる回ってるだけなのか、はたまた後ろにこいでいるのか、それはわかりません。
ただ、私は思いました。
このチームならば、行ける!やれる!と。
こどもたちもそうですが、保護者も良いメンバーです。
このメンバーとならば、どんな海でも天候でも乗り越えることができる、そう思いました。

一緒のメンバーで早く試合がしたい。
大会がやりたい。

さて、真新しい本に、子ども達の、保護者のみなさんの成長物語を綴っていこうとしますか!
コロナ明けの最初のナイター練習。
虫も少ないし、暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい絶好のビール日よりのナイターです。
我が高田イーグルスのナイター。
大橋監督と話し合った上、上学年と中学年以下に分けての練習となりました。

この前の練習みて、いかに少数で大人数を指導できるかを、考えに考え抜いてメニーを作ってきました。
それを試すチャンスがやってきました。
四年以下、選手なんだか子どもなんだか訳のわかんない年代。
ただ、このわけのわかんない年代にこそ、野球やソフトボールの面白さがいちばんわかる年代だと思います。
そこで、出会った仲間、先輩、指導者、プレーうんぬんよりも、
「この人たちとこそ、やるのが面白い!」
そう思うこと、そう思わせること。
最後に大事なのは、ここ、ここだと思うんです。
わけわかんねえけど、こいつらと一緒になんかをやるのが面白い。
こう思わせることができれば、
彼ら彼女らがそう思ってくれれば、私たちの勝ちです。
それは、すなわち高田イーグルスの、そして、野球のソフトボールの勝ちとなります。
ですが、それは中々難しいもの。
うまくいかないことの方が多い。
そして、中々選手たちのこころには刺さらないもの。

それでもそういう場面を数多く、何回でも作って、何回も工夫して提供していくこと。
私はそれをあきらめません。
「俺が(勝ちを)あきらめるのをあきらめろ!」
ナルトもそういっていました。

その積み重ねを、またやっと再開できます。
悪戦苦闘の毎日だとしても、嬉々として立ち向かう毎日。
そういう日々が今年もまたはじまったなと、実感できました。
たしかに、生きていく意味が感じられました。
この小さい、ちっさい子供たちをみて、またやれるなと感じる喜び。
またビールが上手くなります。

今日はとりあえず、遊びの中で基礎体力をつけること、自分たちのチームワークを養うこと。
そこに重点を置きました。
最初としては、まぁまあ上手くいったと言えます。
あとは、どれだけ自主性を持たせて、仲間同士で協力できるか?
ひとりひとり勝手な集団をどうやって、ひとつの目標に向かってまとまりのある集団にしていくか?
ここにこの先の彼ら彼女らの未来があります。
これが出来れば、ソフトボールの野球の本当の面白さがわかるでしょう。
私は、それが教えたい。

まずは、それなりにできたと言えます。
彼ら彼女らは楽しそうだった。
それが収穫です。

それと、もうひとつの収穫。
上学年と中学年以下のまとまりのなさ。
それが、最後のダウンのランニングの時にでました。
どう並べばいいか?どうしていいか、どちらもわからない。
「ん?どうした?」
さて、どうしたものか?
低学年の中に入って、まとめる六年生が必要だと思いました。
「うえが、下に入って指導しろ!」
そう言った私の言葉をとっさに理解した男。
それがソウゴでした。
美里イーグルスのキャプテン。
彼は率先して、低学年の並ぶ最後について、やもすればふざける低学年ににらみをきかせながら指導していきます。
いいキャプテンシー。
高田イーグルスのキャプテンは、ダイ。 
ですが、ソウゴも並び立つ副キャプテン。
状況判断と指導者が求めるものを判断できるまでになった。
ソウゴもここまで器が大きくなったか!
うれしくなりました。
それを見た私は、ああソウゴに任せておけば大丈夫だな、と思って後片付けに回りました。

高田イーグルスもうまくまわっていく。
その手応えを確かに感じました。

さて、スポーツをするには気持ちいい季節。
高田イーグルスには、青い空が確かに待っています。
コロナ。
だんだんですが、あけてきました。
我が町も体育施設がやっと開放され、昨日から練習が再開されました。
いろんな大会がなくなってしまった。
高田さんとイーグルスが合体した真価を問う場所がなくなってしまった。
そこはがっかりですが、いつまでもそうはいってられません。
次を見据えて、やられることをやっていくしかありません。

昨日から始まった練習、人数が多い……。
うれしい悲鳴です。
この人数をいかに効率よく、まわしていくか?
ここにも我々の資質が問われている気がします。
少ない指導者で、多くの子ども達が短時間で楽しく集中して、技術も体力も気持ちも強くなる。
ここが、指導者の腕の見せどころでしょう。

まぁ、いくつか案は考えました。
だるまさんがころんだ
鬼ごっご
リレー
などなど。

指導者同士で、話し合いながら、変更を加えながらよりよい方法を手探りで探っていく。
模索。
こういうのが、楽しいんですよね。
こうなると、仕事中も風呂に入っていても、いつもスポ少のことを考えはじめてしまいます。

さて、今日はナイター。
考えたことを試していきましょう!
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